僕は和製フォークには疎い。この人の曲も「カレーライス」しか知らない。
が、一度だけお会いしたことがある。
FM番組ディレクターがフォーク畑に人脈が多いらしく、その関係で八ヶ岳で
一緒にテニスをしたのだ。
遠藤賢司=長髪の不健康そうな人の先入観があったが、この時のエンケンさん
はテクノカットでさっぱりしてて、愉快な人だった。
おまけにテニスが上手い。完敗だった。
その後はお会いしてない。彼の音楽活動のことも知らない。
訃報を知りちょっと寂しい気がしている。ご冥福をお祈りします。
で、本題。
今回は和製フォークではなくアメリカのフォーク歌手の話である。
10月からNHKで「THIS IS US 36歳、これから」というドラマが始まった。
2016年にアメリカのNBCで放送されたドラマで、ゴールデングローブ賞、
批評家協会テレビジョン賞、プライムタイム・エミー賞、全米映画俳優組合賞、
にノミネートされ、好評を博している。
物語はケイト、ケヴィン、ランダルの三つ子の生い立ちと成長と苦悩、36歳に
なった現在のそれぞれの岐路、家族の絆が描かれている。
三兄弟が生まれた1980年、成長期の1989年〜1995年、そして現在(2016
年〜2017年)と、エピソードは過去と現在を行き来する。
舞台はピッツバーグ、ロサンゼルス、ニュージャージー、ニューヨーク。
近年に珍しいくらい静かで知的で、人生という大きな川の流れを思わせる作品
で、久々に心の琴線に触れるドラマを見たという気がする。
そして劇中で流れる音楽がとてもいいのだ。
その多くは1960〜1970年代のフォーク、ロック。だから惹かれるのだろう。
特にエピソード3で繰り返し流れる曲が心に染みる。これ、何だっけ?
聴いたことがあるけど思い出せない。
聞き取れる歌詞でググッたら「Blues Run The Game」という曲だった。
ジャクソン・C.フランクという人の曲で本人が歌っている。
↑ジャクソン・C.フランクの「Blues Run The Game」が聴けます。
Blues Run The Game
(Jackson C. Frank 拙訳:イエロードッグ)
Catch a boat to England, baby Maybe to Spain
イギリス行きの船に乗ろうよ スペインでもいいけどさ
Wherever I have gone Wherever I've been and gone
どこへ行っても 僕がどっかに行っちゃったとしても
Wherever I have gone The blues are all the same (1)
どこへ行こうと ブルーな気分は変わらない
Send out for whiskey, baby Send out for gin
ねえ、ウィスキーを持ってきてくれないか、ジンでもいいんだ
Me and room service, honey Me and room service, babe
僕とルーム・サービス そして君
Me and room service Well, we're living a life of sin
僕とルーム・サービス そう、僕らは罪を背負って生きている
When I'm not drinking, baby You are on my mind
酒を飲んでいない時は 君のことを思う
When I'm not sleeping, honey When I ain't sleeping, mama
僕が眠ってない時 眠ってない時はね
When I'm not sleeping You know you'll find me crying
眠ってない時は 僕が泣いてるってわかるよね
Try another city, baby Another town
他の街に行ってみようか 小さい街でもいいんだ
Wherever I have gone Wherever I've been and gone
どこへ行っても 僕がどっかに行っちゃったとしても
Wherever I have gone The blues come following down
どこへ行こうと ブルーな気分は追いかけてくる
Living is a gamble, baby Loving's much the same
生きることは賭けだよね 愛だって似たようなもんさ
Wherever I have played Whenever I throw them dice
どこで賭けをしても どこでサイコロを振ろうが
Wherever I have played The blues have run the game
どこかで生きようとしても ブルーな気分がつきまとう
Maybe tomorrow, honey Someplace down the line (2)
ねえ、もしかしたら明日 いつかある時
I'll wake up older So much older, mama (3)
僕は老いて目を覚ますんだ すごく歳をとってね
I'll wake up older And I'll just stop all my trying
僕は老いて目覚める そして何も求めなくなるんだろう
ジャクソン・C.フランクは1943年にNY州バッファローの生まれ。
11歳の時、通っていた小学校が火事に遭う。
同級生15人の死。
彼自身も火傷を負い、数ヶ月の入院生活を送ることになる。
この経験がトラウマとなり、ジャクソン・C.フランクの人生につきまとった。
額に残った火傷の痕とともに。
1964年に保険金がおり、その金でイギリスへ渡航。フランクが21歳の時だ。
ロンドンでは、ポール・サイモンがルームメイトだった。
同年サイモン&ガーファンクルでデビューしたものの鳴かず飛ばず。
アート・ガーファンクルは大学院に戻り、ポール・サイモンはヨーロッパを放浪。
その後ロンドンで現地の音楽シーンに刺激を受け単身で音楽活動をしていた。(4)
二人は同じ屋根の下で音楽談義をし、お互いに影響を与え合ったのだろう。
フランクの演奏スタイルはポール・サイモンに通ずるものがある。
翌1965年ジャクソン・C.フランクはロンドンのCBSスタジオでレコーディング
を行い、アルバム「Blues Runs The Gam」を発表。
プロデュースはポール・サイモン。
英国コロンビアにフランクを売り込んだのもサイモンだった。
1965年といえばビートルズ、それに続くブリテッッシュ・インヴェイジョンの
にやられっぱなしで、アメリカのロック、フォークは元気がなかった頃。
逆にイギリスではこの時期から、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ロイ
・ハーパー、フェアポート・コンベンション、ドノヴァンらによるフォーク・
リヴァイバルが始まっていた。
ジャクソン・C.フランクがデビューしたのもその波に乗れたせいかもしれない。
しかし彼が残したのは、このアルバム一枚だけだった。
一方ポール・サイモンが渡英中、プロデューサーのトム・ウィルソンがアルバム
収録曲「The Sound of Silence」に独断で12弦エレキギターやドラムなどを加え
て(5)シングル発売したところ、フォークロックの潮流に乗り大ヒット。
サイモンは帰国後、ガーファンクルとともにこのシングル・ヴァージョンを含む
2枚目のアルバム「Sounds of Silence」のレコーディングの制作にかかる。
このセッションでジャクソン・C.フランクの「Blues Runs The Game」の
カヴァーも録音されたが、アルバムに収録はされなかった。
ウィスキーを持ってきてくれ、ジンでもいい、サイコロを振る、など男臭いと
いうか泥臭い詩がイメージに合わない、と判断したのかもしれない。
このテイクは1997年発売の3枚組アルバム「Old Friends」に未発表曲として
収録され、その後アルバム「Sounds of Silence」が2001年にリマスターされ
た際にボーナス・トラックとして収録された。
僕がこの曲を知っていたのはこのS&G版を聴いていたからだった。
↑サイモン&ガーファンクル版「Blues Run The Game」が聴けます。
バート・ヤンシュも1975年のアルバム「Santa Barbara Honeymoon」で
この曲をカヴァーし、ライヴでも好んでしばしば演奏している。
1982年のアルバム「Heartbreak」が2012年にリマスターされた際、LAの
マッケイブス・ギター店頭で行われたライブ(おそらく1982年当時だろう)
がDisc 2として収録された。
「Blues Runs The Game」の弾き語りも聴ける。
↑ヤンシュの「Blues Run The Game」。'73年ノルウェーのTV出演映像。
その他ジャクソン・C.フランクと恋仲だったサンディー・デニー、ジョン・
レンボーン、ニック・ドレイク、ジョン・メイヤーらもカヴァーしている。
が、ジャクソン・C.フランク本人の歌が一番心に染み入る。
フランクの唯一のアルバムのB面1曲目「Milk And Honey」も味わい深い。
ただしアルバムを通して聴くと単調で飽きる。(6)
フォークソングとは元来こういうものなのかもしれないが。
この辺が美しくキャッチーな作曲力、知的な詩、幅広いアレンジ力、ハーモ
ニーでメジャーになっていったポール・サイモンとの分岐点だったのか。
ジャクソン・C.フランクは音楽活動から遠ざかり、入退院を繰り返した。
左目を失明。1999年に56歳で亡くなっている。
↑ジャクソン・C.フランクの「Milk And Honey」が聴けます。
<脚注>
(1)Blues
音楽のブルース・フィールとも捉えられる。
しかし全体の歌詞、ジャクソン・C.フランクの抱えていた心の傷を考えると
「Blue=low-spirited(憂うつな)」と訳した方がいいと思った。
憂うつな気分が人生(the game)を決めてしまう、ということか。
もっと適切な訳があれば教えてください、
(2)down the line
「真っすぐ行った所に、町の中心に」の意。
somewhere down the line(いつかある時点で)という意味でも使われる。
(3)mama
母親はmom。mamaは主にラテン系アメリカ男性が恋人を呼ぶ際使う。
baby、honeyも恋人や配偶者への呼びかけ。
(4)ポール・サイモンのロンドンでの音楽活動
1965年にソロアルバム「The Paul Simon Songbook」をイギリスで発売。
BBCラジオ番組でサイモンの曲が放送され好評を博したため、急遽この
アルバムが作成されることになった。
全ての曲は自身のギターによる伴奏のみ。
録曲の多くは後にサイモン&ガーファンクルのアルバム「Sounds of
Silence」(1966)「Parsley, Sage, Rosemary and Thyme」(1966)
で改めて録音しなおされた。
(5)「The Sound of Silence」のシングル・ヴァージョン
トム・ウィルソンはコロムビア・レコードのプロデューサー。
ボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」レコーディング終了後、残って
いたミュージシャンたちを集め「The Sound of Silence」に12弦エレキ
ギター、ドラム、ベースをオーヴァーダブしてシングル発売した。
ポール・サイモンはこの独断を後から知り激怒したが、結果は大ヒット。
さらに映画「卒業」で起用されたことでさらにヒットした。
サイモン&ガーファンクルのフォークロック路線への布石となり、バーズ
やディランとともにアメリカのフォークロック隆盛のきっかけになった。
(6)アルバムを通して聴くと単調
ジャクソン・C.フランクの「Blues Run The Game」は気に入ったけど、
アルバムを通して聴くのはしんどい、という方には「THIS IS US」の
サウンドトラック盤がお薦め。選曲もよく聴きやすいです。
<参考資料:NHK-BS、Wikipedia、Amazon、SONG OF THE DAY他>
こんにちは。
返信削除こんにちは。
エンケンとテニスをされたことがあるとのこと(驚)
私は小さい頃から洋楽ばかり聴いていたので、テレビで流れる歌謡曲は上から目線で
小馬鹿にしていたのですが、それを根底から覆してくれたのがエンケンさんとの出会いで、
それから一気に邦楽アンダーグラウンドの虜になり、ライヴハウスに入り乱れ
ろくにギターも弾けないのにエンケンの愛器グレッチのRock-Jetも買ってしまいました(苦笑)
私のブログのデザイン画はエンケンのトレードマークである縞梟なんですよ。
ちなみにハンドル名もその流れです(笑)
縞梟さん
返信削除こんにちは。
縞梟、遠藤賢司のトレードマークだったんですか。
カリスマ的な人気がありますよね。
「20世紀少年」の主人公もケンヂ(遠藤健児)でした。
浦沢直樹氏がディランと遠藤賢司のファンだそうです。
私は和製フォークは吉田拓郎くらい。それもエレック〜CBS時代のみ。
だから曲は知らないんですが、よくお見かけしました。
吉祥寺の銭湯では隣で高田渡が子供にシャンプーしてたり(笑)
近くにぐぁらん堂というフォークに人の溜まり場兼ライブハウスがあって、
そこの「ねこまんま」(要はかつおぶしご飯)は美味しかったです。
原宿でバイトしてた頃は隣がペニーレイン、ライムライト。
これまたフォークの人たちの溜まり場。
最初に就職した会社は1Fにレコーディングスタジオがあって、FM東京
の番組の収録もやってたのでフォークやロックの人がよく来ました。
縞梟さんじゃないけど「小室等の音楽夜話」という番組でした。
遠藤賢司さんとテニスしたというのも、番組の取材にこじつけて杉田
二郎さんが主催の八ヶ岳のテニスイベントに行った時なんですよ。
縞梟さん
返信削除グレッチのRock-Jetをお持ちとのこと。
ジョージ・ハリソンがデビュー時使用してたDuo-Jetの後継機種です。
グレッチが経営難でBaldwin社(アメリカのピアノ・メーカー、ピエゾ
ピックアップも作ってました)に買収された後だと思います。
1969年から1970年代初期に少量生産されたようでレアみたいですよ。
こんにちは。
返信削除エンケンはコアなファンが多く浦沢直樹さんとか宮藤官九郎さんとか
ちなみに戸川純さんはエンケンが経営していた「ワルツ」の常連客で
熱烈なファンから乗じて業界に飛び込んだんですよ。
私は都下に住んでいるものですから有名人とは縁がありませんが
一頃つのだひろさんをよく地元のパチンコ屋で見かけました。
(アド街ック天国で高幡不動特集の時のゲスト常連)
ちなみに私のブログタイトルはイエロードッグさんのご指摘されている
小室さんの番組タイトルのパクリです(笑)
エンケンのグレッチはヴィンテージでしょうけど私のは
90年頃に再量産されたものです。
それから音楽番組で猫も杓子もグレッチを弾いてるのを見かけるようになりました。
つのだひろとスペースバンド、高校の頃見に行きましたよ。
返信削除ベースが四方義郎、ギターが芳野藤丸でした。
グレッチは1980年代後半に再建されリイシューを作っています。
寺田楽器→フジゲン(グレコ)製になりました。
チェット・アトキンスのエンドースメント契約がギブソンに移ったため、
カントリー・ジャントルマン、テネシアンなど主力機種のネーミングが
使えず、カントリー・クラシック、テネシー・ローズなどになってました
が、今は昔の名前に戻りました。
韓国や中国で作られている廉価版ブランドもあるみたいです。
グレッチは部屋に置いておくだけでも美しい。
家具調ギターですね(笑)
こんにちは。
返信削除コメントというよりここ数日チャット状態になってしまって申し訳ありません。
実は私もイエロードッグさんに劣らない長文グタグタ野郎なんですよ(笑)
>つのだひろとスペースバンド
つのださんってメリージェーンの一発屋みたいなイメージありますけど
スペースバンドはone step fessの映像で初めて見ましたが
ストロベリー・パスとかフライド・エッグとかまさに和性ボンゾ(野獣の叩き)ですよね。
もっと遡れば1970年のモントルー・ジャズに渡辺貞夫カルテットの時の叩きはやばすぎます。
http://musicnightwhisper.blog.fc2.com/blog-entry-1480.html
イエロードッグさんはギターに大変お詳しいですね。
私は一般的なギターの区分け、フェンダーのストラト、テレキャスター、
ギブソンのレスポール程度の認識で、つっこんだギター話に乗れなくてすみません(苦笑)
おわびに私の華麗なる所有ギター遍歴をご紹介しておきましょう!
中学時代
1)少年漫画の最終頁の通販に乗っているメイカー名すら覚えていないストラト
もう1回弾いただけでチューニングの狂う優れものでした。
確か3,000円ぐらいだったような、友人に売ったその後学校内で1,000円で色々な人手に
渡ったと聞きました
高校時代
2)東海の1枚板レスポール
リッチーのストラトにするかジミー・ペイジのレスポールにするかの二択時代
ギターに詳しい友人が東海は1枚板だからグレコより良いと言われて買いました。
アンプはうるさいと親に言われ、ラジカセに接続して音を出していました(苦笑)
大学時代
3)ギターとベースを交換
ラッシュのゲディさんのベースラインが抜群に格好いい「トム・ソーヤー」のPVに憧れ
ベースが弾いてみたいと思っていたら、ヤマハのポップコンに出たことのある友人が
東海のレスポールと演奏でつかっていた年季の入ったベースを交換してくれましたが、
一人部屋で黙々とベースを練習するむなしさで一杯になりすぐ手放しました(苦笑)
社会人
4)ホーナーのスタインバーガーもどき
この型はホールズワースが弾いていたので憧れていたのですが
友人の結婚式でスピーチを頼まれ、目立とう精神でギター漫談をやるために買いました。
ネックレスなので安定せず非常に弾きにくいですが、ビジュアル的なウケの効果はありました(笑)
5)グレッチのロック・ジェット
バンドをやっているわけでもないタブ譜ギタリストの自分にはフェンダーやギブソンなどの
有名ブランドは全く無縁と思っていたのですが、エンケンの初めてのライヴでグレッチに
カポつけて、スピーカーのハウリングのフィードバックを巧みに操りマイナーコードを
ジャカスカ弾いていることに猛烈に感動し、俺のスタイルはこれだと思い一生ものとして買いました。
本当はもっと弾いて欲しいんだろうなと家の家具になってしまっている置物グレッチに
申し訳ない気持ちで、実は最近、タブ譜を見てなんでも弾ける程度になれるように
ギター教室に通ってみようかと考えているのですが、いつも思った通りの音が出ないと
すぐ投げ出してしまう私のような飽性の者がギター練習がつまづいた時
それを乗り越える何かよい方法(コツ)はありますでしょうか?
ご教授いただけると幸いです。
縞梟さん
返信削除つのだひろってジャズ畑なんですね。
ボンゾもルーツはジーン・クルーパー、バディ・リッチらしいですよ。
彼のドラミングは通常の8ビートを刻むのではなく、ジミー・ペイジの
リフに合わせに行ってますよね。
それでゴーストと呼ばれる微かに聴こえる裏拍のスネアでグルーヴも出す。
ハイハットは常に一定のリズムを刻んでます。
ジャズ畑出身のドラマー、懐が深いです。
反面、こいつがいなきゃいいのにと思うような、やたら手数だけ多くて
うるさいドラマーもいましたけどね。
バート・ヤンシュやドノヴァンのバックとか。
さて、ギター史。
私は高校から初めて主にフラットトップギターです。ヤマハとか。
バンドでベースに回る時はグレコのSGやエルクのジャズベを借りてました。
それからマーティンが多いですね。
最初はD-18で小ぶりの12フレットジョイントのを何代か買い替えました。
マーティンでは邪道とも言えるナイロン弦とかも。
一番長く使ったのはOM28 Customでこれは鳴りましたねー。
テーブル席で笑うとボワーンと反響するんですよ。
あとギブソンJ-160Eリシューも長く愛用しました。
ビートルズのJ-160Eはハウリング防止であえてオール合板で鳴らなくして
あるけど、リイシューはオール単板。
どちらかというとJ-45にP90タイプのピックアップを付けた感じです。
ギブソンはB-25、CF-100Eも短い期間ですが使ってました。
エレキはギブソンES-335、グレコのテレキャスター。
ストラトだけで5台、買い替えてますね。
1974 Fender USA →Tokai→Fender Japan→Fender USA 57 reissue→62 reissue。
1974 Fendeは最低。Tokaiは枯れたいい音がしてました。
Fender USA 57 reissue はピックアップがディマジオのせいで攻めてる音です。
今はカーボンファイバーのギターとリネンファイバーのウクレレ。
温度も湿度も気にせず、弦を緩める必要もない、鳴りもいいので楽です。
楽器って本来は木との付き合いだと思うんですけどね。
リペアとかメンテが億劫になってしまって。庭の木の剪定と一緒です。
縞梟さん
返信削除つまずいたり飽きたりやる気が失せたら、やめればいいと思います。
この曲、弾いてみたいとか、どうやってるのかなとか、興味が沸いたら
再開するくらいが楽しめていいんじゃないかと。
TAB譜はあくまでも参考にしかならないですよ。耳コピが一番です。
何時間もかけてコピーする。翌日には忘れてる。やり直す。
繰り返してるうちに自分の手癖や都合のいい弾き方になってる。
どこが違うか、聴き込んで直す。練習する。この繰り返しですかね。
そのうちにそのアーティストの癖が分かって来るんです。
この人、このパターンだよね、あ〜お得意のこれだな、とか。
シンガーソング・ライターの曲やビートルズやストーンズはそんな
感じで、行けると思います。
しかしチェット・アトキンスみたいなインストゥルメンタルで、
しかも超絶技法だと話は違います。
せっかく苦労して完コピしても、なかなか弾きこなせない。
一年弾かないと忘れてしまいます。
なんか馬鹿らしくなって最近は真面目に弾いてません(笑)
あまりアドバイスになってないけど、練習と考えると苦痛になるので、
そばに置いて気が向いたらいつでも弾ける、でいいんじゃないですか?
こんにちは。
返信削除イエロードッグさんのギター遍歴は型番が出てくるとストラトorレスポール的な
形でしか区別できない私には何がなにやらです(苦笑)
やっぱりギターを嗜む人って出したい音の違いでギターを買い揃えるものなのでしょうかね。
グレッチはとにかくハウリングさせてフィードバックさせるのに向いているのかなという
素人考えで、購入したのですが、まあ実現しないでしょうけど、もしギターが上達したら
欲しいと思っているギターがギブソンのSGなんですよ。
ザッパとかフランク・マリノとか人間椅子の和嶋さんとかエフェクターフェチな方が
好んで使っているのでちょっと憧れてます。
>つまずいたり飽きたりやる気が失せたら、やめればいいと思います。
アドバイスありがとうございます。
超絶技法を目指しているわけではないのですが、「好きこそ物の上手なれ」って諺にほだされて
挫折を繰り返してかれこれ40年近くなるんですよ(苦笑)
良かったことといえば昔買い込んだZEPPやストーンズ、パープルなどのバンドスコアが
高値で売れたことですかね(1冊1万円ぐらいで落札されました)
時々ですね、とても気にいったギター音楽を聴いて、見様見真似で弾いてみると
なんか指のフレットや弦に触る感覚が違う時があって音が合ってるとか合ってないとかではなくて、
ガツーンとストローク決めるととても気持ちが良い時があるんですが、それが続かない・・・
まぁセンスや向き不向きというのもあるので仕方ないかと思っているのですが、
爺になった今グラント・グリーンさんのような歌心あるギターを奏でるのが夢なのです。
毎年神社で年初に願うのが「今年はギターが弾けるように」です(笑)
縞梟さん
返信削除SGというといまだに思い出すのはピート・タウンゼントです。
ウッドストックでは派手にぶっ壊してましたねー。
そしてデュアン・オールマン。
そのデュアン・オールマンの再来と評されるデレク・トラックスは
ご存じでしょうか。
https://b-side-medley.blogspot.com/2017/06/blog-post_19.html
2006年にはクラプトン・バンドに参加して米国ツアー。
日本にも来ています。
この時は行けばよかったです。
どうせTears In Heven、Laylaだろうとノーマークでした。
このバンドの演奏はクラプトンの「Live In San Diego」で聴けます。
(2007年3月録音、故J.J.ケイルが特別出演)
デレク&ザ・ドミノス時代の曲をたっぷり聴かせてくれます。
※Crossroads Gt. Fes.のTell The TruthはYouTubeから削除されてます。
こんにちは。
返信削除ピート・タウンゼントは番号シールの貼ってあるレスポールは印象に残っていますが
ぶんぶん腕を振り回すのでいつもどんなギター弾いてたのか記憶が曖昧です(笑)
そいえばデュアンもデレクもSGでしたね。
「Song Lines」のツアーDVDを買いましたが、見てもデレクが一体どうやって音を出してるのか
よく分かりませんでした(苦笑)
「男は黙ってサザンロック!」
なんかこういうセリフのお酒のCMがあったような(笑)
サザンロックは洋楽ファン並みに聴きましたが、デレク関係は奥さんのバンドと合体した
11人編成のテデスキ・トラックス・バンド前頃にちょっと飽きてしまい今はご無沙汰です。
http://musicnightwhisper.blog.fc2.com/blog-category-258.html
辛くなった時、Blues Run The Gameを聴きたくなる一年に何度か、この記事を読みに訪れてます。ありがとうございます。
返信削除匿名さん
返信削除考えてみたら、辛い時聴きたくなる曲って特にないみたいです。
本当にきつい時は音楽を聴こうという気になれないのでしょう。
少し落ち着くと、自分でも予想外の曲が聴きたくなったりします。
とはいえ、辛い時聴く曲があるというのもいいですね。
だいじょうぶ、マイ・フレンド。
Don't Think Twice, It's Alright ですよ。