2021年3月24日水曜日

日本のロックは1965年のベンチャーズ来日で始まった(1)

 <ビートルズ来日の前年、エレキ・ブームを巻き起こしたベンンチャーズ>

1966年のビートルズ来日は「ビートルズ台風」と呼ばれ社会現象にもなった。
東京公演だけだったが、日本中の人々がその騒動を見聞きしたはずだ。




武道館使用の是非、若者への悪影響の論議、右翼の抗議活動まで起こった。
警察は3万人の警官を動員し首都高速を閉鎖。武道館に3000人の警官を配備。
異常なくらい厳重な警備体制を敷いていた。
その様子はTVニュース、新聞、雑誌でも大々的に取り上げられた。


公演を観た人たちは(音楽的にはともかく)その体験自体が貴重だった。
初日に記者席で見た内田裕也、尾藤イサオはすごい音を出していたと証言。
客席で観た音楽関係者にとっても得るものは大きかったに違いない。

しかしビートルズは既にライブに熱意を失い、演奏は雑になっていた。
なにしろ悲鳴にかき消され、本人たちでさえ聴こえてないのだから。
(日本は思いの他、客席が静かで、4人は演奏力の低下を思い知らされる)




ビートルズ台風は昭和史に残るセンセーショナルな事件だったのは確かだ。
が、日本の若者の心を熱くし、エレキギター・ブームを巻き起こし、ロック
への扉を開いたのは、むしろ前年1965年のベンチャーズ来日ではないか。



<ベンチャーズの初来日1962年はドンとボブの2人だけだった>

実はベンチャーズの初来日は1965年ではない。1962年に一度日本に来ていた。

ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルの出会いから二人はセッションを重ね、シ
トルのナイトクラブに出演。自費でレコーディングも行う。
1960年ノーキー・エドワーズがベーシストとして参加。(ドラムは流動的)(1)



↑ドンがリズムギター、ボブがリードギター、ノーキーがベースを担当。
ドラムはホーウィー・ジョンソン。



ドンはチェット・アトキンスのウォーク・ドント・ラン(オリジナルはジョニ
ー・スミス・トリオ)を簡略化し、軽快な8ビートにして1960年に発売。(2)
これがシアトルKJR局のニュース番組のテーマ曲に採用され注目を集める。

8月にウォーク・ドント・ランは全米チャート第2位、ミリオンセラーを獲得。
全英チャートでも第8位を記録。
11月に日本でもビクターからシングル発売(邦題:急がば廻れ)される。

1962年日本初のアルバム、カラフル・ベンチャーズ(米国で4枚目)が発売。

そのプロモーションのためドンとボブの2人はオーストラリア、ニュージー
ランド、アメリカ、香港、フィリピンのツアー後に初来日(3)
5月18日~5月29日に4回の公演を行なっている。



↑1961年頃のドン・ウィルソンとボブ・ボーグル。(gettyimages)
持っているのはフェンダーのジャズマスターとストラトキャスター。




東芝音楽工業のイベント「リバティ・レコード日本発売記念 /日米ロック・
ツイスト合戦」に出演。(合戦ですよ!)

同じリバティ所属のボビー・ヴィー、ジョー・アン・キャンベル、東芝所属の
弘田三枝子、スリーファンキーズと共演している。
新宿コマ劇場で2日間3回公演を行う。司会は湯川れい子であった。

初日の5月18日は立川基地米軍キャンプで慰問コンサートを行っている。(4)



↑クリックすると1962年5月18日、米空軍立川基地での演奏が聴けます。
(これは海賊盤CDらしい。客席で録ったのか?音は悪いが貴重な記録だ)



赤坂の高級クラブ、コパカバーナにも出演したという記録も残っている。
NTVの「あなたとよしえ」(水谷良重司会)にも出演した。(5月30日放送)



ウッドベースとドラムは日本のハワイアン・バンドのメンバーが担当した。
「別に悪いミュージシャンではなかったが、ビートの感覚が違っていた」と後
にボブは回想している。

この「ビートの感覚が違っていた」という感想は核心をついている。


当時の日本の生演奏はダンスパーティーの伴奏が一般であり、しかも演奏される
のは主にマンボなどのラテン、ハワイアン、ロカビリー、シャンソンであった。
やっとツイストが流行りだしたころでる。



↑1962年3月、日本にもツイスト・ブームがやってきた。(産経フォト)


1962年に日本でヒットした洋楽は、可愛いベイビー/コニー・フランシス、
サン・トワ・マミー/アダモ、素敵な16才/ニール・セダカ、ジョニー・エン
ジェル/シェリー・フェブレ、ブルー・ハワイ/エルヴィス、 レモンのキッス
/ナンシー・シナトラ、など。
また弘田三枝子、伊東ゆかり、金井克子、中尾ミエ、ザ・ピーナッツがこうした
洋楽を日本語でカバーしていた時代である。ポップス創世記だった。

1962年に来日した歌手は、フォークソング・グループのブラザース・フォア、
日比谷野音で子供たちを助ける慈善コンサートを行ったフランク・シナトラ、
TBSでワンマンショーを収録したイヴ・モンタンくらいではないか。


アメリカで新しいムーヴメントになりつつあったベンチャーズ、ビーチボーイズ
など、エレキギターを中心としたスピード感のあるサーフ・ミュージックは1962
年の日本では時期尚早で、ミュージシャンもそのビート感を消化できなかった
ではないかと思う。



<ベンチャーズの黄金期の4人が揃う>

1962年ドンとボブ来日直後メル・テイラーがドラムで加入。全盛期の4人が揃う。
メルに落ち着くまでベンチャーズのドラマーは何度か入れ替わっている。
メル加入までハル・ブレインが代役を務めたレコーディングも多かった。(後述)





メル・テイラーは海軍航空部隊でマーチングドラムを演奏し、除隊後はLAのナイト
クラブや色々なセッションに参加し、腕を上げプロとしてのキャリアを重ねて行く。
メルはジャズ・ドラマーのジーン・クルーパに心酔していた。

セッティングは完全にジャズドラマーである。
左手はレギュラーグリップ。スネアを前方に傾けている。椅子はかなり高い。
グレッチ製の20インチのバスドラのドラムセット。12〜13インチのタム、14〜16
インチのフロアタム、トップシンバル1枚とハイハットだけのシンプルなセットだ。

それで、よくあんなに力強いビートを叩き出せるものだと感心する。
腕を大きく振り上げて叩く、バネの効いたスネアサウンド
トップシンバルとハイハットだけでクラッシュを兼ねている
圧巻のスピード攻撃的なグルーブ感鉄壁の安定感。ベンチャーズの土台だ。


ベンチャーズの典型的なドラミングはドンタタ・ドンタッだろう。(下図)




マーチングバンド出身だけにスネアのルーディメンツはお手の物で、ショートロ
ールやダブルストローク、パラディドルでのフィルインも巧い。

しかしベンチャーズに加入しサーフロックのリズムを叩くことになった際、
スティック・コントロールは得意でも四肢の分解に苦労したようである。

ハル・ブレインは「俺がメル・テイラーに叩き方を教えた」と主張している。
レッキング・クルーのリーダーで多くのアーティストのレコーディングに参加
していた名ドラマーのハル・ブレインは「ベンチャーズの初期のレコーディング
は自分がドラムを叩いた」と言っている。



↑ハル・ブレインとメル・テイラー。


メルの加入前にリードギターはボブからノーキーに交代している。
元バック・オウエンスのバックを務め、ギター・テクニックに長けたノーキーに
任せた方がバンドの将来にいい、というボブの判断によるものである。
ボブ自身もベースの楽しさ、自由さに開眼したことも理由に挙げていた。

ノーキーの音楽的バックグラウンドはカントリーやブルーグラスである。
自身にとってギターヒーローはレス・ポールとチェット・アトキンスだという。
ベンチャーズではフラットピック主体だが、演奏中に入れるフィンガーピッキング
や高度なリック(フレーズ)からその影響が伺える。





<ベンチャーズのレコーディングと参加したミュージシャンたち>

1961年末〜1963年ベンチャーズの録音には多くセッションマンが参加している。
ベンチャーズはツアーで忙しくレコーディングに時間を割けないこともあった。
不在メンバーの穴埋め(5)、丸ごとレッキング・クルーが代役を務めた時もある。
(当時アメリカではツアーとレコーディングの分業制が慣例的に行われていた)

ワイプ・アウトのレコーディングはハル・ブレイン(ds)、ビリー・ストレンジ(gt)、
トミー・テデスコ(gt)、レイ・ポールマン(bs)が演奏しているとか。
(この曲はライブ演奏との違いに違和感を持ってたと言うファンもいる)
レオン・ラッセルもテルスターと朝日のあたる家でオルガンを演奏している。(6)



↑真ん中でテレキャスターを弾いてるのがトミー・テデスコ。
右隣はベース奏者のキャロル・ケイ。珍しくギルドのセミアコを弾いている。




ではベンチャーズのレコードほとんど本人たちが演奏していないかというと、そう
いうわけではないからややこしい。
この時期のアルバムでも、ノーキーに違いないというリードギター、メルならで
はの力強い演奏がたっぷり聴かれる。(7)


ベンチャーズ名義の音源(特に1961-1963年)には以下のバリエーションがある。
1. 正式なフル・メンバー4人による演奏
2. 4人のメンバーに外部ミュージシャンが加わったもの
3. 創設時の2人、ドン&ボブにセッション・ミュージシャンが加わったもの
4. ノーキー&メルの途中加入組にセッション・ミュージシャンが参加したもの
5. メンバーが誰も参加していないレコーディング・セッション

レコーディングに限っては、こうした複雑というか柔軟な体制によって作られる
音楽の総体がベンチャーズと解釈した方がいいかもしれない。



↑珍しいベンチャーズのレコーディング風景。



裏返せば、ライブに関しては(例外を除いて)正式な4人が演奏しているわけだ。
レコードより荒削りで豪快な、本来のベンチャーズ・サウンドが聴ける

そして彼らの絶頂期のライブ音源は1965年の来日公演しか残されていない
しかも当時のライブ収録としては非常にレベルが高いのである。



<フェンダー時代からモズライトへ>

1965年1月、7月の公演を生で聴いた日本のファンたちはモズライトのサウンド、
演奏技術の高さ、スピード感、グルーヴ感に圧倒されたことであろう。




ベンチャーズ=モズライトのイメージ(1965年の日本公演、ノック・ミー・アウ
トなどのジャケットのせいか)が強いが、ベンチャーズがモズライトとエンドース
メント契約をし使用していたのは1963〜1967年の5年間だけである。


1960年のデビューからノーキーがベースを担当していた1963年初頭までは、3人
ともフェンダーを使用していた。
(ジャズマスター、ストラトキャスター、プレシジョンベース)
ベンチャーズといえばモズライトの野太い音だが、フェンダー時代の方が好きと
いう人もいる。



↑ノーキーがストラトキャスター、ボブがジャズマスター。あれ?ドンがプレシ
ョンベースって?こんな編成もあったんだ。ドラムはホーウィー・ジョンソン。


鈴木茂は「当時ストラトキャスターはあまり評判のいいギターではなかった。
ジミ・ヘンドリックスが現れるまでは。むしろ初期のベンチャーズが使ってた
ジャガーとかジャズマスターの方が人気があった」と言っている。



1963年春から使用し始めたモズライトはシングルコイル・ピックアップながら
コイルの巻き数が多く、ハムバッカーにもまさる音量、そして太く甘いサウンド
が得られた
アンプの設定をクリーンにすると音像が際立ち、メロディー弾きに適していた。
ベンチャーズが1965年の来日時に使用していたのは1963年製モデルらしい。





<ベンチャーズ2回目の来日前夜、日本の音楽事情>

1964年3月にウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)が東芝から再発売。 (8)
年明け、ダイヤモンド・ヘッドが大ヒット。エレキ・ブームが到来する。





1965年1月には満を時してベンチャーズ黄金期の4人で来日を果たすわけだが、
その直前に日本での洋楽事情がどうだったのか、検証してみよう。


ロシアより愛をこめて、ブーベの恋人(映画音楽)、ラスベガス万才/エルヴィス
、夢みる想い/ジリオラ・チンクェッティ、花はどこへ行った/キングストン・
トリオ、アイドルを探せ/シルヴィ・バルタン、などのポップス。
ロックでは、太陽の彼方に/アストロノウツ、朝日のあたる家/アニマルズ、
プリーズ・プリーズ・ミー、抱きしめたい、恋する二人 、ビートルズがやって来る
、プリーズ・ミスター・ポストマンとビートルズが一気にヒットし始めた。
急がば回れ/ベンチャーズも41位に入っている。(ミュージックマンスリー)


アストロノウツは典型的なサーフロック・インストゥルメンタルで、リバーブの
効いたビンビン唸るギター(9)と、駆り立てるようなビートが特徴である。
Movin'は太陽の彼方にという邦題で、ノッテケノッテケの後付け歌詞でヒット。
ベンチャーズの急がば回れ、ダイアモンドヘッドと共に人気を博した。






同じサーフロックでも、軽快なサウンドとハーモニーが売りのビーチボーイズより
エレキギターのインストゥルメンタル・サーフの方が日本では売れたのだ。



ベンチャーズの人気が日本で沸騰し、長く親しまれた理由はなぜか?

1. 歌詞がない→英語が分からなくても楽しめる
2. ビートが強烈でツイスト、ゴーゴー、モンキーダンスが踊りやすい
3. 頭拍(1拍目と3拍目)でリズムを取ることもでき日本人でもノリやすい
 (ダイヤモンド・ヘッドのサビは民謡に通じるものがある)
4. ペンタトニック、ハーモニックマイナー・スケールで日本人に親しみやすい



5. メロディーに「泣き」があった(ビーチボーイズにはない=日本人受けしない)
6. 生で聴くモズライトのギターの音圧、太く豪快なサウンドが強烈だった
7. 日本にはないグルーヴ感、スピード感、優れた演奏テクニックに圧倒された
8. 俺たちもエレキをやれるかもしれない、と当時の若者たちに夢を抱かせた
9. (1965年7月来日時は)全国28都市で全58回の公演を行い17万人動員した
10. メンバーたちが紳士的かつ親日的で、日本の文化や日本人との交流を楽しんだ
(1965年1月一緒に来日したアストロノウツは素行の悪さから評判を落とした)

こんなところだろうか。





1968年にノーキーが脱退し、後任のジェリー・マギーが加入
翌年アメリカでハワイ5-0がヒット。
日本では「京都の恋」のヒットで、ベンチャーズ歌謡の黄金期を迎える。



↑1968年7月の新宿厚生年金ホールでのライブ盤。(12月発売)
リードギターがノーキーからジェリー・マギーに変わり、女性キーボード奏者の
サンデー・リーが参加。ベンチャーズのイメージを一新した。
ステージにミニスカートのお姉さんがいるので当時のファンは驚いたそうだ。



ベンチャーズは1965年以降1984年までほぼ毎年(1969、1983年以外)来日。
本国アメリカで人気が衰えても、日本では根強いファンに支持され続ける
メンバーの移り変わりはあったが、2019年まで通算73回の来日公演を果たした。

日本のミュージシャンも加山雄三、寺内タケシ、加瀬邦彦、成毛滋、高中正義、
鈴木茂、Char、渡辺香津美、山下達郎、高見沢俊彦、南こうせつ、などベンチ
ャーズをきっかけにギターを始めたというベンチャーズ・チルドレンが多い。
団塊世代、ポスト団塊世代のアマチュア・ギタリストのほとんどがそうだろう。


すべて1965年のベンチャーズ来日から始まったのだ。




(続く)

3回に分けて1965年のベンチャーズ来日について書くが、ベンチャーズ・ファン
歴が長く見識が広いHさんにお話を伺い、いろいろ教えていただいた。
調べているうちに疑問に思ったことを質問してご意見を伺う、というやりとり
の繰り返しでだんだん見えてきた。お時間を割いていただき本当に感謝です。
また個人で情報をアップされてる方のブログやサイトも参考にさせてもらったが、
コンタクトが取れず許諾のないまま転用させてもらった箇所もある。ご容赦を。
脚注の参考資料に出典を記載しておくので問題がある場合はご一報ください。


<脚注>

2021年3月14日日曜日

続・ギター女子。

マニアックな話が続いたので、たまにはこむずかしいこと抜きで(^^v)

今回はただただギターが似合う、カッコいい女子について。
ギターを着こなせる女子はポイント高い。



ギターマガジン・レイドバック。こんな雑誌が出ていた。

ギターマガジンを卒業した人をターゲットとしているらしい。
洋楽ロック世代(昭和30~40年代生まれ)にとってギターは特別な存在。

レイドバックして(くつろいで、リラックスして)もう一度ギターを弾いて
みませんか? セカンド・ライフをギターで楽みましょう、ということだ。


あえてギタリストじゃなく女の子にオジサン世代垂涎のギターを持たせてる
ところに、あざといマーケティング戦術が見え隠れしている。
一昔前の週刊ポストの表紙と同じ。つい手に取ってしまうのを狙ってる。
いわばハニートラップである。

本屋に行って池田エライザフライングVが目に入れば手が伸びるだろう(笑)


このフライングVは撮影用のようだが、実際に彼女は白を所有している。




エクスプローラーも白。これを抱えてサマになる子ってなかなかいない。




J-200もよく似合う。宝物だそうだ。
ドラマ「デザイナー 渋井直人の休日」と「徹子の部屋」で弾き語りも披露。
ピックアップはL.R.Baggs Anthemを使用。
サウンドホールにコントロール部が見える。



↑写真をクリックするとJ-200を弾く池田エライザが観れます。


ブルーのJ-45っぽいアコギはVG(寺田楽器)だと思う。






市川沙耶もギターマガジン・レイドバックの表紙を飾った。
本人もギター好きみたい。




このギターは撮影用だと思うが、本人所有と思わせてしまう説得力がある。
ヲタな人だから、レスポールはゴールドトップのP-90でしょ、とか言いそう。


フェンダーのミュージックマスター・ベース、オフホワイトも通好み。
ショートスケールで弾きやすい。
ロゴから察するに、1965〜1970年製造と思われる。






小松菜奈と門脇麦が演じる女性ギター・デュオ、ハルレオを描いた映画、
「さよならくちびる」が公開された。(映画はそのうちTVでやるだろう)

歌もギターもいたってふつーけど、ビジュアル的好みで選んでみました。
それでいいのだ。バカボンのパパなのだ。||:3ミ



↑ハルレオの 「たちまち嵐」(作詞・作曲:あいみょん)が観れます。


小松菜奈が弾いてるのはテイラーの224ce-Koa DLX
ハワイ産のコア材の木目が美しい。

門脇麦の方も同じテイラーの312ce JPN LTD 2017。(下の写真は別)
トップはシダー(米杉)、サイド&バックはサプレ(マホガニーの代替)。

映画はイシバシ楽器店協力でギターはテイラーが提供しているようだ。
ちなみにストラップは2人ともLevys製、カポタストはカイザーだった。





ギター弾き語りといえば。。。
2018年に女性ソロ・アーティスト初アコギ1本での弾き語りライブツアーを
成功させたmiwa。
(ギター1本だけで47都道府県制覇を目標に2011年から開始したツアー)




愛器の2000年製ギブソンJ-45サイド&バックがマホガニーではなくローズ
ウッド指板がローズウッドではなくエボニー
そのせいか低域から中域がきれいに鳴るらしい。ギブソン版D-28みたいな?
ブラック・サンバーストではなくナチュラル。(昔のJ-50に相当する)


もう1台の2003年製J-45もまったく同じ仕様。

チューナーは2台ともグローバーのロトマチック・タイプに交換されてある。
2台ともピックアップはL.R.Baggs Anthemが装着されている。
L.R.Baggs Para Acoustic D.I. アコギ用ダイレクトボックスを通している。




この他にサンバーストのJ-45(マホガニー)、小ぶりのB-25(1960年代、
チェリーレッド)、ハミングバード(チェリーレッド)を所有。
ギブソン好きらしい。




エレキもダブルカッタウェイのメロディーメーカーを所有している。
(フライングVはギブソンではなくバッカス製)


ヤマハの上級機LL36AREも出番が多い。
コリングスのドレッドノートD2Hは坂崎幸之助に借りて使ってみたらいい
ので購入。中域から高域が出て使い回ししやすいギターだとか。


その坂崎幸之助の紹介で御茶ノ水の楽器店巡りをし、1945年製と1961年製
のギターで迷ったことを2018年にオールナイトニッポンで明かしていた。
(ギター歴の長いオジサンに相談する。これって正解)

身長149cmと小柄なmiwaはドレッドノートばかり愛用しているが、この日
ヴィンテージを物色して、こんな小さいギターがあるんだと思ったらしい。

彼女がどちらに決めかねたという1961年製の方はB-25なのか?。
いや、違う。ギブソンのカタログにB-25が登場するのは1962年である。

そのギター探しの時の写真を見るとマーティン000-18のようだ。




トータスシェル(鼈甲柄)のバインディングとピックガード、ロングサドル、
クルーソンのオープンバックチューナー、スモールドット・ポジションマーク、
は1945年製、1962年製に共通するスペックだ。




彼女が購入したのはどちらか、両方とも買ったのか、別なヴィンテージを入手
したのか不明だが、000-18はいい選択ではないかと思う。
000サイズは小柄な彼女でも抱えやすく軽いし、音も明るくバランスがいい。
ショートカットにもよく似合う。


とにかくこの人のギター愛は半端ないようだ。
テンション・コードや分数コードなど音楽的にもよく勉強している。
中学生の頃シェリル・クロウを聴いてギターを始めたというのも納得だ。



前にも紹介したさや姉(山本彩)も再登場。
アコギはギブソンのJ-29を使用していたが、最近はマーティンのようだ。
それも王道のD-28



フィッシュマンのピエゾ・ピックアップ、サウンドホール下の側板に取り付け
たグースネック型コンデンサーマイクDPA VO4099、立ちマイクのシュアー
SM-57の3種類の音をライブ、スタジオと用途に応じブレンドしているらしい。
そうとう優秀なエンジニアが音作りに関わっているのは確かなようだ。

2年前からD-15M Street Masterも使用している。
オール・マホガニーで使い古したようなサンバースト色のサテンフィニッシュ。
チューナーもクルーソンのオープンバック型プラスチックを再現している。
弾きやすく柔らく抜ける音とヴィンテージの様な外見が気に入っているそうだ。




↑ゼロ ユニバースのプロモ・ビデオでもD-15M Street Masterが観られる。


(写真のブルースハープ、ホルダーはホーナー製。カポタストはカイザー)




エレキはあいかわらずレスポール・スタンダードが多いようだ。






ビグズビーのトレモロユニット搭載のレスポール・スタンダードはGLAYの
TAKUROからもらったものだそうだ。
めちゃくちゃにカッコ良く鳴ってくれてます、と本人は言っている。
アンプはマーシャル。レスポールとは相性がいい。




目の覚めるようなマイアミブルーのストラトキャスターは、フェンダー・アメ
リカン・プロフェッショナル II

フェンダー・ロゴが目新しいアンプはBassbreakerシリーズ
Bassmanアンプのデザインを基に1960年代の2種類のチューブ・アンプの音を
切り替えられるように設計されている。




エフェクターはVOX Tenelab ST、 オーバードライブはBOSSとベリンガー。


グレッチのホワイト・ファルコン。部屋に置いて眺めるだけでも美しい。
オレンジの6120、クリッパー、カントリージェントルマンも持ってたよね?




どんだけギター好き〜というくらい持ってる。
ギターに囲まれてるとハッピーらしい。抱えているのはPRS SE Custom
この写真だけでもグレッチ4台リッケンバッカーが見える。








昨今はネコも杓子もダンス、ダンスで食傷気味。
その中でガールズバンドに徹してるSCANDALは潔く好感が持てる。
だが、彼女たちはもともとガレージバンド上がりではない。



ボーカル&ダンススクールの講師の勧めで4人は楽器を始めることになった。
バンド名はスクールの向かいの老舗キャバクラの店名に由来するとか(笑)

ストリートライブなど関西で活動。インディーズを経てメジャーデビュー。
ガールズバンド史上最速、結成から5年半で日本武道館で公演を行う。




2017年には日本人女性アーティスト初、HARUNA、MAMI、TOMOMIの3人
フェンダー社とのエンドースメント契約を果たす。
それ以前から3人はスクワイア、メキシコ、ジャパンも含めフェンダーの
ギターを使用することが多かった。

ボーカルとリズムギターのHARUNAは黒か白が好みのようだ。



フェンダーUSA アメリカンスタンダード・ストラトキャスター(黒)
フェンダーUSA アメリカンスタンダード・テレキャスター(黒)
フェンダーUSA エリック・クラプトン・ストラトキャスター(黒)
フェンダー・メキシコ '69 テレキャスター・シンライン(2002 ブルー)
フェンダー・メキシコ クラシック テレ・シンライン・デラックス(黒)
フェンダー・ ジャパン テレキャスターHARUNAモデル(白、金パーツ)
スクワイア テレキャスターHARUNAモデル(銀ラメ、スカルペイント)
フェンダー・メキシコ ポーンショップ・マスタング・スペシャル(ブルー)

※質屋(Pawn Shop)で売られている持ち主が勝手に改造したギターという
コンセプトの実験的なシリーズ。このマスタングもハムバッカー搭載。
スイッチでシングルコイルに切り替え可能。トレモロ・ユニットはなし。





アンプはSHINOS / Luck 6V “HARUNA MODEL” (白)
山下達郎らのエンジニアだった篠原勝氏の会社でオールハンドメイドされた
チューブアンプ。

エフェクターはBOSSのリバーブ、CARL MARTINのオーバードライブ、
アナログ・ディレイ、Fulltoneのオーバードライブ。


リードギターのMAMIもフェンダー系が多く、黒、白、パステルピンク、
シールでデコライズしたもの、ペイントを施したモデルも多い。


レスポール・スペシャルのダブルカッタウェイ(白)、レスポール・スタン
ダード(ブルー)、グレッチのホワイトファルコンも使用している。

アンプはマーシャル。



↑一番好きな「会わないつもりの、元気でね」。マーシャル2段積み〜♫


個人的に見た目はドラムのRINAが好み(^^)

数年前、山野楽器に行ったらRINAモデルのスティック(パール製)があった。
昔はヤマハのスティーヴ・ガット・モデルだったのに。時代は変わった。

このRINAモデルは女性でも握りやすく手首に負担が少ないよう細めの設計。
握力が弱くなったオジサン・バンドのドラマーも買って行くそうである。
当たる角度で接地面積が変わりサウンドにニュアンスを付けやすいチップや
素材選び、重量バランスなど、RINAのアイディアが満載らしい。




RINAのドラムセットはパールのマスターシリーズをカスタマイズしたもの。
ネギドラムのアクリル・スネアシンバルはサビアンを組み合わせている。
正確なリズム、かつ容姿から想像できないようなヘヴィーでタイトな叩き方。
あ、お題のギターから逸れてしまいましたね(笑)


ガールズバンド=ビジュアル系に思われがちだが、4人ともサウンドには強い
こだわりがあるようだ。付いてる音響スタッフも優秀なのだろう。



最後に紹介するのは超絶技巧で速弾きを得意とするギタリスト、鈴木マリア
作詞・作曲・アレンジも自ら手がけ、ボーカルをとる時もある。

あまり知られていないが、森高千里のバックバンドでリードギターを担当。
自身の鈴木マリア with The Super Sonicとしても活動している。



↑鈴木マリアが弾くゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」が観れます。



使用ギターはPRS Santana Retro
カルロス・サンタナのシグネチャーモデルである。
ヘッドのサンスクリット文字はジョージ・ハリソンも好んで使っていた。
たぶん調和とか、そんな意味じゃなかったかな?(違ってたらごめん)

コントロール・ルームで弾いてるので、おそらくコンソールにダイレクト
にプラグインしアンプシミュレーター+エフェクター処理してるのだろう。



↑ヴァン・ヘイレンの「パナマ」も弾いてます。


使用ギターはESPの廉価版ブランド、エドワーズの27フレットモデル


いや〜、脱帽。
ギターマガジン・レイドバックを読んでるオジサンもここまで弾ける人は
そうはいないでしょう。

ま、めげずにコツコツと練習しましょう。



リットーミュージックさん、ギターマガジン・レイドバックの表紙。
次回はぜひ茅島みずきでお願いします!


<参考資料:ニッポン放送NEWS ONLINE、SCANDAL 使用機材 まとめサイト
弾き語りすとLABO、アコギマニアのブログ アーティスト機材研究、
We Love C.F. Martin Style 18、イシバシ楽器店、映画EXプラス、YouTube、
Stage Gear and Music Equioments、Techinsight、GiGs、フェンダー、
ギターマガジン、ギターマガジン・レイドバック、Wikipedia、Instagram、
アコースティック・ギターマガジン、他>