BS-TBSで日曜の夜に「 SONG TO SOUL」という番組を放送している。
アーティストのブレイクスルーにつながった「名曲、名アルバム」の誕生秘話
について関係者の話をもとに明らかにしていく、という内容だ。
http://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/schedule/
「輝く星座」フィフス・ディメンション、「Room 335」ラリー・カールトン
は、新事実も知ることができて面白かった。
先週は「ウォーク・ドント・ラン」ベンチャーズ。
番組でドン・ウィルソン本人が語っていた結成のいきさつが興味深かった。
中古車ディーラーに勤めていたドンは客の一人、レンガ職人のボブ・ボーグル(1)
と親しくなる。
ボブの車のリアシートにギターが積んであったのを見たドンは「君もやるのか?
じゃあ、一緒にやろうぜ!」と誘う。
最初は2人のユニットでボブがリードを弾き、ドンがリズムギターを担当した。
ベースやドラムがいないため、弦を掻き鳴らす歯切れのいいコードストローク
のバッキングをやるようになったそうだ。
二人は地元シアトルのパーティやクラブで演奏するようになる。
「Walk Don’t Run」という曲をやってみよう、ということになった。
「Walk Don’t Run」は1955年にジャズ・ギタリスト、ジョニー・スミスが作曲し
録音した曲である。(2)
↑ジョニー・スミスの「Walk Don’t Run」が聴けます。
チェット・アトキンスが2年後の1957年にカヴァーしている。
↑チェット・アトキンスの「Walk Don’t Run」が聴けます。
ドンとボブが聴いてレパートリーに加えようとしたのはチェットの演奏だ。
が、ギャロッピング・スタイルのフィンガーピッキングで、ベース音、コード音、
メロディーを同時に弾くという高度なテクニックが要求される。
ドンとボブはフラットピッキングしかできないし、チェットの演奏は難しすぎて
弾けなかった。
それでメロディーとコード、ベースのバッキングを分解し単純化。
スピード感あるロックにアレンジし直した。これがうまく行った・
彼らの「Walk Don’t Run」は好評で「今の曲は何だい?もう一回やってくれ」と
リクエストも多く、一晩に5回演奏したこともあったそうだ。
ドンの母親の資金援助を受けプライベートレーベル BlueHorizon を立ち上げ、
1960年には2枚目シングル「Walk Don’t Run」をレコーディングする。
後に加入するノーキー・エドワーズがベースを担当し、ドラマーはスキップ・
ムーアというクラブ・ミュージシャンを雇った。
「Walk Don’t Run」は地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として
使用したことから火がつき、ビルボード誌のヒットチャート第2位を記録。
大手のリバティー・レコードと契約が決まり、再発売された。
↑1960年8月TV出演時に演奏した「Walk Don’t Run」が聴けます。
ドンはストラト、ボブはジャズマスター、ノーキーはプレシジョン・ベース。
ドラムは2代目のホーウィー・ジョンソン。
後の「エレキの若大将」の横揺れのステップ、途中のターンはこのベンチャーズ
が元ネタだったんだなあ。。。。
その後リードギターがボブからノーキーに交代。
バック・オウエンスのバンドで完成されたスタイルを持っていたノーキーに任せ
た方が将来的にいい、というボブの判断だったらしい。(3)
そして3代目のドラマー、メル・テイラーを迎えて黄金時代の四人が揃う。
ベンチャーズは1964年に新バージョンの「Walk, Don't Run '64」を発表。
二度目のヒットを記録。
日本でベンチャーズがブームになったのはこの頃だったと思う。
僕は小学生だった。
ちゃんとレコードで聴いたのは中学生になってからだった。
昔の邦題は「急がば廻れ」だったっけ。
誰かが4曲入りのコンパクト盤(EP盤)(4)を持ってて聴かせてもらった記憶がある。
そう、これこれ↓
↑1966年日本公演時での新バージョンの「Walk Don’t Run」が聴けます。
ギターとベースはパールホワイトのモズライト(5)、アンプはフェンダーのツイード。
ドラムは3代目のメル・テイラー。音がぐんとダイナミックになっている。
アメリカ人はYeah!、Wow!と客席で踊るのだが、日本人は座っておとなしく聴いて
終わると拍手する、とても礼儀正しいと彼らは思ったそうだ。
番組はベンチャーズにあまり明るくない僕でも充分楽しめた。
しかし、残念な点が二つあった。
一つはこの番組が存命者のインタビューを元にしているせいか、故メル・テイラー
についてほとんど語られなかった点である。
ベンチャーズを聴いた人はダイナミックなサウンドとグルーヴ感に圧倒され、次に
ノーキーのリフのカッコよさに惚れ込むはずだ。
もう少し聴き込む、自分たちでもやってみるとワイルドなドンのリズムギターと
ボブのリードギターのようなシャープなベースが屋台骨であることに気づく。
そしてライヴ盤を聴く、生で見てメル・テイラーの正確かつ迫力あるドラミングに
唖然とするはずだ。
グレッチ製のシンプル極まりない小さなセットであのすごい音を出すなんて!
優れたバンドに鉄壁のリズム隊あり、とはよく言ったものだ。
1965年の日本公演盤のメル・テイラーの圧巻とも言えるドラミングを聴きながら、
はて、この不思議なデジャヴ感は何なんだろう?と思ったことがある。
しばらくして分かった。スティーヴ・ガッドに似ているのだ。
ガッドは自分のルーツはマーチングドラムとベンチャーズだと語っていた。
ウィル・リー、ジョン・トロペイ、デビッド・スピノザと共にベンチャーズのカヴ
ァー・アルバムを発表した(6)こともあるくらいだ。
メル・テイラーはジーン・クルーパーに心酔していたようだが、むやみにフィルイン
やソロを入れることもなく、スネア中心で4拍目でリムショットを入れる、ハイハッ
ト、ライトシンバルの連打とベンチャーズでの演奏は要所要所でセンスが光っていた。
ガッドの特徴の一つ、左手でハイハットを刻みつつ2拍、4拍を同じ左手でスネアを
叩く、その間右手はまったく別なことをやっている、という離れ技はメル・テイラー
の発展形ではないか、と僕は密かに思っている。
もう一つ、残念だった点。
新しいサウンドに飢えていた日本の若者の心をベンチャーズが動かしたという点、
ノーキーの後任でエルヴィスやモンキーズのバックで演奏し幅広い音楽性を持って
いたジェリー・マギーによる「ベンチャーズ歌謡」路線が日本での人気を不動のも
のした、という点は異論はない。
が、ベンチャーズが日本人に受け入れられたのは、もともと彼らのメロディーに
「泣き」があったからだ、という大事な点が抜けていた。
「パイプライン」「10番街の殺人」「ダイアモンドヘッド」も演歌・歌謡に通ずる
「泣き」があるのだ。
大ヒットした「ダイアモンドヘッド」のサビなんて祭囃子みたいではないか。
もともと日本人が親しみやすい要素があったのだと思う。
反対に「泣き」がないビーチボーイズは日本では受け入れられなかった。
僕だってコテコテの日本人だ。
ビーチボーイズが素敵だと思えるまでにはそうとう時間がかかったしね。
最後に、僕の「「Walk Don’t Run」」体験を振り返ってみよう。
最初は加山雄三とランチャーズの「ブラックサンド・ビーチ」(7)だった。
「Walk Don’t Run」のコード進行を逆にして作った曲だそうでカッコいい。
加山と寺内タケシはノーキーからもらったモズライトを愛用していた。
「エレキの若大将」の前半では「勝ち抜きエレキ合戦」のスポンサーであった
テスコのギターを使用しているが、後半モズライトも使用している。
↑加山雄三とランチャーズの「ブラックサンド・ビーチ」が聴けます。
次にベンチャーズの「Walk, Don't Run '64」、最初の「Walk, Don't Run」、
大人になってからチェット・アトキンス、最後にジョニー・スミスのオリジナルを
聴いた。つまり後からオリジナルへと遡って行ったわけだ。
どれが好きか?と言われると・・・うーん、それぞれいいんだよねー。
<脚注>