クラプトンが最初に名声を得たのはヤードバーズであった。
媚びないバンドのはずが、徐々にティーンエイジャー向けの売るためのポップ路線
へと舵を切っていたため、ブルースを追求していたクラプトンは嫌気がさし脱退。
ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに参加。
クラプトンはレスポール+マーシャルのアンプのコンビネーションを確立。 (1)
ディストーションの効いた切れ味鋭い音で、圧倒的な冴え渡ったプレイを披露。
ロンドン中で噂になり CLAPTON IS GOD (2)と言われるようになる。
クラプトンはアルバム一枚に参加しただけで脱退。
ジンジャー・ベイカーに新しいバンドに誘われたクラプトンは即座に受け入れるが、
ジャック・ブルースをベースとして迎えることが条件だった。(3)
ジョン・メイオールはライブ時のクラプトンの攻撃的なギターを評価しており、
当初はライブ盤を予定していた。
ベースにジャック・ブルースを招き実際に録音したがうまく録れていなかった。
クラプトンはその時、ブルースに会いその実力に感銘を受けたのだろう。
ベイカーはその提案に驚き、車(ローバー)をぶつけそうになったという。
クラプトンは知らなかったのだが、グレアム・ボンド・オーガニゼーションで
一緒だったベイカーとブルースは非常に仲が悪いことで有名だった。
お互いのスキルを尊敬してはいたが、二人ともエゴを抑制できなかったのだ。
1966年当時の英国の精鋭とも言える3人によるミニマムのユニットの誕生。
たった3人であんな分厚いサウンドを創り、ボーカルまでこなしていたとは!
クリームを始める際「今度は自分が歌うんだと思っていたが、ほとんどジャックが
歌うことになった。ジャックは作曲の面でも大量生産型だったしね」とクラプトン
は言っている。
クラプトンはまだ作曲力が十分ではなくボーカルも弱かった。
バンドは「クリーム」と名付けられた。
3人とも英国のミュージシャンの間で「cream of the crop(最高によりすぐった
物、あるいは人)」と見なされていたからである。
最初のギグでクラプトンは「この二人には何か確執ある」と感じたそうだ。3人とも英国のミュージシャンの間で「cream of the crop(最高によりすぐった
物、あるいは人)」と見なされていたからである。
ブルースとベイカーの対立はバンドに緊張をもたらした。
メンバー同士がエゴむき出しで、お互いの意見を十分に聞かない。
クラプトンはある時、コンサート中に演奏を止めてみたが、ベイカーもブルースも
気づかず演奏を続けていた、と回想している。
<クリームの活動期間は3年しかなかった>
クリームは1966年7月にデビューする。
ロバート・スティグウッドのプロデュースでデビュー・アルバムFresh Cream
が録音され、同年の12月に発売。
ブルースのカヴァーが半分、ブルースが3曲、ベイカーが2曲提供した。
シングルI Feel Freeも同時リリースされた。
2枚目のDisraeli Gears(カラフル・クリーム)は1967年11月発売。
時代のせいか、サイケデリック色が強くなりオリジナル曲で構成された。
Strange Brew、Sunshine of Your Loveがシングルカットされている。
このアルバムからフェリックス・パパラルディ(後にマウンテンのベーシストに
なる)がプロデューサーとなる。
3枚目のWheels of Fire(クリームの素晴らしき世界)はスタジオ録音とライブ盤
の2枚組として、1968年8月に発売。White Roomがシングル・カットされた。
スタジオ録音は5分以内にまとめられているが、ライブは長尺で15分以上に及ぶ曲
もあった。
3人は1968年5月の全米ツアー中に解散を決断。7月に公式発表。
10〜11月の全米ツアー、11月25日と26日のロンドン公演で幕を閉じた。
翌1969年2月、ライブ演奏3曲とスタジオ録音3曲(4)のGoodbyeを発表。
解散後に発売された4枚目のオリジナル・アルバムが最後となった。
結成時より抱えていた根源的な問題によりクリームはわずか3年で解散した。
にもかかわらず、クリームの存在感、ロック界に与えた影響は大きい。
<クリームの音楽の特徴>
レコードでは3〜5分のタイトな演奏が多いが、ライブでは10〜15分を超える
長尺の演奏が中心になった。
大半はクラプトンの攻撃的なギターソロで占められるが、それに負けじとブルース
のベースの域に留まらない、リードベースとも言える攻撃的なフレーズが絡み、
二人のソロが同時進行して行く。
ベイカーのドラムもパターンを外れた自由な叩き方で、3人が対等な立場で火花
を散らすような演奏を繰り広げていた。
歌が入る部分はヴァース、ブリッジ、コーラスの決められたコード進行に沿って
演奏されるが、一旦間奏に入ると上述のようにインプロヴィゼーション(アドリブ)
が延々と続く。
ほとんどの曲はインプロに入ると、キーとリズムのみをキープしながら、コード
進行という枠は無視して自由に演奏された。
つまりキーがAならAのブルーノートスケールやペンタトニックスケールを基本
とし、そこから外れない限りどんどん広げて行ってもいいわけだ。
従来の「間奏は8小節」という既成概念からロックを解き放ち、ジャズのような
インタープレイを取り入れることで、ロックを新しい次元に昇華させたのである。
クリームは革新的だったが、それができるということは3人が卓越した演奏技術、
クリエイティヴ力を持っていたからこそ実現できたのだ。
<クラプトンの演奏スタイル、使用楽器、機材>
この人についてはもう説明の必要がないくらいだろう。
ロバート・ジョンソンを敬愛しブルースを追求し、最初は敬遠していたシカゴ・
ブルースにしだいに傾倒して行く。
中でもB.B.キングの影響は大きいようで、あの小刻みに揺らすヴィブラート、
ベンディング、歌の合間に入れるオブリもB.B.から学んだものだろう。
B.B.のフレーズは単純で一つ一つが短いが、クラプトンは滞りなく流れるような
早いパッセージを、強弱や音色の微妙な変化も自在にコントロールしながら弾く。
ブルースブレイカーズで確立したギブソン+マーシャルのディストーション・
サウンドをクリームでも踏襲している。
クリームの初期は新たに入手した1964年製SG(ジョージ・ハリソンから寄贈
された)(5)にサイケデリックなカラフルなペイント(ザ・フールというアーテ
ィスト集団に依頼した)を施したものを主に使用していた。(6)
チューナーはグローバーに変更されている。
クリームの解散コンサートでも使用された1964年製チェリーレッドのES-335は、
ヤードバーズ時代に購入したもので、クリーム後期(1968年頃)からメインで
使用されている。
またクリーム時代にはファイヤーバードⅠ(1963〜65製)も使用している。
ミニハムバッカーをリアに1つだけマウントしたシンプルなモデルで、トレブリー
なサウンドが特徴的で鳴りがいい。
マーシャルのアンプはブルースブレイカーズ時代に使用していた45WのJTM45
から100WのJTM100ヘッドアンプにスタックス型キャビネットへグレードアップ。
クリームでのギターサウンドに欠かせないのがワウペダルだ。
1967年、世界初のワウペダルVOX Clyde McCoy Wah-Wah Pedalをニューヨーク
の楽器店で入手し、Disraeli Gears(カラフル・クリーム)で使用。
ペダルを踏みこむと高音域がブーストされ、上げた状態では中低音域がブースト
されるので音色の変化が得られる。White Roomもワウ抜きで成立しない曲だ。
クラプトンはワウペダルの名手と言っても過言ではない。(7)
<ジャック・ブルースの演奏スタイル、使用楽器、機材>
ジャック・ブルースはリズム隊としてのベースではなく、インプロヴィゼーション
でフレーズを構築していく、いわゆるリードベースの先駆者の一人である。
ヴァニラファッジのティム・ボガード、ザ・フーのジョン・エントウィッスルも
このスタイルのベース奏者だが、この2人とブルースの違いはフレージングにジャズ
やクラシックの要素が感じられる点である。
ブルースは10代の頃にチェロを学び、バッハに大きな影響を受けた。
ジャズ・バンドにも在籍し、グレアム・ボンド・オーガニゼーションではベイカー
とも一緒に演奏していた。
お互いに触発しながら即興的に演奏をしていくインタープレイもジャズからの影響
で、クリームではクラプトン、ベイカーと丁々発止の熱演が繰り広げられた。
奏法は、ほぼ人差し指のワンフィンガー、トレモロ気味に弾く時は中指も使っている
ようだが、とにかく右手のアタックが強い。ピッキングはブリッジ寄りのことが多い。
ボボボ、ブワーンと歪んだ独特の太いサウンドが特徴で、ブラックナイロン弦なの
かと思ったが、そうではないようだ。
ギブソン+マーシャルのセットでディストーションを得ているのだろう。
ジャック・ブルースといえばEB-3、というくらいトレードマークとなっている。
ギブソンのSGとボディの形状が同じなのでSGベースと呼ばれることもある。
ギブソン初のソリッドボディのエレキベースで、ブルースは1962年製を使用。
30.5インチというショートスケール。(フェンダーは34インチ)
テンションがゆるいため、サステインのある温かみのあるサウンドが得られる。
ショートスケールにしたのはベンディング(チョーキング)をやりたかったから、
とブルースは言っている。
フロントにハムバッカー、リアにはミニ・ハムバッカーと2基ピックアップを搭載。
フェンダーのように帯域は広くないが、中低音域に強い特徴がある。
ジャック・ブルースはボーカルの圧も強い。
クラプトンは「ジャックには圧倒されっぱなしだった」と語っている。
<ジンジャー・ベイカーの演奏スタイル、使用楽器、機材>
ジャズを習得しており、ブルース、ロックを融合させ、アフリカ民族音楽も取り入れ、
独自のスタイルを確立している。
時には裏打ちなど、ビートのアクセントのつけ方も変化に富み他に類を見ない。
ジャズ畑出身ではあるが、クリームではジャズのレギュラー・グリップではなく、
ロック系に多いマッチド・グリップで叩いている。
また普通はスティックのお尻から1/3のところに支点を置くように持つが、ベイカー
は端っこを握っている。スティックも長めのを使用しているようにも見える。
そのため力強いアタック音が得られるのだろう。ハードヒッターだ。
インタビューでは「アンプの音が大きすぎて自分の音が聞こえないから、目一杯叩か
なければならなかった」と答えている。(8)
ドラムソロでは一定のテンポを保ちながらルーディメンツ(スネアの連打)を派生
させていくパターンが多く、スネアを多用したジャズ寄りのソロ、タムを多用した
民族音楽的な叩き方が多い。
クリーム時代はラディックのシルバースパークルのセットを使用していた。
2バスドラムはロックにおける第一人者である。
2つのバスドラムは間隔をあけて角度をつけてセットしてある。
かなり足を開いてキックしていたはずだ。
2タム+2フロアタム、いずれも打面はほぼ水平にセッティングされている。
しっかり腕を上げ、真上から振り下ろさないと叩けない。
ベイカーのストロークが大きく見えるのは、そのためかもしれない。
ライド、クラッシュ、ハイハットなどシンバルはジルジャン(Zildjian)を使用。
カウベルやチャイナ・ゴングもセットされている。
↑ベイカーの後ろにWEMのキャビネットが見える。ヘッドアンプはHI-WATTだろうか。
クラプトンのギター用と思われる。デヴィッド・ギルモアもこの組み合わせだった。
次回はクリーム再結成について。
<脚注>
(1)レスポール+マーシャルの組み合わせ
ヤードバーズ時代はテレキャスターを使用していたが、ブルースブレイカーズで
はレスポールに持ち替えた。
マーシャルを通して鳴らすことで得られる歪んだ力強く太い音を気に入る。
1960年製レスポール・スタンダードはフレディ・キングに憧れて購入。
ピックアップはPAF。ネックはスリム。チューナーはグローバーに交換している。
1960年はギブソンが一旦レスポールの生産を中止した年である。
翌年、廉価版としてレスポールSG (5)を出した。
クラプトンは1957年製(PAF搭載の最初)をチェリーレッドにリフィニッシュ
したレスポールも入手したが、ジョージ・ハリソンに寄贈。
ビートルズのWhile My Guitar Gently Weepsではそのレスポールでソロを弾いた。
クラプトンにとってレスポールとマーシャルはセットだということを知っていた
ジョージはちゃんとマーシャルも用意していたそうだ。
(2) CLAPTON IS GOD
塀の落書きに犬がオシッコをかけている有名な写真は、1966年頃の撮影だと言われ
ていたが、撮影者ロジャー・ペリーの遺族によると1975年のものらしい。
しかし1960年代ロンドンの街中にCLAPTON IS GODの落書きがあったのは事実。
クラプトン本人もこの写真を気に入っているとか。
1970年代始め、日本のロック喫茶でもこの落書きをよく見かけた。
(3)クリーム結成時にクラプトンが出した条件
ボーカルにスティーヴ・ウィンウッドを迎えたいという願いもあったそうだ。
(4) Goodbye
当初は前作のようにライブ盤とスタジオ盤の2枚組にするというものだった。
しかしアルバム収録に耐えうるライブ演奏は僅かだったため1枚になった。
※この「耐えうる」が録音の質のことなのか、演奏の出来なのかは分からない。
後者だとしても、今回のリマスターで印象が変わるのを期待したい。
(5)ギブソン SG
SGはダブルカッタウェイのレスポール・ジュニアを原型とした「レスポールの
フルモデルチェンジ版」として1961年に発表された。
1950年後半、生産性と演奏性で優位だったフェンダーのストラトキャスターの人気
に危機感を持ったギブソンは、対抗策としてレスポールの全面改良に踏み切る。
トップのメイプル材の貼合わせ、バインディングの廃止で生産性を向上し低価格化、
薄く軽量のボディ(レスポールは重いのが難点)、ダブルカッタウェイと薄くて平ら
な細ネックにより最終フレットまでストレスなく弾ける、など当時レスポールの
デメリットと考えられていたポイントをすべてクリアした。
薄い軽量マホガニーボディにより得られる弦振動は軽やかで中域に存在感があり、
ギブソンはA Rock Icon(ロックギターの象徴)と自負。
(対してレスポールはSGより高域、低域ともメリハリがありサステインがある)
ダブルカッタウェイと細ネックはFastest Neck in the World(世界で最も速く弾
けるネック)とアピールされた。
※この細ネックがクラプトンは気に入ったようだ。レスポールも太ネックの1957年
製よりも細ネックの1960年製を好んで使用していた。1957年製はジョージに寄贈。
しかしレスポールを共同開発したレス・ポール氏はこの新型を不服とし、自身の
名前が使われることを許可しなかった。
ギブソンはレスポールの名称が使えなくなり、SGと名付けられた。
SGとはソリッドギターの略。この適当なネーミングは苦肉の策だったのだろう。
※少数だがヘッドやトラスロッドカバーにレスポールと表記されたSGも存在する。
SG期はレスポールはカタログから姿を消すが、人気再燃で再生産された。
(6)ザ・フール
ビートルズの開いたアップル・ブティックの外壁や、ジョン・レノンのロールス
ロイス、J-160Eのサイケデリック・ペイントなどをしたアーティスト集団。
ちなみにジョージのストラトのサイケデリック・ペイントは本人によるもの。
(7)クラプトンのワウペダル
現在はVOXとJIM DUNLOPのものを曲によって使い分けている。
(8)クリームの大音量
クラプトンは「ドラムとベースが余りにも激しく演奏するから1拍目がどこか
分からなくなって焦ったこともある」と回想している。
まだPAが発達していない時代は、ステージ上での爆音がロックに不可欠だった。
クリーム以降、マーシャルの大型キャビネット2段積みは定番になって行く。
<参考資料:ギター・マガジン2016年6月号、エレキ博士、ベース博士、ドラム博士、
クリームの軌跡、ロックの歴史を追いかける、Beware Of Mr.Baker、K.T Dogear+、
LEGENDER TONES、WHERE’S ERIC、Wikipedia、ナルガッキ、その他>
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