2016年12月30日金曜日

早すぎたジョージ・マイケルの死。

今年はロックの巨人たちが相次いでこの世を去った。

デヴィッド・ボウイ(1/10)、グレン・フライ(1/18)、モーリス・ホワイト(2/3)、
ジョージ・マーティン(3/8)、キース・エマーソン(3/10)、プリンス(4/21)、レオン
ラッセル(11/13)、グレッグ・レイク(12/7)。

そして年も押し迫った25日、ジョージ・マイケルの訃報を知った。




彼を初めて知ったのは1983年の年末だった。
アンドリュー・リッジリーとワム!という二人組で活動していた頃である。

スキーツアーの宿泊先のテレビでたまたま「レッツゴーヤング」というトホホな
タイトルの番組(1)をやっていて、ワム!がゲスト出演していたのだ。

司会の太川陽介の紹介されワム!は踊りながら口パクで「Bad Boys」を歌った。
ノリのいいリズム、すぐ一緒に口ずさみたくなるようなメロディ、ポップなのに
大胆な曲調、ヴォーカルのキレに「これはただのアイドル・グループじゃない!
と確信したものだ。



ワム!はプロモーションのため初来日していたらしい。
この後「Club Tropicana」「Wake Me Up Before You Go-Go」「Careless 
Whisper」(2)、「Last Christmas」「Freedom 」と立て続けにヒットを飛ばす。

1984年には日立マクセルのカセットテープのテレビCMに出演している。
「Bad Boys」と「Freedom 」が使われた。(両方とも歌詞はCM用オリジナル)
翌1985年には来日し日本武道館などでマクセル提供のコンサートを行った。



↑「Bad Boys」が使われたマクセルのカセットテープのCMが見れます。



↑「Freedom 」が使われたマクセルのカセットテープのCMが見れます。





1986年にワム!を解散後、ジョージ・マイケルはソロで活動し始める。

その彼が久しぶりで姿を現したのが1986年6月20日のプリンス・トラスト
チャールズ皇太子主催のチャリティ・コンサートで、ロックが好きだった故ダイア
ナ妃の希望で豪華な面々が集結した。

エルトン・ジョン、フィル・コリンズ、ティナ・ターナー、エリック・クラプトン、
マーク・ノップラー、スティング、ロッド・スチュワート、デヴィッド・ボウイ、
ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、スザンヌ・ヴェガ、ポール・ヤング、
レヴェル42、ティナ・ターナー、そしてジョージ・マイケル。


1979年にウィングスの日本公演が幻となったポール・マッカートニーがそれ以来
初めてライヴに出演し大トリで「I Saw Her Standing There」「Long Tall Sally」
「Get Back」の3曲を歌ったこと(これがきっかけでポールはライヴ活動を再開)
は大きな話題となった。





大物アーティストたちによるデュエットもこのコンサートの目玉となった。
ミック・ジャガー&デヴィッド・ボウイの「Dancing in the Street」、エリック
・クラプトン&ティナ・ターナーの「Tearing Us Apart」マーク・ノップラー
&スティングの「Money For Nohing」と見所が満載。(3)


中でも一番印象に残っているのが、ジョージ・マイケルがポール・ヤングと一緒に
「Every Time You Go Away」を歌ったシーンだ。

前年ポール・ヤングが歌い全米1位を獲得した大ヒット曲である。(4)
(LAではカーラジオからこの曲がヘビーローテーションでかかっていたものだ)


オーディエンスも思いがけない二人のデュエットにひときわ盛り上がった。
無精髭をたくわえたジョージ・マイケルは魅力的でカッコいい。
先輩格のポール・ヤングとの息のあったデュエットを聴かせてくれ、しかも二人と
も楽しそうなので見てる側も嬉しくなった。



↑ジョージ・マイケル&ポール・ヤングの「Every Time You Go Away」が見れます。



1987年ソロ転向後の1st.アルバム 「Faith」 が大ヒット。
翌1988年はワールドツアーを実施。日本でも武道館などでコンサートを行った。

1990年には2nd.アルバム「Listen Without Prejudice Vol. 1」を発表。
本来2枚組になる予定だったが制作が間に合わず、続編として出す予定だったVol. 2
はソニー・ミュージックとの裁判が泥沼化してお蔵入りになってしまう。(5)

翌1991年、東京ドームを皮切りに2度目のワールドツアーを開始するがイマイチ。
ジョージ・マイケルこの後ツアーをやめると宣言。(6)



ジョージ・マイケルが神がかり的な歌唱力と存在感を見せてくれたのは、1992年
4月に開催されたフレディ・マーキュリー追悼コンサートであった。
残されたクイーンのメンバー3人ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・
ディーコンが中心となりエイズ撲滅のために行われたチャリティー・コンサートだ。

1985年のライヴ・エイドでクイーンが伝説的なパフォーマンスを行ったロンドンの
ウェンブリー・スタジアムが会場に選ばれた。
72000席のチケットは発売開始から2時間で完売したという。

エルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ、ポール・ヤング、ロジャー・ダルトリー、
ロバート・プラント、アニー・レノックスらがクイーンと共演。



ジョージ・マイケルもクイーンの3人の演奏で「Somebody To Love」「These 
Are The Days Of Our Lives」「’39」の3曲を披露。(7)

ロンドンの聖職者たちによるゴスペル・コーラス隊をバックにジョージ・マイケル
熱唱した「Somebody To Love」は後に語り草になった名パフォーマンス。
この評判からジョージ・マイケルがボーカルとして加わり、新生クイーンが誕生す
るのではないかという噂さえ流れたほどである。(8)



↑ジョージ・マイケルの訃報で公開された「Somebody To Love」リハーサル映像。
本番よりいいくらいの出来!出演者の一人、故デヴィッド・ボウイも映っている。



最後に僕のお気に入りの「Heal the Pain」(1991)を紹介しよう。(9)
流れるような美しいメロディーと心地よいリズム、シンプルな楽器編成の静かな
ラヴ・ソングで、彼の作品の中でもとびきり素敵な曲だ。

エルヴィスやフレディ、フランク・シナトラ、スコット・ウォーカーと同じよう
に、ジョージ・マイケルは神様から特別な声を授かった人なんだと思う。
ありがとう。ジョージ・マイケル。安らかに。


How can I help you  Please let me try to 
辛いことがあるの? 僕にできることはないかな
I can heal the pain  That you're feeling inside  Whenever you want me 
その心の傷 僕なら癒してあげられると思うんだ どんな時でもね
You know that I will be Waiting for the day  That you say you'll be mine 
僕のことを好きと君が言ってくれる日をずっと待ってるよ 

             (作:ジョージ・マイケル、拙訳:イエロードッグ)


↑クリックするとジョージ・マイケルの「Heal the Pain」が聴けます。

 
<脚注>

2016年12月24日土曜日

2000年以降のメリー・ホプキンの作品。

◎機会があったらぜひ聴くべし △悪くはない  △コアなファン向け
(すべて独断と偏見によるお薦め度です)


メリー・ホプキンはMorgan Hopkin Music(後にMary Hopkin Music)を設立。
2005年から未発表音源や新作をリリースするようになった。
当初は自社のサイトでのダイレクト販売だったが現在はAmazonでも入手できる。


第一弾は1972年英国のロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサート音源
突然のリリースに、こんな音源があったのか!と驚き喜んだものだ。

シンガー&ソングライターのラルフ・マクテル(1)、ブライアン・ウィロビー(gt)、
ダニー・トンプソン(b)といった英国トラッド・フォークの実力派、そして夫トニ
ー・ヴィスコンティ(2)がバックを固めている。

アコースティック・ギター中心の小編成フォーク・バンドだ。
曲によってポップ・アーツ・ストリング・クェアルテットが控えめに加わる。
メリーは喉の調子が万全ではないようで咳払いをしているが、あいかわらず美声。





Live at the Royal Festival Hall 1972  (2005年リリース) 

1. Once I Had a Sweetheart (Trad. Arr.)
2. Introductions
3. Ocean Song (Liz Thorsen)
4. Streets of London (Ralph McTell)
5. Sparrow (Benny Gallagher/Graham Lyle)
6. Aderyn Pur (Trad. Arr.)
7. If I Fell (John Lennon/Paul McCartney)
8. Silver Dagger (Trad. Arr.)
9. Donna Donna (Sholom Secunda/Aaron Zeithlin)
10. Those Were the Days (Gene Raskin)
11. Earth Song (Liz Thorsen)
12. Morning Has Broken (Trad./Eleanor Farjeon)
13. Both Sides Now (Joni Mitchell)
14. International (Benny Gallagher/Graham Lyle)



「Ocean Song」「Earth Song」「International」「Streets of London」
の4曲は1971年の2nd.アルバム「Earth Song / Ocean Song」から。

「International」はメリーへの作品提供が多いギャラガー&ライル(3)の作品。
「Streets of London」はラルフ・マクテルの代表作で、街角に佇む年老いたホーム
レスを描いた味わい深い歌。


「Sparrow」もギャラガー&ライルで「Goodbye」のB面だった。
レノン&マッカートニーの「If I Fell」はトニー・ヴィスコンティとのデュエット。

「Morning Has Broken」はキャット・スティーヴンスもカヴァーしたトラッド。
ジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」はメリーが一番好きな曲だという。
1970年の大阪万博コンサートでも歌われた。


「Donna Donna」も同じく万博で歌われたフォークの定番曲。
「Aderyn Pur」はトラッドで、メリーはウェールズ語で歌っている。
「Those Were the Days」は弦楽四重奏だけの静かなアレンジ。

全編メリー・ホプキンの本領発揮の選曲で構成された好ライヴ盤だ。



↑クリックするとメリーが歌う「Streets of Londonr」が聴けます。



(同2005年ドリー・パートンのアルバム「Those Were the Days」に参加。
タイトル曲を一緒に歌っているがほとんど存在感がない。×




Valentine (2007年リリース) 

1972年〜1980年のレコーディングでお蔵入りになっていた音源を編集したもの。
メリー自身による3曲を含む10曲が収められている。

ほとんどの曲が「Earth Song/Ocean Song」と同じミュージシャンたち(ラルフ・
マクテル、ダニー・トンプソンなど)によって演奏されている。
カヴァー・アートワークはメリーが数年前に描いたヴァレンタイン・カードらしい。





Recollections (2007年リリース) 

アーカイヴ・コレクション第2弾。
1970〜1986年にトニー・ヴィスコンティのプロデュースで録音された11曲。
長い間、倉庫で眠っていた音源をリミックス、デジタル・リマスターしたそうだ。

ウェールズ出身のバンド、エイメン・コーナーにいたブルー・ウィーヴァー(p)、
英国のフォークロック・バンド、フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタ
ックス(p、b、ds)、元ジェスロ・タルのジェリー・コンウェイ (ds)、キャット
・スティーヴンスやリチャード・トンプソンのバックを務めたブルース・リンチ(b)
が参加している。

これもカヴァー・アートワークのイラストはメリーが描いている。




Christmas Songs EP (2008年リリース) 

1972年に発売されたシングル「Mary Had A Baby / Cherry Tree」と2006年に
ダウンロードのみでリリースした彼女の新作「Snowed Under」を加えたEP盤。

「Mary Had A Baby」「Cherry Tree」の2曲はオリジナルの音源に新たに人工的
なコーラス(シンセだろう)が加えられ、やや残念な出来になってしまった。
それさえなければ文句無しになんだけど。

カヴァー・アートワークのイラストはメリー本人の作。






Now and Then (2009年リリース) 

アーカイヴ・コレクション第3弾。
1970〜1988年にトニー・ヴィスコンティのプロデュースで録音された13曲。
14曲目の「Happy Birthday」は新作とはいえ、ご愛嬌程度のアカペラ。

1976年リリースの3曲「If You Love Me」「Wrap Me In Your Arms」
「Tell Me Now」がめでたく収録された。


バート・ヤンシュ作の「Crazy for my Sweetheart」も味わい深い。
「One Less Set Of Footsteps」はジム・クロウチの作品だが、これに関しては
オリジナルの方がはるかにいい。

カヴァー・アートワークはメリー本人のイラスト。絵心もある人らしい。






↑こんな写真も発見!1980年代後半かな?仲直りしてたんだね。よかった〜(^^)
クリックするとメリーの「Tell Me Now」が聴けます。




You Look Familiar (2010年リリース) 

メリーの息子、モーガン・ヴィスコンティとの共作。
全曲メリーの作品で、モーガンがアレンジと演奏(プログラミング)を担当。
モーガン、娘のジェシカがコーラスで参加。家内制手工業の作品という感じ。

打ち込みのビシバシ感とエレクトリック音が安っぽく耳障りである。
往年のメリーのファンは少なからずがっかりすると思う。××






Spirit (2011年リリース) 

1989年にリリースされた賛美歌・鎮魂歌集アルバム。
廃盤になり長らく入手困難で、アナログ落としの海賊盤CDしかなかった。


アップル時代からメリーに曲を提供してきたギャラガー&ライルのベニー・ギャ
ラガーのプロデュース。
ダイアー・ストレイツのキーボード奏者、アラン・クラークがアレンジを担当し、
シューベルトの「Ave Maria」では演奏もしている。

オリジナルの音源に手は加えられていないが、アートワークは近年のメリーの顔
を描いたデッサンに変更された。





Painting by Numberst (2013年リリース) 

すべて自作の新曲。メリー本人によるギターで自宅において録音された。
静かなアコースティック・サウンドに帰り聴きやすい。が、曲は退屈。

「Love Belongs Right Here」はブライアン・ウィロビー(元ストローブスのギタ
リスト)との共作。
ウィロビーのアルバム「Black&White」(1999)で歌ったが再録された。
ウィロビーがギターで参加。このアルバム一番(唯一?)の聴きどころだと思う。

「Love, Long Distance」はベニー・ギャラガーとの共作で彼がギターで参加。
記載はないが、カヴァー・アートワークのイラストはメリーだと思う。





2013年にメリーが再録した「Love Belongs Right Here」が聴けます。



◆Y Caneuon Cynnar - The Early Songs (1996年リリース)

最後にメジャー・デビュー前にメリーが地元ウェールズのカンブリアン・レコード
からEP盤でリリースした音源を編集したアルバムを紹介したい。

ウェールズ音楽専門のセイン・レコードからCD化されており現在も入手可能だ。
全編ウェールズ語で歌うこのアルバムはメリー・ホプキンの原風景である。






↑メリーがウェールズ語で歌う「Tro, Tro, Tro (Turn,Turn, Turn)」が聴けます。


2016年12月13日火曜日

アップル城を去った歌姫メリー・ホプキンのその後。

◎機会があったらぜひ聴くべし  △悪くはない  △コアなファン向け
(すべて独断と偏見によるお薦め度です)


<アップル在籍時に残したレアな音源 1969-1971>

1969年にメリーはコカコーラのCMソングを歌っている。

コカコーラ社は全米で1964年に「Things Go Better with Coke」というスロ
ガンで広告キャンペーンを始め、1969年までいろいろなメディアで展開された。



モデルとコカコーラの配置、赤をうまくあしらった色使い、タイポグラフィ、写真
のトリミング、ホワイトスペースの取り方、レイアウト、すべてが完璧な広告だ。


1965から1969年にかけてこのCMソングをいろいろなアーティストに歌わせる
いうユニークなラジオCMを放送。
その顔ぶれがよだれが出そうなくらい豪華なのだ!

マーヴィン・ゲイ、シュープリームス、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、
フィフス・ディメンション、シュレルズ、ロイ・オーヴィソン、ナンシー・シナトラ、
ジャン&ディーン、レスリー・ゴーア、エヴァリー・ブラザーズ、B・J・トーマス、
サンディー・ポジー、といった全米チャートを賑わす一流シンガーばかり。

さらにビージーズ、ムーディー・ブルース、ジェフ・ベック・グループ、トレメロー
ズ、ヴァニラ・ファッジ、ペトゥラ・クラーク、ルル、トム・ジョーンズなど英国の
バンドやシンガーも起用している。

各アーティストならではの解釈でカヴァーされた「Things Go Better with Coke」
はどれも絶品で聴いてるとにんまりしてしまう。



↑クリックするとジャン&ディーンが歌うコカコーラのCMソングが聴けます。
途中「The Little Old Lady from Pasadena」のフレーズが出てくるのが楽しい♪




↑クリックするとシュープリームスが歌うコカコーラのCMソングが聴けます。
「Baby Love」から「Things Go Better with Coke」に入るアレンジがうまい!



そんな中でメリー・ホプキンも参加しているが彼女だけなぜか違う曲を歌っている。
「Things Go Better with Coke」が彼女のイメージにそぐわないとアップル社が
判断したのだろうか?

尺は1分のおそらくCM用の曲だと思うが、ラジオCMだったのかテレビCMだったの
、英国のみで放送されたのか不明である。



↑クリックするとメリー・ホプキンが歌うコカコーラのCMソングが聴けます。




1971年公開の映画「Kindnapped(邦題:スコットランドは死なず/戦場をかけ
ぬけた男たち)」(1)のエンドタイトル曲「For All My Days」は隠れた名作。
これは「大地の歌(Earth Song/Ocean song)」の頃だと思う。

とても美しい曲だ。透明感のある小刻みなヴィブラートがたまらない。
サウンドトラック盤はCD化もされたが現在は入手困難である。



クリックするとメリー・ホプキンの「For All My Days」が聴けます。



<アップル以降の活動 1972-1979>

アップルとの契約終了、結婚後は表舞台から姿を消したメリー・ホプキンであるが、
その後も断続的に活動していた。
が、フォークの道まっしぐらというわけでもなく、いろいろ迷走していたみたいだ。


1972年に夫トニー・ヴィスコンティと共にホビー・ホース名義で1枚だけシングル
Summertime, Summertime/ Sweet And Low」をリリース。
1958年にジャミーズとがヒットさせた曲のカヴァー。
ハーモニーがさわやかなソフトロックだ。フォークではない。


↑クリックするとホビー・ホースの「Summertime, Summertime」が聴けます。




1973年シングル盤「Mary Had A Baby/Cherry Tree Carol」を発表。これも単発。
トニー・ヴィスコンティのプロデュースでEMI傘下のRegal Zonophoneレーベルから
発売された。(日本ではアップル時代と同じ東芝音楽工業から発売された)

「Mary Had A Baby」はトラディショナルでメリーが敬愛するジョーン・バエズも
1966年にカヴァーしている。
聖母マリアの受胎を祝う歌だが、実際にメリーにもこの頃子供が生まれたようだ。
メリーの声質によく合うとても素敵な曲だ。


↑クリックするとメリーの「Mary Had A Baby」(1973)が聴けます。




スコティッシュ・フォークのシンガー&ギタリスト、バート・ヤンシュの8枚目の
ルバム「Moonshine」(1973年2月発売)に夫トニー・ヴィスコンティと参加。
The First Time Ever I Saw Your Face」では対位法によるかけ合いでヤンシュ
絶妙なデュエットを聴かせてくれた。


↑クリックするとバート・ヤンシュ&メリーのデュエットが聴けます。




1974〜1976年にメリーはトニー・ヴィスコンティのプロデュースで「Goodbye」
「Those Were The Days」の2曲を再録している(何で?)が発表に至らず。×

1976年にはトニー・ヴィスコンティのレーベル、Good Earth(RCA傘下)から
If You Love Me (Really LoveMe)/ Tell Me Now」のシングル盤をリリース。
結婚式でよく歌われる「愛の賛歌」で全英チャートにランクインした。



同レーベルから翌1977年「Wrap Me In Your Arms/Just A Dreamer」を発売。
妙な癖のある歌い方をするようになってきた。


同1977年、ウェールズが舞台の寓話をもとに作られたアルバム「The King of 
Elfland's Daughter」に姫君リラゼル役で参加。
Lirazel」「Beyond The Fields We Know」の2曲歌う。
アルバムとシングル盤に収録されているらしい。(僕は持っていない)


↑クリックするとメリーが歌う「Beyond The Fields We Know」が聴けます。



1977年にはケンブリッジ・フォーク・フェスティヴァルに参加。
バート・ヤンシュ、ダニー・トンプソン(ダブルベース)、マーチン・ ジェン
キンズ(フィドル)と共に「Ask Your Daddy」「If I Had a Love」を歌う。

このパフォーマンスはBBCが収録しラジオで「FOLKWEAVE-10」として放送。
放送音源用のレコードが存在する。聴いたことがないので?





この年デヴィッド・ボウイのアルバム「Low」にも参加。
「Sound And Vision」では3小節だけだが、メリーのスキャットが聴ける。




<1980年代のメリー・ホプキン 1980-1999>

1981年に元スプリングフィールズのマイク・ハースト、元ELOのマイケル・デ・
アルバカーキーと共にサンダンスを結成しアルバム「Sundance」を発表。×
シングル盤「What's Love/A Song 」「Walk Right In/Jealousy」も発売。×

ELOとABBAを足したみたいな感じ?中途半端さは否めない。
あれ?ポップソングは嫌なんじゃなかったっけ?と突っ込みを入れたくなる。


↑クリックするとサンダンスの「Cottonfields」が視聴できます。



このセッションで「Those Were The Days」も録音しているがトホホな出来。×

サンダンスの音楽性や活動(ツアーなど)への見解の相違、トニー・ヴィスコン
ティとの離婚、体調不良によりメリーはすぐにこのバンドを脱退している。



1982年公開の映画「ブレードランナー」はヴァンゲリスの音楽(2)が高く評価さ
れたが、「Rachel's Song」ではメリーが美しいスキャットを披露している。


↑クリックすると「ブレードランナー」挿入曲「Rachel's Song」が聴けます。


1984年にはオアシスというバンドを結成し、アルバム「Oasis」を発表。×
ピアノのピーター・スケルマンとメリーをヴォーカルに据え、チェロとマリンバを
フューチャーした大人の雰囲気のソフトロック。

アルバムからタイトル曲「Hold Me/Oasis」がシングル盤で発売された。×
同年ツアーも行ったが、またしてもメリーが健康を害したため中止。バンドも消滅。


↑クリックするとオアシスの「If this be the last time」が視聴できます。





1989年、賛美歌・鎮魂歌集のアルバム「Spirit」を発表。
Ave Maia / Intermezzo」がシングル化された。



ベルリンの壁崩壊(1989年)後、ルーマニア孤児救済のチャリティのために英国
で制作されたPRビデオに出演。
「Those Were The Days」をダンスミュージック調にリメイクした「No More 
War」を他のアーティストたちと共に歌った。
翌1990年シングル化されている。(B面はインストゥルメンタル)×

↑クリックするメリーが参加した「No More War」が視聴できます。



この後また鳴りをひそめてしまったメリーだが、1999年に英国のロック・バンド、
ストローブス出身のギタリスト、ブライアン・ウィロビーのフォーク・アルバム
「Black&White」に参加。
ウィロビーとメリーの共作「Love Belongs Right Here」を歌っている。


ひさしぶりでフォーク・シンガーとしてのメリーが聴ける。
残りの曲はすべてキャサリン・クレイグのヴォーカルで、これがとても退屈。×
CDは現在は入手困難。メリーの1曲のためにわざわざ買うほどでもないだろう。

この曲はメリーのお気に入りらしく、2013年に再録している。
この際もベニー・ギャラガーとブライアン・ウィロビーがギターで参加した。

この再録も含め、次回は2000年以降リリースされた作品を紹介します。

<脚注>

2016年12月6日火曜日

なるようにならないケセラセラ(歌姫メリー・ホプキンの謀反)

メリー・ホプキンの2nd.シングルはポール・マッカートニーの書き下ろしの新曲
Goodbye(邦題:グッドバイ)」だった。

ポールは1969年2月ロンドンのキャベンディッシュ通りの自宅でデモテープを制作。
(この音源はブートで出回っている。
ビートルズの「Anthology」収録候補にもなったが見送られた)



↑クリックするとポールによる「グッドバイ」のデモが聴けます。


レコーディングは3月1日にロンドン市内のモーガン・スタジオで行われた。
ポールがプロデューサーを務め、イントロのアコースティック・ギター、ベース、
ドラムを自ら演奏
曲中パタパタ聴こえるのはポールが膝を叩いている音だ。

メリーもアコースティック・ギターを弾いた。
ポールのデモはキーがCだが、レコーディングではEで演奏されている。


「Goodbye」はアップルの意向で3月28日に世界同時発売。
B面はギャラガー&ライル(1)の作品「Sparrow」。

日本ではアルバム「Post Card」発売が遅れたため「グッドバイ」が先行した。
全英チャートで2位を記録。(1位はビートルズの「ゲット・バック」であった)



↑プロモーション用に撮影された「グッドバイ」レコーディング風景。
ノリノリのポールにメリーはややウザがってるような表情(笑)




メリーのシングル第3作用にポールが選んだのは「ケ・セラ・セラ」だった。
原題:Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)(2)
1956年のヒッチコック監督映画「知りすぎていた男」の中で主演女優で歌手でも
あるドリス・デイ(3)が歌いヒットした曲で、アカデミー歌曲賞を受賞している。



↑ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」が聴けます。



ある晴れた日の午後、ポールの自宅の庭でメリーとポール座って話をしていた。
「この曲は好き?」と尋ねるポールにメリーは「3歳の頃、歌ってたわ」と答えた。
「父が好きだったんだ。じゃあ、すぐにやろうよ」とポール。

1969年8月17日の午後、EMIアビーロード・スタジオでレコーディングされた。
ちょうどビートルズがアルバム「アビーロード」を制作している真っ最中だった。


メリーとポールがアコースティック・ギターを担当。
イントロの緩んだアルペジオ、歌とハモる効果的なリフはポール。

1音下げのエピフォンFT-19Nテキサン(4)を弾いていると思われる。
3フレットにカポを付けてA(キーはB♭)だ。
(注:通常のチューニングなら1カポでAを弾けばいい)


ポールはベースとエレクトリック・ギターも弾いている。
エレクトリック・ギターは録音後にレスリーの回転スピーカーを通して後がけで
エフェクト(5)をかけたそうだ。

ドラムを叩いているのはなんと!リンゴ・スター
リンゴは若干のオーヴァー・ダビングも行った。


ポールはこの曲を原曲のカントリー・ワルツから8ビートの軽快なフォークロック
・ナンバーへと大胆にリメイクしている。


さらに2回目のコーラス部「Que será será, what will be, will be」の後に原曲
にはないブリッジ(サビ)を新たに加筆した。

「There's a song that I sing, Autumn, winter, Summer, Spring 
Lalalala lalalala lala lalalala」の部分がそうだ。

B♭からD♭に転調しFで終わらせまたB♭に戻るみごとな流れである。
(カポを付けた状態だとAからCに転調しEで終わりまたAに戻る)



原曲とは違うイントロを作り、エンディングにも「Sing a song, sing along. Sing 
a song with me」という一節を加えた。

これがまるで最初からあるように実にぴったりと収まっているのだ。
中学生だった僕はドリス・デイの原曲より先にメリー版の「ケ・セラ・セラ」を
聴いたので、そういう曲なんだと思っていた。
ポールの天才たる所以だろう。



↑メリー・ホプキンの「ケ・セラ・セラ )」が聴けます。



ところがメリーが「ポップソングすぎ」と難色を示したため英国での発売は中止。
ジョーン・バエズのようなフォーク・シンガーを目指していた彼女は、ポールが求
めるポップス路線にずっと違和感を抱いていたのだろう。

おそらく「Post Card」の出来にも納得してなかったはずだ。
ドノヴァン提供の3曲以外はそれほど気に入っていなかったのではないか。


1992年のインタビュー(6)でメリーは「ケ・セラ・セラ」の件について「ポールの
熱意に押されてさらっとやったの。その時、私はハモりのボーカルが完全じゃなか
ったのよ。これは酷い!リリースして欲しくないと思ったわ」と説明している。

「完全じゃない(halfway)」は「中途半端」という意味にも取れる。
フォーク歌手としての自分のアイデンティティとポップス歌手としての成功の間で
揺れていたことを「どっち付かずだった」と言ってるのかもしれない。

とにかく天下のポール様に「No!」と言うのはかなり勇気が要ることだったと思う。
メリー・ホプキンって、けっこう勝気さんだったのかな (^_^;) 



「ケ・セラ・セラ」はフランスのみでの発売(1969年9月12日)となった。
B面は再びギャラガー&ライルの作品で「サン・エチェンヌの草原(Fields of St. 
Etienne」。

フランスの田舎町で出征する恋人と別れる女性の悲しみを歌った静かな反戦歌だ。
「この曲はもう大のお気に入りなの」とメリーは歌っている。


この曲もポールのプロデュースでメリー、ポール、リンゴの3人で録音され「悲しき
天使」と同じアレンジャーのスコアで木管楽器、弦楽器、コーラスが加えられた。
いささか大げさなこのヴァージョンもメリーは気に入らない。(確かに良くない)

ポールがプロデュースしギャラガー&ライルのギターをフューチャーしたよりフォ
ーク色の強い美しい別ヴァージョンがメリーの希望で選ばれた。(7)



↑メリーが歌う「サン・エチェンヌの草原」が聴けます。



「ケ・セラ・セラ」はアメリカでは翌1970年6月15日、日本では8月2日に発売。(8)
日本での発売はその年の7月メリーが来日し大阪万博ホールでコンサート(9)を行っ
たのを機に、「来日記念盤として出したい」と東芝音楽工業が強く要請したため。






「ケ・セラ・セラ」日本盤のジャケットには大阪万博ホールの写真が使用された。
彼女が抱えているマーティンD-18はジョージ・ハリソンからのプレゼントとライ
ナーノーツに書いてあったと記憶しているが間違い。
(メリーがジョージにもらったのはクラシカル・ギター)






「ケ・セラ・セラ」の英国リリースを蹴ったことでメリーとポールの関係は悪化
ポールは飼い犬に手を噛まれた的な心境だったことだろう。
以降、メリーのプロデュースから撤退した。

メリー・ホプキンについてポールはあまり語らなかったが、近年のインタビューで
「『悲しき天使』は最初戸惑っていたみたいだ。でもすぐに歌いこなせるようにな
ったよ。ジョーン・バエズみたいな歌い方が気になったけどね」と彼女のフォーク
歌手の部分をあまり歓迎していなかったような発言をしている。

さらに「ケ・セラ・セラ」以降手を引いたことについて「フォークソングがやりた
いなら勝手にやればいい。僕は興味ないから」と言っている。

ポールはアップル・レコードのごたごたやビートルズの不和とそれどころではなく
なっていた、という事情もある。


ポールの後任でミッキー・モスト(10)がプロデューサーとなり「ケ・セラ・セラ」
代わりに「夢見る港(Temma Harbour)」を1970年1月30日リリース。(11)


その後「しあわせの扉(Knock, Knock Who's There?)」「未来の子供たちの
ために(Think About Your Children)」「私を哀しみと呼んで(Let My Name 
Be Sorrow ※日本語盤とフランス語盤も)と計4枚のシングルを発表。
(日本では「ケ・セラ・セラ」は「しあわせの扉」の3ヶ月後に発売された)

ポールのようなロック色はないものの、ミッキー・モストもカンツォーネなどポッ
プス路線でメリーの希望するフォークソングではなかった。
しかもポールは曲を仕上げる過程を経験させたいとメリーに選曲からレコーディン
グまで関与させていたが、モストは完成したオケでメリーを歌わせるだけだった。

そしてポールの後ろ盾が無くなったメリーは失速して行く。





1971年10月にはトニー・ヴィスコンティ(12)をプロデューサーに迎え、メジャー
デビュー以前の原点であったブリティッシュ・フォークの香りが漂うアルバム「大
地の歌(Earth Song/Ocean song)」を発表。
鳴かず飛ばずだったがメリーは「初めて満足できる作品ができた」と言っている。

このアルバムを最後にメリーは契約を解かれアップル城を去る。
そして自分の音楽性を理解してくれたトニー・ヴィスコンティと結婚し引退した。


次回は復帰後のメリー・ホプキンの隠れた名曲を紹介します。

<脚注>