2017年6月19日月曜日

続・男は黙ってサザンロック!

1960年夏14歳のデュアン・オールマンは小型のハーレーを乗り回していた。
やがて弟グレッグのギターに手を出し、薪小屋の中で練習し始める。
R&B局から流れるロバート・ジョンソン、チャック・ベリーを耳で覚えた。


デュアンとグレッグはデイトナビーチ(フロリダ州)の黒人バンドと一緒に演
奏するようになり、クラブのショーもこなせるほどになった。
デュアンはR&Bやヤードバーズ、ジェフ・ベックを好んで演奏したという。





リバティ・レコードとの契約が不本意な結果で、彼らはマッスルショーズ(ア
ラバマ州)のフェイム・スタジオ(1)で本来やりたかったR&Bを演奏した。



1969年にセッション・マンとして既に名を馳せていた22歳のデュアンは、フェ
イム・スタジオでウィルソン・ピケット(2)のレコーディングに参加。

デュアンは当時、9週連続1位だったビートルズの大ヒット曲「Hey Jude」をカ
ヴァーしてはどうかとピケットに薦める。
ピケットは最初「Hey Jew(ユダヤ人)」なんて歌うのは嫌だと却下した。


しかしデュアンは自らギターを弾きながら熱心に説得。
オルガンが入りピケットが歌う「Hey Jude」はソウルフルなゴスペルになった。
歌に絡むようなデュアンの抑制の効いたオブリ。
後半のコーラス部ではホーン・セクションとともにクライマックスを迎える。



↑ウィルソン・ピケットの「Hey Jude」が聴けます。


「Hey Jude」でのデュアンのギターは「黒人じゃないのにこんな演奏ができる
のか!」と音楽関係者たちを驚かせた。
エリック・クラプトンもデュアンのギターに感銘を受けた一人だった。



翌1970年8月マイアミのクライテリア・スタジオ(3)でアルバム「Layla」のレコ
ーディング中だったクラプトンは、プロデューサーのトム・ダウド(4)からオール
マン・ブラザーズ・バンドのマイアミ公演を観に行くように勧められる。

ディッキー・ベッツによると、その日ステージで快調にソロを弾いていたデュア
ンの手が突然止まったそうだ。
彼の視線を追うと、今度はディッキー自身がフリーズしてしまった。
最前列にエリック・クラプトンが座って彼らの演奏を見つめていたからである。


ライブ終了後クラプトンはデュアンを誘いステジオへ。
二人は夜を徹してジャム・セッションを行い、クラプトンはデレク&ザ・ドミノ
スのレコーディングに参加するようデュアンを口説いた。


・・・というのが通説になっている。



が、1998年末のトム・ダウドのインタビューによると時系列が違う。


ダウドはクライテリア・スタジオでオールマンのレコーディング中だった。
そこにロバート・スティグウッド(5)から電話が入る。
「エリックがそこでレコーディングしたがっている」とのことだった。

ダウドがその話をするとデュアンは「そいつって」とクリームの曲のリフを弾き、
「じゃあ、彼がここでレコーディングしている時見に来てもいいかな?」と尋ねる。
ダウドは「二人とも共通点があるしうまく行くだろう。問題ないはずだ」と答えた。





そしてデレク&ザ・ドミノスがスタジオにいる時デュアンから電話が入る。
モニターの音を聴いたデュアンは「いるな!ちょっと寄ってもいいか?」と訊く。

ダウドはコントロール・ルームにいたクラプトンに「デュアン・オールマンがスタ
ジオに顔を出してもいいか?と言っている」と伝えた。
クラプトンは「Hey Jude」のデュアンのフレーズを弾き「これを演奏している奴
か?じゃあ、一発やってもらおうか」と快諾。



その晩、ダウドはデレク&ザ・ドミノスのメンバーをマイアミ・ビーチのコンベン
ション・センターに連れて行き、オールマンの野外コンサートを見せた。
終了後、みんなでスタジオに戻りジャム・セッションが始まったのだ。

クラプトンはデュアンにどう演奏してるか見せ、デュアンはボトルネック奏法をク
ラプトンに見せる。アイデアが交換された。



↑「Layla」セッションのアウトテイク「Mean Old World」が聴けます。



「Layla」での二人の演奏の聴き分け方についてデュアンはこんな説明している。
クラプトンが弾いてるのはフェンダーで火花を散らすような音(sparklier sound)
、デュアンのはギブソンでキーキー金切り声みたいな感じ (full-tilt screech)。


クラプトンは彼にとって最初のストラトキャスター、ブラウニーを小さな5ワット
のフェンダー・ツイードチャンプで鳴らしていた。
レズリーの回転スピーカーも好んで使っていたようだ。

デュアンは愛用のレスポール。
アンプは同じフェンダー・チャンプだったいう記載もあるが定かでない。



二人は昔からの知り合いのように打ち解け、心から楽しんでいた。
デュアンの突然の事故死でクラプトンは大きなショックを受け(ジミ・ヘンドリ
ックスの死、パティ・ボイドへの叶わぬ思いに追い打ちをかけた)ドラッグ中毒
になってしまう。






デュアン・オールマンの演奏スタイルはデレク・トラックスに受け継がれている。
彼はオールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー、ブッチ・トラックス(2017年
1月に拳銃自殺)の甥に当たる。

「デレク」はデュアンが参加したデレク&ザ・ドミノスから命名されたそうだ。
叔父の影響もあり幼少のころから音楽に親しみ、9歳でギターを始める。



涼しい顔つきで直立で弾くデレクのスライド奏法はエネルギッシュかつ熱く
それでいて驚異的なくらい音が正確(6)である。
そしてブルースを基調としたフレーズのバリエーションが豊かだ。

デュアン・オールマンの再来、デュアンを超えたとも評される。
2007年Rolling Stone誌の「現代の3大ギタリスト(7)」の一人にも選ばれた。



↑ギターセンター主催のコンペティションでのデレクの演奏が聴けます。


デレクの愛器は2000年製ギブソンSG '61リイシュー。
ピックガードとトレモロ・ユニットのアームを外して(プレートのみ残してある)
ストップ・テールピースにしてある。(8)

SGはデュアンも使用していたことでも有名だ。
スライドバーもデュアンと同じコリシディン(風邪薬)のボトルを愛用している。



チューニングはどんな曲でも常にオープンE
曲によってギターを交換する煩わしさはないが、高度な技術が要求されるはずだ。
スライド奏法でもコード弾きでも、ピックは使用せず指で弾いている


アンプはフェンダーの1965スーパーリバーブ。(近年はPRSも使用)
ロー絞り気味、トレブル上げ気味の設定でギター本体のトーンで調整している。
エフェクターは一切使っていないそうだ。



自身のバンドで活動(9)する一方、1999〜2014年にはオールマンの正式メンバー
となり、デュアンがいた頃の往年のサウンドを蘇らせた。

2006年にはエリック・クラプトンの米国ツアーにドイル・ブラムホールIIと
ともに参加。(このメンバーで来日もしている)圧倒的な存在を見せつけた。



↑Crossroads Gt. Fes.での「Tell The Truth」が聴けます。
デレクのソロは2'45"〜と3'50"〜。主役のクラプトンを食ってますね^^v
後ろで見てるシェリル・クロウも嬉しそう。


ちなみに僕の2016年度ベストCDはクラプトンの「Live In San Diego」。
2007年3月のサンディエゴ公演でドイル・ブラムホールII、デレク・トラッ
クスに加え、故J.J.ケイルが特別出演している。

J.J.の入らないセットでは「Tell The Truth」「Key To The Highway」
「Got To Get Better In A Little While」「Little Wing」「Anyday」
「Layla」とデレク&ザ・ドミノス時代の曲をカヴァーしているのが嬉しい。



1979年の武道館以来クラプトンは通算9回見てるしライヴ盤も聴いてきた。
が、「Live In San Diego」はクラプトン史上最高ではないかと思う。

デレク・トラックスとの共演が刺激になったのだろう。
クラプトンも「まるでデュアンと一緒にやってるようだった」と言っている。


<脚注>

2017年6月12日月曜日

男は黙ってサザンロック!

グレッグ・オールマンが亡くなった。

享年69歳。肝臓癌の合併症だそうだ。
昔の刺青処置が不衛生だったことによるC型肝炎、そして肝腫瘍。
肝移植は成功したが、その後も感染症を患っていたようだ。


亡くなる一ヶ月前、グレッグはこんなメッセージを出していた。

Hey everyone. 
I just wanted y’all to know that I’m currently home in Savannah 
resting on my doctor’s orders.
I want to thank you for all the love that you are sending. 
Looking forward to seeing everyone again. Keep Rockin’.
                                                 
「やあ、俺はサバンナ(ジョージア州)の家で医者の指示どおり療養中なんだ。
みんなの愛に感謝。また会えるのを楽しみにしてるよ。ロックし続けようぜ!」





グレッグ・オールマンはサザンロックの雄、オールマン・ブラザーズ・バンドの
ボーカル、ギタリスト、オルガンプレイヤー。
同バンドで一緒に活躍したスライドギターの名手、デュアン・オールマンは彼の
兄だった。


グレッグが先にギターを始め、兄に教えたという。
兄弟たちはB.B.キングのステージを見たのがきっかけでR&Bに夢中になる。
バンドを結成しリバティ・レコードと契約するもの、持ち味を発揮できず解散。

フロリダに戻ったデュアンはセッション・ギタリストとして名を上げる一方、
ディッキー・ベッツ(g)、ベリー・オークリー(b)、ジェイ・ジョハンソン(ds)、
ブッチ・トラックス(ds)とバンドを組む。
L.A.にいたグレッグを呼び戻し、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成した。



サザンロックはR&Bなどアメリカ南部の泥臭さを前面に出した力強いロックだ。
ジョニー・ウィンター、レーナード・スキナード、スティーヴィー・レイヴォ
ーンなどが挙げられる。中でもオールマンは代表格だった。(1)

サザンロックをやる人は長髪、髭面でカウボーイハットをかぶってたりする。
Tシャツの袖を肩までまくり上げタトゥーを見せるのもお約束だ。
ハーレーダビッドソンに跨っている人も多い。とてもわかりやすいのだ(笑)




               ↑無造作に置かれたバドがいいですね〜(^^)


オールマンのメンバーたちは南部の出身で黒人の音楽を聴きながら育った。
そのせいか白人バンドのブルースとしてはかなり黒っぽい。

1960年代後半に英国でもブルースが一大ブームになった。
オールマンに比べると、ブラインド・フェイスやジョン・メイオールは英国人
のフィルターを通した(僕なんかにとっては)聴きやすいブルースである。



英国ブルース・ロックはリズムがストレート(縦ノリ)だ。
これに対し、オールマンのブルースにはリズムのハネ(横揺れ)がある。
ハネとはブルースのシャッフル、ジャズの4ビート、ファンクの16ビート。
8ビートでもリズムが軽く跳ねているのだ。
ツイン・ドラムで力強いリズムを叩きだしているのだが重くはならない。
グレッグのオルガンもジャズっぽいハネ感がある。
そこにデュアン、ディッキー・ベッツの豪快なギターが絡む。

グレッグの喉の奥でうなるようなヴォーカル(ディープスロートと呼ばれる)
がまた南部っぽくていい。



↑クリックすると「Statesboro Blues」(2)が聴けます。


ライヴの名盤の誉れ高い「At Fillmore East」発表の数ヶ月後、デュアンがバ
イクでトラックに追突し24歳で他界する。
バンドはギタリストを補充せずディッキー・ベッツだけでバンドを継続した。
が、1年後にはベリー・オークリーもバイク事故で亡くなってしまう。


度重なるメンバーの死を乗り越え、グレッグたちは活動を続けた。
Brothers And Sisters」(1973)は全米アルバム・チャートNo.1を記録。
彼らをアメリカン・ロックの頂点へと押し上げた。

このアルバムはディッキー・ベッツ主導で、カントリー色の強いカラッとした
サウンドに仕上がっている。
ブルース一辺倒ではないので脂っこいのが苦手な人にも聴きやすい。






この直後グレッグは初ソロ・アルバムにして名盤の「Laid Back」を発表。
タイトルどおりリ南部のくつろいだ雰囲気やブルース色は残しつつ、やや都会
、コンテンポラリーな作品になっている。
攻めのリードギターは後退した。歌をじっくり聴かせてくれる。

「Midnight Rider」「Please Call Home」の再演の他LA時代の旧友ジャクソン
・ブラウンの「These Days」を歌ってたり、カントリーのトラッド「Will The 
Circle Be Unbroken」(3)をゴスペル風にアレンジしてたりなかなか楽しめる。


意外なところでは、ポールバターフィールド・ブルースバンド〜ラスカルズ出身
でこの頃ニール・ラーセン(Kb)と共にファンク系フュージョンを先取りしてい
バジー・フェイトン(g)が参加している。

このアルバムにおけるフェイトンのギター貢献度は大きいと思う。
グレッグによる書き下ろしのR&Bバラード「Queen of Hearts」でのオブリ
〜ソロはまさに絶品だ。


後半インテンポの4ビートになるアレンジがまたいい。
デヴィッド・ニューマンのツボを心得たサックス、転がるような心地よい音色の
フェンダー・ローズ(元マーシャル・タッカー・バンドのポール・ホーンズビー
だろうか?)のソロも聴きどころだ。




↑クリックすると「Queen of Heartsが聴けます。


デイッキー・ベッツ色が強くなったオールマン・ブラザーズ・バンドとは一線を
画して、グレッグがやりたかっとのはこういう音楽だったんだなあ。
サザンロック云々はさておき、幸せな気分にしてくれるロックだと思う。



現在サザンロックはアメリカ本国でもあまり人気がないのではないだろうか。
どうしても白人至上主義の保守層、レッドネック(4)が好む時代遅れのロックと
いう印象があるのは否めない。


サザンロックは生き残れないのか?


いやいや、オールマンの魂はしっかり現代に引き継がれているのだ。(続く)






「男は黙ってサザンロック!」(5)というタイトルは「ROCKET RIDE 2 音楽と
日々の雑談」から転用させていただきました。
今回の内容にこれ以上のタイトルはない!オールマンにぴったりでしょ^^v
ヤスバさん、タイトルの使用をご快諾いただきありがとうございます。


<脚注>

2017年6月7日水曜日

「丘の上のジェニファー」を弾いてみた♪

長い間、更新してなくて申し訳ない <(_ _)> 

病に伏せていたわけでもなく(体調の悪い期間もあったが)、燃え尽きたわけ
でもなく(笑)、他のことに専念していたからです。


その一つは、長年懸案だった昔の宅録やリハの音源の取り込み


高校〜大学の頃の音源はカセットから20年前にMDに録音してあった。
カセットデッキは壊れて処分したし、残ってるテープもヘロヘロのはず。


できればMDからデジタルで取り込みたいところ。
が、PCにUSB接続できるMDウォークマンはとっくの昔に生産終了。
(あったとしてもMac非対応だけどね)

意を決してソニーのMDデッキとローランドのオーディオインターフェース
をMacに繋いだら。。。
おおっ、どちらもまだ生きているではないか!





MDデッキのオプチカル出力 → オーディオインターフェース → MacにUSB
接続 → GarageBand(Macの音楽制作アプリ)で取り込み編集。

2週間かけて膨大な音源をMP3にすることができた。めでたし、めでたし。







もう一つは、ギターの練習。

ビートルズの公式録音213曲ほぼ全曲制覇(Revolution No.9を除く)
コードと主要なリフをコピーし、アルバムごとにメドレーで弾いていた。
改めてビートルズってすごい!と思う。


そしてドノヴァンをもう一度やり直すこと。
4年前にコピーしたのだが、久しぶりで弾こうとしたら覚えていない。
やれやれ、あんなに練習したのに(>_<)

もう一度、耳コピし直した。
不思議なことに、以前聴き取れなかった部分も今度はちゃんと解明できる。
20曲以上できた。


今度はすべてTAB譜にした。
TuxGuitarというソフトで1音ずつ入力するという根気の要る作業だけど、
なかなかきれいに仕上がる。

完成したTAB譜はPDFファイルで保存。
どう弾くんだっけ?という時でも簡単に確認できて便利である。



↑クリックすると使い方を説明したサイトに飛びます。






で、その「きれいにできたTAB譜」のサンプルをお見せしたいと思う。


曲はドノヴァンの「Jennifer Juniper」。
曲の内容、歌詞は以前ご紹介したのでこちらから。


ドノヴァンの曲の中でも特に親しみやすく、ポップなラヴ・ソングである。
スタジオ・ヴァージョンではオーボエやクラリネット、ストリングスの過剰
アレンジに隠れてギターは聴こえない。
が、ライヴではドノヴァンのスリーフィンガーが堪能できる。



↑クリックすると「Jennifer Juniper」が聴けます。



ドノヴァンの奏法でよく登場するのが、スリーフィンガーやアルペジオに
歌メロを乗せる、という技。
つまり歌歌と同じメロディーをなぞりながら、複雑なフィンガーピッキング
をしているのである。

この曲でもヴァースはずっと歌メロ+伴奏。
ブリッジ(サビ)の後半ではギターを歌メロと3度でハモらせている。


聴いてる分には簡単そうだが、実際に音を拾うとなるとこれが難しい。
ありがちなスリーフィンガーとは一線を画す、ドノヴァンならではのクセの
ある複雑なピッキングだからだ。

完コピできても、今度はそのとおり弾くのが至難の技(汗)
ジェイムス・テイラーなんかだと耳コピしやすく、何回か弾けば指が覚えて
くれるのだが、ドノヴァンではそうは行かない。

だからこそTAB譜にしておく必要があった。
「Jennifer Juniper」はドノヴァンの曲の中でも難易度が高い。


ではTAB譜を載せますので、挑戦してみてください♪




一つのコードでアサインされる音が少ないのもドノヴァンの特徴の一つだ。

たとえばローコードのGを弾く場合、ふつうは6〜1弦までまんべんなく使っ
て音を組み立てる。(ですよね?)
しかしドノヴァンはベースの6弦と4、3、2弦のみ。他はミュートする。


同じ弦、またはオクターブの弦を繰り返し弾くことで共鳴音が得られる
6弦すべて弾く音の広がりよりも、ドノヴァンはコードの塊としての強い
響きを好んだのではないかと思う。

ジャズ・コードのヴォイシングにも通ずるものがあるかもしれない。
ドノヴァンはテンション・コードも多様している。



一つのコードで使用する弦が限られるということは、短い時間に同じ弦を
何度も弾くことになる。
この曲のようにテンポが早い場合、かなり複雑で忙しいフィンガーピッキ
ングが強いられるということだ。

右手の指がつりそうになる。
この曲を弾いて腱鞘炎になったとしても僕を責めないでください(笑)



ちなみに1965〜1970までドノヴァンが愛用していたギブソンJ-45(1)は、
シルク弦を1音低くチューニングし、カポを使用することが多かった。
その理由についてドノヴァンは「変則チューニングのような東洋的な響き
が欲しかったから」と説明している。(2)

弦を緩めることで振幅が大きくなりドローン効果が得られる。
その状態でカポをすると音は締まり、低音弦はより豊かになるのだ。

この曲もキーはDだが、1音下げたJ-45で4フレットにカポをして弾いて
いる。
もちろんスタンダード・チューングで2カポでもかまわない。

<脚注>