2020年1月24日金曜日

クリーム再結成(1993年/2005年)は感動的だった。

<クリーム解散後のクラプトン>

クリーム解散後、クラプトンはスティーヴ・ウィンウッドやベイカーらとブラインド
・フェイスを結成。
アルバムBlind Faith(1969 邦題はスーパー・ジャイアンツ)を残して解散した。

この頃のライブで再びテレキャスター(サンバースト、ホワイト・バインディング、
ストラトのメイプル・ネックに交換)を弾いている。アンプはマーシャル。


新天地を求めてアメリカに渡り、南部のサザンロックに影響を受けたクラプトンは
デレク&ザ・ドミノスを結成。(1970年)ストラトキャスターのハーフトンで演奏。
デュアン・オールマンを迎えLayla and Other Assorted Love Songsを録音した。
翌年メンバー間の不和が表面化し、2枚目のアルバム製作中に口論となり解散。

クラプトンはデュアンやジミ・ヘンドリックスの相次ぐ死で精神を病み、ドラッグ
に溺れ暫く音楽活動から遠ざかるが、1973年のレインボウ・コンサートで復帰。





1974年には名盤461 Ocean Boulevardを発表。
レゲエ、スワンプなどを取り入れ、レイドバックという新境地を確立する。

クリーム時代の攻撃的なプレイを期待したファンは最初は戸惑ったが、ストラト
キャスターのハーフトーンを多用したレイドバック・サウンド、しだいに渋みを
増してきたボーカル、ソングライティング力の評価は高まった。

以降10年ほどはライブでクリーム時代の曲を演奏していない
が、Badgeだけは定番曲として取り上げている。
ジョージ・ハリソンとの共作で自らが歌った曲だから例外ということか。 


1985年発表のBehind the Sunはフィル・コリンズをプロデューサーに起用し、
ポップな音作りを指向。

この後、長くクラプトンをサポートすることになるネイザン・イースト(b)と
グレッグ・フィリンゲインズ(kb)初参加アルバムとなるが、旧メンバーも混在。
ライブではドナルド・ダック・ダンなど旧メンバーがバックを務めていた。




↑1985年ライブ・エイド出演時。ドナルド・ダック・ダン、フィル・コリンズも参加。
これがブラッキー(1957ストラト)+マーシャルの見納めになる。



翌1986年夏のツアーではメンバーを一新し、フィル・コリンズ(ds)、ネイザン・
イースト(b)、グレッグ・フィリンゲインズ(kb)との4ピース・バンド編成に。
ゲートリバーブ(1)バリライト(2)を駆使したハイテク・クラプトン期だ。

クリーム解散後初めて、White Room、Sunshine Of Your Love、
Crossroadsをライブで演奏しファンを熱狂させる。





ブルースの原点に立ち返るFrom the Cradle(1994)で自分探しの旅?をした後、
MTVアンプラグドで放送されたUnplugged(1992)が全米1位、グラミー賞受賞。
アコースティック・ギター人気の再燃、1990年代前半のアンプラグド・ブーム
のきっかけとなった。



着実に地位を築いていったクラウトンに対して、ジャック・ブルースやジンジ
ャー・ベイカーのその後あまり華々しい活動はなかった。

ジャック・ブルースはジョン・ポール・ジョーンズからツェッペリンへの加入
を打診されていたが、自身のバンドの活動のため断ったという。
ジョンジーはキーボードに専念したい意向があったらしい。
(断ってくれたのは正解。 Zepはあの4人で完成形だと思う)



↑1972年にマウンテン解散後のレスリー・ウエストと組んでたこともあるようだ。


↑1989年にブルース、ベイカーとの顔合わせもあったらしい。(ブートのジャケ写)



<クリームのロック殿堂入りと一夜限りの再結成>

1993年クリームはロックの殿堂入り(The Rock and Roll Hall of Fame)を果
たし、その場限りの再結成として3曲を演奏した。
(Sunshine of Your Love、Crossroads、Born Under a Bad Sign)





クラプトンは1986年から使い始めたレースセンサー・ピックアップ(3)搭載のスト
ラトキャスター(シグネチャー・モデル)を弾いている。

アンプはソルダーノSLO100真空管ヘッドアンプ+キャビネット。
クランチ(軽い歪み)に定評があり、ドライブ・サウンドはシングルコイル/
ハムバッカー問わず対応可能である。

前年のボブ・ディラン・デビュー30周年トリビュート・コンサート出演時と同じ、
短髪にアルマーニの黒いスーツという装いがキマっている。





ジャック・ブルースはワーウィックのシグネチャーモデルを使用。
フレッテッドとフレットレスがあるが、この日はフレットレスを使用していた。

ボディはブビンガ、指板はエボニー、ネックはウェンジとブビンガのラミネイト
構造で、ピックアップはセイモアダンカン製3バンドのアクティブサーキットが
搭載されている。

ブルースの使用アンプは特定できないがハートキー(HARTKE)と推測される。

ジンジャー・ベイカーはラディックのブラックのセットを使用しているようだ。
2バスドラ、4タムのセッティングもクリーム現役時代と同じだ。
シンバル類はジルジャンだと思われる。



↑クリックすると1993年再結成時のSunshine of Your Loveが観られます。


25年ぶりのクリームの演奏を終えたクラプトンは「感動した」と言っている。
否定し続けてきたクリーム再結成についても「考えている。が、こういうことは
急ぎたくない。じっくり考えたい」とも述べた。



そして再結成が実現したのは、それから12年後であった。

招集をかけたのはクラプトンである。
「多くのバンドがオリジナル・メンバーが揃わなくなってきている中、僕たちは
幸い3人ともまだ生きている。やるべきだと思った」と言っていた。


2005年にクリームの再結成ライブが5月2、4、5、6日の4日間、ロンドンのロイ
ヤル・アルバート・ホール(1968年に解散コンサートを行った会場)で行われた。


4日間の演奏は5ヶ月後に2枚組CD、DVDで発売された。
オープニングはI’m So Gladだった。3人の気持ちを表しているような選曲だ。
Sleepy Time Time、N.S.U、Politician、Sweet Wineと懐かしい曲が続く。



↑クリックすると2005年再結成時のI’m So Gladが観られます。


CDとDVDのソングリストはほぼ同じだ。以下、CDのソングリストを載せておく。




DVDを見て一瞬、目を疑った。
あの3人がお互いに目を合わせ笑い、終始なごやかムードで演奏している。



↑クリックすると2005年再結成時のSleepy Time Timeが観られます。


しかし緊張感がないわけではない。ビシッと締まった演奏はあいかわらずだ。
昔と違うのはエゴむき出しの攻撃的な演奏ではなくなったということだ。

それを昔のクリームではないと嘆く人もいるだろうが、僕は上質なワインを37年間
寝かせておいたような熟成したインタープレイとして楽しめた。


ジャック・ブルースが肝臓疾患を患っていて、持ち堪えられるか懸念されていた。
体力が続かないのかスツールに座って演奏する場面も見られる。
息が上がり歌が続かないと、さっとクラプトンがカヴァーしていた。

1976年のザ・バンド解散コンサート、ラスト・ワルツでソロを弾いてるクラプトン
のストラップが外れた際、即ロビー・ロバートソンがソロをつなぐあの有名なシーン
を彷彿させた。

ブルースの圧が弱くなり、クラプトンのボーカルが渋く力強くなった分、かえって
以前よりもボーカルのバランスがいい按配になったと思う。



↑クリックすると2005年再結成時のSweet Wineが観られます。


リハーサルはかなり入念に日数をかけて行われたようだ。
最初はギクシャクしたが、しだいに勘が戻りクリームのサウンドになったそうだ。

クラプトンはインタビューで「クリームではキーボードも他のギタリストもいない。
一人でバッキングからソロ、ボーカルまでやらなければならないから気が抜けない、
いつも以上に神経を使う」と告白している。





クラプトンは2005年製、新型ストラトキャスターのシグネチャーモデルを使用。
フェンダー社が新しく開発したヴィンテージ・ノイズレス・ピックアップを搭載。
シングルサイズながらスタックコイルのハムバッキング構造を持ち、ローノイズで
ヴィンテージ・シングルピックアップの音を再現している。

ミドルを25dbブーストアップするミッドコントロールを搭載
ストラトでレスポールのハムバッキングの様な歪んだ太いサウンドが得られる


アンプはフェンダーの57ツイード・ツイン
クリーンからクランチ、さらにツイードアンプ特有の荒々しくジャリッとしたサウ
ンドも再生可能だ。
ハンド・ワイアリング回路、パイン材単板キャビネット、12インチのエミネンス
スピーカー×2、40Wという仕様。


1968年のアルバート・ホールでの解散コンサートで使用したチェリーレッドのES-
335+マーシャルが登場するか、と予測してたが違った。

上述のミッドブースト搭載の新しいストラトで、ギブソンのハムバッキングに近い音
が出せると判断したのだろう。
(フェンダー社とクラプトンのエンドースメント契約も理由かもしれない。)
PAが発達した現在はマーシャルをスタックしなくても充分な音量も得られる。




↑クラプトンは3日間、色違いのウエスタン・シャツを着用。
(解散コンサート時に着用した赤いウエスタン・シャツへの思い入れだろうか?)
3日間でブラック、ライトブルー、ブルーのチェック。いずれもロックマウント(4)
だった。(菱形のスナップボタン、W型フラップポケットで分かる)

1日は半袖のネイビーのシャツだったが、これはどこのものか不明。
ジーンズはリーバイス。シルエットから察するに503か504(旧タイプ)ではないか。
靴はビズビム(5)。メガネはサヴィルロウ(6)のリムレス。






ジャック・ブルースはクリーム時代のEB-3+マーシャルを試してみたが、上手くいか
なかった、と言っている。

ジャック・ブルースのためにギブソンがカスタムメイドで製作したヴァイオリン型の
ソリッドベース(EB-1をモチーフにしたと思われる)を使用していた。
フロントにハムバッキング・ピックアップ搭載のシンプルな作りだが、EB-1のような
擬似Fホールはない。


晩年の愛器、ワーウィックのシグネチャーモデルのフレットレスも使用していた。
チェロ奏者だったブルースにとっては、フレットレスもお手の物だろう。





ワーウィックは2005年クリーム再結成記念ジャック・ブルース・シグネチャーモデル
(EB-3を模したボディシェイプ)も製造しているが、映像を見る限り使用していない。

ベースアンプの定番、ハートキー(HARTKE)を使用している。
アルミコーンのウーハーユニットを搭載したキャビネットで、ジャコ・パストリアス
など多くのベーシストから支持されている。
(1993年クリーム・ロックの殿堂入りの再結成時もハートキーだったと思われる)



ジンジャー・ベイカーは2005年再結成コンサートではdw(ドラムワークショップ)
のセットを使用していた。

ラディックの時と同じ2バス+4タムのセッティングである。
カウベル、REMOのスポークス(ロートタムのフレーム部を利用したパーカッション)
も使要していた。シンバルはジルジャン。
フットペダル等のハードウェアはdw。スティックはジルジャン7Aを使用。



↑クリックすると2005年再結成時のN.S.U.が観られます。




結果に満足したクラプトンは、今後のコンサートの予定も考えていると語った。

10月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでも3夜連続で実施


次は東京公演は?期待に胸が膨らむ。
1960年代クリーム現役時代には来ていないから、実現すれば初来日となる。

なにしろ日本びいきのクラプトンのことだ。
1991年にはジョージの17年ぶりのコンサート・ツアーを日本で行うことを提案し、
一緒に来日し自分のバンドで全面サポートしたくらいだ。
消極的なジョージを「日本のオーディエンスは素晴らしいから」と説得したらしい。

ジャック・ブルースの体調を考えると全米ツアーは厳しい。
東京と大阪なら充分、可能性がある。





しかし、その夢は実現しなかった。

後にジャック・ブルースが再結成コンサートが続かなかった理由を述べている。
「ジンジャーがまたやっちゃって、エリックを怒らせたんだよ」と。

ベイカーの性格の気難しさゆえか、本人が告白した「過去に金のためにクリームを
利用したこともある」的なことをまた勝手にやってしまったのか。。。。



ジャック・ブルースは肝臓の病気により2014年10月25日死去。
クラプトンは自身のフェイスブックで「彼は素晴らしいミュージシャンであり、
ソングライターだった。私に非常に大きなインスピレーションを与えてくれた」
とコメントを発表。ブルースに捧げた曲「For Jack」を公開している。


ジンジャー・ベイカーは2019年10月6日に80歳で亡くなった。
この数年、健康面で様々な問題を抱えていたらしい。
慢性閉塞性肺疾患、変形性関節症な。2016年に心臓疾患で開胸手術を受けていた。


故ジャック・ブルースの家族は「二人は愛憎関係を乗り越え、ジンジャーはジャック
にとって兄のような存在で、二人のケミストリーは本当に壮観でした。史上最も偉
なドラマーの一人だったジンジャー、安らかに」と追悼メッセージを発表。

ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、リンゴ・スター、ブライアン・メイ、
デヴィッド・カヴァーデイル、キンクスのデイヴ・デイヴィスらも追悼の意を表明。


クラプトンは盟友ジンジャー・ベイカーの功績を讃える一夜限りのトリビュート・コン
サートを2020年2月17日ロンドンのハマースミス・アポロで行うこと発表した。




<脚注>

2020年1月14日火曜日

史上最強バンド、クリームの軌跡。奏法〜使用楽器と機材。

<クリーム結成の経緯>

クラプトンが最初に名声を得たのはヤードバーズであった。
媚びないバンドのはずが、徐々にティーンエイジャー向けの売るためのポップ路線
へと舵を切っていたため、ブルースを追求していたクラプトンは嫌気がさし脱退。

ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに参加。
クラプトンはレスポール+マーシャルのアンプのコンビネーションを確立 (1)

ディストーションの効いた切れ味鋭い音で、圧倒的な冴え渡ったプレイを披露。
ロンドン中で噂になり CLAPTON IS GOD (2)と言われるようになる。





クラプトンはアルバム一枚に参加しただけで脱退。
ジンジャー・ベイカーに新しいバンドに誘われたクラプトンは即座に受け入れるが、
ジャック・ブルースをベースとして迎えることが条件だった。(3)


ジョン・メイオールはライブ時のクラプトンの攻撃的なギターを評価しており、
当初はライブ盤を予定していた。
ベースにジャック・ブルースを招き実際に録音したがうまく録れていなかった。
クラプトンはその時、ブルースに会いその実力に感銘を受けたのだろう。


ベイカーはその提案に驚き、車(ローバー)をぶつけそうになったという。

クラプトンは知らなかったのだが、グレアム・ボンド・オーガニゼーションで
一緒だったベイカーとブルースは非常に仲が悪いことで有名だった。
お互いのスキルを尊敬してはいたが、二人ともエゴを抑制できなかったのだ。





1966年当時の英国の精鋭とも言える3人によるミニマムのユニットの誕生。
たった3人であんな分厚いサウンドを創り、ボーカルまでこなしていたとは!



クリームを始める際「今度は自分が歌うんだと思っていたが、ほとんどジャックが
歌うことになった。ジャックは作曲の面でも大量生産型だったしね」とクラプトン
は言っている。
クラプトンはまだ作曲力が十分ではなくボーカルも弱かった。





バンドは「クリーム」と名付けられた。
3人とも英国のミュージシャンの間で「cream of the crop(最高によりすぐった
、あるいは人)」と見なされていたからである。


最初のギグでクラプトンは「この二人には何か確執ある」と感じたそうだ。
ブルースとベイカーの対立はバンドに緊張をもたらした
メンバー同士がエゴむき出しで、お互いの意見を十分に聞かない。

クラプトンはある時、コンサート中に演奏を止めてみたが、ベイカーもブルースも
気づかず演奏を続けていた、と回想している。






<クリームの活動期間は3年しかなかった>

クリームは1966年7月にデビューする。
ロバート・スティグウッドのプロデュースでデビュー・アルバムFresh Cream
が録音され、同年の12月に発売。

ブルースのカヴァーが半分、ブルースが3曲、ベイカーが2曲提供した。
シングルI Feel Freeも同時リリースされた。


2枚目のDisraeli Gears(カラフル・クリーム)は1967年11月発売。
時代のせいか、サイケデリック色が強くなりオリジナル曲で構成された。
Strange BrewSunshine of Your Loveがシングルカットされている。





このアルバムからフェリックス・パパラルディ(後にマウンテンのベーシストに
なる)がプロデューサーとなる。

3枚目のWheels of Fire(クリームの素晴らしき世界)はスタジオ録音とライブ盤
の2枚組として、1968年8月に発売。White Roomがシングル・カットされた。
スタジオ録音は5分以内にまとめられているが、ライブは長尺で15分以上に及ぶ
もあった。


3人は1968年5月の全米ツアー中に解散を決断。7月に公式発表。
10〜11月の全米ツアー、11月25日と26日のロンドン公演で幕を閉じた。

翌1969年2月、ライブ演奏3曲とスタジオ録音3曲(4)Goodbyeを発表。
解散後に発売された4枚目のオリジナル・アルバムが最後となった。





結成時より抱えていた根源的な問題によりクリームはわずか3年で解散した。
にもかかわらず、クリームの存在感、ロック界に与えた影響は大きい



<クリームの音楽の特徴>

レコードでは3〜5分のタイトな演奏が多いが、ライブでは10〜15分を超える
長尺の演奏が中心になった。

大半はクラプトンの攻撃的なギターソロで占められるが、それに負けじとブルース
のベースの域に留まらない、リードベースとも言える攻撃的なフレーズが絡み
二人のソロが同時進行して行く。

ベイカーのドラムもパターンを外れた自由な叩き方で、3人が対等な立場で火花
を散らすような演奏を繰り広げていた






歌が入る部分はヴァース、ブリッジ、コーラスの決められたコード進行に沿って
演奏されるが、一旦間奏に入ると上述のようにインプロヴィゼーション(アドリブ)
延々と続く。

ほとんどの曲はインプロに入ると、キーとリズムのみをキープしながら、コード
進行という枠は無視して自由に演奏された。

つまりキーがAならAのブルーノートスケールやペンタトニックスケールを基本
とし、そこから外れない限りどんどん広げて行ってもいいわけだ。



従来の「間奏は8小節」という既成概念からロックを解き放ちジャズのような
インタープレイを取り入れることで、ロックを新しい次元に昇華させたのである。

クリームは革新的だったが、それができるということは3人が卓越した演奏技術、
クリエイティヴ力を持っていたからこそ実現できたのだ。







<クラプトンの演奏スタイル、使用楽器、機材>

この人についてはもう説明の必要がないくらいだろう。

ロバート・ジョンソンを敬愛しブルースを追求し、最初は敬遠していたシカゴ・
ブルースにしだいに傾倒して行く。

中でもB.B.キングの影響は大きいようで、あの小刻みに揺らすヴィブラート
ベンディング、歌の合間に入れるオブリもB.B.から学んだものだろう。
B.B.のフレーズは単純で一つ一つが短いが、クラプトンは滞りなく流れるような
早いパッセージを、強弱や音色の微妙な変化も自在にコントロールしながら弾く。

ブルースブレイカーズで確立したギブソン+マーシャルのディストーション・
サウンドをクリームでも踏襲している。





クリームの初期は新たに入手した1964年製SG(ジョージ・ハリソンから寄贈
された)(5)にサイケデリックなカラフルなペイント(ザ・フールというアーテ
ィスト集団に依頼した)を施したものを主に使用していた。(6)
チューナーはグローバーに変更されている。


クリームの解散コンサートでも使用された1964年製チェリーレッドのES-335は、
ヤードバーズ時代に購入したもので、クリーム後期(1968年頃)からメインで
使用されている。






またクリーム時代にはファイヤーバードⅠ(1963〜65製)も使用している。
ミニハムバッカーをリアに1つだけマウントしたシンプルなモデルで、トレブリー
なサウンドが特徴的で鳴りがいい。

マーシャルのアンプはブルースブレイカーズ時代に使用していた45WのJTM45
から100WのJTM100ヘッドアンプにスタックス型キャビネットへグレードアップ。






クリームでのギターサウンドに欠かせないのがワウペダルだ。
1967年、世界初のワウペダルVOX Clyde McCoy Wah-Wah Pedalをニューヨーク
の楽器店で入手し、Disraeli Gears(カラフル・クリーム)で使用。

ペダルを踏みこむと高音域がブーストされ、上げた状態では中低音域がブースト
されるので音色の変化が得られる。White Roomもワウ抜きで成立しない曲だ。
クラプトンはワウペダルの名手と言っても過言ではない。(7)




<ジャック・ブルースの演奏スタイル、使用楽器、機材>

ジャック・ブルースはリズム隊としてのベースではなく、インプロヴィゼーション
でフレーズを構築していく、いわゆるリードベースの先駆者の一人である。





ヴァニラファッジのティム・ボガード、ザ・フーのジョン・エントウィッスルも
このスタイルのベース奏者だが、この2人とブルースの違いはフレージングにジャズ
やクラシックの要素が感じられる点である。


ブルースは10代の頃にチェロを学び、バッハに大きな影響を受けた。
ジャズ・バンドにも在籍し、グレアム・ボンド・オーガニゼーションではベイカー
とも一緒に演奏していた。

お互いに触発しながら即興的に演奏をしていくインタープレイもジャズからの影響
で、クリームではクラプトン、ベイカーと丁々発止の熱演が繰り広げられた。





奏法は、ほぼ人差し指のワンフィンガー、トレモロ気味に弾く時は中指も使っている
ようだが、とにかく右手のアタックが強い。ピッキングはブリッジ寄りのことが多い。

ボボボ、ブワーンと歪んだ独特の太いサウンドが特徴で、ブラックナイロン弦なの
かと思ったが、そうではないようだ。
ギブソン+マーシャルのセットでディストーションを得ているのだろう。

ジャック・ブルースといえばEB-3、というくらいトレードマークとなっている。
ギブソンのSGとボディの形状が同じなのでSGベースと呼ばれることもある。





ギブソン初のソリッドボディのエレキベースで、ブルースは1962年製を使用。
30.5インチというショートスケール。(フェンダーは34インチ)
テンションがゆるいため、サステインのある温かみのあるサウンドが得られる。
ショートスケールにしたのはベンディング(チョーキング)をやりたかったから、
とブルースは言っている。

フロントにハムバッカー、リアにはミニ・ハムバッカーと2基ピックアップを搭載。
フェンダーのように帯域は広くないが、中低音域に強い特徴がある。


ジャック・ブルースはボーカルの圧も強い
クラプトンは「ジャックには圧倒されっぱなしだった」と語っている。




<ジンジャー・ベイカーの演奏スタイル、使用楽器、機材>

ジャズを習得しており、ブルース、ロックを融合させ、アフリカ民族音楽も取り入れ、
独自のスタイルを確立している。
時には裏打ちなど、ビートのアクセントのつけ方も変化に富み他に類を見ない。





ジャズ畑出身ではあるが、クリームではジャズのレギュラー・グリップではなく、
ロック系に多いマッチド・グリップで叩いている

また普通はスティックのお尻から1/3のところに支点を置くように持つが、ベイカー
は端っこを握っている。スティックも長めのを使用しているようにも見える。
そのため力強いアタック音が得られるのだろう。ハードヒッターだ。

インタビューでは「アンプの音が大きすぎて自分の音が聞こえないから、目一杯叩か
なければならなかった」と答えている。(8)


ドラムソロでは一定のテンポを保ちながらルーディメンツ(スネアの連打)を派生
させていくパターンが多く、スネアを多用したジャズ寄りのソロ、タムを多用した
民族音楽的な叩き方が多い。





クリーム時代はラディックのシルバースパークルのセットを使用していた。
2バスドラムはロックにおける第一人者である。

2つのバスドラムは間隔をあけて角度をつけてセットしてある。
かなり足を開いてキックしていたはずだ。

2タム+2フロアタム、いずれも打面はほぼ水平にセッティングされている。
しっかり腕を上げ、真上から振り下ろさないと叩けない。
ベイカーのストロークが大きく見えるのは、そのためかもしれない。


ライド、クラッシュ、ハイハットなどシンバルはジルジャン(Zildjian)を使用。
カウベルやチャイナ・ゴングもセットされている。




↑ベイカーの後ろにWEMのキャビネットが見える。ヘッドアンプはHI-WATTだろうか。
クラプトンのギター用と思われる。デヴィッド・ギルモアもこの組み合わせだった。



次回はクリーム再結成について。

<脚注>

2020年1月5日日曜日

クリーム解散直前の全米ツアー、ロンドン公演が発売!

年末に友人が教えてくれた。

2020年代のスタートを飾る貴重な発掘音源が2月に発売されるらしい。
1968年クリームが解散宣言後に行った10月の全米ツアーから3公演
11月26日のロンドン公演を全曲収録した4CDセットである。



Disc1~3に収録される全米ツアー3公演はオリジナル・テープより新たにリマ
スターされた最高音質で収録、とのことだ。

全35曲中、最後のアルバム「Goodbye Cream(1969)」に収録された3曲、
後にリリースされた「Live Cream Volume II(1972)」に収録された3曲、
クラプトンの自伝映画「Life In 12 Bars(2018)」OST盤収録の1曲以外は
すべて初登場の音源だ。

Disc4ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールでの最終公演をオリジナル
・マスターよりトランスファーされた初音源。
BBCテレビで放送され後に映像作品化ものより格段に高音質だろう。





↑Sunshine Of Your Love (Live At Oakland Coliseum)が公開されている。

音はかなりいい。ボーカルは二人ともセンター。
クラプトンのギターは右寄り、ジャック・ブルースのベースは左寄り
ベースもリードのような唸る演奏をしてるのでこの定位は聴きやすい
ジンジャー・ベイカーの4タム、2バスドラ、スネア、ハイハット〜ライド〜
クラッシュ・シンバルの強烈なアタック音が左右に広がり迫力満点だ。



以下が収録曲である。

DISC 1 – 1968/10/4 オークランド・コロシアム (USツアー初日)
White Room
Politician
Crossroads 
Sunshine Of Your Love 
Spoonful 
Deserted Cities Of The Heart
Passing The Time 
I'm So Glad 

*は「Live Cream Volume II(1972)」に収録。


DISC 2 – 1968/10/19 LAフォーラム
White Room 
Politician
I'm So Glad
Sitting On Top Of The World
Crossroads 
Sunshine Of Your Love 
Traintime 
Toad 
Spoonful**

*は「Goodbye Cream(1969)」に収録。
**は「Life In 12 Bars(2018)」OST盤収録。


DISC 3 – 1968/10/20 サンディエゴ・スポーツ・アリーナ(全曲未発表)

White Room 
Politician 
I'm So Glad 
Sitting On Top Of The World 
Sunshine Of Your Love 
Crossroads 
Traintime 
Toad 
Spoonful 


DISC 4 – 1968/11/26 ロンドン ロイヤル・アルバート・ホール(初CD化)

White Room 
Politician 
I'm So Glad 
Sitting On Top Of The World 
Crossroads 
Toad 
Spoonful 
Sunshine Of Your Love 
Steppin' Out 



↑このツアーでクラプトンはギブソンのファイアバードとES-335を使用。
ジャック・ブルースはギブソンEB-3、アンプは二人ともマーシャル。
ジンジャー・ベイカーはラディックのシルバースパークル2バス・セット。
(シンバルはジルジャン)



多少の違いこそあるものの、Disc1~4のソングリストはほぼ同じ。
長尺の曲の演奏の出来を聴き比べるのは、けっこう根気が要りそうだ。

それとこのツアーがクリームのインタープレイ(1)の頂点か?と問われると、
うーん、どうなんでしょうねー。



個人的には以下2枚のライヴ盤がクリームの真骨頂ではないかと思う。
いずれも1968/3/10 サンフランシスコ・ウィンターランドでの録音。
クラプトンによる解散宣言が7月10日だから、その4ヶ月前のライヴだ。





Wheels of Fire(1968 クリームの素晴らしき世界)
2枚目(2)に収録のLive at the Fillmoreからの4曲。

Crossroads 
Spoonful 
Traintime 
Toad 


Live Cream(1970)

N.S.U. 
Sleepy Time Time 
Sweet Wine 
Rollin' and Tumblin' 
Lawdy Mama *1967年のスタジオ録音。Strange Blueと演奏は同じ。(3)




Live Creamの方はデビュー・アルバムのFresh Cream収録曲でのみで、
後のヒット曲は入ってないものの、緊張感がありながらよく制御された
4人のインタープレイが堪能できる

僕はヤマハの輸入盤セールでこのLive Creamを買って聴き込んだ。
ジャケットもいい。(ジャケ写は10月の全米ツアー時のものと思われる)
N.S.U.が特に好きでバンドでもやった。(僕はベース担当だった)


Live Creamの好評でLive Cream Volume II(1972)も発売された。

Deserted Cities of the Heart 
White Room 
Politician 
Tales of Brave Ulysses** 
Sunshine of Your Love 
Steppin' Out**

*は1968/3/9 サンフランシスコ・ウィンターランドで収録。
**1968/3/10 サンフランシスコ・ウィンターランドで収録。




前半の3曲は1968/10/4日 オークランド・コロシアム・アリーナで収録。
(つまり今回のDISC 1収録と同じテイクということになる)

クリームの代表曲が網羅された美味しい内容にもかかわらず、なんかバラ
け感があるし、ボーカルもインプロビゼーションもイマイチと感じた。


Goodbye Cream(1969)収録の3曲(今回のDISC 2と同じ)は好きだ。







DISC 1~3の全米ツアー3公演をリマスターされた音で通して聴くと、
今まで抱いていた解散前のライヴの印象が変わるかもしれない。







ロイヤル・アルバート・ホール最終公演は、映像とセットでHi-Fiとは言い難い
(会場の残響音のせいか?)というマイナスイメージが残っていた。

映像自体も暗く、カメラワークが落ち着きがなかった。
当時の演出なのかズームイン・アウトを繰り返し揺らしたり、カット割りが早
すぎて演奏してる姿が楽しめない。見ていて消化不良気味になる。



↑クラプトンは1964年製チェリーレッドのギブソンES-335を使用。
それに合わせたのか?赤いウエスタンシャツがカッコよかった。
ジーンズは映像から推測すると、リーバイス517ではないかと思う。


とはいえ当時、動いてるクリームは初めてなので見入ってしまった。
解散から数年後、NHKのヤング・ミュージックショー(4)という恥ずかしい
名前の番組で放送したのだ。


合間にクラプトンのインタビューとデモ演奏が入っているのも貴重だった。
サイケデリック・ペイントを施したギブソンSGを弾いてみせながら、
音色の作り方、フレーズの使い方、ビブラートのかけ方を説明している。

高校生だった僕はそれを見て、ベンディング(チョーキング)+ビブラート
を練習したものだ。



↑クリームの1968解散コンサートの映像が観られます。

17’00”からクラプトンのインタビュー&デモ演奏(字幕入り)が入る。
服装、髪型と髭、サイケSGを弾いてることから、このインタビューだけは
解散コンサート以前に撮られたものと思われる。



今回のDISC 4のロイヤル・アルバート・ホールでの最終公演はおそらく
残響音も処理され、DISC 1~3同様クリアーな音に一新されてるはずだ。



クリームは1966年にデビューして、わずか2年で解散してしまった。
しかし卓越したテクニックを持つ3人によるミニマムなユニットで、ブルース
ロックにジャズのインタープレイを取り入れた新しいスタイルを確立

解散から50年以上経った今でもスーパーバンドとして語り草になっているし、
彼らの鬼気迫るせめぎ合いの演奏は時代を超えてすごい!と思わせる。


そういう点で、この4CDセットはクリーム最後の貴重な音源である。
クリームのコアなファンだけでなく、次世代にも聴いてもらいたいと思う。





ジンジャー・ベイカーが昨年10月6日、80歳で他界した。
この数年、肺疾患、心臓疾患など健康面で様々な問題を抱えていたそうだ。

この4CDセット発売前に亡くなったのは残念である。
聴いたら「俺たちはやっぱり凄かった!」と誇らしげに言っだろう。



クラプトンは2020年2月17日ロンドンのハマースミス・アポロで盟友ジンジャー
・ベイカーの功績を讃える一夜限りのトリビュート・コンサートを行うことを
発表した。出演するゲストは今後発表される予定だ。

収益はベイカー家と近しいレナード・チェシャー(世界中の障害者が自立した
生活を送れるように支援する健康と福祉の慈善団体)に寄付される。


せっかくなので、次回もクリーム。
クリーム結成の経緯、3人の奏法、楽器、機材、再結成について掘り下げます。
乞うご期待!


<脚注>