2015年5月31日日曜日

スタジオでパーティー♪


一昔前までは僕だって、夏だ!海だ!ビーチボーイズ!的なステレオタイプの
認識しか持ち合わせていなかった。
初期のヒット曲は知ってるけど夏に車で聴く音楽という位置づけだった。

メンバーの名前と顔も一致しないし、もちろん声も聴き分けられない。
ヘタしたらジャン&ディーンとの区別さえつかないくらいだった。
名盤「ペットサウンズ(Pet Sounds)」を聴いてもさほど感銘を受けなかった。


ビーチボーイズにハマったのは知人が聴かせてくれた「パーティー(Beach Boys'
Party!)」というアルバム(1965年)がきっかけだ。

ガールフレンドや奥さんをスタジオに呼んでパーティー形式で演奏したスタジオ
・ライブを録音したものである。
アコースティックギター、ベース、ボンゴのみというシンプルな楽器編成は、
元祖アンプラグドと言えるかもしれない。

ボーカルも演奏もラフでかけ声や笑い声なども入っていて楽しそうだ。
とは言っても、さすがビーチボーイズ!ハーモニーは完璧である。



                          ↑写真をクリックするとYouTubeで曲が聴けます。


テキトーなようだが実はブライアンの入念なプロダクションが施されている。

曲の後で聞える笑い声やお喋りはオーバーダビングされたものである。
それでも和気あいあいの楽しそうな雰囲気は伝わって来る。

「I Should Have Known Better」「Tell Me Why」「You've Got To Hide Your 
Love Away」とビートルズを3曲もカバーしているのもおもしろい。
(「Ticket To Ride」も録音されたがボツになった)

ディランの「The Times They Are A-Changin'」やエヴァリーブラザーズでヒット
した「Devoted To You」、クリスタルズの「There's No Other (Like My Baby)」
(作曲はフィル・スペクター)も聴き所である。



実はこのアルバムは苦肉の策で生まれた穴埋め的作品だった。

ブライアンは「ペットサウンズ(Pet Sounds)」の構想を練るため時間が必要だ
ったため、キャピトル・レコードからのリリース要求に応えるためこのスタジオ
ライブを思いついたのだ。

とにかく僕はこれがきっかけでビーチボーイズのファンになり、全アルバムを
大人買いして夏じゃなくても聴くようになった。
ブライアン・ウィルソンの来日は3回とも見に行っている。


音楽って恋に似ている、と僕は思う。

今までさほど気にならなかった相手がふとしたきっかけで気になる存在になって
、どんどん深みにはまって夢中になってしまう。。。。
だから音楽っておもしろい。自分でも予想がつかないからね。

2015年5月25日月曜日

女王陛下の007。


前回007の話が少し出たので今日はそのことについて書きたい。

007と言えば絶対ショーン・コネリーだ。僕らの世代なら誰もがそう答える。
毒蜘蛛が体を這う時のギョッとした顔、爆弾の止め方が分らず焦る顔、美女
をたらし込む時の目つき、気障な台詞も身のこなしもカッコイイ。

しかし原作者のイアン・フレミングは当初コネリー起用に反対だったらしい。
コネリーはスコットランド訛りの野性味溢れる男で、監督のテレンス・ヤング
がスーツの着こなしや上流階級の話し方を指導したと言われる。
コネリー自身は付けまつげやカツラでハンサムになるのを嫌がってたそうだ。


さて、ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーなのだが、僕が初めて見た
007はあろうことか「女王陛下の007 」(1969)なのである。
僕が見たのは中学三年の終わりで、高校受験も終わって開放感からみんなで
映画でも見ようかと名画座で2年遅れで上映していたこの作品を見た。

見終わって、何で女王陛下が出て来ないのに「女王陛下の」なんだろう?
と不思議に思ったものである(笑)





初007が「女王陛下の007 」というのは思いっきりハズしてしまった。
なぜかと言うとボンド役がショーン・コネリーではなかったのだ。
コネリーの降板の後、ボンド役に起用されたのはオーストラリア人でモデル
出身のジョージ・レーゼンビーだった。
コネリーに比べると線が細くいまいちインパクトがない。

さらに「女王陛下の007 」という作品自体がシリーズでは異色だった。
ボンドは追い詰められ衰弱していた。
そしてボンドは助けてくれた女性に本気で恋をして結婚してしまうのだ。
結婚した相手は最後に殺される。
任務を終えて美女とよろしくやる、というそれまでのお約束ではなかった。


オープニングタイトルも女性のシルエットというパターンは踏襲しているが、
過去の作品のシークエンスが出て来たり、あまり美しい出来ではない。
テーマ曲も印象に残らない。

ボンドを探す銃口〜逆にボンドに撃たれて画面に血が流れるというお馴染みの
ガン・バレル(銃口)のオープニングでも音楽が間延びして緊張感がない。
アストンマーチンもほとんで出て来ない。

しかし僕にとっては(初007ということもあるのか)忘れ難い映画である。
何年に一回か無性に見たくなる。

アルプスの山頂の閉鎖的研究所、そこから脱出してスキーで逃走するシーン
とかボブスレーのシーンとか見所もあってなかなか楽しめる映画である。


↓挿入歌はルイアームストロングの「We Have All The Time in The World」



「女王陛下の007 」のボンド・ガール、ダイアナ・リグも僕の好みである。
シリーズ中、最も色気のないボンド・ガールかもしれないけど(笑)

余談であるが、ボンド・ガールでは「ドクター・ノオ」 (1965)のウルスラ・
アンドレスと「サンダーボール作戦 (1965)」のクローディーヌ・オージェも
好きだ。
人気投票では「ゴールドフィンガー」 (1964)のオナー・ブラックマンや
「ロシアより愛をこめて」 (1963)のダニエラ・ビアンキが上位らしい。
この2作品は映画を見たな〜という満足感が味わえる007の王道ですね。


↓左上)ウルスラ・アンドレス、右上)ダニエラ・ビアンキ、左下)クロー
ディーヌ・オージェ、右下)ダイアナ・リグ



2015年5月21日木曜日

時代と寝た女。


ナンシー・シナトラは父親のフランク・シナトラの七光りで'60年代前半に
アイドル歌手としてデビューしたものの今イチぱっとせず。

日本では「レモンのキス(Like I Do)」とか「イチゴの片想い(Tonight You 
Belong To Me)」とかいい加減な邦題をつけたおかげかそこそこヒット。
(曲自体はななかないいと思う)


その後、彼女は歌手のトミー・サンズと結婚するが'65年には離婚。
それを機に再デビューする。

プロデュースを任されたのはシンガーソングライターのリー・ヘイゼルウッド。
彼は考えた。バツイチの25才のナンシーが今さらアイドルじゃないだろう。
ナンシーを男を翻弄するセクシーな悪女のイメージで売り出すことにした。




これが当った。若者のセックス・シンボル的人気を確立。
当時ベトナムの米兵の兵舎にはナンシーのポスターがよく貼られていたとか。

トム・ハンクスも学生時代、ナンシーのポスターを部屋に貼っていたことを
明かしている。
女の子たちはこぞってナンシーのアイメイクを真似した。

決して美人とは言えない(笑)
グラマーだが本人が「I'm short」と言う通りかなり小柄でバランスも良くない。
でもなかなかエロい。



曲にも恵まれた。
「にくい貴方」という邦題が?な「These Boots Are Made For Walking」で
ミニスカートにブーツは彼女のトレードマークになり時代を象徴するゴーゴー
・ガールのイメージが定着した。




幼馴染の恋人に銃で撃たれることを静かに歌う「バンバン(Bang Bang)」は
後に映画「キル・ビル」の挿入歌にもなった。




「サマーワイン(Summer Wine)」は甘い恋のささやきを西部劇調のアレンジ
にした曲でリー・ヘイゼルウッドとデュエットしている。




父親のフランクとデュエットしたマリアッチ調アレンジの美しい曲、
「恋のひとこと(Something Stupid)」は大好きな曲だ。





そして映画「007は二度死ぬ」(浜美枝と若林映子がボンドガールで出演)の
タイトル曲「You Only Live Twice」もいい。




「ドラマーマン(Drummer Man)」を最後に'70年代に入るとナンシーはヒット
チャートから姿を消す。
ナンシー・シナトラは'60年代後半という時代と寝た女だったのかもしれない。

2015年5月16日土曜日

王様と十字軍。


また巨星の訃報だ。
ブルースの王様、B.B.キングが89才で亡くなったそうだ。

B.B.キングの名前を知ったのはエリック・クラプトンが敬愛してるからだった。
もともと軟弱な僕は黒人の脂っこいブルースはあまり好みではなくてクラプトン
のようなスタイリッシュな英国人のブルースの方が聴きやすい。




だからB.B.キングはあまり聴き込んだことがなかった。
唯一自分で買ったB.B.キングのアルバムは1979年の「Take It Home」である。

クルセイダーズのメンバー(ウェイン・ヘンダーソンを除く)が参加していて
いるせいかB.B.の他の作品よりフュージョン色が強い。

クルセイダーズのアルバムでもデヴィッド・T・ウォーカーやラリー・カールトン
がブルージーなギターを弾いてることも多いので聴いてて違和感がなかった。

このアルバムを買ったもう一つの理由はジャケットに惹かれたからである。
楽器屋のショーウィンドウに飾ってある黒いギブソンのES-335(ルシールと
呼ばれたB.B.の愛器)をガラスにへばりつくように見つめる少年。
その後にB.B.の影が映っている。

裏ジャケットはそのギターを背中にかついで夕暮れの街を家路につく少年の写真
だった。
ギターに憧れた少年時代を経験してる人なら共感できそうなストーリーだ。


        ↑写真をクリックするとYouTubeで曲が聴けます。


B.B.キングはコードを弾くバッキングは得意でないと自分で言っていた。
歌いながら随所にオブリガードを入れ間奏でソロを弾くのが常だ。

そのフレーズも決して豊富ではなくどちらかと言うとワンパターンである。
それでも聴いてすぐ「ああ、B.B.だ」と分る独特な癖がある。
その癖こそがB.B.キングならではの魅力だった。

2015年5月12日火曜日

シュガー・タウンは恋の町♪


この間書いたばかりだけどまたナンシー・シナトラが気になる。
最近よく流れるトヨタのプリウスのCMで彼女の曲が使われているからだ。




シュシュッシュ〜シュシュッシュ〜♪というキャッチーなリフレインが
覚えやすく口ずさみやすい。すてきなポップソングだ。
8年前にはキャメロン・ディアスが出演していたソフトバンクのCMにも
使われていた。

「シュガー・タウンは恋の町(原題:Sugar Town)」という曲だ。
以下は前半の歌詞と拙訳。


I got some troubles but they won't last   
I'm gonna lay right down here in the grass
And pretty soon all my troubles will pass

'Cause I'm in shoo-shoo-shoo, shoo-shoo-shoo
Shoo-shoo, shoo-shoo, shoo-shoo sugar town

I never had a dog that liked me some   
Never had a friend or wanted one
So, I just lay back and laugh at the sun

'Cause I'm in shoo-shoo-shoo, shoo-shoo-shoo
Shoo-shoo, shoo-shoo, shoo-shoo sugar town


イヤなことっていろいろあるけど続かないのよね。 
ここで草の中に寝転ぶとするでしょ。 
あっという間にイヤなこと、ぜーんぶ消えちゃうの。 

だってシュシュッシュ、シュシュッシュ。 
私がいるのはシュガータウンだから。 

飼ってた犬は私を好きじゃない。 友達はいないし欲しくもなかった。 
だから寝そべってお日様に笑いかけるの。 

だってシュシュシュ、シュシュシュ。 
私がいるのはシュガータウンだから。 

written by Lee Hazlewood (対訳:イエロードッグ) 






シュガータウンにいるからハッピー♪という能天気な歌のように思えるが、
実はドラッグ・ソングである。

草(grass)はマリファナ、シュガーはヘロインやコカインの隠語。
草の中に身をまかせれば悩みも吹っ飛ぶ。そのものズバリじゃないの(笑)

こういう隠れた意味があることをプレゼンで知らされていたら、スポンサー
のトヨタもCMで使うことに難色を示したかも(続く)

2015年5月3日日曜日

加瀬邦彦さんを悼む 。


2週間経ってしまったが、加瀬邦彦さんが亡くなった。

加瀬邦彦と言えばワイルドワンズであり「想い出の渚」だろう。
でも僕はそれ以降の作曲家、プロデューサーとしての加瀬邦彦が好きだった。

タイガースに提供した「シー・シー・シー」や沢田研二の「危険なふたり」
「胸いっぱいの悲しみ」「ウィンクでさよなら」など。
「きわどい季節」を聴くと、ああ、加瀬さんだなあと思う。




沢田研二の衣装デザイナーにグラフィック畑の早川タケジを起用したのも
化粧を提案したのもパルコのCM出演を仕掛けたのも加瀬邦彦である。


数年前にNHK教育の趣味悠々で「エレキギターを弾こう」というおもしろい
企画をやってて、加瀬さんがベンチャーズの「十番街の殺人」を弾いていた。
さすが!の腕である。この人のルーツはこれなんだと改めて思った。

加瀬邦彦は事務所(ホリプロ)の方針でスパイダーズに入る。
しかし3カ月で脱退し寺内タケシの誘いを受けブルージーンズに加入。
「エレキの若大将」で加山雄三のバックで演奏している姿も見られる。



ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることになった。
厳戒態勢下のため前座のバンドは演奏後、楽屋に外から施錠されてしまう。

この頃ベンチャーズよりもビートルズへの思いが強くなっていた加瀬邦彦は
「ビートルズの演奏が見られない」とブルージーンズを脱退した。
加瀬さんは名誉あるビートルズの前座として出演することより、客席で生で
ビートルズを見ることを選んだのだ。


その後ワイルドワンズを結成。
バンド名のThe Wild Ones(野生児)は慶応の先輩、加山雄三である。
ワイルドワンズのサウンドの要でもある加瀬邦彦の12弦エレクトリックギター
(ヤマハ特注)はジョージ・ハリソンの影響だろう。

ワイルドワンズは再結成して現役で活動していた、
2009年には沢田研二を迎え入れたジュリー with ザ・ワイルドワンズで新曲
を発表し、コンサートを行った。

この人は気味よいくらい元気な爺さんでまだまだ現役だと思っていた。
加瀬さん、音楽をありがとう。
天国でもギターを弾いてください。