オデール氏はビートルズ主演映画の「ハードデイズ・ナイト」「マジカル・
ミステリー・ツアー」をプロデュース。アップル社の映画部門の責任者に就任。
配信中のドキュメンタリー映画「ゲット・バック」でも姿が見られる。
ミステリー・ツアー」をプロデュース。アップル社の映画部門の責任者に就任。
配信中のドキュメンタリー映画「ゲット・バック」でも姿が見られる。
<マル・エヴァンスの命日>
1月5日はビートルズのロードマネージャー、マル・エヴァンスの命日だった。
マルはリバプールで電話技士として働いていたが、ジョージと親しくなり彼の
紹介でキャヴァーン・クラブの用心棒となる。
マルは1.97mの心やさしい大男だった。
ブライアン・エプスタインに雇われ、ニール・アスピノールとともにビートルズ
のロードマネージャー兼パーソナル・アシスタントとして働く。
↑スタジオでお茶や軽食を用意するのもマルの仕事。
ツアーの運転手、楽器や機材の運搬とセットアップ、雑用係、使いっ走りから
サインの代筆まで、献身的に働いた。
そして4人のよき友だち、相談相手でもあった。
蝶ネクタイや靴を買いに行き、歌詞を書き留めていた。
マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマーでは金床とハンマーを手配し、4人
の演奏に併せて叩いた。
(アビイロードでの録音の際もマルが叩いている。リンゴでは重いハンマーを
正確にタイミングを合わせて叩くことができなかったためだ)
ポールが未完成のロング・アンド・ワインディング・ロードを演奏し、歌詞に
意見を求められたマルがインスピレーションを与えているシーンもある。
1967年、飛行機に同乗していたポールとマルは言葉遊びをしていた。
マルは機内食のトレーの上に載っていた調味料入れのSとPの意味を尋ねる。
ポールは「salt and pepper」と答え、サージェント・ペパーズを思いつく。
アルバムのジャケット撮影では映ってる人物すべての写真をマルとニールが奔走
して集めた。
↑真ん中がマルとニール・アスピノール。2人ともキャバーン時代からの友人。
イエロー・サブマリンやユー・ノウ・マイ・ネームのコーラス、ユー・ウォント・
シー・ミーではオルガン単音弾き、ア・デイ・イン・ザ・ライフの目覚まし時計、
ヘルター・スケルターのトランペット、ミスター・カイトでのハーモニカなど、
レコーディングでも活躍している。
長年ビートルズに貢献しているのに週給38ポンド。生活は困窮していた。
万年雑用係と薄給の扱いを嘆いてはいたが、「分をわきまえる」を信条としてい
万年雑用係と薄給の扱いを嘆いてはいたが、「分をわきまえる」を信条としてい
たマルはビートルズに賃金アップを要求することはなかったそうだ。
一度だけジョージに借金をしたが、マルは4人の友人であることで満足していた。
(ジョンはアラン・クレインに洗脳され言いなりだった)
マルはビートルズ解散後もジョン、ジョージ、リンゴの仕事を手伝っている。
マルはビートルズ解散後もジョン、ジョージ、リンゴの仕事を手伝っている。
1976年1月、マルはロサンジェルスのモーテルに恋人と一緒にいた。
妻との離婚で意気消沈してたマルはジアゼパム(抗不安薬)の副作用でふらふら
で支離滅裂なことを口走りながら空気銃を手に取る。誰も大男を止められない。
通報で駆けつけた警官が本物のライフルであると勘違いしマルを射殺した。
マルの葬儀にビートルズの元メンバーは誰も出席しなかった。
当時ロサンジェルスに住んでいたジョンでさえ。あんなに世話になったのに。
ポールは「ひどい話だ」とだけコメント。
ジョージだけはマルの遺族が5,000ポンドを受け取れるように取り計らった。
4人はもっとマルに感謝し敬意を払うべきだっただろう。
ブライアン・エプスタンやジョージ・マーティンが5人目のビートルズと称され
るのに、常に4人の近くにいたマルにスポットが当たることはなかった。
るのに、常に4人の近くにいたマルにスポットが当たることはなかった。
マル・エヴァンス、あなたはビートルズ・ファンにとっては英雄です。
返信削除視聴者に向けて愛を唱えた3人の冷たさ
飽く迄商売だったと言うべきか
飽く迄音楽家だったと言うべきか
Epsteinの葬式にも出てないし、この時も反応が冷たいのをYogiのせいにしてたが、
Georgeへの扱いを見ても、素は冷たい人間なのではないか。