2022年4月14日木曜日

ベンチャーズは「10番街の殺人」が頂点と断言できる理由。

ドン・ウィルソン追悼、間が空いてしまったが3回目。

今まで何度かライブ・バンドとしてのベンチャーズの凄さを述べてきた。
スタジオ盤とは一味違う、ラウドでワイルドな音、グルーブ感、一体となった
アンサンブルの巧みさに度肝を抜かれた日本人がいかに多いことか。

それはベンチャーズがレコーディング・アーティストとしてもいい作品を出して
来た証であり、逆の見方をすればライブ・パフォーマンス力があるからこそスタ
ジオでも曲を自分たち流にアレンジして演奏できたということだ。





<初期ベンチャーズのレコーディング>

初期ベンチャーズ作品はメンバー全員がレコーディングに参加していないケースも
あったらしい。

ノーキー・エドワーズ加入後も彼が他の仕事で抜け代役(ビリー・ストレンジや
トミー・テデスコなど)が弾いてたり、メル・テイラーの代わりにハル・ブレイ
ンがドラムを叩いてたり、ドン・ウィルソンやボブ・ボーグルがいなかったり。
時には全員まるごといないというレコーディングもあった。

ツアー中にレッキング・クルー(1)がレコーディングを済ませておくのだ。
1960年代のアメリカの音楽ビジネスの分業システムにおいて、これは珍しいこと
ではなかった。


代役云々はともかく、1963年頃からベンチャーズのレコーディングは4人揃って
いても、常に何らかの形でメンバー以外の演奏、たとえばキーボードやコーラス、
パーカッションなどが加えられるようになった

それは4トラック・レコーダーなどスタジオ設備やエンジニアの技術が向上し、
レコード制作の可能性が拡がったためだろう。
4ピースのギター・バンドの「演奏の記録」だけではレコードとしての商品価値
に限界があるが、他の楽器を加えることで新しい音楽性が表現できる。





<「ベンチャーズ 宇宙に行く」で試みたスタジオでの実験>

1964年のアルバム制作では実験的な音創りが行われるようになった。

「ベンチャーズ 宇宙に行く(Ventures in Space)」はデビュー以来のプロデ
ューサー、ボブ・レイゾルフが手がけた作品である。
アメリカが宇宙開発に注力し始め、宇宙人、未知の世界、SFがブームになった
時期に制作された。

オルガン、エレピ、パーカッション、女性コーラス、SEが加えられ、ペダル
スチールをレズリーの回転スピーカーを通して出すなど工夫がされている。
全体に深いリバーブがかけられている。
(今聴くとレトロだが)近未来的な異次元の世界を表現した意欲作である。

1曲目の「アウト・オブ・リミッツ」は人気SFテレビ・シリーズ「アウター・
リミッツ」(2)のテーマ曲。
前年にマーケッツがヒットさせたヴァージョンを踏襲したと思われる。



↑クリックするとベンチャーズのアウト・オブ・リミッツが聴けます。


不穏な気分に駆り立てるイントロは、マーケッツ版ではギター、ベンチャーズ
はオルガンを使用している。
(レッキング・クルーのドキュメンタリー映画でこの曲のイントロが流れるが、
ベンチャーズではなくマーケッツの方。つまりマーケッツの方はレッキング・
クルーが演奏していたということ。上手いと思ったらやっぱり・・・)



最後も人気SFテレビ・シリーズだった「トワイライト・ゾーン(3)テーマ曲。
同じく不安感を煽るようなイントロが有名だが、ベンチャーズはギターで演奏
している。
ライブでもお馴染みの「ペネトレイション」も本作に収録されている。

このアルバムを機にベンチャーズはスタジオでの音作りに入れ込むようになる。





<「ファビュラス・ベンチャーズ」で多彩なアレンジが行われる。>

次作1964年6月リリースの「ファビュラス・ベンチャーズ」は名曲揃い
このアルバムからが5曲がシングル・カットされた。

星への旅路」はアルバム「ベンチャーズ 宇宙に行く」セッションで録音され
次シングル候補とするため収録を見合わせた自信作。
ピンと針」はジャッキー・デ・シャノン、サーチャーズでヒットした曲。
ライブの定番となる「クルーエル・シー」「逃亡者」「オンリー・ザ・ヤング
ピンク・パンサーのテーマ」と選曲から演奏まで充実している。




「ベンチャーズ 宇宙に行く」での実験的な音作りを踏まえ、ファズの使用
リードギターのオクターブや3度のハモりピックによるトレモロ奏法アコギ
オルガンコーラスを取り入れた多彩なアレンジが聴ける。
また、このアルバムからステレオ定位感がしっかりし聴きやすくなった

選曲、アレンジ、サウンド面で新任プロデューサーのディック・グラッサー
が大きく貢献している。



<強力なバンド・サウンドに帰結した「ウォーク・ドント・ラン Vol.2」>

そして満を辞して1964年10月リリースの「ウォーク・ドント・ラン Vol.2」。
タイトルでもあるデビュー曲「ウォーク・ドント・ラン」のセルフ・カヴァー、
朝日のあたる家」「ダイアモンド・ヘッド」「ラップ・シティ」などビート
の効いた曲から、「ブルー・スター」「白い渚のブルース」とバラードまで。
捨て曲なしの完成度の高さである。音は洗練されている

実験的な音創りは後退し、バンド・サウンドに徹しビシッとキメている。
外部参加ミュージシャンもキーボードくらいではないか。
ボリュームペダル、ファズ、アコギも効果的に使用されていた。





プロデューサーのディック・グラッサーは古い曲をその時代のビート、サウンド
で再現するアイデアに長けていた
そしてアレンジャーとしてクインシー・ジョーンズが参加してる点も大きい。
クインシーはR&Bとポップスのバランス感覚が優れ、そのブレンドが絶妙である。

もちろんベンチャーズのメンバーも試行錯誤しながらアイディアを出し合って
ブラシュアップして行ったのだろう。
アルバムを作るたびにアレンジには何ヵ月も時間を費やしていた」とドン・
ウィルソンは言っている。



日本では「ダイアモンド・ヘッド」がヒット。
その最中、1965年1月に来日公演が行われエレキ・ブームに火がついた。
https://b-side-medley.blogspot.com/2021/04/19652.html


1月公演を収録し日本限定で発売された「ベンチャーズ・イン・ジャパン」は
8月に発売され、50万枚という大ヒットを記録した。
当時は歌謡曲のシングル盤でさえ50万枚を超えるヒットというのは難しかった。
それが洋楽で、しかも歌なしのLPが50万枚とは異例中の異例である。



<黄金期のベンチャーズの最高傑作「ノック・ミー・アウト!」>

日本で空前のエレキ・ブームが起きている中、帰国後ベンチャーズは1965年2月、
最高傑作の誉れ高い「ノック・ミー・アウト!」をリリースする。




まずジャケットがいい。名盤はアートワークも名作と言われるがそのいい例だ。
黒バックに左から突き出したモズライトのネック。驚いた女の子の表情。

これは合成かと思っていたが、アウトテイクがあるので一発影りのようだ。
黒ホリゾントの前にスタンドでモズライト3台のネックを固定させる。
その横に女の子を立たせて一緒に撮影している。
ライティングが一様に当たらないのでベースは反射しているが、それも自然。

ジャケットのタイポグラフィーの組み方もカッコいい。
レコード店で手にしたら、これはそそられて買ってしまうだろう。





「ノック・ミー・アウト!」は黄金時代ベンチャーズの頂点と言っても過言では
ない優れたロック・インスト・アルバムとなった。

前作「ウォーク・ドント・ラン Vol.2」を踏襲し、オリジナル曲とカヴァー曲
をバランスよく配したアルバムには本当に秀逸な演奏しか収録されていない
これまでの数々のレコーディング、実験的な試み、ライブで培ったアンサンブル、
アレンジ力、そのすべてを総結集した力作なのだ。

演奏テクニックの面でもサウンドの面でも、当時のアメリカのロック・グループ
の水準を明らかに超えていた。
このアルバムの完成度が高いのは多分にプロデューサーのディック・グラッサー
とエンジニアのエディ・ブラケットの力量、センスの良さによるところが大きい。
ブランケットは1950〜1960年代インスト・サウンドの影の立役者である。




アイ・フィール・ファイン」のイントロのフィードバックはサンプリングかと
思えるくらい似てるが、ギターのリフの弾き方はビートルズとは違う。
メロディーの崩し方がベンチャーズならではだ。

他にもサーチャーズの「ラヴ・ポーションNo.9」、ゾンビーズの「シーズ・ノッ
ト・ゼア」と全米を席巻していた英国勢(ブリティッシュ・インヴェイジョン)
をカヴァーしてるのが面白い。

シュレルズ、マン・フレッド・マンでヒットした「シャ・ラ・ラ」、ロイ・オー
ビソンの「オー・プリティ・ウーマン」、ジャッキー・デシャノンの「ウォーク・
イン・ザ・ルーム」、エヴァリー・ブラザーズの「ゴーン・ゴーン・ゴーン」。
こうした曲もギター・インストにリアレンジして違った魅力を引き出している。

そしてオリジナルの楽曲も粒が揃ってる。
抑えめの「トゥモロウズ・ラヴ」はノーキーのカントリーらしい弾き方がいい。
他にも「夢のマリナー号」「ロンリー・ガール」「バード・ロッカーズ」。


極め付けは何と言っても「10番街の殺人」である。



<「10番街の殺人」が特別である理由>

「10番街の殺人」の原曲をベンチャーズと結び付けられる人は少ないだろう。
ロックとは程遠い雰囲気の曲調で、聴いたら驚くに違いない。

原曲は1936年に初演されたミュージカル「オン・ユア・トゥーズ(On Your 
Toes)」の中で演奏される、ゆったりとしたテンポの静かな曲。
ストーリーはバレー・ダンサーとギャングを主人公にしたコメディである。

作曲者のリチャード・ロジャースとニューヨーク・フィルによって演奏された。
後に映画化されている。

           

↑3'40"〜5'48"で「10番街の殺人」の原曲が聴けます。


後にアーサー・フィドラー&ボストン・ポップス・オーケストラも演奏した。


ディック・グラッサーがこの曲を持って来た時、ベンチャーズの4人はどう反応
したのだろう。唖然としてどうすればいいか見当も付かなかったのではないか。

しかしディック・グラッサーにはおそらく描いている音があったはずだ。
この曲に関してはプロのアレンジャーがスコアを書いてるのでは?と思われる。

ロック・バンドからはこういう曲の構成は生まれないのではないだろうか。
緻密に計算されつくし無駄がない。起承転結が明確。完璧なのだ。


以下のコード譜を見ていただきたい。(アサインされたコードは間違っている)



                          (コード進行さくら)


A:ディミニッシュコード(これがキャッチーだった)〜ドラム・ソロ
B:ベースとギターがDの1度と5度の音を繰り返す(キーはD)
C:ヴァース1(原曲の主旋律)
D:ヴァース2(原曲の主旋律)
E:ブリッジ(キーDからE♭に転調)
F:キーボードによる別なメロディー(最後は3度上のGから次につなげる)
G:ヴァース3(キーCに転調、低音弦でダイナミックな演奏)
H:ヴァース4(2拍3連でタメを作って、さらにこれでもかとD♭に転調)


Dで始まった曲が転調を繰り返し最後はD♭というのも珍しい展開である。
派手なエンディングに見せかけフェイドアウトして余韻を持たせる贅沢さ。
わずか2'14"の尺だが、ダイナミックに変化しいくのに驚くばかりである。


ドン・ウィルソンは「曲の展開が目まぐるしく変わっていく。セクションを
一回しするたびにキーが上がっていき、そのたびにポジションを変えてしっか
りとプレイしなくてはならない」と言っている。

そのドンのワイルドなコード・カッティングがこの曲を支えているわけだが、
小説の頭で16拍かき鳴らす♬♬ ♫ -  ♪♪のパターンである。



↑クリックするとベンチャーズの「10番街の殺人」が聴けます。



<「10番街の殺人」の楽器編成にも注目したい>

イントロからヴァースにかけベースと同じラインを弾いてるギター。
2回目の転調から地味に低音弦をミュートしたリフを繰り返すギター。
ヴァースの終わりで主メロのオクターブ下を弾いてるギター。
これらはノーキーによるオーヴァーダヴか?
外部ギタリストを呼んで一気に録ってる可能性もある。

ドンのコード・カッティングも含め、エレキギターだけで4本聴こえる
左チャンネルからはアコギのカッティングが聴こえる箇所もある。

イントロのディミニッシュ・コードに続くボブのベースによるグリッサンド
奏法も時代を先取りしている。

オルガンは2台聴こえる。
キーボードはレオン・ラッセル(彼もレッキング・クルーの一員だった)
が担当しているそうだ。

メルのドラムはオーヴァーダヴしていないと思うが。




これらの重厚な楽器編成がうまく2チャンネルに定位され、音像がクリア
で聴きやすいステレオに仕上げられている。
(メルのドラムはセンターにすべきだったと思うが)

プロデューサーのディック・グラッサーとエンジニアのエディ・ブラケット
がいい仕事をした、ということである。

尚、コレクターの方によると「ノック・ミー・アウト!」はできれば1st.
プレスのモノラル盤で聴いた方がいいそうである。 
音がぶつかり合ってゴーンと塊で出てくる方がダイナミックなのだろう。 



<レコーディング・アーティストとしての進化もあり得たかもしれない。>

「ノック・ミー・アウト!」後、「アクション」「ア・ゴー・ゴー」を発表。
プロデューサーはマーケッツやルーターズなどギター・インスト・バンドを
得意とするジョー・サラシーノに変わった。2枚ともあまり「惹き」がない。

しかしサラシーノが手がけた「クリスマス・アルバムは名盤である。
お馴染みのクリスマス・ソングをベンチャーズならではのアレンジで聴ける。




確か萩原健太氏だったと思うが、ポップスの4大クリスマス・アルバム
ベンチャーズ、ビーチボイーイズ、フィル・スペクター、エルヴィスを挙げ
ていたが同感だ。



1965年には「オン・ステージ」というアルバムも発表された。
ディック・グラッサー+エディ・ブラケットが手がけてるので音はいい。
が、残念ながらスタジオでの演奏に観客の声をかぶせた擬似ライブだった。

ベンチャーズとしては実際のライブ盤を主張したが、ドルトン・レコード側
の強い要望に押し切られたそうだ。
アメリカのレコード会社としては現場でミキサーから2トラックか3トラック
のレコーダーに録音するという一発勝負よりスタジオでコントロールでき
る方を好んだのであろう。(4)




日本での爆発的人気の影響でベンチャーズの活動はしだいに日本市場に重点
を置いたものになって行く。
恒例の全国ツアーもそうだが、歌謡曲のカヴァー、そしてベンチャーズ歌謡。

その結果アメリカでは時代遅れの音楽と見られるようになって行った。
1967年のサイケデリック、1968年のはスワンプとトレンドも取入れていたが。
1969年の「ハワイ・ファイブ・オー」がアメリカでの最後のヒットだろう。


日本で大人気となり国民的に長く愛されるバンドにならなかったら、ベンチャ
ーズは別な道を歩んでいたかもしれない。
レコーディング・アーティストとして進化して行った可能性だってある。




天国で再会したメル、ボブ、ジェリー、ノーキー、ドンは「いや、俺たちは
日本で愛されるバンドになって良かったよ」と声を揃えて言うだろうが。


<脚注>