2016年9月30日金曜日

悪魔のようなあいつは堕ちてゆくのも幸せと歌う。

◆「悪魔のようなあいつ」が制作された経緯

「悪魔のようなあいつ」は1975年6月6日から9月26日までTBS系列で放送された
テレビドラマである。
阿久悠原作、上村一夫作画で講談社ヤングレディに連載された漫画が原作だった。






沢田研二にほれ込んでいたTBSのプロデューサー久世光彦の立案で、コミック、
それを原作としたドラマ、劇中で流れる楽曲と当時としては珍しいメディア連動
型の企画、ドラマ・タイアップによるヒット曲の先駆けであった。

同じく沢田研二と仕事をしたがっていた阿久悠が原作を手掛け、今村昌平の下や
日活で助監督をしていた長谷川和彦が脚本を担当した。
最初は漫画の連載が先行していたが、ドラマの方が進行が早いため途中で追い越
してしまっている。


三億円事件を題材に1975年12月10日に迫る時効に合わせてストーリーが展開
るという設定、犯人の可門良を沢田研二が演じること、若山富三郎、藤竜也、
篠ひろ子、安田道代など豪華なキャスティングが放送前から話題になった。



◆「悪魔のようなあいつ」の内容と反響

横浜山下町のクラブ「日蝕」の専属歌手、可門良は経営者の野々村(藤竜也)
が斡旋で一回10万円で体を売る男娼という裏の顔も持つ。
そして三億円事件の犯人であった。

良に惹かれる女たち、良を追う老刑事(若山富三郎)、三億円に群がる男たち。
末期の脳腫瘍に犯された良は時効まで生き延びるのか。時効は成立するのか。





可門良は交通機動隊指定の自動車修理工で働いていた過去があり、運転技術、メ
カニックに長け、白バイもよく見慣れていた。
また映画のエキストラをやった時に警官の制服を手に入れている。


実際に捜査本部は活動屋(映画関係者)を疑っていて、犯行現場から近い調布の
日活撮影所と大映撮影所、砧の東宝撮影所の美術、衣装、スタントマンの取り調
べを行っていたそうだ。
長谷川和彦は取り調べを受けた現場スタッフから得た情報を脚本に盛り込んだ

そのため当時まだ捜査情報がすべてオープンになっていなかったにもかかわらず、
犯行の背景と経過については説得力のある出来になっている。
特に三億円強奪の再現はなかなか見応えがあった。

老刑事が脅迫手紙の主と現金強奪犯は別という説を取っている点(捜査本部で指
揮をとった平塚八兵衛(1)は単独犯説を主張した)、公表された500円札以外にも
ナンバーが分かってっている一万円札があった(?)という仮説は興味深い。
三億円事件についての元警視総監、秦野章の新聞寄稿も実名で出てくる。

また可門良が特定の飲食店と関係があり、そのクラブを経営者(藤竜也)がゲイ
であったという設定は、奇しくも最有力視されている犯人(2)と共通している。
こうしたリアリティは時効まで半年を切り焦っていた捜査本部を苛つかせた。







映画畑の長谷川和彦はロケを前提とした脚本を書いたが、メガホンを取る久世光
彦は徹底したスタジオでの作り込みにこだわるタイプであった。
最終回の銃撃戦を含め、ほとんどのシーンがセットを組んでの撮影であり屋外で
のロケは街の風景、海などに限られている。



平均10%程度(最高11.6%)と悪くない視聴率であったが、TBS側の要求水準
達しなかったため(「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」をヒットさせた久世ド
マへの期待値は大きかった)数話削り時効の75日前に放送は終了した。

今では考えられないが、ゴールデンタイムにベッドシーン、レイプ、暴力、売春、
同性愛、近親愛など過激でスキャンダラスな内容であり、万人には受け入れらな
かったのではないかと思う。

また提供スポンサー、特に資生堂にとってはこうした題材に加え、妊娠中の女性
に暴力を振るうシーンは決して好ましいものではなかったはずだ。


一方でちゃぶ台を囲む荒木一郎、安田道代、浦辺粂子、若山富三郎とか、悠木千
帆のボケ役など久世光彦ならではのコメディー要素も随所に散りばめられていた。
荒木一郎を初め、デイヴ平尾、尾崎紀世彦、岸部修三、大口広司、などGS出身や
歌手が出演していたのも楽しめる。

どこに行くにもナースの制服か裸しかないという極端な篠ヒロコもよかった(笑)
これは久世光彦の「わかりやすい方がいい」という考えからだそうだ。
彼は登場人物をアイコン化したかったのだろう。






いつも白いピンストライプのスーツで登場するチンピラ役の岸部修三もそうだし、
夏でも黒服の藤竜也も、車椅子の三木聖子、安田道代のエプロン、荒木一郎の
カンカン帽と浴衣みたいなシャツ、ねんねこで子供をおんぶしている細川俊之、
長谷直美の赤いジャンプスーツもアイコン化である。

そのアイコン化の最たるものが、沢田研二が演じる可門良のパナマ帽とサスペン
ダーというファッション(3)でこれは当時、若い男性の間で流行した。
沢田のどこか儚げで退廃的でニヒルな表情、男のエロティシズムを漂わせる雰囲
気も評判になった。



◆ドラマから生まれた大ヒット曲

劇中で沢田研二がクラブ「日蝕」で歌う「時の過ぎゆくままに」はドラマの終盤
8月21日に発売され、オリコンで1位、100万枚近いセールスを記録し彼の代表曲
の一つとなった。

この曲はドラマの主題歌として作られた曲で、沢田研二のために阿久悠が書いた
詞に合わせて曲をつける、いわゆる「詞先」だった。



沢田研二のけだるさを秘めた退廃美に魅せらていた久世光彦と阿久悠は「色っぽ
い歌を作りたいね」と意見が一致。

久世は阿久悠と相談してまず「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。 
映画「カサブランカ」のテーマ曲「As time goes by」が元ネタである。
阿久悠が詩を書き、大野克夫、井上堯之、井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉
俊一と当時のヒットメーカー6人が競作で曲をつけてもらう。


  あなたはすっかり疲れてしまい 生きていることさえ嫌だと泣いた
  こわれたピアノで 想い出の歌 片手でひいては ため息ついた


できてきた曲はどれも魅力あるものだったが、阿久悠と久世光彦が一晩聴き比べ
て大野克夫の曲が選ばれた。




↑写真をクリックすると「時の過ぎゆくままに」が視聴できます。


阿久は沢田研二が所属していた渡辺プロから「堕ちてゆくのも」の歌詞を変える
よう要請されたが固辞した。
「堕ちてゆくのも幸せだよと」は沢田研二の退廃美、作画を担当した上村一夫の
美学「傷つけ合うことこそ美しい」にも通ずるこの歌のキモだと思う。


阿久悠+大野克夫のコンビはこれ以降、沢田研二に数々の曲を提供し、ヒットメ
ーカーとしての地位を確立した。
阿久は「ドラマ発じゃない限り沢田研二との出会いはなかった、その後の膨大な
ヒット曲も出なかったかもしれない、得難いチャンスだった」と述懐している。


生涯で作詞した曲が5000以上という阿久悠は自分の作品で好きなものは?という
質問に対して「『時の過ぎゆくままに』だけはどんな場でもどんな機嫌の時でも
あげる曲だ」と語っている。

沢田研二にとってもキャリア最大のヒット曲の誕生、これ以降のヴィジュアル路
線を方向づけ、と大きなステップとなった。





劇中では沢田研二がマーティンD-45(4)を弾きながらクラブ「日蝕」でこの曲を
歌っているが、実際は口パクで井上堯之バンドが演奏している。

ドラマの前半ではGmで演奏されており、これだと沢田にはややキーが高いい。
中盤からキーEmのヴァージョンが多くなり、ぐっと落ち着いた雰囲気になる。
アコースティックギター2台による弾き語りヴァージョンも使われた。


正式なレコーディングではキーEmでゆったりしたテンポで、井上堯之バンドの
演奏にストリングスが加えられよりドラマチックに仕上がった。
作曲家の宮川泰は「沢田研二がコブシをきかせているのが面白い」と評した。

岸部修三にとってははこの曲が井上堯之バンドでの最後のレコーディングとなり、
「悪魔のようなあいつ」を機に本格的に俳優業に転向した。


番組のテーマ曲および劇中流れるBGMはすべて大野克夫の作曲・編曲で井上堯之
バンドが演奏している。(サウンドトラック盤は長らく廃盤になっている)



◆もう一つの隠れた名曲

「悪魔のようなあいつ」にはもう一つ、挿入歌があった。
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など久世ドラマの「お約束」である出演者の
ギター弾き語りである。


ドラマ後半ではクラブ「日蝕」のバーテンダー香川役のデイブ平尾がホステスたち
(スーザン、立野弓子)と「ママリンゴの唄」を毎回歌った。
作曲は大野克夫で、作詞は市川睦月(久世光彦)のペンネーム。

カルト的な人気をほこる曲ながら、上述のサウンドトラック盤にも収録されず長い

間「幻の曲」となっていたが、後にデイヴ平尾のCD(5)に収録された。




↑写真をクリックすると「ママリンゴの唄」が視聴できます。


<脚注>



(1)平塚八兵衛
帝銀事件、下山事件、吉展ちゃん誘拐殺人事件など、戦後の大事件の捜査で第一
線に立ち続けた敏腕刑事。粘り強い取り調べを得意とする。
落としの八兵衛、喧嘩八兵衛、鬼の八兵衛、捜査の神様などの異名で知られた。
三億円事件は捜査開始から半年後、「切り札」として捜査本部に投入された。

八兵衛はそれまで有力だった複数犯説を一蹴し単独犯説をとった。
その結果、捜査範囲を狭めることになり捜査本部内で不協和音が起こった。
また単独犯説に固執したことで犯人と有力視された少年S(後述)をシロと断定
してしまった。
八兵衛は三億円事件時効の7か月前に辞職している。


(2)最有力視されている犯人
後日「三億円事件犯人考」としてまとめる予定。


(3)可門良のパナマ帽とサスペンダーというファッション
後日「悪魔のようなあいつのファッション」としてまとめる予定。


(4)マーティンD-45 
マーティンの最高峰とされるドレッドノート・ギター。
1970年初頭は日本には4台しかないと言われ、加藤和彦、石川鷹彦、ガロの堀内
と日高富明が所有していた。
沢田研二のD-45は1971年から東海楽器がマーティン正規輸入代理店になってか
のものと思われる。
「悪魔のようなあいつ」の中で沢田研二が1970年代のマーティンのブルーケース
(SKB製ハードケース)を持ってクラブ「日蝕」に入ってくるシーンがある。


(5)「ママリンゴの唄」が収録されたCD
デイヴ平尾/一人~コンプリート・ソロ・コレクション
デイヴ平尾/アナザー・コレクション1970-1981(別テイクを収録)


<参考資料:阿久悠「夢を食った男たち」、久世光彦「マイ・ラスト・ソング、
TAP The Pop、Wikipedia他>

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