<Comment te dire adieu(さよならを教えて)>
初めて聴いたアルディは「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」だ。
1968年発表のアルバム「Comment te dire adieu 」のタイトル曲で、シングル盤
でも発売された。
フランスでは1968〜1969年にかけてヒットしたが、なぜか日本では5年遅れの1973
〜1974年にFMでよく流れていた。何がきっかけで売れ出したんだろう?
↓「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」
https://www.youtube.com/watch?v=tINyMbNZytI
フランスでは1968〜1969年にかけてヒットしたが、なぜか日本では5年遅れの1973
〜1974年にFMでよく流れていた。何がきっかけで売れ出したんだろう?
↓「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」
https://www.youtube.com/watch?v=tINyMbNZytI
原曲はジャック・ゴールド作曲の「It Hurts To Say Goodbye」である。
マーガレット・ホワイティングが1966年に発表。
翌1967年にヴェラ・リンのカヴァーがヒットしている。
いずれも古き良き時代を彷彿させるオーソドックスな3連ロッカバラード(1)だった。
アルディーが聴いても興味を示さなかっただろう。
アルディは本作品のアップテンポのインストゥルメンタル(演奏者不明)をどこかで
聴き、とても「キャッチー」だと感じたという。
聴き、とても「キャッチー」だと感じたという。
彼女が聴いたのは、1967年発表のブラジルのオルガン奏者、ワルター・ワンダレイ
が軽快なサンバのリズムでハモンドオルガンを弾いてるヴァージョンだと思われる。
↓ワルター・ワンダレイの「It Hurts To Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=py2Kui2ye-I
作曲者のジャック・ゴールドも自身のオーケストラで「It Hurts to Say Goodbye」
でカヴァーしているが、1969年リリース。アルディの「さよなら〜」より後だ。
これはセルジオ・メンデス&ブラジル'66かバート・バカラックのようなラテン調の
イージーリスニングである。
むしろアルディの「さよならを教えて」のインストゥルメンタル版という印象だ。
↓ジャック・ゴールド・オーケストラの「It Hurts to Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=WdE9VkFJ-RY
↑左からゲンスブール、アルディ、右はウォーレン・ベイティ(1967年)
アルディはフランス語の作詞はセルジュ・ゲンスブール(フランスの作詞・作曲家、
歌手、映画監督、俳優)に依頼した。(2)
ゲンスブールは ex の音節を持つ単語(3)の連続でリズムを強調することを思いつく。
Sous aucun prétex.../...te, je ne veux / avoir de réflex.../...es malheureux. /
Il faut que tu m'ex.../...pliques un peu mieux, / comment te dire adieu.
(Kleenexという商品名も使われている)
↑フランソワーズ・アルディとセルジュ・ゲンスブール
むしろアルディの「さよならを教えて」のインストゥルメンタル版という印象だ。
↓ジャック・ゴールド・オーケストラの「It Hurts to Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=WdE9VkFJ-RY
↑左からゲンスブール、アルディ、右はウォーレン・ベイティ(1967年)
アルディはフランス語の作詞はセルジュ・ゲンスブール(フランスの作詞・作曲家、
歌手、映画監督、俳優)に依頼した。(2)
ゲンスブールは ex の音節を持つ単語(3)の連続でリズムを強調することを思いつく。
Sous aucun prétex.../...te, je ne veux / avoir de réflex.../...es malheureux. /
Il faut que tu m'ex.../...pliques un peu mieux, / comment te dire adieu.
(Kleenexという商品名も使われている)
↑フランソワーズ・アルディとセルジュ・ゲンスブール
さらに、サビは歌メロではなくモノローグのような語りのパートを付け加えた。
演奏はアップテンポでリズムが強調され、歌と同じライン、歌に呼応するオブリガー
トにスタッカートを効かせた軽快なフレンチホルン(4)が加えられている。
この曲がきっかけでアルディは、ゲンスブールとその妻だったジェーン・バーキン
とも親しくなった。
↑セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキン
↑ジェーン・バーキンとフランソワーズ・アルディ
↓珍しいジェーン・バーキンとのデュエット。
https://www.youtube.com/watch?v=0xJwTV7jzwU
↑アルバム「Comment te dire adieu 」のレコーディング中。(5)
あの透明感のある歌声はノイマンのコンデンサーマイクで録音されていた。
「さよならを教えて」はヒットし、アルディの代表曲の一つとなった。
日本でも人気が高い曲である。
「さよならを教えて」はヒットし、アルディの代表曲の一つとなった。
日本でも人気が高い曲である。
木之内みどりが「涙が微笑みにかわるまで」というタイトルでカヴァーしている。
ユーミンが三木聖子への提供曲として作った「まちぶせ」も「さよならを教えて」
から翻案された曲だそうだ。(6)
ユーミンはフランソワーズ・アルディのファンだったそうで、「私のフランソワーズ」
という曲も作っている。 (1974年のアルバム「MISSLIM」に収録)
たそがれどき ひとりかけるレコード 4年前にはじめてきいた曲を(中略)
あなたの顔 写真でしか知らない 私はただ遠く憧れるだけ
と歌われている。
たと言っている。(7) フランスで流行った1968年頃だろう。
アルディはデビュー時のイエイエから、ジョニ・ミッチェルにも通じるようなシン
ガー&ソングライターになっていた(8)が、そこはフランス。どこかオシャレだ。
ガー&ソングライターになっていた(8)が、そこはフランス。どこかオシャレだ。
アンニュイな歌声にも、写真からも、フランスのエスプリが感じられた。
ユーミンが憧れを抱いたのはそこなのだろう。
小林麻美もアルディのファンで「どことなく翳があって、不健康な美しさがある、
不安定な愛を歌っているのが魅力」と語っている。(「話の特集」1976年5月号)
<Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)>
1970年代末に再度、日本でフランソワーズ・アルディが話題になる。
1979年4月〜7月にTBS系列で放送された金曜ドラマ枠「沿線地図」のテーマ曲
ユーミンが憧れを抱いたのはそこなのだろう。
小林麻美もアルディのファンで「どことなく翳があって、不健康な美しさがある、
不安定な愛を歌っているのが魅力」と語っている。(「話の特集」1976年5月号)
<Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)>
1970年代末に再度、日本でフランソワーズ・アルディが話題になる。
1979年4月〜7月にTBS系列で放送された金曜ドラマ枠「沿線地図」のテーマ曲
として、アルディの1967年の曲「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行
かない)」が使用されたのがきっかけだった。
1967年発表のアルバム「Ma jeunesse fout l'camp」のタイトル曲である。
↓Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)」
https://www.youtube.com/watch?v=pBOncEj8Wt0
ドラマは山田太一の脚本で、東急田園都市線沿線に住む家族が抱える問題(思春期
のドロップアウト、親世代の価値観と苦悩、老人の孤独)が丁寧に描かれている。
(自分はこのドラマを見ていない。放送されてたことも後から知った)
ドラマ全編でアルディの「もう森へなんか行かない」と「Si mi caballero(私
の騎士)」(1971年作品)の2曲が繰り返し流れ、切なくメランコリックな雰囲気
https://www.youtube.com/watch?v=pBOncEj8Wt0
ドラマは山田太一の脚本で、東急田園都市線沿線に住む家族が抱える問題(思春期
のドロップアウト、親世代の価値観と苦悩、老人の孤独)が丁寧に描かれている。
(自分はこのドラマを見ていない。放送されてたことも後から知った)
ドラマ全編でアルディの「もう森へなんか行かない」と「Si mi caballero(私
の騎士)」(1971年作品)の2曲が繰り返し流れ、切なくメランコリックな雰囲気
が演出されていたらしい。(選曲のセンスがすばらしい!)
↓「Si mi caballero(私の騎士)」
イントロの口笛、同じメロで歌われるハミングがもの悲し気でいい。
https://www.youtube.com/watch?v=8iEi4F-5nkE
↓「Si mi caballero(私の騎士)」
イントロの口笛、同じメロで歌われるハミングがもの悲し気でいい。
https://www.youtube.com/watch?v=8iEi4F-5nkE
このアルバムはほとんどの曲が、ブラジルの女性シンガー&ソングライター、トゥ
ーカとの共作で、彼女がギターとアレンジでも参加。
アルディのアンニュイな歌声とトゥーカのギター伴奏が見事に融合。名盤である。
↑トゥーカとフランソワーズ・アルディ
ドラマの中で繰り返し流れたことで話題を呼び、この2曲を収録した日本編集の
ベスト盤「もう森へなんか行かない」(1979年エピックソニー)が発売された。
(ジャケットのカバーアートはシングル盤のものを流用)
ーカとの共作で、彼女がギターとアレンジでも参加。
アルディのアンニュイな歌声とトゥーカのギター伴奏が見事に融合。名盤である。
↑トゥーカとフランソワーズ・アルディ
ドラマの中で繰り返し流れたことで話題を呼び、この2曲を収録した日本編集の
ベスト盤「もう森へなんか行かない」(1979年エピックソニー)が発売された。
(ジャケットのカバーアートはシングル盤のものを流用)
(ちなみに私が1974年に買ったベスト盤「Francoise」には「森へなんか〜」は
入っていたが、「私の騎士」は入ってなかった)
「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)」に話を戻そう。
原題を直訳すると「私の青春が逃げて行く」というニュアンスだろうか。
私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる
私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった
二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。
フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
厭世的な響きのタイトルとは裏腹に「みんなで森で楽しく踊りましょう、跳んで
踊って気に入った子にはキスしましょう」という内容である。
私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる
私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった
二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。
フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
厭世的な響きのタイトルとは裏腹に「みんなで森で楽しく踊りましょう、跳んで
踊って気に入った子にはキスしましょう」という内容である。
アルディの「もう森へなんか行かない」は、「瞬く間に過ぎ去って行った青春」に
思いを馳せ「もうあの頃へは戻れない」と感傷的になっている歌だと思う。
直訳ではないが、「もう森へなんか行かない」はすてきな邦題だ。
「なんか」という、どこか拗ねたような言い回しがいい。
「なんか」という、どこか拗ねたような言い回しがいい。
いずれも古典的なシャンソンっぽい歌唱だ。
アルディの内省的でメランコリックな歌の方が曲とうまく共鳴している。
私は近年、港区を席巻しているなんとかヒルズなど、森ビルだらけの威圧的な街
並みを憂いて、「もう森へなんか行かない」と呟く。
時々フランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」が聴きたくなる。
今にも空が泣き出しそうな日は特に。
<脚注>