彼はシルク・ディグリーズに代表される自身の1970年代後半のアルバムが
ヨット・ロックと呼ばれることに「ヨット・ロックは大嫌いだ」と答えている。
マイケル・マクドナルドやスティーリー・ダンと同じようにカテゴラズされる
ことが不満なのではなく、ヨット・ロックという呼び方が嫌らしい。
ヨット・ロック。。。はて?そんなジャンル、いつできたのだろう?
最近Apple MusicやSpotifyには「Yacht Rock」というタイトルのプレイリスト
がたくさんアップされている。
それらはほとんどが、かつてAORと呼ばれていた曲と重なる。
ヨット・ロックという言葉は、2005年〜2010年にアメリカのネットTVチャンネル
101で放送していた「Yacht Rock」という番組から生まれた言葉らしい。
<「Yacht Rock」という番組>
この番組はフェイク・ドキュメンタリーで、架空の音楽評論家、音楽業界人と
実在のミュージシャン(別人がモノマネで演じる)が登場し、名曲の架空の誕生
秘話をでっちあげる、という構成になっている。
たとえば1回目の放送。ヨット・ハーバーに「Yacht Rock」のタイトル。
スティーリー・ダンからドゥービーズに移籍したジェフ・バクスターが、曲が書け
ずに悩む新入りのマイケル・マクドナルドに、ヒット曲を書けといびる。
マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスの共作、What A Fool Believesは
呑んだくれのジム・メッシーナのことを「お前はなんてバカなの」をたしなめる
曲だったとか。けっこう笑える。
ホール&オーツは「フィラデルフィアの汚いストリート出身」とぞんざいな扱い。
2回目はまさにヨット・ロックの象徴、クリストファー・クロスのSailingが登場。
(そういえば、この曲辺りからAORにゲンナリし始めたっんだっけ)
他にもポール・サイモン、ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカー、マイ
ケル・ジャクソン、ジェフ・ポーカロ、スティーブ・ルカサー、ヒューイ・ルイス、
アル・ジャロウ、テッド・テンプルマンと1970年代から1980年代にかけてヒット
を飛ばしたアーティストやプロデューサーの名前が登場する。
毎回ここまでオチョクるか!と思うようなおバカな、ウソで固められた疑似ドキ
ュメンタリーだが、名曲へのリスペクト、愛情は感じられる。
それと、こういうギャグに鷹揚なのもアメリカならではだ。
サタデー・ナイト・ライブにも通じるパロディー精神が支持されるのだろう。
<ヨット・ロックとは何か?>
ヨット・ロックという言葉は、富裕層が好んで聴く洗練された耳障りのいいAOR
に対する軽い茶化しで使われていたのではないかと思う。
もはやハングリーではなく、スピリットも失われビジネス化したロック。
高級なレコーディング・スタジオ、陽光に恵まれた海とプライベート・ヨット。
当時の南カリフォルニアでは定番の華やかな快楽主義のライフ・スタイルである。
リスナーも成熟した音楽を聴くと、あか抜けたリッチな気分になれたのだ。
「Yacht Rock」はそんなライフスタイルをパロディにした番組だ。
番組ではヨット・ロックとは「1976年から1984年にかけてヒット・チャートを
席巻したスムーズな音楽」と紹介している。
まさに、かつてAORともてはやされた大人の鑑賞に耐えうる洗練された、かつ
成熟した都市型ロックとかぶる。
<AORとは何か?>
AORという言葉についてはいくつか解釈がある。
1970年代〜1980年代初め米国でAudio-Oriented Rockという言葉が使われた。
「音を重視するロック」という点でラウドなロックとは一線を画し、クロスオー
バー(後のフュージョン)・サウンドと大人向けのボーカルが特徴である。
その後シングルチャートではなくアルバム全体としての完成度を重視したロックを
Album-Oriented Rockと呼ぶようになる。
大瀧詠一のジャケットでお馴染みの永井博のイラストは日本のAORの象徴だった。
日本ではレコード業界の勘違いでAdult-Oriented Rock(大人向けロック)
と勝手に解釈され、それが浸透していた。
Adult-Orientedってなんか隠微な響きが。。。いや、やめておこう(笑)
<AORの立役者たち>
ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、クリストファー・クロスはAOR
の代表的な存在と言える。
そしてウエストコースト・ロックの雄、ドゥービーズがマイケル・マクドナルド
加入後に放ったWhat A Fool BelievesもAORのアイコンといえるだろう。
数多くのパクリも生まれた。
ロビー・デュプリーのSteal Away、ポインター・シスターズのHe’s So Shine。
松任谷由実の「灼けたアイドル」もそうではないかと思う。
ついでに言うと松任谷由実の「ノーサイド」のイントロはクリストファー・クロス
のニューヨークシティ・セレナーデによく似ている。
スティーヴン・ビショップ、ニック・デカロ、ピーター・アレン、ビル・ラバウン
ティ、ルパート・ホームズ、ポール・デイヴィスなどのシンガー&ソングライター。
東海岸のドナルド・フェイゲン(スティーリー・ダン)、マイケル・フランクス、
ビリー・ジョエルもAORには忘れてはならない立役者だ。
ウエストコースト・ロックで活躍していたJ・D・サウザー、カーラ・ボノフ、ネッ
ド・ドヒニー、ジェームス・テイラー、ジム・メッシーナ、ケニー・ロギンス、
ヴァレリー・カーターもこの時期、AORのシンガーとして名前が挙がる。
AORの特徴は「爽やかでリッチな気分に浸れる大人のロック」と言えるが、その
成り立ちのキーワードとして「転向」「融合」「裏方の台頭」が挙げられる。
<転向>
冒頭のボズ・スキャッグスはスティーヴ・ミラー・バンドに在籍後、ソロになり
ソウル、R&B色の強い泥臭いブルージーな曲を歌っていた。
1970年代後半デヴィッド・ペイチやデヴィッド・フォスターに出会うことで、
ソフトでジャジーでメロウなポップスへと舵を切ることになる。
しかし彼の音楽の底流は変わらない。
クールな音をまとっているが、ブルーアイド・ソウル(白人ソウル)なのだ。
ボビー・コールドウェルもやはりブルーアイド・ソウル(白人ソウル)だ。
デビュー時は白人であることを伏せて黒人チャートでヒットした話は有名だ。
そう、創世記のAORは白人のソフィスティケイテッド・ソウルだったのだ。
元来ワイルドなバンドだったドゥービーズは、マイケル・マクドナルドの加入(同時
にトム・ジョンストンの脱退)で土臭さを一掃。
ジャジーなキーボード主体の都会型ポップ・ロックに大変身してしまった。
ブラス・ロックから転向したシカゴはデヴィッド・フォスターに作曲とプロデュース
を委ね、Hard to Say I'm Sorryをヒットさせる。
その後もビル・チャンプリンが加入し、さらにAOR色を強めた。
ジェイムス・テイラーのバック・バンドだったザ・セクションは1972年という早い
時期からクロスオーバーへのアプローチを試みていた。
ジェイムス・テイラー自身もR&Bやカントリーから、テンション・コードを多用
したより深みのあるロックへと変化して行っている。
<裏方の台頭>
デヴィッド・フォスターは本来、作曲家・アレンジャー・プロデューサーであった。
TOTOやリー・リトナー、ラリー・カールトン、デイヴ・グルーシン、スタッフも
スタジオ・ミュージシャンである。
こうした裏方たちが注目され、全面に出るようになったのがこの時期の特徴だ。
アルバムにはプロデューサーと参加ミュージシャンがクレジットされるようになり、
耳の肥えたファンはそれを保証マークとしてレコードを買う。
ボズのバック・バンドから派生したTOTO、ジェイ・グレイドンとデヴィッド・フォ
スターのユニットであるエプレイは、AORサウンドの雛形となった。
スティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、そしてスタッフのスティーヴ・ガット
などは引っ張りだこだった。
トミー・リピューマ、アリフ・マーディン、デイヴ・グルーシン、デヴィッド・フォ
スターは売れっ子プロデューサーとして君臨していた。
<融合>
フュージョンのインストゥルメンタルもブームになった。
ボブ・ジェイムス、アール・クルー、リー・リトナー、ラリー・カールトン、スパ
イロ・ジャイラ、スタッフ、ジョージ・ベンソン、英国のシャカタクなど。
フュージョン自体が当初はクロスオーバーと呼ばれ、ロックとジャズの融合である。
ほとんどジャズ畑だが、ロックやR&Bからのアプローチもあった。
ロック・バンドはボーカルが伴うが、ジャズ・ミュージシャンは通常は歌わない。
ジョージ・ベンソンは演奏だけでなく歌える点が強みとなり、ヒットを生んだ。
またリー・リトナーがボーカルを招いてヒットした成功例に倣い、フュージョン界
では1曲ゲスト・ボーカルに歌わせればアルバムは売れる、という認識が広まる。
AORサウンドはブラック・ミュージックにも波及し、ブラック・コンテンポラリー
と呼ばれるようになった。
チャカ・カーン、ジェイムス・イングラム、ホイットニー・ヒューストン、シック、
アニタ・ベイカー、アース・ウィンド&ファイアー、パトリース・ラッシェン、
レイ・パーカーJr.、カール・カールトン、ビリー・オーシャン、シェリル・リン。
そして日本のロック、ポップスもAORの余波を受けた。
寺尾聡のReflectionsは日本を代表するAORといっても差し障りないだろう。
山下達郎、竹内まりや、大瀧詠一、角松敏生、南佳孝、山本達彦、稲垣潤一も
和製AORを牽引したシンガー・ソング&ライターだ。
<AORの衰退>
1976年〜1979年AOR、フュージョン創世記は数多くの名盤が生まれた。
ジャズ、ロックからいろいろなミュージシャンが参入し、まさに融合であった。
その科学反応が面白かった。新しい音楽が生まれている息吹が感じられる。
新譜を買うたびにワクワクした。
しかし1980年に入るとAORは定型化してしまう。
同じ顔ぶれのミュージシャン、プロデューサー、同じサウンド。変わり映えしない。
ストラトのハーフトーンの16ビート・カッティング、スラップベース(チョッパー)。
コーラスやフランジャーなどのエフェクトも使いすぎ。シンセも鼻につく。
都会的でオシャレなイメージにもいいかげん飽きてしまう。
カフェバー遊びに疲れたのと同じだ。ヨットでぎっしりの海なんて行きたくない。
よくAORの代表として挙げられるクリストファー・クロスがデビューした時は、
既に僕自身はもう食傷気味だった。
1984年レコード会社から、これは売れますよとジョン・オバニオンのサンプル盤を
聴かせられた時は、そのナヨッとした線の細い声とお約束AORサウンドに、世も末
だと思ったものだ。
TOTOにしても僕が好きだったのは1978年のデビュー時だけで、Rosanna、Africa
のヒットを放った1982年には好きではなくなっていた。
ドゥービーズも1980年のOne Step Closerは完全にマイケル・マクドナルド支配下で、
原型をとどめない腑抜けのバンドに思えた。ロックはどこに行った?
演奏スタイルやアレンジのせいなのか、レコーディング技術のせいなのか分からない
が、1980年以前のロックは音に「間」があった気がする。
誇張していうなら、適度なスカスカ感、ゆるさがあり、それが心地よかったのだ。
1970年代の音を再現するため、ヴィンテージ機材、スタジオの空気感にこだわる。
確かフーターズの誰かの言葉だったと記憶しているが、音楽は音と音の隙間が大事、
それがないと呼吸できなくなってしまう、と言ってたっけ。激しく同意。
後期AORはソリッドな音が隙間なくビッシリ詰まっていて、聴いてて疲れる。
演奏レベルは高い。が、もはや誰が何を歌おうとみんな同じ。
1980年代半ばに華やかなAORは消えていく。過去の音楽となった。
<AORの復権はあるのか>
最近AORの名盤が紹介されたり、特集が組まれることもある。
1980年代にどっぷり浸かってた世代が、そろそろリタイアの時期に入り、やっぱり
懐かしいな〜いいな〜と思うのか。
カセットテープの再評価なんかもエアチェック世代の心の琴線に触れるのか。
確かにいい曲はあった。名盤もあった。一時代を築いたと思う。
でも若い世代は、それをオールディーズとしては聴かないような気がする。
最近クルマのCMで使われる曲で、あれ?AORっぽい?と思うような曲がある。
その一つ、サチモスという日本のバンドはネオ・ソウルやブラックミュージック、
ヒップホップの影響を受けているとか。
ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのブルーアイド・ソウルの現代版
ノリと言えなくもない。
AORという恐竜は絶滅したけど鳥に進化して多様化している、みたいな?
↑クリックするとサチモスのStay Tuneが視聴できます。
<参考資料:Rolling Stone Japan、discovermusic.jp、note JAZZ CITY、
Wikipedia、YouTube、レコードコレクターズ>
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