2026年10月5日月曜日

ビートルズ来日から60年、未公開写真と福助人形。



1966年のビートルズ来日から60年。未公開写真が見つかったという。
海外でも1963年に録音されたビートルズの未発表デモ音源やライヴ音源(1)が発掘さ
れている。

行方不明だったポールのベース(ハンブルクで最初に購入したヘフナー社の500/1、
ビートルズ最初期のサウンドを創った)が発見され、ポールの手元に戻った。
出尽くした感のあるビートルズ・ネタだが、まだまだ期待できそう?だ。




<ビートルズ来日時の未公開写真が見つかった>

日本武道館の事務所内から、1966年のビートルズ来日公演時に撮影された未公開写真の
ネガフィルム102枚(モノクロ)が発見された。
フィルムに「読売新聞 資料室」などと書かれた紙が巻かれていたという。


     
        ★未公開写真(撮影者不明)



★未公開写真(撮影者不明)


メンバーの服装などから(日付の特定ができない2枚を除き)100枚の写真は公演2日目
の7月1日の午後に撮影されたものと推定(2)(ビートルズ研究家の大村亨さんが鑑定)
武道館のステージでの演奏、楽屋で準備してる様子、宿泊先の東京ヒルトンホテルなど
が写っているという。その一部が公開された。





★未公開写真(撮影者不明)



↑故・内田裕也氏、尾藤イサオ氏の証言どおり、ステージ前の「特等席」(プレス席)
で見ていたことも写真で確認できる。
(セキュリティのため前座は出番が終わったら楽屋に戻らなければならないことになっ
ていたが、二人はプレス関係者のふりをして5回の公演中4回そこで見たという)

内田裕也氏は「すごい音を出していた」と言っていた。
尾藤イサオ氏は「ビートルズはR&Rの不良的なカッコよさがないと軽視していたけど、
4人がそろった瞬間には『本物だ!』って圧倒され感動した。こんな音楽が実際に
あったんだ、すごいと思った」
「日本公演がチャック・ベリーの『ロックン・ロール・ミュージック』からスタート
したのが嬉しかった。一生忘れない」と語っている。





<Sgt.Peppersの福助人形は来日中にジョンが買ったもの>

公開された写真の中に、ジョンが福助人形を笑顔で眺めている写真があった。



★未公開写真(撮影者不明)


ビートルズ・ファンならすぐピンと来るだろう。
この福助人形は1年後に発表された「Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band」
のジャケット写真に使われたものと思われる。







では、深掘りします。(ビートルズ・ファン以外にはどーでもいい話)




<福助人形はいつ、どこで買ったのか?>

ジョンがホテルを抜け出し(3)骨董品を買いに行ったのは7月1日午前。
原宿のオリエンタル・バザーに行ったいうのが通説だったが、六本木の朝日美術で
あった可能性が高い。
朝日美術の店員がその日の午後、ジョンが買った商品をホテルに届けている。
福助人形とジョンの写真が7月1日の午後撮影ということであれば合致する。



↑当時の朝日美術 (麻布材木町、現在の六本木ヒルズ付近)




↑当時のオリエンタル・バザー (神宮前、現在も同じ場所で営業)

(写真:ビートルズ完全日本盤レコード・ガイド ビートルズが日本で買った骨董品)





↑購入した骨董品を抱えホテルに戻ったジョン(写真:FLASH)
この包の大きさから推定すると、福助人形は午後届けてもらったと思える。




7月2日午後、オリエンタル・バザーと北川象牙店(青山南町)もホテルまで販売に来て
(プロモーターであった協同企画の故・永島逹司氏がアレンジしたらしい)、4人は骨董
品や美術品や着物を買ったという。
この時に福助人形を購入したのであれば、7月1日午後撮影には間に合わない。



(撮影:ロバート・ウィテカー)





↑これもロバート・ウィテカー撮影かな?




(撮影:ロバート・ウィテカー)



ポールの着物姿はこの年の12月発売のコンピレーション・アルバム、A Collection 
of Beatles Oldies (But Goldies)のジャケット裏写真でも確認できる。


(撮影:ロバート・ウィテカー)




<撮影者は誰?という謎>

1)武道館のステージ周り、楽屋、ホテルの室内と一部の関係者しか入れなかった場所
で、メンバーたちを至近距離で撮影している。
2)撮影されている4人が構えていない。おそらく彼らと気が置けない間柄と思われる。

それらを考慮すると、同行していた専属カメラマンのロバート・ウィテカー、あるいは
広報担当のトニー・バーロウが撮影者として有力ではないか。(4)


羽田にビートルズが到着した時の写真(5)を確認してみよう。




 
↑羽田にビートルズが到着した時の写真。ビートルズの上に5人いる(パイロットを除く)
口に手を当てているのがマネージャーのブライアン・エプスタイン。
すぐ右のネクタイをしてない男性がロバート・ウィテカー。カメラを手にしている。
エプスタインとウィテカーの後のスーツ姿の人はプロモーターの協同企画の代表、故・
永島達司氏である。

エプスタインの左の男性2人もカメラを構えている。
手前の人はビートルズの広報担当のトニー・バーロウ。
一番左の日本人はカフスボタンのシャツを着ている。カメラマンとは思えない。
手にしてるのはコンパクトカメラのようだし。この人は除外していいだろう。



↑別な写真ではウィテカーがエプスタインの左で撮影している。
トニー・バーロウが左手で掲げているのはフラッシュ?右手のカメラも不思議な形状だ。





ロバート・ウィテカーはブライアン・エプスタインに才能を認められ、1964年から1966
年にかけてビートルズの公式カメラマン(専属写真家)を務めた。
ツアーの舞台裏、レコーディングスタジオ、プライベートなど、4人の自然で飾らない姿
を写真に遺し、ビートルズのアイコン的イメージ作りに深く関わっている。






物議を醸したUS盤「Yesterday and Today」のジャケット写真(ブッチャー・カバー)
(6)など芸術性の高い作品も多数ある。





↑撮影中のロバート・ウィテカー






ロバート・ウィテカーは来日中のビートルズも撮影している。



↑1回目の6月30日夜の公演。プレス席から間近で見るとこんな感じだったのだろう。
(撮影:ロバート・ウィテカー)
ということは、プレス席で見ている故・内田裕也氏、尾藤イサオ氏が写ってる未公開写真
もロバート・ウィテカーが撮影したのでは・・・?





↑武道館のステージに上がるビートルズを後方から捉えた有名な写真。
天井に吊るされた大きな日の丸との対比が見事だ。(撮影:ロバート・ウィテカー)

あれ?ジョージは司会のE.H.エリックと何か言葉を交わしてますね。
ステージ前で見ていた尾藤イサオ氏も「ジョージが手を振ってくれた」と証言してるし。
愛想のいい人だったのかな。



↑5回目となる7月2日夜の最終公演。ジョンがサングラスをかけてたのはこの回だけ。
(撮影:ロバート・ウィテカー)



↑
東京ヒルトンホテル10Fプレジデンシャル・スイートから赤坂を眺めるジョン。
(撮影:ロバート・ウィテカー)



↑ホテルに軟禁状態だった4人は絵を描いていた。(撮影:ロバート・ウィテカー)



トニー・バーロウはデッカ(7)でライナーノーツを書いていたが、エプスタインに引き抜
かれビートルズの広報担当となった。
記録としての写真は撮れるが、プロのカメラマンのような力量はないのではないか。

日本武道館、ヒルトンホテル(ビートルズが宿泊した部屋と同じフロアに読売新聞社の控
え室があった)に出入りできたことを考慮すると、読売新聞関係者の可能性もあり得る。(8)
しかし前述のように、被写体の4人はリラックスしていて他所行き顔をしていない。


ということは、近しい間柄で頻繁に撮影してる人物。
つまりロバート・ウィテカーかトニー・バーロウ。

どの写真も撮影のタイミング、4人の表情や動きの捉え方、構図、光の使い方などが巧み
であることを鑑みると、センスのいいプロのカメラマンではないだろう。
つまりロバート・ウィテカーが有力だと僕は思う。



★未公開写真(撮影者不明)↑警備に誘導され武道館の階段を上がるビートルズ。(2)





★未公開写真(撮影者不明)↑楽屋の姿見で衣装チェックをするリンゴ。(2)
横にいるのはロード・マネージャーのマル・エヴァンズ。
ロバート・ウィテカーが撮りそうなカットだと思いませんか?



ビートルズ来日時の公認カメラマンとして約100時間の滞在に密着した浅井慎平氏は、
「撮影現場ではロバート・ウィテカーと一緒になり、『今、露出いくつだ?』と訊いて
くることもあった」と語っている(当時はオートのカメラはなかった)

未公開写真についても「楽屋で撮影された暗めの写真は、ロバート・ウィテカーが慣れ
ない環境でうまく露出を合わせられずに撮影した可能性もある。バンド専属カメラマン
のネガフィルムがなぜ日本にあるのかという疑問は残るが」と浅井氏は言う。

60年目の未公開写真、撮影者は誰?問題・・・謎は残る。


<脚注>

2026年8月30日日曜日

カントリーの女王ドリー・パートンとI Will Always Love You。



ドリー・パートンが8月25日にテネシー州ナッシュビルで死去した。享年80歳。
腎臓結石と自己免疫系の治療を受け、最後は癌との闘病で亡くなったそうだ。



<ドリー・パートンの功績>

ドリー・パートンは13歳でデビュー。
60年以上にわたって3000曲以上を手掛けた。
70枚以上のアルバムをリリース。全世界で1億6000万枚以上の売り上げを記録。

史上最も売れた女性カントリー・シンガー&ソングライターであり、「カントリー
の女王」としてアメリカ国内はもちろん海外でも親しまれていた。






女優としても活躍している。
1980年の映画「9時から5時まで」ではジェーン・フォンダと共演。
1989年の「マグノリアの花たち」ではジュリア・ロバーツやサリー・フィールド
、シャーリー・マクレーンと共演した。






<ドリー・パートンとチェット・アトキンス>

日本でドリー・パートンを知っている人は多くないだろう。
かなりニッチな層なのかな。僕も含めて。


僕がドリー・パートンを知ったきっかけは、チェット・アトキンスである。
2人ともRCAレコード所属(1)で、カントリー・ミュージックの大御所だ。
ナッシュビルに居住し、ナッシュビルで活動し続けた点も同じ。





2人は仲良しで、TVやコンサートで共演することも多かったようだ。
でも共演の公式録音は(僕が知る限り)1976年のこの曲だけ(2)だと思う。

チェットのギターだけというシンプルな伴奏で、くつろいだ雰囲気で楽しそう
に歌ってる。(時々、笑い声なんかも入ってる)

Chet Atkins & Dolly Parton - Do I Ever Cross Your Mind 




↑これはBlack Smoke's a-Risin'という曲を演奏しているところ。



↓このライヴでは同曲を後半、超高速で演奏。おふざけが大好きらしい。
45回転のレコードを78回転で再生した音を再現してるそうです(笑

Do I Ever Cross Your Mind Live at The Dolly Show 1977





<誰もが知ってるあの歌が!ドリー・パートンの名曲とは>

ドリー・パートンは素晴らしい歌手でエンタテイナーであると同時に、優れた
作詞・作曲家でもあった。
女性シンガー&ソング・ライターの先駆けと言ってもいい。



↑赤いバンダナ柄のウエスタン・シャツの裾を無造作に結ぶ。
ナッシュビルでは今もカントリー・スタイルの女性を見かけるんでしょうか・・・



たとえばオリヴィア・ニュートン=ジョンが1976年にヒットさせたJolene。
ドリー・パートンが1973年に発表した楽曲で、本人の歌もカントリー・チャート
1位を獲得している。
ビヨンセ、マイリー・サイラスも後年カヴァーした。








そして誰もが聴いたことがある「エンダァァァァァ」のあの曲。
1992年の映画「ボディガード」の主題歌「I Will Always Love You」は翌年に
かけ全米シングルチャートで14週連続ナンバー1を記録した。
日本のオリコン洋楽シングルチャートでも、27週連続1位を獲得した大ヒット曲だ。

主演を務めたホイットニー・ヒューストンの持ち歌と思っている人が多いのではないか。
実は違う。





ドリー・パートンが1973年に発表したアルバムに収録されていた楽曲で、彼女自身
による作詞作曲である。翌1974年6月にアルバムからの2枚目のシングルとして発売
され、米ビルボード誌のカントリーチャートで1位を獲得している。
(先に紹介したDo I Ever Cross Your MindはシングルB面曲だった)




<ドリー・パートンの曲が映画主題歌に選ばれた経緯>

映画「ボディガード」の主題歌候補は当初、音楽担当プロデューサーのデヴィッド・
フォスターによって別な曲が用意されていた。
しかし、ホイットニーはその曲に納得しなかったという。

映画の共演者ケヴィン・コスナーの勧めでI Will Always Love Youを聴いたホイ
ットニーは気に入り、これだ!と確信する。





ケヴィン・コスナーがホイットニーに聴かせたのは、ドリー・パートンのオリジナル
ではなく、リンダ・ロンシュタットによるカヴァーだった。
(コスナーは同曲が収録されたリンダのアルバムを愛聴(3)していた)



I Will Always Love You - Linda Ronstadt

Dolly Parton - I Will Always Love You - 1974





フォスターはすぐドリー・パートンに連絡し使用許可を求める。
ドリー・パートンは快諾。
リンダのカヴァーではVerse3(3番の歌詞)が歌われていないことを指摘。
その上でホイットニーのために、ドリー・パートン自ら歌詞の一部を加筆修正する。






ホイットニー版「I Will Always Love You」はデヴィッド・フォスターのアレンジ
とプロデュース手腕によって、ドラマチックなバラードに仕上がった。

ホイットニーのファルセットに続くテナーサックス・ソロも効果的だ。
後半の転調後の展開は、さらにスケール感が重厚である。

I Will Always Love You - Whitney Houston






この曲はホイットニーのアカペラで始り、静かにオケが入る。
アカペラを強く押したのは曲の推薦者でもあるケヴィン・コスナーだった。
フォスターは反対したが、最終ミックスを聴いて納得したという。



「ボディガード」のサウンドトラック盤は、1994年の第36回グラミー賞で「最優秀
アルバム賞」「最優秀ポップ・ボーカル・パフォーマンス(女性)」を受賞。
シングルカットされた「I Will Always Love You」は世界中で2400万枚以上を
売り上げ、ホイットニー最大のヒットにして彼女の代表作となる。





ドリー・パートンのオリジナル、リンダのカヴァー、ホイットニーのカヴァー。
あなたはどれが好きですか?
僕はドリー・パートンが切々と静かに歌うカントリー・バラードが好きです。
ホイットニーのは大袈裟すぎて・・・(個人的感想です)




<エルヴィスに歌わせなかったI Will Always Love You>

実はパートンが「I Will Always Love You」をヒットさせた後、エルヴィスから
この曲をカヴァーしたい(いかにも歌いそう)という申し出があった。
しかしマネージャーのトム・パーカー大佐から出版権の半分を譲渡することが条件(4)
と言われ、パートンは拒否した。

エルヴィスはこの曲の録音を諦め、ドリー・パートンはその後何年にも渡って同曲の
印税を得た上、1982年の再リリースの際にもカントリー・チャートで再び1位を獲得。
さらに「ボディガード」主題歌の世界的大ヒットで、パートンは莫大な印税を手にする。
彼女はそれを慈善活動や寄付(5)に充てた。





エルヴィス側の話に乗っていたら、その後の流れは変わっていたかもしれない。
運命と決断とは不思議である。




<ドリー・パートンの死を悼むメッセージ>

訃報を受けて、ドリー・パートンと親交のあった多くのアーティストたちが追慕、
惜別の念をソーシャルネットワークで綴っている。
テイラー・スウィフト、ビヨンセ、ミック・ジャガー、ロッド・スチュワートなど。
一緒に活動していた時期もあるリンダ・ロンシュタットは喪失感を伝えた。





ポール・マッカートニーはインスタグラムに1974年の初対面時の写真を投稿して、
こう綴っている。いい文章なのでほぼ全文紹介しよう。


偉大なるスターのドリー・パートンが亡くなった知り、本当に悲しいです。
本当に素晴らしい女性でした。
とても快活で生命力に溢れていた女性なので、亡くなったというニュースをなかなか
受け入れられません。
彼女の作曲力、その歌声、慈善活動はカントリー・ミュージック界において比類なき
もので、ドリー・パートンのいない世界で生きていくことなど想像もつきません。
彼女は非常に聡明なビジネス・ウーマンであり、自身の音楽の価値(6)、そして何より
自分が世界中の人々に与える影響力を理解していました。(中略)



↑1974年の写真。左からポール、リンダ、ドリー・パートン、ポーター・ワグナー。
手前は次女メアリー、長女のヘザー。ステラ・マッカトニーはまだ生まれていない。


一緒に「Let It Be」を歌えた(7)ことは私にとってとても光栄なことでした。
彼女と知り合えたことを誇りに思います。そのユニークな才能を尊敬しています。
私や世界中に素晴らしい音楽を届けてくれたドリー・パートンに感謝しています。
いつまでもあなたを愛し続けるでしょう(We will always love you)。
神の御加護を、安らかに。あなたは最高でした。




<脚注>

2026年8月1日土曜日

待ちに待った「ラバーソウル」2026リミックスがやっと発売。



<アンソロジー優先で一年遅れとなったラバー・ソウル>

心待ちにしてた「ラバー・ソウル」リミックス盤の発売(10月2日)が発表された。
オリジナル盤は1965年。本来なら昨年、60周年記念盤として発売されるべきだ。

ところがアンソロジー30周年が優先されて立ち消えになったらしい。
ビートルズの歴史を総括し、未発表音源を初お披露目という企画だったわけだが、
そのアンソロジーから既に30年経過してる、という事実に改めて驚く。


1995年にアンソロジー企画の目玉として、ジョンの遺作のデモテープを生存してた
3人が完成させ3つの新曲を発表することになっていた。
Free As A BirdとReal Love2曲はうまく行ったが、残りの1曲Now And Then
は頓挫しお蔵入りになる。

1995年の技術では分離できなかったカセットテープのジョンの声が現在のAIデミッ
クス(1)を使えば可能だ。
であればFree As A BirdとReal Loveもやり直せる、断念したNow And Thenも
なんとか完成させたいポールの執念もあり、アンソロジー企画優先に働いたという
事情もあるだろう。


↑1965年当時のLP出荷前の最終確認


アンソロジーとラバー・ソウルが同年発売だったとしても、買う人は両方買う。
しかし、アップルとユニバーサル・ミュージックの市場分析と意思決定は違った。

「ラバー・ソウル」リミックス2025はどうなる?延期か?無くなるのか?
CDの新譜がほとんどなくなった昨今、今までのようなパッケージ販売は無理か?
多くのファンが心配していたはずだ。2ヶ月後に発売の朗報が入りホッとしている。




<ビートルズ中期の名盤「ラバー・ソウル」の重要性>

「ラバー・ソウル」はビートルズの進化における転換点となった重要な作品だ。
楽曲制作、使用楽器、レコーディング技法において、従来のポップミュージックの
慣習を超え、冒険的なアプローチを試みた野心作といえるだろう。

1曲1曲の完成度が高いだけでなく、アルバム全体として統一された色に彩られた
芸術性の高い、見方によっては長編作品でもあり、後にコンセプト・アルバムと
称される形式の作品の先駆けとなり、高く評価されている。





ブライアン・ウィルソンは「ラバー・ソウル」に触発されて「ペット・サウンズ」
を制作し、ビーチボーイズの新しい音楽性を開拓した。(2)

「ラバー・ソウル」はさらに革新的な次作「リボルバー」への起点となった。(3)
そして世界中を驚かせた「サージェント・ペパーズ」へと続く。


「ラバー・ソウル」は1965年10〜11月の2ヶ月間で制作されている。
2〜5月に映画「ヘルプ!」の撮影、その合間を縫ってアルバム「ヘルプ!」の制作、
8月には全米ツアー、と4人は忙殺されていた。

ヒットメーカーのレノン=マッカートニーもさすがに曲作りの時間が取れない。
アルバム14曲分を揃えるのは難しかった。
そのためジョン曰く「穴埋め」的なやっつけの曲(4)や「ヘルプ!」でボツにした
曲(5)の再利用でなんとか体裁を整えている。





それでもアルバムを通して聴くと完成度が高いと感じるのは、名曲が多いのと
平均点以下でもいい曲に仕上げてしまう4人のアレンジ・演奏力、つまり時代を
制したビートル・マジックなのかもしれない。


1曲目のDrive My Carのど迫力、グルーヴ感でまず圧倒されるだろう。
Michelle、Girlはとことん美しく切ない。
Norwegian Wood、In My Life、Nowhere Man、と内省的な名曲が多い。
I'm Looking Through Youはポールの軽快なカントリー・ロック。
If I Needed Someoneはジョージの代表曲の1つとなった。






<「ラバー・ソウル」では使用楽器も新たに追加される>

ポールはリッケンバッカー4001Sベースを使用するようになる。
Michelleではルート外しのベースラインを披露。ベースの新境地を開く。
この曲ではアコギ(エピフォンFT-19Nテキサン)も弾いている。



↑エピフォンFT-19Nテキサンの5フレットにカポ。
Michelleを弾いてると思われる。



↑リッケンバッカー4001Sを弾くポール。5フレットにカポを付けている。
VOXのアンプに立てかけてあるのは、ジョンのフラマス12弦ギター。


ジョージは初めてNorwegian Woodでシタールを弾く。
お馴染みのグレッチ、リッケンバッカーの12弦に加え、ストラトキャスター、
エピフォン・カジノ、ギブソンES-345TDと音のバリエーションが増える。

ジョンは愛器ギブソンJ-160Eと前作「ヘルプ!」でも使用したフラマスの12
弦ギターを弾いている。

リンゴはラディックのドラムセットだが「フォー・セール」からバスドラム
の口径が22インチと大型化している。



↑アビイロード第2スタジオ。ラバーソウルで使用した楽器が並んでいる。




<「ラバー・ソウル」リミックス切望の理由>

「ラバー・ソウル」は最もリミックスが期待されるアルバムと言っていい。
オリジナルのステレオミックスは左チャンネルに演奏、右チャンネルにボーカル、
と極端な左右泣き別れで、とても不自然だった。

ステレオ盤をモノラルのプレーヤーで再生した時にバランスよく聴こえるように、
とジョージ・マーティンが判断したためらしい。(6)
また一体型のコンソールで左右のスピーカーがあまり離れていないステレオシステム
でも、左右泣き別れの方がステレオ感を味える、という判断もあったのではないか。





1986年に初CD化された際、ジョージ・マーティンによってやや中央よりのミック
スに修正。それでも不自然な左右泣き別れは踏襲されている。
LP時代との違和感がないように、という配慮だったのだろう。

2009年にビートルズ全アルバムがリマスターされるが、「ラバー・ソウル」は
1986ミックス、1965当時のミックスの両方が収録(以前として不自然)。



今回の2026リミックスについては、プロデューサーのジャイルズ・マーティン
とエンジニアのサム・オケルによって、マスタリング以前の音源まで遡り、AI
デミックス(1)も駆使し新しいステレオミックスが行われた。


The Beatles - Rubber Soul (Pre Order Ad)




 

<「ラバー・ソウル」への思い入れ>

「ラバー・ソウル」は初めて買ったビートルズのLPだった。

中学生のお小遣い事情では、なかなか2000円のLPをポンと買うことができない。
僕たちはシングル、コンパクト盤の収集から始め、持ち回りで「まだ聴いてない
LP」を買ってはカセットテープに録音して聴いていた。

僕が買った「ラバー・ソウル」は国内盤だった。
東芝音楽工業(後の東芝EMI)から発売されたものでレーベルはオデオン。(7)





解説書には「ラバー・ソウルは若者の移ろいやすい心、ゴムのようなはずむ心」
を表している」と書いてあった。大嘘だった。

1965年当時、ローリングストーンズのことを黒人のブルースマンが「プラスチッ
クソウル」と揶揄したのをポールが気に入ってよく口にしていた。
「ラバー・ソウル」はそれをもじったものだ。


収録曲の邦題を見て、どの曲か分からず一瞬迷う。今は英題がスタンダードだ。
「嘘つき女」って何だ?「君はいずこへ」ってどれのこと?


Side A 
ドライヴ・マイ・カー  Drive My Car
ノルウェーの森  Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
ユー・ウォント・シー・ミー  You Won't See Me
ひとりぼっちのあいつ  Nowhere Man
嘘つき女  Think For Yourself
愛の言葉   The Word 
ミッシェル  Michelle

Side B 
消えた恋 What Goes on
ガール   Girl
君はいずこへ I'm Looking Through You
イン・マイ・ライフ  In My Life
ウェイト  Wait
恋をするなら If I Needed Someone
浮気娘 Run For Your Life






「ノルウェーの森」はすばらしい邦題だが、実は誤訳。(8)

森なら複数形のWoodsのはずだ。
Norwegian Woodは内装や家具に使う安価なノルウェイ産の松材のこと。
当時ロンドンでは、労働階級のアパートに使われる安い木材だったらしい。

でも「ノルウェーの森」というタイトルは(たとえ誤訳でも)、「鬱蒼とした
北欧の森」をイメージさせ、なんだか意味深でいいですね。




<「ラバー・ソウル」2026の発売形態>

1CD デジスリーヴ入り+20ページのブックレット付き

スペシャル・エディション 2CD  
Disc2は未発表のセッション録音やデモ音源、シングル 16曲



スペシャル・デラックス・コレクション 4CD
88ページのハードカバーブック付き
Disc2は未発表のセッション録音やデモ音源、シングル 23曲
Disc3はオリジナル・モノ・マスター
Disc4はオリジナル・キャピトルUS盤(収録曲が英国盤と違う)(9)



Blu-ray(スペシャル・エディション)
2026アトモス・ミックス
2026ステレオ・ミックス 96kHz/24bit PCM
デイ・トリッパー/恋を抱きしめよう ビデオ各2ヴァージョン

ヴィニール盤は5LP+7インチシングル、2LP、LPで発売。
カラーLP(オレンジ)もHMV、タワーレコード限定で発売。






<未発表のセッション録音やデモ音源>

スペシャル・エディション(2CD)の16曲で充分かな。
バッキングの演奏がほとんどで、あまり目玉はないように思う。

1. Day Tripper (Songwriting work tape)
2. Day Tripper (2023 mix)
3. We Can Work It Out (Paul’s demo)
4. We Can Work It Out (2023 Mix)

5. Wait (Take3 instrumental backing track)
6. Run For Your Life (Takes1-5 instrumental backing)
7. Norwegian Wood (This Bird Has Flown)(2nd.ver.Take2)
8. Drive My Car (Takes1&2 instrumental backing track)
9. If I Needed Someone (Take1 instrumental backing)
10. In My Life (Take1)
11. Nowhere Man (2nd.version Take5 inst. backing)
12. Michelle (Take1)
13. What Goes On (Take1 instrumental backing track)
14. I’m Looking Through You (2nd.version Take3)
15. The Word (Takes 1&2 instrumental backing track)
16. Girl (Take2 instrumental backing track)





Day Tripperのワークテープ?は何だろう(ワクワク!)
We Can Work It Outのポールのデモはブートで出回っていた。
Norwegian Wood Take2は最終形に近いが、キーが低く怠い雰囲気。

In My Life (Take1)はアンソロジー4に収録済み

Nowhere Manの演奏とコーラスも、アンソロジー4に収録済み
I’m Looking Through You Take3は初音源?

Michelle (Take1)が公開された。既に美しい。ほぼ最終形。



スペシャル・デラックス・コレクション(4CD)のDisc2に収録される
ジョンのデモ「Little Girl」は初登場音源のようだ。
興味があるが、たぶん数回聴けば納得〜という程度ではないかと思う。
Run For Your Life の原型の可能性もある。





<脚注>