2024年1月23日火曜日

名ばかりの歌姫たちは道を開ける。歌怪獣とブルース演歌の女王。




「名ばかりのGT達は、道を開ける」
1979年にトヨタが発売した2代目セリカの広告コピーである。

GTとは大型で強力、走行性能と居住性・快適性を両立させたスポーツカーの総称(1)
だが、ライバル車の日産スカイラインGTを名指しで挑発しているのは明らかだ。(2)
この有名なコピーを拝借して私見を述べる。

名ばかりの歌姫たちは道を開ける
やたら「歌姫」と呼ばれる歌手が多い。それに値する人はどれだけいるのか。(3)




今その代表格とされるのはミーシャだろう。キャリアも長い。
4年連続で紅白のトリを務め、東京オリンピック閉会式で歌ったらしい(見てない)

声量も技量も圧倒的。歌姫と言われるのも納得。個人的には好きでない。
ブラックミュージックの影響はともかく、日本人の黒人なりきりは鼻につく。
(エイリアンみたいな頭のターバンもアフリカ民族衣装らしい)






こういう上手な人はいいとして、下手な人まで歌姫に入れるのはどうかと思う。
CMで流れる藤原さくらの「君は天然色」(大瀧詠一)を聴いた時は愕然とした。

音程が狂っているし、リズムもビミョーにズレてる。なんか気持ち悪い。
ずらし、しゃくりあげ、という歌唱テクニックでなく、単純に下手、音痴なのだ。

本人も含め誰もNGを出さなかったのか?デジタル編集で簡単に補正できたのに。
これじゃ歌姫というより、令和の浅田美代子?(ファンの方、ごめんなさい)




NHK Eテレ「クラシックTV」で「ディーヴァたちが歌う」という回があった。
島津亜矢(演歌)田中彩子(クラシック)鈴木瑛美子(ゴスペル、R&B)と3つ
のジャンルの歌姫たちの声の魅力、各ジャンル特有の発声テクニックなどを紹介
する、という内容でおもしろかった。



↑左から島津亜矢(演歌)田中彩子(クラシック)鈴木瑛美子(ゴスペル R&B) 



島津亜矢は何を歌わせても上手い圧倒的な歌唱力と表現力だった。
「行間を詠む」という言葉があるが、まさに歌詞の行間を詠み歌メロの音と
音の「間」で歌に表情を醸し出している



司会の清塚信也と演歌作曲家の解説によると、演歌はAm、Dm、Eの3コードで
成立し、曲の構成もポップスに比べるとシンプル。12小節のブルースに近い。

その分、単調にならないような工夫情景描写感情表現が求められるという。
代表的なのが、こぶし、声の転がし(R&Bでいうフェイク)、母音の強調、語尾
を伸ばす大きなヴィブラート、抑揚、溜め、ずらし、などのテクニックだ。





映画「タイタニック」挿入歌「I Will Always Love You」(4)を鈴木瑛美子と一
に歌ったのだが、声質、音圧、抑揚のコントロール、表現力すべてで完全に
島津亜矢の方が上で、R&B歌手の鈴木はお株を奪われた感じだった。


↓同じく映画「タイタニック」挿入歌「My Heart Will Go On」の島津亜矢版。
セリーヌ・ディオンのキャーキャーうるさい高音シャウトよりよっぽどいい。
https://youtu.be/Fi7bFVo9us4?si=luxTSuYcqK1Y7pqb



↓島津亜矢が歌う「Lullabay Of Birdland」。ジャズを歌わせても上手い。
https://youtu.be/aGBX3S6Nm8M?si=WfQmJKH5ZnFyVsQE





島津亜矢はジャンルを超えた歌唱力とどんな曲でもこなせる器用さから「歌怪獣
というニックネーム(笑)が付いている。







↑歌怪獣襲来って・・・ゴジラじゃないんだから(笑




「歌怪獣」の名付け親は、昭和歌謡・ポップス〜J-POP、洋楽と幅広い音楽を
独自の視点で分析しているマキタスポーツである。
マキタ氏は「歌に対して謙虚な気持ちを常に持ち、歌の良さを届けている」と、
彼女の姿勢を高く評価している。







今回この記事を書いたのは、八代亜紀の訃報に触れたのがきっかけである。

演歌はあまり聴く機会がないが、この人は本当に歌が上手い、歌心のある人だと
感心したのは「セキスイハウスの歌」だ。

作詞:羽柴秀彦/作曲:小林亜星で50年以上使用されているCMソングである。
茅島みずきが演じる「少女の成長篇」では、女性コーラスと八代亜紀のアカペラ
だけで歌われる。





↓積水ハウスCM「少女の成長篇」が見れます。
https://youtu.be/8U3rCO3IFig?si=wOrCllM5lDwqP-iL




八代亜紀はジュリー・ロンドンやヘレン・メリルに憧れ、ジャズ歌手になること
を夢見ていたという。
2012年のジャズ作品「夜のアルバム」が日本、アジア各国でチャートイン。




↓「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」のレコーディング風景が見られます。
https://youtu.be/YO2RXbTrKtU?si=KX_e836ElGmmfTkG




ジャズ歌手としてブルーノート東京のステージにも立った。
2013年にNYの名門ジャズクラブ・バードランドでライブを開催し、憧れのヘレ
ン・メリル(当時84歳)をゲストに招き初共演。50年来の夢を叶えた。





↓八代亜紀 - ライヴ・イン・ニューヨーク のダイジェストが見られます。
ヘレン・メリルとYou'd Be So Nice To Come Home Toをデュエット。
https://youtu.be/7CpXX76oNJE?si=Qr9vyJuNwnoLDKS2












初めてヘレン・メリルを聴いた時、ハスキーな声が青江美奈(6)みたいと思った。
青江美奈にこの曲を歌わせたらさぞかし上手いだろうな、と。
やはり上手だった。


↓青江美奈が歌うYou'd Be So Nice To Come Home Toが聴けます。
https://youtu.be/35Htl8EtDDw?si=Pos5ytVMzRoZFqzq






↓青江美奈&八代亜紀の「伊勢佐木町ブルース」。けっこうレア?
https://youtu.be/rqDm0hkqtK4?si=Jiz1omM738oyofVE








青江美奈は1993年にジャズアルバム「THE SHADOW OF LOVE」を発表。
ニューヨークでもライブを開催。
マル・ウォルドロン、フレディ・コール、グローバー・ワシントンJr.をゲスト
に迎え、シナトラと並ぶジャズ歌手メル・トーメともデュエットしている。


↓青江美奈&メル・トーメのIt's Only A Paper Moonが聴けます。
ベルベットの霧と称されるメル・トーメの美声も健在。(6年後73歳で他界)
https://youtu.be/tcY6neOR8e8?si=66P5th_216FnB6L5





ジャズがエライとか、ジャズを歌えなきゃダメ、と言ってるわけではない。
しかしジャズを歌うためには歌唱力と音楽理論が必要とされるのも事実。
個性やフィーリングだけでは通用しない。

江利チエミ、雪村いづみ、ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、弘田
三枝子もそうだが、進駐軍のキャンプで歌いながら洋楽ポップス、ジャズ、
カントリーと幅広いジャンルの歌唱法を習得して行ったのだ。(8)









ちあきなおみも4歳の時から米軍キャンプを回ってジャズを歌っていた。
最後にちあきなおみの「黄昏のビギン(9)を聴いてもらいたい。

作詞:永六輔、作曲:中村八大の名曲で、元々は水原弘の「黒い花びら」の
B面収録曲だった。
ちあきなおみの1991年のアルバム「すたんだーど・なんばー」に収録される。
先行シングルとしてリリースされると話題になり、複数社のCMに使用された。






いろいろな人がカヴァーし、長く愛されるスタンダード・ナンバーになった。
中でもちあきなおみ版は絶品だ。


「歌姫」ってこういうことなんじゃないかな、と僕は思う。



↓ちあきなおみの「黄昏のビギン」が聴けます。
https://youtu.be/NHXotKktQ8w?si=im8HqAAUWHHdqquj




<脚注>

(1) GT

イタリア語のグラン・ツリスモ、英語のグランド・ツーリングカーの略。
スポーツカーの標準的な型式は走行性重視の質実剛健なオープン2シーターだったが、
居住性が求められるようになりルーフ付きクーペのGTが主力を占めるようになる。
1970~80年代には大型で強力、豪華なGTがスポーツカーの主流となった。


(2)セリカの挑発とスカイラインの逆襲
オイルショック後の排ガス規制を受け、トヨタはスポーツ車にふさわしい130馬力の
高回転型ツインカム(DOHC)エンジンを2代目セリカ搭載した。
「ツインカムを語らずに、真のGTは語れない。新セリカ。」と自信たっぷりだ。
煽られたのはレースで50勝を挙げ「スカG伝説」を生んだ日産スカイラインである。
栄光のDOHCエンジンは外され、5代目は鈍重な6気筒エンジンでGTを名乗っていた。
「名ばかりのGT」と揶揄され屈辱を味わった日産はエンジンにターボチャージャー
(過給器)をつけ145馬力にパワーアップ。
広告で「いま、スカイラインを追うものは誰か」と逆にトヨタを挑発した。


(3)1970年代以降の歌姫の歴史
1970年代の山口百恵、1980年代の松田聖子、中森明菜は歌姫と言える。
ユーミンは曲はいいけど、歌姫の称号は山本潤子の方が相応しいと思う。

1990年代には小室哲哉サウンドが一世を風靡した。
ハイノート(16分音符のメロ連発)ハイテンポ(高速)ハイトーン(超高域)が
特徴で、ぎっしり詰まったメロディーが限界まで高い音域で歌われる。
安室奈美恵、浜崎あゆみ、華原朋美、GLOBE(KEIKO)、TRFがヒット。
独自の世界観をもつ椎名林檎、歌唱力のある吉田美和、ヒップホップの影響を
受けたチャラとかバード、ウーア(ウルトラマンにそんな名前の怪獣がいた?)、
そしてミーシャが登場した。

2000年頃に圧倒的な歌唱力とグルーヴ感の宇多田ヒカルがデビュー。
そのコピーと揶揄された倉木麻衣。ヒップホップ系のJUJU、AI。
歌唱力があるとは言えないけど線の細さが魅力の中島美嘉、ポップな木村カエラ、
西野カナ、絢香、一青窈、1970年代の空気感を纏った凄まじい音圧のSuperfly。
新世代では独特な語感とメロディーを紡ぐシンガー・ソングライターmilet、
女吉田拓郎と言われる弾き語りのあいみょん(歌姫というタイプではない、好き
だけど)などが登場。


(4)「I Will Always Love You」
ホイットニー・ヒューストンの映画「タイタニック」挿入歌がヒットした。
作曲はカントリーのシンガー&ソングライター、ドリー・パートン。
ドリー・パートンの歌唱の方が脂っこくなくて好きだ。
カントリーのこぶしの付け方は演歌に通ずるものがあるかもしれない。


(5)八代亜紀
中学卒業後バスガイドを辞め上京し、音楽学院で基礎を身に着ける。
銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌っていた。
同じクラブで歌っていた後の五木ひろしの紹介でテイチクからデビューする。
女心を歌った歌でヒット曲を連発し、「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。
シングルのトップ10獲得数も通算7作と、
紅白歌合戦では2年連続大トリを務め、演歌の女王と称されるようになる。
女性演歌歌手の中では総売上枚数トップである。

1980年代にはポップス調バラードの曲で新たな一面を見せ、演歌ファン以外
からも支持されるようになる。
2012年頃からジャズ、ブルースなどを本格的に歌うようになる。
全国をツアーやディナーショーは演歌・ジャズ・ブルースの構成だった。
2013〜2017年にジャズアルバムを2枚、ブルースアルバムを1枚発表している。
画家としても活動し、フランスのル・サロンから永久会員の称号を授与された。


(6)青江美奈
高校卒業後、百貨店勤務を経て、銀座や横浜などのクラブ歌手となる。
在学中にミュージック・スクールで歌のレッスンを受けた他、作曲家・花礼二
からジャズ、シャンソン、カンツォーネ、演歌を教わる。
1966年にビクターレコードからデビュー。
「恍惚のブルース」「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」など
ハスキーな低い声で歌うブルース演歌でヒットを飛ばす。
日本レコード大賞3回受賞、NHK紅白歌合戦には通算18回出場している。
2000年に膵臓がんで他界。59歳だった。


(7)ちあきなおみ
幼少期よりタップダンスを習い、米軍キャンプを回ってジャズを歌う。
5歳で日劇の初舞台を踏む。
作曲家・鈴木淳の元でレッスンを受け、21歳で歌手デビュー。
ポップス系の「四つのお願い」「X+Y=LOVE」がヒットし人気歌手となる。
代表曲となる「喝采」(日本レコード大賞受賞)、「夜間飛行」はドラマチッ
ク歌謡」といわれた。
演歌、ニューミュージック系など幅広いジャンルの曲を歌う。
1980年代にはシャンソンを中心とした選曲の「それぞれのテーブル」、スタ
ンダード・ジャズを歌った「THREE HUNDRED CLUB」をリリース。
ポルトガルの民族歌謡ファドを収めたアルバム「待夢」も発表している。

歌の上手さは半端じゃない。心にリズム&ブルースを持っている(宍戸錠)、
ちあきなおみの最大の武器は声。張りがありハスキーさが加わった独自の声。
世界に二つとないヴァイオリンにも似た名器たる響き(作曲家・鈴木淳)、
歌唱力や実力は美空ひばりと互角(作曲家・船村徹)と評価が高い。
活動休止後、2000年代にTVで特集番組が放送され再評価の機運が高まる。
30年公の場に姿を見せないため「伝説の歌姫」と称されるようになった。


(8)進駐軍と日本の歌謡曲・ポップス
アメリカ占領下の戦後の東京、横浜など大都市は進駐軍兵士であふれていた。
多くの土地建物が接収され、米軍基地、キャンプ、米軍人のための居住地に
早変わりした。
これらの場所はオフリミットと呼ばれ、特別に許可された者以外は立ち入り
が禁じられる。日本各地に特異な空間が突如出現したのである。
進駐軍クラブに出入りしたバンドマンでは、のちに名を成す、原信夫、穐吉
敏子、宮間利之、小野満、ジョージ川口、渡辺貞夫、ホリプロを設立した
堀威夫らがいた。
演奏されたのはジャズに限らずカントリー&ウエスタン、ハワイアンなど。
歌手では雪村いづみ、江利チエミ、ペギー葉山、松尾和子…。
また仲介業として関わった者のなかには、やがてナベプロを起こす渡辺美佐・
晋夫妻がいた。
そうした人びとを育てた場がほかならぬ進駐軍クラブであった。
その後、華やかな時期を迎える日本ポピュラー音楽や歌謡曲だが、そのスタ
イルの原型は、このようなクラブで生まれた。
ここに多くの可能性と創造の芽があったのだ。
(東谷護 進駐軍クラブから歌謡曲へ―戦後日本ポピュラー音楽の黎明期より)


(9)「黄昏のビギン
1959年ジャズ・ピアニストの中村八大は東宝の音楽監督に名乗りを上げるが、
翌日までにロカビリー音楽を10曲用意するよう要求される。
中村は偶然出会った放送作家の永六輔をつかまえ、自宅で一夜一昼かけて
10曲作り上げ音楽監督の座を射止める。
この10曲は永六輔の提案で「曲名それぞれ色を付ける」という工夫がされた。
映画のメイン曲「黒い花びら」は水原弘が歌い大ヒットした。
「黄昏のビギン」もこの時に作曲されたもの。
水原弘の次のシングル「黒い落葉」のB面に収録された。
B面の「黄昏のビギン」は「隠れた名曲」として歌い継がれた。

1991年ちあきなおみのアルバム「すたんだーど・なんばー」に「黄昏のビギ
ン」が収録され、先行シングルとしてリリースされた。
ちあきなおみの「黄昏のビギン」は京成電鉄スカイライナー、ネスカフェ・
プレジデントのCMに使用され、これを機に様々な歌手もカバー。
「黄昏のビギン」はスタンダード・ナンバーになった。
2011年にはちあきなおみ版がトヨタの企業CMでも使われている。


<参考資料:産経新聞 昭和クルマ列伝、コトバンク、エンタメラッシュ、
東谷護 進駐軍クラブから歌謡曲へ-戦後日本ポピュラー音楽の黎明期、
オリコン、no+e 昭和歌謡史、Wikipedia、YouTube、他>

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