2017年1月29日日曜日

ジミー・ペイジは下手だったのか?<前編>

僕が高校の頃、ロック・ギタリストの最高峰といえばジミー・ペイジだった。
レッド・ツェッペリンが4枚目のアルバム(1)を出した頃で、ディープ・パープル黄金
期のリッチー・ブラックモアと人気を二分していたと思う。(2)

巷のアマチュア・バンドのギタリストたちは猫も杓子もジミー・ペイジの真似をして、
レス・ポールを腰下の低い位置にかまえて弾いていた。
当時グレコのエレキギターを購入すると成毛滋の教則カセットテープがもらえた(3)
そうだが、その成毛滋の弾き方、服装もまんまジミー・ペイジだった。



時代は変わり1970年代後半にはウエストコースト・ロック、AOR、パンク、ニュー
ウェーブと新しいムーヴメントが生まれ、ツェッペリンはダイナソー(恐竜=時代遅
れ)・ロック、オールド・ウェイヴというレッテルを貼られるようになる。

スティーヴ・ルカサーやエディ・ヴァン・ヘイレンなど超絶テクのギタリストたちが
台頭する中、ジミー・ペイジは下手だったのではないか?と囁かれるようになった。

確かに「Heartbreaker」の間奏など、早弾きになると隣の弦に触れてかなり雑
(左手の運指と右手のピッキングがシンクロせず一音一音の粒が揃っていない)印
はある。


ジミー・ペイジは下手だったのか?
かつてセッション・ギタリストとしてその名を轟かせていたというが、本当に下手だ
たっらスタジオの仕事なんて務まらなかったのではないか?








<セッション・ギタリストで磨かれたバッキングとソロの妙>

ジミー・ペイジは1963年頃からアートスクールに通うかたわら、セッション・ギタリ
ストとして活躍していた。
その演奏力は評判になり、ジェフ・ベックやエリック・クラプトンとの交遊も始まる。


1963年~1965年にペイジが参加したレコーディングは、ザ・フー、ローリング・ス
トーンズ、キンクス、ドノヴァン、ジョー・コッカーなど多数。売れっ子だったのだ。

当時はセッションマンがクレジットされない、公表されないのが通例。
プロデューサーが保険の意味でセッションマンを雇うケースもあり、その演奏が最終
的に使われないこともあった。
ペイジ自身も自分の演奏がどこで使用されたか知らされないことも多かったらしい。


スタジオでセッション・ギタリストに求められたのは、歌をひき立てるバッキング、
簡潔でインパクトのあるイントロ、オブリ、間奏である。
ペイジは数々のセッションをこなすことで鍛えられ、どんな楽曲のどんな要求にも対
応できるギタリストになったのだ。

ドノヴァンの「Sunshine Superman」やジョー・コッカーの「With A Little Help 
From My Friends」でペイジが弾いたリフ(4)は特徴的で曲を強く印象づけている。




↑ジョー・コッカーの「With A Little Help From My Friends」が聴けます。




<ヤードバーズ加入からレッド・ツェッペリン誕生まで>

ペイジはクラプトン脱退後のヤードバーズへの参加を要請されるが辞退。
代わりに旧知のジェフ・ベックを推薦する。

が、そのベックに誘われ、ペイジはヤードバーズにベーシストとして加入。
直接的な動機は「スタジオから抜け出てライブ演奏がやりたかった」という。
目立ちたがりで我が強いベックとしては「ジミーなら出しゃばらず、卓越したバッキ
ングで俺の演奏をサポートしてくれそう」という読みがあったのかもしれない。


ベックが扁桃腺炎で療養中にギターに転向し、ベックの復帰後はツイン・ギターのス
タイルがヤードバーズの売りとなる。



↑映画「欲望」(5)にカメオ出演したヤードバーズの「Stroll On」が視聴できます。
ギターを壊すベックと対照的にクールにビートを刻むペイジに注目!




が、ベックは脱退。音楽性を巡る不仲からヤードバーズは1968年に解体。
ペイジはバンド活動存続を望み新メンバー集めを試みる。

ロバート・プラント、同じセッションマンとして親交のあったジョン・ポール・ジョー
ンズ、ジョン・ボーナムと最強のメンバーが揃いレッド・ツェッペリンが誕生した。




<計算され尽くしたセンスのいい演奏>

ジミー・ペイジは思うままに延々とアドリヴ(インプロヴィゼイション)を続ける
ようなギタリストではない。

予め作り込んだ(独創的かつ曲の根幹を成すような)フレーズを弾く。
あくまでも楽曲重視、ヴォーカル重視、バンド・アンサンブル重視のバッキングとソ
ロに徹する、いわばアレンジ型のギタリストなのである。


たとえば1枚目のアルバムの「Good Times Bad Times」の間奏を聴いて欲しい。

左右のトラックからソロが聴こえるが、テープ・ディレイによるダブル・トラッキン
グではなく同じフレーズを2回弾いているのだそうだ。アドリヴではできない技だ。
ペイジが練りに練ったソロでテイクを重ねていることがよく分かる。




↑クリックすると「 Good Times Bad Times」が聴けます。



そういう意味ではジミー・ペイジは(ちょっと乱暴な括り方だが)ジョージ・ハリソン
と同じタイプのギタリストと言えるかもしれない。

二人とも天性のセンスの良さ、タイム感、リズム感、アレンジ型という点で共通する。
ジョージの場合は二人の天才、ジョンとポールの楽曲力と演奏力のおかげで鍛えられ、
ペイジはスタジオ・セッションを繰り返すことで、曲を魅力的にするバッキングやフレ
ージングを生み出す技を身につけたのだと思う。



なので、ペイジのギターの評価は細かい演奏テクニック云々、正確にピックが当たって
いるかどうか、ミスノートやノイズがどうのこうのという粗探しではなく、バッキング
の的確さやリフのカッコよさ、ソロにおけるフレイジングの妙に向けられるべきである。

リッチー・ブラックモアがペイジを「頭のいい(Clever)ギタリスト」と評したのも、
その辺を言い当てているのだろう。



前述の成毛滋はジミー・ペイジ・フォロワーだったが、後年「ジミー・ペイジは2枚目
までは上手かったが3枚目以降は下手になった。ヴァン・ヘイレンと比べるとお粗末」
発言している。

ではその成毛滋はどうかというと、確かに早く正確に弾く、凄い音を出せるという点で
は巧いけど、すべてどこかで耳にしたリフでオリジナリティーがない。
すごいなーと曲芸師を見るような驚きはあるが、音楽的にはおもしろみが無かった。







<むしろプロデューサーとしての特出した才能>

ジミー・ペイジの凄いところは、単にギタリストではなく優れた作曲家であり、アレン
ジャー、プロデューサーであり、サウンド・クリエイターでもあった点にある。
ペイジは徹底的に「音」にこだわっていた

自らのギターだけでなく、ボンゾの破壊的なドラムのど迫力、ジョンジーの流れるよう
なベースランニング、プラントの孤高のヴォーカルをバランスよく配し、それでいてガツ
ンと塊になって攻めて来るような力強い音作りを実現していた。


以降のハードロック〜メタル系のお手本となったわけだが、ツェッペリンとピンク・フ
イドほど深み、陰影や妖しさを秘めた美しいロックはないと僕は思う。



ペイジはツェッペリンのライヴもすべて録音して、自分で管理していたと言われる。

新宿や渋谷のブート店にペイジが来店した際、店主と仲良く記念撮影した写真が飾ってあ
るのを見かけたことがある。
彼は来日する度に足繁くブート店を回り、ツェッペリンのライヴ音源を収集していた。
摘発するためでもあったが、完璧なライヴ盤リリース(6)の参考にしていたらしい。







<ビジュアル、アートであることへのこだわり>

ペイジのこだわりは当然のことながらギターにおいても徹底している。
使用ギターについては次回まとめるつもりだが、冒頭に記したような「極限まで低い位置
までギターを下げて弾く」あのスタイルがなぜ生まれたのか?には触れたいと思う。
明らかに弾きにくい。あれではミスタッチが出るのは当たり前だ。


ペイジによると「ほんの遊び心でギターをどれだけ低くして弾くことができるか試してい
たところ、あのような形で定着してしまった」という話だ。
彼はビジュアル面でも唯一無比であることを模索していたのだのではないか。

ヴァイオリンの弓で弾くボウイング奏法、ダブルネック・ギター、テルミンを使ったパフ
ォーマンスなども音楽的な必然性だけでなく、視覚的なアピール力も狙っていたはずだ。


ヒプノシス(7)によるジャケットのカヴァー・アート、四人のシンボルマーク以外は一切の
文字情報が記されない(題名すらない)ジャケット(8)など、レコード会社の反対に屈する
ことなく、妥協することなくペイジはグラフィック・デザインにも徹底的にこだわった。


彼にとっては「レッド・ツェッペリン」というイメージこそが重要であった。
ツェッペリンは単に大金を稼ぐ商業的バンドではなく、芸術そのものだったのだ。

そういう意味で、バンドの「ブランド」をしっかりマネジメントできた世界初の例であっ
た(ビートルズですら現役時代はできていなかった)のではないだろうか。






<まとめ>

ジミー・ペイジの才能はむしろ作曲力、プロデュース、アレンジ力にある。
ギターはその表現方法の一つで、ペイジは楽曲を最大限に魅力的にするバッキング、リフ、
ソロを作り出すということにかけては天才だった。
だから演奏技術において「下手だったのか?」という論議は不毛だと僕は思う。



最後に1983年のロニー・レーンARMSコンサート(9)で共演が実現した三大ギタリストの

演奏を聴いてもらいたい。

クラプトンは余裕たっぷりで渋く決めている。
ベックはやんちゃなギター小僧といった風情であいかわらずトリッキーなプレイ。
ペイジはラリってるのか終始ヘロヘロだったけど。。。。ま、いっか。

これを見ると三者三様でいいなあ、と僕はうれしくなってしまう。



↑クリックすると三大ギタリスト共演の「Layla」が視聴できます。


<脚注>

2017年1月14日土曜日

かわいい娘たちが勢ぞろい。

高校の頃よく授業をサボって名画座で映画を観た。悪友が誘うのだ。
映画は行き当たりばったり。西部劇やB級サスペンスが多かった。

二本立てを観て外に出るとまだ明るい。「つまんなかったな」と彼はいつも言う。
だが数日後また僕を誘った。「よう、午後からふけて映画観に行こうぜ」



どの映画を観たのかほとんど憶えてない。
だが三つだけ、なぜか鮮烈に記憶に残っている映画がある。



その一つが「課外教授」(1)というアメリカのB級学園ミステリー(1971)。
アメリカの田舎町の高校で起きた女生徒連続殺人事件を描いた作品だ。





フットボールのコーチも担当している教頭のタイガー(ロック・ハドソン)は
野生的で、女子学生たちから人気がある。が、彼には裏の顔があった。
心理テストと称して部屋を締め切り、何人もの女子生徒と関係を持っていたのだ。

タイガーに疑いの目を向ける腕きき刑事にテリー・サバラス。
まだ初体験がない男子学生ポンセに手ほどきをする色っぽい代理教師をアンジー・
ディキンソンが演じていた。
ポンセはチアリーダーの死体を発見。学園内の殺人は続く。。。


原題は「Pretty Maids All In A Row」。
かわいいチアリーダーたちがずらっと一列に並んだ光景を想像してしまう。
この映画の「Pretty Maids」は次々タイガーの生贄になる女子学生たちだった。








名盤の誉れ高いイーグルスのアルバム「Hotel California」のB面3曲目に
Pretty Maids All In A Row」という、映画の原題と同じ曲名がある。

ジョー・ウォルシュによる静かで壮大なスローワルツだ。
ギタリストのジョーがピアノを弾き、ヴォーカルもとっている。



曲の内容を見てみよう。



Pretty Maids All In A Row (Joe Walsh 拙訳:イエロードッグ)(2)

Hi there, How are ya?  it's been a long time
やあ、元気かい? ひさしぶりだな
Seems like we've come a long way 
俺たちもえらくなったもんだ
My, but we learn so slow 
俺は、いや、俺たちは学ぶのに時間がかかるからな
And heroes, they come and they go 
いろんなやつらが現れては消えていった
And leave us behind as if we're supposed to know why 
俺たちは置いてけぼりさ どうしてそうなるのが分かってたみたいにね

Why do we give up our hearts to the past? 
俺たち、どうして昔の気持ちに浸っちゃうんだろう?
and why must we grow up so fast? 
どうして大慌てで成長しなければならないんだろう?

And all you wishing well fools with your fortunes 
幸せになりたい、と君はいつも願っていたっけ
Someone should send you a rose with love from a friend, 
誰かが君にバラを贈ればいいのかな 友より愛をこめってってね
it's nice to hear from you again and the storybook comes to a close 
また連絡してくれてうれしいよ じゃあ、この話しはもうおしまい
Gone are the ribbons and bows  Things to remember places to go 
プレゼントをあげたのは遠い昔のこと 大切なのはどこへ向かうかってこと
Pretty Maids all in a Row... 
愛しき日々よ




↑クリックするとイーグルスの「Pretty Maids All In A Row」が聴けます。


「Pretty Maids All In A Row」という一節は最後に出てくるだけだ。


この曲を書いた時ジョー・ウォルシュは30歳になるかならないかくらい。
一年前にイーグルスの正式メンバーとなったばかりだ。

ジェイムス・ギャング、バーンストーム、ソロと活動して来てイーグルスのメン
バーまで登りつめたジョーが、それまでの人生に想いを馳せているかのようだ。
ジョーが青春を過ごした1960年代、アメリカが豊かで輝いていた時代への憧憬、
とも取れる。





われわれ日本人にはあまり馴染みがないが「Pretty Maids All In A Row」は、
マザー・グース(3)の「へそ曲がりのメリー(Mary, Mary, Quite Contrary)」
に出てくる一節である。



Mary, Mary, quite contrary, How does your garden grow? 
メリー、メリー、本当にへそ曲がりさん、あなたのお庭はどんな感じ?

と訊かれ、ひねくれ者のメリーは花の名を答えるかわりにこう返す。


With silver bells and cockleshells, And pretty maids all in a row. 
銀の鈴や貝殻や かわいい女の子たちが並んでいるの

            (Mother Goose 拙訳:イエロードッグ)



↑クリックすると「Mary, Mary, Quite Contrary」が聴けます。



実際はスズラン、カイガラソウ。女の子たちというのは何の花だろう?
この童謡を描いた絵の中には、花の中に女の子の顔ついてるちょっと怖い、
シュールなものもある。


また、奥に「黒い歴史」が隠されている、という解釈もある。
メリーとは、即位後にプロテスタントを迫害し300人以上処刑したといわれる
イングランド女王のメアリー1世(4)のことで、庭とは処刑された人たちの墓地を
指している、というのだ。







その真偽はともかく「Pretty Maids All In A Row」は愛しい大切なものを表す
メタファー(隠喩)なのだろう。
ひねくれ者のメリーにとっては庭のかわいい花であり、ジョー・ウォルシュがそ
う感じたのは(歌詞の流れから察すると)過去の日々なのではないかと思う。




僕はかねてから「ジョー・ウォルシュ加入前のカントリーロックの頃のイーグル
スが好き」とことあるごとに言ってきた。
しかし、ジョーの加入でイーグルスの音に厚みが増しパワーアップしたこと、
よりコンテンポラリーな音楽を聴かせるバンドになったことは認める。

そしてジョーがファンキーかつワイルドなギタリストであるだけでなく、優れた
ソングライターであり、イーグルスの音楽性を広げたのも事実だ。



脱退したバーニー・レドンの曲について、ドン・ヘンリーとグレン・フライは「
歌詞がでたらめ」と辛辣な評価をしていた。
ドンとグレンが「楽曲の質こそバンドの要」と考えていたからだと思う。


ドン・フェルダーは自分が過少評価されている、後から入ったジョーの曲は採用
されヴォーカルも任されるのに自分にその場が与えられないのは不公平だ、と
不満を述べしばしばグレンと衝突していた。

それはジョーのソングライティング力、歌唱力がドンとグレンのお眼鏡にかなっ
たからであり、残念ながらドン・フェルダーの場合はその域に達していなかった
ということなのだろう。(ギタリストとしての腕は最高だったが)






グレン、ドンとジョーとの付き合いは1974年に遡る。(5)
プロデューサーのビル・シムジク(6)とイーグルスの出会いはジョーがきっかけ。
ジョーをイーグルスに誘ったのはドン・フェルダーだった。

「Pretty Maids All In A Row」はそんな日々に想いを込めた曲ではないか。
そしてこの曲の後もジョー・ウォルシュの友情物語は続くことになる。


1994年イーグルス再結成の話が持ち上がった時、ジョー・ウォルシュはドラッグ
とアルコールの中毒から抜け出せず苦しんでいた。
ドン・ヘンリーとグレン・フライはよれよれだったジョーに手を差し伸べ、「君
が必要だから」とジョーの復活を辛抱強く待ってくれたという。


<脚注>