同社から独立したビクター音楽産業株式会社の一周年記念の特別企画の一貫(1)
で「新しい発想のレコードを」ということで採用された。
森進一が拓郎の曲をカバーしたのではなく、森進一のために書かれた曲である。
ディレクターの高橋卓士の提案だが、拓郎が以前「森さんのような人に書いて
みたい」と発言していたことがきっかけらしい。
ビクター上層部や渡辺プロダクション側からは「フォークのイメージは森に似
合わない」「字余りの曲は森向きでない」と不評で当初はB面扱いだった。
しかし3番の歌詞に感動した森が反対を押し切ってA面に変更させた。
「襟裳岬」は元は「焚火1」という北海道の昆布採りの女を描いた詩だった。
高橋ディレクターが発売前の岡本おさみの詩集から選び、これを曲にして欲し
いと岡本に申し出た。
焚火Ⅰ
北の街では もう 悲しみを 暖炉で 燃やしはじめているらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうちに 老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を ひろい集めて 暖めあおう
君は二杯目だね コーヒーカップに 角砂糖ひとつ
捨ててきてしまった わずらわしさを くるくるかきまわして
通りすぎた夏の匂い 想い出して 恥ずかしいね
いつもテレビは、ね! あまりにも他愛なくて かえっておかしいね
いじけることだけが 生きることだと 飼いならしすぎたので
身構えなければ なにもできないなんて 臆病だね
寒い友だちが来たよ
えんりょはいらないから 暖まってゆきなよ
曲をつけてみた拓郎が電話で「いくつかことばを変えたい」と岡本に申し出る。
「二杯目だね」を「二杯目だよね」に、「角砂糖ひとつ」を「角砂糖ひとつ
だったね」に、「恥ずかしいね」を「懐かしいね」に。
最後の「寒い友だちが来たよ」は「寒い友だちが訪ねて来たよ」に変更。
「いつもテレビは〜」の一節は「日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう」に、「身構えなければ」の一節は「身構えながら話す
なんて ああ 臆病なんだよね」に拓郎の提案で改められた。
拓郎から「タイトルの焚火がちょっと弱い」という話も出た。
そこで同じく昆布採りの女を描いた「襟裳岬」という詩からの一節「襟裳の
秋はなにもない秋です」を持ってきてタイトルも「襟裳岬」に変更された。
襟裳岬
こうして鈍行列車に揺られながら したためた短い便りは
電話の鳴り続ける忙しいきみの机に 名も知らぬ配達夫が届けるだろう
都会のなすがままになっているきみは 素直さをすりへらし
わずかなやさしさを守るのに精一杯で 人に分け与える余裕がない
襟裳の秋はなにもない秋です 昆布を採る人の姿さえも
そうしてほんのひととき きみはわずらわしさを忘れ
襟裳の民宿で汚れたシャツを洗うぼくを想い浮かべ
そのたどたどしい手つきに ふと 微笑むかもしれない
「秋」が「春」になったのはその方が響きがいいからだろう。(2)
岡本おさみも柔軟であり、自分の立ち位置は詩人ではなく作曲家と組んでこそ
の作詞家であると自覚していたようだ。
彼自身、活字よりも歌に強く影響を受けていて、歌を好むのはビートルズを
聴いたからだ、とも語っている。
↑写真をクリックすると吉田拓郎ヴァージョンの「襟裳岬」が聴けます。
吉田拓郎のデモテープはあっさりとしたフォークのテイストで、同年12月に
アルバム「今はまだ人生を語らず」でセルフカバーしたヴァージョンに近かった
らしい。
それを編曲家の馬飼野俊一(3)がテンポを落とし、コッテリとこぶしの効いた
みごとな歌い上げ系演歌にアレンジした。(4)
森進一の「襟裳岬」は100万枚を超えるヒットとなり、1974年の日本レコード
大賞と日本歌謡大賞をダブルで受賞。
同年のNHK紅白歌合戦で森進一は初めての大トリをこの曲で飾った。
「襟裳岬」の成功は歌謡曲・演歌と和製フォークの融合の先駆けとなった。
<参考資料:Wikipedia、「ビートルズが教えてくれた」岡本おさみ>
(1)日本ビクター創立五十周年特別企画
ビクターの看板歌手十人であった森進一、フランク永井、松尾和子、三浦洸一、
鶴田浩二、青江三奈、橋幸夫らの新曲シングル盤を1974年1月に一挙発売する
という企画。
(2)「襟裳の春は何もない春です」
「何もない秋」より「何もない春」の方が含みがあってよかったのではないか。
えりも町では反感を持つ人も多く渡辺プロや岡本宅への抗議の電話もあった。
(3)馬飼野俊一
編曲家。アグネス・チャン、あべ静江、天地真理、内山田洋とクール・ファイブ
北原ミレイ、ジローズ、チェリッシュ、野口五郎、細川たかし、和田アキ子など
演歌からフォーク系まで編曲を手がける。
チェリッシュ、野口五郎には楽曲も提供している。
(4)「襟裳岬」の演歌アレンジ
吉田拓郎はデモテープを渡した後はタッチしていなかったそうで「レコードを
もらって聴いた時ひっくり返った」と語っている。
森進一の「襟裳岬」のB面の「世捨人唄」(岡本おさみ・吉田拓郎)も同じく
拓郎ヴァージョンはあっさりフォーク調、森進一ヴァージョンはスローテンポの
歌い上げ系演歌にアレンジされている。
フリーライター藍野裕之氏が、ビクターの担当ディレクター高橋隆(×卓士)氏に直接取材*をした際に、「タイトルの焚火がちょっと弱い」と感じたのは高橋氏であり、岡本さんに提案をして同意を得た上で「襟裳岬」に変更したとの証言があり、末尾の詩を加えた詩を拓郎の元に届けたとも話している。つまり、この変更に関しては拓郎は関与していないことを裏付ける証言がある。
返信削除「*襟裳岬には何もないか?〜藍野裕之 月刊「遊歩人」No.40_2005.8月号(文源庫)
「秋」が「春」になったのはその方が響きがいいからだろう_という話は、勝手な推測に過ぎず、岡本氏自身が「襟裳岬」というエッセイで述べている一節、詩に込めたのは、_またやってくるが、何も変わらない春_つまり意味としての「春」を重視したためであって、音の響きという曖昧な根拠ではなく、意味を重視した結果言葉を置き換えたのだと考えるべきだろう。
>匿名さん
削除コメントをありがとうございます。
以前の投稿だったため気づかなくて、返信が遅くなってしまいました。
すみません。
そうですか。
タイトル変更は高橋ディレクターなんですね。
「秋」が「春」になったのも音の響きではないのですか。
岡本おさみ氏自身が昆布採りの女を描いた「襟裳岬」を曲に仕上げる
段階で改稿した、ということになるわけですか。