<「リトル・ウィング」の歌詞とその解釈>
(Jimi Hendrix 対訳:イエロードッグ>
Well she's walking through the clouds
With a circus mind that's running round
Butterflies and zebras, and moonbeams
And fairytales That's all she ever thinks about
Riding with the wind
When I'm sad, she comes to me
With a thousand smiles she gives to me free
It's alright, she said, it's alright
Take anything you want from me anything, anything
Fly on, little wing
そう、彼女は雲の中を歩いてるのさ
サーカスみたいにお祭り騒ぎ ぐるぐる駆け回って
蝶とかシマウマとか 月の光 それからお伽話
彼女はいつもそんなことばかり考えているんだ
風に乗って自由に飛びながら
悲しい時は彼女が来てくれる
満面の微笑みを浮かべて 僕を解き放ってくれる
だいじょうぶ、と彼女は言う だいじょうぶよ
欲しいものは何でもあげるわ 何でも 何でもね
小さな翼よ 飛び続けなさい
この曲を初めて聴いた時、こう歌ってるのかと思っていた。
Well she’s working through the crowds
It's circumstance running around
(彼女は人混みの中で働いている 忙しく駆け回ってる状況で)
ぜんぜん違ってました〜(恥💦
↑珍しくフェンダー・プレシジョン・ベースを弾いてる。
さて、歌詞を拾って行きます。
「With a circus mind that's running round」
「サーカス気分で走り回る」と訳されていることが多い。
次にシマウマが登場するし、サーカスは円形劇場。その訳でしっくり来る。
「circus」は「ばか騒ぎ,大混乱、愉快で騒がしいもの」という意味もある。
「run round」にも「駆け回る、騒々しく遊ぶ」という意味が回る。
「That's all she ever thinks about」の「ever」は「いつも」を強調。
例)That's all you ever sayなら「あなたはいつもそれしか言わない」。
「Riding with the wind」という言い方があるのか?
Ride on the wind、Ride the wind、Ride like the windが一般的だと思うが。
調べたら、こんな説明を見つけた。
「Riding with the wind」は遮るものがなく自由に素早く前進することの比喩
として使われるらしい。
この場合の「風」は方向と力の象徴。
風によって運ばれるヨットのように、その人は永遠の力によって支援、推進
されることを暗示している。(なるほど)
「With a thousand smiles」の a thousand〜は数え切れないほどの多さ。
例)I owe you a thousand apologies で「本当に申し訳ありません」。
「she gives to me free」は「無償、見返りなしで私にくれる」とも訳せる。
この場合は「自由をくれる、(悲しみから)解き放ってくれる」ではないか。
尚、give to meとgive meは同じ。
「Fly on, little wing」は最初の「Riding with the wind」と韻を踏んでいる。
最後にやっとタイトルの「little wing」が出て来た。
この「little wing(小さな羽)」は妖精の彼女を指してるとも取れる。
「little wing」は愛情や保護を象徴する比喩でもあるらしい。
妖精の彼女が自分(ジミ)を呼ぶ際の愛情を込めたニックネームなのだろう。
「どんな翼でも羽ばたけば、自分らしく飛べる。だから飛び続けなさい」と
自分(ジミ)を励ましてくれている、という解釈の方がいいと思う。
<幻想的な世界観と背景にあるジミの出自>
最初のヴァースはジミの心の中にある童話のような幻想的な世界が歌われる。
貧困で希望のない生活を送っていた幼少期(1)、ジミは魔法使いや空想の世界
に逃避する傾向があったという。
この曲を作った頃は常習化していたLSDの幻覚作用も影響してるはずだ。
その超自然的な異次元空間の女性は、ジミの空想が創り上げたミューズで、
守護天使のような存在である。
幼少期のジミを置いて家を去り、早世した母親を重ねているという説もある。
母親から得られなかった愛情を架空の女性に求めているという見方もできる。
ニューヨークのクラブでリンダは初めてジミのライヴを見て衝撃を受ける。
驚異的な才能は歴然としていたが、誰も気づいてない。観客もジミ本人も。
ジミにレコード契約させデビューさせることが使命だと彼女は考え始める。
リンダはまずストーンズのマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダム
にジミのライヴを観せた。が、アンドリューは関心を示さなかった。
リンダがジミに肩入れしてるのを手伝えば、キースの機嫌を損ねかねない。(2)
↑アンドリュー・ルーグ・オールダムとキース・リチャーズ。
シーモア・スタイン(3)に観せたら、ギターを破壊するジミに彼は尻込みした。
(それはリンダが無断で持ち出したキースのギターだった)
アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーはジミのパフォーマンスを
見て驚く。(4)
チャンドラーはジミをロンドンに連れて行き、自らがプロデューサーを務め、
新しいバンド(5)を結成させレコードデビューさせた。
↑ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとチャス・チャンドラー(右)。
ジミが成功を手中にしたのはリンダが動いてくれたおかげだ。
ジミにLSDも教えたのもリンダである。
歌は苦手というジミに、リンダは「自分で歌いなさい」と薦めた。
ブルースをこよなく愛した彼女は、ブルースを続けることをジミに求めた。
ジミは他のガールフレンドができ、リンダとは疎遠になる。
↓Red Houseは1966年にジミがリンダのために作曲したブルースである。
https://youtu.be/_whI9m0SFys?si=-YTJW0g7KaTOLY8Y
<ディランの影響を受けたボーカル・スタイル>
ディランはジミが最も憧れ続け、影響を受けた白人アーティストである。
ジミのディラン崇拝は、当時の黒人コミュニティの中で異質な存在であった。
黒人のクラブにディランのLPを持参し、「ヒルビリー・ミュージック(6)は
他所でやれ」と叩き出された、というエピソードもある。
↑バンドを転々としていた無名時代。デュオ・ソニックを使用している。
ジミがディラン熱に熱に浮かされるようになったのは、ディランがエレキギタ
ーに持ち替えバンド・スタイルに変わってからだ。
日銭を稼ぐために黒人コーラスグループのバックバンドで毎晩同じ曲を弾き続
ける日々に嫌気がさしつつも、自分の音楽の方向性も見出せずもがいていた
ジミの心に「Like A Rolling Stone」は刺さった。
ディランの比喩表現や反抗的なメッセージ・ソングは、従来の職業的作詞・
作曲家による甘ったるい紋切型の歌詞や曲調とは大きく異なり、自分自身の
音楽を模索していた当時のジミに大きな手がかりとなった。
ディランのトーキングブルース調のルーズだが骨太の歌い方も、自分の歌声
にコンプレックスを持っていたジミを勇気づけてくれた。
「Little Wing」の比喩を多用した詩、ぶっきらぼうだが味わい深い歌い方に
は、こうしたディランの影響が感じられる。
<脚注>
(1)貧困で希望のない生活を送っていた幼少期
ジミは1942年シアトルで生まれる(1945年という説もある)
アフリカ系の父親とアメリカ先住民の母親との間に生まれたブラック・イン
ディアンであった。
母親は17歳でジミを産んだ。父親は出征中だった。
母親は遊び好きでジミを置いて家を出てしまう。そして早世している。
ジミは母の姉夫婦の元で育てられていた。
終戦後、帰国した父に引き取られる。帰還兵の父に仕事はなく貧しかった。
ジミは度々チェロキー・インディアン居留地に住む父方の祖母に預けられた。
最初の記憶は花火だという。看護婦が抱き上げ窓から見せてくれた。
ジミは肺炎で入院してたのだ。
いつも同じ服を着たジミは内向的で、不安そうな表情だったという。
(2)キースの機嫌を損ねかねない
ストーンズは当初ブライアン・ジョーンズがリーダーだったが、キースと後から
加入したミックが主権を握り、マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オール
ダムもその二人に加勢していた。
元々リンダ・キースはオールダムの恋人の友人で、オールダム主催のパーティー
でキースとリンダは知り合い付き合うようになった。
キース寄りのオールダムとしては、リンダがジミを応援するのを看過できない。
実際にリンダとジミの関係を知ったキースは嫉妬に狂い、ロンドン中を探し
回ったり2人のアパートの前で佇んだりしたそうだ。
キースはリンダを失った喪失感を題材に「Ruby Tuesday」を作曲した。
Ruby Tuesdayはリンダ・キースのことなのだ。
(Jimi Hendrix 対訳:イエロードッグ>
Well she's walking through the clouds
With a circus mind that's running round
Butterflies and zebras, and moonbeams
And fairytales That's all she ever thinks about
Riding with the wind
When I'm sad, she comes to me
With a thousand smiles she gives to me free
It's alright, she said, it's alright
Take anything you want from me anything, anything
Fly on, little wing
そう、彼女は雲の中を歩いてるのさ
サーカスみたいにお祭り騒ぎ ぐるぐる駆け回って
蝶とかシマウマとか 月の光 それからお伽話
彼女はいつもそんなことばかり考えているんだ
風に乗って自由に飛びながら
悲しい時は彼女が来てくれる
満面の微笑みを浮かべて 僕を解き放ってくれる
だいじょうぶ、と彼女は言う だいじょうぶよ
欲しいものは何でもあげるわ 何でも 何でもね
小さな翼よ 飛び続けなさい
この曲を初めて聴いた時、こう歌ってるのかと思っていた。
Well she’s working through the crowds
It's circumstance running around
(彼女は人混みの中で働いている 忙しく駆け回ってる状況で)
ぜんぜん違ってました〜(恥💦
↑珍しくフェンダー・プレシジョン・ベースを弾いてる。
さて、歌詞を拾って行きます。
「With a circus mind that's running round」
「サーカス気分で走り回る」と訳されていることが多い。
次にシマウマが登場するし、サーカスは円形劇場。その訳でしっくり来る。
「circus」は「ばか騒ぎ,大混乱、愉快で騒がしいもの」という意味もある。
「run round」にも「駆け回る、騒々しく遊ぶ」という意味が回る。
「That's all she ever thinks about」の「ever」は「いつも」を強調。
例)That's all you ever sayなら「あなたはいつもそれしか言わない」。
「Riding with the wind」という言い方があるのか?
Ride on the wind、Ride the wind、Ride like the windが一般的だと思うが。
調べたら、こんな説明を見つけた。
「Riding with the wind」は遮るものがなく自由に素早く前進することの比喩
として使われるらしい。
この場合の「風」は方向と力の象徴。
風によって運ばれるヨットのように、その人は永遠の力によって支援、推進
されることを暗示している。(なるほど)
「With a thousand smiles」の a thousand〜は数え切れないほどの多さ。
例)I owe you a thousand apologies で「本当に申し訳ありません」。
「she gives to me free」は「無償、見返りなしで私にくれる」とも訳せる。
この場合は「自由をくれる、(悲しみから)解き放ってくれる」ではないか。
尚、give to meとgive meは同じ。
「Fly on, little wing」は最初の「Riding with the wind」と韻を踏んでいる。
最後にやっとタイトルの「little wing」が出て来た。
この「little wing(小さな羽)」は妖精の彼女を指してるとも取れる。
「little wing」は愛情や保護を象徴する比喩でもあるらしい。
妖精の彼女が自分(ジミ)を呼ぶ際の愛情を込めたニックネームなのだろう。
「どんな翼でも羽ばたけば、自分らしく飛べる。だから飛び続けなさい」と
自分(ジミ)を励ましてくれている、という解釈の方がいいと思う。
<幻想的な世界観と背景にあるジミの出自>
最初のヴァースはジミの心の中にある童話のような幻想的な世界が歌われる。
貧困で希望のない生活を送っていた幼少期(1)、ジミは魔法使いや空想の世界
に逃避する傾向があったという。
この曲を作った頃は常習化していたLSDの幻覚作用も影響してるはずだ。
その超自然的な異次元空間の女性は、ジミの空想が創り上げたミューズで、
守護天使のような存在である。
幼少期のジミを置いて家を去り、早世した母親を重ねているという説もある。
母親から得られなかった愛情を架空の女性に求めているという見方もできる。
↑2台目の赤いエレキギターを買ってもらった15歳頃。
2回目のヴァースではその女性が自分(ジミ)を救ってくれる話になる。
彼女は悲しみや苦しみから解き放ってくれ、欲しいものを与えてくれ、飛び
続けるよう励ましてくれる。
ジミの才能をいち早く見出し、売り込んでくれたモデルのリンダ・キースの
存在があったのではないかと思う。
<ジミ・ヘンドリックスの才能に気がついたリンダ・キース>
2回目のヴァースではその女性が自分(ジミ)を救ってくれる話になる。
彼女は悲しみや苦しみから解き放ってくれ、欲しいものを与えてくれ、飛び
続けるよう励ましてくれる。
ジミの才能をいち早く見出し、売り込んでくれたモデルのリンダ・キースの
存在があったのではないかと思う。
<ジミ・ヘンドリックスの才能に気がついたリンダ・キース>
二人は恋仲になり、同棲生活が始まった。
リンダはストーンズの全米ツアーにも同行するようになる。
リンダはストーンズの全米ツアーにも同行するようになる。
ニューヨークのクラブでリンダは初めてジミのライヴを見て衝撃を受ける。
驚異的な才能は歴然としていたが、誰も気づいてない。観客もジミ本人も。
ジミにレコード契約させデビューさせることが使命だと彼女は考え始める。
リンダはまずストーンズのマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダム
にジミのライヴを観せた。が、アンドリューは関心を示さなかった。
リンダがジミに肩入れしてるのを手伝えば、キースの機嫌を損ねかねない。(2)
↑アンドリュー・ルーグ・オールダムとキース・リチャーズ。
シーモア・スタイン(3)に観せたら、ギターを破壊するジミに彼は尻込みした。
(それはリンダが無断で持ち出したキースのギターだった)
アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーはジミのパフォーマンスを
見て驚く。(4)
チャンドラーはジミをロンドンに連れて行き、自らがプロデューサーを務め、
新しいバンド(5)を結成させレコードデビューさせた。
↑ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとチャス・チャンドラー(右)。
ジミが成功を手中にしたのはリンダが動いてくれたおかげだ。
ジミにLSDも教えたのもリンダである。
歌は苦手というジミに、リンダは「自分で歌いなさい」と薦めた。
ブルースをこよなく愛した彼女は、ブルースを続けることをジミに求めた。
ジミは他のガールフレンドができ、リンダとは疎遠になる。
しかし死ぬ直前には、またリンダのことを頼りにしていたという。
「リンダ、僕を見て、聴いて。ブルースをやってるよ」と手紙を送っている。
「リンダ、僕を見て、聴いて。ブルースをやってるよ」と手紙を送っている。
↓Red Houseは1966年にジミがリンダのために作曲したブルースである。
https://youtu.be/_whI9m0SFys?si=-YTJW0g7KaTOLY8Y
<ディランの影響を受けたボーカル・スタイル>
ディランはジミが最も憧れ続け、影響を受けた白人アーティストである。
ジミのディラン崇拝は、当時の黒人コミュニティの中で異質な存在であった。
黒人のクラブにディランのLPを持参し、「ヒルビリー・ミュージック(6)は
他所でやれ」と叩き出された、というエピソードもある。
↑バンドを転々としていた無名時代。デュオ・ソニックを使用している。
ジミがディラン熱に熱に浮かされるようになったのは、ディランがエレキギタ
ーに持ち替えバンド・スタイルに変わってからだ。
日銭を稼ぐために黒人コーラスグループのバックバンドで毎晩同じ曲を弾き続
ける日々に嫌気がさしつつも、自分の音楽の方向性も見出せずもがいていた
ジミの心に「Like A Rolling Stone」は刺さった。
ディランの比喩表現や反抗的なメッセージ・ソングは、従来の職業的作詞・
作曲家による甘ったるい紋切型の歌詞や曲調とは大きく異なり、自分自身の
音楽を模索していた当時のジミに大きな手がかりとなった。
ディランのトーキングブルース調のルーズだが骨太の歌い方も、自分の歌声
にコンプレックスを持っていたジミを勇気づけてくれた。
「Little Wing」の比喩を多用した詩、ぶっきらぼうだが味わい深い歌い方に
は、こうしたディランの影響が感じられる。
<脚注>
(1)貧困で希望のない生活を送っていた幼少期
ジミは1942年シアトルで生まれる(1945年という説もある)
アフリカ系の父親とアメリカ先住民の母親との間に生まれたブラック・イン
ディアンであった。
母親は17歳でジミを産んだ。父親は出征中だった。
母親は遊び好きでジミを置いて家を出てしまう。そして早世している。
ジミは母の姉夫婦の元で育てられていた。
終戦後、帰国した父に引き取られる。帰還兵の父に仕事はなく貧しかった。
ジミは度々チェロキー・インディアン居留地に住む父方の祖母に預けられた。
最初の記憶は花火だという。看護婦が抱き上げ窓から見せてくれた。
ジミは肺炎で入院してたのだ。
いつも同じ服を着たジミは内向的で、不安そうな表情だったという。
(2)キースの機嫌を損ねかねない
ストーンズは当初ブライアン・ジョーンズがリーダーだったが、キースと後から
加入したミックが主権を握り、マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オール
ダムもその二人に加勢していた。
元々リンダ・キースはオールダムの恋人の友人で、オールダム主催のパーティー
でキースとリンダは知り合い付き合うようになった。
キース寄りのオールダムとしては、リンダがジミを応援するのを看過できない。
実際にリンダとジミの関係を知ったキースは嫉妬に狂い、ロンドン中を探し
回ったり2人のアパートの前で佇んだりしたそうだ。
キースはリンダを失った喪失感を題材に「Ruby Tuesday」を作曲した。
Ruby Tuesdayはリンダ・キースのことなのだ。
Ruby Tuesdayの語源は何なのか?Who could hang a name on youは
どういう意味なのか?英語圏でも質問を見受ける。
以前日本版エスクアイアで読んだエッセイによると、英米の高校では男子が
好きな女子に自分の名前を刻んだ指輪を送り、女の子はそれをペンダントに
して首にかける伝統があった。
つまり「この娘は自分の恋人だ」とロックオンするわけだ。
Ruby Tuesdayはブライアンに手伝ってもらって、キースが完成させた。
しかしクレジットからブライアンは外され、ミックとキース共作になっている。
(3)シーモア・スタイン
1966年にリサイアー・レコードを設立した。
パンクがニューヨークとロンドンで台頭し始めた1970年代、ラモーンズや
トーキングヘッズと契約。
1980年代初頭マンハッタンのクラブで踊っていたマドンナを発掘した。
1990年代オルタナティヴ・ロックが出現すると、ザ・キュアー、プリテンダー
ーズ、ザ・スミス、エコー& ザ・バニーメン、デペッシュ・モード、K.D.ラング
を成功に導いた。
ジミ・ヘンドリックスを逃したことはシーモア・スタイン痛恨のミスだろう。
(4)チャス・チャンドラーがジミを初めて見た時の衝撃
「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思った。これほどの才能に
誰も気がついていなかったなんて何か裏があるのでは?と不安になった」とチャ
好きな女子に自分の名前を刻んだ指輪を送り、女の子はそれをペンダントに
して首にかける伝統があった。
つまり「この娘は自分の恋人だ」とロックオンするわけだ。
Ruby Tuesdayはブライアンに手伝ってもらって、キースが完成させた。
しかしクレジットからブライアンは外され、ミックとキース共作になっている。
(3)シーモア・スタイン
1966年にリサイアー・レコードを設立した。
パンクがニューヨークとロンドンで台頭し始めた1970年代、ラモーンズや
トーキングヘッズと契約。
1980年代初頭マンハッタンのクラブで踊っていたマドンナを発掘した。
1990年代オルタナティヴ・ロックが出現すると、ザ・キュアー、プリテンダー
ーズ、ザ・スミス、エコー& ザ・バニーメン、デペッシュ・モード、K.D.ラング
を成功に導いた。
ジミ・ヘンドリックスを逃したことはシーモア・スタイン痛恨のミスだろう。
(4)チャス・チャンドラーがジミを初めて見た時の衝撃
「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思った。これほどの才能に
誰も気がついていなかったなんて何か裏があるのでは?と不安になった」とチャ
ンドラーは言っている。
「クラプトンに会わせてくれるか?」と訊くジミにチャンドラーは「君の演奏を
聴いたら彼(クラプトン)の方から会いに来るよ」と答えたそうだ。
チャンドラーはクリームのステージにジミを呼び、クラプトンに紹介する。
ジミの演奏を聴いてショックを受けたクラプトンは楽屋に引っ込んでしまった。
後に「僕とジェフと二人がかりでもジミにはかなわない」と言っている。
ジェフ・ベックはジミの演奏を聴いて廃業しようかと思ったそうだ。
(5)新しいバンド
ロンドンでオーディションを行い、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・
ミッチェル(ドラムス)と共にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
を結成。1966年10月から活動を始める。
チャス・チャンドラーはジミ以外は白人のミュージシャンを選び、黒人でありな
がら白人向けのロックスターとして売り出した。
そのためアメリカの黒人層からは「白人と組んでいる裏切り者」と見なされる
側面もあった。
(6)ヒルビリー・ミュージック
アメリカ中南部アパラチア山脈地方の人たちを「山人、山岳地方の人、田舎者」
という意味でヒルビリー(Hillbilly)と呼んだことから、この地方の農民や木こり
の間で生まれた音楽、歌、その訛りの強い歌い方をマウンテン・ミュージック、
あるいはヒルビリー・ミュージックと呼ぶようになった。
このヒルビリーの延長がカントリーというジャンルとして定着した。
ニューヨークの黒人コミュニティーにとっては、プロテスタント・ソングは白人
の戯言であり、ディランもカントリーと一緒くたにしてたということだろう。
その上で侮蔑の意味を込めて「ヒルビリー・ミュージック」と言ったと思われる。
<参考資料:NHK ETV ジミ・ヘンドリックス ~神になったギタリスト~(BBC)、
キース・リチャーズ自伝「ライフ」、ミュージックライフ・クラブ、TAP the POP、
洋楽和訳 若者に捧げたい名曲 リトル・ウイング/ジミ・ヘンドリックス、
セッション定番曲その62:Little Wing、洋楽和訳 Jimi Hendrix - Little Wing、
ギター・マガジン、rockin' on.com、Real Sound、、YouTube、、BBC NEWS、
ジミ・ヘンドリクス「鏡ばりの部屋」、KNN KandaNewsNetwork 4knn.tv、
世界一やさしい英会話@汐里 "That's all you ever say."のeverってどんな意味?
、Extra Chill: The Meaning of Jimi Hendrix’s “Little Wing”、Wikipedia、
Language.foundation Native Speaker The Meaning of 'Ride with the Wind'
聴いたら彼(クラプトン)の方から会いに来るよ」と答えたそうだ。
チャンドラーはクリームのステージにジミを呼び、クラプトンに紹介する。
ジミの演奏を聴いてショックを受けたクラプトンは楽屋に引っ込んでしまった。
後に「僕とジェフと二人がかりでもジミにはかなわない」と言っている。
ジェフ・ベックはジミの演奏を聴いて廃業しようかと思ったそうだ。
(5)新しいバンド
ロンドンでオーディションを行い、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・
ミッチェル(ドラムス)と共にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
を結成。1966年10月から活動を始める。
チャス・チャンドラーはジミ以外は白人のミュージシャンを選び、黒人でありな
がら白人向けのロックスターとして売り出した。
そのためアメリカの黒人層からは「白人と組んでいる裏切り者」と見なされる
側面もあった。
(6)ヒルビリー・ミュージック
アメリカ中南部アパラチア山脈地方の人たちを「山人、山岳地方の人、田舎者」
という意味でヒルビリー(Hillbilly)と呼んだことから、この地方の農民や木こり
の間で生まれた音楽、歌、その訛りの強い歌い方をマウンテン・ミュージック、
あるいはヒルビリー・ミュージックと呼ぶようになった。
このヒルビリーの延長がカントリーというジャンルとして定着した。
ニューヨークの黒人コミュニティーにとっては、プロテスタント・ソングは白人
の戯言であり、ディランもカントリーと一緒くたにしてたということだろう。
その上で侮蔑の意味を込めて「ヒルビリー・ミュージック」と言ったと思われる。
<参考資料:NHK ETV ジミ・ヘンドリックス ~神になったギタリスト~(BBC)、
キース・リチャーズ自伝「ライフ」、ミュージックライフ・クラブ、TAP the POP、
洋楽和訳 若者に捧げたい名曲 リトル・ウイング/ジミ・ヘンドリックス、
セッション定番曲その62:Little Wing、洋楽和訳 Jimi Hendrix - Little Wing、
ギター・マガジン、rockin' on.com、Real Sound、、YouTube、、BBC NEWS、
ジミ・ヘンドリクス「鏡ばりの部屋」、KNN KandaNewsNetwork 4knn.tv、
世界一やさしい英会話@汐里 "That's all you ever say."のeverってどんな意味?
、Extra Chill: The Meaning of Jimi Hendrix’s “Little Wing”、Wikipedia、
Language.foundation Native Speaker The Meaning of 'Ride with the Wind'
、Udiscovermusic.jp ザ・ローリング・ストーンズ「Ruby Tuesday」、他>
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