2019年11月1日金曜日

アビイ・ロード2019、アウトテイクスのレビュー。

<デラックス・エディションDisc 2>

アビイ・ロード全曲の別テイクがオリジナル順に収録されている。






カム・トゥゲザー(テイク5)
ジョン復帰後の7月21日、このセッションで初めてジョンの曲が取り上げた。
(従来はアルバム・セッションの最初はジョンの曲でスタートが慣例だったが、
ジョンが交通事故で入院してたこともあり、他の曲が先行していた)
ジョンはやる気満々で他のメンバーをぐいぐい引っ張る様子が伝わってくる。
テイク1(アンソロジー3収録)で試みた最後の3連はやめたようだ。
テイク5は演奏は既に完成されている。リードギターとオルガンは入っていない。
ジョンは中断。I’m losing my cool(頭にきちゃうな)と言っている。
この次のテイク6が採用された。


サムシング (スタジオ・デモ)
2月25日(26歳の誕生日)ジョージは一人でスタジオでデモを録音。
アンソロジー3でギターとボーカルだけのヴァージョンが収録されたが、今回は
ピアノも加えられている。





マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー(テイク12)
7月9日のセッション。ジョンはスタジオ内にいたが参加していない。
ポール(vo,p)ジョージ(b)リンゴ(ds)の編成で録音されている。
ポールがリンゴにフィルインを、ジョージにベースラインを指示している。
アンソロジー3にはテイク5が収録されたが、今回はテイク12が収録された。
コントロール・ルームから出来を訊かれたポールは、One more,It was good
enough but a bit yet(もう一回、良かったけどあともう少し)と返事。
完璧主義のポールらしい。
(テイク21がOKになり、翌日ギター、オルガン、コーラス、ハンマーを録音)


オー!ダーリン(テイク4)
4月20日に26テイク録音されたうち、初期のテイク4。既に完成型に近い。
ポールがピアノを弾きながらまだラフなボーカルを。リンゴのドラム。
ベースはジョージでギターがジョンか?
ジョージがギターでベースはポールが後からオーヴァーダブしたのか?
薄く入るオルガンがジョンか?
(アンソロジー3収録のこの曲はゲット・バック・セッションでジョンと一緒に
歌っているラフなヴァージョンである)



オクトパス・ガーデン(テイク9)
4月26日に32テイクを録音。テイク9が収録された。
リンゴ(vo,ds)ポール(b)ジョン(g)ジョージ(g)の編成。
ジョンはドノヴァン直伝のスリーフィンガー。
ジョージの正規テイクとは違うカントリー・フレーヴァーのギターが楽しめる。
リンゴのピッチが甘く、サビで間違えてAメロを歌ってしまい中断。
和気あいあいの楽しそうな雰囲気が伝わる。
(アンソロジー 3にはテイク2が収録された)


アイ・ウォント・ユー(トライデント・レコーディング・セッション)
1月31日のゲット・バック・セッション終了から3週間後、2月22日に行われた。
3週間の中断は、ビリー・プレストン(kb)とグリン・ジョーンズ(エンジニア)
の不在、ジョージが扁桃腺手術で入院していたためである。
まだアビイ・ロード構想はなくゲット・バック・セッションの延長だったようだ。
これはEMIではなくトライデント・スタジオで行われたセッションである。

どのテイクがいいかジョンが尋ね、マーティン卿はテイク4がいいと答えている。
グリン・ジョンズがジョンに住人から騒音への苦情が出ていると告げる。
ジョンは「こんな夜の遅く、そいつらは通りで何をやっているんだ?」と言う。
それから「あと一回でかい音でやろう。その後は静かにやるとしよう。大きい音を
出すのはこれが最後のチャンスだ」とジョンは言いカウントをとる。
このテイクではラウドなバンド・サウンドが聴ける。(1)
後半She’s soの後は延々とリフが続き、ビリー・プレストンのオルガンが絡む。
ジョージはその間トレブリーなファズ・ギターを弾いてるが採用されなかった。





↑アイ・ウォント・ユー(トライデント・セッション)が聴けます。
この写真は2月22日トライデント・スタジオで撮られたもの。
ジョージがレスポール、ジョンがエピフォン・カジノを弾いてることが判明。



ヒア・カムズ・ザ・サン(テイク9)
7月7日、交通事故で入院中のジョンを除く3ビートルズで録音された。
ジョージのガイドボーカルとギター、ポールのベース、リンゴのドラムという
シンプルな演奏だが、充分聴きごたえがある。
収録されたテイク9も完成度が高い。(採用されたのはテイク13)
ボーカルとギターがセンターに配されベースはやや右、ドラムはやや左。
ジョージの生々しいボーカルとアコースティック・ギターを堪能できる。





↑ヒア・カムズ・ザ・サン(テイク9)が聴けます。



ビコーズ(テイク1 インストゥルメンタル)
8月1日に録音されたバッキング・トラックの録音。
リンゴのカウントに導かれ、ジョージ・マーティンによるエレクトリック・ハープ
シコード、ポールのベース、ジョンのギターだけで演奏される。
各自がモニター・ヘッドフォンに流されたリンゴのガイド(手と膝を叩いてるようだ)
を聴きながら弾いている。今回収録されたのはテイク1。(OKテイクは16)


ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー(テイク36)
5月6日、オリンピック・サウンド・スタジオでの録音。
ポール(p,vo)リンゴ(ds)ジョン(g)ジョージ(g)の編成で36テイクを録音。
これは最後のテイク36。(採用されたのはテイク30)
始まる前のポールのしゃべりも面白い。You never give me your coffeeだって(^^)
歌い込みすぎたのか、ポールの声が枯れ気味で歌いまわしもところどころ異なる。
ジョージのオブリの入り方も違うので聴き比べてみてほしい。


サン・キング(テイク20)
次のミーン・ミスター・マスタードとメドレーで35テイクを録音。(7月24日)
最後のテイクが採用されたが、これはテイク20。ゆったり演奏している。
曲に入る前ジョンは上機嫌だ。リンゴのゴングに導かれ曲が始まる。
ジョンのエピフォン・カジノはコンソールでフランジャーをかけたようだ。
ジョージはオールローズのテレキャスターだと思う。
薄めにジョンがガイド・ボーカルを入れている。


ミーン・ミスター・マスタード(テイク20)
サン・キングとのメドレーだが、テンポが遅くジョンもゆるい感じで歌ってる。
ジョンがYes,she does、Yes,it isと合いの手を口ずさんでるのがおもしろい。
Takes him out to look at the QueenではGod save the queenとジョンらしい。
楽器編成はサン・キングと同じだがベースにファズがかけられている。


ポリシーン・パン(テイク27)
翌7月25日にシー・ケイム・イン・スルー〜とメドレーで39テイク録音された。
(採用されたのは最後のテイク39)
テイク27ではポールが出だしのD→A→Eとドラムのフィルのタイミングを確認。
ジョンがSounds like Dave Clark(デイヴ・クラーク・ファイヴみたい)と笑う。
ワイルドなジョンのカウントでエネルギッシュな演奏が展開される。
ジョンはアコギとガイド・ボーカル、ジョージがエレキ、ポールがベース、
リンゴのタム、スネア連打がすごい。





↑ポリシーン・パン(テイク27)が聴けます。



シー・ケイム・イン・スルー・バスルーム・ウィンドウ(テイク27)
ポリシーン・パンとのメドレーで演奏されたテイク27。楽器編成も同じ。
ガイド・ボーカルはポール。



ゴールデン・スランバー/キャリー・ザット・ウェイト(テイク1‐3)
7月2日、次の曲であるキャリー・ザット・ウェイトと併せて録音。
ポール(p,vo)ジョージ(b)リンゴ(ds)の3人で15テイク演奏された。
(ジョンは交通事故で入院中)
ジョージがYeah,these are a couple on the album been like that(もともと
この2曲はアルバム用の組曲なんだ)とコントロール・ルームに説明してる。
テイク1はフール・オン・ザ・ヒルを歌い出す。
テイク2はキャリー・ザット・ウェイトで中断。
テイク3はヴァースの後Golden…でリンゴとタイミングが合わず中断。
(最終的にはテイク13とテイク15が編集され翌日、3人のコーラスとジョージ
とポールのギターをオーヴァーダブした)


ジ・エンド(テイク3)
7月23日にベーシック・トラックを7テイク録音。最後のがベストとされた。
ギターソロ、ボーカルはなく演奏のみ。And in the end…のフィナーレもない。
テイク3ではジョンがOkay,let's hear it! (さあ、聴かせてくれ)とみんな(特に
リンゴ)を鼓舞させ、ポールのカウントで威勢よく始まる。
リンゴのドラム・ソロも異なる。左のギターがジョン、右がジョージだろう。
ベースを弾きながらポールが叫んでいる。テンポアップして終える。





↑セッション中いい写真をいっぱい撮っておいてくれたリンダに感謝。
本人は一緒に映らないようにしてる控えめな性格が誰かさんとは正反対だね。



<その他のアウトテイク>
スーパー・デラックス・エディションのみ収録で聴く価値ありの音源。

グッドバイ (ホーム・デモ)
メリー・ホプキンの2枚目のシングル用にポールが書いた曲。
1969年2月に自宅で録音されたらしい。マーティンD-28での弾き語りだ。
ブートで出回った音源ではあるが、音質ははるかにいい。


カム・アンド・ゲット・イット(スタジオ・デモ)
7月24日はサン・キング、ミーン・ミスター・マスタードが録音されているが、
この日もポールは早めにスタジオ入り。
一人でアイヴィーズ(バッド・カンパニー)用の曲のデモ・テイクを作成。
ピアノ、ドラム、ベース、マラカス、ボーカルを多重録音で1時間で仕上げた。
最後にポールがOkay,gives on the headphone and track it(よし、ヘッド
フォンで音を聴きながら重ねよう)と言ってるのが聴こえる。 
(アンソロジー3に収録されたが、ステレオ・ミックスは今回が初めて)







ジョンとヨーコのバラード (テイク7)
4月14日ジョンとポールが2人で1日で仕上げ、5月30日にシングル発売した曲。(2)
テイク7はジョンのアコギ弾き語りで、ドラムはポールが叩いているが上手い。
ジョンがMal, turn string I make a put mow(弦が指がからまる)と言ってる。(3)
有名なジョンのWe gotta get faster Ringo!(リンゴ、もっとテンポをあげよう)、
ポールのOkay, George!(了解、ジョージ)の掛け合いも入っている。


オールド・ブラウン・シュー (テイク2)
4月16日にベーシック・トラックを4テイク録音。(テイク4がベストとされる)
このテイク2も既に完成形に近い演奏で、ボーカルも大きな違いはない。
ポール(p)リンゴ(p)ジョージ(vo)だが、ギターはどっちだろう?
オブリや後にオーヴァーダブするベースと同じフレーズを弾きながら歌うのは無理。
ジョージが弾いたと思えるが、ジョンは何をしてたんだろう?


ザ・ロング・ワン(トライアル・エディット&ミックス)
アビイ・ロード制作も終盤の7月30日、B面メドレーを仮編集作業が行なわれた。
この音源はThe Long One/Huge Medleyと呼ばれていた仮ミックスである。
当初ミーン・ミスター・マスタードとポリシーン・パンの間に入っていたハー・
マジェスティが、そのままの形で聴ける
ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネーも最終的にカットされたコーラス入り。
次のサン・キングへのつなぎもウィンドチャイムとコオロギのSEではなくオルガン。
ポリシーン・パンではカウベルとジョンの台詞が入る。
ゴールデン・スランバーはポールの歌いまわしが異なり、ストリングスとブラスも
まだ入っていない。途中のジョージのギターも加えられていない。
ジ・エンドはギター・ソロ回しもボーカルも入っていない。





↑ザ・ロング・ワン(トライアル・エディット&ミックス)が聴けます。
写真はアビイ・ロード録音終了2日後、ビートルズ最後のフォト・セッション(4)



アビイ・ロード完成後、ジョンは次のアルバムの可能性について話している。(5)
しかしアビイ・ロード発売直前の9月20日、ジョンは一転して脱退宣言(6)を行う。

その1週間前の9月13日トロントで開催されたロックンロール・リバイバル・ショー
にジョンはプラスティック・オノ・バンドで出演していた。
これを機にビートルズを捨て、ヨーコとの流動的なバンドの道を選んだのだろう。

1970年1月3日アイ・ミー・マインを録音するために、ジョン脱退後の3人はアビイ
・ロード・スタジオに集まる。ビートルズとしての最終のレコーディングとなった。


<脚注>


(1)アイ・ウォント・ユー(トライデント・レコーディング・セッション)
この日は35テイク録音し、3つのテイクを編集しマスターテイクが作られた。
2ヶ月後にEMIスタジオでオーバーダブ、リダクションを行いテイク1とする。
完成版は前半がそのテイク1、She's so以降がトライデント・マスターである。





(2)ジョンとヨーコのバラードの録音
ジョンとヨーコの結婚式(69年3月20日)を題材にしたジャーナリスティックな曲。
本来ならビートルズとして発表する内容ではないだろう。
この時点ではまだプラスティック・オノ・バンドを結成していなかった。
早く出したいジョンはポールに電話して協力を要請。ポールは喜んでスタジオへ。
ジョージはアメリカ旅行中。リンゴは映画「マジック・クリスチャン」撮影中だった。
ジョンがアコースティック・ギター、エレクトリック・ギター。
ポールがドラム、ピアノ、コーラス、マラカスを担当。
アウトテイクで聴ける和気藹々のジョークはそのためである。

険悪だったジョンとポールの関係がよくなり、アビイ・ロード制作が実現した。
尚、この曲での協力のお礼にジョンはプラスティック・オノ・バンドの「平和を
我らに」をレノン=マッカートニーにした。(ポールは関わっていないが)
後にヨーコはポールの名前をクレジットから外した。ポールはこれに憤慨。
作曲、録音に関わっていないのは事実だが、ポールにとってはジョンの友情の証だ。






(3)Mal 
マル・エヴァンス(ロード・マネージャー)への呼びかけと思われる。


(4)最後のフォト・セッション
アビイ・ロードのレコーディング終了の2日後、1969年8月22日にジョンの邸宅
(ティトゥンハースト・パーク)で行われた最後のフォト・セッション。
撮影はイーサン・ラッセルとモンテ・フレスコ。
カメラマンの背中越しの写真はマル・エヴァンスが記録用に撮ったもの。






(5)アビイ・ロードの次のアルバムの可能性について
アビイ・ロード完成後ジョン、ポール、ジョージ3人のミーティングを録音した
テープ(腸の検査で不在だったリンゴのためにジョンが録音しておいた)の存在
が最近、明らかなった。
ビートルズ研究家のマーク・ルイソンは英The Guardian紙にこのテープを公開。

3人はアビイ・ロード続く別のアルバムとクリスマス・シーズン向けシングルに
ついて議論している。
ジョンは各メンバーが新しいシングル候補曲を持ち込むことを提案。
また次のアルバムでは、ジョン、ポール、ジョージが4曲ずつ、そしてリンゴが
望むなら2曲提供するべきだ、とも言っている。
ポールはそれに応えて「このアルバムまでジョージの曲はそこまでよくないと
思っていた」と語り、ジョージはそれに対して「それは好みの問題。結局のところ、
みんなも僕の曲を気に入ってくれた」と応じている。
ジョンはマックスウェルズ・シルヴァー・ハンマーについて不満を述べており、
メリー・ホプキンなど他のアーティストに提供するべきだと主張。
ポールはそれに対して「好きだったからこの曲を録音した」と言っている。
ジョンは「レノン/マッカートニー名義」にも言及。
曲は個別にクレジットされるべきだとも提案している。(ヨーコの入れ知恵?)


(6)ジョンの脱退宣言
アビイ・ロード発売直前の9月20日、アラン・クラインを交えたビートルズと
米キャピトル・レーベルとの再契約の場で、ジョンの脱退宣言が飛び出した。
ビートルズの今後についてポールが話すことすべてをジョンは否定。
ポールが真意を尋ねると「もうグループは終わりってことだ。俺は抜ける」と
ジョンは答える。
アラン・クラインからの要請で、この事実はいっさい公表されなかった。



↑9月20日。アラン・クラインと親しげなジョン。ポールの表情は硬い。


ショックを受けたポールはスコットランドの農場に引きこもってしまった。
 「君らはクラインとやっていけばいい。僕はアップルから抜けたい」と伝えた。
ジョンは脱退宣言をする1週間前の9月13日にトロントで開催されたロックンロール
・リバイバル・ショーにエリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・
ホワイトを率いて、プラスティック・オノ・バンド名義で出演。
これをきっかけにジョンはビートルズを辞めて、ヨーコを加えた流動的なバンド
でやることに新しい活路を見出した(ヨーコに洗脳された?)のかもしれない。


<参考資料:ユニヴァーサル・ミュージック、THE BEATLES楽曲データベース、
YouTube、Genius Lyrics、FORMIDABLE MAG、amass、他>

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