2024年9月21日土曜日

ウエストコースト・ロックを陰で支えた立役者 J.D.サウザー。



寝耳に水とはこういうことなんだろうか。

J.D.サウザーがニューメキシコ州の自宅で亡くなった。享年78歳。
イーグルスの代理人が確認したという。死因など詳しいことは不明。


イーグルスは公式サイトで追悼の意を表明している。

「我々は兄弟であり友人である素晴らしいソングライターを失いました。
J.D.サウザーは1970年代の南カリフォルニア・サウンドの先駆者です。
聡明で才能に溢れ、読書家で、最高のユーモアのセンスの持ち主でした。
食事、映画、マティーニを愛し、生涯を通して多くの犬を飼っていました」

J.D.サウザーは音楽仲間や家族や愛犬を残して、突然いなくなってしまった。






<「もう一人のイーグルス」としての立ち位置>

J.D.の最も輝かしい功績は、グレン・フライやドン・ヘンリーとの共作で多くの
名曲をイーグスに提供したことだろう。

Doolin-Dalton、Best of My Love、James Dean、New Kid in Town、
Victim of Love、Heartache Tonight、The Sad Cafe......


「もう一人のイーグルス」と呼ばれ、彼らとの交流、友人関係は続いた。
イーグルスの2枚目のアルバム「Desperado」の裏ジャケでは、イーグルスの
4人と仲良く「ならず者」に扮してお縄を頂戴して横たわっている。



↑手前、一番右に転がってるのがJ.D.サウザー。



J.D.サウザーはデトロイトで生まれ、テキサス州で育った。
L.A.を目指した理由は「ビーチボーイズが『みんなカリフォルニアの娘だと
いいのに(I wish they all could be California girls)と歌ってたから。
みんなそうじゃないかな」と笑いながら言う。

デトロイト出身のグレン・フライは同じアパートメントに住んでいた。
階下にはジャクソン・ブラウンがいた。

毎朝ジャクソン・ブラウンがピアノで同じ曲(Doctor, My Eyes)を何度も
演奏するので、J.D.は「締め殺してやりたい」と思ったそうだ。



      ↑J.D.サウザーとジャクソン・ブラウン


一方グレン・フライはジャクソン・ブラウンのピアノを聴きながら、作曲
とはこうやるものかと学んだという。

ともあれ3人は仲良くなり、一緒に演奏したり作曲したりしていた。
J.D.とグレン・フライは一時期フォーク・デュオを結成し活動していたが、
コンビ解消後も作曲面でのパートナーシップは続いた。


グレン・フライはリンダ・ロンシュタットのバックバンドに参加。
そのメンバーがイーグルスとして、ジャクソン・ブラウンが契約していた振興
レーベル、アサイラム・レコード(1)からデビューする(2)ことになる。

リンダは「正気なの?リンダ・ロンシュタットのバックバンドという手堅い
仕事を棒にふる気?」と引き留めたという。
まさかアメリカの国民的なバンドに化けるとは・・・


Take It Easyはグレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作でヒットした。
J.D.サウザー、グレン・フライ、ドン・ヘンリーによるBest of My Loveはイー
グルス初の全米No.1(ビルボード)を記録した。

J.D.サウザーはしばしばイーグルスのコンサートにゲスト参加している。



↑手を挙げて歓声に応えるグレン・フライの左にいるのがJ.D.サウザー。




<リンダ・ロンシュタットへの楽曲提供、共演>

やがてリンダがキャピトルからアサイラムに移籍する。(3)
ジョニ・ミッチェルもリプリーズからアサイラムへ移籍。

J.D.サウザーもアサイラムからソロデビュー。
ネッド・ドヒニー、ウォーレン・ジヴォン、元ポコのリッチー・フューレイ(4)
らが集まり、アサイラム一派はウエストコースト・サウンドを完成させて行く。





↑エミルー・ハリス、大笑いしてるリンダの横でギターを弾くJ.D.サウザー



J.D.サウザーはリンダにFaithless Love、White Rhythm and Blueを提供。
彼女のアルバムでPrisoner in Disguise、Sometimes You Just Can't Win
をデュエットしている。

またJ.D.のアルバムにもリンダが参加しており、If You Have Crying Eyes、
Say You Willをデュエットしている。

J.D.サウザーとリンダの声質は相性がよかった。声だけではない。
当時リンダとJ.D.サウザーは恋仲であった。




しかし、その恋は長くは続かなかった。
リンダはステージ上で恋話を始めて泣き出したこともあったという。
後ろにJ.D.サウザー本人がいるという状況だったらしいが、どんな気持ちで
リンダの話を聞いていたんだろう。
リンダはJ.D.作曲のFaithless Love(あてにならない恋)を歌ったのかな。


Faithless Love - Linda Ronstadt
https://youtu.be/NGmUYlsXTD4?si=uo5KR3NnFVojoMx7







<ジャイムス・テイラーとのデュエット>

デュエットといえば、ジェイムス・テイラーのHer Town Too(憶い出の町 )
(1981)ではJ.D.とJ.T.(ややこしいな)の珠玉のハーモニーが聴ける。


James Taylor and J.D. Souther - Her Town Too (Official Music Video)
https://youtu.be/cIIfn8C2y8g?si=ahYQ8SDv61HKKbys



伸びやかで艶があり、低域が豊かなジェイムス・テイラーの声。
スモーキーで甘く哀愁を帯び、空まで抜けそうな澄んだ声のJ.D.サウザー。
異質な二人の声が重なると、それだけで素敵な音楽になる。



(写真:gettyimages)


この曲はジェイムス・テイラー、J.D.サウザー、ワディ・ワクテルの共作。
アメリカではビルボード11位まで上がったようだ。

日本でもFMで流れたり、当時TVで音楽のプロモ・ビデオが流れるように
なった頃(MTVはまだ日本に上陸していない)で、渋谷にできたばかりの
タワーレコードの店頭でもこの曲のプロモ・ビデオをかけていた。


この2人のハーモニーは1979年カーラ・ボノフのデビュー・アルバムの
最後を飾るThe Water Is Wideでも聴くことができる。すばらしい!

Karla Bonoff - The Water Is Wide
https://youtu.be/VCR0MllrO-4?si=acOankpQChG1W-ds







<1981年、2球場で開催されたカリフォルニア・ライヴ>

J.Dサウザーは1980年2月に初来日。新宿厚生年金会館などでライヴを行う。

翌1981年9月ジェイムス・テイラー、J.D.サウザー、リンダ・ロンシュタット
という顔ぶれで来日。
カリフォルニア・ライヴと銘打ってコンサートが行われた。

横浜スタジアムと甲子園球場の2公演のみで、グラウンドはステージのみで、
客席はスタンド席のみという今となっては珍しい形態。



(写真:gettyimages)


ワディ・ワクテル率いるローニン、ダニー・コーチマー、ラス・カンケル、
ケニー・エドワーズ、キーボードはリトルフィートのビリー・ペイン、ローズ
マリー・バトラーがコーラスで参加、という豪華な面々。
プロデューサーはピーター・アッシャーだった。

が、J.T.とリンダがGet Closerをデュエットしたこと、客席で大学のゼミの友人
と再会したことくらいしか憶えてない。
リンダのFaithless LoveではJ.D.サウザーがデュエットで参加してたらしい。
写真を見るとジェイムス・テイラーはタカミネを弾いている。これもレア。



(写真:gettyimages)




<名盤の誉高いYou're Only Lonely (1979) >

J.D.サウザーは1970年代に3枚のソロ・アルバムを発表している。
3枚目のアルバム「You're Only Lonely」 (1979) はアサイラムからCBS移籍後
アルバム。名曲揃いだ。
ウエストコースト・ロックの名盤であり、AORの名盤とも言える。



↑ブルーに黄色のタイトル。思わずジャケ買いしてしまった。


アルバム・タイトル曲You're Only Lonelyは彼が敬愛するロイ・オービソンの
Only The Lonelyへのオマージュ。全米7位のヒットとなった。

ニコレット・ラーソンもデビュー・アルバムで歌ったThe Last in Love、
かつての恋人リンダ・ロンシュタットに提供したWhite Rhythm and Blues。
共に美しく繊細なフォークバラードで、このアルバムの聴きどころである。


J. D. Souther - White Rhythm and Blues
https://youtu.be/9xDHLUxV4uY?si=MIJCQDITo-YaNoBE


R&R、ロカビリー、カントリー色の強い曲が多く、J.D.のバックグラウンドが
伺えるが、聴きやすいウエストコースト・サウンドに昇華させている。




ワディ・ワクテル(g)、ダニー・コーチマー(g)、ダン・ダグモア(g)、ケニー・
エドワーズ(b)、ドン・グロルニック(kb)、リック・マロッタ(ds)、デヴィッド・
サンボーン(sax)、トム・スコット(sax)らが参加。

ウエストコースト・ロックからヨットロック(AOR)へと音楽の潮流が変わっ
てしまう直前の、一番いい時期のサウンドだ

「ア・ロング・バケーション」制作前に大瀧詠一と松本隆が本作を聴きながら、
「こういうアルバムを創りたいね」と話し合ったのは有名なエピソード。




<2000年代のJ.D.サウザー>

J.D.サウザーはその後もマイペースで新譜を出しライヴ活動を続けていた。
他のアーティストとのコラボレーションにも積極的に参加している。

2009年には久しぶりの来日公演。
2013年にソングライターズ殿堂入りを果たす。
2014年にはカーラ・ボノフと来日。
同年、アメリカ音楽協会授賞式で盟友ジャクソン・ブラウンと共演した。



(写真:gettyimages)


Jackson Browne & J.D. Souther - Fountain of Sorrow
https://youtu.be/vHljmLUEk9o?si=cAT7gLDpXg2YT-Bq




2015年には他のアーティストへの提供曲のセルフカヴァー集、Natural History
をリリースしている。
60代最後のJ.D.サウザーが静かに歌うNew Kid In Town、Best Of My Love、
Faithless Loveはなかなか味わい深い。





J. D. Souther - Best Of My Love
https://youtu.be/eO5YmR8IWTE?si=xBWD2KiC2CbHylyd

J. D. Souther - New Kid In Town
https://youtu.be/U_w2O3DImcc?si=41yZblnmk-KBakct



同年に来日し、ビルボード東京/大阪でライヴを行っている。





この人はいい感じで歳を重ね、渋い爺さんになったなと思う。
声もそれほど衰えていない。

J.D.サウザーはカーラ・ボノフとのツアーをこの9月24日にフェニックスから
開始する予定だったそうで、音楽活動にも意欲的だったらしい。

ご冥福をお祈りします。
天国でグレン・フライと再会できますように。




<脚注>

(1)アサイラム・レコード

1970年ジャクソン・ブラウンがアトランティック・レコードと契約する際、
新レーベル「アサイラム」を設立。
出資者のデヴィッド・ゲフィンが社長になった。
ゲフィンはローラ・ニーロ、CS&Nを売り出し音楽界に人脈を持っていた。
アサイラム・レコードはイーグルス、J.D.サウザーなど新人を送り出すと共に、
リンダ・ロンシュタットやジョニ・ミッチェルを他レーベルから移籍させ
大成功を得る。
1973年にアサイラムはエレクトラと合併しゲフィンはその社長に就任した。
アサイラムはカントリーロック系、シンガーソングライター系のミュージシ
ャンを多く抱え人気を博したが、それらの音楽が下火となった1980年代には
衰退して行く。


(2)イーグルスのデビュー
グレン・フライとドン・ヘンリーはアサイラム・レコードに売り込んだが、
まだ無名だった二人に社長のデヴィッド・ゲフィンは難色を示した。
そこでブルーグラスのマルチプレーヤーであるバーニー・レドン、ポコ出身の
ランディー・マイズナー、実績のある二人を加入させやっと契約にこぎつける。


(3)リンダ・ロンシュタットのアサイラムへの移籍
カントリー・ロックの隆盛期のプロデューサー/マネージャーであったジョン
・ボイランはリンダと恋仲になり、彼女のマネジメントに専念する。
リンダをアサイラムに移籍させたのもボイランの功績である。
しかしこの移籍と前後してボイランとリンダの恋愛関係が破綻。
二人の仕事面におけるパートナーシップも解消された。
リンダはJ.D.サウザーと付き合い、マネージャーにはジェイムス・テイラーを
成功させたピーター・アッシャーが就任。プロデュースも兼務する。


(4)リッチー・フューレイ
1974年にポコを脱退。
J.D.サウザー、クリス・ヒルマンとともにサウザー・ヒルマン・フューレイ・
バンドを結成。アルバム2枚を残し解散する。


<参考資料:Billboard Japan、NME JAPAN、Los Angels Time、
ソニーミュージック・オフィシャルサイト、Music Row、Wikipedia、
no+e 追悼 J.D.Souther - ライブ当日は悲しい夜 、Amazon、YouTube、
SYMPATHY FOR THE BOOTLEGS、BEATNIK GROOVE.COM、音楽ライター
金澤寿和の音盤雑感記、駆け足の人生〜ヒストリー・オブ・イーグルス、
gettyimages、他>

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