2021年9月19日日曜日

ロック界の紳士、ストーンズの要、チャーリー・ワッツを悼む。


↑英国のニュースサイトが編集したチャーリーのトリビュート動画が観れます。


ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが死去した。享年80歳。
8月24日ロンドン市内の病院で家族に見守られながら息を引き取ったそうだ。

数週間前、定期検診中に問題が見つかり、緊急の心臓手術を受けていたらしい。
医師団のアドバイスを受け、9月開始の全米ツアーへの不参加が発表されていた。
回復後、2022年ストーンズ結成60周年記念のアルバム制作の頃には活動を再開
するつもりだったそうである。


2004年に喉頭癌が発覚し放射線治療を受け、小康状態だった。
翌年にはツアーに復帰している。

2016年3月のキューバ首都ハバナで120万人を動員したハバナ・ムーン・ライブ
ではチャーリが元気にドラムを叩く姿が見られた。



↑ハバナ・ムーン・ライブでのOut Of Control が観れます。


昨年コロナ渦で放送されたOne World:Together at Homeでも、ストーンズの
4人が自宅からリモート・セッションでYou Can't Always Get What You Want
(無常の世界)を演奏。

機材ケース?を並べポコポコ叩く飄々としたチャーリーの姿も観ることができた。
ソファーをシンバルに見立てて叩き、お馴染みのスティック回しも披露してた。




この人はまだまだ現役でやれるだろう、という気がしてたのに残念だ。



<スタイルとエレガンスの男、チャーリー・ワッツ>

仕立てのいいサヴィル・ロウのスーツを英国紳士然と上品に着こなすチャーリー。
ロックスターのワイルドなイメージとはかけ離れていた。

彼ほど身なりの良いドラマーはいない。ミックよりSirの称号が似合いそうだ。
若い頃より後年の方が渋さが増し、バンドでの存在感も大きくなった。
歳を重ね、あんなカッコいいジジイになれたらいいのに。誰もが憧れる。



↑エドワード8世(ウィンザー公爵)(1)が所有してたグレンチェックのスーツ。



↑チャーリーが着てるのは同じくエドワード8世所有のサーモンピンクのスーツ。
2着ともサザビーズのオークションで購入したらしい。




派手でワイルドな2人のフロントマン、エネルギーの塊のようにステージを駆け回る
ミック、更生の余地のない永遠の不良、キースとは対照的に、黙々と淡々とドラムを
叩くチャーリーの姿は対照的だった。
The Quiet Rolling Stone(静かなるローリングストーン)と称されてもいる。


チャーリーはロックスターの華やかな生活に興味を持たなかった。
女性関係が乱れていたストーンズにおいて、唯一チャーリーだけは離婚歴がない。
(これってロック界全体でも珍しくない?)

ストーンズのデビュー翌年に結婚したシャーリー・アン・シェパードと生涯添い遂げ、
全米ツアーでは妻と離れるのが寂しくて泣いたという愛妻家でもあった。





<チャーリーの武勇伝>

ファンの間では語り草になっている逸話がある。

1980年代ミックがソロ活動をやりたいと言い出し、とキースとの仲が険悪になる。
メンバー間の融和を図るため、1984年にアムステルダムでミーティングが行われた。


キースは結婚式の時に着たジャケットをミックに貸し、2人で飲みに出かけた。
明け方5時にホテルに戻ると、「こんな時間にやめておけ」というキースの忠告にも
かかわらず、ミックはチャーリーの部屋に電話し「俺のドラマーはどこだ」と尋ねた。
ちょっとしたいたずらのつもりだった。

チャーリーはベッドから起き上がり、髭を剃り、オーダーメードのスーツに着替え、
2人がいる部屋のドアをノックした。
チャーリーはミックの顔に見事なフックをお見舞いしノックアウト。こう言いった。
「俺のことを二度と『俺のドラマー』と呼ぶな、お前は俺のシンガーだ!」



                             (写真:gettyimages)

キースによるとディテールが少し違う。電話の20分後に誰かがドアをノックした。
キースがドアを開けると、スーツとネクタイ姿で完璧にドレスアップしたチャーリー
が、オーデコロンの匂いを漂わせながら乗り込んできた。

チャーリーはキースの横を通り過ぎ、ミックに「二度と『俺のドラマー』と呼ぶな」
と言い放ち、顔面に右フックを食らわせた。
殴られたミックはテーブル上のスモークサーモンが乗った大皿の上に倒れ、勢いあま
って開いた窓から下の運河に落ちそうになり、キースが助けた。
ミックはキースの大切なジャケットをまだ着ていたからだ。(話盛ってないか?)



                             (写真:gettyimages)


チャーリーは1994年にCBSの番組「60ミニッツ」出演時にこの話を否定している。
「ミックは当時、俺をよくいらだたせたんだ。俺のことを『俺のドラマー』と言ってね。
だからある時『お前は俺のシンガーだ』と言い返したんだよ」と答えた。
「どっちも正しい。違うかい? だからあの時はちょっと怒っただけさ」と笑った。





<ストーンズのグルーヴはチャーリーだった>

1980年代のMTV全盛期ストーンズがVIDEO REWINDという映像作品を発表した。
ビル・ワイマンがナビケーター役でストーンズのヒストリーを追うという設定で、
1970年代後半から1980年代までのプロモ・ビデオが収録され楽しめる作品だった。


その中で「バンドの長続きの理由は?」というインタビュアーの問いに、ミックも
キースもロンもビルも、それぞれが「チャーリー」と即答している。
チャーリーはそれに対し「くだらねえ(Fuckin' shit))と吐き捨てるように言った。

当時それを見たときはジョークなのだろう、と思っていた。
4人ともチャーリーをおちょくってるのかな?
演奏はともかく、彼の温厚で謙虚な人柄でバンドの人間関係が保たれている。
そういうこと?と勝手に思っていた。



↑ストーンズ公認の初のライブ盤Get Yer Ya-Ya's Out!(1970年)(2)
レスポールとダンエレクトロ?を持って嬉しそうにジャンプするチャーリー。
カメラとSGを首にかけグレッチのバスドラム、フロアタムを背負わされたロバ。
これがミックやキースだったら面白くない。愛すべきチャーリーだからいいのだ。





僕は完全に誤解していた。
チャーリーはそれほど上手くないドラマーだと思ってたのだ。
デッカ時代のRuby Tuesday、Dandelion、She's A Rainbowでのドコドコドコ
ともたつき気味なフロアタムのせいかもしれない。

デッカのステレオミックスの野暮ったっさのせいもあるだろう。
(クラシックでは名門レーベルなのに。なぜかロックは垢抜けないというか。
ビートルズはデッカのオーディションに落ちて正解だった)




しかし1990年のストーンズ初来日、東京ドーム1曲目のStart Me Upを聴いた時、
今までの認識は間違ってたとすぐに気づいた。

おおっ、チャーリーがストーンズを動かしている!


偉大なバンドの重いグルーヴを刻んでいるのはチャーリーのドラムだった
あの日ドーム全体が同じ感覚を共有した瞬間だった。



↑1990年東京ドームでのStart Me Upが観れます。


ストーンズはキースのリフとコード・カッティングでリズム・パターンが決まる。
チャーリーはキースに合わせて叩く。

チャーリーの個性はややモタり気味の引きずるようなドラミングにある。
そのおかげでキースは前のめりに突っ走ることなく、しっかりしたプレイができる。
ストーンズはバンド全体のリズムがモタっているのでむしろ心地よく聞こえるのだ。
それがストーンズ独特のグルーブ感である。


チャーリーが強固な岩(stone)のようにいるからこそ、キースはリフを繰り出し、
小気味いいカッティングができ、ミックは歩調を合わせ吠えることができるのだ。
他のメンバーたちは、従うべき基準はチャーリーだということを心得ていた。





チャーリーのドラムに合わせてストーンズがプレイしているのだ。
チャーリーが究極のロックンロール・ドラムの神様たる所以がここにある。
キース・ムーンやジョン・ボーナムがストリートファイターだとすれば、チャーリー
は静かなるヒットマンだ。自分が撃たれるまで彼の存在に気づくことがない。
チャーリーはスポットライトを嫌った。
何年間も淡々と自分の仕事をこなしながらステージ上から人々を圧倒し続けた。
(RollingStoneより)

チャーリーは誰が何をしようと動じない人間だった。我が道を行くという感じだ。
本人が自分のプレイに一喜一憂したりしないのだから、他のメンバーはなおさらだ。
キースはこう言っている。
「チャーリーの謙虚さに何かを押し付けることなどできない。全く裏表がないんだ。
彼にとっては、自分のドラムがどう評価されているかなんてお構いなしさ」
(RollingStoneより)



                            (写真:gettyimages)


チャーリーもまた「キースのプレイは予想不可能だけど、息を合わせることができれば
特別なものが生まれる。彼とはすごく相性が良いんだ」と言っている。
(RollingStoneより)

「キースの音さえ気にしていれば、バンド全員の音にまで気を配る必要はない。
僕は彼のギターに従うまでだ」



ストーンズの曲はキースがいいリフを思いつくまで何時間も待たなければならない。
キースが24時間ぶっ通しでスタジオに篭った際、他のメンバーが付き合いきれず次々
と帰ってしまう中、水ぶくれが潰れて手が血に染まっても顔色ひとつ変えずに最後まで
ドラムを叩いていたのはチャーリーだった。





キースはチャーリーに全幅の信頼を寄せている。
チャーリーでなければローリング・ストーンズとは呼べない」と断言していた。

「長続きの秘訣は?」の問いに全員が「チャーリー」と答えたのは真実であった。





<チャーリー・ワッツのドラム・スタイル>

チャーリーのプレイスタイルは特徴的である。映像で気づいた方も多いと思う。
通常8ビートでは右手でハイハットを連打し続けるが、チャーリーは2拍と4拍の頭に
左手でスネアを叩く時、右手のハイハットは打たない。手癖なのだろう。

ツツタツ、ツツタツのタの箇所でふつうはツが上にかぶっているのだが、チャーリー
の場合はこのツがお休みでタだけになるのだ。




通常の8ビートの基本パターン          チャーリーの8ビートの叩き方


本人は指摘されるまで、自分がそう叩いている事に気が付かなかったと語っている。
(他にこの叩き方をするドラマーはミック・フリートウッドしか思い当たらない)

2拍と4拍の頭にハイハットに入らないことで、スネアの音が強調されて聴こえる。
このチャーリーのお家芸ともいうべき、ハイハットリフトがストーンズ独特のグル
ーヴを生み出している、という指摘も多い。



↑Monkey Manでのチャーリーのドラミングが観れます。


フィルインやシンバルの使い方もチャーリーは独特である。
曲のエンディングでもドンと一気に終わらずドコドコ引きずって終わることが多い。
前述のようなモタり感、うまい具合にルーズさが出るのがチャーリーの持ち味だ。


チャーリーはもともとジャズ畑で独学でドラムを習得した。
トニー・ウィリアムス、バディ・リッチ、アート・テイラーを尊敬してるという。

ブライアン・ジョーンズに誘われてストーンズに加入してから、キースの影響で
シカゴ・ブルースやR&Bを聴くようになった。





ジャズドラマーらしく左手のスティックはレギュラーグリップである。(3)
ストーンズでデビュー後は周りの勧めもあってマッチドグリップで叩いていたが、
どうしても馴染めず1967年頃からレギュラーグリップに戻したそうだ。




デビュー当初はラディック製のドラムセットを使っていた。
1970年代年から1957年製のグレッチのドラムセットCW-600を愛用している。
ラウンドバッジのヴィンテージで世界中のコレクターが欲しがる名器だ。

1バス・1タム・1フロアタムとロック・ドラマーにしてはシンプルな構成。
スネアやタムは低くセッティングしてある。
(同じくジャズ畑からベンチャーズに参加したメル・テイラーもそうだった)




「ライド・シンバルはジャズでは重要だがロックではそれほどでもない。
クラッシュ・シンバルにチャイナ・シンバルを使っているのは衝突音を出すためだ」
とチャーリーは言っている。

晩年はdw製のスネアドラムを使用していた。
スティックはヴィックファース製の小さめのサイズ。チップはティアドロップ型。
ジャズ・セッションで繊細な音を出すためらしい。チャーリーの根幹はジャズなのだ。





↑チャーリーが自身のドラムセットについて語り演奏している動画が観れます。



チャーリー曰く「今でも自分はジャズ・ドラマーだと思っている。ジャズ・ドラマーが
たまたま世界一のロックバンドに入ってるってことだよ。ロックを一緒にプレイするの
は彼らだけ。俺はただこのバンドでドラムを叩くのが好きなだけなんだ」とのこと。

一方、今まで出会った中で最高のドラマーはジョン・ボーナムと即答している。
ビートルズのファンではないが、リンゴ・スターのファンである、とも言っていた。
エルヴィスは嫌い、と公言している。




「俺のやっていることは特別難しいことじゃない。
だけど俺を一段超えようとすると、ドラムって難しいと思うはずだ」


ストーンズを偉大なロックンロール・バンドたらしめたチャーリー・ワッツよ、永遠に。




<脚注>


(1)エドワード8世(ウィンザー公爵)

1936年にイギリス国王、インド皇帝となるが、離婚歴のあるアメリカ人平民女性と
結婚するため1年足らずで退位。「王冠を賭けた恋」で知られている。
退位後の称号はウィンザー公爵。
刺繍やキツネ狩り、乗馬、バグパイプ、ゴルフ、ガーデニングなど多趣味で知られる。
独身時代はヨーロッパでも屈指のプレイボーイとしても有名。
20世紀最大のファッションリーダーとして語り継がれる。
ウィンザー公が好んだ2〜3つボタンでウエストから裾にかけてゆるくカーブを描く
スーツは、イギリスやアメリカで大流行した。
特に好んで着用していたのはグレンチェック柄のスーツ。
当時は珍しい襟の大きなシャツは彼の名前からウィンザーカラーシャツと呼ばれる。
彼流のネクタイの結び方はウィンザーノットと呼ばれるようになる。
ツートンカラーのコインローファー、スウェードの靴もウィンザー公が起源。

1950年代に労働者階級の若者の間でエドワード8世が着用した長い丈のジャケット、
厚底のコンビの靴が流行する。
そうした不良少年たちはテディ(エドワードの略称)ボーイと呼ばれた。


(2)ストーンズ公認の初のライブ盤Get Yer Ya-Ya's Out!(1970年
1969年11月マディソンスクエア・ガーデンでの公演が収録された初のライブ盤。
ブライアン・ジョーンズに代わってミック・テイラーの参加した初のツアーであった。
(1966年に米国でのディストリビューター、ロンドン・レコードの要請で編集された
ライブ盤Got Live If You Want It!をストーンズ側は認めていない)

ジャケットのすばらしいデザインはジョン・コッシュ。
タイトル!はブラインド・ボーイ・フラーのGet Yer Yas Yas Outからとされる。
Yerはyourの俗語。YasはYesを崩した俗語だが、ass(お尻)の卑語でもある。
ya-yasは度を越して何かに夢中になる、快楽にふけると言う様子を表している。
Get Yer Ya-Ya's Out!は(ケツ出して)ハメはずして楽しもうぜ!的な意味だろう。
ちなみにアメリカではロバは間抜けを意味する。かわいくて好きなんだけどな。


(3)マッチドグリップとレギュラーグリップ
マッチドグリップは左右が同じ持ち方のグリップ。
自然に棒を持つ時の形が基本なので、ビギナーにも親しみやすい。
パワフルな音が出せるので、ロック畑のドラマはたいていこのスタイルである。
また左手が伸ばせるため、シンバルが叩きやすい。
レギュラーグリップは左手だけ親指と人差し指の間、薬指の2点で支える方式。
繊細なタッチで小技が効くのでジャズに向いている。


<参考資料: Rollingstone、産経新聞、キース・リチャーズ自伝「ライフ」、
マイク・エジソン「ドラマーへの哀れみ チャーリー・ワッツが重要な理由」、
ロックの歴史を追いかける、ドラム講座.com、アクロミュージックスクール、
amass、Dandyism Collection、Rittor Music、Hint-Pot、Wikipedia、
YouTube、gettyimages、他>

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