<楽器店のバイト店員がジャズ・ウクレレ奏者になるまで>
ライル・リッツは1930年、オハイオ州のクリーブランドの生まれ。
子供の頃バイオリンやチューバを習い、南カリフォルニア大学に進学してからは楽団で
チューバを演奏している。
学生時代、L.A.のダウンタウンのSouthern California Music Co.という楽器店でアルバ
イトをしていた。彼の担当は小物売り場。売れ線商品がウクレレだった。
1950年当時アーサー・ゴッドフリー(1930年代にラジオやテレビの司会、エンタテイナ
ーとして活躍)が、マーティン製やヴェガ製のバリトン・ウクレレをを弾きながら歌う
スタイルが人気で、アメリカ本土でもウクレレへの関心が高まっていたのだ。
店では$4.95の特価品から$60(当時の価格)の高級品マーティンまで売っていた。
顧客にウクレレのデモンストレーションを行うのもライルの仕事の一つである。
上司からスリーコードを教えてもらったライルは独学でウクレレに習熟。
ライルは自分用にその店でギブソンのテナーウクレレを購入。
ちょうどいい大きさで、ちょうどいい音だった、と彼は言っている。
1950年頃のTU-2だ。(素材はオールマホガニー、指板がハカランダ。TU-1と同仕様
だがTU-2はカラーがココア色でボディーに白いバインディングがある)
1950年代はジャズの名盤が発表された頃。
ライル自身もハワイアンの曲は知らなかったようで、テナーウクレレでインストゥル
メンタルのジャズを演奏する自分のスタイルを確立し、腕を上げて行った。
ライル・リッツ奏法はアーサー・ゴッドフリーのスタイルを参考にしながら、さらに
発展させたものと思われる。
またウクレレ・アイクことクリフ・エドワーズ(ウクレレ奏者、男性声優。映画「
ピノキオ」のクリケット役で挿入歌「星に願いを」を歌い人気を得る)の影響も受け
ているいるかもしれない。
朝鮮戦争が始まるとライルは徴兵され、陸軍軍楽隊でチューバを演奏する。
モンタレーのフォートオード基地進駐中はアップライトベースの演奏法を学ぶ。
(ベースを習得したことは後に彼のキャリアに大きく役立った)
休暇中ライルはかつての職場である店を訪れ、同僚にせがまれ数曲、演奏する。
ライルは気づいていなかったが、客の中にギタリストのバーニー・ケッセルがいた。
バーニー・ケッセルはヴァーヴ・レコードの西海岸A&R(宣伝担当)でもあった。
彼は「何か一緒にやれるんじゃないかな」とライルをスカウトする。
ライルが徴兵中だと応えると彼は名刺を渡し、除隊したら訪ねてくるように頼む。
<プロとしてのデビュー>
数年後、除隊したライル・リッツは車のデザインを学ぶためアートセンター・カレ
ッジ・オブ・デザインに入学。
しかしレイク・アローヘッドでジャズ・トリオのベースを弾いてるうちに、プロの
ミュージシャンとしてやっていこう、という気持ちが強くなる。
ライルはL.A.のクラブやピアノ・バー、ラウンジでウクレレを演奏していた。
バーニー・ケッセルからのオファーを思い出したライルは、デモ音源を作成し(
この時代だからアセテート盤だろう)ヴァーヴ・レコードと契約。
スタジオ録音という経験が初めてのライル・リッツは非常に苦労したようだ。
「How About Uke? 」(1958)「50th State Jazz」 (1959)の2枚のアルバム
を発表した。
2枚ともあまり売れず、3枚目のアルバムの契約を破棄された。
しかしライル・リッツの演奏はハワイのウクレレ奏者たちに大きな影響を与えた。
↑How About Uke? (1958)よりLulu's Back in Townが聴けます。
独特の甘さ、ゆるさがいい感じでしょ?
原曲は1935年のミュージカル挿入曲。ファッツ・ウァーラーも歌ってヒットした。
How About Uke?はHow about you?(君はどう?)とUkuleleを掛けたもの。
邦題はハウ・アバウト・ウケだったが何も分かっていないのだろう。
ちなみにハワイではウクレレと発音するが、本土では圧倒的にユクレレと言う。
↑50th State Jazz(1959)よりPolka Dots and Moonbeamsが聴けます。
「水玉模様のドレスと月の光」なんてロマンチックですね。
1940年トミー・ドースィー楽団&フランク・シナトラで大ヒット(イントロが長い)。
僕はチェット・アトキンスとレニー・ブローのカヴァーが好き。
50th State Jazzのタイトルと星条旗を広げたハワイの藁ぶきの家。
この意味、分かりますか?
1959年にハワイは正式にアメリカ合衆国の50番目の州になったからです。
ライル・リッツの2枚のアルバムは、あの時代だからこそ醸し出される独特の雰囲気、
時代の空気感が味わえる。
そしてウクレレでこんなに甘い音が出せるのか、ウクレレでここまでスウィングで
きるのか、という驚きにも近い新鮮な感動も。
現在はこの2枚のアルバムがカップリングされたCDがAmazonでも購入できる。
24bitサンプリングでリマスタリングされていて音もいい。(MP3でも購入可)
バックはレッド・ミッチェル(b)など西海岸の一流ミュージシャンで演奏は手堅い。
How About Uke?のジャケ写のギブソンTU-2はカッタウェイにモデファイされている。
どの時点でカッタウェイにしたのか?は不明。
塗装もしっかりしてるので、ギブソンのカラマズー工場に依頼したのだろう。
<ハーブ・オオタの演奏スタイル>
ジャズ・ウクレレといえば、1990年頃から日本ではハーブ・オオタの人気が高まり、
CDや教則ビデオが発売され、毎年のように来日していた。
第二次ウクレレ・ブームの火付け役ともなった。
それに比べてライル・リッツは知る人ぞ知るウクレレ奏者である。
ハーブ・オオタは日系二世ハーフで「ウクレレの神様」の異名を持つ奏者。
幼少時からエディ・カマエの影響を受け練習し、15歳でプロデビュー。
ハワイアンからジャズ、ラテン、クラシック、ポップス、ロックとあらゆるジャンル
をウクレレ一本で演奏するという独自のOHTA-SAN STYLEを確立。
多くのウクレレ奏者に影響を与え、ソロ楽器としてのウクレレの可能性を広げた。
ハーブ・オオタもまた朝鮮戦争時に11年間、韓国と日本に駐屯していた。
除隊後デッカから「Ukulele Isle」(1965)「Soul Time In Hawaii 」(1967)を発表。
ライル・リッツより7年遅れてのレコード・デビューである。
またライルは本国の西海岸で活動したが、ハーブ・オオタはハワイを拠点とした。
その後レーベルを変えつつ1980年代頭までほぼ年一枚ペースで新譜を出している。
「Song For Anna」(1973 A&M)は世界中で600万枚を記録する大ヒットとなった。
ハーブ・オオタはウクレレにLow-Gチューニングを取り入れた。
ウクレレはgCEAチューニングがスタンダードだ。
ギターの5フレットにカポをした4〜1弦の音程だが、4弦だけはオクターブ上のg。
それゆえチャンチャカチャン♪とウクレレらしい軽やかなサウンドが出るのだ。
ハーブ・オオタは4弦にオクターブ下のG(巻き弦)を使用。
GCEAにすることで4弦が低音弦として使えるため、ウクレレ演奏の幅が広がった。
コードを弾いた際も厚みが出る。革命的だった。
↑左がスタンダードのウクレレ・チューニング、右がLow-Gチューニング。
ハーブ・オオタの演奏スタイルは単音でメロディを弾き、その合間にチャンチャンと
テンションコードを刻み伴奏をつける、というものだ。
右手はほとんど親指の腹で弾き、トレモロは人差し指の腹で、また3本の指でアルペ
ジオを行う時もある。
主にソプラノウクレレ(最も愛用したのはマーティンのStyle 3)を使用していた。
<ライル・リッツ奏法の特徴>
ハーブ・オオタがソプラノウクレレを弾いたのに対し、ライル・リッツが愛用した
のはそれより2まわり大きいテナー・ウクレレだった。
前述のようにライル本人が自分向きの大きさと音、と感じたからだろう。
ウクレレにはソプラノ、コンサート、テナー、バリトンと4つのサイズがある。
スタンダードは一番小さいソプラノウクレレ。
ウクレレらしいチャカチャカしたコード弾きに向いてるが、スケールが短いため
ピッチが甘く、サステインも得られない。ハイポジションでの演奏は無理だ。
もともとウクレレという楽器にそれほど厳密なものは求められることはなく、気軽に
適当に楽しめればいいじゃない的な位置付けだったのだ。
(そのソプラノ・サイズで驚異的な演奏をやってのけたのがハーブ・オオタである)
ソプラノ、コンサート、テナーの3つはgCEAチューニングがスタンダードだ。
(近年はLow-Gを選択するプレーヤーも増えた)
当然スケールの長いテナーウクレレではかなりテンションがきつく弾きにくい。
音も硬質になる。
一番大きいバリトンウクレレのみ、dGBEチューニング。(通常のウクレレの4度下)
これはギターの4〜1弦と同じキーで、4弦のみオクターブ上のdということだ。
↑左がバリトンウクレレ用のDチューニング、右がLow-D(ほとんど使用例はない)
ライル・リッツはテナーウクレレでバリトンと同じdGBEチューニングにしていた。
そのため、あのゆるく甘い独特なサウンドが生まれたのだ。
すべてのテナーウクレレがdGBEチューニングに適しているわけではない。
ゆるすぎて輪郭のはっきりしないボヨーンとした音になることも多いようだ。
たまたまギブソンのテナーウクレレはdGBEチューニングに向いていたのだろう。
もちろん弦との相性もある。
ライル・リッツがどういう弦を使用していたかは分からないが、ゆるく張る分、
ハイテンションの弦を使う、より太いクラシックギターの弦を使う、などテンション
を稼ぐ工夫が必要かもしれない。
最近よく使用されるフロロカーボン弦もやや金属的な音なので、甘くなりがちなテナ
ーウクレレのdGBEチューニングとは相性がいいかもしれない。
4弦をオクターブ下にしてLow-D(DGBE)チューニングにすれば、ハーブ・オオタの
Low-Gと同じく演奏の幅がさらに広がりそうな気もする。
が、それではウクレレらしい軽やかさが損なわれてしまう。
テナーウクレレでは3弦が巻き弦になるので、4弦まで太い巻き弦にして低く調弦
すると、ウクレレというよりテナーギターのナイロン弦版になりそうだ。
ライル・リッツのコードをスライドする際の、あの軽やかさは4弦がオクターブ上の
dだからこそ得られるのではないだろうか。
それと映像を見る限り、ライルも親指の腹でコード、単音を弾いている。
(近年ハイテンションのテナーウクレレで人差し指の爪、またはピックでジャカ弾き
する奏者が増えたが、僕は好きではない)
↑ライル・リッツの「Avalon」デモ演奏と本人による解説が観られます。
ハーブ・オオタの単メロにテンションコードを添える、という演奏スタイルに対して
ライル・リッツはフレット上を滑らせるようにテンションコードを刻みながら、その
上にメロディを乗せていく、という独特なスタイルを取っている。
ジャズやボサノヴァのコード理論を多少なりとも研究した人ならよく分かると思うが、
ジャズ、ボサノヴァ・ギターは基本、4本の弦しか鳴らさず残りの2本はミュートする。
コードに付け加えるテンションが増えると、本来の構成音(ルート音も含め)を省略
してコード進行のスムーズさ、ぼかし加減の妙を優先することも多い。
ウクレレではさらに4弦に制約されるから、テンションコードの工夫がモノを言う。
ライル・リッツはそのウクレレならではのミニマルなコード作りを逆手にとって、
楽しみながら音を紡いでいたのではないだろうか。
※ライル・リッツに関しては資料が乏しく、特に国内ではほとんどありませんでした。
そんな中、飯塚英さんのライル・リッツ (Lyle Ritz) 研究は詳細にわたって丁寧に、
かつ分かりやすくまとめられてて、とても参考になりました。
http://hide.g.dgdg.jp/lyle_ritz/index.html
本ブログへの内容の転載をお願いしたところ、ご快諾いただきました。
飯塚さん、本当にどうもありがとうございました。
次回は1960〜1970年代にスタジオ・ミュージシャンとして活躍していた時代、
1980年代半ば以降、再びウクレレ奏者として活動していた頃の作品を紹介します。
<参考資料:飯塚英のホームページ ライル・リッツ (Lyle Ritz) 研究、
OPB Oregon Art Beat Lyle Ritz、 Jazz Ukulele Master、Wikipedia、
Ukulele Hall of Fame Museum、他>
0 件のコメント:
コメントを投稿