2019年1月7日月曜日

The Making of 名曲ヘイ・ジュード。

中学一年の初秋だったと思う。
友人の一人が「今夜のヒットパレードにビートルズが出るんだって」と言った。
チャリを飛ばして家路を急ぐ。夕刻だ。上気した頰に当たる風が涼しい少し冷たい。

テレビをつけザ・ヒットパレード(1)にチャンネルを合わせる。
ほどなくビートルズの新曲と紹介され、ポールがピアノを弾きながら歌い始めた。

動いてる(演奏している)ビートルズを見たのは初めてだった。
(このプロモ・ビデオはデヴィッド・フロスト・ショーで放映されたもの)


美しいメロディのバラード。後半から曲調が大きく変わる大胆な構成。
Na na na... Hey Judeのリフレインを繰り返し厚みが増していく。
ポールの黒っぽいシャウトも圧巻。
7分を超える長尺も当時は異例だったが、どのラジオ局も最後まで放送した。

今まで聴いてた音楽は何だったんだろう?と思うくらい斬新で素敵な曲だった
ビートルズにのめり込んでいくきっかけになった曲でもある。


ヘイ・ジュードはビートルズが設立したアップル・レーベルから発表された第1弾
シングルである。(英国1968年8月30日、アメリカ8月26日、日本9月14日発売)

日本ではレーベル移行が間に合わず、初回は従来どおりオデオン・レーベル。
モノラル盤だった。(ステレオ盤より演奏時間が少し長い♪)



 


ジャケ写のポールの緑と黒のジャケット、ジョンの赤いパンツが印象的だった。
何をやってるんだろう?と思っていたが、ユア・マザー・シュッド・ノウのリハー
サル時の写真だと後で知る。


アメリカでは初チャートインで10位、9週連続でトップという異例の大ヒット。
イギリスでは2週連続の1位に留まった。
(ヘイ・ジュードを蹴落とし1位を獲得したのはメリー・ホプキンの悲しき天使)
日本でもオリコン5位を記録した。



<ヘイ・ジュード誕生の経緯、斬新な曲構成>

ヘイ・ジュードはジョンの息子、ジュリアンを励まそうとポールが書いた曲である。
ジョンがヨーコと交際を始め、シンシアとの破局(2)が決定的になったからだ。

ジュリアンを訪ねるため車を運転しながらポールはヘイ・ジュールズ(ジュリアンの
愛称)と呼びかけようとしたが語呂が悪いため、ジュード(3)に変えたと言っている。


この曲を初めてジョンに聴かせた時、サビの「The movement you need is on 
your shoulder(動き出すかどうかは君しだい)は後で変えるつもり」と説明。
きっと恥ずかしかったんだろうね、とポールは回想している。

するとジョンは「何を言ってるんだ、ポール!その歌詞がこの曲で一番大切な所じ
ゃないか、絶対変えちゃ駄目だ」と鋭く指摘。
「今でもライブでそこを歌うとジョンを思い感傷的になる時がある」とポールは言う。


ジョンは架空のストーリーを題材にしたポールの能天気な歌詞を批判していたが、
「ヘイ・ジュードの歌詞は立派なもんだ。ポールも頑張れば良い詞が書ける証拠」
と述べている。



ヴァースはF→C→C7→F→B♭→F→C7→Fとシンプルなスリーコードだが、これに
あの美しいメロディーを載せる、というのがポールの天才たる所以だ。

サビではB♭→Dm/A→Gm→B♭/F→C/E→C7→Fといわゆる分数コードのクリシェ。
ベース音を半音ずつ下降させ、物悲しい響きを醸し出しているのだ。
ジョンとジョージのコーラスがこれに呼応し、切なさを強調する。


3回目のヴァースでは歌い出しのHey Ju~deに黒っぽいこぶしが入る。ここがいい!
don’t let me downに続くYou have found her(4)からジョンが下でハモる。

が、最後のThen you can start…のstartで逆転してポールの3度上へ。ここもいい!
そのままto make it betterまでポールの主メロの上をジョンが歌う。

2回目のサビ、And don't you know that it's just youの節回しもいい。





最後のヴァースのRemember to let her under your skinの直後(2’56”)にポール
ピアノをミスってFucking hell(クソっ)と小さな声で言っている。
ジョンは分かるか分からない声で「そのままにしておけ」と言ったそうだ。

そしてbetter better…で一気に上がって行きAh…のシャウト。
曲調ががらりと変わり、Na na na... Hey Judeのリフレインを繰り返す。


当時は分からなかったが、ビートルズ流のゴスペルなのだろう。
ポールのシャウトも黒人のR&Bシンガー張りである。
リフレイン部のコードはF→E♭→B♭→Fと循環逆四度進行を繰り返している。
これも斬新でユニークだ。

ジョージは「この曲が頂点だった」と振り返る。
ジョンも解散後「間違いなくポールが作った最高傑作のひとつ」と評価している。


しかしテンポアップして音をハードにしたレボリューションをアップル社からの
初シングルA面として出したかったジョンとしては、ヘイ・ジュードにA面を譲り
忸怩たる思いだったのではないかと思う。
それでもヘイ・ジュードの方が万人向きでヒットが望める点は否定できなかった。


ヘイ・ジュードに美味しいところを持って行かれたのはミックも同じだった。
キースの個人秘書、兼ボディーガードだったトニー・サンチェスの新しいクラブ
のオープニング・パーティーで、ミックは新作のストリート・ファイティング・
マンをみんなに聴かせていた。

そこへポールが現れ、出来たてのヘイ・ジュードのアセテート盤をサンチェスに
手渡しかけてもらった。
クラブの空気は一変。招待された客たちはヘイ・ジュードの方に好反応を示した。
ミックの目論んだ「いい雰囲気」は一気に萎え、彼は気分を害したそうだ。(5)






<プロモーション・ビデオ>

僕が中学一年の時にテレビで見たのはプロモーション・ビデオだった。

1968年9月4日にトゥイッケナム・フィルム・ スタジオで収録された。
監督はマイケル・リンゼイ=ホッグ。
ペイパーバック・ライターとレインのプロモ・ビデオを監督した実績があった。

(4ヶ月後に同スタジオで開始されたゲット・バック・セッションも同監督が撮影。
当初はテレビ放映を前提としていたが頓挫し、後に映画「レット・イット・ビー」
として公開された


この時点で既にレコーディングは完了していた。(レコーディング過程は後述)
プロモ・ビデオでは既に録音された演奏を流し、ポールのボーカル、ジョンとジョージ
のコーラスのみ生で収録された。

白いタキシード・ジャケットを着た36人編成のオーケストラが後ろに控え、後半では
300人のエキストラが乱入しビートルズを囲んでNa na na... Hey Judeを大合唱した。
その中には歌手のルルの姿も見える。


デヴィッド・フロスト・ショーの収録を兼ねていたので、冒頭で彼が登場する。
4人は即興でデヴィッド・フロスト・ショーのテーマ曲を演奏し始める。
デヴィッド・フロストの紹介が終わると、今度はジョンがいきなりエルヴィスの
It's Now Or Never(やるなら今しかない)を歌い出し、他の3人も便乗する。

デヴィッド・フロストはビートルズの悪ふざけにうんざりした表情だ(笑)
これは生演奏が収録されている。だからギターもちゃんとプラグインされていた。



↑クリックするとヘイ・ジュードのプロモ・ビデオが視聴できます。


ポールは時々、笑いをこらえながらジョンを見る。二人には笑いのネタがあるのか。
2’48”でThen you can startと歌いながらジョンの方を見るポールにジョンが、ん?
オレなんかミスったっけ?という顔をするのが可笑しい。
尚、このビデオは2テイク存在する。



英国では撮影4日後の9月7日、フロスト・オン、サンデーショーで放映された。
アメリカでは1ヶ月遅れの10月6日、スマザーズ・ブラザーズ・コメディーアワーで
初めて放映された。

日本はヘイ・ジュードのシングル発売でさえ遅れたくらいだ。
プロモ・ビデオが届いたのも10月だったのではないかと思う。
日本で放映された時はこのシーンはカットされ、ポールのアップで歌が始まったと
記憶している。


このビデオではポールがアップライト・ピアノ、ジョンが塗装を剥がしたエピフォン・
カジノ、ジョージがフェンダーの6弦ベースを弾いている。
そのためレコーディングも同じ編成で同じ楽器を弾いたと勘違いしがちだ。(後述)


リンゴはお馴染みのラディックのブラック・オイスターのセット(1965年から一回り
大きいサイズを使用)だが、バスドラムのフロントヘッドがオレンジ色。
マジカル・ミステリー・ツアーで使用したものを黄色い文字だけ消したのか?




↑クリックするとヘイ・ジュードのプロモ・ビデオ別テイクが視聴できます。


実はリンゴは非公式に脱退していて、この撮影日にやっと復帰している。

8月22日、バック・イン・ザ・U.S.S.R.録音中のこと。
ポールがリンゴのドラミングにいちいち注文をつけ、挙句の果てにポールが自分でド
ラムを叩き「こういう風にやるんだよ」と言うと、流石に温厚なリンゴも嫌気がさし
「辞める」とスタジオを後にした。(ポールがドラム代役でレコーディングは続行)

ポールは「君のプレイは誰よりも最高で、君が必要だ」と褒めちぎり、ジョンは励まし
の電報を送り、ジョージはドラム・セットやスタジオを色とりどりの花で飾り、リンゴ
の復帰を待った。
リンゴは9月4日ヘイ・ジュードのプロモ・ビデオ撮影の日にやっと戻って来た。



<レコーディング過程>

1968年7月29日、アビーロード第2スタジオでセッション開始。
ポール(p)、ジョン(a.g.)、ジョージ(e.g.)、リンゴ(ds)の編成で6テイクを録音。
いずれもラフでリハーサルを兼ねた試し録りだった。ジョージ・マーティンは不在。

★この日のテイク1は今回のアウトテイク集に収録
テイク2はアンソロジー3に収録されている。


翌30日もセッションは続き7〜23テイクを録音。
この日は英国映画協会(BFI)制作のドキュメンタリー・フイルム<Music!>のため
、ビートルズのセッションの様子が撮影されている。(6)

大部分がテイク9のレコーディング風景だが、彼らが脱線し楽しんでる姿も見られる。
ポールがトゥティ・フルティの一節Wop bop a loo bop a lop bam boom!を歌うと、
ジョンがドライヴ・マイ・カーのBeep beep'm beep beep yeahで合いの手を入れ、
ふざける。



↑クリックするとヘイ・ジュード・セッションが視聴できます。


ヘイ・ジュードの前にポールが即興でベッシー・スミスのセント・ルイス・ブルース
(こんな古い曲、よく知ってるなー)を歌うシーンもある。

★このセント・ルイス・ブルースも今回のアウトテイク集に収録された。



ジョージは演奏に参加せず、ジョージ・マーティン、ケン・スコットと一緒にコント
ロール・ルームにいて、マーティンに意見を述べたり、スタジオに指示したり一緒に
歌ったりしている。

ジョージは「Hey Jude」の箇所に歌メロに呼応するオブリを入れたがったが、ポール
はこれにイライラして止めさせた。ジョージはで出番が無くなり3人に任せた。
それでも気を悪くせずにコントロール・ルームで楽しそうに口ずさんでいる姿を見ると
、この人、気がいいんだか何だか・・・と思ってしまう。(7)



↑クリックするとヘイ・ジュード テイク9録音風景が視聴できます。



1968年7月31日。場所をロンドン・トライデントスタジオに移す。
ビートルズがこのスタジオを使うのはこの日が初めて。
トライデントスタジオは独立経営(レコード会社の経営ではない)であり、当時は
最新鋭だった8トラックレコーダーが使用されていた。

ビートルズは8トラックレコーディングを試してみたかったのである。
保守的なEMIは8トラックレコーダーを入れたものの何ヶ月も技術的な試験を続け、
ななかなか実用に至らない。ビートルズは業を煮やし実力行使に出たのだろう。


ビートルズとEMIアビーロード・スタジオは愛憎相半ばする所があったようだ。
長年使い慣れたスタジオでビートルズを最優先してくれるが、由緒ある会社ならでは
の厳格さ、機材使用に関するルール、ケチなことに彼らは不満を抱いていた。


前日までのテイクを全て破棄して、新たにリメイクを開始。
ポールのピアノ(8)、ジョンのギター(塗装を剥がしたJ-160E)、リンゴのドラム
4テイクが録音され、最初のテイク1がベストと判断された。


8月1日。同じくトライデントスタジオ。
前日のテイク1にポールのベースとボーカル、バックコーラスをオーバーダブ。
夜には36名のオーケストラをオーバーダブした。

ビートルズはオーケストラのメンバーに「ギャラはその分上乗せするのでna,na,na~
のコーラスと手拍子をやってくれないか?と頼んだ。
1名以外は「そんな楽な仕事でいいの?」と快く引き受けてくれたそうだ。





8月6日までトライデントスタジオでこの曲のリミックス作業が行われる。
8月8日、アビーロードにそのテープを持ち込んだところ問題発生。
トライデントとアビーロードの機材の規格の違いのため、高域がカットされ劣化した
サウンドになってしまったのだ。
エンジニアのイコライジング処理で何とか聴けるレベルに修正をして事なきを得た。

シー・ラヴズ・ユーなど初期のマスターが紛失した音源はともかく、この時期のビー
トルズにおいてヘイ・ジュードは音質的にはあまりHi-Fiではないだろう。


ピアノは若干歪み、エレピのようにも聴こえる。
ポールのボーカルはやや歯擦音(日本語のサ行、タ行の子音)が気になる。

ジョンのギターは鳴りが悪くシャンシャカと低域のふくよかさが失われている
もともとJ-160Eはオール合板で箱鳴りを抑えたギターだが、過去の録音はもっといい
独特の音がしていた。
ここまで鳴らないと、プロモ・ビデオと同じエピフォン・カジノの生音だけを拾ってる
のでは?と誤解されるのも当然だ。



<2018ホワイト・アルバム・リミックスでの扱い>

あくまでもアルバムのリミックスということで、シングル盤のヘイ・ジュードと
レボリューションのリミックスは収録されなかった
ヘイ・ジュードは2015年にリミックスされた「1」を聴いてね、ということか。
じゃあ、「1」に入ってないレボリューションは?

サージェント・ペパーズ2017リミックスではボーナスCDにシングル曲のリミックス
が収録されたのだが、今回は本編2枚、イーシャー・デモ、アウトテイク集というこ
とで統一性を重視したのだろう。

アウトテイク集には前述のテイク1、テイク9の前に即興で演奏したセント・ルイス・
ブルースだけが収録されている。


次回はアルバムに収録されていないアウトテイク集の音源を紹介する予定です。

<脚注>


(1)ザ・ヒットパレード
1959年6月17日〜1970年3月31日までフジテレビ系列で生放送された音楽番組。
渡辺プロ社長の渡辺晋と作曲家の椙山浩一の企画でスタートした。
ザ・ピーナッツがレギュラーで出演。
後にブルー・コメッツやタイガースも出演しGSブームのきっかけともなる。
フジテレビの音楽番組史の基礎を築いた。


(2)シンシアとの破局
シンシアは2月のインド滞在中にジョンとの関係を修復したいと考えていた。
しかしジョンはシンシアを避け、ますます冷たくなる一方だった。
郵便局にヨーコからの手紙が届いてないか毎日確かめに行っていたそうだ。
マハリシに失望したとインド滞在を早めに切り上げたのも、ヨーコに会うための
口実だったのではないかとパティ・ボイドは言っている。

ホワイト・アルバム・センッション開始の2週間前、シンシアが旅行中にジョンは
ヨーコを自宅に招待し「トゥー・バージンズ」を録音する。
帰宅したシンシアが目にしたは自分のガウンを着たヨーコと冷たいジョンだった。
慰謝料を払いたくないジョンはシンシアの浮気をでっち上げ離婚訴訟を起こした。
離婚成立は11月8日。ホワイト・アルバム発売の2週間前だった。


(3)ジュード
個人的内容ではB面になる確率が高いので架空のジュードに変更し普遍性を持たせた、
という説もある。
ジュードは一般に男性名だが、女性名ジューディスの愛称としても使われる。
デイリー・エクスプレスの女性記者ジューディス・シモンズへの歌という解釈もある。

尚、ジュードはドイツ語でユダヤ人を意味するがポールはそれを知らなかった。
アップル・ブティック・ショップの窓に宣伝も兼ねてHey Jude / Revolutionと落書き
したところ、反ユダヤ主義の落書きと誤解され窓ガラスが割られ、抗議の電話が相次
ぎその対応に苦慮したそうだ。


(4)You have found her 
初期のテイクではShe has found youと歌っている。


(5)ジョンとミックが不愉快な思いをした。
もしかしたらこの辺でアンチ・ポールのジョンとミックが意気投合し、ロックン
ロール・サーカスにジョン率いるスーパー・ユニット、ダーティー・マック(ポー
ルを揶揄している)が実現した?と邪推したくもなるがそうではない。

ゲスト選考と出演交渉は監督のマイケル・リンゼイ=ホッグが行った。
ツェッペリンも候補に挙がったが、騒々しいためジェスロ・タルに変更された。
トラフィックはスティーヴ・ウィンウッドの喉の不調のため出演を辞退。
次にポールにオファーする事を考えたが、腰の重いポールを口説くには時間的余裕が
ないと判断し、ジョンに電話したところ即座に出演を承諾。
クラプトンはジョンが連れてきたそうだ。
でもジョンがポールへの嫌悪感は事実でバンド名、ダーティー・マックで窺える。


(6)ドキュメンタリー・フイルム<Music!>
「Music!」は英国音楽協会の提供の50分の映像作品で、1960年代後半のオペラから
ポップ・ミュージック、ブラスバンドなど英国の様々な音楽シーンを撮影した作品。
ビートルズの「ヘイ・ジュード」セッションは約6分。16mmフィルムで撮られた。

1970年2月にアメリカの放送局NBCで放送されたが、ビートルズの登場シーンは
2分32秒に編集されて放送されたらしい。
マーク・ルイソン著「ビートルズレコーディングセッション」では「Music!」のビー
トルズ登場シーンは2分32秒とされているが、NBCの編集で短縮されたと思われる。


(7)ポールの指示にうんざりしていたジョージ 
半年後のゲット・バック・セッションではポールと口論になる。
「ヘイ・ジュードの余計なオブリガード」を指摘されたジョージは「君の望みどおり
すればいいんだろう、君が弾くなと言うなら弾かない」と怒りを露わにする。
そして1月10日に脱退宣言の後スタジオを飛び出す。
ジョンは代わりにクラプトンを入れようと言っていた。冷たい。。。 (--,)
実際にクラプトンにも打診している。
クラプトンはインタビューで笑いながら「考えたよ。でもビートルズは特別仲が良く
一つなんだ。あんなバンドは他に見たことがない。彼らの中には入っていけない」
と答えている。
数日後ジョージは復帰したが、テレビショーに関しては意見を曲げず企画は中止。
ジョージ作の「アイ・ミー・マイン」は「俺が俺が」のポールを揶揄した曲だ。


(8)トライデント・スタジオでポールが弾いたピアノ
1975年クイーンのボヘミアン・ラプソディがトライデント・スタジオで録音された。
フレディが弾いたピアノはポールがヘイ・ジュードで使用したピアノである。
ボヘミアン・ラプソディは24トラック・レコーダーで録音された。
1968年当時は最新だった8トラックがわずか7年で24トラック!技術の進歩は早い。


<参考資料:THE BEATLES Anthology、THE BEATLES RECORDING SESSIONS、
THE BEATLES 楽曲データベース、ビートル・ソングス、遁生レコードの世界、
LONDON BEATLES WALK、Paul McCartney Many Years From Now、
Tony Sanchez - Up and Down with the Rolling Stones and Marianne Faithfull 
ニッポン放送、パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ、SOUND FINDER、
Join the discussion r/beatles、Wikipedia、他>

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