2020年8月20日木曜日

あの曲でデイビーは、ミックは何と言ってるのだろう?

 <モンキーズのデイドリーム・ビリーバーの冒頭の会話>

曲が始まる前、デイビー・ジョーンズと誰かの会話が入っている。
中学生の英語力で聴き取れるわけがない。何と言ってるのだろう?



↑写真をクリックするとモンキーズのデイドリーム・ビリーバーが聴けます。


こう言ってるらしい。


Chip Douglas:  7A...  
Davy Jones:   What number is this, Chip?  
Chip (and another unspecified voice):   SEVEN - A !
Davy :Okay, Know I mean,don't excited,man.It's 'cause I'm short,I know...


レコーディング中の会話。
プロデューサーのチップ・ダグラスがコントロールルームから何テイク目か、
ボーカル録り中のモンキーズに教える。

 7Aというのは、テイク7をベーシックテイクとしA、Bと複数録るのだろうか?
僕は Seven-Eight と言ってるのだと思ってた。(最後の子音が聴こえないが)
実際に海外でも Seven-Eight と記載されているサイトもある。(1)

アレンジやテンポを変えいくつか録ったオケのうちテイク7をベストとし、
リダクションした上で、ボーカル録り。その8テイク目かと。
テイク78 (Seventy Eight)を簡単にSeven-Eight と言ってる可能性もある。






デイビーは「チップ、これ、何テイク目だっけ?」と訊き返す。
チップと他の誰か(エンジニアか他のメンバーか)が声を揃え、やや語気を強め
てもう一度「SEVEN - A ! 」と応える。

(You) know (what) I mean, don't (get) excited,の( )内は省略されている。
manは呼びかけ。'cause は becauseの省略形。(ビートルズの曲でも使われる)


デイビーは「オーケー、察してくれよ、そうカッカするなって。僕がチビだから
だな。分かってるんだ」とユーモアでスタジオを和ませている。

おそらくテイク数を重ね、みんな疲れてピリピリしてたのだろう。
デイビー自身も最初この曲に可能性を感じることができず、録音時は不快な感情
のままで歌っていたと、後に認めている。


チップ・ダグラスはこのやり取りを面白がり、曲の冒頭に入れたのだ。




デイドリーム(原題:Daydream Believer)はモンキーズが1967年に発売した
5枚目シングルで、4週連続全米1位を記録した。
アイム・ア・ビリーヴァー(I'm a Believer) に次ぐヒット曲となった。

翌1968年にアルバム、小鳥と蜂とモンキーズ (The Birds, The Bees and 
The Monkees)に収録されている。


NBC系列で放送されたザ・モンキーズ・ショーが、日本では1年遅れて1967年
10月から1969年1月にかけて放送(TBS系列)されたため、日本で人気に火が
ついたの1年遅れ。デイドリームも1968年にヒットしている。

しかもデイドリームはアメリカ、日本でも長く愛される彼らの代表曲となった。
ボーカルはデイビー、マイクがギター、ピーターがピアノ、ミッキーはコーラス。
その他はスタジオ・ミュージシャンを起用している。





初期はレッキング・クルー(2)が演奏したオケに歌だけ吹き込むハリウッド形式
に甘んじていたモンキーズが自立性を求め謀反を起こして(3)からの作品だ。

デイドリームはプロデューサーのチップ・ダグラスの「モンキーズに合いそうな」
という要請に応じて、ジョン・スチュワート(キングストン・トリオに在籍)
提供した曲で、チップの意向で一部歌詞が変更されている。

ジョン・スチュワート自身も後にこの曲を録音。
アルバムThe Lonesome Picker Rides Again(1971)で発表している。
ジョン・スチュワート版はカントリー色が強く、デイビーよりマイクに向いてる
気がする。ジョニー・キャッシュやグレン・キャンベルが歌っても違和感ない。




↑クリックするとジョン・スチュワート版デイドリーム・ビリーバーが聴けます。


デイドリームは多くのアーティストにカヴァーされている。
日本ではとりわけ忌野清志郎が独自の歌詞をつけ歌うヴァージョン(4)が2011年
からセブン・イレブンのCMで繰り返し流れているので、若い人たちはこちらの
方が馴染みがあるかもしれない。

忌野清志郎ファンには申し訳ないが、個人的に好きではない。
テレビを見てて、ラ〜ラララ〜♪ ずっと夢を見て〜♪ というCMが流れてくると、
またかよ、モンキーズの名曲への冒涜だ!と言いたくなる。






<ストーンズのタイム・イズ・オン・マイ・サイドでミックが言ってる内容>

ストーンズの人気曲タイム・イズ・オン・マイ・サイド (Time Is on My Side) 。
間奏でギター・ソロに乗せてミックが語りかけシャウト。
(ライブではここでキャーと女の子たちが盛り上がる)

何と言ってるのだろう?



↑写真をクリックするとストーズのタイム・イズ・オン・マイ・サイドが聴けます。


こう言ってるらしい。


Go ahead, go ahead and light up the town
And baby, do everything your heart desires
Remember, I'll always be around
And I know, I know
Like I told you so many times before
You're gonna come back, baby
Because I know
You're  gonna  come back knocking
Yeah, knocking right on my door
Yes, yes!

ほら、やれよ!(5) 街を明るく照らしてくれ
おまえは心の向くまま好きなことをやればいい
覚えていてくれ 俺はいつだって近くにいる
で、分かってるぜ
前に何度も言ったように、おまえは戻ってくるさ
だって分かるんだ
おまえが戻ってきてドアを叩くだろうって
そう、俺の家のドアを叩くんだ、きっとそうさ








オリジナルはアメリカのジャズ・トロンボーン奏者カイ・ウィンディングが1963年
に発表したインスト曲。
Time is on my side(今がチャンス、時が味方してくれてる)とYou'll come 
running back(お前は戻って来るさ)のパートだけ女性コーラスが入る。

3声のバックコーラスはホイットニー・ヒューストンの母シシー・ヒューストン、
ディオンヌ・ワーウィックと妹のディー・ディー・ワーウィックの3人が担当した。



↑カイ・ウィンディングのタイム・イズ・オン・マイ・サイドが聴けます。


1964年6月、ジミー・ノーマンがこのインスト曲に新たに詩を付け、女性シンガー
のアーマ・トーマスによって歌われた。

ギターの間奏に乗せてアーマ・トーマスはミックとほぼ同じ台詞を言っている。
つまりこの語りのパートはジミー・ノーマンが作った歌詞の一部であり、ミック
はそれを踏襲している、決してアドリブで言ってるわけではないことが分かる。



↑アーマ・トーマスのタイム・イズ・オン・マイ・サイドが聴けます。


同年9月26日、ローリングストーンズがアメリカでシングルA面曲として発表。
イギリスでは翌1965年1月にアルバム、ザ・ローリングストーンズ No.2に収録。
1964〜1966年にストーンズのステージでよく演奏される人気曲であった。



1964年10月、サンタモニカで開催されたTAMIショー(6)にストーンズは出演。
この時、彼らは2度目の渡米で、初の大規模なツアーの最中だった。
2日前にエド・サリヴァン・ショーへの初出演を果たし、ニューヨークとサクラ
メントで公演を行った後、会場のあるサンタモニカにやってきた。

2月にビートルズが初の渡米を果たしエド・サリヴァン・ショーに出演。
8月に大規模な全米ツアーを行った後。
ビートルズの成功に続き、半年遅れでストーンズも全米進出したことになる。




地元カリフォルニアのジャン&ディーン、ビーチ・ボーイズ、レスリー・ゴーア。
チャック・ベリー、R&Bの大御所ジェームス・ブラウンが出演者に名を連ねる。
そこにスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、シュープリームス、マーヴィン
・ゲイとモータウン勢も加わっていた。

ブリティッシュ勢はストーンズの他、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタズ、
ジェリー&ザ・ペースメーカーズが参加。アウェイな環境での出演だった。


しかも出演前にストーンズは自分たちがショーの一番最後だと知らされる。
自分がトリになると思っていたジェームス・ブラウンは「ストーンズが二度と
アメリカに来たくるようなステージをやってやる」と宣言していた。


ストーンズは4曲演奏したが、とりわけタイム・イズ・オン・マイ・サイドの
出来は出色で、客席も一際盛り上がっている。



↑TAMIショーでのストーンズのタイム・イズ・オン・マイ・サイドが観れます。


このショーでも間奏部のミックの語りはほぼレコードに忠実である。

ストーンズがステージを降りるとジェームス・ブラウンが握手を求めてきた。
ミックもこう語っている。

「今回のツアーはジェームス・ブラウンを見れたのが一番良かった。素晴らしい。
TAMIショーでジェームスの後でステージに出るのはある意味、災難だったよ。
彼がステージに現れると観客はコンサートの締めくくりだと思ってしまうだろう」




ジェームスとストーンズは親交を深め、ミックはジェームスのステージでの動き
を取り入れることで、ステージでのパフォーマンス力をさらに高めた。



タイム・イズ・オン・マイ・サイドは日本でもGSがよくライブで演奏していた。
タイガース、テンプターズ、スパイダーズなど。

特にタイガースによるカヴァーはストーンズの1966年のライブ・アルバム、
ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!(7)収録のヴァージョンをほぼ
完コピしている。 えらい! R&B色は完全に失せているが。



↑写真をクリック。タイガースのタイム・イズ・オン・マイ・サイドが聴けます。


例のGo ahead, go aheadのパートはたぶん英語が堪能な人に聴き取ってもらっ
たのであろう。ストーンズのそれとは何箇所か異なる。
歌はご愛嬌だけど、こういう台詞回しはネイティブじゃないとサマにならない。


<脚注>

(1)デイドリーム・ビリーバー冒頭の会話
諸説あるようで、以下のように記載されているサイトもあった。

Chip Douglas:  Seven-eight
Davy Jones:  What number is the qustion ?  
Chip (and the rest of members):  SEVEN - EIGHT !
Davy :  Okay, Know what I mean, don't excited, man. 
           It's 'cause I'm short, I know.


(2)レッキング・クルー
ドラムのハル・ブレイン率いるL.A.の腕利きのスタジオ・ミュージシャンの集団。
1960年代〜1970年代のアメリカのヒット・チャートを支えてきた猛者たちだ。
一つのバンドではなく、必要な時に必要なミュージシャンをスタジオに派遣する
流動的なセッションマンのユニットである。

当時のアメリカの音楽シーンは分業制で、歌手やバンドがツアーに出ている間に
スタジオ・ミュージシャンが演奏をレコーディングし、完成したオケにボーカルを
重ねることが多かった。
本人たちの演奏力では難しいとプロデューサーが判断した場合、メンバーが忙しくて
レコーディングに参加できない場合もレッキング・クルーにお声がかかった。
ロネッツ、フランク・シナトラ、ビーチボーイズ、モンキーズ、カーペンターズ、
サイモン&ガーファンクル、フィフス・ディメンション、バーブラ・ストライサンド
、バーズ、ママス&パパスなどのヒット曲で貢献している。


(3)モンキーズの謀反。
モンキーズはオーディションで集められたアイドル・グループで、テレビ番組と
の相乗効果でレコードを売ろうというアメリカらしいプロジェクトだった。
ニール・ダイアモンド、ボイス&ハート、ゴフィン&キング、ハリー・ニルソン、
ニール・セダカ、マン&ウェイルを起用しヒット曲を量産する。
音楽部門の責任者であるドン・カーシュナーはメンバーたちがアルバム制作に関わる
のを一切認めず、無断で未発表曲を発売する横暴さだった。

モンキーズはクーデターを起こし、ドン・カーシュナーを更迭する。
タートルズのチップ・ダグラスをプロデューサーに迎え、3枚目のアルバム、灰色の影
((Headquarters 1967)は自分たちの選曲と自作曲を収録。演奏も彼ら主体的。
当然、演奏は稚拙で楽曲のレベルも下がったため、セールスは落ちる。
その後、撮影、レコーディング、ツアーなどの時間的制約から、演奏はスタジオミュー
ジシャンを使用する方式に戻った。


(4)忌野清志郎が歌う日本語のデイドリーム・ビリーバー
忌野清志郎が結成したザ・タイマーズのデビューシングルとして1989年発売。
歌詞は亡き母への想いを込めたものである。
エースコック・スーパーカップ(1989)、サントリーモルツ(2006)のCMにも使用
されている。

(5) Go ahead, go ahead
go aheadは「お先にどうぞ」と相手に譲るときの慣例句。After youと同義語。
「始める」という意味なでも使われる。
強い口調で言うと「やれよ!」「ほら...しろよ!」という意味になる。


(6)TAMIショー
主催者の間でもTAMI SHOWのTAMIが何の略なのかはっきりしていなかった。
宣伝資料にはTeenage Awards Music International、Teen Age Music International
という2通りの名称が書かれている。
1964年10月28、29日の2日間、南カリフォルニア、サンタモニカ公会堂で開催。
チケットはすべて地元の高校生に無料で配布された。
ジャン&ディーンが司会、レッキング・クルーがハウス・バンドを務めた。
コンサートはエレクトロノヴィジョン(ビデオに似た撮影装置)で撮影され、同年の
12月29日に映画公開された。イギリスでは一部映画館のみの限定公開。
この映画は海賊版が出回っていたが、2010年にようやく正式にDVD化された。


(7)ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!
Got Live If You Want It! はアメリカでのディストリビューター、ロンドン・レコード
要請により編集された初のライブ・アルバム。1966年11月にリリースされた。
ほとんどの曲がボーカルを録り直しされており、厳密にはライブ盤とは言い難い。
また2曲はスタジオ録音に歓声をオーヴァーダビングした物が収録されている。
ストーンズは出来に満足せず、公式に認めていない。
タイトルは前年の1965年、イギリスのみで発売されたライブEP盤を流用したもの。
アメリカのLPとイギリスのEPは収録曲がまったく異なる。


<参考資料: The Monkees Tale, Last Gasp Press, 1986、 LyricFind、
Genius Lyrics、discovermusic、Wikipedia、YouTube、他>

2 件のコメント:

  1. 私も清志郎さんのデイドリームビリーバーは敬遠します。原曲の繊細な美しさに敬意が感じられません。

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  2. そうですね、歌うのは勝手ですが。
    あれをCMで何度も流し続けるのは嫌いな人間にとっては暴力です。
    モンキーズの原曲を使うと放送料金が高いからケチったのでしょう。

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