2017年12月20日水曜日

ロックな青春映画10選(1)怒れるモッズを描いた名作。

ロックな青春を描いた映画をいくつかご紹介したいと思う。

ただしアーティストの伝記、ドキュメンタリー、ロックオペラ、ミュージ
カルは除外。
ロックに夢中だった自分を投影できる、いつもロックが流れていたあの頃
を思い出し共感できる(と個人的に思える)映画を選んだ。



まず挙げたいのは1979年のイギリス映画「さらば青春の光」。
監督はフランク・ロッダム。
1960年代初期のロンドンで流行ったモッズの青春を描いた作品である。
原題は「Quadrophenia(四重人格)」。






ザ・フーは1973年に6枚目のアルバムにして2枚組ロックオペラの大作、
「Quadrophenia(四重人格)」を発表。
イギリス、アメリカ共にチャートの2位につける大ヒットとなった。
映画はこのアルバムを原作としている。タイトルも同じである。



ザ・フーといえばスモール・フェイセスとともにモッズの代表バンドだ。
イギリスの若者なら「Quadrophenia」→ザ・フー→モッズと連想する。

「四重人格」が「自分は何者にもなれない」「自分は誰?」「人と違う
特別な存在になりたい」という若者の苦悩を意味してると共感できる。


が、日本で「四重人格」と言っても映画の内容がアピールしにくい。
配給会社の宣伝担当は悩んだあげく「さらば青春の光」などという陳腐な
タイトルをつけてしまったのだろう。

日本では1979年に公開されているが、たぶん興行成績は低迷したはず。
その後ビデオ化されてカルト的な人気作品になった。





<物語のあらすじ>

舞台は1960年代初期のロンドン。
主人公ジミーは広告会社のメールボーイ(1)という退屈な仕事をしている。
給料は悪くない。

仕事がひけると、ジミーはモッズ仲間とパープルハーツと呼ばれるクスリ(2)
キメて、クラブでロックを聴きながら夜通し踊りまくっていた。
真夜中に帰宅するジミーに両親は「不良、ギャング、精神分裂」と怒る。


モッズであることがジミーの唯一の生きがいでありアイデンティティだった。
三つボタン、サイドベンツの細身のスーツ。スエードのブーツ。
派手なデコレーションを加えた改造スクーター(ランブレッタ)。





敵対するロッカーズとはことあるごとに衝突した。
ブライトン・ビーチでついに大乱闘が起き、ジミーも逮捕される。

ジミーは常習欠勤と逮捕のため職を失う。
母親からは「家を出て行け」と言われた。
ガールフレンドのステフも仲間の一人に奪われる。
海岸を空しく歩き、暴動の中ステフと関係を持った路地裏で佇むジミー。


ジミーはホテルのそばでモッズ仲間のカリスマ的存在だったエース(ポリス
時代のスティングが演じている)の改造ベスパを見つけ喜ぶ。
が、ベルボーイの恰好で客の荷物を運ぶエースの姿を見て愕然とする。
彼もまた現実社会の中で妥協しながら生きていたのだ。

ジミーはエースのベスパを盗み、ビーチ岬の断崖沿いを疾走。
スクーターは崖からダイブして大破した。



↑クリックすると「さらば青春の光」のトレーラーが観られます。



<モッズとは何か?>

この映画を楽しむには1960年代のイギリス若者文化、モッズやロッカーズ
とは何かを理解しておく必要があると思う。

モッズ(Mods) とは1958年〜1966年にかけてロンドンの洗練された若者
たちの間で流行したファッション、音楽、ライフスタイル。
原型はテディボーイ(3)だという説もある。


背景にはイギリスでティーンエイジャーの人口が増えたこと、好況のおかげ
で働く若者が増えたこと、彼らの消費力(遊ぶ余裕)が増えたことがある。

つまりモッズは服とレコードとクスリにお金をつぎこむ消費文明の申し子だ。
彼らの多くは労働者階級だが、洒落者であることでそれをボカしていた。


彼らは深夜にクラブに集まり、モダンジャズやモータウン系のR&B、スカ、
ロックを楽しみ、ダンスに興じた。
ザ・フー、スモール・フェイセス、キンクス、スペンサー・ディヴィス・
グループはモッズ御用達のバンドだった。

モッズの多くがハイになるためパープルハーツと呼ばれるアンファタミン
化合物(覚醒剤)を常用していた。





モッズは独特のファッション・スタイルを確立していた。

グリースなどをつけずにドライのまま前髪を下ろしたモッズカット。
サイドベンツの細身の三つボタンのスーツに細身のネクタイ。

キューバンヒールにサイドゴアのチェルシーブーツ(初期の
ビートルズが愛用)、またはスエードのデザートブーツ。

フレッドペリーのポロシャツ。
彼らは501のような労働着っぽい太めのデニムを嫌い、アメリカ東部の学生
向けに新しく発売されたホワイト・リーバイスを好んだ。

ポークパイ・ハットやモッズ・キャップ(キャスケットに近い)をかぶる
こともある。


モッズたちの移動手段はスクーター。
エンジン剥き出しのモーターサイクルではスーツが汚れてしまうからだ。
ミラーやライトなど派手なデコレーションでカスタマイズしたイタリア製
スクーター(ベスパ、ランブレッタ)を乗り回していた。





冬のロンドンの寒さをしのぐため彼らは米軍払い下げのパーカを羽織った。
モッズコートとして知られる軍用パーカM-51(4)は、米国地上軍の極寒防寒
衣料の1951年型モデルのことである。


独自のスタイリッシュな世界観をもつ彼らはモダニスト、モダーンズと呼ば
れ、そこからモッズという名称になったと言われている。 



<ロッカーズとの関係>

モッズと対極にあったのがロッカーズと呼ばれる粗暴な若者たち。
ロッカーズはアメリカの古いR&Rを好んで聴いていた。
リーゼントで革ジャンに革ブーツというマッチョなスタイルの彼らは、単気筒
のモーターサイクルを愛し、暴走と喧嘩に明けくれるタフな連中だ。

モッズとは犬猿の仲で、お互いに目の敵にしては対立していた。
「さらば青春の光」で描かれているのも、1964年に実際に起きた「ブライトン
の暴動」と呼ばれるモッズ対ロッカーズの集団大ゲンカがモデルになっている。





ビートルズの映画「ハード・デイズ・ナイト」(1964年)ではインタビュアー
の「あなたはモッズ?それともロッカー?」という質問にリンゴが「モッカー」
と答えるシーンがある。

デビュー前のビートルズは革ジャンにリーゼントだった。
ハンブルク時代にアストリッド・キルヒャー(5)の提案で前髪を下ろし、ブライ
アン・エプスタインの指示で細身のサイドベンツのスーツにキューバンヒールに
サイドゴアのブーツを着用するようになったのだ。



<モッズの衰退>

スウィンギング・ロンドンの空気の中で、モッズは1963〜1964年頃に最
盛期を迎える。
しかし乱闘目的で加わる者、スキンヘッズも現れモッズのスタイルは揺らぐ。

スキンヘッズは労働者階級であることを強調する格好で暴力的だった。
集団で地下道を歩き、休日はフットボール観戦。
クラブで一夜を過ごすことは無くモッズのオシャレ感とはかけ離れていた。


1966年イギリスの経済危機でスウィンギング・ロンドンも陰り出した。
人気の音楽番組「レディー・ステディー・ゴー」の打ち切り。
サイケデリックが注目され、サンフランシスコで生まれたヒッピーカルチャー
が台頭する中、モッズは姿を消していった。

1967年の映画「欲望」(6)では後期モッズの姿が描かれている。




<続編が作られるらしい?>

2016年6月に「さらば青春の光」の続編製作が決定したと発表された。
英ミラー紙によると、続編には37年前に主人公ジミーを演じたフィル・ダニ
エルズを始め、オリジナルキャストが集結。現代のジミーの姿を描くらしい。
同年夏ロンドンで撮影開始ということだが、ザ・フー側は非難している。


<脚注>



(1)メールボーイ
社内の郵便配りと雑用と使い走り要員。


(2)パープルーハーツと呼ばれるクスリ
アンフェタミン化合物。中枢興奮作用を持つ薬。
アメリカで軍隊の疲労抑制剤として、また注意力の持続を要する任務の際に
与えられていた。
長距離トラックの運転手、建設業関係の労働者、工場作業員などの間でも
使われた。

注意欠陥・多動性障害、ナルコレプシー(過眠症)の治療で処方されたアン
フェタミンが横流しされ、高校や大学で乱用されるようになった。
多幸感、幻覚、性欲・性感の増加などの作用と依存性があり常習化しやすい。

日本では戦時中ヒロポン、ゼドリンとして市販され軍隊で使用されていた。
東京オリピック前の首都高の突貫工事でも、長時間労働を強いられる作業員
たちの間でヒロポンは使われていたらしい。
日本では現在は法律上の覚醒剤に指定されている。

ビートルズもデビュー前、ハンブルクのクラブで6〜8時間演奏するために
パープルハーツ(アンフェタミン)を服用していたことを明かしている。


(3)テディボーイ
1950年代にロンドンの下町の不良少年たちの間で流行ったファッション。
国王エドワード7世の着こなしを誇張したもので、ロングジャケット、細身
のパンツ、厚底靴という独特のスタイル。
テディボーイの名称はエドワードの愛称、テディーに由来する。
英国では不良をテディボーイ、テッドと呼ぶこともあった。



1970年発表のポール・マッカートニーの初ソロ・アルバムに「Teddy Boy」
という曲が収録されている。
この曲は1969年1月のビートルズのセッションでも演奏されており、未発表
アルバム「Get Back」にも収録されるはずだった。


(4)軍用パーカM-51
生地はオリーブグリーン色の薄手の平織りコットンナイロン地で、本体(シ
ェル)にはウールパイル地の防寒ライナーとファーでトリミングされた防寒
フードを取り付けることができた。



この何年かモッズ・コートが流行しいろいろなブランドがオリジナルを出し
ているが、その原型はこのM-51である。
映画「踊る大捜査線」で織田裕二演じる青島刑事が着用したのも同型。
ただし米軍放出品ではなく日本のリメイク・メイカーHOUSTON製である。

モッズ御用達のコートとしてM-65も着用されたという記述もある。
前モデルのM-51を継承し大きな違いはないが、フードが着脱式になるなど
いくつかの変更が加えられている。
M-65は1965年に導入されたが。
イギリスで放出品として出回ったのはモッズ後期1966年以降だろう


(5)アストリッド・キルヒャー
ビートルズのハンブルグ時代に親交のあった女性フォトグラファー。
アストリッドは友人のクラウス・フォアマン(後に「Revolver」のカバー
アートを手がける)と共にスタークラブで演奏するビートルズに惹かれ、
メンバーたちと仲良くなる。



当時のベースを担当していたスチュアート・サトクリフ(ジョンのアートス
クール時代の同級生)とは恋仲になった。
リーゼントに革ジャンのビートルズのすてきな写真をいっぱい撮っている。
「With the Beatles」の有名なハーフ・シャドウの写真のアイディアも彼女。
(撮影はロバート・フリーマン)


(6)映画「欲望」
1967年イギリス・イタリア合作映画。(原題:Blowup)
脚本・監督はミケランジェロ・アントニオーニ。
スウィンギング・ロンドンと言われた当時のイギリスの若者のムーブメント、
モッズと呼ばれたファッションを織り交ぜながら奇妙で不条理な独特の世界観
を描いている。
音楽はハービー・ハンコック。
ヤードバーズがライブハウスのシーンでカメオ出演した。
監督は当初ザ・フーに出演を依頼。
ピート・タウンゼントにギターを破壊してもらいたかったためだ。
しかしピートが断ったため、ヤードバーズが出演することになった。
映画では監督の要望通りジェフ・ベックがギターを壊している。


<参考資料:GQ JAPAN、FASHION PRESS、Lawrence、Asahi Net、
nostos book、TAP the POP、Potato Pliomp、Wikipedia他>

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