ジョージ・マーティン卿が生前に「生存する最も偉大な音楽家は?」という質問
に「ブライアン・ウィルソン」と答えている。
ポール・マッカートニーじゃないのがちょっと意外だった。
ブライアンの天才たる所以は、美しいメロディ、コード、曲構成による斬新な
ソングライティング力に加え、バンドの枠組みを超えたオーケストレーション、
ハーモニー構築、サウンドプロダクションまで完璧である点だろう。
もちろんジョン、ポール、ジョージも美しい3声のコーラスを聴かせてくれる。
だがBecauseのような複雑なハーモニーはマーティン卿に頼った。
彼らはピッコロ・トランペットを間奏に、イングリッシュホルンを使いたいと
ユニークなアイディアを出すが、スコアはマーティン卿に委ねていた。
↑ブライアン・ウィルソンとジョージ・マーティン
ビートルズのプロダクションが強力なチームで民主制であったのに対し、ビーチ
ボーイズの曲はブライアンの頭の中で完璧に構築され、彼が全てを掌握していた。
バート・バカラックやリチャード・カーペンターと並ぶ偉大なアメリカの音楽家
であったことは間違いない。
ビーチボーイズの中心メンバーで、カリフォルニア・サウンドを象徴する楽曲を
数多く生み出したブライアン・ウィルソンが死去した。享年82歳。死因は不明。
Love And Mercy(愛と慈悲を) 心より御冥福をお祈りいたします。
ブライアンは長年にわたり精神疾患やアルコール中毒、薬物依存と闘ってきた。
昨年、メリンダ夫人が亡くなってから支離滅裂なことを言い出したという。
認知症に似た神経認知障害を患っていることが明らかになり、家族が後見制度
の申請を行ったそうだ。
ブライアンは1961年、弟のカールとデニス(1)、いとこのマイク・ラヴ、同級生の
アル・ジャーディンとペンドルトンズを結成。
バンド名はペンドルトン社のチェック柄シャツが西海岸で流行っていて(2)彼ら
もお気に入りだったことに由来。
キャピトルと契約した際、ビーチボーイズと改名した。
↑彼らが着たペンドルトンのシャツはビーチボーイズ・モデルとして今も人気だ。
ビーチボーイズは西海岸の明るく開放的なイメージを曲にしヒットを連発した。
歌われているの題材はサーフィン、海、太陽、女の子、ホットロッド(車)。
Surfin' U.S.A.、Fun, Fun, Fun、I Get Around、California Girlsなど。
村上春樹の小説タイトルにもなったDance, Dance, Danceもそうだ。
↓The Beach Boys - Dance, Dance, Dance (2003 Stereo Mix)
(1'14"〜ヴァースの途中なのに強引に転調する絶妙さ。カッコいい!)
↓The Beach Boys "I Get Around" on The Ed Sullivan Show
どの曲もコーラスワークが絶妙で、ブライアンのファルセットが冴える。
4声の複雑なハーモニーは、ブライアンの頭の中に緻密で組み立てられた。
以前、山下達郎氏が「ビーチボーイズのハーモニーの肝は低音のパート」と
いうようなことを話していた。
素人には一番低いメロディーラインも真ん中のパートも音が拾いにくい。
それらが独立したメロディーとして自在に動きながらも、曲の屋台骨として
支えているから、一番上のファルセットがキラキラが輝くのだろう。
個人的にはスロー~ミディアムテンポの曲で聴ける美しく重厚なコーラスと静謐
なメロディに特に惹かれた。
ロネッツのBe My BabyにインスパイアされたというDon't Worry Baby。
Surfer Girl、Girls on the Beach、In My Room、Please Let Me Wonder、
I'm So Young。Kiss Me, Baby、And Your Dream Comes Trueなど。
↓The Beach Boys- Girls On the Beach (Stereo)
(一時転調を繰り返し、ヴァース半ば1'35"で一気に転調する荒技に脱帽)
↓The Beach Boys- In My Room (Live 1964)
ビートルズを筆頭に英国勢が全米ヒットチャートを席巻していた1960年代中頃。
彼らに対抗できたのはモータウン系以外では、ビーチボーイズとディランくらい
だったのではないか。
ブライアンの作曲家、アレンジャー、サウンドメイカー、プロデューサーとして
の才能ははどんどん進化して行った。
敬愛するフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド(3)を取り入れる。
完璧主義のブライアンはレッキング・クルー(4)と呼ばれるスタジオ・ミュージ
シャン集団に演奏を委ね、スタジオ作業に専念するようになる。
バンドのツアーには参加しなくなった。(5)
ビートルズの「ラバーソウル」(6)に感銘を受けたブライアンは、より質の高いア
ルバムを作ろう、ビーチボーイズの音楽を新しい境地へと導こう、と決意する。
作詞家のトニー・アッシャーとブライアンは内省的で、孤独感や切なさを滲ませ
た、そしてひたすら美しい曲を作った。
ブライアンは綿密なアレンジを練って、それらの曲をさらに美しく彩った。
しかしレコード会社もファンも、そして他のメンバーたちも困惑した。
新作にはカリフォルニアの太陽もビーチも素敵な女の子もホットロッドもない。
みんなが期待している「ビーチボーイズの世界観」ではなかったからだ。
「こんな音楽、誰が聴く?ペットにでも聴かせるのか?」と言うマイク・ラヴ
の皮肉からアルバム・タイトルは「ペット・サウンズ」と命名された。
「ペット・サウンズ」がセールス面で振るわず評価も得られなかったこともあり、
ブライアンは重度の精神障害に陥ってしまう。
しかし「ペット・サウンズ」は英国では2位を獲得し、高い評価を得た。
NME誌の人気投票でビーチボーイズは、ビートルズをおさえて1位となる。
ポール・マッカートニーは「ペット・サウンズ」は特別なアルバムと言い、
収録曲の「God Only Knows」(7)を「史上最高の曲」と称賛している。
The Beach Boys - God Only Knows (Remastered 1999)
「ペット・サウンズ」はビートルズの実験精神を後押しし、「サージェント・
ペパーズ」を産むことになる。
ポールとブライアンは同い年で、2人とも優れたメロディーメーカーであった。
またバンド内でベーシストであり、ロックの楽曲におけるベースラインを新しい
次元にまで高めた、という点でも共通している。
「ラバーソウル」でも「ペットサウンズ」でもベースのルート外し(8)が聴ける。
リズム楽器にとどまらず、カウンターメロディを奏でる楽器に昇華させている。
↑ブライアンはデビュー時はサンバースト、後にホワイトのフェンダー・プレシジ
ョンベースを使用。親指で弾きマイルドな音を出していた。
もっともポールが優れたプレイヤーとして現役であり続けたのに対し、ブライアン
自身はテクニックがあるわけではなく、彼自身も演奏にこだわっていなかった。
そのため考えたベースラインを、レッキングクルーの女性ベーシスト、キャロル・
ケイ(9)に弾かせていた。
ブライアンは作詞家ヴァン・ダイク・パークスと共にポピュラー音楽のあり方を
一新しようと、精緻に構成された音楽組曲「スマイル」の制作に取り組む。
が、精神的な問題、薬物依存もありセッションは次第に頓挫し、迷路に嵌る。
加えて、バンド内の不和、レコード会社からの重圧、などブライアンの神経は
破綻し「スマイル」は「幻の名盤」となった。(10)
先行シングルGood Vibrationsだけが発売された。
変化する曲構成、テルミンの使用など実験的ではあるが、ビーチボーイズらしい
キャッチーな曲でヒットした。
Good Vibrations (2021 Stereo Mix)
↓Good Vibrationsのレコーディング風景が見れます。これはレア!
Good Vibrations the Lost Studio Footage
「スマイル」制作中のブライアンをポールが表敬訪問している。
「新譜を出すなら急いだほうがいい。もうすぐ僕らがすごいのを出すから」
とポールはブライアンに言ったそうだ。(11)
その「すごいの」とは「サージェント・ペパーズ」のことだった。
「サージェント・ペパーズ」を聴いたブライアンは「敵わない」とショックを
受ける。彼の精神状態はまずます悪化して行った。
その後のブライアンは廃人状態で、薬物中毒、アルコール依存がひどくなる。
体調のいい時にバスローブ姿で階下のスタジオに現れ参加する、などビーチ
ボーイズでの楽曲制作、レコーディングへの関与は限定的となって行く。
精神科医の治療を受けたブライアンは1980年代末からソロ活動を開始する。
映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」は1960年〜1980年代のブラ
イアンを描いた伝記映画(2014年)である。(12) 一見の価値あり。
ブライアンの完全復活は1998年発表のアルバム「イマジネーション」からだ。
1999年には初のソロ来日公演を果たす。
あのブライアンが本当に飛行機に乗ってやって来れるんだろうか?と半信半疑
だったが、元気な姿を見せ自身のバンドでビーチボーイズ以上にビーチボーイズ
なサウンドを聴かせてくれた。
かつて美しいファルセットだった声はつぶれ、音程も不安定だったが、ファン
は誰も気にしなかったと思う。
僕の後ろの席には、ブライアンが再婚したメリンダ夫人が座っていた。
ブライアンの復活は彼女の力が大きかったようだ。
2002年は名盤「ペット・サウンズ」全曲再現ツアーを敢行。再来日した。
2004年には幻の名盤「スマイル」をブライアンが新たに録音し、ソロ作品として
完成させた。(13)
その翌年2005年には3度目の来日で、全曲を日本のファンに披露した。
これが「スマイル」の全貌だったのかという感動と、1967年に発表してたらロッ
クの歴史は違っていたかも?実に惜しい・・・という思いだった。
Brian Wilson - Surf's Up
ブライアンとポールの友情物語は続いていた。
ポールはインスタグラムでブライアン・ウィルソン追悼の意を表明している。
「ブライアンには曲を痛ましいくらい特別なものにする、神秘的で天才的な
音楽センスがありました。(中略)
ブライアン・ウィルソンを失い私たちがどうやっていくのか。
「God Only Knows」(神のみぞ知る)です。
ありがとう、ブライアン。ポール」。
<脚注>