2016年5月28日土曜日

骨太の音楽職人集団 Stuff のグルーヴ感。

昔(1977〜1978年頃だったと思う)NHK FMで「軽音楽をあなたに」という番組(1)
を放送していて、オープニングで流れる曲がスタッフ(Stuff)の「My Sweetness
(邦題:いとしの貴方)」だった。

まだフュージョンという言葉がなく、クロスオーバーと呼ばれる音楽が注目され始め
た頃で「ソフト&メロウ」がキーワードだった。


フェンダー・ローズの流れるようなころころした美しい響きで始まり、インテンポ後
に軽快なコードカッティングのギターが入る。Bメロからファンキーなビートに。
そしてまたゆったり。。。この曲でスタッフを知った人も多いと思う。



↑写真をクリックすると「My Sweetness」が聴けます。


スタッフはアメリカ本国ではあまり認知度が高くないわりに、日本では早くからファ
ンが多く1977年から1981年にかけて4回来日している。

僕は2回目の来日時(1978年)に新宿厚生年金会館で初めてスタッフを見た。
別な日の郵便貯金ホールでの録音が「Live Stuff」として後日で発売されている。(2)



レコードで聴いてるのと実際に生で体験したスタッフの演奏はだいぶ違った。
当初のお目当はエリック・ゲイルのギターだったが、ライブで圧倒され目が釘付けに
なったのはドラムのスティーヴ・ガッドの超絶テクニックだった。


ドラマーが8ビートを刻む際、右手でハイハットを叩きながらクロスした左手でスネア
を叩くのが定石であるが、驚いたことにガッドはその両方を左手だけでやってるのだ。
右手は右手で別な生き物のように自由にタム、バスタム、シンバルを行き来している。
無駄のない完成された一連の動きは「美しい」とさえ感じた。

ガッドはヤマハのドラムセット(シンバルはジルジャン)と特注の細めの黒いスティッ
クを愛用していたが、彼が演奏した後のスネアのヘッドには中心に黒い点が残っている
だけだった、という逸話がある。
つまり常にスネアのど真ん中を正確に叩いているわけだ。






スタッフはツイン・ドラム編成であった。
残念ながら僕が見に行った1978年のライブではもう一人のドラマー、クリス・パーカー
は病気のため不参加だった。

1980年の3回目の来日の際、中野サンプラザで再びスタッフを見た。
会場の入り口には「クリス・パーカーが正式に脱退しました」と書かれていた。
他のメンバーも以前のような一体感がなく(特にエリック・ゲイルとゴードン・エドワ
ーズが険悪な仲になっていたようだ)演奏も前回のようなノリがなかった。


石川ひとみのバックを務めていたセッション・ドラマーに「一番好きなドラマーは?」
と尋ねたことがあるが、「クリス・パーカー」という答えが返って来た。
彼に言わせると、クリスは唯一無比のすばらしいドラマーらしい。

レコードで聴いてるとよく分からないがガッドとは違ったタイプのドラマーのようだ。
ツイン・ドラムのスタッフはライブでだとかなり迫力があったことだろう。
しかしガッドだけでも充分すごかった。






スタッフは日本ではクロスオーバー(後のフュージョン)のジャンルと思われているが
、どちらかと言うとファンキーなグルーヴ感、うねりが売りのバンドだと思う。

曲も誰かが作って来たというよりセッションの成り行きで固まった結果という印象だ。
そういえばガッド以外は譜面が読めないと音楽雑誌に書いてあった。



ガッドが叩き出す力強いビート。
ゴードン・エドワーズのどっしりとした味わい深くグルーヴ感があるベース。(3)

リチャード・ティーのR&B色の強いピアノは独特で聴けばすぐこの人だと分かる。
彼のハモンド・オルガンはゴスペルを感じ、フェンダー・ローズはやさしく響く。


二人のギタリストの絡みも絶妙だった。
ギブソンL-5で粘りのあるフレーズを執拗に繰り返すエリック・ゲイル。
それとは対照的に、ハムバッキング・ピックアップに改造したテレキャスターで
ファンキーなリズムとリフを弾くコーネル・デュプリー。






スタッフはスタジオ・ミュージシャンの集まりであった。
独特の味わいのあるグルーヴ感はこのメンバーじゃなければ生まれなかっただろう。



二人のドラマー、スティーヴ・ガッドとクリス・パーカーはジャズ畑の出身である。

ガッドは少年時代にマーチングバンドでスネアドラムを叩いていた。
そのせいか彼のスティックさばき、特にロールは高速かつ正確で力強い。


ガッドのもう一つのルーツは意外に思えるかもしれないがベンチャーズである。
彼のドラミングからはその片鱗を感じないが、ベンチャーズの1965年の日本公演での
メル・テイラーの鉄壁のドラムを聴くと「あれ?スティーヴ・ガッドみたい」と妙な
デジャヴ感を味わうのだ。

ガッドがジャズ畑ながら8ビートも16ビートも得意とするのはこのためだろう。
さらにハイハットの32ビート、パラディドル、ダブルストローク。何でもありなのだ。





後のメンバーはR&Bやソウル寄りの黒っぽい音を出すミュージシャンである。
当時スタッフのメンバー、特にスティーヴ・ガッド、リチャード・ティー、エリック
・ゲイルはいろいろなレコーディングに引っ張りだこだった。
それは演奏力に加え、この三人は独特な個性が分かりやすいからだろう。


しかしスタッフ・サウンドの屋台骨はリーダーであるベーシストのゴードン・エドワ
ーズなのではないかと思う。
ガッドという強力なリズムマシーンがいながらこのバンドがリラックスした余裕のあ
る演奏をしてるのは、ゴードン・エドワーズのカラーが強く出ているせいだ。





スタッフの母体はゴードン・エドワーズが1967年に結成したバンド、エンサイクロペ
ディア・オブ・ソウルであった。

1970年代に入ると彼らはニューヨークのクラブ、ミケールズで人気を博す。
やがて同じクラブで演奏していたコーネル・デュプリー、リチャード・ティー、クリス
・パーカーが参加するようになった。


クリスがブレッカー・ブラザーズのツアー・メンバーに参加するため、その穴埋めにク
リスの紹介でスティーヴ・ガッドが加入。
クリス復帰後はコーネル・デュプリーの案でツイン・ドラムの編成となった。

バンドは1970年代時始めからヴァン・マッコイ(4)のレコーディングに採用される。
次回詳しく紹介したいと思うが、1970年代半ばにはスタッフの面々がヴァン・マッコイ
のアルバムにクレジットされている。



1976年8月、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでスタッフはデビュー。
この演奏は日本のラジオでも放送され話題になった。



↑写真をクリックすると「Live at Montreux '76」が視聴できます。


この貴重なライブは2007年にCD化とDVD化された。
スタッフの現役時代に「Live Stuff」「 Live in New York City」と2枚のライブ盤が
出ているが、「Live at Montreux」の方が演奏内容も録音状態もいい。

モントルーのライブで唯一残念なのは、中盤でオデッタという大柄な黒人のおばちゃん
がゲストで「Oh Happy Day」を歌うのだが、音程が不安定で聴いてて不快な点だ。
映像を見るとスタッフのメンバーたちからもあまり歓迎されていないように見える。



モントルーでのお披露目の後、同1976年トミー・リピューマ(5)をプロデューサーに迎
え、ワーナーブラザーズから「Stuff」でレコード・デビュー。
1977年にはヴァン・マッコイのプロデュースで2枚目の「More Stuff」を、1978年に
はスティーヴ・クロッパー(6)のプロデュースで「Stuff It」をリリースした。

スタッフの代表作は「Stuff」「More Stuff」の2枚であるが、明るくポップな「Stuff It」も僕は気に入ってってターンテーブルに乗せることが多かった。



↑写真をクリックすると「Stuff It」収録の「Dance With Me」が聴けます。


スタッフの活動期間は1976年〜1981年の6年間と短い。
ライブ盤を除くとスタジオ録音のリーダー・アルバムは3枚だけである。

それにもかかわらず我々の記憶にスタッフのうねるようなサウンドは深く刻まれていて、
決して忘れることができない。何度も何度も反芻するかのように思い出し味わう。

本当に存在感のあるバンドだった。
個人的にはビートルズを別とすれば、ザ・セクションとスタッフは「最も好きな音を出
してくれるバンド」と明言できる。



リチャード・ティーは1993年に前立腺癌のため死去。
ゴードン・エドワーズは追悼の意も込めバンドを再結成し(キーボードはジェイムス・
アレン・スミス)、「Made in America」をリリースする。

翌1994年にエリック・ゲイルが肺ガンのため死去。
2011年にはコーネル・デュプリーが肺気腫のため死去。

スティーヴ・ガッドはジェイムス・テイラー、エリック・ゲイルのバンドであいかわら
ず鉄壁のドラムを叩き続けている。


(次回はスタッフの演奏が聴ける貴重な音源を紹介します)


<脚注>

(1)「軽音楽をあなたに」
1970〜1980年代にNHK FMで平日16:10~18:00に放送していた番組。
洋楽ポップス中心で毎回1人のアーティストに絞って特集をやっていたため、エアチェ
ック派には人気があった。

(2)「Live Stuff」
日本限定でワーナー・パイオニアから発売された。
ディレクターはポリドールでクリームを担当し、ワーナー転職後はレッド・ツェッペ
リンを担当した折田育造氏。
スタッフ初のライブ盤でしかも日本公演、選曲もいい。
しかし録音状態(エンジニアの技量?)のせいかグルーヴ感がいまいち伝わらないよ
うな気がする。

(3)ゴードン・エドワーズのベース
フェンダーのプレシジョン・ベースを愛用。
あえて古い弦を好んで使い、もこもこ、ぼこぼこした音を出している。
1960年代後半からニューヨークのスタジオ・ミュージシャンとして活躍。
ジョン・レノンの「Mind Games」でもうねるような重いベースを弾いている。
ゴードン・エドワーズは下手だ、テクニックがないと言う人もいるがそうではない。
派手なプレイこそないが、どっしりしたゆとりのあるリズムはすばらしい。

(4)ヴァン・マッコイ
アメリカの音楽プロデューサーで作曲家。
1975年に自身の名義の「ハッスル」が全米1位・全世界でレコード売上1000万枚の大
ヒットを記録し、グラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞を受賞。
アメリカをはじめ世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなる。
ソウル、R&B色とポップのバランス感覚が抜群だった。
1979年に心臓発作を起こし39歳という若さで急逝。

(5)トミー・リピューマ
アメリカの音楽プロデューサー。 AORの創始者とも言える重要人物。
ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクス、ニック・デカロ、 アニタ・ベイカー、
アル・ジャロウ、ランディ・クロフォード、 マーク=アーモンド、 ニール・ラーセン、
ダイアナ・クラールなど多くのアーティストをプロデュース。
幾度もグラミー賞を受賞している。

(6)スティーヴ・クロッパー
アメリカのミズーリ州出身のギタリスト、作曲家、レコーディングプロデューサー。
世界でも指折りのテレキャスター使いとして名を馳せる。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において
2003年は第36位、2011年の改訂版では第39位。
1962年からブッカー・T&ザ・MG'sのギタリストして活動しオーティス・レディング、
サム&デイヴ、アレサ・フランクリン、ブルース・ブラザーズのバックで名演を残す。
 1970年代は第2期ジェフ・ベック・グループやロッド・スチュワートのアルバムの
プロデュースを手がける。
スティーヴ・クロッパーはメンフィスサウンドの御大でR&Bをベースにしたソリッド
でタイトな演奏が得意だが、プロデューサーとしてのポップ感覚も優れている。


<参考資料:Wikipedia他>

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