ジョージが生前インタビューで「ラバーソウルとリボルバーは兄弟みたいな
アルバムで、どっちにどの曲が入ってるかよく憶えていない」と言っていた。
時系列ではラバーソウル→リボルバーだから記憶が曖昧なのだろう。
確かにラバーソウルでは、内省的で陰影のある歌詞と美しいメロディー、テ
ンションやクリシェを活かしたコード進行、ルート外しのベース、複雑で美
しいコーラスワーク、アコースティックギターの多用(フォークロックへの
傾倒)など、ビートルズが新しい次元に入ったことを示す要素が多い。
Norwegian Wood、Nowhere Manはディランの影響と思われる。
If I Needed Someoneはバーズのサウンドを取り入れたものだ。
J-160Eのピックアップはブリッジ側に付け変えられている。
ロセット(サウンドホールのリング)が一本であることから、ジョンの2台目
の1964年製ではなくジョージ所有の1962年製を借用していると判明。
サウンドも変化し始めた。
ポールはレコーディングにリッケンバッカー4001Sを使用するようになった。
(ステージでは軽くて動きやすいホフナー500/1を使っている)
Think For Yourselfではベースをファズ(VOX社の試作品)に通して弾いた。
リンゴはラディックのオイスターブラック・パールのセットを2台購入。
バスドラムは22×14インチに、フロアタム、タムタムも大きくなった。
スネアは14×5.5インチのジャズ・フェスティバル。
シンバルはジルジャン製かパイステ製。スタンド類はラディック製。
スネアの底面にはテープが貼られ鳴りを抑えて重くする工夫がされた。
ラバーソウルではパーカッションも多用された。
ジョージは映画「ヘルプ!」撮影中にシタールに興味を持ち、バーズのデヴ
ィッド・クロスビーの紹介でインド音楽とシタールにのめり込んで行く。
そしてNorwegian Woodで初めてシタールを弾いた。
Nowhere Manのキャッチーな間奏・オブリはヘルプ!でも使用したストラト
キャスターだが、後処理のイコライジングで高音を強調している。
ラバーソウルではコンプレッサーやイコライザーでギターやピアノの音を変
える技術が用いられた。
10月12日から11月15日の約1ヶ月間でレコーディングが行われている。
ヒット曲量産のレノン=マッカトニーもさすがに曲が足りなかったらしい。
前アルバム「ヘルプ!」セッション時に録音したWaitを引っ張り出して、オ
ーバーダブを施して体裁を整え加えている。
急場で制作されたにもかかわらず、美しい粒揃いの曲が並び、全体を通して
統一感がある(ブライアン・ウィルソン談)ため、ビートルズ初のコンセプト
・アルバムと評価されることが多い。
ラバーソウルというアルバム・タイトル(本場のブルースマンがストーンズ
を揶揄したプラスティック(まがい物の)ソウルという言葉をもじった)、
4人の歪んだ写真が使われたジャケット・カヴァー(ロバート・フリーマン
がジョンの家で撮影した写真をボール紙へ写したところ歪んで見え、メンバ
ーたちは面白がりそのまま採用した)もその評価に一役買っている。
↑ラバーソウルのジャケットに使用された写真(本来の歪みのない状態)
<Tomorrow Never Knowsから始まった革新的なロック>
1965年12月にラバー・ソウルをリリースした後、1966年1月から3ヶ月4人
は休暇をとり(1)それぞれ自由に新しい音楽の探求をしていた。
ポールは前衛芸術と前衛音楽に刺激を受け、創作意欲を掻き立てる。
ジョージはシタールの弾き方を学び、インドの神秘主義を学び出す。
ジョンとジョージはLSD服用による幻覚症状を体験。(2)
リボルバーの制作に大きく影響している。
ジョンは「ラバーソウルはマリファナをやりながら作った。リボルバーはLSD
体験が大きい」とインタビューで答えている。
スタジオに入る数週間前に「一つ言えるのは次のアルバムが今までとかなり
違ったものになるということ」とジョンは語っていた。
世界中に、そして彼ら自身にも影響を与え次の大作、サージェント・ペパーズ
への布石となる革命的なアルバムを生む確信を持っていたのだろう。
ビートルズのアルバム・セッション(アルバムに入れずシングで発売する
2曲も含む)はジョンの曲からスタートするのが慣例だった。(3)
アルバムの景色はそこから見えてくる。
セッションの初日、ビートルズはTomorrow Never Knowsに取り組んだ。
ジョンが8世紀の仏教と幻覚剤についての書(4)に影響を受け書いた曲だ。
曲のタイトルはリンゴが何気なく呟いた一言に由来している。(5)
(レコーディング時は「Mark I」と記されていた)
「リンゴの言い回しを拝借し、重い哲学的な詩を書いた」とジョンは言う。
チベット仏教の儀式の雰囲気を取り入れたいと考えたジョンは、マーティンに
「数千人もの僧侶がヒマラヤ山の頂上で経典と唱えているような感じにしたい
」と伝えている。
ジョンは「天井から自分を吊し周りながら歌う」ことも提案。
それは不可能だったが、代わりにジェフ・エメリックの妙案でジョンが望む効
果は得られた。(後述)
ジョンは逆さになってを歌っている。
音響的効果があったかは疑問だが、本人は高揚感が得られたのかも(笑)
テイク1で「今までのビートルズではない」ことがよく分かる。
Cのコードを鳴らした音を逆回転させたループを延々と繰り返す。
それに合わせ同じ音を繰り返すベース、単純なビートを刻む重いバスドラム
とシンバル、インド音階の単調なメロディーの反復(メロトロンか?)。
そしてお経を読むようなジョンのヴォーカルが乗る。
逆回転という発想はジョンのメカ音痴の産物である。
オープンリール・テープが終わったことに気づかず、そのまま逆回転で再生
したことで、ジョンは思いがけない効果を発見したのだ。
この時点で既にライブ演奏で再現することを全く考慮していない。
当然だがヒットチャートを狙うことも意識していない。
スタジオで様々な実験を行うことで、誰もなし得なかった、想像もつかない
新しい音楽を探求していたことが伝わる。
音響的効果があったかは疑問だが、本人は高揚感が得られたのかも(笑)
テイク1で「今までのビートルズではない」ことがよく分かる。
Cのコードを鳴らした音を逆回転させたループを延々と繰り返す。
それに合わせ同じ音を繰り返すベース、単純なビートを刻む重いバスドラム
とシンバル、インド音階の単調なメロディーの反復(メロトロンか?)。
そしてお経を読むようなジョンのヴォーカルが乗る。
逆回転という発想はジョンのメカ音痴の産物である。
オープンリール・テープが終わったことに気づかず、そのまま逆回転で再生
したことで、ジョンは思いがけない効果を発見したのだ。
この時点で既にライブ演奏で再現することを全く考慮していない。
当然だがヒットチャートを狙うことも意識していない。
スタジオで様々な実験を行うことで、誰もなし得なかった、想像もつかない
新しい音楽を探求していたことが伝わる。
テンポを早くしたテイク3が採用された。
イントロから全編にわたりタンブーラが響きドローン効果が続く。
コードはずっとCだがSEのオーケストラでB♭も入る。(ベースはCを維持)
轟くようなドラム(コンプレッサーで圧縮した)とベースはミニマムな演奏。
無数に乱舞する摩訶不思議な音は30本のテープループをコラージュしたSE。(6)
ほとんどはポールが自宅で作った(前衛音楽の影響)もの。
現在は当たり前のサンプリングを手作業でやっていたのだから驚きだ。
間奏には逆回転させたジョージのギター・ソロが入る。(7)
ジョージのシタール、ジョンのレズリー・スピーカーを通したボーカル(後述
)をオーバーダブして完成した。
ジョージのシタール、ジョンのレズリー・スピーカーを通したボーカル(後述
)をオーバーダブして完成した。
↑ポールは完成したTomorrow Never Knowsを周囲に聴かせ反応を見た。
ストーンズは興味を示したが、ディランは「やめてくれ」と言ったらしい。
写真をクリックするとTomorrow Never Knows 2022 Mixが聴けます。
こうした異次元的な音楽を発表したということ自体、挑戦である。
Tomorrow Never Knows、そしてリボルバーというアルバムはアシッド・
ロック(サイケデリック・ロック)の先駆けと言っていいと思う。(8)
<ジェフ・エメリックがスタジオで起こした奇跡の数々>
リボルバーが革新的なアルバムになったのは、このセッションからチーフ・
・エンジニアに就任したジェフ・エメリックの貢献度が大きい。
エメリックはEMIのアシスタント・エンジニアとして働いていた。
ポールが気軽に声をかけてくれ、いろいろな話をする仲になったという。
そのエメリックに思いがけないチャンスが巡ってきた。
<ジェフ・エメリックがスタジオで起こした奇跡の数々>
リボルバーが革新的なアルバムになったのは、このセッションからチーフ・
・エンジニアに就任したジェフ・エメリックの貢献度が大きい。
エメリックはEMIのアシスタント・エンジニアとして働いていた。
ポールが気軽に声をかけてくれ、いろいろな話をする仲になったという。
そのエメリックに思いがけないチャンスが巡ってきた。
それまでビートルズのレコーディングにおいて、ジョージ・マーティンの下で
チーフ・エンジニアを担当していたノーマン・スミスがプロデューサーに昇格。
別なアーティストを任せられることになった。
それはビートルズのレコーディング作業から外れるということを意味する。
後任のミキシング・エンジニアを選ぶにあたって、ポールはマーティンにジェ
フ・エメリックが適任だと進言した。
エメリックとの会話から、彼の可能性を見出していたのだろう。
エメリックはノーマン・スミスの助手としてレコーディング・テクニックの
基本を徹底的を学び、マーティンとの相性もよかった。
ポールの意向どおり、エメリックはビートルズのチーフ・エンジニアとして、
ジョージ・マーティンの下で働くことになる。
この時エメリックは弱冠19歳。プレッシャーは相当大きかったはずだ。
リボルバー・セッションの初日スタジオにエメリックが入ると、ジョージは
わざと聞こえるように「ノーマンはどこ?」と言った。
ジョンとリンゴもエメリックを無視した。もちろんポールは歓迎してくれたが。
ビートルズのレコーディングはクローズドであり、気心知れた信頼できるスタ
ッフしかスタジオに入れない主義である。
ポール以外の3人のエメリックへの態度は拒絶からすぐ称賛と信頼に変わった。
前述のTomorrow Never Knowsにおけるジョンの「数千人もの僧侶がヒマラヤ
山の頂上で経典と唱えているような感じ」という抽象的な要求に対し、エメリ
ックは画期的な方法を発案しジョンを喜ばせた。
ハモンドオルガン用のレズリー回転スピーカーからジョンのボーカルを流し、
それをマイクで拾う、という方法だ。
レズリーを通すとエフェクターのコーラス、フランジャーのようなドップラー
効果(当時はそんなエフェクターはなかった)が得られる。(9)
Tomorrow Never Knowsではボーカル以外のバッキング・トラックもレスリー
・スピーカーへ送り、ワン・コードでミニマム・ノートの曲に対して斬新な
アプローチを試みている。
さらにエンジニアのケン・スコットのと共に、テイクを2度重ねしなくてもダブ
・スピーカーへ送り、ワン・コードでミニマム・ノートの曲に対して斬新な
アプローチを試みている。
さらにエンジニアのケン・スコットのと共に、テイクを2度重ねしなくてもダブ
ルトラッキング(2重録音)効果を作り出すADT(Artificial Double Tracking)
という方法を考案。(10)
ボーカルを2度重ねするのが苦手だったジョンはこれにも喜んだ。
ボーカルを2度重ねするのが苦手だったジョンはこれにも喜んだ。
↑エンジニアのケン・スコット
「モータウンレコードみたいな迫力のある太いベース音にしたい」というポ
ールの要求に対しては、アンプ集音マイクの代わりにウーファーを代用。
Taxman、Paperback Writer、Rainのブンブン唸るベースがその成果だ。
ギターをコンソールに直接つなぎ録音するダイレクトボックスの開発もエメ
リックとケン・スコットの功績の一つ。
ギターはコンプレッサーで圧縮されイコライジングもされてる。
↑クリックするとTaxman 2022 MixのPVが視聴できます。
リンゴのドラムの音もこのアルバムからクリアーでラウドな音になった。
マイクはドラムセット全体の収音用のオーバーヘッドの他に、ハイハット&
スネア用、フロアタム用、バスドラム用、と4本のマイクを使用したと思わ
れる。(2022リミックスを聴くとそれぞれ別に定位されている)
初期はトップのみ、ラバーソウルでやっとトップとキックの2本だった。(11)
バスドラムには音を重くするためのセーター(12)が詰め込まれ、収音用マイク
バスドラムには音を重くするためのセーター(12)が詰め込まれ、収音用マイク
はオンマイクで(録りたい音にできるだけ近づけ)セット。
フェアチャイルド660コンプレッサー/リミッターで処理した。
Taxmanではアタック成分を強調したドラムが聴ける。
フェアチャイルド660コンプレッサー/リミッターで処理した。
Taxmanではアタック成分を強調したドラムが聴ける。
Got To Get You Into My Lifeでもブラス・セクションをオン・マイクで収録
し、迫力のあるサウンドに仕立てた。
エメリックはテープ速度を落とすと特定の楽器のニュアンスが良くなり、音
の深みも増すこと、ドローン効果が得られることに気づいた。
Rainは速度を上げて録音。マスタリング時にノーマルに戻している。
↑写真をクリックするとRain Take 5 速度を落とす前の音が聴けます。
I'm Only Sleeping、She Said She Saidはバッキング・トラックをテープ
速度を上げて録音したものを再生時にノーマルに戻す。
結果テンポがゆっくりでキーが下がる。ボーカルやコーラスをオーバーダブ。
ジョンが望んだレイドバック感、トリップ感を表現した。
イエローサブマリンも同じ手法で録音され、波間を漂うようなゆったりと
リラックスした味わいを醸し出している。
ポールはアメリカで購入したと思われるLP(R&Bだろうか)を抱えている。
EMIのスタジオでは厳格なルールがあり、機材の保護のためオフマイク(収音
するアンプや楽器から離してマイクをセットする)(13)、コンソールへの入力
音量の制限など、厳しい規定があった。
機材もEMI製、あるいはEMIがテストし承認したものしか使えない。(14)
EMIのスタジオでは厳格なルールがあり、機材の保護のためオフマイク(収音
するアンプや楽器から離してマイクをセットする)(13)、コンソールへの入力
音量の制限など、厳しい規定があった。
機材もEMI製、あるいはEMIがテストし承認したものしか使えない。(14)
レコーディングも1日5時間以内と規定があった。
もちろんビートルズは例外で、いつでも好きなだけ優先的にスタジオを使えた。
EMIはビートルズのレコーディングでは通常より2〜2.5dB音量を下げていた。
クラシックの名門EMIはそれまで大量にレコードをプレスするような経験がなく
、音飛びを防ぐためにそうせざるを得なかったらしい。
またシングル盤は50Hz以下の低音はカットするよう指示されていた。
またシングル盤は50Hz以下の低音はカットするよう指示されていた。
(アメリカのレコードに比べて迫力不足なのは当然。4人は不満を抱いていた)
当時のEMIは上層部がロックのレコード作りに対する認識が薄く、旧態然と
した制約が多すぎ、設備的にも技術的にも限界があったのだ。
そのためビートルズが出すサウンドを拾い切れていなかった。
裏返せば、既にビートルズはスタジオのレコーディング・テクニックを上回る
サウンドを出していた、ということになる。
ヴェートーベンだけでなくEMIのスタジオまでぶっ飛ばしていたわけだ(笑)
ジェフ・エメリックは既成概念にとらわれなかった。
EMIの厳格ルールを次々と破ることで、ビートルズの貪欲なまでのサウンド
へのこだわり、4人の突拍子もないアイディアを現実化する。
それによりビートルズは実験的でより野心的な音楽を創り出した。
ビートルズ、マーティン、エメリックの飽くなき探究心が、革新的な(しかも
時代を超越して愛される)傑作を誕生させたのである。
ピンクフロイドがデビュー・アルバムのレコーディングのためアビイロード
・スタジオを訪れた時、今まで聴いたことがない洗練された音が第2スタジオ
から流れてきたという。
ちょうどビートルズがリボルバーをレコーディングしていたのだ。
さて、今回も長くなってしまいました m(_ _)m
続きは次回。
<脚注>もたっぷりありますよー↓
ヴェートーベンだけでなくEMIのスタジオまでぶっ飛ばしていたわけだ(笑)
ジェフ・エメリックは既成概念にとらわれなかった。
EMIの厳格ルールを次々と破ることで、ビートルズの貪欲なまでのサウンド
へのこだわり、4人の突拍子もないアイディアを現実化する。
それによりビートルズは実験的でより野心的な音楽を創り出した。
ビートルズ、マーティン、エメリックの飽くなき探究心が、革新的な(しかも
時代を超越して愛される)傑作を誕生させたのである。
ピンクフロイドがデビュー・アルバムのレコーディングのためアビイロード
・スタジオを訪れた時、今まで聴いたことがない洗練された音が第2スタジオ
から流れてきたという。
ちょうどビートルズがリボルバーをレコーディングしていたのだ。
さて、今回も長くなってしまいました m(_ _)m
続きは次回。
<脚注>もたっぷりありますよー↓