2016年4月26日火曜日

ジェイムス・テイラーのギターと音楽性の関係(中)

マーク・ホワイトブックで新たな音楽に挑んだ第2ゴールデン期

ジェイムス・テイラーは1972年のアルバム「One Man Dog」のレコーディングに
参加していたジョン・マクラフリン(1)所有のフラットトップ・ギターに魅了される。
それはマーク・ホワイトブックというルシアー(弦楽器製作家)によるハンドメイド
のギターであった。



↑写真をクリックするとマクラフリンと共演した「Someone」が試聴できます。
2分辺りからマクラフリンのソロが聴けます。


ジェイムスは当時の妻カーリー・サイモンと自分のために2台、ドレッドノート・サ
イズのギターをホワイトブックにオーダーする。
これに関しては「ジェイムスが離婚時にカーリー・サイモンに1台あげた」という説
もあるが、僕は違うような気がする。


だってカーリー・サイモンってなんか恐そうじゃないですか。
「ふーん、あんた自分だけ高いギター買っていいと思ってんの?」とか言いながら、
コブラツイスト(2)でジェイムスを締め上げ大きな口でがぶりと噛みつきそう(笑)

まあ、それはないとしてもジェイムスが新婚の妻で同じシンガー・ソングライター
仲間でもあるカーリー・サイモンにも買ってあげた、という話の方が納得できる。
離婚の原因は彼女の方にある(3)わけで、その時点でギターをあげる必要もないし。



↑写真をクリックすると「You Can Close Your Eyes」のデュエットが観られます。
ギターはマーク・ホワイトブック。


マーク・ホワイトブックのギターはクラレンス・ホワイト(4)や石川鷹彦(5)も所有し
ていたらしいが、製作された数も少ないようであまり情報がない。

ジェイムス・テイラーがこのギターを持っている写真を最初に見た時はマーティンの
D-28か?いや、でもヘッドにバインディングがあるし。。。それに何だ?この「W」
のマークは!と驚かされたものだ。
おそらくマーティンにいた職人が独立して造り始めたギターで、サンタクルーズ、コ
リングス、フランクリンなどマーティンのヴィンテージ系の音だろうと思った。




↑実に丁寧な造りのギターであることが分かる。



ジェイムスはホワイトブックの音について「マーティンのようでもありギブソンのよ
うでもある」と表現している。
それは彼の弾くホワイトブックを聴くと的を得た表現であることが分かる。

ギブソンよりはマーティンに近いブライトな高音弦の響きとトーンと鳴るギブソンに
も似た低音弦の鳴り方。
見かけはマーティンの形状だがギブソンに聴こえる時もある。

コンタクト型ピックアップ(たぶんバーカスベリーだと思う)を使用した場合も、J-
45の時と似ていると感じた。



それにしてもあれだけ長いキャリアの中で、ジェイムス・テイラーが一度も王道の
マーティンを使わなかったのはなぜだろう?不思議でならない。

彼の盟友ダニー・コーチマー(6)もかつて恋人でもあったジョニ・ミッチェルもD-28
を愛用していたし、いくらでもマーティンを手にする機会はあったはずだ。
ホワイトブックの音を「マーティンのようでもあり」と言ってることから、マーティ
ン音についても熟知していたと思える。

それでもマーティンを使っていないのはあまりにもベタだと思ったのか?
J-50の音が自分のキャラクターと一体化していて、その対極にあるマーティンの音は
(たとえ良いと思っても)抵抗があったのか?




とにかくジェイムス・テイラーはマーティンとギブソン両方の魅力を持つマーク・ホ
ワイトブックと出会い、新しい相棒に選んだ。
それと同時に彼の音楽、サウンドも新天地へと舵を切る。



5枚目のアルバム「Walking Man」(1974)は西海岸を離れ、ニューヨークのセッシ
ョン・ギタリストであったデヴィッド・スピノザ(7)にプロデュースを依頼。
彼の総指揮の下、スピノザ本人とヒュー・マックラケン(g)、リック・マロッタ(ds)、
ドン・グロルニック(kb)、ブレッカー・ブラザーズ(bras)などニューヨークの精鋭
ミュージシャンを集めレコーディングに臨む。

その結果、前作「One Man Dog」での気心知れたザ・セクション(8)によるゴリゴリ
した手触りの温かみのあるサウンドとは一味違う、クールで引き締まった音作りへ。
それまでのフォーク、カントリー色が後退し洗練された都会的な作品になった。



↑写真をクリックすると「Walking Man」フルアルバムが試聴できます。


6枚目の「Gorilla」(1975)、7枚目の「In The Pocket」(1976)では再びロサンジェル
スに戻り、「バーバンク・サウンド」の立役者、レニー・ワーロンカー(8)とラス・
トルマン(9)をプロデュースに迎える。

ザ・セクションの復帰。クレジットを見ているだけでくらくらしそうなゲスト陣。
ローウェル・ジョージ、デヴィッド・グリスマン、ジム・ケルトナー、ニック・デカロ、
ウィリー・ウィークス、アル・パーキンス、バレリー・カーター、グラハム・ナッシュ、
デヴィッド・クロスビー、リンダ・ロンシュタット、ボニー・レイット、スティーヴィ
ー・ワンダー、デヴィッド・リンドレー、アート・ガーファンクル、ワディ・ワクテル、
アンディ・ニューマーク、カーリー・サイモン。。。。

ニューヨークで得た都会的要素と西海岸のまばゆい明るさと暖かさが見事に融合した。
曲もサウンドもどこまでもやさしくまろやか。心地よい。とろけそうだ。



↑写真をクリックすると「Gorilla」フルアルバムが試聴できます。



ワーナーブラザーズからコロムビアへ移籍後の「JT」(1977)、「Flag」(1979)ではピ
ター・アッシャーがプロデューサーに復帰。
ザ・セクションのメンバーを中心としたタイトなロック・サウンドになった。
「Flag」ではニューヨークで共演したデヴィッド・スピノザ、ドン・グロルニックも
参加している。

僕が大好きだったジェイムス・テイラーはここまで。



↑写真をクリックするとジャイムス、長兄アレックス、弟のリヴィングストン、ヒュー、
妹のケイトとテイラー兄弟による「Shower the People」(1981)が観られます。
さすが!息の合ったハーモニー。顔もよく似ててなんだかうれしい(笑)


次作の「 Dad Loves His Work」(1981)はJ. D. サウザーとの共演「Her Town Too」
いう目玉はあるものの、この時期蔓延し始めた「 AOR臭さ」が鼻についた。
実際に「AORの名盤」としてこのアルバムが挙げられることも多い。(10)

僕がこのアルバムを好まない要因の一つは、これ以降ジェイムス・テイラーのサウンド
のキーを担うことになるドン・グロルニックのシンセサイザーであり、もう一つはこれ
以降留任し続けるデヴィッド、ラズリーとアーノルド・マッカラーの歌い上げ系コーラ
スである。


それはともかく1974〜1981年の7年間、ソフト&メロウからタイトなロックへと変化
て行った6枚のアルバムはジェイムス・テイラーの第2ゴールデン期であり、その要と
ったのがマーク・ホワイトブックのギターだったと言い切ってもいいと思う。


マーク・ホワイトブックは既に他界している。
ジェイムス・テイラーは「僕はホワイトブックに素晴らしいギターを何台か作ってもら
うことができてラッキーだった」と語っている。

彼はよく目にしたローズウッドかハカランダ 製ボディーのドレッドノートの他、メープ
ル・ボディーのアバロン・インレイが派手なドレッドノート、パーラー・サイズ(おそ
らくマーティンの5-18と同じ3/4サイズ)を所有している。
他にも持っていたかもしれない。




しかし彼のお気に入りだったホワイトブックも1985年以降見かけなくなる。
いくら酷使する道具とはいえ使い物にならないほどダメージを受けているとは思えない
し、いくらでもリペアのしようはあったはずだ。

想像するに、この後ジェイムス・テイラーが志向する音楽性が変わり、また彼のピッキ
ングのタッチもソフトになり、それに対応するギターがホワイトブックではなくなった
のではないだろうか。

(続く)


<脚注>

(1)ジョン・マクラフリン
英国ヨークシャーの超絶テクニックをもつジャズ・ロックギタリスト。
1970年代マハヴィシュヌ・オーケストラのリーダーだった。
ジャズ、ロック、インド音楽、フラメンコ、クラシックなどを取り込んだ演奏をする。
1979年パコ・デ・ルシア、ラリー・コリエルとトリオを結成。
翌年コリエルの代わりにアル・ディ・メオラが加入する。いずれも早弾きギタリスト。


(2)コブラツイスト
プロレス技のひとつ。
背後から相手の左足に自分の左足をからめるようにフックさせ、相手の右腕の下を経由
して自分の左腕を首の後ろに巻きつけ、背筋を伸ばすように伸び上がる。
背中・脇腹・腰・肩・首筋を痛めつける技で、がっちりと決まると呼吸さえ苦しくなる。
アントニオ猪木の必殺技であった。


(3)ジェイムス・テイラーとカーリー・サイモンの離婚
ジェイムス・テイラーのバックを務めていたザ・セクション(後述)のドラマー、ラス・
カンケルとカーリー・サイモンの不倫が原因と言われている。


(4)クラレンス・ホワイト
アメリカのメイン州出身のギターリスト。
ブルーグラスでは伴奏楽器であったアコースティックギターをリード楽器として定着さ
せた第一人者である。
ジャズやR&Bの影響を受けリズムの変化を多用したり、音程を飛躍させることで躍動感
あふれる多彩なフレーズを生み出した。
エレクトリックギターでもストリングベンダー(スティールギターのような効果を出す
装置)を考案するなど、ブルーグラスおよびカントリー・ロックのギター奏法に革新を
もたらした。

スタジオミュージシャンとしてリック・ネルソン、アーロ・ガスリー、モンキーズ、ジ
ャクソン・ブラウンなどのアルバムのレコーディングに参加。
1968年にザ・バーズに加入。
カントリーフレイバーあふれるフレーズでバンドの演奏力を圧倒的なものにした。
1973年機材を詰め込んでいる時、泥酔した運転手の車に撥ねられて29歳の若さで他界。

愛用ギターはラージサウンドホール(サウンドホールが大きく開けられる改造が施され
た)1935年製マーティンD-28(クラレンスの死後、トニー・ライスが所有者)。
D-18もお気に入りだったらしい。
バーズ時代はストリングベンダーを搭載した1954年製のフェンダー・テレキャスター
をメインで使用。この頃はオベーションも使っている。


(5)石川鷹彦
日本のアコースティックギター奏者の草分け的存在。
1968年に小室等とともに六文銭を結成。
ブルーグラス、カントリーをベースにした卓越したテクニックで、はしだのりひことシ
ューベルツ、吉田拓郎、かぐや姫、風、イルカ、アリス、さだまさしなど1970年代の
フォーク系アーティストのレコーディングに参加し名演を残す。
風の「22歳の別れ」ではナッシュビル・チューニングを披露した。
マーティンD-45、D-18、エピフォンFT-79Nテキサンなど50本以上のギターを所有。
フラットマンドリン、バンジョー、リゾネーターギターも得意である。


(6)ダニー・コーチマー
アメリカのセッション・ギタリスト、ソングライター。
R&B色の強い粘りのあるフレーズ、抜群のリズム感のコードカッティングが得意だ。
1966年ニューヨークでまだ無名だったジェイムス・テイラーが在籍していたフライング
・マシンで演奏していた。ジェイムスとの仲はこの時から。愛称はクーチ。

英国でもセッション・ギタリストと活動し、ピーター&ゴードンのアメリカ公演のバッ
クも務めた。
この縁でバンド解散後アップルで新人を探していたピーター・アッシャーにコーチマー
は盟友のジェイムス・テイラーを紹介。
ジェイムスはアップルからデビューすることになった。
アップルを辞めたアッシャーとジェイムスがアメリカへ渡りワーナーブラザーズから再
デビューした時から、長く彼のサポートを務めている。

キャロル・キングとザ・シティーというバンドを結成していた時期もあり、その後キャ
ロルの名盤「Tapestry」にも参加。
自身のバンド、ジョー・ママを結成。
その後ジェイムス・テイラーのバックバンドから派生したザ・セクションを結成。

リンダ・ロンシュタット、ハリー・ニルソン、ジャクソン・ブラウン、ドン・ヘンリー、
ニール・ヤング、スティーヴィー・ニックス、ビリー・ジョエル、ルイーズ・ゴフィン、
トレイシー・チャップマンなどの作品でバックを務めている。
またクーチがプロデュースを手がけたり、楽曲提供をしているアルバムもある。


(7)デヴィッド・スピノザ
ニューヨークのセッション・ギタリスト、プロデューサー。
絶妙なタイミングに繰り出す巧みなプレイで、1970年初頭よりジョン・レノンやポール
・マッカートニーなどの作品に参加している。
フュージョンにおいても実力を発揮。スタッフのアルバム「Stuff It」を手がけた。
ヒュー・マックラケン、ジョン・トロペイなど他のギタリストと一緒にセッションに参
加することも多いがその場合、相方との間合いの取り方がまた抜群に巧い。


(8)ザ・セクション
ジェイムス・テイラーのレコーディングに参加していたダニー・コーチマー(g)、ルーラ
ンド・スクラー(b)、ラス・カンケル(ds)、クレイグ・ダーギー(kb)が結成したバンド。
ザ・セクションの名前が初めてクレジットされたのは「One Man Dog」(1972)である。
「The Section」(1972)、「Forward Motion」(1973)、「Fork It Over」(1977)と
3枚のアルバムを残している。

1970年代後半起こったフュージョン・ブームの先駆者であるが、ザ・セクションの音は
ロックからのアプローチである。
ザ・セクションのメンバーのうち2〜3人がジェイムス・テイラー、ジャクソン・ブラウ
ン、リンダ・ロンシュタットなどウエストコースト系アーティストのバックを務めるこ
とが多かった。




(8)レニー・ワロンカー
ワーナーブラザーズ・レコードのA&R担当、プロデューサー。
テッド・テンプルマン、ラス・タイトルマン、ヴァン・ダイク・パークス、ランディ・
ニューマン、ライ・クーダーと「バーバンク・サウンド」を築いた。


(9)ラス・タイトルマン
ワーナーブラザーズにA&R担当、プロデューサー。
リトルフィートを見出し世に知らしめる。
レニー・ワロンカーのプロデュース作品に共同プロデューサーとして名を連ねること
が多くランディ・ニューマン、ライ・クーダー、リッキー・リー・ジョーンズ、ジェイ
ムス・テイラー、ポール・サイモン、グレッグ・オールマンなどを手がける。
「バーバンク・サウンド」を築いた重要人物である。

ブライアン・ウィルソン復帰後の初ソロ・アルバム制作時はブライアンを支えた。
エリック・クラプトンの「Tears In Heaven」「Unplugged」でグラミー賞を受賞。


(10) AORの名盤
AORディスク・ガイド「AOR Light Mellow」(金澤寿和)、「AOR ディスク・コレク
ション(中田利樹)、「たまらなく、アーベイン」(田中康夫)、レコード・コレ
クターズ増刊「アダルト・コンテンポラリー 」で名盤に選ばれている。

尚、AORという言葉についてはいくつか解釈がある。
1970年代〜1980年代初めに米国で「Audio-Oriented Rock」という言葉が使われた。
「音を重視するロック」の意でラウドなロックとは一線を画し、クロスオーバー(
後のフュージョン)・サウンドと大人向けのヴォーカルが特徴である。
その後シングルチャートではなくアルバム全体としての完成度を重視したロックを
「Album-Oriented Rock」と呼ぶようになる。
日本ではレコード業界が独自解釈した「Adult-oriented Rock」(大人向けのロック)
が広まり、ボズ・スキャッグスやクリストファー・クロス、ボビー・コールドウェル
はその代表であった。


<参考資料:Wikipedia、アコースティックギター・マガジン他>

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