2019年9月1日日曜日

アビイ・ロードへと続く長く曲がりくねった道<後篇>

5月6日オリンピック・スタジオでユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネーに着手。
ポール(p)リンゴ(ds)ジョン(g)ジョージ(g)の編成で36テイクを録音。

・・・と記録にはあるが、ブートを聴く限りジョンは何をやってたんだろう?
テイク36が2019ミックスのアウトテイクに収録されるのでそれで判明するか?
ジョージのオブリは削られた箇所もあるが、ほとんど完成テイクに採用されている。
ポールのボーカルも部分的な差し替えとオーバーダブだろう。


↑ユー・ネヴァー〜テイク36。最後のはちゃめちゃな脱線ぶりがいいですな(^^)



この後2ヶ月近く、アビイ・ロード・セッションは中断。
その間アルバム「ゲット・バック」のミキシングが行われていたが、ジョージ以外
の3人は海外にいた。(本当に丸投げなんだ!)
ジョンはカナダで2回目のベッドインを行い「平和を我等に」を録音。


7月1日ポールがアビイ・ロード第2スタジオでユー・ネヴァー〜のヴォーカル録音。
この日を境にポールの頭の中ではアルバムの方向性が固まったらしい。

7月2日から本格的なセッションを再開。



↑楽しそう♪


ジョンはスコットランドで自動車事故を起こし(用水路に突っ込んだそうな)入院
していたため、7月7日までジョン不在のまま3人で行われた。


ポールは当時スタジオから歩いてすぐの所に住んでいたため、他のメンバーよりも
早く来て先に作業を始めていることが多かったようだ。
この日もマーティンD-28の弾き語りで、ハー・マジェスティーを3テイク録音。


その後3人でゴールデン・スランバーキャリー・ザット・ウェイトを録音。
この2曲は最初から併せて録音されている。(既にメドレーの構想があったのだろう)

ポール(p))ジョージ(b)リンゴ(ds)の編成で15テイク録音。
ジョージが弾いたのはフェンダー・ジャズベースだと思われる。






翌3日ポールとジョージがギターをオーバーダブ。
3人でBoy, you're gonna carry that weight … a long timeのコーラスを入れる。
つまり、あのユニゾンのコーラスにジョンは加わっていないということ。


ジョン不在のまま、7月7日にヒア・カムズ・ザ・サンを録音。
ジョージのアコギとガイドボーカル、ポール(b)リンゴ(ds)で13テイク録音。
翌8日にジョージのボーカル、ポールのコーラスを録音。

この後、断続的にオーバーダブが行われた。
7月16日にはハーモニウムと手拍子を。
8月6日、ジョージがエレキをオーバーダブ。
(このトラックは最終的に採用されなかった。潔くエレキをカットしたのは正解)



↑ヒア・カムズ・ザ・サンのカットされたエレキギターのトラックが聴けます。



7月9日マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマーのベーシック・トラックを録音。
この頃ジェフ・エメリック(1)もエンジニアの椅子に復帰している。

そして、この日やっとジョンがスタジオに戻ってきた。。。。が、、、

ヨーコは重傷で妊娠中だったため、絶対安静を命じられていた。
片時も離れられないジョンはヨーコのためにハロッズにダブルベッドを注文。
スタジオ内に運び込ませた。他の3人は唖然。。。。



↑ヨーコがベッドから撮った写真と思われる。みんな嫌だっただろうなー。



翌10日ポールのピアノとボーカル、ジョージ・マーティンのオルガン、ジョージ
のギター、コーラス、リンゴが叩くハンマーの音(2)をオーバーダブ。
ベッドでいちゃついているジョンへ「こっちに来て一緒に歌ってくれないか」と
ポールは声をかけたが、ジョンは「嫌だ」と断った。

ゲット・バック・セッションで何度もこの曲をやらされてジョンは嫌っていた。
したがってマックスウェルズ〜でもジョンは参加していない



7月17日オクトパス・ガーデンにブクブクのSEやコーラスを仲良く入れる。
翌18日リンゴのボーカル録音。



7月17〜23日までポールは一人で朝一(といっても昼過ぎ)でスタジオに来て、
オー・ダーリンを1回だけ歌って録音するという作業を繰り返す
何度も歌い込んでメロディーをモノにするのと、朝一の声の調子いい時を狙って
録音を繰り返したようだ。




サビの野太い声でのシャウトはこうした努力の賜物。
以前だったらこんなの一発でできたのに」とポールはとつぶやいたそうだ。
まだ27歳ですよ。でもアイム・ダウンの頃みたいに易々とは行かなかったんだ。

この曲は8月11日にジョンとジョージのコーラスをオーバーダブ。
ジョンは自分が好きな曲、リンゴの出番の時だけ協力するわけね。分りやすい。



7月23日早くもジ・エンドのベーシック・トラックを7テイク録音。
仮題が「Ending」となっており、アルバム最後の曲という認識で臨んだようだ。

3人のギター・ソロ回し部はこの時点では何を入れるか決まっていなかった。
And in the end….のピアノとボーカルの部分もまだない。

3人でソロを回すアイディアはジョン。彼は自分が3番目と主張していた。
ポールは最初を希望。
で、ポール→ジョージ→ジョンの順で2小節のソロを弾くことになった。
ジョンとポールはエピフォン・カジノ、ジョージはたぶんレスポールだと思う。




8月7日たった1テイクで3人はギター・ソロを決めた。ボーカルもこの日に収録。
8月16日に最後の歌の前のピアノ(2小節だけ)をオーバーダブ。



ポールの描く壮大なメドレーにジョンは否定的かつ非協力的だった。(3)
しかし「メドレーを埋めるために数曲ないか?」とポールが頼むとサン・キング、
ミーン・ミスター・マスタード、ポリシーン・パン(4)を提供してくれた。



サン・キングと次の曲であるミーン・ミスター・マスタードは1曲として録音。
7月24日に35テイク録音。25日と29日にオーバーダブが行われ完成。

ポリシーン・パンとシー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ
1曲として録音された。
7月25日にジョン(ag)ポール(b)ジョージ(g)リンゴ(ds)の編成で39テイク録音。
28日と30日にボーカル、コーラス、エレピなどオーバーダブを施し完成。



そして7月30日にアルバム後半のメドレー全曲の仮編集の作業が行われた。
ここからB面のメドレーをいかにつなげていくかという試行錯誤が始まる。




ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー〜サン・キングはクロス・フェイドでつなげようと
何度も試みたが、オルガンを入れる案に替わり、最終的にコオロギの声などのSE
(ポールが自宅で作った)でつなぐ案が採用された。



ハー・マジェスティは仮編集の段階では、ミーン・ミスター・マスタードとポリシー
ン・パンの間に収録されていた
プレイバックを聴いたポールはハー・マジェスティは省くようエンジニアに指示。

エンジニアがテープをカットして「切った分どうします?」と訊くと、ポールは
「捨てちゃえ」とあっさり言ったとか。





しかし「ビートルズに関するどんな物も捨ててはならない」と上から言われていた
エンジニアは、編集テープの最後に20秒の無音部分を挟んで継ぎ足しておいた


そしてそのままサンプルのラッカー盤が制作されたのだ。
ラッカー盤を聴いたポールは、最後に思いがけず聴こえてくる隠しトラックのような
ハー・マジェスティを面白がり、そのまま残すことにした。

ハー・マジェスティの曲頭のジャ〜ンはミーン・ミスター・マスタードの最後の音
最後が尻切れなのは次のコードがポリシーン・パンのイントロだからである。






ジョンによる美しい曲、ビコーズはこのセッションで4人が最後に取り組んだ曲。
ヨーコが弾くベートーヴェンの月光のコード進行に着想を得て書いたそうだ。

8月1日ジョージ・マーティンによるエレクトリック・ハープシコード、ジョンの
ギター、ポールのベース、リンゴのハイハット(ガイドとして各自のヘッドフォン
に流されただけで録音されていない)の編成で23テイク録音。


テイク16が選ばれ、その日のうちににジョン、ポール、ジョージが三声のコーラス
を録音した。マーティン卿にどう歌えばいいかアドバイスをもらう。
8月4日、コーラスパートを2回ずつオーバーダブする。

8月5日、ジョージがモーグ・シンセサイザーで間奏を入れ終了。
(ビートルズの録音でモーグ・シンセサイザーが使われたのはこれが最初!)




それに触発されたのか、翌6日ポールがマックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー
にモーグ・シンセサイザーをオーバーダブ。



8月5日はスタジオ前の道路で「アビイ・ロード」のジャケット用写真撮影

撮影が終わってから、ジ・エンドにドラムとベースをオーバーダブ。
その後ポールは一人でオー・ダーリンにギターとタンバリンを、ジョンはアイ・
ウォント・ユーにシンセによるノイズ(周囲は反対した)をオーバーダブ。






8月15日、ゴールデン・スランバー、キャリー・ザット・ウェイト、ジ・エンド
ヒア・カムズ・ザ・サン、サムシングにストリングスを重ねる。

ジェフ・エメリックによるとサムシングは残り1トラックでストリングスとジョ
ジのギター・ソロを一緒に入れなければならない、オーケストラはけつカッチン(5)
でもジョージは一発であの間奏を決めた(6)という。


8月20日は第3スタジオのコントロール・ルームでアイ・ウォント・ユーの編集。
ジョンはの2つのテイクのどちらを使うか迷い、結局2つを繋ぎ合せることにした。
(4分37秒「She's so」のブレイク直後に切り替わるのが分かる)
また突然ふっと切れるエンディング(7)もジョンの判断だ。



アビイ・ロードの録音は完了。4人がスタジオに集まるのもこの日が最後(8)だった。


<脚注>

(1)ジェフ・エメリック
15歳でアシスタント・エンジニアとしてEMI ロンドンに入社。
1966年ノーマン・スミスの後任としてビートルズのチーフ・エンジニアに就任。
ジョージ・マーティンの希望だが、ポールの後押しも効いたらしい。
ポール以外の3人からは最初、無視された。
しかしリボルバーで様々なエフェクトや録音方法のアイデアなどを考案したため、
マーティンおよびビートルズに気に入られ信頼を得る。

EMIの厳格な規律を破り、それまでのエンジニアリング手法をどんどん変革。
中期以降のビートルズのサウンド作りの要にもなった。
新しい音に貪欲な彼らの要望、無理難題、ジョンの抽象的希望にも応えた。
とりわけポールとはウマがあったらしい。
ビートルズ解散後もポールのアルバム制作には何度も起用されている。


(2)マックスウェルズ〜のハンマーの音
映画「レット・イット・ビー」ではロードマネージャーのマル・エヴァンスが
Bang bangの箇所でハンマーを叩いてる(ズレまくっているが)。


(3)ジョンはメドレーに反対、非協力的だった。
ジョンは自分の曲とポールの曲が並ぶのを嫌がり、A面は自分の曲、B面はポール
と分けて欲しいと主張し、みんなを困らせた。
ポールのストレートなロックは好きだから手伝う、能天気な曲は大嫌い。
リンゴの手助けはする。ジョージの曲には興味がない。はっきりしている。


(4)ジョンがメドレーに提供した3曲
サン・キングはゲット・バック・セッションの初日に披露しているが未完成。
ミーン・ミスター・マスタードとポリシーン・パンはホワイト・アルバム制作の
前にジョージ宅に集まって録音したイーシャー・デモで聴くことができる。

ミーン・ミスター・マスタードの妹、シャーリーがパムに変更されたのは、メドレ
ー形式での収録が決まり、次の曲ポリシーン・パンとの関連性を持たせるため。


(5)けつカッチン
かっちんは映画撮影でフィルムを回し始める時と終える時に鳴らすカチンコのこと。
カット撮影終了時にも例外的にカチンコを打つことをけつカッチンという。
転じて、納期や最終期限、その後の予定が入っていて動かせないことを言う。


(6)サムシングのギター・ソロ
長年ビートルズ・ファンの間であの間奏はスライドか否か、意見が分かれている。
ジェフ・エメリックは著書でスライド・ギターだったと証言している。
しかしジョージ本人はビートルズでスライドをやったことはないと言っている。


(7)ふっと切れるエンディング
当時、うちのステレオはおかしいのか?と焦って友人に電話したら、やっぱり同じ。
安心した憶えがある。


(8)ビートルズの最後のレコーディング
4人がスタジオに集まったのは8月20日が最後。
が、1970年1月3日にジョンを除く3人が集まってアイ・ミー・マインを録音。
映画でこの曲を演奏しているシーンがあるため、アルバム(この時点ではまだゲット
・バック)にも収録しよう、ということになったためだ。
ジョン不在ではあるが、これがビートルズの最後のレコーディングとなった。
ジョンは既にビートルズとしての活動に興味を失っていた。
もしこのレコーディングに参加してたとしても役に立たなかっただろう。


<参考資料:THE BEATLES RECORDING SESSIONS、、ビートルズ録音年表、
ジェフ・エメリック「ザ・ ビートルズ・サウンド 最後の真実」、YouTube、
ユニヴァーサル・ミュージック、ゲット・バック・セッションの音源と映像、他>

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