2021年11月23日火曜日

レット・イット・ビー2021 Disc-2-3 アウトテイク集レビュー。



レット・イット・ビー2021スーパー・デラックス、今回はDisc2と3について。
Disc2がアップル・セッションズ、Disc3がリハーサル&アップル・ジャムズ。

この2枚、何が違うのか?いまいち線引きが曖昧である。
しかも収録時間数はDisc2が40分49秒、 Disc3が32分39秒。
CDなら1枚に収まるのになぜ分けたのか?




LP盤でも発売するため、収録時間を短くしたのであろう。
またこういう音源をCDで一気に70分以上聴くとお腹いっぱいになるのも事実。
(ブートでさんざん味わってます。はい)

できればCD1枚にまとめて、もう1枚はルーフトップ完全収録にして欲しかった。
Disc2にドント・レット・ミー・ダウンだけ屋上でのテイク1が収録されているが、
せめて他の4曲も1テイクずつ入れてくれればいいのに。
Disc3にもR&Rメドレー、トラディショナル、デモを追加する余地はあったはず。

と文句ばかりたれててもしょうがないので出ただけでも感謝しつつレビューを。



<Disc2  アップル・セッションズ>

1月21日アップル本社ビルの地下スタジオに場を移して仕切り直しとなってから、
つまりビートルズがやっと本腰を入れてテイクを重ね録音を開始してからの音源

グリン・ジョンズの「ゲット・バック」、フィル・スペクターの「レット・イット・
ビー」に収録されたものとは違うアウトテイクが聴ける。
最終形とは違うが、これはこれで魅力的と思える完成度の高い演奏である



↑Disc2はトラック13〜26。(右側に表示される再生リストから選んでください)


 01.スピーチ (MONO) 〜トゥ・オブ・アス (テイク4)
 02. マギー・メイ / ファンシー・マイ・チャンセス・ウィズ・ユー (MONO)
 03. キャン・ユー・ディグ・イット?
 04. スピーチ (MONO)
 05. フォー・ユー・ブルー (テイク4)
 06. プリーズ・プリーズ・ミー〜 レット・イット・ビー (テイク10)
 07. アイヴ・ガッタ・フィーリング (テイク10)
 08. ディグ・ア・ポニー (テイク14)
 09. ゲット・バック (テイク19)
 10. スピーチ
 11. ワン・アフター・909 (テイク3)
 12. ドント・レット・ミー・ダウン (1st.・ルーフトップ・パフォーマンス)
 13. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード (テイク19)
 14. ウェイク・アップ・リトル・スージー / アイ・ミー・マイン (テイク11) 


トゥ・オブ・アスは当初はゲット・バックのようなアレンジでアップテンポだった。
(1970年の映画でも確認できる)
1月24日、25日、31日にフォークロックのアレンジが固まり録音された。
1月24日のラフなテイクがグリン・ジョンズの「ゲット・バック」に収録された。
テイク4も24日の録音で今回初公開
サビでジョンがギターのトップを叩いてるのが印象的。




マギー・メイは24日のトゥ・オブ・アスの合間に脱線して演奏された。
リバプールに古くから伝わる伝承歌で、悪名高い娼婦のことを歌っている。
クオリーメン時代のライブや録音時のウォーミングアップで歌っていたらしい。
「レット・イット・ビー」収録テイクとは別でモノラル音源
8トラックを回してなかった時の演奏と思われる。(ブートでも聴かれる)

ファンシー・マイ・チャンセス・ウィズ・ユーはジョンとポールが10代の頃書いた
で、1962年のステージでも演奏していたようだ。曲名はFancy My Chances 
With YouだがFancy Me Chances With Youと歌っている。




キャン・ユー・ディグ・イット?1月24日の録音モノラル音源
ジョンが突然始めたディグ・イットは12分25秒も続く即興のジャムとなった。
1970年の映画ではジョージ・マーティンもシェーカーを振ってるのが見られる。
アルバム「ゲット・バック」には4分10秒に縮められて収録され、「レット・イット
・ビー」では後半の59秒だけに編集されている。

今回発表のキャン・ユー・ディグ・イット?は3拍子ではなく4拍子のヴァージョン
ジョンがラップスティールを弾きCan You Dig It?を繰り返すジャムといった様相。
最後にジョンが言ったThat was 'Can You Dig It?' by Georgie Wood, and now
we'd like to do 'Hark, The Angels Comeがスペクターによってディグ・イットと
レット・イット・ビーの間に入れられた。




フォー・ユー・ブルー1月25日にしか演奏されていない
ジョージは趣向を凝らした自作の曲がジョンとポールにぞんざいに扱われるため、
より単純なカントリー・ブルースの楽曲を書いたという。
思惑通り、ジョンとポールもいい演奏をしている。
「悪いホンキートンク・ピアノの音」というジョージの要求に応えるため、ジョージ
・マーティンはピアノの弦とハンマーの間に紙を挟んでトイピアノのような音にした。
ジョンはラップスティールを演奏し、いい味を出している。

この日のテイク6がベストと判断されアルバム「ゲット・バック」に収録された。
アルバム「レット・イット・ビー」版も同テイクだがジョージがボーカルを1970
年1月8日に録音し直している)

初公開されたテイク4はジョージの歌い方がラフであるが悪くない。




◆ポールがピアノでプリーズ・プリーズ・ミーを軽く歌い流してから入るレット・イッ
ト・ビー (テイク10) は1月25日の録音。
曲の構成は固まっているが演奏も歌もまだ緩い。ジョンのベースはやる気がない。
(セッション最終日の1月31日に録音されたテイク27-Aがべストテイクとなり「ゲット
バック」「レット・イット・ビー」両アルバム、シングル盤に採用された)




アイヴ・ガッタ・フィーリング は1月22〜27日に何度も演奏されている。
グリン・ジョンズ版「ゲットバック」に収録されたのは22日のリハーサルでまだ
エンディングが決まっていない。
このテイク10は1月27日の演奏で完成度は高い。
が、1月30日の屋上でのライブ演奏の熱量と迫力はスタジオ録音をはるかに凌駕する。


ディグ・ア・ポニーは22日のリハーサルが「ゲットバック」に収録。
このテイク14は1月28日の録音で完成度が上がっているが、歌も演奏もおとなしめ。
エンディングでのジョンのチャック・ベリーっぽい弾き方がカッコいい
この曲も屋上ライブでの荒々しさに勝るテイクはない。




ゲット・バックは1月27〜28日に集中的に仕上げ、ベストテイクの録音に成功。
ジョージのカウントで始まるテイク19は28日に録音されたテイクで力がこもっている。
特にブレイク後の演奏とポールのアドリブのボーカル(2'40"以降)がすばらしい。

グリン・ジョンズは27日のベストテイクのブレイク後に28日のテイク19編集の後半
を編集でつなぎ合わせたシングル盤、アルバム「ゲットバック」)
3'19"以降はアルバム最後にリプライズとして収録。映画の最後でも使用された。



ワン・アフター・909 (テイク3)屋上コンサートの前日1月29日に録音された。
屋上テイクに引けを取らないくらいどっしりした安定感。いい感じのグルーヴだ。
ビリー・プレストンは生ピアノを激しく連打。
ジョージのギターはレスリー回転スピーカーを通している。




ドント・レット・ミー・ダウン (ファースト・ルーフトップ・パフォーマンス)
1月30日アップル本社屋上でのコンサート。2回演奏されたうちの1回目(1)
ほんとマジでヤバいくらいカッコいい。(←語彙が貧困

これだけでもこのセットを買ってよかったと思える満足度一番の音源だ。
ジョンは3番の歌詞を忘れて誤魔化しているが、それもご愛嬌。ジョンらしい。
(ネイキッドでは1回目と2回目のいいとこ取りでミスを消してしまっている)

シングル盤に採用されたのは1月28日のテイク。これも完成度が高くカッコいい。
屋上テイクと甲乙つけがたい。




両テイクの違いは、屋上テイクではジョージが下にハモって三声になる点、シング
盤テイクはレスポール使用のためメロウな音だが、屋上テイクでジョージはオー
ローズのテレキャスターを弾いておりシャープな音である点。


※この屋上テイクのドント・レット・ミー・ダウンのみ上記の再生リストでは
なぜか「1」のプロモーションビデオ(ネイキッドと同じ)に差し替えられている。
YouTube→Don’t Let Me Down (First Rooftop Performance)で検索するか、
↓下の写真をクリックすると聴けます。




ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード (テイク19) は屋上コンサートの
翌日、1月31日に収録された7テイクのうち最後にしてベスト・テイク
1970年の映画で使用されたのもこれ。
ネイキッドでも同テイクが使用されたが手が加えられている。

グリン・ジョンズもフィル・スペクターも1月26日のテイクを使用しているが、
1月31日のテイク19を選ぶべきだったと思う。




ウェイク・アップ・リトル・スージー / アイ・ミー・マイン (テイク11)
1969年1月のゲット・バック・セッション終了から11ヶ月後の1970年1月3日に
ジョンを除く3人がアビイロード第2スタジオに集合
この日1日でアイ・ミー・マインのレコーディングが行われた。

理由は映画「レット・イット・ビー」でこの曲を演奏しているシーンがあり、
つじつま合わせでレコードにも入れた方がいいということになったため。
1月22日〜31日のアップル社スタジオではこの曲は取り上げられていない。
(ジョンに却下されたため)それで追加録音することになったのだ。
ジョージはサビで転調してロックンロールになるよう作り直していた




この時点で既に一発録音というコンセプトは放棄されていた。
ジョンが脱退宣言してるため3人でやるしかない。問題はない。
アビイロードもジョン不在の曲が多く、3人でも充分できることは実証済みだ。

ベーシックトラックはジョージがアコースティックギターとガイド・ボーカル
ポールのベースリンゴのドラムという編成で16テイクが録音された。
最後のテイク16にオーバーダブが施されその日のうちに効率よく完成した。




テイク6の後にジャム・セッションに興じたり、テイク12の前にバディ・ホリーの
ペギー・スー・ガット・マリードをジョージが披露するなど脱線も楽しんでいる。
このテイク11の前にも、ポールがエヴァリー・ブラザーズのウェイク・アップ・
リトル・スージーのさわりを歌っている。
今回の音源でジョージがベーシックトラックのアコースティックギターでどう弾い
てたのか完全に解明できた(今まではオーバーダブによって埋もれていた)

演奏終了後ジョージはジョンの脱退をデイヴ・ディー・グループを脱退したデイヴ
・ディーにかけて自虐的ジョークを言ってみんなを笑わせている。
You all will have read that Dave Dee is no longer with us. 
But Mickey and Tich and I would just like to carry on the good work that's 
always gone down in number two.
(ご存知のようにデイヴ・ディーが脱退しました。しかしミッキーとティック、
私は2番手と見なされてきましたが、今後もいい仕事をして行くつもりです)





<Disc3  リハーサル&アップル・ジャムズ>

1969年1月2日〜1月16日にトゥイッケナム映画スタジオで行われたリハーサル、セッ
ションを中心に、1月21日以降のアップル本社ビルでのジャム、アウトテイクで構成
されている。

トゥイッケナム・セッションの方は各自が曲を披露し合っているのだが、お互いの
曲に真剣に取り組もうという姿勢が見られず、まとまりが悪い。
脱線してデビュー前のレパートリーをやったりしているが、それもうろ覚えで適当。
演奏の質は低い。




しかし後にアビイロードに収録される曲や、3人のソロ・アルバムに入ることになる
曲も聴かれるので貴重な音源でもある。多くは断片的で未完ではあるが。

この間に演奏された曲(90時間に及ぶ)は撮影カメラと同期録音するナグラテープ
(2)から流出した音源を元に、無数のブートが制作され出回った。
コアなファンはさんざんそれを買い集め聴きまくった。(かく言う私も。。。)
それらはクズの山でもあり、宝の山でもある。

Disc3ではその中から、ハイライトとなる音源をダイジェストで聴くことができる。
また1月2日から31日まで1ヶ月に及ぶゲット・バック・セッションの流れが時系列
で収められている



↑Disc3はトラック27〜39。(右側に表示される再生リストから選んでください)


 01. スピーチ〜 オール・シングス・マスト・パス (リハーサル) (MONO)
 02. スピーチ〜コンセントレイト・オン・ザ・サウンド (MONO)
 03. ギミ・サム・トゥルース (リハーサル) (MONO)
 04. アイ・ミー・マイン (リハーサル) (MONO)
 05. シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー (リハーサル)
 06. ポリシーン・パン (リハーサル) (MONO)
 07. オクトパス・ガーデン (リハーサル) (MONO)
 08. オー!ダーリン (ジャム)
 09. ゲット・バック (テイク8)
 10. ザ・ウォーク (ジャム)
 11. ウィズアウト・ア・ソング (ジャム)
 12. サムシング (リハーサル) (MONO)
 13. レット・イット・ビー (テイク28) 


オール・シングス・マスト・パスはトゥイッケナム映画撮影所でのセッション初日、
1月2日にジョージが披露。3日、6日にも取り上げられている。
この音源は1月3日のリハーサル。一応バンド編成の演奏になっている。
ポールはベースを弾きながら上にハモるジョンはオルガン。いずれもおざなり。

ジョージは他にもヒア・ミー・ロード、レット・イット・ダウンを聴かせるが、
ジョンもポールも関心を示さなかった。



↑セッションではサイケデリック・ペイントのストラトも使われていた。



コンセントレイト・オン・ザ・サウンドはジョンの思いつき即興。(1月6日)
「大きい会場より小さい会場の方がいい。サウンドに集中すべきだ」と歌っている。


ギミ・サム・トゥルースは1月7日の録音でほとんどジョンの独演。
トゥイッケナムではこの他ジェラス・ガイの原曲、未完成のドント・レット・ミー・
ダウン〜サン・キングのギター、アクロス・ザ・ユニヴァースを披露している。




アイ・ミー・マインはジョージがポールの「俺が俺が」を揶揄した曲。
1月8日リハーサルにかなりの時間を費やし41回も演奏している。
3人の演奏に加わらず、曲に併せてジョンがヨーコと踊るシーンが映画で観られる。
この段階ではヴァース間にスパニッシュ風のコードが入りサビはできていない。

ジョンは「ビートルズはロックンロールしか演奏しない。スペインのワルツが入る
余地はない」と冷たく却下。ポールも真剣にやってる感はない。
ジョージはポールの高圧的な態度やジョンのセッションへの意欲の欠如にキレて、
1月10日に脱退宣言してスタジオを出て行ってしまう。



↑ジョンとポールは悪ふざけをやめない。ジョージはいい加減うんざりしてる。


以上はトゥイッケナム・セッションでモノラル録音(後述)されたもの。




↑1月21日からアップル本社ビルのスタジオでセッション再開。
ジョージもギター持参で戻ってきた。
この間はごめんなー言いすぎちまったなーとポールは謝ってるのだろうか。


シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー (リハーサル) 
この曲は1月6日からトゥイッケナムで断続的に取り組んでいた。
「ゲット・バック」の全体のトーンに合うスローテンポでブルージーなアレンジだ。

これはアップル本社スタジオに移ってからのセッションの初日、1月21日の演奏
リハーサル段階で確認しながら進めている。8トラックレコーダーで録音された。
ポールがフェンダー・ローズを弾きながら歌い(ビリー・プレストンの参加は翌日)
ジョンはフェンダーの6弦ベースジョージはギターをワウに通している




ポリシーン・パン (リハーサル) 1月24日トゥ・オブ・アス・セッション中に
ジョンがアコギを弾きながら歌い出した。アコギのオブリガードはポール。
8トラックレコーダーではなくモノラル録音(後述)


オクトパス・ガーデン (リハーサル)1月26日アップル・スタジオでリンゴが
ピアノを弾きながら自作曲を披露している様子である。モノラル録音(後述)
笑い声が絶えない。ジョージがギターを弾きながら曲の展開を考えている。
そこへジョンも登場。何をやればいい?と尋ねリンゴがドラムを頼むと「ポール
がやりたがるだろ」と応える。
(映画では咥えタバコのジョンがドラムを叩く→下手。ポールが登場し「ひどい、
これからだ」と言い放ち雰囲気が悪くなる。空気読めよ、ポール)






オー!ダーリン (ジャム)
1月27日アップル・スタジオでのレコーディング・セッション
この日はゲットバック、アイヴ・ガッタ・フィーリングを中心に進められ、合間に
オー!ダーリンのジャム・セッションが8トラックレコーダーで録音された。
スローなロッカ・バラードのアレンジで演奏される。
荒削りだがジョンとポールのハモリ、掛け合いがいい。
この日ヨーコの離婚が成立した喜びをジョンは即興で歌詞にして歌っている。

※このオー!ダーリン、シー・ケイム・イン〜、2月に取り組んだアイ・ウォント・
ユーが入れば、アルバム「ゲット・バック」の出来はまた違ってただろう。
が、この3曲はやはりアビイロードの方が収まりがいいし完成度もすばらしい。





ゲット・バック (テイク8) は1月27日に集中的にテイクを重ねた録音の一つ
ベスト・テイクと遜色がないくらいだが、ジョンのリードギターがやや雑で中断。
「ちょっと遅い」というコントロールルームの声はジョージ・マーティンか?


ザ・ウォーク (ジャム)
1月27日にゲット・バック、アイヴ・ガッタ・フィーリングの録音をしている合間
にポールが歌い出したファンキーなリズム&ブルース。
1958年にジミー・マクラクランが発表した曲である。
(それにしてもビートルズってマイナーな曲もよく知っててマニアックだなー)
テープが回っていなかったため途中からの録音だが、グルーヴ感が心地いい




アルバム「ゲット・バック」には収録されなかったが、9月22日ボストンのラジオ
局WBCNで放送された特番のアセテート盤には収録されていた。
(WBCN GET BACK REFERENCE ACETATEというブートが出回った)
これを「ゲット・バック」から外したのは惜しい。




※1月26日にはシェイク・ラトル&ロール、カンサスシティ〜ローディ・ミス・クラ
ディ、リップ・イット・アップ〜シェイク・ラトル&ロール〜ブルー・スエード・
ューズ、とR&Rメドレーの演奏が8トラックレコーダーに収められている。
(映画でも見られる。アンソロジー3に収録された) 
1月29日のベサメムーチョ、ナット・フェイドアウェイ、メイルマン・ブリング・ミ
ーノーモア・ブルース(アンソロジー3収録)も検討の余地はあったのに。




ウィズアウト・ア・ソング (ジャム) 
ビリー・プレストンのピアノ弾き語り。リンゴとジョンが参加。8トラック録音。
ビング・クロスビーやフランク・シナトラの歌唱でも知られるゴスペル調バラード。

ビリー・プレストンの参加は音の厚みとアレンジの幅に寄与しただけではなく、
バンの雰囲気を良くした。その貢献度は大きい。
ジョンはビリーをビートルズに入れようと言ったほどだ。(ポールは反対した)
しかし参加ミュージシャンとして初めてビートルズの作品にクレジットが載った。





サムシング (リハーサル) は1月28日のセッション中に披露された。
「歌詞が思いつかない」というジョージにジョンは「思いついたことを歌えばいい、
カリフラワーのようにとか」と適当なことを言っている。モノラル録音(後述)




レット・イット・ビー (テイク28) 
1月31日ゲットバック・セッションの最終日に録音されたテイク20-29の一つ。
採用になったテイク27-Aの後に録音映画ではこのテイクが使用された
後半のThere will be an answerがThere will be no sorrowと歌われている。


Disc3に時系列で収められた音源を聴いて気がついたことがある。
アルバム「ゲット・バック」はアップル・スタジオに移りビリー・プレストンが
参加した初日、1月22日から24日のリハーサル風景が半分を占めている。
グリン・ジョンズは当初ポールが描いた「アルバム制作過程を見せるドキュメン
タリー」という意図を汲んでこのような完成度の低いテイクを選んだのだろう。
そして残り半分は後半の25〜31日の曲が出来上がってきたテイクで構成される。
しかし中途半端で、メイキングという意味合いは伝わらなかった。
自作曲がリハーサル・テイクばかりであることを知ったジョンの機嫌も損ねた。



<Disc2〜3音源についての考察>

MONOと表示されているトラックは8トラックレコーダーでの録音ではない。

ナグラテープであれば一定間隔でピーというビープ音が入る。
これは撮影用カメラのパルスとシンクロしており、編集時に別に録音した音声と
フィルムの位置を合わせるための目安である。
ナグラテープはテープ幅は1/4インチでモノラル、マイクはカメラ横で自動録音。
つまりレベル調整が自動になってしまう。音質は良好でAMラジオ並みである。

今回のMONO音源はビープ音が入らず、音質もモノラルだがより良い
でも8トラックレコーダーを回したものでもない。



↑トゥイッケナム映画スタジオでアイヴ・ガッタ・フィーリングのリハーサル。
ポールが曲の構成とコードを他のメンバーに教えているのが観れます。




↑34秒の箇所で中央に据えられた集音マイクが映る。
8トラックレコーダーを回すほどではないリハーサルや会話はこの無指向性マイク
たぶんコンデンサーマイクで拾っていたようだ





↑たぶん、これと同じマイクでは?


今回のMONOと表記された音源はナグラテープではなく、トゥイッケナム〜アップル
スタジオで会話や練習風景を録音したモノラル・テープが音源だと思われる。



↑音声さんが上からマイクブームアームをかざしている時もある。
こういう引きの絵って好きだな。

「朝早くから寒々としただだっ広いスタジオでずっと赤や青のライトを当てられて
口論まで録音られてたら曲作りなんてできない」とジョンは言っていた。



公開予定の映画は56時間の未発表映像140時間の未発表音源を使用したらしい。

ブートとして出回った90時間の音声はカメラA、カメラBと複数のロールから
重複してコピーされているので、撮影時間を超えてるのかもしれない。

1969年1月2日〜1月16日にトゥイッケナム映画スタジオで行われたリハーサルは
8トラック・レコーダーで録られたというデータがない

★追記(12/1)
11/25-27ディズニー・プラスで配信された「ゲット・バック」で確認した。
ジョージの自宅から8トラックレコーダー3MのM23が撮影所に運ばれた。
グリン・ジョンズは即席のミキシング・ルームを作っていたが、完成した時には
ジョージは脱退を表明してスタジオを去っていた。



1月21日〜31日アップル本社の地下スタジオで本格的なセッションが始まってから、
8トラックでレコーディングされている。
そのスタジオもジョンが頼ったマジック・アレックスの設計が使い物にならなくて、
急きょ機材を手配することになった。

EMIからREDD37と51の2台の4トラック用ミキシングボード(ビートルズの黄金期
に使われた)、アルテックのコンプレッサー、EMIのプレゼンスボックス(イコライ
ザー)を借りる。新人エンジニアだったアラン・パーソンズも派遣された。




8トラックレコーダーはジョージ所有の3MのM23を使用し録音された。
EMIスタジオで前年ホワイト・アルバムの途中から使われたのと同型期である。

曲がほぼ固まってきた段階で8トラック・レコーダーでテイクを重ねて録音。
そのマルチトラック音源と上述の映画用の集音マイクで録られたモノラル音源と
一部ナグラテープ音源、併せて140時間以上ということかな?と解釈している。


<脚注>

2021年11月11日木曜日

グリン・ジョンズの「ゲット・バック」は何だったのか?


レット・イット・ビー2021リミックスのスーパー・デラックスが先月届いた。
5CDを繰り返し聴いている。



<ゲット・バックからレット・イット・ビーへの経緯>

「原点回帰」を掲げ1969年1月2日〜31日に行ったゲット・バック・セッションが
まとまらず、当のビートルズが放棄してしまった。
グリン・ジョンズにアルバム制作を丸投げするが、出来に納得できず却下



↑ポールの横に立っているのがグリン・ジョンズ。


ゲット・バック棚上げ状態のまま、1969年5月〜8月にビートルズは再びジョージ・
マーティン、ジェフ・エメリックと組み、別なアルバムを制作。
11月にアビイロードを先行発売する。

1970年5月公開映画のサントラ盤として再びゲット・バックの編集が迫られた。
グリン・ジョンズは映画で弾いてる2曲を加え(アイ・ミー・マインは追加録音)
1月5日に2回目のミックスを完成させる。が、これも却下。



↑真ん中がグリン・ジョンズ。


ジョンの脱退宣言、アラン・クレインのマネージャー就任、アップル社のごたごた。
ポールはスコットランドの農場に引きこもる。
その間ジョンはアラン・クレインの推薦でフィル・スペクターを起用し、アルバム
の再編集を依頼。(ポールはこの事実を知らなかった)

フィルによってレット・イット・ビーとして姿を変えたアルバムをジョンは絶賛。
ポールは自身の曲を無断で過剰装飾したことに激怒。脱退宣言に至る。



↑ポールがアラン・クレイン(C.C.フィル・スペクター)に送った抗議文


ジョージ・マーティンも「いい曲も多かったのに馬鹿なことをした」と批判。
ローリングストーン誌などの音楽誌、評論家たちも「スペクターがこれ見よがしの
ウォール・オブ・サウンドでビートルズの新曲を台無しにした」と辛口。

リアルタイムで聴いたファンたちも今までと様相が違うビートルズに戸惑った。
しかし時を経てレット・イット・ビーもビートルズの1作品として定着している。



はたしてフィル・スペクターは天才的手腕でビートルズがまとめられなかった
アルバムを完成させた救世主だったのか
それとも持ち前のエゴで自分色に塗り変えてしまった疫病神なのか



↑左からアラン・クレイン、フィル・スペクター、ジョージ。


もしグリン・ジョンズのゲット・バックが発表されていたらどうなっていたか?
完成度の低い遊び半分のリハーサル・テイク集を聴いた人はどう感じたろう?
音楽評論家や音楽誌は「ビートルズは終わった」と酷評したのではないか。

グリン・ジョンズのゲット・バックか、スペクターのレット・イット・ビーか?
極端な二択以外にも、別な形でアルバムにすることもできたのではないか?



56時間に及ぶフィルムから流出した音源がブートとして出回り、マニアックな
ファンはそれらを聴きまくった。しかし最適解は出ない。
ゲット・バック/レット・イット・ビーは50年経っても終わらない永遠のループ
ファンにとっても。そしてビートルズにとっても。




↑Vig-O-Toneから発売されたGet Back Journalsシリーズ。各8〜14CDだった。
私もずいぶん投資しました(笑)当時は宝の山とありがたく拝聴してたけど。。。




<レット・イット・ビーを捉え直す試み>

レット・イット・ビー....ネイキッドはオーヴァーダブを取り除いて、エコーや
エフェクトも排除したすっぴんのビートルズ、ポールが本来意図したゲット・バ
ックのあるべき姿として2003年にリリースされた。


        



しかしポールの完璧主義と当時の高度な編集技術が災いし、複数のテイクからいい

とこ採り、ミスは差し替える、いわばすっぴんではあるが継ぎ接ぎの整形美人
なってしまった。

会話は一切入れるなというポールの指示で、不自然なくらいエンディングの余韻が
なくぷつんと終わってしまうのも残念である。
ポールの自己満足のための企画モノ的アルバムだったという印象も拭えない。



レット・イット・ビー2021リミックスはスペクター色を否定するものではない

オリジナルを踏襲しつつ、埋もれていた音を聴こえるようにする、楽器や声の
音像をクリアに聴きやすいステレオ定位と音量バランスにすることで、今の
時代に聴いても不自然さを感じない音にする
サージェント・ペパーズ、ホワイト、アビイロードのリミックスと同じである。



↑リミックスを行なったプロデューサーのジャイルズ・マーティン。


その上でスーパー・デラックスの5CDでは、アウトテイクやリハーサル、そして
幻のグリン・ジョンズ版ゲット・バックも聴かせ、このプロジェクトの全貌を
明らかにする、多くファンが抱え続けてきたフラストレーションを解消したい、
という意図が感じられる。

(屋上コンサートが全曲が入ってない、シングル盤ゲット・バックのリミックス
が入っていない、など不満は残るが)



さて、それで5CDを繰り返し聴いていたわけだ。
本来ならDisc1の本編から順にレビューするのが順当だが、思うところあって今回
はDisc4の「ゲット・バック」グリン・ジョンズ1st.ミックスについて語りたい。

既にいろいろ音楽誌でリミックス、スーパー・デラックスの解説が載っていると
思うので、正しい評価はそういうプロのか方たちにお任せしよう。
ここでは、あくまでも個人的意見ということで。ではでは。



<グリン・ジョンズの「ゲット・バック」で気づいたこと1-音が悪い>



↑Let It Be (Super Deluxe)はYouTubeで全曲公開されている
Disc4未発表アルバム「ゲット・バック」グリン・ジョンズ版はトラック40〜53

(右側に表示される再生リストから選んでください)


聴いてみて驚いた。この「ゲット・バック」だけ音質が悪い。貧弱である。

1990年代にYellow Dog、Quarter Apple、Master Disc、Vig-O-Toneレーベル
から出回ったブートの方がよほど迫力がある豊かな音であった
これらは1969年にプレスに配られたアセテート盤が音源で、デジタルでスクラッチ
ノイズを取り除き、イコライジング、ブースト処理したものと思われる。

今回初公開された「ゲット・バック」はグリン・ジョンズの1st.Mixをそのまま使用
しているが、上述のアセテート盤ではなく最終2ch. ステレオテープから改めてデジ
タル・メディアに適したマスタリングが施されている
なのになぜ音が悪いのか?本来なら2009リマスターと同程度の音になるはずだ。
(ネットではマスターは紛失しておりアセテート盤が音源という噂も出ている)


理由は明白だ。グリン・ジョンズのプロデュース手腕はその程度だったのだ。



↑トゥイッケナム映画スタジオで。ベースアンプの横にいるのがグリン・ジョンズ


ジョンズはトラフィック、スモールフェイセズ、ストーンズのベガーズバンケット、
スティーヴ・ミラー・バンド、プロコル・ハルムを手がけていた。

中域に固まったゴリッとした無骨な肌触りの音作りを得意とする。
ロック色は強いが洗練された音作りではない


後にストーンズの黄金期の作品、ザ・フー、ハンブルパイ、レオン・ラッセル、
ジョー・コッカー手がけるが、それらにはジョンズの音が合っていたのだと思う。
(ジョンズは1970年代に渡米しアサイラム・レコードでイーグルスの2枚のアルバム
をプロデュースしているが、それらも音圧が低く抜け感がなかった。
クラプトンのスローハンドも彼のプロデュースだがもっさりした音であった)




↑スタジオで録音中のストーンズを訪問したポール。グリン・ジョンズの姿も見える。
たぶんベガーズバンケットを録音していたのだろう。



ビートルズはホワイト・アルバム録音中ジョージ・マーティン、ジェフ・エメリック
と不和が生じ、後半はクリス・トーマスが実質プロデュースを担っていた。

「原点回帰」で一発録りを目論んだポールが、ロック色の強いプロデューサーという
評判を聞きつけ直々ジョンズに依頼したわけだが、そもそもこれが不運の始まり。
(ジョージ・マーティンが映画のユニオンに加入していないため撮影スタジオで仕事
がきず、代役としてグリン・ジョンズが雇われたという説もあるが)


ビートルズは洗練されたサウンドが売りで1960年代はオーディオ面でも突出してた。
グリン・ジョンズに委ねるということは先祖返りみたいなものである。



↑まだ気が付かないの?グリン・ジョンズはポンコツよ。と言ってたのかも。。。



↑レコーディング中はそれなりに和気藹々とやっていたのだろう。
今月下旬にディズニー・プラスで配信される映画のティーザーでは、演奏を開始した
とたん遮られたジョンとポールがコントロールルームのジョンズをからかう愉快な
やりとりが見られる。



映画の予告編。ジョン、ポールの悪ふざけ、ジョンズとのやり取りが見れます。





↑屋上コンサートの直後のモニター。メンバーたちは満足してるようだ。
演奏終了時に拍手と声援を贈りポールから「Tnaks,Mo」と礼を言われたモーリンは
ここでもノリノリで聴いている。
リンゴはまだ寒いのかモーリンに借りた赤いエナメル・コートを着ている。




ポールはミックスダウンの段階で気づいのかもしれない。
グリン・ジョンズは音作りが下手、ビートルズには不向きではないか、と。

1969年3月26日に先行シングル、ゲット・バック/ドント・レット・ミー・ダウン
のミックスが行われアセテート盤が作られたが、メンバーは気に入らず却下。
4月7日ポールの立ち会いの元でミックスをやり直させている
(当然4月11日の発売日には間に合わず店頭に並ぶのはだいぶ遅れた)



<グリン・ジョンズの「ゲット・バック」で気づいたこと2-
ミックスが下手、選曲〜編集も下手、というかこの人センスがなさすぎ。>




アルバムを制作する過程を捉えたドキュメンタリー映画との連動を汲んでの上か、
中途半端なリハーサルや会話が散りばめられている。
それはそれでいいのだが、バランスが悪い。完成度の高いテイクが少なすぎる



1曲目のワン・アフター・9091月30日に屋上で演奏された1回目のテイク
後にアルバム「レット・イット・ビー」に収録されたものと同じである。

スペクターのミックスは楽器の音がクリア、かつ王道の定位で聴きやすい。
ボーカル、ドラム、ベースがセンター。ジョージのリードが右。
ジョンのギターとビリー・プレストンのフェンダー・ローズが左。

グリン・ジョンズMIXでは楽器の定位はほぼ同じだが、ポールのボーカルは右、
ジョンのボーカルは左、と完全に泣き別れ
3度でハモってるのだから2人ともセンターに配するべきだった。
そのせいで楽器とボーカルが入り乱れてグシャッとバラけた印象になっている。
しかも映像の立ち位置でいうと2人は左右逆である。




次くメドレー。
アイム・レディ (aka ロッカー) 〜セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー〜
ドント・レット・ミー・ダウン

1月22日アップル・スタジオでビリー・プレストンが初参加した日のセッション。
ファッツ・ドミノのアイム・レディ〜ドリフターズのセイヴ・ザ・ラスト・ダンス
フォー・ミーに続き、ドント・レット・ミー・ダウンになだれ込む。
4人のお遊びというかウォーミングアップ。楽しそうな雰囲気は伝わる
「次は何をやる?」「ドント・レット・ミー・ダウン、今度はまじめに」という
会話も生々しい。こういうのがリンク・トラックとして入るのはいいと思う。

しかし、その後ドント・レット・ミー・ダウン、ディグ・ア・ポニー 、アイヴ・
ガッタ・フィーリング1月22日の完成度の低いリハーサルテイクが続く
屋上コンサートの方がはるかに出来がいい

ドント・レット・ミー・ダウンはシングルB面がベストテイクなのに、何でこっち
を入れたのか?そんなに下手なビートルズを聴かせたかったのか?神経を疑う。


A面最後はシングルと同じテイクのゲット・バック。これは非の打ち所がない。
1月27日に14テイク録音された中からテイク11が完成度が高いと採用された。
一度演奏が終わった後、再開するコーダ部は翌28日に録音されたテイク。
つまり前半と後半と2つのテイクを繋げているが、違和感なくいい出来である。






B面1曲目のフォー・ユー・ブルーは1969年1月25日録音のテイク6。
スペクター版「レット・イット・ビー」収録と同じテイクであるが、スペクター版は
1970年1月8日にジョージがボーカルを録音し直したものである。楽器の定位も違う。
(間奏のWalk, walk cat walk, Go Johny go, Same ol' 12-bar bluesも追加録音)

「ゲット・バック」版はボーカルにリバーブがかかり、部分的にADT処理されてる。
ジョージがイントロをトチってジョンがQuiet please!と言ってるのが聴ける。

演奏終了後ジョンとポールの声が聴こえるが、ブート時代は入っていなかった。
(グリン・ジョンズのミックスには入ってたが、当時マスタリングの段階でカット
されたのかもしれない。今回のリマスターでは最後の会話も入れたのだろう)




テディ・ボーイはリハーサル段階。1月24日のセッション。入れるべきではなかった。
同日のトゥ・オブ・アスも未完成。「レット・イット・ビー」収録テイクの方がいい。




マギー・メイは1月24日、テディ・ボーイ・セッションの合間に録音された。
ディグ・イットは「レット・イット・ビー」収録と同じテイク。
両方ともジョンのお遊び。リンク・トラック程度の位置づけでしかない。
「ゲット・バック」版ディグ・イットはダラダラと無駄に長く聴いてて飽きる。
これもスペクターの編集技の方が優れている





そしてレット・イット・ビーザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード 
だが、なぜポールがピアノを弾きながら歌う似たような曲調を2曲並べたのか?
ここでもグリン・ジョンズのセンスというか能力に疑問符がつく。

2曲とも後にスペクターがアルバムに収録したのと同じテイクである。
が、違うのはポール(p)ジョン(b)ジョージ(g)リンゴ(ds)ビリー・プレストン(kb)
5人だけのシンプル編成での演奏だということ。


悪くない。だが物足りなさも感じる。
その原因の一つはジョンが弾くフェンダー6弦ベースの心もとない演奏力





2曲ともポールのボーカルにかけられたエコーが深すぎる
(レット・イット・ビーは後にシングル化する際、過剰エコーは補正された)


レット・イット・ビーは屋上コンサート翌日の1月31日に9テイク録音され、テイク
27-Aが採用となった。
(冒頭にテイク番号を伝える声が入っている。尚、曲の前後の会話はブートでは
なかった。前述のようにミックス段階で入ってたのをマスタリングで外したのか?)

コーラスはジョージとジョンだけで薄い。(聴こえるのはほとんどジョージの声)
(後にシングル化する際、高音部をリンダに歌わせ重厚にしている)




間奏のジョージのギター(レズリー回転スピーカーに通した音)は4月30日にオー
ーダブされたもの。
「オーバーダブを排除したアルバム」がコンセプトの「ゲット・バック」だったが、
唯一この曲のみオーバーダブが行われた(最初のギターの音も薄く聴こえる)

(一年後のシングル発売前1970年1月4日、ジョージ・マーティンの判断でジョン
6弦ベースは消してポールのベースがダビングされ、リンダも加えたコーラス、
ブラス、ジョージはディストーションのかかったソロをオーヴァーダブした。
シングル盤では後半それがバックに聴こえるが、スペクター版のアルバム収録ヴァ
ージョンではそのディストーションのソロがメインになっている。


ロング・アンド・ワインディング〜は1月26日に録音されたテイクが使用された。
(スペクター版「レット・イット・ビー」も同じテイクだが厚化粧されてしまう)




映画で見られる最終日1月31日に録音されたテイク19を選ぶべきだったと思う。
ビリー・プレストンによるゴスペル色豊かなオルガン間奏がすばらしい。
(このテイクはネイキッド、今回のDisc2に収録された)

ジョンの6弦ベースもミスがない。
ジョージはテレキャスター+レズリー回転スピーカーでシンプルに弾いている。
(1月26日テイクではアコギ+レズリー回転スピーカーのジャカ弾きがうるさい)


最後はゲット・バック (リプライズ)
ゲット・バックのフェイドアウトする後半部(1月28日録音分)の続きだ。
これは粋な計らいだ。映画のエンディングでも使用された。




<「ゲット・バック」が幻の未発表アルバムになった理由>



↑5月13日マンチェスターEMI本社で撮影。
場所も構図もデビュー・アルバムのプリーズ・プリーズ・ミーと同じ。
発売は中止されたが、既にアセテート盤が米国のラジオ曲に配布されていた。
(これを元にブートが作られた)(写真は後にベストの青盤赤盤に流用される)



1969年5月28日。グリン・ジョンズはアルバム「ゲット・バック」を完成させる。
しかし却下。ジョンは「反吐が出そうだ」と嫌悪感を露わにした。




散漫な編集にも不満だったし、彼にとっては恥部でもあったのだろう。
ゲット・バック、レット・イット・ビー、ロング・アンド・ワインディング〜と
ポールの楽曲は完成度の高いテイクが収録されている

それに対して屋上でやったワン・アフター・909を別にすれば、ジョンの曲はディグ
・ア・ポニーも自信作のドント・レット・ミー・ダウンもリハーサルの段階である。
ジョンがカウンターメロディーを加えたアイヴ・ガッタ・フィーリング もそうだ。


原点回帰に賛成したものの、思ってた以上の不出来に幻滅し憤慨もした。
後にフィル・スペクターによって華やかに装飾されたレット・イット・ビーは、
ジョンにとってマジックのように思えたのかもしれない。
(もともとジョンは自分の声を変えたがったり、ギターを極限まで歪ませたり、
オーヴァーダブを繰り返し原型を留めないくらい盛っていくやり方を好んだ)





ビートルズはゲット・バック棚上げのまま新たなプロジェクトを始動。
9月26日にアビイロードを発売する。

1969年10月マイケル・リンゼイ=ホッグはドキュメンタリー映画(1970年5月
「レット・イット・ビー」として公開される)の編集を終えた。

ビートルズは放置していた「ゲット・バック」を同時発売する必要に迫られる。
映画の中で演奏シーンがあるアクロス・ザ・ユニヴァース、アイ・ミー・マインを
つじつま合わせで追加することになった。

※アクロス・ザ・ユニヴァースは1968年初頭にレディー・マドンナのB面候補として
録音されるもジョンが納得できず、WWFチャリティ・アルバムにのみ収録された。
この音源をミックスし直して収録。
アイ・ミー・マインは1970年1月3日にジョン以外の3人で新たに録音された。
(これがビートルズの最後のレコーディングとなる)





1970年1月5日に編集し直したグリン・ジョンズ2nd.ミックスが完成した。
しかし上述の2曲を追加しテディー・ボーイをカットしただけで内容は以前と同じ

グリン・ジョンズはもうどうすればいいか分からなくなっていた。
ビートルズの意図を汲んで完成度の高いテイクを選び編集し直すという発想もなく、
負のループから抜け出せなくなっていたのかもしれない。

セッションではいい楽曲も多く、屋上コンサートを含め完成度の高いテイクもあった。
が、アルバム1枚を仕上げるには曲数が不足してたのも事実だ。



↑ジャケットも変更が加えられた。
(フィル・スペクターの「レット・イット・ビー」ではこの案は破棄され、新たに
ジョン・コッシュがデザインしたカヴァーアートが採用された)


アップルでのセッション終了から1ヶ月後の1969年2月22日に4人は再び集まり、
トライデント・スタジオでアイ・ウォント・ユーを録音している。
この時点ではゲット・バック・セッションの延長線上のつもりだったようだ。



1969年2月22日トライデント・スタジオでのアイ・ウォント・ユー・セッション。


アイ・ウォント・ユーをアルバム「ゲット・バック」に入れるという選択肢もあっ
だが、他の曲とのマッチングが良くないと判断されたのだろう
(その後この曲はEMIスタジオでオヴァーダブが施され、アビイロードに収録された。
圧倒的な存在感で、アイ・ウォント・ユーはアビイロードで正解だったと思う)



グリン・ジョンズはプロデューサー名義のクレジットも要求していた。
ジョンは「ビートルズを利用した売名行為」と激怒。ジョンズは解雇された。
(当時はマーティン卿でさえクレジットされてなかったんだから当然でしょ)



<グリン・ジョンズがもっといい仕事をしていれば・・・>



ビートルズ自身がこのプロジェクトをやり遂げられず放棄してしまったことが最たる
原因であることは明白だ。
が、グリン・ジョンズがもっと有能でセンスのあるプロデューサーで「ゲット・バック」
を完成度の高いアルバムに仕上げていれば。。。。

流れは変わってたかもしれない。フィル・スペクターの登板もなかっただろう。
バンドの不和もあれほどこじれずに、もう少し長く活動していたかもしれない。

グリン・ジョンズを戦犯にするつもりはないし、諸悪の根源は彼というのも言い過ぎ。
しかしポールが彼を起用した時から間違った方向に歯車が回り始めたのではないか。
そう思ってしまう。

ホワイト・アルバムでいい仕事をしたクリス・トーマスに依頼する選択肢もあった。



↑クリス・トーマス(左端)もゲット・バック・セッションに顔を出していた!


グリン・ジョンズが駄目と判った時点でジョージ・マーティンに泣きつくとか。。。
1970年3月発売のレット・イット・ビー、シングル盤はグリン・ジョンズではなく
ジョージ・マーティンのプロデュースである。
その流れでアルバムもマーティンに委ねれば違った視点でまとめてくれただろう。



↑ジョージ・マーティンもアップル・スタジオに時々、顔を出していた。


グリン・ジョンズがプロデュースした幻の「ゲット・バック」公式盤リリースは、
長年待ち望んでたことでビートルズ・ファンにとっては歓喜すべき大事件である。
なのに、聴いてみて手放しで喜べないのはなぜ? 

このやるせないもやもやはどこから来るのだろう。


<続く>次回はリハーサル、ジャムセッション、アウトテイクについて。


<参考資料:ユニバーサルミュージック、THE BEATLES楽曲データベース、discovermusic.jp、RollingStone、KOMPASS、 PHILE WEB、Wikipedia、他>