2024年6月29日土曜日

F・アルディの「さよならを教えて/もう森へなんか行かない」




Comment te dire adieu(さよならを教えて)>

初めて聴いたアルディは「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」だ。
1968年発表のアルバム「Comment te dire adieu 」のタイトル曲で、シングル盤
でも発売された。

フランスでは1968〜1969年にかけてヒットしたが、なぜか日本では5年遅れの1973
〜1974年にFMでよく流れていた。何がきっかけで売れ出したんだろう?


↓「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」
https://www.youtube.com/watch?v=tINyMbNZytI






原曲はジャック・ゴールド作曲の「It Hurts To Say Goodbye」である。
マーガレット・ホワイティングが1966年に発表。
翌1967年にヴェラ・リンのカヴァーがヒットしている。

いずれも古き良き時代を彷彿させるオーソドックスな3連ロッカバラード(1)だった。
アルディーが聴いても興味を示さなかっただろう。


アルディは本作品のアップテンポのインストゥルメンタル(演奏者不明)をどこかで
聴き、とても「キャッチー」だと感じたという。

彼女が聴いたのは、1967年発表のブラジルのオルガン奏者、ワルター・ワンダレイ
軽快なサンバのズムでハモンドオルガンを弾いてるヴァージョンだと思われる。




↓ワルター・ワンダレイの「It Hurts To Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=py2Kui2ye-I




作曲者のジャック・ゴールドも自身のオーケストラで「It Hurts to Say Goodbye」
でカヴァーしているが、1969年リリース。アルディの「さよなら〜」より後だ。

これはセルジオ・メンデス&ブラジル'66かバート・バカラックのようなラテン調の
イージーリスニングである。
むしろアルディの「さよならを教えて」のインストゥルメンタル版という印象だ。




↓ジャック・ゴールド・オーケストラの「It Hurts to Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=WdE9VkFJ-RY






↑左からゲンスブール、アルディ、右はウォーレン・ベイティ(1967年)



アルディはフランス語の作詞はセルジュ・ゲンスブール(フランスの作詞・作曲家、
歌手、映画監督、俳優)に依頼した。(2)
ゲンスブールは ex の音節を持つ単語(3)の連続でリズムを強調することを思いつく。

Sous aucun prétex.../...te, je ne veux / avoir de réflex.../...es malheureux. / 
Il faut que tu m'ex.../...pliques un peu mieux, / comment te dire adieu.
(Kleenexという商品名も使われている)




フランソワーズ・アルディセルジュ・ゲンスブール



さらに、サビは歌メロではなくモノローグのような語りのパートを付け加えた。
演奏はアップテンポでリズムが強調され、歌と同じライン、歌に呼応するオブリガー
トにスタッカートを効かせた軽快なフレンチホルン(4)が加えられている。


この曲がきっかけでアルディは、ゲンスブールとその妻だったジェーン・バーキン
とも親しくなった。




↑セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキン




ジェーン・バーキンフランソワーズ・アルディ



↓珍しいジェーン・バーキンとのデュエット。
https://www.youtube.com/watch?v=0xJwTV7jzwU






↑アルバム「Comment te dire adieu 」のレコーディング中。(5)
あの透明感のある歌声はノイマンのコンデンサーマイクで録音されていた。




「さよならを教えて」はヒットし、アルディの代表曲の一つとなった。
日本でも人気が高い曲である。


木之内みどりが「涙が微笑みにかわるまで」というタイトルでカヴァーしている。

ユーミンが三木聖子への提供曲として作った「まちぶせ」も「さよならを教えて」
から翻案された曲だそうだ。(6)



ユーミンはフランソワーズ・アルディのファンだったそうで、「私のフランソワーズ」
という曲も作っている。 (1974年のアルバム「MISSLIM」に収録)

  たそがれどき ひとりかけるレコード 4年前にはじめてきいた曲を(中略)
  あなたの顔 写真でしか知らない 私はただ遠く憧れるだけ

と歌われている。






ユーミンは「さよならを教えて」からフランソワーズ・アルディを聴くようになっ
たと言っている。(7) フランスで流行った1968年頃だろう






アルディはデビュー時のイエイエから、ジョニ・ミッチェルにも通じるようなシン
ガー&ソングライターになっていた(8)が、そこはフランス。どこかオシャレだ。


アンニュイな歌声にも、写真からも、フランスのエスプリが感じられた
ユーミンが憧れを抱いたのはそこなのだろう。


小林麻美もアルディのファンで「どことなく翳があって、不健康な美しさがある、
不安定な愛を歌っているのが魅力」と語っている。(「話の特集」1976年5月号)








Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)>

1970年代末に再度、日本でフランソワーズ・アルディが話題になる。

1979年4月〜7月にTBS系列で放送された金曜ドラマ枠「沿線地図」のテーマ
として、アルディの1967年の曲「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか
かない)」が使用されたのがきっかけだった。





1967年発表のアルバム「Ma jeunesse fout l'camp」のタイトル曲である。


↓Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)」
https://www.youtube.com/watch?v=pBOncEj8Wt0







ドラマは山田太一の脚本で、東急田園都市線沿線に住む家族が抱える問題(思春期
のドロップアウト、親世代の価値観と苦悩、老人の孤独)が丁寧に描かれている。
(自分はこのドラマを見ていない。放送されてたことも後から知った)





ドラマ全編でアルディの「もう森へなんか行かない」と「Si mi caballero(私
の騎士)」(1971年作品)の2曲が繰り返し流れ、切なくメランコリックな雰囲
が演出されていたらしい。(選曲のセンスがすばらしい!)



↓「Si mi caballero(私の騎士)」
イントロの口笛、同じメロで歌われるハミングがもの悲し気でいい。
https://www.youtube.com/watch?v=8iEi4F-5nkE






「私の騎士」は1971年のアルバム「La Question(私の詩集)に収録された。

このアルバムはほとんどの曲が、ブラジルの女性シンガー&ソングライター、トゥ
ーカとの共作で、彼女がギターとアレンジでも参加。
アルディのアンニュイな歌声とトゥーカのギター伴奏が見事に融合。名盤である。




↑トゥーカとフランソワーズ・アルディ



ドラマの中で繰り返し流れたことで話題を呼び、この2曲を収録した日本編集の
ベスト盤「もう森へなんか行かない」(1979年エピックソニー)が発売された。
(ジャケットのカバーアートはシングル盤のものを流用)

(ちなみに私が1974年に買ったベスト盤「Francoise」には「森へなんか〜」は
っていたが、「私の騎士」は入ってなかった)







「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんかかない)」に話を戻そう。


原題を直訳すると「私の青春が逃げて行く」というニュアンスだろうか。

私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる

私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった






二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。

フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
厭世的な響きのタイトルとは裏腹に「みんなで森で楽しく踊りましょう、跳んで
踊って気に入った子にはキスしましょう」という内容である。


この童謡は18世紀、グレゴリオ聖歌の旋律に詞を乗せて作られた曲らしい。(9)
ドビュッシーの作品にも「もう森へは行かない」が使われている。(10)







アルディの「もう森へなんか行かない」は、「瞬く間に過ぎ去って行った青春」に
思いを馳せもうあの頃へは戻れない」と感傷的になっている歌だと思う。


直訳ではないが、「もう森へなんか行かない」はすてきな邦題だ。
「なんか」という、どこか拗ねたような言い回しがいい。








実は「森へなんか〜」はアルディのオリジナルではなくカヴァー曲である。
フランスのギイ・ボンタンペリ(男性)の作曲で、ミッシェル・アルノー(女性)
が先に歌っていた。

いずれも古典的なシャンソンっぽい歌唱だ。
アルディの内省的でメランコリックな歌の方が曲とうまく共鳴している。









私は近年、港区を席巻しているなんとかヒルズなど、森ビルだらけの威圧的な街
並みを憂いて、「もう森へなんか行かない」と呟く。


時々フランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」が聴きたくなる。
今にも空が泣き出しそうな日は特に。


<脚注>

2024年6月18日火曜日

フレンチポップスの女神、フランソワーズ・アルディが死去。




フレンチポップスを代表する歌手の1人で、1960年代のスタイルアイコンでもある
フランソワーズ・アルディが6月11日に亡くなった。(享年80歳)

一番好きな女性歌手で、憧れの女性でもあった。とても残念だ。


2004年に悪性リンパ腫と診断され、長く闘病生活を送っていたそうだ。(1)
それでも音楽活動は続けていた。
2018年に最後のアルバム「Personne d'autre」を発表。

2021年に病状の悪化から歌手活動を引退している。
ル・モンド紙によると、死因は喉頭がんだったとのこと。
昨年「あまり苦しまずに早く逝きたい」と語ったとパリ・マッチ誌は報じている。
安楽死を認める議論を復活させるよう、マクロン大統領に訴えていたそうだ。

安らかにお眠りください。




(写真:GettiImages)



アルディは1962年、18歳で自作のデビュー曲「Tous les Garcons et les Filles
(男の子と女の子)」がヒット。一躍スターになった。

明るい3連ロッカバラード(4/4拍で1拍が3連符。タタタ・タタタ・・・)だが、
「同じ歳頃の男の子と女の子は並んで歩くけど私は一人」と孤独感を歌っている。



↓「Tous les Garcons et les Filles(男の子と女の子)」






(写真:GettiImages)



ちょうどシャンソンから英米のロックの影響を受けた「イエイエ(2)と呼ばれる
フレンチポップスへと潮目が変わり出した頃である。
当時、大人気アイドルだったのが前年にデビューしたシルヴィ・バルタンだ。(3)





↑シルヴィ・バルタンと。



シルヴィ・バルタンが気が強くワガママなクラスの女王様(笑)なら、フランソ
ワーズ・アルディは一人静かに窓の外を眺める大人っぽい娘のイメージだろうか。






イエイエの時代において、華やかなエンターテイナーとしてステージで本領発揮した
バルタンとは対照的に、ギターを弾きながら淡々と歌うアルディは、シンガー&ソン
グライター然とした珍しい歌手だった。

ギターなしで歌う時は、派手な動きもなく不器用で素人っぽい印象すら与える。
そこが、かえって魅力だった。






アルディは正規のボイストレーニングを受けていない。
しかし「素朴で人を虜にする歌声」という天賦の才能を持っていた。

透明感のあるウィスパーヴォイスは哀愁に満ちていて、それが内省的な歌にとても
よく似合っている
アンニュイの妖精」と呼ばれる独特の空気を纏っていた。


2023年ローリングストーン誌は「史上最も偉大な歌手トップ200」に、フランソワ
ーズ・アルディをフランス人で唯一選んでいる。






類稀な美貌と180cmという長身、足の長さ、中性的なシルエット、飾り気のない
エレガンス、着こなし、落ち着いた物腰。フォトジェニックである。

流行り始めていたミニスカートやパンタロンをいち早く着用し、ジーンズやレザー
ジャケット、レザーパンツなどロックのテイストも着こなし、ファッションアイコン
としても注目を集めた







ソルボンヌ大学在学中からヴォーグ誌のモデル、イヴ・サンローランやパコ・ラバ
ンヌ、アンドレ・クレージュのモデルを務めた。(4)

ヴォーグ誌は「アルディは反バルドー的存在だった。ブリジッド・バルドーのような
セクシーさを前面に出した女らしさを古臭いものにした」と書いている。
アルディは女優としても活躍。ジャン=リュック・ゴダーの映画にも出演している。







フランソワーズ・アルディは英米ロック・アーティストのミューズでもあった。
デヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー、ボブ・ディランも彼女のファンである。



↑ミック・ジャガーとアルディ(似てる?という人もいる。カーリー・サイモンも)



ディランは4枚目のアルバムの裏ジャケットに、アルディに捧げる詩を載せている。
1966年のパリでの初ライブの日、「フランソワーズ・アルディが来てくれないとス
テージに上がらない」とディランが言い出し(ガキかよ)関係者を慌てさせた。


アルディが会場に来てくれたことで、ディランは納得してステージに上がる。
コンサートの後、ディランは新作「Blonde On Blonde」をアルディに聴かせた。
アルディは「今まで聴いたことがない音楽で驚いた」と感想を述べている。




↑ディランと舞台袖で。なんか気まずそうな。。。



アルディは1971年にアメリカのフォーク・ロックを英語で歌うアルバム「If You 
Listen」を発表している。
バフィ・セントメリーやニール・ヤングの曲をカヴァーしているが、ディランの
曲はなかった。


ビートルズについては「レコードは聴いてるけどよく知らない。来週オランピアに
見に行くわと答え、Twist and Shoutを歌うか?と訊かれると「いいえ、
が歌うのは自分の曲がほとんど。もっとスローで感傷的ね」と否定している。
(1964年1月7日 英国ITNのインタビュー)
※9日後の1月16日にビートルズはオランピア劇場で初パリ公演を行なっている。





(写真:GettiImages)




日本では、アイドルにしては大人っぽすぎ、敷居が高すぎたのかもしれない。

「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」、レナウン「ワンサカ娘」CMがヒットした
シルヴィ・バルタン(5)、「夢見るシャンソン人形」がバカ売れのフランス・ギャル、
「天使のらくがき」「オー・シャンゼリゼ」のダニエル・ビダルと違って、アルディ
の日本における知名度、人気はイマイチだった。




↑シルヴィ・バルタンと。





FMで流れていた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」という曲が
好きで、フランソワーズ・アルディのLPを買ったのは18才の秋だったと思う。
日本ではなぜか本国より5年遅れの1973〜1974年にヒットしていた。
(曲については次回、深掘りします)


さよならを教えて(Comment te dire adieu)




この曲が入ってるアルバムを探したが、なかなかお目にかかれない。
銀座のヤマハや山野楽器まで行けばよかったのだが、当時は行動範囲が狭かった。
パイド・パイパー・ハウス(6)もまだない。
ようやく吉祥寺のレコード店で「Françoise」という国内盤LPを見つけ購入した。






余談だが「ふたりだけの窓」(7)という1966年の英国映画を見て驚いた。
リバプールのレコード店のレジにフランソワーズ・アルディのLPが飾ってあった。
英国では早くから人気があり、レコードも入手しやすかったらしい。




さて、このLP。アートワークが目を惹く。
いい曲ばかり網羅してるので、国内編集盤だと思っていたが違っていた。


フランスのヒポポタム・レーベルからリリースされた1967-1968年既発曲の編集盤
LPをエピック・ソニーが契約して1973年頃に発売したらしい。

(ちなみにフランスでは一度、1970年にコンサートホール・レーベルから発売され、
1973年にヒポポタム・レーベルが収録曲を入れ替えて再発している)





↑見開き中面にはこんな微笑ましい写真が載っていた。
ヒポポタマス(hippopotamus)=カバ、という洒落だろうか?




このLPにはラマかアルパカと一緒に映ってる写真もあったような記憶がある。
(LPは現在持っていないので確かめようがないが)





アルディは動物好きらしく、ゾウやチータや馬を愛てる写真がある。
その一方で毛皮のコートを着てる、という矛盾した行動(?)もとっている。

まあ、ブリジット・バルドーも(やや過激な)動物愛護活動家になったのは30歳
で、それまでは公然と毛皮のコートを着てたわけで。




↑抱いているのはベンガルという猫種です。





フランソワーズ・アルディは1974年に初来日している。こっそり?
記者会見をしてるが「さよならを教えて」ヒット御礼みたいな感じだろうか。
4月16日から4月20日の5日間、日本に滞在。公演は行っていない。
一人息子が病気との知らせが届き、予定を変更して急遽パリに戻ったそうだ。




(「ロードショー」1974年7月号)



1991年4月末、伊勢丹主催のプライヴェート・トークショー(原宿クエストホール
にて2日間開催)のために来日し、2週間ほど滞在したらしい。




(プライベート・トークショー告知の新聞広告)



1996年7月末、アルバム「Le Danger」のプロモーションのために来日。
これがアルディ最後の来日となった。



日本滞在、ファンとの交流への思い出もあったのだろうか。
東日本大震災の際は多額の寄付をしたという記事を新聞で読んだ。





↓以下の記事を参考にし、記載内容と写真を転用させていただきました。
ご協力に感謝します。
素晴らしい内容ですのでご参照ください。リンクを貼りました。

マーメイド号の紙ジャケだけじゃ生きてゆけない!本日の中古盤 FRANCOISE 
HARDY/FRANCOISE
http://blog.livedoor.jp/mermaid555/archives/52093252.html

Kontaの歓びの毒牙 フランソワーズ・アルディ Françoise Hardy の初来日 1974
https://k0nta.hatenablog.com/entry/2018/02/18/162059

僕らの日々 フランソワーズ・アルディの思い出@1991
https://ameblo.jp/jametjohn/entry-12797452652.html



<脚注>

2024年6月8日土曜日

ジミ・ヘンドリックスの名曲「リトル・ウィング」<前篇>



ロック史上最も偉大のギタリスト(1)と評価されるジミ・ヘンドリックス。
卓越した演奏技術と表現方法もさることながら、アフロヘアにサイケデリックな
衣装、ギターを歯で弾いたり(2)背中に回して弾いたり、床に叩き付けて火をつける、
などステージでのパフォーマンス(3)も伝説となっている。


ウッドストックでの「星条旗 (アメリカ国歌)」の爆音も強烈だった。
(ベトナム戦争の空爆と泣き叫び逃げまどう人々を音で再現したという)(4)



しかしワイルドなイメージとは逆に、ジミには繊細で美しい音楽性もあった。
レコーディング時の音作りにもこだわっていたという。






1967年12月に発表された「Little Wing」はそのいい例だ。
曲の構成もコード進行もシンプルでスローなR&Bバラードだが、ジミならではの
動き回るギター」がとにかくカッコいい。


↓ジミ・ヘンドリックスの「Little Wing」
https://www.youtube.com/watch?v=j1gfAStPNlU



腕に覚えのあるギタリストなら弾いてみたいと思うだろう。
イントロを弾き始めると、その場の空気感が一気に変わるはずだ。

が、ジミのようにカッコよく弾きこなすのは至難の技かもしれない。





<ジミ・ヘンドリックス流・半音下げチューニング>

まず耳コピしようとすると、あれ?となる。キーが合わないのだ。

ジミはほとんどの曲で半音低くチューニングしている。
(ベースのノエル・レディングもジミに合わせ半音落としていたようだ)




弦の張力が下がり、弾きやすくなる。
ベンディング(チョーキング)+ヴィブラートがやりやすい
たとえば「Voodoo Child」のライヴ映像を見ると、ジミは2フレット辺りで
3弦を持ち上げ揺らしている。(本来ならけっこう力が要るはずだ)

ジミが活躍していた時代、09のライトゲージがなかったためという説もある。
が、アーニーボール社が既に発売しているのでそれは違うだろう。


弦の張力が下がると響き方が変わり、若干ダークでヘヴィーなトーンになる
また声域が狭くキーが低いジミにとって、半音下げた方が歌いやすい、という
メリットがあったと思われる。






<「リトル・ウィング」の曲構成とコード進行>

曲の構成は極めてシンプルで、イントロと同じ10小節の演奏がそのまま歌の
2コーラス、それに続くギターソロ(フェイドアウト)でも使われる。

コード進行もシンプルで、Em→G→Am→Em→Bm-B♭→Am-C→G-F add9
→C(ここのみ2/4拍子)→D→4拍休符(ドラムのフィル)を繰り返す。





<ジミ・ヘンドリックス独自の押弦・運指スタイル>

自在に指板を動き回る右手(ジミは左利き)、唸るようなベース音のグリッ
サンドハンマリングオンの多様開放弦の共鳴トレモロアーム、とあら
ゆる技で表情豊かなバッキングを披露している。

ジミの動画や写真を見て唖然とした。
6弦と5弦は常に親指で押弦し、グリッサンドも親指で行っている。
(ほとんどのギタリストは人差し指で6弦・5弦を滑らせる)




この場合、通常より下に角度をつけた斜めのグリップになる。
残りの4本の指の可動範囲は制限されるが、ジミは難なく運指している。

それは手がバカでかいことの恩恵であるようだ。
身長178cmとさほど大柄ではないにもかかわらず、手だけは本当にでかい。


実際に同じことをやってみた。
スケール22.75インチ (578mm)、ネック幅1.6インチ (40.6mm)のミニ・ス
トラト(5)で、なんとか押弦できる。(うまくは弾けない)

この「親指シフト」とでも呼びたくなる押弦方法は、コードチェンジにおいても、
他の4本指で小技を効かせる時も、慣れないとスムーズに行かない。
でもあのサウンドは、ジミ独特の常識破りな指使いだからこそ生まれるのだ。





イントロ頭は12フレットをミュートしながらダウン〜アップでピックを当て、
一気にグリッサンドで下降する。

12フレットを人差し指か薬指でバレー(セーハ)するのが一般的な奏法だろう。
だが、ジミの演奏では6弦と2〜1弦の音しか聴こえない。
(6弦すべてバレーなら、ミュートした5〜3弦も微かに鳴るはずだ)

これも6弦12フレットは親指で、2〜1弦を人差し指か中指か薬指で押さえ、
グリップした状態のままグリッサンドしてるのだろう。




<カーティス・メイフィールドのR&Bが原型>

ジミの歌伴の演奏スタイルはカーティス・メイフィールドの影響が大きい。
無名時代、アイズレー・ブラザーズ、アイク&ティナ・ターナー、リトル・リチ
ャードなど黒人R&Bシンガーのバックで演奏しツアーにも同行していた。



↑ウィルソン・ピケットのバックを務めた時の写真。


中でもカーティス・メイフィールドからは、リズムのフィルやコードアレンジ
など短期間に多くのことを学んだとジミ本人が認めている。



1966年、ジミは渡英する前にR&Bデュオ、The Icemenと一緒にR&Bバラード 
(My Girl)She's a Fox」を録音している。
ここで聴けるカーティス・スタイルのギターは、「Little Wing」の原型になった
のではないかと思われる。


The Icemen- [My Girl] She's a Fox
https://www.youtube.com/watch?v=ZTBBzU5-9I8





↑ロネッツのバックで演奏した時の写真。
変わった弾き方をして目立ちたがるから、解雇され転々としてたらしい。




<ジミ・ヘンドリックスのストラトキャスター>


「フェンダーのストラトキャスターにとてもこだわっている。
うまくセッティングすれば最強だし、世界一だからね」
                     
ジミ・ヘンドリックス(ロサンゼルス・フリープレス誌1967年8月25日号)






黒人シンガーの雇われバック・ギタリストだった頃のジミはエピフォンのコル
ネット、フェンダーのデュオソニックやジャズマスターを使用していた。





1966年にニューヨークに拠点を移し自身のバンドで活動を開始する際に、スモ
ールヘッド、ローズウッド指板の白いCBS初期ストラトキャスターを入手

ジミがストラトを選んだ理由は定かでない。
バディ・ガイやアイク・ターナーの影響かもしれないし、ジミが憧れていたディ
ランがストラトを弾き「Like A Rolling Stone」(後にジミもカヴァー。ライヴ
での定番曲となる)を歌う姿に自身を投影してたのかもしれない。(7)


渡英してからはホワイト、ブラック、サンバースト、レッドと色は様々だが、
スモールヘッド、ローズ指板のストラトを使用していた。







1967年6月、モンタレー・ポップフェスティバルに出演し、アメリカで成功を
収めてから、ラージヘッド&ローズ指板へと切り替わる。



1968年秋から彼の代名詞となるラージヘッド&貼りメイプルを使用し始める。
(その1台、オリンピックホワイトがウッドストック・ストラトと呼ばれる)






「Little Wing」が録音されたのは1967年10月。
ラージヘッド&ローズ指板のストラトを使っていた時期である。

しかし、ハーフトーン(後述)を用いてることから、セレクタースイッチに
改造を加えた別な個体を使った可能性もある。

1967年10月~1968年2月まで使用してた1964年製ローズウッド指板のスト
ラトは、3つの独立したトグル・スイッチに改造してある。(8)
ピックアップ個別のオン/オフ、ハーフトーンの出力も容易だっただろう。







<あえて右利き用ストラトキャスターを使い続けた理由>

左利きのジミが右利き用のストラトを逆さまにして弾いていたのはなぜか?
クラプトンは「当時、英国では左利き用のストラトが入手しにくかった」と
言っている。が、理由はそれだけではないと思われる。

右利き用のストラトを逆さまに構えると、コントロール・ノブとトレモロアー
ムが上に来る
一見、演奏の邪魔になりそうだ。



ライヴ映像を見ると、頻繁にボリュームやトーンのノブをいじっている。
それらが上(手元)にあった方が、弾きながら細かい調整がしやすい
またいちいち手を伸ばさなくても、アームに手を乗せたまま弾けるのも、ジミ
にとっては好都合だったのではないか。





クラプトンは左利き用のストラトを購入しジミを喜ばせようとしていた(ジミ
の死でそれは叶わなかった)が、右利き用ストラトを愛していたジミにとって
はありがた迷惑だったかも・・・?






<ハーフトーンを発見したのはクラプトンではなくジミ?>

「Little Wing」でジミは、ギターの音色を最適なものにしようといろいろ試み
、ストラトキャスターのピックアップ・セレクターをフロントとミドルの中間
に留めると独特の「ハーフトーン」が出せることを発見した。(9)

ストラトの3つのピックアップはそれぞれ単体で鳴る設計だが、セレクターを
中途半端な位置に固定すると、ショーティング(2つのピックアップが同時に
接続)されてしまう。




この際、シリーズ(直列配線)ならハムバッキングのように出力が増強される。
ストラトはパラレル(並列配線)のため、単体の時より細く少しこもったような
ユニークなミックス・サウンドになる。



これに着目したのがクラプトンで、1970年のデレク&ザ・ドミノスで多用。
ストラトのハーフトーンはレイドバック時代のクラプトンの象徴となる。
(今や常識で、ストラトのトグルスイッチは5ポジションが標準である)




しかしジミが3年前に「Little Wing」で試みたのが最初のハーフトーンだ。
そもそもクラプトンがギブソンからストラトに転向したのはジミの影響で、
ハーフトーンに気づいたのも「Little Wing」を聴いたせいかもしれない。

(デレク&ザ・ドミノスで「Little Wing」をカヴァーしてることからも、その
可能性はありえる)




「Little Wing」は軽くクランチをかけたクリーントーンもポイントである。
ジミヘンといえばストラト+マーシャルの歪んだ爆音だが、この曲の録音では
コンソールにダイレクトに入力した音とロータリースピーカー(後述)を経由
した音をミックスしたのではないかと思う。




<様々なサウンド・エフェクト>

ジミとレコーディングエンジニアのエディ・クレイマー(10)は、ギターの音を
増幅しうねらせるために、ハモンドオルガンに使われるレズリーのロータリー
スピーカーに繋ぐ(11)
結果としてフェイザーやトレモロのようなエフェクトがギターに加わった。




ジミはスタジオに転がっていたグロッケンシュピール(鉄琴)を見つけ、この
曲に使うことにした。
フランジャーがかかったハーフトーンのストラト、ドラム、ベースの間を縫って
つきまとうように鳴るグロッケンは、歌詞の内容(後述)と相まって妖精が飛ん
でいるような幻想的なイメージを創り上げた。

ジミのボーカルもADT、フェイザー、イコライザー、ロータリースピーカー
加工されている。






<2分25秒でフェイドアウト、短すぎるギターソロ>

トレモロアームによる開放弦の下降音(レオ・フェンダーは「そういう使い
方をするんじゃない!」と怒ったとか)に続き、ギター・ソロが始まる。

ソロ前の和音は12フレット開放弦のハーモニクスを弾いている人が多い。
(自分には4〜2弦の12フレットを押弦しているように聴こえるのだが)


2コーラス目にさしかかり、これから盛り上がるか?というタイミング(2分
25秒)でフェイドアウトして終わってしまう。




プロデューサーのチャス・チャンドラー(12)は「3分以内のコンパクトな曲」
にまとめ上げることを要求していたらしい。
それが当時のシングル盤のスタンダードで、ラジオのオンエア確率が高い(=
ヒット確率が高い)ということだろう。

しかし本作はシングルカットされたわけではなく、2nd.アルバム「Axis: Bold 
As Love」収録曲である。
アルバムのほとんどの曲が2〜3分の長さで、4分を超えるのは2曲のみ。

「Little Wing」は最も長尺でヘヴィーな「If 6 Was 9」の前ということも
あり、チャンドラーは簡潔さを望んだのかもしれない。(13)







<ライヴ・ヴァージョン>

「Little Wing」はライブ録音も残されている。
スタジオ録音よりギターソロが少し長いが、せいぜい3〜4分の演奏が多い。
ジミもこの曲は長尺にせず、短くまとめた方がいいと判断したのだろう。


Little Wing (Olympic Studios, London, UK, October 25, 1967)
https://www.youtube.com/watch?v=wLlWYrDQTmA



これは1967年10月25日のロンドン、オリンピック・スタジオで行われた
レコーディング・セッションの初期テイク
ラフな演奏だが、力強くていい。エフェクトもかけていない。
後半ワイルドなギターソロもたっぷり聴ける





ライヴではフェイドアウトできないため、違うエンディングが用意された。
G→F add9→Cの後、 Dに行かずE♭へ。
VOXのワウペダルを効かせたフレーズでテンポを落とし、G add9で終わる。
Honeyのユニヴァイヴで音を揺らしていたのではないかと思う。


Little Wing (Live 10/12/68 Winterland, San Francisco, CA)
https://www.youtube.com/watch?v=eoJk7wpj3jk

Little Wing (Live at the Royal Albert Hall, London, UK, February 24, 1969)
https://www.youtube.com/watch?v=uUpAnmWJa2M









<デモ演奏動画>

YouTubeにはいろいろな人がデモ演奏をアップしている。みんな上手い!

この人はジミと同じように半音下げたチューニングで演奏している。
https://www.youtube.com/watch?v=ru_mlNYjBOU

これはスタンダード・チューニングで演奏されている。
https://www.youtube.com/watch?v=TpQ4mOKeD1U


4拍ベタにならないよう、R&Bの跳ね感(たぶんジミは自然にこうなるのだ)
を意識して、ノリとしてはシャッフル気味弾くといいと思う。





次回は歌詞の内容とジミのボーカルについて。


<脚注>