2020年5月22日金曜日

孤高のギタリスト、ジェフ・ベックの軌跡(3)フュージョン期

<世界一美しいロック・アルバム>

BBA解散のベックはアーティストとして岐路に立たされていた。
ロッド・スチュワート級のボーカルはいないと悟ったベックは、ボーカルではなく
ギターを見せつけるアルバムを作る、という冒険的な試みに出る。

ベックはジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラのジャズ・ロッ
的なアプローチに傾倒していた。
そこでマハヴィシュヌ・オーケストラの黙示録(Apocalypse 1974)をプロデュース
したジョージ・マーティンに依頼することにしたのだった。





レコーディングはロンドンのエアー・スタジオ(EMIから独立したジョージ・マーテ
ィンが1965年に設立した)で1974年12月から行われた。

ベックはマーティンと一緒に過ごすうちに、彼の話し方に教養のある丁寧な(しかし
決して相手を見下さない)雰囲気を感じたという。
他のミュージシャン達が言うように、マーティンはロックを見下さなかった。
曲がそれまでにない方向へ向かおうとする時は、なおさらそうだった。

マーティンは俺がどこに向かっているか分かってたし、うまく道へ導いてくれた
とベックは当時を回想している。


1975年にリリースされたブロウ・バイ・ブロウ (Blow by Blow) は、フュージョン色
の濃い初のインストゥルメンタル・アルバムとなり、アメリカでゴールドディスクを
獲得し、セールス面でも成功を収めた。ビルボード・チャートで4位を獲得。
(当初の邦題は「ギター殺人者の凱旋」)





アルバムに収録されているサウンドの粗さが魅力的なYou Know What I Mean、
エネルギッシュなFreeway Jumはファンク、ジャズ、フュージョンが融合した曲で、
ベックのそれ以前の曲と異なるサウンドに仕上がっている。

トーキング・モジュレーターを使ったレゲエ調のShe’s A Womanは最初聞いた時、
ビートルズのあの曲とは気づかなかった。
このビートルズとはまったく異なるヴァージョンは、ジョージ・マーティンの発案
で、R&Bシンガーのリンダ・ルイスからインスパイアされているそうだ。


キーボードのマックス・ミドルトン、ベースのフィル・チェン、ドラムのリチャード・
ベイリーという新たなバンドメンバーは、この新いいジャンルに柔軟に対応した。
ジョージ・マーティンとリチャード・ベイリーはすぐ意気投合した。


ベックはマックス・ミドルトンに惚れ込んでいた。
(ミドルトンは第二期ジェフ・ベック・グループのメンバーで、BBA結成時5人編成で
活動していた時期にも参加していた)
ブロウ・バイ・ブロウを通して聴くと、全曲で彼の貢献度が大きいことが分かる。

ミドルトンの感性は繊細で、特にフェンダー・ローズを扱わせたら絶品のプレイをする。
Cause We've Ended as Lovers(1)、Diamond Dustがいい例だ。




↑写真をクリックすると名演Cause We've Ended as Loversが聴けます。



ベックのギターの細やかな音色の変化のさせ方。ぜひステレオで聴いて欲しい。
左右に揺れるミドルトンのフェンダー・ローズ、リチャード・ベイリーの抑え気味な
リズムの刻み方と小技の効いたフィル、フィル・チェンの盤石なベース。


Cause We've Ended as Loversと同じくTheloniusもスティービー・ワンダーの曲。
クレジットされてないがスティービー本人がクラビネットを弾いている。(2)

Diamond Dustはマーティンがメロディーの盛り上がりを強調するために弦楽器パート
を加えることを提案した。「マーティンが曲を磨いてくれた」とベックは回想する。





ジャケットではトレードマークでもあるオックスブラッド・レスポールを弾くベック
の姿が見られるが、このアルバムでもメイン器として使用されている。

Cause We've Ended as Loversでハーフトーンになる箇所があるため、おそらく
ストラトキャスターだろうと長年思い込んでいた。。。が、違っていた。

セイモア・ダンカンが1959年製テレキャスターを改造しギブソンのPAFピックアップ
を2基搭載した、通称テレギブ(3)というギターを使用している。





本作発表後ベックは4月から7月にかけてアメリカ・ツアー(マハヴィシュヌ・オーケ
ストラとのジョイントもあり)行われた。8月にはBBA以来二度目の来日を果たした。



<スタンリー・クラーク、ヤン・ハマーとのセッション>

ツアーの後、ベックはスタンリー・クラークのアルバムJourney To Loveの
レコーディングに参加。タイトル曲とHello Jeffでギターを弾いている。
このセッションでジャズ/フュージョンへの傾倒はより強まることとなった。

またこの時期ベックはマハヴィシュヌ・オーケストラとヤン・ハマーに入れ込んで
いた、と明かしている。



1976年のアルバム、ワイアード(Wired)でベックは再びジョージ・マーティンと組む
ベックはマーティンにグラハム・セントラル・ステーションのアルバムを聴かせた。

マーティンは「申し訳ないけど、僕が聞いたアルバムの中で史上最悪なサウンドだね。
でも君の方向性が分かったと思う」と言ったそうだ。


アーティストの考え、やりたいこと(たとえ自分の好みでなくても)を受け入れる
寛容性、どう形にすればいいかアイディアを提示できる「何でもポケット」を持って
いることろが、マーティンならではの才力だ。(だからビートルズを成功に導いた)






今度はキーボードのヤン・ハマーが加わったことで、複雑なセッションになった。
Blue Windはマーティンではなく、ヤン・ハマーのプロデュースである。
ヤン・ハマーはこの曲も含め、4曲でシンセサイザーを演奏した。


また参加ミュージシャンも増えた。
マハヴィシュヌ・オーケストラに参加していたナラダ・マイケル・ウォルデン(ds)を
迎え、Led Bootsなど5曲で切れ味のいい演奏をしてもらっている。

Goodbye Pork Pie Hatはチャールズ・ミンガスのカヴァー。
完璧主義者のベックはソロに満足していなかったらしい。
しばらく経ってマーティンに電話して「ソロでいいアイデアがある」と言うと「アル
バムがリリースされて2週間だよ」と言われた、という逸話もある。

この曲以外は参加メンバーのオリジナル曲。ベックの作品は一つもない。






ワイアード(Wired)は前作と比べると、良くも悪くもシンセ臭が強くなりジャズ・ファ
ンク色も濃くなった、
ベックのギターも前作よりハードでダイナミックなプレイが繰り広げられている。
ストラトのアームを使ったグリッサンドで急激にピッチを下げる奏法も聴ける。


ジャケットで持っているローズ指板、オリンピック・ホワイトのストラトキャスター
はジョン・マクラフリン氏からプレゼントされた1963年製のもの。(4)
数あるストラトの中でこのネックが自分に一番フィットするとベックは言っている。
レコーディングでもこのストラトが使用された
以前に盗難に遭ったため、撮影後ベックのスタジオで大切に保管されているらしい。


本作発表後のツアーは、1976年5月ロンドン公演から始まる。
ヤン・ハマー・グループとのジョイント・ツアーの形で行われた。

ライブではタバコサンバースト、メイプルネックのストラト(ストリングガイドの形状
から1954年製と分かる)や第二期ジェフ・ベック・グループ後期から使っていたナチ
ュラルのフランケン・ストラト(5)を主に使っていたようだ




↑ベックとヤン・ハマー・グループによるScatterbrainが聴けます。
1976年6月ペンシルヴァニア州での録音。


10月から11月にかけてアメリカで行われたライヴを編集したものが「ライヴ・ワイアー
(Jeff Beck With the Jan Hammer Group Live 1977) として発表されることとなる。
実質的にはヤン・ハマー・グループのライヴにベックがゲスト参加したものである。

ライヴ盤発表に合わせてツアーが再開するが、すぐ中止になる。
一説によると、ベックとヤン・ハマーの関係が悪化したため?とか。
ヤン・ハマーは「お前のギターの音なんてシンセで出せる」と言ったそうな(^^)


その一年後1979年ベックはスタンリー・クラークのアルバムI Wanna Play For You
セッションに再び参加。Rock 'N' Roll Jelly(Live)、Jamaican Boyで演奏している。

スタンリー・クラークとのツアーは1978年11月、3度目となる日本公演から開始
このツアーにはサイモン・フィリップス(ds)トニー・ハイマス(kb)も参加している。
日本武道館でも11月30日〜12月2日の3日間行われ、僕も見に行った。




 


舞台の袖から出てきたベックはオープニングでグレコ・ローランドのギターシンセ
を携えてDarknessを演奏し始めた。その重低音に驚いたものだ。




その後はオリンピックホワイトに黒ピックガード、ローズ指板のストラト(シェク
ター・アッセンブリを搭載らしい)だった印象があるが、サンバーストのストラト
だったかもしれない。。。失念。


Freeway Jam、Scatterbrain、Rock 'n Roll Jelly、Blue Windとベックが弾くフレーズ
をスタンリーがアレンビックのベースで煽る、激しいバトルが続く。
アンコールで’Cause We've Ended As Loversも聴けて大満足のライブだった。




↑日本武道館でのスタンリー・クラークとの共演、School Daysが聴けます。





                                   (写真: Georges AMANN)
↑North Sea Jazz Fes.2006での再共演(スタンリーは7’30”で登場)
18年前もこんな感じだった。


フュージョン路線3作目のスタジオ録音アルバム、ゼア・アンド・バック (There and 
Back) は前作から4年経った1980年にリリースされた。

スタンリー・クラークとのツアー終了後、ベックは1978年12月からヤン・ハマー
との新作のレコーディングに取りかかる。サイモン・フィリップス(ds)が参加した。
ツアーですでに演奏されていたStar Cycle、Too Much to Lose、You Never Know
(ヤン・ハマーの楽曲)が録音されたが、その仕上がりに満足がいかなかったベック
はリリースを見合わせる。






1979年6月にはヨーロッパ・ツアーを開始する。
ツアー終了後、共演したトニー・ハイマス(kb)サイモン・フィリップス(ds)モー・
フォスター(b)が参加しレコーディングを再開し5曲を完成。
これに前回のセッションでの3曲を加えて本作が完成した。

発表後、アメリカ、日本(1980年12月)、ヨーロッパを回るツアーが行われた。
僕が買ったアルバムはこのゼア・アンド・バック (There and Back) が最後だ。



次作のフラッシュ (Flash 1985) は、久し振りの歌もの中心の作品。
ベック本人はあまり気に入っておらず、「忘れたいアルバム」と発言している。

しかし本作では久しぶりでロッド・スチュワートが共演しPeople Get Ready
を歌っているのをMTVで見た時は嬉しくなった。



(写真:gettyimages)
↑クリックするとベックとロッドのPeople Get Readyが視聴できます。



ベックのギターにはロッドのヴォーカルが一番相性が良かったのだと思う。
ロッド以上のボーカリストはいないからインストェルメンタルに徹したのだろう。

ベックはロッド以外はパートナーとなる、いいボーカリストに恵まれなかった。
その点がツェッペリンで大きな成功を得たジミー・ペイジ、自らのヴォーカルを
売りにできたクラプトンとの商業的な差になったのではないか。



1983年9月元スモール・フェイセズのロニー・レインの呼びかけによりロンドン
でチャリティー公演アームズ・コンサートが開催された。
三大ギタリスト(クラプトン、ベック、ペイジ)の競演が話題になった。

三者三様で良いが、僕はTシャツにジーンズで永遠のギター少年みたいなベック
がカッコ良く見え、その突拍子もないやんちゃなフレーズが一番楽しめた。




↑クリックするとアームズ・コンサートでのベックの演奏が聴けます。
(Star Cycle、The Pump、Led Boots (Intro) / Goodbye Pork Pie Hat)
サイモン・フィリップス(ds)フェルナンド・サンチェス(b) トニー・ハイマス(kb)



1986年6月ベックが再びヤン・ハマーと来日したので武道館に見に行った。
ドラムはサイモン・フィリップスだったけど他は憶えてないなあ。

6月1日に軽井沢プリンスホテル野外特設会場でサントリー提供のコンサートが
行われ、サンタナ、スティーヴ・ルカサーとも共演している。




↑軽井沢でヤン・ハマーと再共演した時のFreeway Jamが視聴できます。
ベックはイエローのストラトを弾いている。武道館でも?憶えてない。



ジェフ・ベックというギタリストは強者と組んだ時に最高のプレイをしてくれる。
ロッド・スチュワート、ティム・ボガートとカーマイン・アピス、ヤン・ハマーや
スタンリー・クラーク。。。ただし、それは長くは続かない。

ジェフ・ベックは常に新しいものを求めているからだ。



(写真:gettyimages)

<脚注>


(1)Cause We've Ended as Lovers
Superstitionはスティービー・ワンダーがBBAに提供した書き下ろし曲だった。
が、先にスティービー本人のヴァージョンが大ヒットしてしまう。
そのお詫びとしてCause We've Ended As Loversをベックに提供した。


(2)スティービー本人がクラビネットを弾いているThelonius
ベックがスティービーのアルバムTalking Book 1972) 制作に参加した際の録音。
アルバムに収録されなかったのでアウトテイクということになる。
したがってこの曲はジョージ・マーティンやヤン・ハマーが録音に関わっていない。


(3)テレギブ
当時フェンダーの修理部門で働いていたセイモア・ダンカンが1959年製テレキャスタ
ーにギブソンのPAFピックアップを2基搭載し改造したもの。(通称テレギブ)
ベックの大ファンだったダンカンはBBAの2nd.アルバムを制作中だったベックを訪れ、
このギターを贈呈する。
ベックはこのテレギブを気に入り、エスクワイアと交換した。





(4)1963年製オリンピック・ホワイトのストラトキャスター
ベックのトレードマークになっているローズ指板、オリンピック・ホワイトのストラト
キャスターは、ジョン・マクラフリンから贈呈された1963年製のストラトが起源。
1990年代に発表されたシグネイチャー・モデルの土台になっている。


(5)ナチュラルのストラト(フランケン・ストラト)
第二期ジェフ・ベック・グループの後期からヤン・ハマーとのツアーまでの4〜5年間、
使われていたストラトキャスター。
いろいろな時代のパーツを組み合わせているのでフランケン・ストラトと呼ばれる。
ボディーは1957~1959年製のアルダーで塗装を剥いだナテュラル仕様。
JBG期はメイプル・ネックのスモールヘッドでフェンダー・ロゴが剥がされていた。
後に1974~1975年製のラージ・ヘッドで2ストリングス・ガイドのローズ指板ネック
に交換された。
ボリューム・ノブだけが1965年頃のジャズ・マスターのもので少し大きい。
3点留めのネックを無理矢理4点止留でジョイントしてある。
ピックガードはネジ穴の位置が変わる前の1960~1962年製。


<参考資料:ギタファン-GitaFan-、エレキギター博士、イシバシ楽器店、 YouTube、
JEFF BECK COPY BAND “WIRED、AIPC名作映画・洋楽名盤ガイド、 ヤング・ギター、
Wikipedia、Rolling Stone、EQUIP BOARD、Les Paul Forum、gettyimages、Player、
Georges AMANN、他>

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