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2026年1月11日日曜日

ビートルズの妹分シラ・ブラックが歌ったStep Inside Love



シラ・ブラックは親しまれやすいキャラ、ユーモア、会話のアドリブ力を
活かし、歌手活動だけではなく司会者、女優としても人気を博す。



↑STVは
スコットランドの放送局(英国の民放局ITV系列)




<TV番組のオープニング曲、Step Inside Love>

1968年にはBBCで初冠TVバラエティーショー「Cilla」の司会を務める。






番組のオープニング曲、Step Inside Loveはレノン=マッカートニー
の書き下ろし曲(ポールが単独でシラのために作曲)であった。





Cilla Black - Step Inside Love (Cilla 1968)



番組では毎回、多彩なゲストを迎え、楽しいトークとデュエットを披露。
トム・ジョーンズ、ヘンリー・マティス、アンディー・ウィリアムズ、ルル、
マット・モンロー、クリフ・リチャード、フィル・エヴァリー、ドノヴァン、
リンゴ・スター、スコット・ウォーカー、ダドリー・ムーア、 T.レックス、
フランソワーズ・アルディ、ダスティ・スプリングフィールド、サンディ・
ショウ、シュプリームス、ツイッギー、ブライアン・フェリーなど。






Cilla Black & Dudley Moore - If I Fell
↑ダドリー・ムーアのアドリブでシラは笑いすぎて歌えなくなってしまう。





「Cilla」は長寿番組となり、1976年まで放映されている。
シラ・ブラックは英国のお茶の間(って変?)の人気者となった。





その後も「Surprise Surprise」(1)「Blind Date」(2)など超人気
の国民的長寿番組のホストを務め、幅広い層から支持された。
OBE(大英帝国勲章第4位)を受賞したのもこの功績が大きいだろう。






本業の歌手活動も1993年までコンスタントに続けている。
ビートルズの妹分(3)として売り出したシラ・ブラックだが、活動期間と
いう点ではビートルズよりも息の長い歌手・タレントとなった。







<ポールのStep Inside Love作曲術>

ポール・マッカートニーという人は器用な作曲家だなとつくづく思う。
It's For Youもそうだが、このStep Inside Loveもビートルズっぽさが
まるで感じられない。
シラ・ブラックに提供することを前提に、ビートルズ路線とは違うアプ
ローチで作曲されている。

もともとロックだけでなく幅広いポピュラー音楽を好み、ポール自身も
ポップスの作曲家を志していたという。(4)


Step Inside Loveはリズムもコード進行もボサノヴァを取り入れてる。
半音ずつ下降するコード進行、テンション・コードの挟み方が巧い。


ポールの演奏(後述)を耳コピしてコード譜にしてみた。
ギター持ってる方は弾いてみてください。
(ポールのデモはキーD、シラの公式録音ではキーG )




特に注目すべきはヴァースのfind you a place後のAm7→G#7(#9)
、smile on your face後のG→Gm→F#7(#9)。

#9が入った7thコードが2箇所で効果的に配されている。(赤字の→)
「とっておきのコード」でビートルズでは2回しか使わなかったそうだ。(5)




ポールのギター演奏は開放弦の共鳴音をうまく活かしている。
既にアレンジが示唆されており、ジョージ・マーティンの書いたスコアも
ポールのデモに忠実である。




<Step Inside Love 制作過程>

ポールは最初のヴァースとコーラス部をロンドンの自宅で書き上げた。
多重録音のデモテープからスタジオで7インチのアセテート盤を制作。






BBC側からより長い尺を求められ、ポールはBBCシアターに赴き新たなヴァ
ースを加えた。

"You look tired, love"という歌詞は、TVショーのリハーサルを重ね疲れた
様子のシラを見て思いついたという。

フレーズごとの歌詞の韻の含ませ方も職人芸だと思う。



↑ポールが撮影したそうだ。



1967年11月21日にロンドンのチャペル・スタジオでポールのギター演奏で
シラが歌うデモを録音。

ポールはシラが歌えるようキーDで作曲している。
それでもシラには少し低すぎたようだ。


Cilla Black and Paul McCartney - Step Inside Love
  (Original Demo)






レコーディング時はシラの音域に合わせて4度上げてキーGに移調。
映像が残されている。(6)

Cilla Black & Paul McCartney - Step Inside Love 
Studio Session (November 21st 1967)






1968年1月30日の番組開始からオープニングで使用された。
シングルの発売は1968年3月8日。

全英シングルチャートで最高位8位を記録。
アイルランド、ニュージーランド、カナダでもチャートインしている。






<Step Inside Love ビートルズ・ヴァージョン>

1996年のAnthology3でこのアウトテイクを聴いた時は驚いた。
録音されたのは1968年9月16日。アビイロード第2スタジオ。

ポール、ジョン、リンゴの3人はポール作I Willのレコーディング中だった。
(ジョージはこのセッションに不参加)

 


ポールはアコースティック・ギター(D-28)を弾きながら歌い、ジョンは
金属片を木片で叩いてパーカッション代わりにし、リンゴがマラカス、ウッ
ドブロックとシンバル、という編成で67テイクを録音。

ポールはアコギを持つと脱線して違う曲を歌い出す奇行(笑)があるらしい。
この日も何度か中断しCan You Take Me Back、Blue Moon、The Way 
You Look Tonight、Los Paranoiasを即興で歌っている。(7)





I Willテイク35の途中でポールはStep Inside Loveを歌い出した。
半年前にシラのシングルが発売されているが、ポールはその時のデモと同じ
ギター演奏で歌っている。(8)
(前出のコード譜はこのビートルズのセッション音源から耳コピした)


The Beatles - Step Inside Love (Studio Jam)







実はStep Inside Loveはこのビートルズの音源で初めて聴いた。
ポールがシラ・ブラックに提供したことは知っていたが、彼女の歌もそれ
までは聴く機会がなかった。
今ではシラのStep Inside LoveとIt's For Youもお気に入りである。




<脚注>

2025年12月24日水曜日

ビートルズの妹分として売れたシラ・ブラックとIt’s For You



このところ何度も脳内再生されるシラ・ブラックのIt’s For You。

彼女のファンというわけではない。
Aメロのソフトな歌声は好きだけど、Bメロの力んだ声は苦手かな。
(個人的感想です)


曲やアレンジ、サウンドに惹かれるのだ。1960年代を感じさせる。
レノン=マッカートニー作品でジョージ・マーティンがアレンジとプロ
デュースを手がけているせいだろう。



↑
シラ・ブラックとジョージ・マーティン



今回はIt’s For Youを中心に、シラ・ブラックについて。


It's for You (2003 Remaster)
↑曲の前に「僕とポールが書いた」とジョンがコメントしている。







シラ・ブラックという歌手は日本ではあまり馴染みがないかもしれない。

しかしイギリスではOBE(大英帝国勲章第4位)(1)を受賞するくらいで、
人気も実力もあった。
シングル11曲、アルバムも4枚をトップ10入りさせている。

彼女が売れたのは、ビートルズ一派のバックアップのおかげでもある。




<シラ・ブラックとビートルズ>

シラはリヴァプールのキャヴァーン・クラブでクローク係をしていた。
笑い上戸で陽気な性格だった彼女は、キャヴァーンに出演していたデビュー
前のビートルズと親しくなる。




歌手志望だったシラは飛び入りでステージに上がり、ビートルズや他の出演
者と一緒に歌うこともあったという。
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ(ビートルズ加入前のリンゴが在籍)
の演奏でリンゴとBoysをデュエットしたという記録もある。




シラはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの目に留まる。
(たぶんジョンとポールが紹介したのだろう)



↑シラ・ブラックとブライアン・エプスタイン




↑左からパティ・ボイド、ジョージ・ハリソン、シラ、エプスタイン


エプスタインはシラをジョージ・マーティンに売り込み、ビートルズと同じ
パーロフォン・レコードと契約。レコード・デビューが決まる。
プロデューサーはマーティンが担当することになった。



↑ジョージ・マーティンとシラ


※マーティンは著書「耳こそはすべて」で「シラはひどい声だったのでダブル
トラッキング(2)が必要だった」と書いている。ひどい声?(笑)
(2015年にシラが他界した際は「彼女は驚くべき才能を持っていた」とコメ
ントしている。評価が変わった?)



(写真:gettyimages)



1963年レノン=マッカートニー作Love of the Lovedでシラはデビュー。
(全英35位を記録)

共作名義(3)であるが、実質ポールがデビュー前に書いた作品だ。
不合格となったデッカのオーディション(4)で演奏した1曲でもある。
(ジョンとポールはビートルズとして発表するほど完成度が高くないと判断
した曲は他の歌手やグループに提供していた)

まあ、ポールにしてはイマイチだと思う。
デッカの苦い思い出もあってビートルズとしては捨て曲扱いなのかも(笑



↑Love of the Lovedシングル
(英国ではシングルはジャケットなしで販売されることも多かった)




1963年末から1964年初頭にかけてロンドンで開催されたビートルズ・
クリスマス・ショーにシラはゲストとして出演。

ビートルズ(主にポール)による全面的にバックアップは売りになる。
マスコミにも音楽業界にも、ビートルズのファンに対しても。





シラ・ブラック=ビートルズの妹分という文脈で語られるようになった。

エプスタインのマネジメントでレノン=マッカートニー作品を提供され
ていたEMIの他のグループからも可愛がられる。
ひいてはマージービートの妹分的な存在でもあった。



↑ビリー・j・クレイマー&ザ・ダコタス、ジェリー&ザ・ペイスメイカ
ーズと(1964年EMIスタジオ前)



↑マージービートの売れっ子たちが勢揃い。中央がビートルズとシラ。




<全英チャートにヒット曲を連発する歌手に>

2曲目のAnyone Who Had a Heartで初の全英1位を獲得。
ヒットメイカー、バート・バカラック=ハル・デイヴィッドがディオンヌ・
ワーウィックのために書いた曲である。
流麗で緩急の変化がいかにもバカラックらしい。



↑バート・バカラック(左)ハル・デヴィッド(右)(写真:gettyimages)


※シラは1966年にもバカラック=デイヴィッド作品、Alfie(同名映画
の主題歌)をヒットさせた。
ディオンヌ・ワーウィックのヴァージョンもヒットしている。



↑ディオンヌ・ワーウィックと


↓アビイロード・スタジオでAlfieをレコーディング中のシラ・ブラック。
ピアノを弾きながら指揮をしてるのがバート・バカラック。
コントロールルームにジョージ・マーティンがいるのも確認できる。




↑Alfieのレコーディング
ピアノを弾いてるのがバカラック、右はジョージ・マーティン
 


3枚目のシングルYou're My Worldも全英1位(5)に輝き、シラ・ブラ
ックはデビューから半年でヒットシンガーとしての地位を確立する。






<レノン=マッカートニーの隠れた名曲、It's for You>

4曲目は再びレノン=マッカートニー作品。
ポールはヒットしたAnyone Who Had a Heartをモデルにジャズの
スイング感たっぷりのワルツ、It's for Youを書きシラに提供した。
全英7位を記録するヒットとなる。



       ↑It's for You シングル



シラは「It's for YouはAnyone〜とは別物」と解釈してるという。
ポールによると「映画ウエストサイド・ストーリー挿入歌、A Boy Like 
Thatからヒントを得た」そうだ。
ポールは「レノン=マッカートニーの最高作の一つ」と自信を見せる。





物憂げな美しいメロディはポール節だが、ジョンっぽい切なさも感じる。
クレジットだけでなく、ジョンも手伝ったのではないだろうか。

1965年に放送されたTV特番The Music Of Lennon and McCartney
では、ポールが「素晴らしい、才能ある・・・あと何だっけ?」とボケを
かまし、ジョンは「素敵な娘、おバカさんで」と嬉しそうにシラを紹介。
笑い上戸のシラとビートルズとの仲の良さを垣間見ることができる。



↑TV特番The Music Of Lennon and McCartneyより。



Cilla Black - It's For You (Live)




<It's for Youの曲構成、コード進行、アレンジ>

マイナー調の分数コード(6)で下降し、一時転調で変化を加えている。

ポールのデモ(7)(キー=Am)、シラのヴァージョン(キー=Cm)から
コードを拾ってみた。


(Verse) Aメロ
Am  Am/G D/F# Dm/F
I'd say      some day
C                  F         B♭6    E♭             Dm7  G7/D
I'm bound to give my heart away When I do
           Am  
It's for you  (repeat)

(Bridge) Bメロ
E                    Am             
They said that love was a lie Told me that I
Am7                      D
Never should try to find
Dm7                       Am     Bm7(-5)      E7
Somebody who'd be kind   Kind to only me   (repeat)






サビでは音数が増え、急かされるようなメロディで駆け上がる。
ブレイクしてまたAメロ(ヴァース)へ。繋ぎ方が巧い
間奏でスピードアップし、シンコペーションを多用するのもカッコいい。
テンション・コード(8)も効いてる。

ざっくりしたアレンジはポールが考え、オーケストレーションはジョージ
・マーティンが担当しスコアを書いたのだろう。
ジョージ・マーティンのオーケストラが演奏している。





1964年7月の録音、つまりYesterdayの1年前に既にビートルズというバ
ンドと別に、オーケストラを採用した楽曲制作を行なっていたわけだ。
ポピュラー音楽の作曲家を目指していたポールにとっては節目となる作品
で、実験的な試みとなった。



映画「Family Way(1966年12月公開 邦題:ふたりだけの窓)の音楽
担当への布石とも言える。


Love In The Open Air'The Family Way'P. McCartney 1966
↑哀愁のあるメロディはIt's For Youに通じるものがある。




↑Family Wayのサウンドトラック



↑地味だけど味わい深い、何度でも見たくなる英国映画だ。



↑Sgt.Peppers制作開始前の1966年11-12月に作曲〜録音された。




次回はポールがシラに提供した3作目、Step Inside Loveについて。



<脚注>

2025年7月19日土曜日

ワイト島フェスがウッドストックほど伝説にならないのはなぜ?


(1970年第3回目 ザ・フーのステージ。後ろ姿はピート・タウンゼント)



ワイト島フェスティバル(アイル・オヴ・ワイト・フェスティバル)は1968年
から3年連続で、イギリスのワイト島で行われた野外音楽祭である。

バラエティに富んだアーティストが参加するオムニバス・コンサート、野外に
設置された会場、観客動員数、その後の野外フェスティバルの原型になるなど
同時代に開催されたウッドストック・フェスティバルと似ている。


ウッドストックがカウンターカルチャーを語る上で重要なイベントとして広く
記憶されているのに対して、ワイト島の方は語られることが少ない。
知る人ぞ知る、または知ってるようで知らない伝説のコンサートである。



<開催場所>

ワイト島フェスティバルはイングランド南岸にあるワイト島で行われた。
温暖な気候、海岸の美しい景色、青々とした野原や丘陵・尾根で知られる行楽
地である。





ロンドンからワイト島へは電車とフェリーで2時間半から3時間かかる。(1)






<第1回目 Isle of Wight Festival 1968>

ワイト島のプール建設のための資金集めが当初の目的だったという。
最初のイベントはかなり粗末なもので、ステージは平べったいトラックの荷台
を並べただけだったらしい。
1968年、ウッドストックの1年前に行われた。




開催日:1968年8月31日-9月1日、2日間
観客数:1万人

出演)アーサー・ブラウン、ザ・ムーブ、ティラノザウルス・レックス(T-REX)、
スマイル、エインズレー・ダンバー・レタリエイション、プラスティック・ペニー、
フェアポート・コンヴェンション、プリティ・シングス。

名が知れたアーティストはジェファーソン・エアプレイン(アメリカから参加)
くらいだった。(T-REXはまだ人気が出る前である)
主催者たちは翌年、きちんとやろうと再挑戦することを決めた。






<第2回目 2nd Isle of Wight Festival 1969>

開催日:1969年8月30日-31日、2日間 
観客数:15万人




出演)ボブ・ディラン、ザ・バンド、ナイス、プリティ・シングス、マーシャ・
ハント、ザ・フー、サード・イアー・バンド、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・
バンド、ファット・マットレス、ジョー・コッカー、ムーディ・ブルース、
ペンタングル、フリー、キング・クリムゾン、リッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は2週間前のウッドストック・フェスティバルにも出演している)




(リッチー・ヘイヴンスのステージ。2週間前にウッドストックにも出演した)



第2回目の成功はボブ・ディランの出演に尽きるだろう。
ディランはザ・バンドを伴ってのステージである。

ディランは1966年のオートバイ事故以降、人前で演奏を行っていなかった。
マネージャーはディランのカムバックはウッドストックで大々的に(2)と考え
ていた。


主催者たちは数週間にわたって、ディランの説得(3)を試みる。
その際に見たワイト島の文化・文芸を紹介する映像にディランは感銘を受けた。
そしてこの島へ家族旅行を兼ねて訪れることを約束し、出演を決めたそうだ。


 
     (ワイト島に到着したディラン夫妻)



多くの人がディランを見るために、ワイト島に集まって来た。(4)
久々のディランのライヴということで、記者会見には大勢のプレスが詰めかけた。
(ディランの横にロビー・ロバートソン、リック・ダンコの姿も見える)






Bob Dylan at the Isle of Wight Festival 1969

※記録用のフィルムみたいで音声はない。



ディランはザ・バンドとリハーサルを行う。ジョージ・ハリスンが訪ねてきた。
ディラン出演の前日の8月30日には、ジョン・レノンとリンゴ・スターも合流。 
キース・リチャーズとジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトンも現れた。

ディランとビートルズの3人はテニスをしたそうだ(想像できない光景だ!)



翌日ディランはザ・バンドと一緒に、Mr. Tambourine Man、Like a Rolling 
Stoneなど、17曲を歌った。(5)







観客席にはジョン・レノン夫妻、ジョージ・ハリスン夫妻(パティー・ボイド)、
リンゴ・スター夫妻、キース・リチャーズ、ジミ・ヘンドリックス、フランソワー
ズ・アルディ、女優のジェーン・フォンダもいた。









3人のビートルたちは一般客に混じって地べたに座って観覧している。
ヨーコの右にいるのはローディーのニール・アスピノール



ビートルズはアビーロードのレコーディングを終えた直後(6)だった。
彼らはウッドストック出演のオファーも受けていたが、8月15日-17日はレコー
ディングと重なるため断っていた。

ポール&リンダの姿が見えないのは、マネージャー選びで他の3人と決裂したた
めか?と思えるが、それが理由ではないようだ。(7)
8月28日にリンダがポールとの間の最初の娘、メアリーを出産した直後だった。



フランソワーズ・アルディは1966年にディランと会っている。(8)
ワイト島で再会を試みたたが、大混雑に巻き込まれて諦めたそうだ。






Rare Photos of the 1970 Isle of Wight Festival

※1970と記載されているが、1969年の映像も混ざっている。
AIで白黒の写真をカラー化し動画にしたもの。ちょっと気持ち悪い。




 (フリーのステージ。後ろ姿はボーカルのポール・ロジャース)



ザ・フー、ジョー・コッカー、リッチー・ヘイヴンズはワイト島の2週間後に
ウッドストック・フェスティバルにも出演している。

ザ・フーは5月にリリースされた「Tommy」をほぼ全曲演奏。
全米ツアーの途中でウッドストック・フェスティバルに出演し、映画でも観られ
るあのど迫力のパフォーマンスを行い、イギリスにもどってきたところだった。





ディランのようなビッグネーム、ザ・フー、フリー、ムーディ・ブルース、キング
・クリムゾンなどのロック・バンドの出演によって、ワイト島フェスティバルは
注目されるようになった。




<第3回目 3rd Isle of Wight Festival 1970>

開催日:1970年8月26日-30日 
観客数:50万人〜60万人




出演)ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー、ドアーズ、ジェスロ・タル、シカゴ、
マイルス・デイヴィス(チック・コリア、キース・ジャレットが参加)、フリー
、テン・イヤーズ・アフター、ライトハウス、、エマーソン・レイク&パーマー、
ムーディー・ブルース、ジョーン・バエズ、ジョニ・ミッチェル、ドノヴァン、
レナード・コーエン、クリス・クリストファーソン、ジョン・セバスチャン、テリ
ー・リード、テイスト、ショーン・フィリップス、ジェイムス・テイラー、ファ
ミリー、プロコル・ハルム、アライバル、フェアフィールド・パーラー、カクタス
、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、メラニー、リッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は前年のウッドストック・フェスティバルにも出演したアーティスト)


第2回目の成功で主催者は、多数のスターをブッキングできるようになった。
出演者のラインナップも前年のウッドストックに匹敵するくらい豪華である。





ザ・フーのパフォーマンスは圧巻で、ジョニ・ミッチェルは見事な演奏を披露。
ジョニは前年のウッドストック出演を断念している(9)ので、ワイト島にはぜひ
出演したかったのではないかと思う。







The Who - Pinball Wizard(The Isle Of Wight Festival 1970)

Joni Mitchell - Both Sides Now(The Isle Of Wight Fes.1970)


保釈中のジム・モリソンは不安定で精彩を欠き、全盛期のドアーズのような最高
のステージではなかったが、その陰鬱さも印象的であった。
その後、1年もしないうちにジム・モリソンは亡くなってしまった。





ポールマッカートニーは「ワイト島フェスティバルにジミ・ヘンドリックスを
出演させるべき」と発言。(10)そのおかげか1970年にジミは出演する。

ジミ・ヘンドリックスが炎上するステージで演奏したというのは都市伝説で、
実際は花火だった。
これがジミ最後の英国公演となり、18日後に彼は亡くなった。
2人とも27歳である。(11)





Blue Wild Angel: Jimi Hendrix Live At The Isle Of Wight

※ジミ・ヘンドリックス1970年ワイト島コンサートのトレーラー。




1970年の第3回でワイト島フェスティバルは大規模になった。
この時代の才能ある大物ミュージシャンたちが一堂に会することは稀である。

ウッドストックと同時期にキャンプを特徴とする現代のフェスティバルの原型を
創り上げたという点でも、ワイト島フェスの意義は大きい。



(ジョン・セバスチャンのステージ。ウッドストックにも出演している)



イベントに問題がなかったわけではい。
一部の観客の暴徒化、無料化(12)を望む過激派とのトラブル、また騒音やゴミの
問題、フリーセックス、ドラッグなどウッドストックと同じような苦情が挙がった。
市議会は規制を設け、翌年以降フェスティバルの再開は不可能になった。(13)




<ワイト島フェスティバルがウッドストックほどメジャーではない理由>

では、なぜワイト島フェスティバルはウッドストックほどカウンターカルチャー
のシンボルとして広く認知されていないのだろう?

ウッドストックが世界中で知られるようになったのは映画化されたからである。
ワーナー・ブラザースが制作した「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」
(原題:Woodstock)は3日間の野外コンサートの模様を3時間強のドキュメン
タリー映画として公開された。(13)




北米興行収入は5,000万ドル、1970年の映画興行収入ランキングの5位を記録。
アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。



音楽と平和をテーマにしたフェスティバルの熱狂と興奮を捉えた映画は、当時の
若者文化を象徴する作品として、世界中で大きな反響を呼んだ。





YouTubeもMTVもない当時、洋楽ロックの動く姿を見られる機会は稀だった。
当時、日本のロック・ファンの多くがこの映画で初めて、ジミヘン、サンタナ、
ザ・フー、CSNY、ジョー・コッカーの強烈な演奏シーンを見て衝撃を受けた。



一方ワイト島フェスティバルはアーティストによっては1970年の音源や映像が
あるが、音楽イベント全体の記録としての形を成していない。
ドキュメンタリー映像が公開されたのも1996年になってからである。



<商品化されているワイト島フェスティバルの音源・映像作品>

一部のアーティストがワイト島フェスティバルに出演した際のパフォーマンスを
ライブ盤としてリリースしている。

ボブ・ディラン: 1969年 4曲が翌年リリースの「Self Portrait」に収録。
2013年発売のブートレッグシリーズ Vol.10 Another Self Portrait
 (1969–1971)デラックス・エディションにライヴの完全版が収録されてた。

ザ・フー: 1969年(DVD)
     1970年(CD2枚組+DVD/Blu-ray)

ジョニ・ミッチェル: 1970年8月29日(DVD/Blu-ray)
ジミ・ヘンドリックス: 1970年8月30日(CD2枚組+DVD/Blu-ray)
エマーソン・レイク&パーマー: 1970年(CD)
フリー: 1970年(CD)
テイスト(ロリー・ギャラガーのバンド):1970年(Blu-ray+CD)
ジェスロ・タル: 1970年(CD+DVD)
ムーディー・ブルース: 1970年(CD)
ドアーズ:1970年(CD+DVD)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン: 1970年 4CD「Higher!」に収録











<脚注>