2021年11月11日木曜日

グリン・ジョンズの「ゲット・バック」は何だったのか?


レット・イット・ビー2021リミックスのスーパー・デラックスが先月届いた。
5CDを繰り返し聴いている。



<ゲット・バックからレット・イット・ビーへの経緯>

「原点回帰」を掲げ1969年1月2日〜31日に行ったゲット・バック・セッションが
まとまらず、当のビートルズが放棄してしまった。
グリン・ジョンズにアルバム制作を丸投げするが、出来に納得できず却下



↑ポールの横に立っているのがグリン・ジョンズ。


ゲット・バック棚上げ状態のまま、1969年5月〜8月にビートルズは再びジョージ・
マーティン、ジェフ・エメリックと組み、別なアルバムを制作。
11月にアビイロードを先行発売する。

1970年5月公開映画のサントラ盤として再びゲット・バックの編集が迫られた。
グリン・ジョンズは映画で弾いてる2曲を加え(アイ・ミー・マインは追加録音)
1月5日に2回目のミックスを完成させる。が、これも却下。



↑真ん中がグリン・ジョンズ。


ジョンの脱退宣言、アラン・クレインのマネージャー就任、アップル社のごたごた。
ポールはスコットランドの農場に引きこもる。
その間ジョンはアラン・クレインの推薦でフィル・スペクターを起用し、アルバム
の再編集を依頼。(ポールはこの事実を知らなかった)

フィルによってレット・イット・ビーとして姿を変えたアルバムをジョンは絶賛。
ポールは自身の曲を無断で過剰装飾したことに激怒。脱退宣言に至る。



↑ポールがアラン・クレイン(C.C.フィル・スペクター)に送った抗議文


ジョージ・マーティンも「いい曲も多かったのに馬鹿なことをした」と批判。
ローリングストーン誌などの音楽誌、評論家たちも「スペクターがこれ見よがしの
ウォール・オブ・サウンドでビートルズの新曲を台無しにした」と辛口。

リアルタイムで聴いたファンたちも今までと様相が違うビートルズに戸惑った。
しかし時を経てレット・イット・ビーもビートルズの1作品として定着している。



はたしてフィル・スペクターは天才的手腕でビートルズがまとめられなかった
アルバムを完成させた救世主だったのか
それとも持ち前のエゴで自分色に塗り変えてしまった疫病神なのか



↑左からアラン・クレイン、フィル・スペクター、ジョージ。


もしグリン・ジョンズのゲット・バックが発表されていたらどうなっていたか?
完成度の低い遊び半分のリハーサル・テイク集を聴いた人はどう感じたろう?
音楽評論家や音楽誌は「ビートルズは終わった」と酷評したのではないか。

グリン・ジョンズのゲット・バックか、スペクターのレット・イット・ビーか?
極端な二択以外にも、別な形でアルバムにすることもできたのではないか?



56時間に及ぶフィルムから流出した音源がブートとして出回り、マニアックな
ファンはそれらを聴きまくった。しかし最適解は出ない。
ゲット・バック/レット・イット・ビーは50年経っても終わらない永遠のループ
ファンにとっても。そしてビートルズにとっても。




↑Vig-O-Toneから発売されたGet Back Journalsシリーズ。各8〜14CDだった。
私もずいぶん投資しました(笑)当時は宝の山とありがたく拝聴してたけど。。。




<レット・イット・ビーを捉え直す試み>

レット・イット・ビー....ネイキッドはオーヴァーダブを取り除いて、エコーや
エフェクトも排除したすっぴんのビートルズ、ポールが本来意図したゲット・バ
ックのあるべき姿として2003年にリリースされた。


        



しかしポールの完璧主義と当時の高度な編集技術が災いし、複数のテイクからいい

とこ採り、ミスは差し替える、いわばすっぴんではあるが継ぎ接ぎの整形美人
なってしまった。

会話は一切入れるなというポールの指示で、不自然なくらいエンディングの余韻が
なくぷつんと終わってしまうのも残念である。
ポールの自己満足のための企画モノ的アルバムだったという印象も拭えない。



レット・イット・ビー2021リミックスはスペクター色を否定するものではない

オリジナルを踏襲しつつ、埋もれていた音を聴こえるようにする、楽器や声の
音像をクリアに聴きやすいステレオ定位と音量バランスにすることで、今の
時代に聴いても不自然さを感じない音にする
サージェント・ペパーズ、ホワイト、アビイロードのリミックスと同じである。



↑リミックスを行なったプロデューサーのジャイルズ・マーティン。


その上でスーパー・デラックスの5CDでは、アウトテイクやリハーサル、そして
幻のグリン・ジョンズ版ゲット・バックも聴かせ、このプロジェクトの全貌を
明らかにする、多くファンが抱え続けてきたフラストレーションを解消したい、
という意図が感じられる。

(屋上コンサートが全曲が入ってない、シングル盤ゲット・バックのリミックス
が入っていない、など不満は残るが)



さて、それで5CDを繰り返し聴いていたわけだ。
本来ならDisc1の本編から順にレビューするのが順当だが、思うところあって今回
はDisc4の「ゲット・バック」グリン・ジョンズ1st.ミックスについて語りたい。

既にいろいろ音楽誌でリミックス、スーパー・デラックスの解説が載っていると
思うので、正しい評価はそういうプロのか方たちにお任せしよう。
ここでは、あくまでも個人的意見ということで。ではでは。



<グリン・ジョンズの「ゲット・バック」で気づいたこと1-音が悪い>



↑Let It Be (Super Deluxe)はYouTubeで全曲公開されている
Disc4未発表アルバム「ゲット・バック」グリン・ジョンズ版はトラック40〜53

(右側に表示される再生リストから選んでください)


聴いてみて驚いた。この「ゲット・バック」だけ音質が悪い。貧弱である。

1990年代にYellow Dog、Quarter Apple、Master Disc、Vig-O-Toneレーベル
から出回ったブートの方がよほど迫力がある豊かな音であった
これらは1969年にプレスに配られたアセテート盤が音源で、デジタルでスクラッチ
ノイズを取り除き、イコライジング、ブースト処理したものと思われる。

今回初公開された「ゲット・バック」はグリン・ジョンズの1st.Mixをそのまま使用
しているが、上述のアセテート盤ではなく最終2ch. ステレオテープから改めてデジ
タル・メディアに適したマスタリングが施されている
なのになぜ音が悪いのか?本来なら2009リマスターと同程度の音になるはずだ。
(ネットではマスターは紛失しておりアセテート盤が音源という噂も出ている)


理由は明白だ。グリン・ジョンズのプロデュース手腕はその程度だったのだ。



↑トゥイッケナム映画スタジオで。ベースアンプの横にいるのがグリン・ジョンズ


ジョンズはトラフィック、スモールフェイセズ、ストーンズのベガーズバンケット、
スティーヴ・ミラー・バンド、プロコル・ハルムを手がけていた。

中域に固まったゴリッとした無骨な肌触りの音作りを得意とする。
ロック色は強いが洗練された音作りではない


後にストーンズの黄金期の作品、ザ・フー、ハンブルパイ、レオン・ラッセル、
ジョー・コッカー手がけるが、それらにはジョンズの音が合っていたのだと思う。
(ジョンズは1970年代に渡米しアサイラム・レコードでイーグルスの2枚のアルバム
をプロデュースしているが、それらも音圧が低く抜け感がなかった。
クラプトンのスローハンドも彼のプロデュースだがもっさりした音であった)




↑スタジオで録音中のストーンズを訪問したポール。グリン・ジョンズの姿も見える。
たぶんベガーズバンケットを録音していたのだろう。



ビートルズはホワイト・アルバム録音中ジョージ・マーティン、ジェフ・エメリック
と不和が生じ、後半はクリス・トーマスが実質プロデュースを担っていた。

「原点回帰」で一発録りを目論んだポールが、ロック色の強いプロデューサーという
評判を聞きつけ直々ジョンズに依頼したわけだが、そもそもこれが不運の始まり。
(ジョージ・マーティンが映画のユニオンに加入していないため撮影スタジオで仕事
がきず、代役としてグリン・ジョンズが雇われたという説もあるが)


ビートルズは洗練されたサウンドが売りで1960年代はオーディオ面でも突出してた。
グリン・ジョンズに委ねるということは先祖返りみたいなものである。



↑まだ気が付かないの?グリン・ジョンズはポンコツよ。と言ってたのかも。。。



↑レコーディング中はそれなりに和気藹々とやっていたのだろう。
今月下旬にディズニー・プラスで配信される映画のティーザーでは、演奏を開始した
とたん遮られたジョンとポールがコントロールルームのジョンズをからかう愉快な
やりとりが見られる。



映画の予告編。ジョン、ポールの悪ふざけ、ジョンズとのやり取りが見れます。





↑屋上コンサートの直後のモニター。メンバーたちは満足してるようだ。
演奏終了時に拍手と声援を贈りポールから「Tnaks,Mo」と礼を言われたモーリンは
ここでもノリノリで聴いている。
リンゴはまだ寒いのかモーリンに借りた赤いエナメル・コートを着ている。




ポールはミックスダウンの段階で気づいのかもしれない。
グリン・ジョンズは音作りが下手、ビートルズには不向きではないか、と。

1969年3月26日に先行シングル、ゲット・バック/ドント・レット・ミー・ダウン
のミックスが行われアセテート盤が作られたが、メンバーは気に入らず却下。
4月7日ポールの立ち会いの元でミックスをやり直させている
(当然4月11日の発売日には間に合わず店頭に並ぶのはだいぶ遅れた)



<グリン・ジョンズの「ゲット・バック」で気づいたこと2-
ミックスが下手、選曲〜編集も下手、というかこの人センスがなさすぎ。>




アルバムを制作する過程を捉えたドキュメンタリー映画との連動を汲んでの上か、
中途半端なリハーサルや会話が散りばめられている。
それはそれでいいのだが、バランスが悪い。完成度の高いテイクが少なすぎる



1曲目のワン・アフター・9091月30日に屋上で演奏された1回目のテイク
後にアルバム「レット・イット・ビー」に収録されたものと同じである。

スペクターのミックスは楽器の音がクリア、かつ王道の定位で聴きやすい。
ボーカル、ドラム、ベースがセンター。ジョージのリードが右。
ジョンのギターとビリー・プレストンのフェンダー・ローズが左。

グリン・ジョンズMIXでは楽器の定位はほぼ同じだが、ポールのボーカルは右、
ジョンのボーカルは左、と完全に泣き別れ
3度でハモってるのだから2人ともセンターに配するべきだった。
そのせいで楽器とボーカルが入り乱れてグシャッとバラけた印象になっている。
しかも映像の立ち位置でいうと2人は左右逆である。




次くメドレー。
アイム・レディ (aka ロッカー) 〜セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー〜
ドント・レット・ミー・ダウン

1月22日アップル・スタジオでビリー・プレストンが初参加した日のセッション。
ファッツ・ドミノのアイム・レディ〜ドリフターズのセイヴ・ザ・ラスト・ダンス
フォー・ミーに続き、ドント・レット・ミー・ダウンになだれ込む。
4人のお遊びというかウォーミングアップ。楽しそうな雰囲気は伝わる
「次は何をやる?」「ドント・レット・ミー・ダウン、今度はまじめに」という
会話も生々しい。こういうのがリンク・トラックとして入るのはいいと思う。

しかし、その後ドント・レット・ミー・ダウン、ディグ・ア・ポニー 、アイヴ・
ガッタ・フィーリング1月22日の完成度の低いリハーサルテイクが続く
屋上コンサートの方がはるかに出来がいい

ドント・レット・ミー・ダウンはシングルB面がベストテイクなのに、何でこっち
を入れたのか?そんなに下手なビートルズを聴かせたかったのか?神経を疑う。


A面最後はシングルと同じテイクのゲット・バック。これは非の打ち所がない。
1月27日に14テイク録音された中からテイク11が完成度が高いと採用された。
一度演奏が終わった後、再開するコーダ部は翌28日に録音されたテイク。
つまり前半と後半と2つのテイクを繋げているが、違和感なくいい出来である。






B面1曲目のフォー・ユー・ブルーは1969年1月25日録音のテイク6。
スペクター版「レット・イット・ビー」収録と同じテイクであるが、スペクター版は
1970年1月8日にジョージがボーカルを録音し直したものである。楽器の定位も違う。
(間奏のWalk, walk cat walk, Go Johny go, Same ol' 12-bar bluesも追加録音)

「ゲット・バック」版はボーカルにリバーブがかかり、部分的にADT処理されてる。
ジョージがイントロをトチってジョンがQuiet please!と言ってるのが聴ける。

演奏終了後ジョンとポールの声が聴こえるが、ブート時代は入っていなかった。
(グリン・ジョンズのミックスには入ってたが、当時マスタリングの段階でカット
されたのかもしれない。今回のリマスターでは最後の会話も入れたのだろう)




テディ・ボーイはリハーサル段階。1月24日のセッション。入れるべきではなかった。
同日のトゥ・オブ・アスも未完成。「レット・イット・ビー」収録テイクの方がいい。




マギー・メイは1月24日、テディ・ボーイ・セッションの合間に録音された。
ディグ・イットは「レット・イット・ビー」収録と同じテイク。
両方ともジョンのお遊び。リンク・トラック程度の位置づけでしかない。
「ゲット・バック」版ディグ・イットはダラダラと無駄に長く聴いてて飽きる。
これもスペクターの編集技の方が優れている





そしてレット・イット・ビーザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード 
だが、なぜポールがピアノを弾きながら歌う似たような曲調を2曲並べたのか?
ここでもグリン・ジョンズのセンスというか能力に疑問符がつく。

2曲とも後にスペクターがアルバムに収録したのと同じテイクである。
が、違うのはポール(p)ジョン(b)ジョージ(g)リンゴ(ds)ビリー・プレストン(kb)
5人だけのシンプル編成での演奏だということ。


悪くない。だが物足りなさも感じる。
その原因の一つはジョンが弾くフェンダー6弦ベースの心もとない演奏力





2曲ともポールのボーカルにかけられたエコーが深すぎる
(レット・イット・ビーは後にシングル化する際、過剰エコーは補正された)


レット・イット・ビーは屋上コンサート翌日の1月31日に9テイク録音され、テイク
27-Aが採用となった。
(冒頭にテイク番号を伝える声が入っている。尚、曲の前後の会話はブートでは
なかった。前述のようにミックス段階で入ってたのをマスタリングで外したのか?)

コーラスはジョージとジョンだけで薄い。(聴こえるのはほとんどジョージの声)
(後にシングル化する際、高音部をリンダに歌わせ重厚にしている)




間奏のジョージのギター(レズリー回転スピーカーに通した音)は4月30日にオー
ーダブされたもの。
「オーバーダブを排除したアルバム」がコンセプトの「ゲット・バック」だったが、
唯一この曲のみオーバーダブが行われた(最初のギターの音も薄く聴こえる)

(一年後のシングル発売前1970年1月4日、ジョージ・マーティンの判断でジョン
6弦ベースは消してポールのベースがダビングされ、リンダも加えたコーラス、
ブラス、ジョージはディストーションのかかったソロをオーヴァーダブした。
シングル盤では後半それがバックに聴こえるが、スペクター版のアルバム収録ヴァ
ージョンではそのディストーションのソロがメインになっている。


ロング・アンド・ワインディング〜は1月26日に録音されたテイクが使用された。
(スペクター版「レット・イット・ビー」も同じテイクだが厚化粧されてしまう)




映画で見られる最終日1月31日に録音されたテイク19を選ぶべきだったと思う。
ビリー・プレストンによるゴスペル色豊かなオルガン間奏がすばらしい。
(このテイクはネイキッド、今回のDisc2に収録された)

ジョンの6弦ベースもミスがない。
ジョージはテレキャスター+レズリー回転スピーカーでシンプルに弾いている。
(1月26日テイクではアコギ+レズリー回転スピーカーのジャカ弾きがうるさい)


最後はゲット・バック (リプライズ)
ゲット・バックのフェイドアウトする後半部(1月28日録音分)の続きだ。
これは粋な計らいだ。映画のエンディングでも使用された。




<「ゲット・バック」が幻の未発表アルバムになった理由>



↑5月13日マンチェスターEMI本社で撮影。
場所も構図もデビュー・アルバムのプリーズ・プリーズ・ミーと同じ。
発売は中止されたが、既にアセテート盤が米国のラジオ曲に配布されていた。
(これを元にブートが作られた)(写真は後にベストの青盤赤盤に流用される)



1969年5月28日。グリン・ジョンズはアルバム「ゲット・バック」を完成させる。
しかし却下。ジョンは「反吐が出そうだ」と嫌悪感を露わにした。




散漫な編集にも不満だったし、彼にとっては恥部でもあったのだろう。
ゲット・バック、レット・イット・ビー、ロング・アンド・ワインディング〜と
ポールの楽曲は完成度の高いテイクが収録されている

それに対して屋上でやったワン・アフター・909を別にすれば、ジョンの曲はディグ
・ア・ポニーも自信作のドント・レット・ミー・ダウンもリハーサルの段階である。
ジョンがカウンターメロディーを加えたアイヴ・ガッタ・フィーリング もそうだ。


原点回帰に賛成したものの、思ってた以上の不出来に幻滅し憤慨もした。
後にフィル・スペクターによって華やかに装飾されたレット・イット・ビーは、
ジョンにとってマジックのように思えたのかもしれない。
(もともとジョンは自分の声を変えたがったり、ギターを極限まで歪ませたり、
オーヴァーダブを繰り返し原型を留めないくらい盛っていくやり方を好んだ)





ビートルズはゲット・バック棚上げのまま新たなプロジェクトを始動。
9月26日にアビイロードを発売する。

1969年10月マイケル・リンゼイ=ホッグはドキュメンタリー映画(1970年5月
「レット・イット・ビー」として公開される)の編集を終えた。

ビートルズは放置していた「ゲット・バック」を同時発売する必要に迫られる。
映画の中で演奏シーンがあるアクロス・ザ・ユニヴァース、アイ・ミー・マインを
つじつま合わせで追加することになった。

※アクロス・ザ・ユニヴァースは1968年初頭にレディー・マドンナのB面候補として
録音されるもジョンが納得できず、WWFチャリティ・アルバムにのみ収録された。
この音源をミックスし直して収録。
アイ・ミー・マインは1970年1月3日にジョン以外の3人で新たに録音された。
(これがビートルズの最後のレコーディングとなる)





1970年1月5日に編集し直したグリン・ジョンズ2nd.ミックスが完成した。
しかし上述の2曲を追加しテディー・ボーイをカットしただけで内容は以前と同じ

グリン・ジョンズはもうどうすればいいか分からなくなっていた。
ビートルズの意図を汲んで完成度の高いテイクを選び編集し直すという発想もなく、
負のループから抜け出せなくなっていたのかもしれない。

セッションではいい楽曲も多く、屋上コンサートを含め完成度の高いテイクもあった。
が、アルバム1枚を仕上げるには曲数が不足してたのも事実だ。



↑ジャケットも変更が加えられた。
(フィル・スペクターの「レット・イット・ビー」ではこの案は破棄され、新たに
ジョン・コッシュがデザインしたカヴァーアートが採用された)


アップルでのセッション終了から1ヶ月後の1969年2月22日に4人は再び集まり、
トライデント・スタジオでアイ・ウォント・ユーを録音している。
この時点ではゲット・バック・セッションの延長線上のつもりだったようだ。



1969年2月22日トライデント・スタジオでのアイ・ウォント・ユー・セッション。


アイ・ウォント・ユーをアルバム「ゲット・バック」に入れるという選択肢もあっ
だが、他の曲とのマッチングが良くないと判断されたのだろう
(その後この曲はEMIスタジオでオヴァーダブが施され、アビイロードに収録された。
圧倒的な存在感で、アイ・ウォント・ユーはアビイロードで正解だったと思う)



グリン・ジョンズはプロデューサー名義のクレジットも要求していた。
ジョンは「ビートルズを利用した売名行為」と激怒。ジョンズは解雇された。
(当時はマーティン卿でさえクレジットされてなかったんだから当然でしょ)



<グリン・ジョンズがもっといい仕事をしていれば・・・>



ビートルズ自身がこのプロジェクトをやり遂げられず放棄してしまったことが最たる
原因であることは明白だ。
が、グリン・ジョンズがもっと有能でセンスのあるプロデューサーで「ゲット・バック」
を完成度の高いアルバムに仕上げていれば。。。。

流れは変わってたかもしれない。フィル・スペクターの登板もなかっただろう。
バンドの不和もあれほどこじれずに、もう少し長く活動していたかもしれない。

グリン・ジョンズを戦犯にするつもりはないし、諸悪の根源は彼というのも言い過ぎ。
しかしポールが彼を起用した時から間違った方向に歯車が回り始めたのではないか。
そう思ってしまう。

ホワイト・アルバムでいい仕事をしたクリス・トーマスに依頼する選択肢もあった。



↑クリス・トーマス(左端)もゲット・バック・セッションに顔を出していた!


グリン・ジョンズが駄目と判った時点でジョージ・マーティンに泣きつくとか。。。
1970年3月発売のレット・イット・ビー、シングル盤はグリン・ジョンズではなく
ジョージ・マーティンのプロデュースである。
その流れでアルバムもマーティンに委ねれば違った視点でまとめてくれただろう。



↑ジョージ・マーティンもアップル・スタジオに時々、顔を出していた。


グリン・ジョンズがプロデュースした幻の「ゲット・バック」公式盤リリースは、
長年待ち望んでたことでビートルズ・ファンにとっては歓喜すべき大事件である。
なのに、聴いてみて手放しで喜べないのはなぜ? 

このやるせないもやもやはどこから来るのだろう。


<続く>次回はリハーサル、ジャムセッション、アウトテイクについて。


<参考資料:ユニバーサルミュージック、THE BEATLES楽曲データベース、discovermusic.jp、RollingStone、KOMPASS、 PHILE WEB、Wikipedia、他>

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