しかし冒頭のシーン、人気のない早朝のニューヨーク5番街にイエローキャブ(タク
シー)で乗り付けたヘップバーンが、ティファニーのウィンドウを眺めながらクロワ
ッサンを頬張りコーヒーを飲むシーンは印象的だ。
↑クリックすると「ティファニーで朝食を」のオープニングが観れます。
原作となったトルーマン・カポーティの小説ではこういうシーンはない。
自由奔放に生きる女性、ホリーが言う「ティファニーで朝食を食べる身分になっても」
(2)というたとえが小説のタイトルになっているだけで、実際にティファニーの前で
朝食を食べたりはしていない。
それをそのまま絵にして冒頭に持ってくるというのはあざといというか、芸がないと
いう気はするけれど、このシーンが素敵だと思えるのはホリーを演じたヘップバーン
の美しさとマンシーニ・オーケストラによる「ムーン・リバー」の美しさのせいだ。
ヘップバーンが着ている黒いドレスはジバンシィがこのシーンのためにデザインしたも
ので、細身の彼女だからこそ映える服である。
黒のオペラ手袋、大きめの黒のサングラス、パールのネックレスとともに、この作品
でアイコニックなビジュアルとなり、ヘップバーン・スタイルとしても有名になった。
映画の影響で、ティファニーで食事ができると勘違いした来店客が多かったようだ。
ティファニーは世界的に有名な宝飾店で朝食を食べるような場所は店内にない。(3)
店先でパンを食べたりコーヒーを飲んでオードリー気分に浸る女性も多かったようだ。
今でいうインスタ映えみたいな感じだろうか。
それと劇中でホリーが飼っている猫がもう身悶えするくらいかわいくていじらしい。
猫好きの人は必見の映画!と言っても過言ではない。
余談だが、演じているのはオランジーという俳優猫。(4)
オスカーの動物版のパッツィ賞を2度受賞した唯一の猫として知られている。
見たところアメショーなどの純血種ではなく、和猫でもよくいるトラ猫だ。(5)
アメリカではGinger(生姜の意味)と呼ばれる。
ホリーは猫に名前さえ付けていない。ただ「Cat」と呼んでいる。
If I could find a real-life place that made me feel like Tiffany's,
then I would buy some furniture and give the cat a name.
「ティファニーにいるような気分になれる本当の生活の場を見つけたら、家具を買った
り猫に名前をつけるわ」とホリーは言っている。
猫が無名であるのは、ホリー・ゴライトリーという女性の人生観のためである。(6)
私も猫もお互いに誰のものでもない。独立した「個」だと彼女は考えている。
自分の居場所を見つけるまで何も所有したくない。
ホリーの描くその理想卿は「ティファニーにいる気分になれる場所」ということだ。
そしてこの映画の最大の魅力は、ヘップバーンがアパートの窓辺に腰掛けてギターを
爪弾きながら「ムーン・リバー」を歌うシーンである。
決して上手いわけではないが、ヘップバーン本人の歌声はとてもチャーミングだ。
この曲はジョニー・マーサーが作詞、ヘンリー・マンシーニが作曲を担当した。
ヘップバーンが演じるホリーが劇中で歌うシーンのために作られた曲で、映画のストー
リーとは直接的な関係はない。
しかし優れた楽曲に仕上がったため、映画の主題歌としても使われることになった。
オープニングはマンシーニ楽団による優雅なインストゥルメンタル、エンディングでは
それに混声コーラスを加えたものが流れる。
パーティーのシーンではチャチャチャ風アレンジが施されたヴァージョンも使われた。
ヘップバーンは歌の上手い女優ではなかったので、他の映画の歌唱シーンはプロの歌手
による吹き替えが行われている。
だが「ムーン・リバー」だけは彼女自身が余程気に入っていたようで、珍しく本人が
自らギターを爪弾きながら(後述)歌っている。
その素朴な歌い方が、かえって吹き替えでは得られないリアリティが出てていい。
↑クリックするヘップバーンが「ムーン・リバー」を歌うシーンが観れます。
しかし完成後の試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は「この歌は
ストーリーの展開と関係ないからカットした方がいい」と言い放った。
(本音はヘップバーンの歌が下手だったから、というのもあるかもしれない)
プロデューサーのリチャード・シェファードが「絶対にカットさせない、やるなら
俺を殺してからやれ!(Over my dead body!)」と声を荒げたため、その剣幕に
圧倒された社長は引き下がるしかなかった。
ヘップバーンはその場で何か言いたげだったが、同じ思いだったのだろう。
既に「ローマの休日」「麗しのサブリナ」で名声を得ている大女優のお気に入りの
シーンを、いくらパラマウントの社長でも強引にカットはできない。
こうしてヘップバーンが「ムーン・リバー」を歌うシーンは無事日の目を見た。
映画もこの曲も大人気となり、RCAからサウンドトラック盤(マンシーニが改めて
録音したもので映画で使用された音源とは異なる)(7)LPとシングルが発売される。
1961年アカデミー歌曲賞、グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀
編曲賞の3部門を受賞した。
翌1962年アンディ・ウィリアムスがヒットさせ、彼の持ち歌としても有名になった。
ヘップバーン自身が歌ったヴァージョンは、「自分はプロの歌手ではないので」と本人
が断ったため発売されることはなかった。
「ムーン・リバー」は長く愛され、現在まで世界中のポップスだけでなくあらゆるジャ
ンルの歌手にカヴァーされ続けている。
ヘンリー・マンシーニは後に自伝で以下のように述懐している。
オードリーが映画に登場していなければ、私自身もジョニー・マーサーもこの曲を作る
ことができたかどうか想像できません。
「ムーン・リバー」はオードリーのために書かれたのです。
彼女以上にこの曲を完璧に理解した人はいませんでした。
「ムーン・リバー」には数えきれないほどのヴァージョンがありますが、オードリーの
これこそが文句なく最高の「ムーン・リバー」と言えましょう。
アンディ・ウィリアムスが後に「この歌には意味がよく分からないところがある」と
語っているが、確かに歌詞は抽象的で摑みどころがないような部分がある。
作詞を手がけたジョニー・マーサーは主人公のホリーがテキサス出身という設定のため
、自分が生まれ育った南部での少年時代の思い出を歌詞に盛り込んだ(8)と語っている。
ムーンリバー(月の河)とは架空の河であり、擬人化して語りかけているのだ。
ホリーは幼い頃からこの河を親友と見なし、語りかけながら育って来たのだろう。
そして不幸な境遇から抜け出し自由になるために、この大きな河をいつか渡りたいと
いう憧れと、ずっと一緒にいたいという思いが交錯していたのではないか。。。
アンディ・ウィリアムスはその深い意味まで知る由はなかったが、ホリーの役に入り込
んでいたヘップバーンは共感することができた。
マンシーニがいう「彼女以上にこの曲を完璧に理解した人はいない」はそういうことだ。
歌詞を訳してみた。
Moon River
Lyric: Johnny Mercer Music: Henry Mancini.1961 拙訳:イエロードッグ(9)
Moon river, wider than a mile I'm crossing you in style some day
ムーンリバー 大きな河 いつか渡ってみせるわ
Oh, dream maker, you heart breaker
夢を見させてくれるかと思えば 心を打ち砕くのね
Wherever you're going, I'm going your way
あなたの行くところなら、どこへでも行くわ
Two drifters, off to see the world
二人して漂うの 世界を見るための船出よ
There's such a lot of world to see
知らない世界がまだたくさんあるはず
We're after the same rainbow's end, waiting, round the bend
私たちは一緒に虹の彼方へ それはすぐそこにあるのよ
My Huckleberry Friend, Moon River, and me
かけがえのない友、ムーンリバーとわたし
この歌詞は随所に韻を含んでいるので聴いていて心地よく響く。
メロディー、曲の流れにもうまく乗っていると思う。
マンシーニは1オクターブと1音しかないヘップバーンの声域に合わせて作曲している。
ヘップバーンがギターを爪弾きながら歌うシーンだが、ボーカルはこのシーン撮影
時に生で収録されているようだ。
リップシンクでは間の取り方とか、ここまで上手くいかないだろうし、歌い終えて
上の階から見ていたポールに「Hi」と挨拶する声質も歌っている時と同じだ。
ただしギターはヘップバーンが生で弾いてるわけではないようだ。
予め録音されたギター伴奏に合わせて歌っていると思える。
(歌の後半で入るマンシーニ楽団の演奏は後からオーバーダブされている)
ヘップバーンは一見ちゃんとコードポジショを押さえ、コードチェンジも上手く
こなしているように見える。
おそらく彼女自身もギターを弾けるか、弾き方の指導を受け練習したのだろう。
だが実際に流れている音とは違う。
キーはFだが、彼女はF#の辺りでセーハ(バレー)している。
押さえやすいように半音下げてチューニングした?とも考えられるが、それでは
開放弦を活かしたコードの箇所が弾けない。
このギター伴奏はマンシーニのオーケストレーション(編曲)ではなく、コード理論
を習得したプロのジャズ・ギタリストに委ねたのだと思う。
ジャズならではのテンションコード、分数コードを巧みに使いながらベース音を半音
ずつ下げる(クリシェ)など、高度な技が効果的に使われているからである。
たとえば最初のヴァースのOh,Dream…ではDm→F7 on C→B♭maj7、2回目のヴァ
ースではDm→Dm on C→Bm7(♭5)としている、など完全にプロの技だ。
Gm7on E→A7でそれぞれ6弦と5弦の開放弦の響きを活かしているのも心憎い。
A7で7thの音をオクターブで強調しているのもお見事!いい仕事してます。
採譜してTAB譜にしてみたので、ギターの心得のある方は参考にしてください。
アルペジオではなくヘップバーンのように親指でやさしく弾くのがお薦め。
あとはオードリーみたいに歌ってくれる女性を探すだけ(^^v)
ヘップバーンが歌ったヴァージョンは、彼女が死去した1993年に発売されたCD
「Music From The Films Of Audrey Hepburn」に初めて収録された。
このCDはヘップバーンの映画のサウンドトラックを権利元のレコード会社の垣根を
超えて収録したものである。
シャレード、暗くなるまで待って、マイ・フェア・レディ、いつも2人で、など美しい
曲がいっぱい聴けるので、幸せな気分になれる。
2013年にはINTRADA社から映画で使用された「ティファニーで朝食を」の本当の
オリジナル・サウンドトラック全曲が初めて発売された。
途中からオーケストラが被さるヘップバーンの「ムーン・リバー」とは別に、オーケス
トラを被せる前のヘップバーンの歌とギターだけのヴァージョンもボーナス・トラック
として収録されている。
<脚注> ↓もっと深堀したい方はクリック
(1)「ティファニーで朝食を」(原題: Breakfast at Tiffany’s)
1961年公開のアメリカ映画。主演はオードリー・ヘップバーン。
トルーマン・カポーティの小説が原作になっている。
原作とは異なり、映画は主人公と作家(原作語り手)との恋を中心に描いている。
<あらすじ>
華やかな世界に憧れる美しい女、ホリー・ゴライトリーはニューヨークのアパート
で、彼女を取り巻く男たちと自由気ままに暮らしている。
収監中のマフィアの伝言を弁護士に伝え、多額の報酬を受け取り生計を立てていた。
同じアパートに引っ越してきた作家ポールも裕福な愛人に養ってもらっていた。
ポールは無邪気で奔放なホリーに魅かれていく。ホリーもポールを頼った。
ホリーは不幸な生い立ちから14歳で結婚し、故郷のテキサスから逃げてきたという
事実をポールは知ることになる。。。。
当初は主人公ホリー役としてマリリン・モンローが候補に挙がっていた。
が、結局まったく違うタイプのヘップバーンに出演依頼が行くことになった。
妊娠中だったヘップバーンは子供を育てたい、夜の女の役はできないと断る。
製作のマーティン・ジュロウと脚本のジョージ・アクセルロッドは「作りたいのは
夢見る人の映画なんです」と説得し、ヘップバーンはきわどい暗示をやわらげる
ことを条件に引き受けた。
脚本はヘップバーンの魅力が生かされるロマンティック・コメディに書き直された。
(2)ティファニーで朝食を食べる身分になっても
I want to still be me when I wake up one fine morning and have breakfast
at Tiffany's.
(素敵な朝を迎えティファニーで朝食を食べられる身分になったとしても、私は私の
ままでいたいの)
(3)ティファ二―店内で朝食を食べられる場所
原題「Breakfast at Tiffany’s」のTiffany'sは正確にいうと「ティファニーの所有
物件」という意味で、店舗だけではなく店の軒先や敷地を指している。
劇中でホリーは I'm crazy about Tiffany’s.(ティファニーに夢中なの)と言う。
この場合のTiffany’sはティファニーの商品(宝飾品)ということになる。
2017年に5番街のティファ二―の店内に軽食用のダイニングスペースが作られた。
映画公開から56年経ってるのに、この映画の影響もあるのだろうか。
(4)オランジーという俳優猫
動物トレーナーとして有名なフランク・インは60匹ほどの猫を訓練していたそうだ。
映画やドラマで特定の要望があると、その動きが得意な猫を連れてきて演じさせる。
観ている側には同じ猫に見えるが、実際にはオランジーの代役が複数いたと思われる。
(5)トラ猫の性格のよさ
東京農業大学が2010年に発表したアンケート調査(首都圏の猫244匹の飼い主対象)
によると、茶トラがフレンドリーで甘えん坊、おっとりした性格で飼いやすい、と
いう結果が出たという。特に去勢した雄の茶トラが性格がいいとか。
オランジーを見てるとアメリカでも同じなのかな?と思えてしまう。
(6)猫に名前をつけない理由
「私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も。
自分といろんなものごとがひとつになれる場所を見つけたとわかるまで、私はなんに
も所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。
でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている。」
彼女は微笑んで、猫を床に下ろした。
「それはティファニーみたいなところなの」と彼女は言った。
(「ティファニーで朝食を」新潮文庫版 龍口直太郎訳 より)
(7)映画で使用された音源とは異なるサウンドトラック盤
原盤権が映画会社にあるため、レコード会社はオリジナルの音源を使えない。
この場合はパラマウントとRCAの問題。よくあるケースだ。
フランシス・レイも録り直しが多く、オリジナル・サウンドトラック盤は少ない。
(8)ムーン・リバーの歌詞に込められた作詞家の思い出
作詞者ジョニー・マーサーの故郷ジョージア州サヴァンナの自宅の傍を流れるバック
リバー(Back River)をイメージしたものだという。
後にこの河は楽曲のヒットに因んで、河川名称をムーン・リバーに変更している。
(9)ムーン・リバーの対訳について
Moon river → 直訳は月の河だが擬人化してるのでムーンリバーとした。
wider than a mile → 実際の距離を示しているわけではない とても広いということ。
同じようにmiles away(遠く離れて)もよく使う表現である。
in style → 堂々と 自信をもって
Oh, dream maker → Old dream makerと記してある歌詞もあるがOh, だろう。
次のyou heart breakerのyouも同じで軽い呼びかけ。
drifters → 漂流者、漂う人
off to → 〜しに出発する
rainbow's end → 夢が叶う、幸せになるところ(アメリカでは成功を意味する)
waiting, round the bend → 角を曲がった所で待っている(=すぐそこにある)
Huckleberry Friend → マーク・トゥエインの「トム・ソーヤーの冒険」の親友、
ハックルベリー・フィンに因んだ慣用句
<参考資料:Intrada、Amazon、Wikipedia、オランジーとは?(子猫のへや)、
Music From The Films Of Audrey Hepburn ヘンリー・マンシーニのライナーノーツ、
想い出のオードリー・ヘプバーン、ティファニーで朝食を(新潮社)龍口直太郎訳、
大谷大学哲学科、洋書を読んで英語を学ぼう、 映画で学ぶ英会話、YouTube、他>
楽しく拝見させて頂きました。私はこの類の映画がいちばん好きで、この映画も例外ではありません。
返信削除特にオープニングシーンは大好きで、あんな映像を撮りたいという気持ちを持ち続けてます。
ムーンリバーはオードリーの歌唱がいちばんだというのは私もまったく同感で、
ここで紹介されてるサントラ盤は私も所持してます。
是非素敵な「ヘプバーン」を探して「ムーンリバー」を聞かせて頂きたいものです。
>proviaさん
返信削除新型コロナウィルスの影響で銀座も人が少なくなりました。
早朝なら銀座のティファニーの前であの映画のような写真が撮れるかも。
日比谷もそういうスポットがありそうですね。
proviaさんはたまたまそこにいる人を利用した写真が上手いと思います。
たまたまヘップバーンみたいな女性が居合わせたら最高ですね(笑)
僕もヘップバーンが歌うムーンリバーが一番好きですが、マンシーニ自身
もそう思っていたことを知り嬉しくなりました。