なにしろ今と違ってテレビやネットで海外のアーティストの動いてる姿を見る機会
なんてめったにない時代である。
(「ヤング・ミュージックショー」(2)放送開始は「ウッドストック」の翌年)
ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー、ジョー・コッカー、CS&N、サンタナ、スライ
&ザ・ファミリーストーン、テンイヤーズアフター。。。。
圧巻のパフォーマンスに僕はぽかんと口を開けたまま見入るばかりであった。
しかしその中で飄々とした風貌でギターをかき鳴らし、鼻にかかった癖のある声で
ややぶっきらぼうな感じで歌うアーロ・ガスリーもなぜか心に残ったのだ。
映画の中盤、アーロ・ガスリーは登場する。
曲は「Coming Into Los Angeles」だ。
ヘリコプターの到着、ギターのソフトケース(当時は珍しい)をかついで会場入り
するアーロ、ジョイント(マリファナ)を回し飲みする人々をカメラは追う。
彼の演奏シーンは最後の少しだけである。
ちょっと消化不良な感は否めない。
実はこの時のアーロの演奏の録音状態に問題があったらしい。(3)
そのため他のコンサートの音源を使ったが、演奏している映像とシンクロしない
ため会場のシークエンスを使ったのだろう。
曲の中でドラッグが出てくるためこういうシーンと組み合わせたのだと思う。
ウッドストック・フェスティバルを、そして時代を象徴するために。(4)
↑クリックするとウッドストックでのこの曲のシーンが視聴できます。
Coming into Los Angeles
(Arlo Guthrie 対訳:イエロードッグ)
Coming in from London from over the pole Flying in a big airliner
Chicken flying everywhere around the plane(5)
Could we ever feel much finer
ロンドンから北極周りでやって来たぜ でっかい飛行機に乗ってさ
おねえちゃんもいっぱい乗ってたし 最高の気分じゃないか
Coming into Los Angeles Bringing in a couple of ki's (6)
Don't touch my bags if you please Mister customs man, yeah
大量のブツを持ってロサンジェルスにやって来たぜ
なあ、税関職員さん、俺のバッグに触らないでくれよ
There's a guy with a ticket to Mexico No, he couldn't look much stranger
Walking in the hall with his things and all (7)
Smiling, said he was the Lone Ranger (8)
メキシコ行きチケットを持った もうありえないくらい危なそうな奴
お気に入りの格好でホールを歩きながら 俺はローン・レンジャーさと笑顔
Coming into Los Angeles Bringing in a couple of ki's
Don't touch my bags if you please Mister customs man, yeah
大量のブツを持ってロサンジェルスにやって来たぜ
なあ、税関職員さん、俺のバッグに触らないでくれよ
Hip woman walking on the moving floor Tripping on the escalator (9)
There's a man in the line and she's blowing his mind
Thinking that he's already made her
エスカレーターを足取り軽く歩くいい女はヤクでぶっ飛んでるみたい
列にいる男はその女に目をつけてて もうモノにしちゃった気分でいる
Coming into Los Angeles Bringing in a couple of ki's
Don't touch my bags if you please Mister customs man, yeah
大量のブツを持ってロサンジェルスにやって来たぜ
なあ、税関職員さん、俺のバッグに触らないでくれよ
この曲はウッドストック・フェスティバル開催の1969年にリリースされたアーロの
3rd.アルバム「Running Down The Road」に収録されている。
つまりウッドストックで披露された時はほやほやの新曲だったということだ。
スタジオ・ヴァージョンでは終盤にザ・バーズのクラレンス・ホワイトと(ギター)
とジェームズ・バートン(10)のアーロを煽るようなギター・バトルが聴ける。
↑クリックするとスタジオ版「Coming Into Los Angeles」が聴けます。
アルバムのプロデュースはヴァン・ダイク・パークス(11)とレニー・ワロンカー(12)。
クラレンス・ホワイト、ジェームズ・バートン以外にもライ・クーダー(マンドリン)
を始め錚々たる顔ぶれがアーロをサポートしている。
乾いた土の香りがするサウンドだ。
父であるウディ・ガスリーの遺作「Oklahoma Hills」もカヴァーしている。
アーロ・ガスリーはプロテスタント・フォークソングの父と言われたウディ・ガス
リー(13)の息子である。
幼少の頃よりピート・シーガーやジャック・エリオットに音楽の指導を受け、若き
日のボブ・ディランからハーモニカを教わったという。(14)
恵まれた環境でフォークソングを覚える一方ブルーグラスやカントリーにも没頭し、
それらを下地とした独自のフォークロックを創り上げた。
(1)映画「ウッドストック」
ウッドストック・フェスティバルは1969年8月の3日間NY州サリバン郡ベセルの
広大な農場で行われた初めての大規模野外コンサート。
30組以上のフォーク、ロック・アーティストが出演、約40万人の観客を集めた。
ドラッグ過剰摂取で2名が死亡、2名が出産。
アメリカのカウンターカルチャー、ヒッピームーヴメントの象徴と言われる。
この模様を記録したドキュメンタリー映画「ウッドストック/愛と平和と音楽の
三日間」がアメリカでは1970年3月、日本では1970年5月に公開(同時上映は
ビートルズの「レット・イット・ビー」)された。
配給会社はワーナーブラザーズ。
監督はマイケル・ウォドレー、編集にマーティン・スコセッシも携わっている。
(2)「ヤング・ミュージック・ショー」
1971年10月から1986年12月までNHK総合テレビで不定期放送された音楽番組。
BBCが制作したコンサートやスタジオ・ライブの他、来日アーティストの公演をNHK
が収録したものも放送された。
クリーム、CCR、EL&P、ローリングストーンズ、ディープパープル、ピンクロイド
、スリー・ドッグ・ナイト、エルトン・ジョン、シカゴ、キッスなどが紹介された。
それにしてもヤング・ミュージック・ショーって恥ずかしいタイトルですねー(笑)
(3)ウッドストック・フェスティバルでのアーロ・ガスリーの演奏
映画ではカットされているが、この日アーロは「Walking Down The Line」
「Amazing Grace」も歌っている。
でも「Coming Into Los Angeles」が一番魅力的でキャッチーだったと思う。
(4)ウッドストックの象徴としてのドラッグ
映画ではアーロの前にカントリー・ジョー&ザ・フィッシュがドラッグ礼賛の曲
を歌い最後に「Marijuana!」と叫ぶと、アーロが客席に「Lots of freaks!」(変な
やつばっかり)と笑いかけるシーンに切り替わる。
(5) Chicken flying everywhere around the plane
Chicken flyingはChicken fried(日本ではフライドチキン)とかけている。
Chickenはスラングで臆病者、青二才、若い女の子の意味がある。
前後の内容からこのように訳した。
everywhere around the planeは飛行機の周りではなく機内の至るとろでの意味。
飛行機の周りをチキンが飛んでる幻覚を見てる、という解釈もできるが。
(6) Bringing in a couple of ki's
ki'sはコカインなどの薬物のキログラムを意味するスラング。
a couple of ki’s(2kgのドラッグ)をバッグに入れて持ち込んでいるわけだ。
(7) with his things and all
これはどう訳していいか分からなかった。(わかる方、教えてください)
do one’s thingsで好きな格好をするという意味があるので、この後の内容から
この人のファッションのことではないかと推察している。
(8) Lone Ranger
「ローン・レンジャー」は西部劇が題材のラジオ/テレビドラマ、コミック。
日本ではテレビドラマ版が1958年からフジテレビ系列で放映された。
黒い仮面をつけた主人公ローン・レンジャーが白馬にまたがった姿は、アメリカ
版鞍馬天狗として親しまれた。
またローン・レンジャーが愛馬シルバーを発進させる時の掛け声「ハイヨー、
シルバー!(Hi-yo Silver)」は子供達の間で流行した。
(9) Hip woman …..Tripping on the escalator
Hipは今の流行やトレンドにハマっている人を指すスラング。
時代を考えると彼女はまさにヒッピー・スタイルで決めていたのかもしれない。
Trippingは軽い足取りで歩くという意味。
ここではドラッグのトリップとのダブル・ミーニングではないかと思う。
(10)ジェームズ・バートン
アメリカのギタリスト。
53年製アップルレッドのテレキャスター、69年製ペイズリー柄のテレキャスター
を愛用し、ミスター・テレキャスターとの異名を持つ。
バンジョー用の金属製フィンガーピックを用いたチキンピッキングを得意とする。
ドブロが得意でミスター・ドブロとも呼ばれている。
リッキー・ネルソンのバンドで活躍した後、エルヴィス・プレスリーのTCBバンド
のリーダーに任命され、1969年から1977年までのエルヴィスのステージのリード
・ギターを勤めた。
エルヴィスからは「最もすごいギタリストの1人」と評されている。
(11)ヴァン・ダイク・パークス
アメリカの作曲家、編曲家、音楽プロデューサーで「奇才」と評価される。
ビーチボーイズの「ロック至上最も有名な未発表アルバム」と言われる1967年の
「スマイル」の製作に携わったことで有名である。
「スマイル」は2004年にブライアン・ウィルソンがヴァン・ダイク・パークスと
の共同制作のもと、ブライアンのソロ・アルバムとして37年ぶりに発表。
2011年にはビーチボーイズのオリジナル・セッションを再編集したものがキャピ
トルから「The Smile Sessions」としてリリースされている。
(12)レニー・ワロンカー
ワーナーブラザーズ・レコードのA&R担当、プロデューサー。
テッド・テンプルマン、ラス・タイトルマン、ヴァン・ダイク・パークス、ラン
ディ・ニューマン、ライ・クーダーと「バーバンク・サウンド」を築いた。
(13)ウディ・ガスリー
シンガー&ソングライターの草分けでアメリカのフォークソングの父と言われる。
14歳のときに家族が離散し、大恐慌の時代に放浪生活を送る。
その中で貧困や差別などに翻弄される労働者らの感情を歌にして演奏した。
彼のギターには「This machine kills fascists」というスローガンが貼ってあった。
このギターで、この歌で世の中を変革したいとうの反骨精神の人だったのだ。
ボブ・ディランやピート・シーガーはウディから大きな影響を受けている。
(14)アーロ・ガスリーの音楽環境
父のウディは家族ができてからも放浪を続けた。
そのせいかアーロは直接ウディから手ほどきを受ける機会はほとんどなかった。
しかしよくウディの曲をカヴァーしている。父の存在は大きかったようだ。
(参考資料:レコード・コレクターズ、Wikipedia他)
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