2019年2月28日木曜日

ウクレレでジャズはいかが?(ライル・リッツ)<前篇>

ライル・リッツというウクレレ奏者をご存知だろうか?




<楽器店のバイト店員がジャズ・ウクレレ奏者になるまで>

ライル・リッツは1930年、オハイオ州のクリーブランドの生まれ。
子供の頃バイオリンやチューバを習い、南カリフォルニア大学に進学してからは楽団で
チューバを演奏している。


学生時代、L.A.のダウンタウンのSouthern California Music Co.という楽器店でアルバ
イトをしていた。彼の担当は小物売り場。売れ線商品がウクレレだった。

1950年当時アーサー・ゴッドフリー(1930年代にラジオやテレビの司会、エンタテイナ
ーとして活躍)が、マーティン製やヴェガ製のバリトン・ウクレレをを弾きながら歌う
スタイルが人気で、アメリカ本土でもウクレレへの関心が高まっていたのだ。




店では$4.95の特価品から$60(当時の価格)の高級品マーティンまで売っていた。
顧客にウクレレのデモンストレーションを行うのもライルの仕事の一つである。
上司からスリーコードを教えてもらったライルは独学でウクレレに習熟。

ライルは自分用にその店でギブソンのテナーウクレレを購入。
ちょうどいい大きさで、ちょうどいい音だった、と彼は言っている。

1950年頃のTU-2だ。(素材はオールマホガニー、指板がハカランダ。TU-1と同仕様
だがTU-2はカラーがココア色でボディーに白いバインディングがある)



1950年代はジャズの名盤が発表された頃。
ライル自身もハワイアンの曲は知らなかったようで、テナーウクレレでインストゥル
メンタルのジャズを演奏する自分のスタイルを確立し、腕を上げて行った。

ライル・リッツ奏法はアーサー・ゴッドフリーのスタイルを参考にしながら、さらに
発展させたものと思われる。

またウクレレ・アイクことクリフ・エドワーズ(ウクレレ奏者、男性声優。映画「
ピノキオ」のクリケット役で挿入歌「星に願いを」を歌い人気を得る)の影響も受け
ているいるかもしれない。




朝鮮戦争が始まるとライルは徴兵され、陸軍軍楽隊でチューバを演奏する。
モンタレーのフォートオード基地進駐中はアップライトベースの演奏法を学ぶ。
(ベースを習得したことは後に彼のキャリアに大きく役立った)

休暇中ライルはかつての職場である店を訪れ、同僚にせがまれ数曲、演奏する。
ライルは気づいていなかったが、客の中にギタリストのバーニー・ケッセルがいた。
バーニー・ケッセルはヴァーヴ・レコードの西海岸A&R(宣伝担当)でもあった。





彼は「何か一緒にやれるんじゃないかな」とライルをスカウトする。
ライルが徴兵中だと応えると彼は名刺を渡し、除隊したら訪ねてくるように頼む。



<プロとしてのデビュー>

数年後、除隊したライル・リッツは車のデザインを学ぶためアートセンター・カレ
ッジ・オブ・デザインに入学。
しかしレイク・アローヘッドでジャズ・トリオのベースを弾いてるうちに、プロの
ミュージシャンとしてやっていこう、という気持ちが強くなる。

ライルはL.A.のクラブやピアノ・バー、ラウンジでウクレレを演奏していた。
バーニー・ケッセルからのオファーを思い出したライルは、デモ音源を作成し(
この時代だからアセテート盤だろう)ヴァーヴ・レコードと契約。

スタジオ録音という経験が初めてのライル・リッツは非常に苦労したようだ。
How About Uke? 」(1958)「50th State Jazz」 (1959)の2枚のアルバム
を発表した。

2枚ともあまり売れず、3枚目のアルバムの契約を破棄された。
しかしライル・リッツの演奏はハワイのウクレレ奏者たちに大きな影響を与えた。




↑How About Uke? (1958)よりLulu's Back in Townが聴けます。
独特の甘さ、ゆるさがいい感じでしょ?
原曲は1935年のミュージカル挿入曲。ファッツ・ウァーラーも歌ってヒットした。

How About Uke?はHow about you?(君はどう?)とUkuleleを掛けたもの。
邦題はハウ・アバウト・ウケだったが何も分かっていないのだろう。
ちなみにハワイではウクレレと発音するが、本土では圧倒的にユクレレと言う。



↑50th State Jazz(1959)よりPolka Dots and Moonbeamsが聴けます。
「水玉模様のドレスと月の光」なんてロマンチックですね。
1940年トミー・ドースィー楽団&フランク・シナトラで大ヒット(イントロが長い)。
僕はチェット・アトキンスとレニー・ブローのカヴァーが好き。

50th State Jazzのタイトルと星条旗を広げたハワイの藁ぶきの家。
この意味、分かりますか?
1959年にハワイは正式にアメリカ合衆国の50番目の州になったからです。


ライル・リッツの2枚のアルバムは、あの時代だからこそ醸し出される独特の雰囲気、
時代の空気感が味わえる。
そしてウクレレでこんなに甘い音が出せるのか、ウクレレでここまでスウィングで
きるのか、という驚きにも近い新鮮な感動も。


現在はこの2枚のアルバムがカップリングされたCDがAmazonでも購入できる。
24bitサンプリングでリマスタリングされていて音もいい。(MP3でも購入可)
バックはレッド・ミッチェル(b)など西海岸の一流ミュージシャンで演奏は手堅い。


How About Uke?のジャケ写のギブソンTU-2はカッタウェイにモデファイされている
どの時点でカッタウェイにしたのか?は不明。
塗装もしっかりしてるので、ギブソンのカラマズー工場に依頼したのだろう。






<ハーブ・オオタの演奏スタイル>

ジャズ・ウクレレといえば、1990年頃から日本ではハーブ・オオタの人気が高まり、
CDや教則ビデオが発売され、毎年のように来日していた。
第二次ウクレレ・ブームの火付け役ともなった。
それに比べてライル・リッツは知る人ぞ知るウクレレ奏者である。


ハーブ・オオタは日系二世ハーフで「ウクレレの神様」の異名を持つ奏者。
幼少時からエディ・カマエの影響を受け練習し、15歳でプロデビュー。

ハワイアンからジャズ、ラテン、クラシック、ポップス、ロックとあらゆるジャンル
をウクレレ一本で演奏するという独自のOHTA-SAN STYLEを確立。
多くのウクレレ奏者に影響を与え、ソロ楽器としてのウクレレの可能性を広げた。


ハーブ・オオタもまた朝鮮戦争時に11年間、韓国と日本に駐屯していた。
除隊後デッカから「Ukulele Isle」(1965)「Soul Time In Hawaii 」(1967)を発表。
ライル・リッツより7年遅れてのレコード・デビューである。
またライルは本国の西海岸で活動したが、ハーブ・オオタはハワイを拠点とした。

その後レーベルを変えつつ1980年代頭までほぼ年一枚ペースで新譜を出している。
「Song For Anna」(1973 A&M)は世界中で600万枚を記録する大ヒットとなった。





ハーブ・オオタはウクレレにLow-Gチューニングを取り入れた。

ウクレレはgCEAチューニングがスタンダードだ。
ギターの5フレットにカポをした4〜1弦の音程だが、4弦だけはオクターブ上のg。
それゆえチャンチャカチャン♪とウクレレらしい軽やかなサウンドが出るのだ。

ハーブ・オオタは4弦にオクターブ下のG(巻き弦)を使用。
GCEAにすることで4弦が低音弦として使えるため、ウクレレ演奏の幅が広がった
コードを弾いた際も厚みが出る。革命的だった。



  ↑左がスタンダードのウクレレ・チューニング、右がLow-Gチューニング。


ハーブ・オオタの演奏スタイルは単音でメロディを弾き、その合間にチャンチャンと
テンションコードを刻み伴奏をつける、というものだ。
右手はほとんど親指の腹で弾き、トレモロは人差し指の腹で、また3本の指でアルペ
ジオを行う時もある。

主にソプラノウクレレ(最も愛用したのはマーティンのStyle 3)を使用していた。



<ライル・リッツ奏法の特徴>

ハーブ・オオタがソプラノウクレレを弾いたのに対し、ライル・リッツが愛用した
のはそれより2まわり大きいテナー・ウクレレだった。
前述のようにライル本人が自分向きの大きさと音、と感じたからだろう。


ウクレレにはソプラノ、コンサート、テナー、バリトンと4つのサイズがある。




スタンダードは一番小さいソプラノウクレレ。
ウクレレらしいチャカチャカしたコード弾きに向いてるが、スケールが短いため
ピッチが甘く、サステインも得られない。ハイポジションでの演奏は無理だ。

もともとウクレレという楽器にそれほど厳密なものは求められることはなく、気軽に
適当に楽しめればいいじゃない的な位置付けだったのだ。
(そのソプラノ・サイズで驚異的な演奏をやってのけたのがハーブ・オオタである)


ソプラノ、コンサート、テナーの3つはgCEAチューニングがスタンダードだ。
(近年はLow-Gを選択するプレーヤーも増えた)





当然スケールの長いテナーウクレレではかなりテンションがきつく弾きにくい
音も硬質になる



一番大きいバリトンウクレレのみ、dGBEチューニング。(通常のウクレレの4度下)
これはギターの4〜1弦と同じキーで、4弦のみオクターブ上のdということだ。





  ↑左がバリトンウクレレ用のDチューニング、右がLow-D(ほとんど使用例はない)



ライル・リッツはテナーウクレレでバリトンと同じdGBEチューニングにしていた。
そのため、あのゆるく甘い独特なサウンドが生まれたのだ。

すべてのテナーウクレレがdGBEチューニングに適しているわけではない。
ゆるすぎて輪郭のはっきりしないボヨーンとした音になることも多いようだ。


たまたまギブソンのテナーウクレレはdGBEチューニングに向いていたのだろう。
もちろん弦との相性もある。

ライル・リッツがどういう弦を使用していたかは分からないが、ゆるく張る分、
ハイテンションの弦を使う、より太いクラシックギターの弦を使う、などテンション
を稼ぐ工夫が必要かもしれない。

最近よく使用されるフロロカーボン弦もやや金属的な音なので、甘くなりがちなテナ
ーウクレレのdGBEチューニングとは相性がいいかもしれない。



4弦をオクターブ下にしてLow-D(DGBE)チューニングにすれば、ハーブ・オオタの
Low-Gと同じく演奏の幅がさらに広がりそうな気もする。

が、それではウクレレらしい軽やかさが損なわれてしまう。
テナーウクレレでは3弦が巻き弦になるので、4弦まで太い巻き弦にして低く調弦
すると、ウクレレというよりテナーギターのナイロン弦版になりそうだ


ライル・リッツのコードをスライドする際の、あの軽やかさは4弦がオクターブ上の
dだからこそ得られるのではないだろうか。


それと映像を見る限り、ライルも親指の腹でコード、単音を弾いている
(近年ハイテンションのテナーウクレレで人差し指の爪、またはピックでジャカ弾き
する奏者が増えたが、僕は好きではない)



↑ライル・リッツの「Avalon」デモ演奏と本人による解説が観られます。


ハーブ・オオタの単メロにテンションコードを添える、という演奏スタイルに対して
ライル・リッツはフレット上を滑らせるようにテンションコードを刻みながら、その
上にメロディを乗せていく、という独特なスタイルを取っている。


ジャズやボサノヴァのコード理論を多少なりとも研究した人ならよく分かると思うが、
ジャズ、ボサノヴァ・ギターは基本、4本の弦しか鳴らさず残りの2本はミュートする。

コードに付け加えるテンションが増えると、本来の構成音(ルート音も含め)を省略
してコード進行のスムーズさ、ぼかし加減の妙を優先することも多い。


ウクレレではさらに4弦に制約されるから、テンションコードの工夫がモノを言う
ライル・リッツはそのウクレレならではのミニマルなコード作りを逆手にとって、
楽しみながら音を紡いでいたのではないだろうか。


※ライル・リッツに関しては資料が乏しく、特に国内ではほとんどありませんでした。
そんな中、飯塚英さんのライル・リッツ (Lyle Ritz) 研究は詳細にわたって丁寧に、
かつ分かりやすくまとめられてて、とても参考になりました。
http://hide.g.dgdg.jp/lyle_ritz/index.html

本ブログへの内容の転載をお願いしたところ、ご快諾いただきました。
飯塚さん、本当にどうもありがとうございました。



次回は1960〜1970年代にスタジオ・ミュージシャンとして活躍していた時代、
1980年代半ば以降、再びウクレレ奏者として活動していた頃の作品を紹介します。

<参考資料:飯塚英のホームページ ライル・リッツ (Lyle Ritz) 研究、
OPB Oregon Art Beat Lyle Ritz、 Jazz Ukulele Master、Wikipedia、
Ukulele Hall of Fame Museum、他>

2019年2月18日月曜日

憧れのピアニスト、アリス=紗良・オット。

1月によくツイートされてた#newyearsresolutionも2月にはほとんど姿を消した。
ジムもフィットネスも1月は混んでるけど2月は閑散。そんなものだ。

さて、僕の今年の抱負(New Year’s resolutionというよりMy goal for this year?)。
それは憧れのピアニスト、アリス=紗良・オットの公演に行くこと。





アリス=紗良・オットは7歳よりヨーロッパの数々のピアノコンクールで優勝。
10代半ばでデビュー。2006年から世界中でコンサートを行う。


2008年、19歳で名門ドイツ・グラモフォンと専属契約を結ぶ。
リスト:超絶技巧練習曲、ショパン:ワルツ集など次々と作品を発表。

クラシック・エコー・アワード2010ヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞。
来日し各地で公演を行ない、テレビにも出演している。



↑インタビュー、ショパンのノクターン、リストのラ・カンパネラを視聴できます。



父親がドイツ人、母親が日本人。日本語、ドイツ語、英語を流暢に話せる。
彼女自身、自分はドイツ人なのか?日本人なのか?悩んだ時期があるという。

国籍は?と訊かれるとアリスは「音楽人」と答える。
国を越えて人々を繋げるのが音楽。音楽が始まれば国籍なんて関係ない
音楽は言葉以上に気持ちを伝える力がある。


祖母が危篤の時に、日本に帰れないので電話口でショパンのワルツ イ短調(遺作)
を弾いた(1)、というエピソードがある。
ショパンは晩年、結核のため隔離された部屋でこの遺作を書いた。

アリス=紗良・オットの魅力は凛とした美しさにある。
超絶技法の正確さフォルテシモのダイナミズム。狂気がかった目。
弾き終えた時さっと鍵盤から手を離し指揮者やオーケストラを見る瞬間もカッコいい。



↑リストのラ・カンパネラを視聴できます。




↑ベートーベンのピアノ協奏曲第1番が視聴できます。



反対に恍惚とした表情で弾くピアニッシモの繊細さ
清冽な泉が音で揺れ波紋が広がるようだ。


聴いてても見てても美しい。
特に彼女は鼻筋が通っている(欧米の血のせいか)ため、横顔がきれいだ。

クールな美人である一方、タレ目のせいかファニーフェイスでもある。
演奏を終えて、胸に手を当てて観客に笑顔で応える表情はかわいい。



そしてアリスはクラシック演奏家の型にはまらず、颯爽としていてカッコいい
ジーンズやレザーパンツを履きこなす。自由で素直な人だと思う。

リハーサルの時はよくステージやピアノの上であぐらをかいて客席を眺めている。
それがアリス流のリラックスで、本番に向けてイメージを膨らましているのだろう。



↑サン=サーンスの「サムソンとデリラ Act2:あなたの声に心は開く」。
チェロ奏者は巨匠ミッシャ・マイスキー!



アリス=紗良・オットには7つのルール(2)があるそうだ。

1. 本番前はルービックキューブ。
2. ステージの上では裸足。
3. 家でクラシックは聴かない。
4. 買い物はインターネットで。
5. ウイスキーはストレート。
6. 待ち時間は極力作らない。
7. 練習するより経験する。


1. →ルービックキューブは本番前、手を温めるのに一番いいらしい。
でもしょっちゅう無くすので、 Amazonで何度も買い直している。


2. →演奏する時はドレス姿に裸足。家でも裸足でいることが多いそうだ。
レザーパンツやパンタロンで颯爽とステージに登場することもある。



「コンサートは音楽を通してお客さまと時間と空間を分かち合えるのだから、一番
リラックスできる状態で弾きたい。裸足だとペダルの感触が直に伝わるのもいい。
お客さまにもリラックスした格好で聴いて欲しい。
こういう服装でこういう姿勢で聴かないといけないというルールはない。
その日着て行きたいと思う洋服、カジュアルであってもかまわない。
リラックスして文字どおり音を楽しんでもらえることが大切だと思う」
(アリス=紗良・オット)



3. →家ではピンクフロイドやツェッペリンをよく聴く
一番のお気に入りは「The Wall」。あとサザンオールスターズも聴くそうだ。
吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」も好きなんだって(?)


4. →買い物は面倒だからすべてインターネットで済ます。荷物が届くと大喜びする。


5. →ウイスキーをストレートで飲むのは何かを薄めたりするのが好きじゃないから。
好き嫌い、イエスノーがハッキリしている。

以前のアリスのインスタグラムのプロフィールには「ウイスキーとミルクチョコレー
トに目がないの。あとピアノというレアな楽器にもね」と書いてあった。






6. →待ち時間が嫌いだから公演当日はメイクを済ますのも本番18分前。
控室に向かったかと思えば忘れ物をしたと戻り、準備が整うのは本番45秒前とか。

大事なのは想像力で、世界が開けるのは舞台に足を踏み入れた瞬間でいい。
そう話すアリスは本番直前まで飾らない彼女のままだ。


7. →「私は1日10時間ピアノに座って練習するタイプじゃない。
音楽はマニュアル通りの練習だけじゃなく、普通の人生の経験も大事だと思う」

インスタで練習動画を公開しているが、なんともユニークだ。
ヨガのポーズで弾いてたり、生麦生米生卵・・・とつぶやきながら速いフレーズを
指に覚えこませていたり。。。。



↑足に挟んだタンバリンを叩きながらピアノを弾く。何が楽しいんだか(^^)



2月15日、アリス=紗良・オットは自身のサイト、SNSで多発性硬化症(3)と診断された
ことを明らかにした。
体調を崩しコンサート活動にも影響を及ぼしたため検査を受けた結果、今年の1月15日
に多発性硬化症と診断されたそうだ。

「昨年、初めて医師から多発性硬化症の疑いがあると言われた時は、私の世界は崩れ、
次から次へと続く検査の間、恐怖、パニック、そして、絶望感に襲われ続けました」
と彼女は綴った。


病気について調べ、医師の助言も受けてきたという。
「多発性硬化症は中枢性脱髄疾患の一つ。人によって違う症状が現れる自己免疫疾患。
現在は治癒は不可能な病気ですが、ここ何年の医学の進歩によりこの病気を発症した
多くの人がほとんど支障なく日常生活を送ることが可能になりました」

「私の現状を自分自身でより詳しく把握できるまで少し時間がかかると思います」と
しながらも「予定されているシーズンのコンサート活動へ意欲を持って臨みます」と
ポイジティブな姿勢を伺わせた。




●アリス=紗良・オットは7月に来日予定が決まっている。
エリアフ・インバル(指揮)、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団との共演。
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467、マーラー:交響曲第5番ハ短調。

→モーツァルトは好きではない。が、モーツァルトなら間違いないというのも確か。
アリスのピアノも堪能できるし、交響楽団とのコンビネーションも見ものだ。
マーラーの交響曲は重厚すぎ。おそらくアリスの出番はないだろう。
前半の30分に16000円(S席)は躊躇してしまう。(個人的感想)


●9月には日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会にも出演するらしい。
曲目は伊福部昭:日本組曲、リスト:死の狂詩曲、ハンガリー狂詩曲第2番(管弦楽)。

→伊福部昭はゴジラなど東宝怪獣映画でお馴染みの雅楽+クラシック。
舞踏も入るようだが見たいと思わない。
ハンガリー狂詩曲はトムとジェリーを思い出して笑ってしまう。(個人的感想)


できれば交響楽団との共演じゃなくて、昨年のナイトフォール・ツアーのようにソロ
でもう少し小さい小屋でじっくりアリスの演奏だけを聴きたかった。





それよりアリスの病気の方が心配だ。
自分に合う治療法方が見つかり、うまく病気と付き合いながら本人が「音楽を楽しめ
る」生活を送れるようになって欲しい。リラックスして欲しい。

今年の抱負ではあったけど、今年でなくてもいい。
アリス=紗良・オットが元気な姿を再びステージで見せてくれ、素敵な演奏で観客を
魅了してくれる日を気長に待つとしよう。



最後に僕のアリス=紗良・オット愛聴盤を3枚紹介したいと思う。


ショパン:ワルツ集(2009年)

ショパンの本質はワルツにある、とアリス=紗良・オットは語っている。
ショパンは39歳で他界したが、晩年は結核のため家族にも会えず隔離された部屋で
を書き続けた。本作には遺作のワルツが収録されている。
このCDを録音した時、アリスは弱冠19歳。
命に寄り添ううようにゆっくりとワルツのリズムを刻みメロディーを紡いでいる。
内省的で浮遊感のある演奏で、特に弱音の繊細さはすばらしい

日本盤のみノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作がボーナストラックで入っている
これが絶品なので日本盤を買うべし!



↑ショパン:ワルツ集のトレーラーが視聴できます。



ナイトフォール(2018年)

タイトルの(夕暮れ)は、夜の帳が降りてゆく昼と夜の狭間。
移ろいゆく群青のグラデーション、夢と現(うつつ)、光と闇、相反する心象風景を表現。
ドビュッシーの「夢想」「月の光」、サティの「ジムノペディ」「グノシエンヌ」
ラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」なメジャーな選曲だが、アリス=紗良・オッ
トのしなやかなタッチは格別部屋を優しい響きで包んでくれる。
ドビュッシーはロジェ、ペロフを、サティはバルビエ、ロジェを聴いてきたが、アリス
の演奏の方が好きだ。
昨年のツアーはこのナイトフォールがテーマでソロ・コンサート。行きたかった。。。



↑ナイトフォールのプロモ・ビデオ、アリスのインタビューが視聴できます。


ショパン・プロジェクト(2015年)

ポスト・クラシカルの作曲・演奏家オーラヴル・アルナルズとの共演作。
ショパンの新しい解釈に挑んだ意欲作。繊細で静謐な静寂が心地よく広がる。
クラッシック・ファンの評判が良くないが、ニューエイジ、チルアウト、アンビエント
に近いネオ・クラシックとして完成度の高い作品でアリス新境地ともいえると思う。
ニルス・フラームを好む人にもお薦めだ。
このCDはグラモフォンではなくマーキュリー・クラシックから出ている。
音作りも低音を強調したり、静かな遠雷や雨音が入ったりアンビエント色が濃い。



↑オーラヴル・アルナルズとアリスのライヴ「Reminiscence」が視聴できます。


<脚注>

2019年2月4日月曜日

リッチー・ブラックモア道を突き詰めたい人へ。

<リッチー・ブラックモアの演奏の特徴>

1970年代のブルース・ロック全盛期。
ギタリストはブルーノート・スケールかペンタトニック・スケール一辺倒だった。


リッチーはロックにクラシック音楽の要素クロマチック・スケールハーモニック
マイナー・スケールを取り入れた大胆かつ独特なフレーズを弾いた。

しかも速弾きを生かしたギターソロで他のギタリストを圧倒していた。
ジミー・ペイジも「ソロではリッチーに敵わない」と言っていたほどだ。
リッチー自身も速弾きにこだわっていたことを認めている。



↑クリックするとリッチーとイアン・ギランの掛け合いが観られます。


<リッチーのルーツ>

リッチーは11歳の誕生日にに父親からスパニッシュギターを買ってもらったことが
きっかけでギターを弾くようになる。
1年間クラックギターのレッスンを受けていたそうだ。
左手の運指で小指が使えるのはそのレッスンのおかげだ、とリッチーは語っている。

14歳の時、カール・ヘフナーのクラブ50を手に入れ人前で演奏を披露する。
エレクトリック・ギターの魅力に取り憑かれたリッチーは、近所に住むビッグ・ジム
・サリヴァン(1)に師事しギターの腕前を上げていった。
その後ギブソンのES-335を購入し、プロとして活動するようになる。





<クラプトン、ジミヘンから受けた影響>

ディープパープル結成後はクラプトンに影響を受け、ブルースロック的なテクニック、
ベンディング(チョーキング)や振れの大きいヴィヴラートを取り入れた。
左指でのヴィヴラートはクラプトン本人から習ったが、習得するのに時間がかかった
とリッチーは言っている。

ジミ・ヘンドリックスの影響を強く受けていることもリッチーは公言している。
パープルのデビュー・アルバムではジミの「ヘイ・ジョー」をカヴァーしている。

ブラック・ナイトのリフはリッキー・ネルソンのサマータイムが元ネタと前回書いた
が、ジミもヘイ・ジョーでサマータイムのリフの上のラインをイントロにしている、
とリッチーは言っている。



イン・ロック以降、リッチーのトレードマークともなる1968年製ラージヘッド、
メイプルネックのブラック・ストラトキャスターもジミの影響らしい。(2)

実際にリッチーは1968年12月のニューヨーク公演の際、ジミがストラトを入手した
マーニーズという店で、ストラトを購入した可能性が高いと言われている。

他にテレキャスターのネックを装着したホワイト・ストラトキャスター、左利き用
ストラトキャスターの使用、ステージでの ギター破壊などのパフォーマンスなど、
ジミへの傾倒ぶりは半端ない。



<ES-335からストラトへ、VOXからマーシャルへ>

初めて動いてるディープ・パープルを見たのはNHKのヤング・ミュージックショー
というかなり恥ずかしい名前の番組(3)だった。
1970年BBCトップ・オブ・ザ・ポップス出演時の映像だと後で知る。

この時リッチーはチェリーレッドのギブソンES-335を使用していた。
ドット・ポジション、ボディーの形状から見て1958〜1959年と思われる。
ビグズビーのトレモロ・アームを搭載してあった。

だから僕の先入観はリッチー・ブラックモア=ES-335だった。
ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演でもリッチーはES-335
を弾いている。



↑ES-335を弾くリッチーが観られます。



次のイン・ロックからストラトも併用するようになったと思われる。
ストラトに慣れる(改造する)のに時間を要した、とリッチーは言っている。

ES-335とストラトではネックのグリップ感も違うし、スケールも違う。
それにつるつるしたメイプル指板は苦手という人も多い。(だから削った?)


マシンヘッドの頃は完全にリッチー仕様のストラト使いになっていた。
ストラトといえば線が細く鈴鳴り、鋭角的なシリッドでトレブリーな音が特徴。
ファットでウォームなギブソンとは対照的だ。

しかしストラトであれだけワイルドな音を出すジミに感化されて、リッチーは
ストラトが欲しくなった。(クラプトンもジミの影響でストラト派になった)


確かギターマガジンの記事だったと記憶しているが、リッチー=マーシャルの
イメージが強いが、マーシャルはライブで大音量を得るため、レコーディング
ではVOX AC-30(初期のビートルズが使用)を使っている、と書いてあった。
マーシャルでは温かみのある音が得られないらしい。


ES-335→ストラトに伴いVOX AC-30→マーシャル200に変更されたわけではない。
スモーク・オン・ザ・ウォーターのレコーディングはストラトをVOX AC-30につ
ないで鳴らした、と本人が語っている。



<リッチー先生の改造癖とユニークな演奏スタイル>

リッチー・ファンの間では周知の話だが、彼の愛器ラージヘッドのストラトは
指板が削られスキャロップド・フィンガーボードと呼ばれる加工がされている。
それに伴いジャンボフレットに打ち直しされている。

最初の1968年製ストラトはリッチー先生自らギコギコヤスリで削ったとか。
よい子のみんなは真似しないでね。リペアマンに任せましょう。




スキャロップ加工により、指の腹が完全に指板につかなくても弦に触れるだけで
フレットを押さえられるようになる。
その結果、軽いタッチで粒立ちの良いブライトな音が出せる。

速弾きがしやすくなり、ヴィブラートやベンディング(チョーキング)も軽い
タッチで行え、サステインもコントロールしやすいので、リッチーのようなキレの
いいのソロには有利だ。
ヴィブラートの振幅も大きく早い点もリッチーならではのサウンドに貢献している。


リッチー奏法では、ハンド・ヴィブラートとトレモロアームによるより振幅の大きい
ヴィブラートのコンビネーションも大きな特徴になっている。


が、トレモロユニットに関しては意外にノーマルだ。
ストラトのトレモロユニットは5本のスプリングが装着されていて、好みで本数を
調整できる。
リッチー先生は左から2番目のスプリングのみ外し、4本になっている。

ストラトのトレモロユニットはアーミングを行うと音が狂いやすいのが欠点だが、
リッチーは頑なにシンクロナイズド・トレモロを使い続けている。
しかも、あれだけアームを駆使しているのに驚異的に音が狂わないことで有名だ。





リッチー先生いわく「俺のトレモロは最高のチューニングをしてもらっているから
狂わない」とのこと。はたして、どんなセッティングなのか?
一説によると、スプリングのハンガーが少し斜めにセットされているとか。


ピックアップも1978年まで(パープル〜レインボー第4期)はフェンダーのをその
まま使用していたそうだ。(その後シェクターやダンカンを搭載)
もっともリッチーはセンター・ピックアップはまったく使わないため、演奏の邪魔に
ならないよう目いっぱい下げられ、結線もされていない。

コントロール、セレクトスイッチについては諸説あり。
深入りしないよにしよーっと(笑)



<リッチー道を極めるためのアクセサリー、エフェクター>

弦は英国製のピカートの特注。010、011、014、026、038、048という仕様。
2〜3弦が細くベンディングしやすい。6弦は太めで迫力ある低音が出せる。

リッチー先生愛用ピックはベッコウ製の五角形ピック





エフェクターはイギリス製ホーンビー・スキューズ(Hornby Skewes) のトレブル・
ブースターを使用していた。(5)
またパープルの初期、ダラス・アービターというファズ・フェイスも使用したらしい。

リバーブはプレートリバーブ(鉄板を振動させる旧式の装置)の他、ソロではルボック
スのテープレコーダーをエコーマシンとし使用していた。(ステージでもお目見えする)
1973年頃からはアイワのオープンリール・デッキを改造しエコーマシンにしていた。





<唯一無比のリフ、リッチー・サウンド>

ラージヘッドのストラトとマーシャル200。トレブル・ブースター。
これである程度リッチー気分に浸れるかもしれない。

でもリッチー・ブラックモアへの道は長く、奥深い。
たとえばスモーク・オン・ザ・ウォーター


ブライアン・メイはこう言っている。
「簡単だから誰もが弾きたがる。でも誰もリッチーみたいには弾けないんだ」と。

多くのギタリストは指を寝かせてGmのバレーコード、ダウンピッキングで弾いている。
しかしリッチーはサードポジションで完全4度の和音をアップピッキングで、しかも
ピックでなく指で弾いている、と本人が語っている。



↑スモーク・オン・ザ・ウォーター。指でアップで弾いてるのが確認できます。


最後にスティーヴ・ルカサーが言ってたこと。
「何で自分が思いつけなかったのかと思うようなシンプルで忘れられないリフ。
それがリッチー・ブラックモアのすごさなのだ。」


<脚注>