「 Dad Loves His Work」(1981)の後4年間、ジェイムス・テイラーはカーリー・
サイモンとの離婚、一度は絶ったはずのドラッグから抜け出せなくなる、という
トラブルを抱え、新作へのインスピレーションも湧かず悩んでいた。
1985年にリオデジャネイロで開催されたロックフェスティバルに招聘されたジェイ
ムスは観客から熱烈な支持を受け感動。再び音楽活動の魅力を見出す。
その日の魔法のような出来事を彼は「Only a Dream in Rio」に書き、その曲を
含む新作「That's Why I'm Here」を1985年に発表した。
↑写真をクリックすると「Only a Dream in Rio」が視聴できます。
(左でハムバッカーPUに替えたストラトを弾いてるのはハイラム・ブロック)
サポートしている面子はあいかわらずであるが、リオでの経験が彼にとっては大き
かったようだ。このアルバムからブラジル志向が強くなる。
同時にジェイムス・テイラーの根幹を成していたカントリー・ロック、フォーク、
ブルースといった要素がほとんど払拭されてしまった。
上述のリオでの1985年のライブはコロムビアより1991年に中南米マーケットのみ
で「James Taylor Live in Rio」としてリリースされている。
この時点では彼の公式ライブ盤は出ていなかったので貴重だったが、お約束の曲ば
かりで収録曲数も11曲と物足りない。
ジェイムスのギターもカリカリした音でぜんぜん良くないのが残念であった。
しかし観客の熱狂ぶりは伝わる。
↑写真をクリックすると1985年のリオでの「Up On The Roof」が視聴できます。
リオのライブではマーク・ホワイトブックを弾いている。
しかし翌1986年のドイツ公演(以前ドイツでLD化。その音源が2011年にマイナー
・レーベルからCD化されている)ではヤマハL-55カスタムを弾いている。
「That's Why I'm Here」ではジェイムスのギターにコーラス系のエフェクトがか
かってているため生音が正確に判断できないが、おそらくヤマハだと思う。
そしてこのアルバムから、つまりホワイトブックからヤマハに変わったのを機にジェ
イムス・テイラーの音楽はロック色の薄いヤワなものになってしまったのだ。
「Never Die Young」(1988)からカルロス・ヴェガがドラムに就任。
ロック畑のミュージシャンからフュージョン系に変わり始めた最初の兆候で、プロ
デューサーもピーター・アッシャーからドン・グロルニック(kb)に交替。
「New Moon Shine」(1991)ではジミー・ジョンソン(b)+カルロス・ヴェガ(ds)と
フュージョン系リズム隊が完成し、引き続きドン・グロルニック(kb)色のサウンド。
マイケル・ランドー(gt)も好きじゃないし聴いてて食傷気味だった。
ヨーヨー・マ、マーク・オコナーなどマウンテンミュージック系のストリングス奏者
との付き合いもここから始まる。
そして特筆すべきことはこのアルバムから彼のギターがジェイムス・オルソンとなり
、現在に至るまで長きにわたって彼のサウンドを作っているということである。
ジェイムス・オルソンはアメリカで最高のギター・ルシアーの一人である。
彼のギターの特徴は上品で美しい仕上げと、シダートップ+ローズウッド・ボディー
の組み合わせが生み出す上質で透明感があり美しく響き渡るサウンドにある。
比較的軽めのボディー設計だが、ネックは5ピース構造で強度面も抜群のようだ。
ジェイムス・テイラーが愛用しているのはSJ(マーティンのOMサイズに該当)と
SJカッタウェイ、そしてドレッドノート(6弦をDにドロップして使用)であり、近
年それに12フレットジョイントの小ぶりのパーラーが加わった。
トップ材がシダーということもあるかもしれないが、オルソンのギターは力を入れず
軽くつまびくだけでもよく鳴る。
そのせいかジェイムス・テイラーのピッキングもJ-50やホワイトブックの頃のような
弦をはじくような強いタッチからソフトな弾き方へと変わった。
演奏スタイルの変化は少なからずも彼の音楽性に影響を及ぼしたと思える。
逆の見方をすれば、歳をとって弾き方も以前ほど強くなくなり、音楽的にもよりメロ
ウなものを志向するようになったジェイムスにとって、オルソンのギターは理想的だ
ったのかもしれない。
彼のオルソンにはL.R.Baggsのピックアップが仕込まれている。
サドル下のリボントランスデューサーとボディー内にマウントしたグースネックのコ
ンデンサーマイクの出力をミックスするタイプだ。
その実力は1993年にリリースされた2枚組の「Live」で堪能できるし、同年来日した
時見に行きピックアップの音とは思えない臨場感に驚いた方も多いだろう。(1)
また1993年に発売された映像作品「Squibnocket」でも味わえる。
これは1991年秋マサチューセッツ州マーサズヴィンヤード島スクィブノケット岬に
ある自宅を改造したスタジオ(2)で収録されたもので、リラックスしたジェイムスと
バンドのリハーサル風景が楽しめる。
ピックアップは年々進化しており最近のL.R.Baggsはブリッジ裏コンタクト型エアー
マイクとサドル下のリボントランスデューサーを組み合わせるタイプが主流である。
ジェイムス・テイラーもそれを採用しているかもしれない。
↑JTの自宅スタジオ。写真をクリックすると「Copperline」が視聴できます。
1997年には6年ぶりの新譜「Hourglass」がリリースされるが、もはやワンパターン
で退屈の極みでしかない。
ドン・グロルニックが前年他界しているがその他のメンバーは6年前とほぼ同じ。
しかしこのアルバムは高い評価を得て初のグラミー賞を受賞している。
この時点でやっと気づく。
本当に好きで聴いてるのではなく、大好きなジェイムス・テイラーの新作だからいい
と思って惰性(あるいは半ば義務感)で買ってるのだなと。
もう止めようかなーと思ってたところに「October Road」(2002)が出た。
久しぶり(「Dad Loves His Work」以来21年ぶり)でロックしてるJTが帰って来た!
ラス・タイトルマンをプロデューサーに迎えたこと、ライ・クーダーがごきげんなスラ
イドギターを弾いてること、他界したカルロス・ヴェガに変わりスティーヴ・ガッドが
ドラムの座に着いたことが大きい思う。
ガッドは8ビートでもどっしりしたグルーヴ感を作れるドラマーなのだ。
(以降、スティーヴ・ガッドはクラプトンのバックと兼任でドラマーを務める)
↑写真をクリックすると「October Road」が視聴できます。
だんだんやることが尽きて来たのか、6年後の「Covers」(2008)は駄作のカバー集。
そこから7年経って 昨2015年に発表された「Before This World」も、あいかわらず
変わり映えしない(良くも悪くも)でき映え。
僕は「October Road」と2007年のライブ盤「One Man Band」を最後に。ジェイム
ス・テイラーのファンであり続けることから降りた。
今でも1970年代のライブ音源が出ると買っているけど、もう新譜は買わないと思う。
「That's Why I'm Here」から始まった大人の成熟した音楽路線は僕の好きなジェイ
ムス・テイラーではなかった。
個人的にはヤマハはきれいにまとまった優等生の音だと思う。
ジェイムス・テイラーが最終的に選んだオルソンの音はゴージャスで素晴らしい。
が、ロックするのには向いていないギターのような気がする。
僕はJ-50とマーク・ホワイトブックを弾いていたジェイムス・テイラーが好きだった。
<脚注>
(1)ジェイムス・テイラーの来日とオルソンのギター
1993年の来日の少し前、おそらく1990〜1992年だったと思うが武道館でブラジルの
音楽祭が開催され、ジェイムス・テイラーはイヴァン・リンスなどと一緒に出演。
この時初めて彼がオルソンのSJカッタウェイを抱えているのを見た。
遠くから見た友人はギルドのソングバードという小ぶりのエレアコかと思ったそうだ。
長身のジェイムス・テイラーがOMサイズのカッタウェイを持つと小さく見えるのだ。
この日は「Only a Dream in Rio」など数曲を演奏。
ヴァレリー・カーターがコーラスで加わっていた。
また初めてジェイムスが眼鏡(遠近両用だろう)をかけているのを見た。
(2)スクィブノケット岬にある自宅を改造したスタジオ
1972年の「One Man Dog」が録音されたのもここである。
ジャケット裏には2Fを改造したスタジオの写真が載っている。
「Squibnocket」の頃は1Fがスタジオになっていて、最後に2Fの部屋(以前スタジオ
であった)で「You Can Close Your Eyes」を弾き語りするシーンで終わる。
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