ラベル クラシック の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル クラシック の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年6月29日土曜日

F・アルディの「さよならを教えて/もう森へなんか行かない」




<Comment te dire adieu(さよならを教えて)>

初めて聴いたアルディは「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」だ。
1968年発表のアルバム「Comment te dire adieu 」のタイトル曲で、シングル盤
でも発売された。

フランスでは1968〜1969年にかけてヒットしたが、なぜか日本では5年遅れの1973
〜1974年にFMでよく流れていた。何がきっかけで売れ出したんだろう?


↓「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」
https://www.youtube.com/watch?v=tINyMbNZytI






原曲はジャック・ゴールド作曲の「It Hurts To Say Goodbye」である。
マーガレット・ホワイティングが1966年に発表。
翌1967年にヴェラ・リンのカヴァーがヒットしている。

いずれも古き良き時代を彷彿させるオーソドックスな3連ロッカバラード(1)だった。
アルディーが聴いても興味を示さなかっただろう。


アルディは本作品のアップテンポのインストゥルメンタル(演奏者不明)をどこかで
聴き、とても「キャッチー」だと感じたという。

彼女が聴いたのは、1967年発表のブラジルのオルガン奏者、ワルター・ワンダレイ
が軽快なサンバのリズムでハモンドオルガンを弾いてるヴァージョンだと思われる。




↓ワルター・ワンダレイの「It Hurts To Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=py2Kui2ye-I




作曲者のジャック・ゴールドも自身のオーケストラで「It Hurts to Say Goodbye」
でカヴァーしているが、1969年リリース。アルディの「さよなら〜」より後だ。

これはセルジオ・メンデス&ブラジル'66かバート・バカラックのようなラテン調の
イージーリスニングである。
むしろアルディの「さよならを教えて」のインストゥルメンタル版という印象だ。




↓ジャック・ゴールド・オーケストラの「It Hurts to Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=WdE9VkFJ-RY






↑左からゲンスブール、アルディ、右はウォーレン・ベイティ(1967年)



アルディはフランス語の作詞はセルジュ・ゲンスブール(フランスの作詞・作曲家、
歌手、映画監督、俳優)に依頼した。(2)
ゲンスブールは ex の音節を持つ単語(3)の連続でリズムを強調することを思いつく。

Sous aucun prétex.../...te, je ne veux / avoir de réflex.../...es malheureux. / 
Il faut que tu m'ex.../...pliques un peu mieux, / comment te dire adieu.
(Kleenexという商品名も使われている)




↑フランソワーズ・アルディとセルジュ・ゲンスブール



さらに、サビは歌メロではなくモノローグのような語りのパートを付け加えた。
演奏はアップテンポでリズムが強調され、歌と同じライン、歌に呼応するオブリガー
トにスタッカートを効かせた軽快なフレンチホルン(4)が加えられている。


この曲がきっかけでアルディは、ゲンスブールとその妻だったジェーン・バーキン
とも親しくなった。




↑セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキン




↑ジェーン・バーキンとフランソワーズ・アルディ



↓珍しいジェーン・バーキンとのデュエット。
https://www.youtube.com/watch?v=0xJwTV7jzwU






↑アルバム「Comment te dire adieu 」のレコーディング中。(5)
あの透明感のある歌声はノイマンのコンデンサーマイクで録音されていた。




「さよならを教えて」はヒットし、アルディの代表曲の一つとなった。
日本でも人気が高い曲である。


木之内みどりが「涙が微笑みにかわるまで」というタイトルでカヴァーしている。

ユーミンが三木聖子への提供曲として作った「まちぶせ」も「さよならを教えて」
から翻案された曲だそうだ。(6)



ユーミンはフランソワーズ・アルディのファンだったそうで、「私のフランソワーズ」
という曲も作っている。 (1974年のアルバム「MISSLIM」に収録)

  たそがれどき ひとりかけるレコード 4年前にはじめてきいた曲を(中略)
  あなたの顔 写真でしか知らない 私はただ遠く憧れるだけ

と歌われている。






ユーミンは「さよならを教えて」からフランソワーズ・アルディを聴くようになっ
たと言っている。(7) フランスで流行った1968年頃だろう。






アルディはデビュー時のイエイエから、ジョニ・ミッチェルにも通じるようなシン
ガー&ソングライターになっていた(8)が、そこはフランス。どこかオシャレだ。


アンニュイな歌声にも、写真からも、フランスのエスプリが感じられた。
ユーミンが憧れを抱いたのはそこなのだろう。


小林麻美もアルディのファンで「どことなく翳があって、不健康な美しさがある、
不安定な愛を歌っているのが魅力」と語っている。(「話の特集」1976年5月号)








<Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)>

1970年代末に再度、日本でフランソワーズ・アルディが話題になる。

1979年4月〜7月にTBS系列で放送された金曜ドラマ枠「沿線地図」のテーマ曲
として、アルディの1967年の曲「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行
かない)」が使用されたのがきっかけだった。





1967年発表のアルバム「Ma jeunesse fout l'camp」のタイトル曲である。


↓Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)」
https://www.youtube.com/watch?v=pBOncEj8Wt0







ドラマは山田太一の脚本で、東急田園都市線沿線に住む家族が抱える問題(思春期
のドロップアウト、親世代の価値観と苦悩、老人の孤独)が丁寧に描かれている。
(自分はこのドラマを見ていない。放送されてたことも後から知った)





ドラマ全編でアルディの「もう森へなんか行かない」と「Si mi caballero(私
の騎士)」(1971年作品)の2曲が繰り返し流れ、切なくメランコリックな雰囲気
が演出されていたらしい。(選曲のセンスがすばらしい!)



↓「Si mi caballero(私の騎士)」
イントロの口笛、同じメロで歌われるハミングがもの悲し気でいい。
https://www.youtube.com/watch?v=8iEi4F-5nkE






「私の騎士」は1971年のアルバム「La Question(私の詩集)」に収録された。

このアルバムはほとんどの曲が、ブラジルの女性シンガー&ソングライター、トゥ
ーカとの共作で、彼女がギターとアレンジでも参加。
アルディのアンニュイな歌声とトゥーカのギター伴奏が見事に融合。名盤である。




↑トゥーカとフランソワーズ・アルディ



ドラマの中で繰り返し流れたことで話題を呼び、この2曲を収録した日本編集の
ベスト盤「もう森へなんか行かない」(1979年エピックソニー)が発売された。
(ジャケットのカバーアートはシングル盤のものを流用)

(ちなみに私が1974年に買ったベスト盤「Francoise」には「森へなんか〜」は
入っていたが、「私の騎士」は入ってなかった)







「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)」に話を戻そう。


原題を直訳すると「私の青春が逃げて行く」というニュアンスだろうか。

私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる

私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった






二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。

フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
厭世的な響きのタイトルとは裏腹に「みんなで森で楽しく踊りましょう、跳んで
踊って気に入った子にはキスしましょう」という内容である。


この童謡は18世紀、グレゴリオ聖歌の旋律に詞を乗せて作られた曲らしい。(9)
ドビュッシーの作品にも「もう森へは行かない」が使われている。(10)







アルディの「もう森へなんか行かない」は、「瞬く間に過ぎ去って行った青春」に
思いを馳せ「もうあの頃へは戻れない」と感傷的になっている歌だと思う。


直訳ではないが、「もう森へなんか行かない」はすてきな邦題だ。
「なんか」という、どこか拗ねたような言い回しがいい。








実は「森へなんか〜」はアルディのオリジナルではなくカヴァー曲である。
フランスのギイ・ボンタンペリ(男性)の作曲で、ミッシェル・アルノー(女性)
が先に歌っていた。

いずれも古典的なシャンソンっぽい歌唱だ。
アルディの内省的でメランコリックな歌の方が曲とうまく共鳴している。









私は近年、港区を席巻しているなんとかヒルズなど、森ビルだらけの威圧的な街
並みを憂いて、「もう森へなんか行かない」と呟く。


時々フランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」が聴きたくなる。
今にも空が泣き出しそうな日は特に。


<脚注>

2022年6月7日火曜日

アリス=紗良・オット 2022ピアノリサイタルに行った。



5月30日、東京・サントリーホールで開催されたアリス=紗良・オットのピアノ

リサイタルに行ってきた。
2018年の「ナイトフォール」ツアー以来4年ぶり、待望の単独来日である。

昨年発売された「エコーズ・オブ・ライフ」のツアーであるが、9月に予定されて
いた来日公演が、新型コロナウイルスの感染拡大のため中止になっていた。

既にヨーロッパ各地で開催され、やっと日本でも7都市を巡るコンサートが決定。
5月30日サントリーホールでの東京公演は最終日だった。



↑大津公演で。叶匠壽庵(和菓子の老舗)の差し入れをいただいたらしい。
                     (写真:Instagram alicesaraott_official) 



<日本のクラシック音楽の歴史を変えたサントリーホール>

サントリーホールは故ヘルベルト・フォン・カラヤン氏の協力により「世界一
美しい響き」を目指し造られた東京初のコンサート専用ホールである。(1)
日本のクラシックはサントリーホール誕生以前と以後に分けて語られるという。

中央にそびえ立つ巨大なパイプオルガンと天吊の照明が厳かな雰囲気を醸し出す。
ヴィンヤード型の客席(ぶどうの段々畑状にステージを囲む)は音響的にも視覚的
にも演奏者と聴衆が一体となって臨場感あふれる音楽体験を共有するためのもの。




側壁を三角錐とし、天井は内側に湾曲させ、全2006席のすみずみに理想的な反射音
伝える構造となっている。
壁面の内装材にはウイスキーの貯蔵樽に使われるホワイトオーク材を、床や客席
の椅子背板にはオーク(楢)材を使用することで、暖かみのある響きを実現。

視覚的にも上質で豊かな気分で音楽が味わえる。



<「エコーズ・オブ・ライフ」はコンセプト・アルバム>

新作「エコーズ・オヴ・ライフ(Echoes Of Life)」は、ショパンの「24の前奏曲 
作品28」に7つの現代作品(2)を間奏曲のように織り込んだコンセプト・アルバム。




前作「ナイトフォール」も「夜の帳が降りてゆく昼と夜の狭間」をテーマとし、
ドビュッシー、サティ、ラヴェルの曲で構成したコンセプト・アルバムだった。
移ろいゆく群青のグラデーションと、夢と現実、光と闇、が美しく紡がれている。

エレクトロニカの雄、オーラヴル・アルナルズとの共演作品「ショパン・プロジ
ェクト」ではポスト・クラシカル(3)にも挑戦した。


彼女は伝統的なクラシック作品を踏襲するだけではなく、自分の感性や解釈を加えた
ストーリー仕立てのパーソナルな表現を目指しているのはないだろうか。
クラシックはもっと自由であっていい、多くの人に自由に楽しんで欲しい、と。(4)

(彼女は交響楽団との共演以外はクラシック・コンサート定番のドレスを着ない。
ラフな格好で裸足でピアノのペダルを踏む。リラックスして演奏したいから。
観客にも自由な格好でリラックスして聴いてもらいたい、と言っていた)




ショパンの「24の前奏曲」はいろいろなピアニストによる録音が山ほどある。
自分ならではのタッチ(感触、作風)を加えない限り出す意味はない。
そこで「24の前奏曲」の合間に7つの間奏曲(インタールード)を置くという
構成を思いついたという。

サブスクやプレイリストなど近年の音楽の聴き方の変化も考慮したようだ。
そういう時代に、必ずしも作品を頭から番号順に録音していく必要はない。

7つの現代作品を織り交ぜつないで行くことで、ショパンの作品とどのように
響き合い、一体となるのか?実験的な試みだったという。



                     (写真:Instagram alicesaraott_official)


アルバムを通して聴き、いかにショパンの作品が現代の音楽と刺激し合えるかを
実感できるものに仕上がったと、アリス=紗良・オットは語っている。

実際に聴いてみて、まったく違和感がなく自然に感じるのに驚く。
現代の7作品がジグソーパズルのピースのようにショパンの24曲に間にぴったり
収まり、旧知の仲のように響き合っている。



<リサイタルは演奏と映像作品のコラボレーションだった>

今回は「エコーズ・オブ・ライフ」をテーマとした映像とのコラボレーション。

ドイツ・グラモフォン120周年記念で行われた森ビルのデジタルアート・ミュ
ージアム「イエローラウンジ東京」のような感じ↓を想像していたが違った。





今回は
建築家のハカン・デミレルが映像作品の制作と演出を手がけている。



                     (写真:Instagram alicesaraott_official)


会場の正面、ピアノの上に設置された大型スクリーンに映像が映し出される。
サントリーホールの場合はパイプオルガンの手前にスクリーンが設置された。

彼女の演奏とシンクロするようにデザインされたデジタル・ビデオ・インスタ
レーション(5)が上映される。


アリス=紗良・オットによって紡ぎ出される音楽とスクリーンに映し出された
映像作品で観客は一人一人イメージの翼に乗って旅をする、という演出だ。

演奏曲はアルバム「エコーズ・オブ・ライフ」収録の24+7曲。(約65分)
休憩なしで一気に演奏される。

映像も1曲ごとに異なる空間が映し出され、さらに曲の流れに沿ってその映像
が刻々と変化して行く。



↑「エコーズ・オブ・ライフ」の映像のトレーラーが観られます。
                     (写真:Instagram alicesaraott_official)



吸い込まれそうな奥行き感、幾何学的で現代的なのに経年の温もりを感じさせる
空間、どこか瀧安寺を彷彿させる庭と建造物。光と陰の角度で変わる時間軸。
そして最後は壮大な宇宙。眩い星の洪水で「旅」は終わる。





驚いたのは24+7曲の演奏と映像が65分間、完全にシンクロしていることだ。
タイミングもそうだが、音と映像のイメージのマッチングが見事だった。

ハカン・デミレルの映像制作チームとは綿密な打ち合わせをしたらしい。



                     (写真:Instagram alicesaraott_official)


終盤「アルヴォ・ペルト:アリーナのために」では映像が消え、仄暗いステージ
演奏するアリス=沙良・オットの姿が浮かびあがる。
繊細な曲だけに(脚注参照)この演出はとても良かったと思う。



↑クリックするとアルヴォ・ペルトの「アリーナのために」が聴けます。

                     (写真:Instagram alicesaraott_official)



<コンサートを見終えて:雑感>

今回は10日間で7地区を廻るタイトなスケジュール。その最終公演である。
彼女は満面の笑顔でステージの袖からスタスタと裸足で歩いて来た。

黒のインナーに黒のワイドパンツ、ロイヤルブルーのカーディガン。そして裸足。
いかにもアリス=紗良・オットらしいスタイルでの登場だった。


ピアノの前に座り、拍手が止むのを待って床からマイクを拾い語り出した。

パンデミックのこと、今回は時間がなく食事を堪能できなかったこと(笑)、
ステージでは裸足で靴が要らないからいつも小さなスーツケースで移動するが、
大きなスーツケースをもう1つ持参し、ドイツで入手しにくくなった日本の食品
をまとめ買いしたこと。。。


これから始める演奏と映像で、一人一人が自分のイメージで旅をして欲しい、と
前置きが終わると、照明が落ちコンサートが始まった。



↑1曲目、トリスターノの「イン・ザ・ビギニング・ワズ」が聴けます。
                     (写真:
Instagram alicesaraott_official)



席は1階センターブロックの前から2列目。かぶりつきである。
鍵盤の上を華麗に舞う彼女の手も、音に感情を込める表情までよく見えた。

客席に数台、鍵盤の脇に手元を撮るビデオカメラが設置されていた。
後日BSで放送されるのかもしれない。



↑矢印の辺りの座席だった。
(インスタグラムのストーリーから部分スクショした写真を使わせてもらった。
流れて消えてしまうため撮影者を確認できず、使用許可も取れず。お許しを)



間近で聴くスタンウェイの生音の良さ、サントリーホールの音響特性。
あの華奢な体でよくあんな凄みのあるフォルテッシモが出るものだ。
そして繊細でありながらも会場全体に響き渡る美しいピアニッシモ。



          
↑最後の曲、アリス=紗良・オット「ララバイ・トゥ・エターニティ」。 
                          (写真は別な公演:Instagram alicesaraott_official)


ピアニスト、アリス=紗良・オットはステージでの所作が美しくカッコいい。
流れるように鍵盤の上を自在に滑る両手、ときおり宙を舞う片手、ハンドクロス、
体全体で鍵盤を叩きつけ思い切りよく手を引くミュート。
天を仰ぎ音に身をまかせ陶酔した表情。鼻筋が通った横顔がきれいだ。



                                                            (写真:Instagram alicesaraott_official) 


65分間の演奏を終えた彼女は(いつものように)右手を胸に当てて感謝の意を
表し笑顔で深々とおじぎをし、祈るように両手を合わせて礼を言う。
この人はタレ目のせいか笑うと子供みたいにかわいい。
それからさっと踵を返し、入って来た時と同じようにステージを後にする。



                                          (写真は別な公演:Instagram alicesaraott_official)


鳴り止まぬ拍手に、結局3回も挨拶をしにステージに戻った。
そして3回目、(最終日だけのようだが特別アンコールに応え)サティの「グノ
シエンヌ第1番」を弾いてくれた。

前作「ナイトフォール」収録曲である。
アリス=紗良・オットのサティを最後に聴けるとは思いがけないプレゼントだ。
弾きながら彼女が気持ちよさそうにハミングしているのまで聴こえた。



↑「グノシエンヌ第1番/3番、ジムノペディ第1番」が視聴できます。(2019年)
              (写真は別な公演:Instagram alicesaraott_official)



コンサートの余韻に浸りながら会場を後にする。少しだけ肌寒い。
彼女はこの後すぐに成田からドイツへ帰国すると言っていた。

次の来日はいつになるのだろう。今度の新譜は何がテーマになるのだろう。
アリス=紗良・オットはどんな「旅」に連れて行ってくれるのだろうか。


<脚注>

2021年1月15日金曜日

ウエストサイド物語は革新的なミュージカルだった。

年末年始のテレビって毎年、本当につまらない。
そんなわけで。ドラマの一挙放送や昔の映画を録画して見ていた。
その中の一つがウエストサイド物語。(1961年公開アメリカ映画)




中学か高校一年の頃に一回見ただけなのに、有名なトゥナイトはもちろん、
マリア、アメリカ、マンボ、クールなどの劇中歌はほとんど憶えていた。 

昔はボーッと見ていたが、この歳になって初めて気づくことも多い。
人種問題、移民、分断、銃、暴力。
今もアメリカが抱える闇は根深く、半世紀以上も続いてるのだ。



<映画「ウエストサイド物語」の概要>

舞台は1950年代のニューヨーク、マンハッタン。
セントラルパークを境に西側が移民が多く住むスラム街だった頃の話だ。
二つの不良グループが縄張り争いで一触即発の状態だった。




地元で幅を利かせていたポーランド系白人の人少年の非行グループ、ジェッツ。
プエルトリコ系移民たちの新興勢力、シャークス。

ジェッツの元リーダーで更生し真面目に働いていたトニーは、初めてのダンス
パーティーに胸を弾ませていたマリアと出会い、二人は恋に落ちる。
が、マリアはシャークスのリーダー、ベルナルドの妹だった。




両グループの決闘を止めようとしたトニーだったが、親友リフを刺殺され激怒。
ベルナルドを刺し、自らも銃殺されてしまう。


お察しのとおり、元ネタはシェイクスピアのロミオとジュリエットだ。
舞台を1950年代のニューヨークに置き換えている。
モンタギュー家とキャピュレット家を、ジェッツとシャークスに。
トニー=ロミオ、マリア=ジュリエット、ベルナルド=ティボルトである。

原作との違いは時代と場所だけではない。


ロミオは毒を飲み自殺するが、トニーは銃殺される。
マリアはジュリエットのように自害せず、恨みの言葉を吐き去って行く。

ロミオがバルコニーの下からジュリエットに愛を語る有名なシーンは、
マリアのアパートの外階段をトニーが上り、抱き合い一緒に歌う。
(初めての曲なのに何で一緒に歌える?→ミュージカルですから)




フランコ・ゼフィレッリ監督のロミオとジュリエット(1968年公開)は、
ロミオが木からバルコニーに上り、ジュリエットと一夜を共にする、という
新解釈(オリヴィア・ハッセーの見事なヌードも含め)が話題になった。
今思うと、そのシーンもウエストサイド物語に着想を得たのかもしれない。



<ジェッツとシャークスの環境>

不良グループの片方、ジェッツはポーランド系移民二世で構成されている。
白人とはいえ最下層階級である。仕事もせず集団で非行を重ねている。

2代目リーダーのリフはグループを率いているが、すぐに熱くなり衝動的に
なるメンバーも多く、組織的に統制が取れていないように見受けられる。





今回見て初めて気がついたのだが、リフを演じているラス・タンブリンは
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966年公開 東宝)で
水野久美(東宝怪獣映画ファンのマドンナ)と共演している。(1)

ウエストサイド物語から5年後のラス・タンブリンは少し太り、かつての
不良少年の面影は消え、すっかりオジサン化していた。





リフは初代リーダーのトニーを兄のように慕い頼りにしている。
二人ともジェッツが根城にしているドクの店で育った孤児のようだ。

リフの恋人を含めあばずれ女子3人がジェッツと行動を共にしている。
ジェッツに入りたくて付きまとうボイーッシュな少女がいるが、取り巻きで
はなく「男として認められたい」トランスジェンダーのようである。
(この時代で既にこういう問題に触れている点が興味深い)




シャークスのベルナルドの恋人、アニタがドクの店にマリアからトニーへの
伝言を届けに来ると、ジェッツは集団レイプしようとする民度の低さである。







一方シャークスはプエルトリコ系移民でアメリカに来て日が浅いらしい。
アメリカでの待遇への不満を口にしている。低賃金で働いているのだ。




ベルナルドの恋人、アニタが率いる女子グループもお針子の仕事をしている。
マリアもその一人。ベルナルドは妹のマリアを気にかけている。
同郷人としての結束感からか、女子グループはシャークスと親密である。





シャークス自体もベルナルドの指示に従い統制が取れている。


シャークスも女子も顔を塗っているがヒスパニック系の顔立ちではない。
役者で本当にプエルトリコ人なのはアニタ役のリタ・モレノだけである。




ベルナルド役のジョージ・チャキリスはギリシャ系の二世。(2)
マリア役のナタリー・ウッドにいたってはロシア系移民の娘。
本名もロシア名。どちらかというとジェッツの側にいる方がしっくり来る。
チコちゃんに「何であんたがそっちにいんのよ」と叱られそうだ(笑)



<映画「ウエストサイド物語」誕生の背景>

「ウエストサイド物語」は1957年ブロードウェイ初演のミュージカルである。
その構想が持ち上がったのは8年前、第二次世界大戦後間もない1949年だった。

ニューヨーク・フィルハーモニーの指揮を弱冠25歳で任された天才音楽家、
レナード・バーンスタイン。
クラシックバレエ・ダンサーとして活躍した後に、新進気鋭の振付家として
ブロードウェイの寵児となっていたジェローム・ロビンス。


2人は当時30歳そこそこで既に一流の仕事をして認められていた。
若い世代の2人だからこそ、繁栄と恐慌、戦後を経験したアメリカの空気を
敏感に捉え「ロミオとジュリエット」を下敷きとした、移民、貧困、人種差別、
銃、暴力などの問題を織り込んだ今までにない新しいミュージカルを作ろう、
という発想が生まれたのだ。

2人は劇作家・脚本家のアーサー・ロレンツ(後に「追憶」「ロープ」「愛と
喝采の日々」を手がける)に台本を依頼する。



↑左からスティーヴン・ソンドハイム(作詞)アーサー・ロレンツ(脚本)、2人
挟んでレナード・バーンスタイン(作曲)ジェローム・ロビンス(演出・振付)


構想8年7ヶ月をかけ開幕した作品は全米にセンセーションを巻き起こす。
それまでのミュージカルはハッピーエンドのラブコメが主流だったのに対して、
この作品の舞台は荒みきったスラム街。

描かれていたのはタブー視されていた人種間の差別や対立といった社会問題。
台詞や歌詞には俗語や卑猥な表現が使われ、リアリティと生々しさがあった。

不良少年を演じる若者たちが歌い、自身で大胆な踊りを披露するスタイルも、
シンガーとダンサーの分業制が一般だったミュージカル界では革新的だった。


この大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルを映画化したのが本作だ。
(1961年公開、配給:ユナイテッド・アーティスツ)
監督はロバート・ワイズ。(4年後「サウンド・オブ・ミュージック」でも受賞)





映画版「ウエストサイド物語」は批評家、観衆からの絶大な支持を得て1961年
のアメリカ国内第2位の興行成績を記録。
アカデミー賞11部門中10部門を受賞、という快挙を成し遂げた。


クールな演技と大胆なダンスを披露したベルナルド役のジョージ・チャキリス
が助演男優賞、その恋人アニタ役のリタ・モレノが助演女優賞を受賞。

主演の2人はダンスの見せ場もそれほどないせいか受賞していない。
映画で歌われる曲も人々を魅了。サウンドトラック盤も空前の売り上げとなる。




<「ウエストサイド物語」で生まれた数々の名曲>

音楽を手がけたレナード・バーンスタインはアメリカが生んだ最初の国際レベル
の指揮者、作曲家、ピアニスト、20世紀後半のクラシック音楽界のスターである。
バーンスタインで初めてアメリカはクラシック音楽家を生んだとも言われた。(3)



↑右端のピアノに寄りかかっている人がバーンスタイン。歌の指導をしている。


1957年ニューヨーク・フィルの常任指揮者就任の前年、39歳だったバーンスタ
インが書いた「ウエストサイド物語」の音楽は彼の代表作となった。
クラシックの手法を用いながら、ラテン、ジャズの要素を取り入れ、音楽で各
シーンの雰囲気や緊張感、高揚感を演出している。

以下、印象的だった劇中曲の解説。


◆プロローグ(演奏のみ)
映画の冒頭、ジェッツとシャークスの対立が少年たちの動きと指を鳴らす音で
表現されるが、音楽でも不協和音を巧みに使いその不和を暗示させている。
その不協和音はトライトーン(三全音)と呼ばれ、ルート音に対し増4度(半音6
つ分)の不安定な和音となり、不安感を醸し出すのに効果的である。(4)

後半、動きに合わせて音楽もリズムが加わりスピード感が出てくる。
ストリングスとブラスでトライトーンを加えたドミナント7thコード、ディミニ
ッシュ・コード(5)を使いながら、派手な演出をしている。
ジョージ・チャキリスが足を高く上げる有名なシーンもここで登場する。



↑クリックするとプロローグのダンス・シーンが観られます。


◆体育館でのダンス(演奏のみ)
ラテンのリズムを基調とした組曲になっている。
マリアッチ調のプロムナードから一転してマンボへ、トニーとマリアの出会いの
シーンではスローなチャチャチャに。ここでもフィンガー・スナップが効果的だ。


◆アメリカ
プエルトリコ系の女性たちがアメリカでの暮らしの豊かさを、シャークスの男たち
はアメリカでの待遇の悪さを、応酬のように掛け合いで歌い踊る。
ヘミオラと呼ばれるラテンの混合リズム(8分の6拍子と4分の3拍子の組み合わせ)
で、タタタ・タタタ・タン・タン・タンが小気味好い。



↑クリックするとアメリカの歌とダンスが観られます。


◆トゥナイト 
トニーとマリアがアパートの外階段で愛を語り合う最も有名なシーン。
2人が交互に、後半は一緒に歌う。繰り返す転調が高揚する気持ちを表している。
このテーマは後半の五重唱でも出てくる。


◆トゥナイト(五重唱)
リフとベルナルドが決闘に掛ける意気込みを不穏なメロディで歌い、ジェッツと
シャークスの合唱が加わり、さらにアニタの歌も入る。
その後トニー、マリアによるトゥナイトのリフレインが入り、最後は全員の合唱
になる。(トニー、マリアのパートはカウンターメロディーとなる)



↑マリア役ナタリー・ウッドとアニタ役リタ・モレノと監督のロバート・ワイズ。
クリックするとトゥナイト(五重唱)が観られます。


◆すてきな気持ち
マリアが働いているブライダル店で、素敵な人に愛される喜びを歌う。
ラテン調ワルツでI feel prettyと上昇メロディが繰り返され高揚していく。
マリアッチ(メキシコ民謡)風のアレンジが楽しい。
同僚の女子たちがフラメンコ調の手拍子で歌いながらマリアを茶化す。

この映画でマリア役のナタリー・ウッドの一番の見せ場だと思う。




↑クリックするとナタリー・ウッドのI Feel Prettyが観られます。


◆クール
リーダーを刺殺され殺気立つジェッツにメンバーの一人が落ち着けと呼びかける。
半音進行のメロディ、弱音でスイングするリズムがまさにbe coolである。
後半テンポアップしブラスを効かせた派手なインストゥルメンタルに合わせ、
暗い駐車場でジェッツの狂気を帯びたダンスになる。掛け声と手拍子が効果的。





俳優たちの歌は大部分が吹き替えである。(6)
ナタリー・ウッドは本人が歌ったものの、より完璧な歌にしたいMGM側の意向で、
ゴーストシンガーの歌に差し替えられた。
撮影終了後に初めて自分の声が使われないと知ったウッドは激怒したそうだ。



<革新的だった振り付けとダンス>

前述のように、この映画の演出・振付担当はクラシックバレエ・ダンサー出身の
ジェローム・ロビンスである。



↑役者たちに振付指導するジェローム・ロビンス。すごい跳躍力!


僕は基本的にミュージカルをあまり好まない。
ミュージカルの大前提、突然、登場人物が歌い踊り出すことに違和感を持つから。

人が死んでるのに歌ってる場合かよ、救急車呼べ、と突っ込みを入れたくなる。
(妻にそーゆー人はミュージカルを見ない方がいいと言われた。確かに)


そういう意味では、ストリートにたむろする不良グループが突然踊り始める、
しかもそのステップにクラシックバレエが取り入れられているのだから、異様な
光景ともいえる。




しかし赤いシャツを無造作に着たジョージ・チャキリス演じるベルナルドを中心
にシャークスの3人が左脚のバットマン(脚を大きく上げる動き)を見せた瞬間、
その違和感も吹っ飛んでしまう。それくらいインパクトがあり惹き込まれた。



↑手前に穴を掘りカメラを設置。下から煽るように撮影し迫力を出している。



特にジョージ・チャキリスはクールでナイフの切っ先のようにシャープだった。
(劇場で70mmワイドのスクリーンで見ると本当に迫力があった)

シャークスの3人は黒のローカットのバスケットシューズを履いていた。
(中学の同級生が真似して履いてたっけ)
あれはコンヴァースのオールスターだろうと思ってたが、日本ゴム製だった。
後に逆輸入されて、日本の若者にも愛用されるようになったそうだ。




↑ジョージ・チャキリスたちに振付の指導をするジェローム・ロビンス。


「ウエストサイド物語」はミュージカルの新たな境地を切り開いたと言える。
それまで歌の添え物だったダンスが表現の中核を担うようになった。
若者たちは生き生きと、たぎる思い、苦悩、切なさ、刹那的衝動を表現した。
だからこそ、メッセージがダイレクトに観客に伝わり感動を生んだのだと思う。



プロローグでジェッツのリフが、失せろ(Beat It)という台詞を何度か使う。
そう、マイケル・ジャクソンの名曲、今夜はビート・イットのプロモーション・
ビデオは「ウエストサイド物語」のオープニングを模して制作されているのだ。

ストリートギャングの抗争という設定、ボス同士が決闘しそうになる描写、マイ
ケルの赤いジャケット、フィンガーナッピングしながら歌い踊るのも同じだ。



↑マイケル・ジャクソンの今夜はビート・イットが観られます。


振付師はマイケル・ピータース。本人もこのPVに出演している。
ギャングの一方のボス役としてサングラスと白いジャケットを身につけ、相手
のボスとの決闘をマイケルに制止され、群舞に入るがキレの良さは抜群である。
(スリラーのゾンビ・ダンスもマイケル・ピータースが振付を担当している)

1969年にジャクソン・ファイヴでデビューしたマイケルもウエストサイド物語
を少年時代に見ているはずで、その影響が大きい(7)ことは容易に想像できる。



<「ウエストサイド物語」の音楽への違和感>

「ウエストサイド物語」の音楽とダンスは素晴らしい。完成度が高い。
その一方でどこか腑に落ちない部分がある。

1957年ブロードウェイで公開された際、観客層はミドルクラス〜アッパーミドル
層中心だったはずだ。荒んだスラム街の不良たちの抗争は別世界の出来事である。



↑ジェッツとシャークスの抗争シーンの撮影風景。



変な例え方だが、気球の上からサバンナの猛獣たちを見下ろしていた的な、
あるいは苗場プリンスでガラス越しに外のブリザードを眺めていたみたいな。

だから不良たちを演じる役者が、バーンスタインの音楽に合わせてクラシック
バレエを取り入れたダンスを踊ることに斬新さを覚えたが違和感はなかった。


しかし1961年映画公開の時はどうだろう。
劇場に足を運んだのはロウアーミドル〜ロウアークラスのマス層まで広がる。
描かれている当の不良たち、貧困層はこの演出に共感を覚えただろうか。



当時の音楽の流行を振り返ってみよう。




ミュージカル公開の前年、1956年はエルヴィスがチャートを席巻していた。
翌1957年もエルヴィスだ。ポール・アンカやバディー・ホリーもヒットした。

1958〜1960年にエルヴィスは徴兵されるが、未発表曲で人気は衰えなかった。
フランキー・アヴァロン、ボビー・ダーリン、プラターズ、ブレンダ・リー、
コニー・フランシス、レイ・チャールズなどがチャートで1位を獲った。
1961年でもエルヴィスは強い。デル・シャノン、 マーヴェレッツが登場。


この辺の曲を当時、一般大衆は好んで聴いていた。
カーラジオからも聴こえてくるし、スラム街でも流れていたはずだ。

街の不良たちがスクリーンの中に等身大の自分を投影できるとしたら、そこに
流れる音楽はロックンロール、ロカビリー、ポップスではないだろうか。




実は映画「ウエストサイド物語」のキャスティングで主人公のトニー役は、最初
エルヴィスがオファーを受け、本人もやる気充分だった。

マネージャーのパーカー大佐が「ギャングをナイフで刺し殺す役は除隊後のエル
ヴィスのクリーン路線に合わない」と断ったため実現に至らなかった。(8)


もしトニー役をエルヴィスが演じてたらどうだったろう?
エルヴィス中心の映画になってしまったかもしれない。
音楽はエルヴィス向きにロック色が強いものに書き換えられただろうか?




ナタリー・ウッドは恋多き女優として有名で、エルヴィスとも浮名を流している。
1956年エルヴィスの映画「ラヴ・ミー・テンダー」のセットで初めて出会い、
恋仲になるが長続きしなかった。

エルヴィス版トニーとナタリー・ウッドのデュエットも見てみたかった。





<「ウエストサイド物語」の舞台と社会環境/当時と現在>

1950年代のアメリカはメキシコやプエルトリコなど中南米から移民が入ってきて
、先に入植して来た白人から蔑視・危険視(職住域を侵すと)されていた。
「ウエストサイド物語」はこうした社会的背景を基に描かれている。

物語の舞台はニューヨーク、マンハッタンのセントラルパーク西側の地区。
もとは高級住宅地であったが、第二次世界大戦後スラム化が急速に進んだ。
黒人居住地区ハーレムに隣接している。



映画の大部分はロサンゼルスに作られたセットで撮影された。
冒頭の一連のダンス・シーンはアッパー・ウエストサイドのリンカーン・スクエア
付近で、取り壊し予定のビルの解体を延期してもらい撮影が行われた。
(当時リンカーン・センター建設のため再開発中だった)



↑アッパー・ウエストサイドでの撮影風景。


なので聖地巡礼に行きたくても、既に当時の名残りはない。


製作総指揮を務めたウォルター・ミリッシュは映画化を決めた理由について「アメ
リカにおける人種問題を語る絶好の機会になる。観客に作品から学び取ってもらえ
るのではないかと考えた」と語っている。


「ウエストサイド物語」でマリアはジュリエットのように後追い自殺していない。
立ち去ろうとするジェッツとシャークスの少年たちにマリアは激しい口調で言う。

You all killed him. And my brother and Riff.
Not with bullets and guns. With hate!
みんなが彼(トニー)を殺したのよ、私の兄もリフも。
銃弾ではなく、憎しみで。




↑マリア役のナタリー・ウッドに演技指導する監督のロバート・ワイズ。
横たわっているのは銃殺されたトニー役のリチャード・ベイマー。



人種間の対立と分断、銃暴力が激化する現在のアメリカを見るにつけ、本作が今も
大きな意味を持っている気がする。


2021年スピルバーグ監督が長年の夢だった「ウエストサイド物語」のリメイク版
を公開するそうだ。
1961年版でアニタを演じたリタ・モレノが制作総指揮を担当し出演もするらしい。
今回は設定に忠実に、ラテン系の俳優たちを起用する意向と言われている。




登場人物が突然、歌い踊り出すミュージカル仕立てになるのだろうか。
個人的には、エルヴィスやバディー・ホリーなど当時の若者が夢中になったロック
が流れる、アメリカン・グラフィティのようなワンナイト・ムービーにして欲しい。

一向に無くならない人種の壁、分断、憎しみ、偏見、差別、暴力。
そしてコロナ禍の不安と抑鬱感。
今だからこそ、スピルバーグ監督は人々に問いかけたいのだろう。
「ウエストサイド物語」は世代を超えて受け継がれるべきメッセージである。


<脚注>