3年前にALSと診断され引退していたそうだ。
家族に見守られ、安らかに息を引き取ったという。
黒人R&Bシンガーの多くは(すごいとは思うが)パワフルで脂ギッシュすぎ。(1)
聴いてて疲れるから苦手だった。
その点、ロバータ・フラックは黒っぽさがいい意味で薄味。マイルドで聴きやすい。
少しハスキーで深みがあり、包容力のある声が魅力だった。
ジャズやゴスペル、ソウルを主体としながら、1970年代のフォークやロックを
うまく取り入れてる。特にこの人のバラードは絶品だ。
ピアノの弾き語りというスタイルもシンガー&ソングライター然としている。
実際に彼女はバフィー・セント・メリー、ジャニス・イアン、キャロル・ベイヤー
・セイガー、キャロル・キングなど、白人シンガー&ソングライターの曲を好んで
取り上げていた。
ロバータ・フラックのヒット曲・名曲は数多いが、代表曲は1973年に発表した
「Killing Me Softly With His Song(邦題:やさしく歌って)」だろう。
↓ロバータ・フラックの「Killing Me Softly With His Song」
https://youtu.be/DEbi_YjpA-Y?si=xfW-jXPUGeZTDh3I
4週連続でビルボード・チャート1位という大ヒットを記録している。
1973年度グラミー賞で3部門の最優秀賞を獲得した。
(最優秀レコード賞/最優秀楽曲賞/最優秀女性ボーカル賞)
ロバータ・フラックがこの曲を歌うことになったのは奇跡に近い偶然だった。
<ロリ・リーバーマンの「Killing Me Softly With His Song」>
「Killing Me Softly With His Song(邦題:やさしく歌って)」だろう。
↓ロバータ・フラックの「Killing Me Softly With His Song」
https://youtu.be/DEbi_YjpA-Y?si=xfW-jXPUGeZTDh3I
4週連続でビルボード・チャート1位という大ヒットを記録している。
1973年度グラミー賞で3部門の最優秀賞を獲得した。
(最優秀レコード賞/最優秀楽曲賞/最優秀女性ボーカル賞)
ロバータ・フラックがこの曲を歌うことになったのは奇跡に近い偶然だった。
<ロリ・リーバーマンの「Killing Me Softly With His Song」>
1971年初頭、駆け出しだったフォーク・シンガーのロリ・リーバーマンはある日、
LAのライヴハウス、トルバドール(2)で、同じくまだ売れる前のドン・マクリーン(3)
の歌を聴いて衝撃を受けた。
マクリーンの「Empty Chairs」を聴いたとき、ちょうど失意にあった彼女はまるで
「自分の心を見透かされた」ような気がしたという。
それは大切な人が去った後の「空っぽの椅子」を歌ったバラードだった。
ロリはショーのあと一人席に残って「Killing Me Softly With His Blues」という
詩をテーブルの上の紙ナプキンに書いた。
19歳だったロリは作詞家ノーマン・ギンベル、作曲家チャールズ・フォックスと
楽曲提供、制作、マネージメントを任せる契約を結んでいた。
↑作詞家ノーマン・ギンベルとロリ・リーバーマン
彼女は自分が書いた詩を2人に見せる。
Bluesという言葉が時代に合わないのという意見が出て「Killing Me Softly With
His Song」に変え、ギンベルとフォックスが曲として仕上げることになった。
「Killing Me Softly With His Song」のニュアンスは日本語で表現しにくい。
「あの人の歌、めっちゃ心に刺さってもうだめ〜」みたいな感じだろうか。(4)
I heard he sang a good song I heard he had a style
すてきな曲を歌う人だと聞いたわ 独自のスタイルがあるそうね
And so I came to see him to listen for a while
それで彼を見に来たの 少し聴いてみようと思って
And there he was this young boy a stranger to my eyes
そこにいたのは初めて見る若者だった
Strumming my pain with his fingers Singing my life with his words
ギターを奏でる指が私の痛みをかき鳴らす(5) 私の人生を歌ってる
Killing me softly with his song Killing me softly with his song
その歌はそっと私を傷つける 耐えられないくらい
Telling my whole life with his words Killing me softly with his song
私の人生すべてを言葉にして暴き 私をやさしく傷つける
(Charles Fox - Norman Gimbel 対訳:イエロードッグ)
↓ロリ・リーバーマンの「Killing Me Softly With His Song」
https://youtu.be/ua4n_sTa9f4?si=kg6IK74caZ0Gj3Sy
完成した曲は、1972年発表のロリのデビュー・アルバムに収録された。
ただし、作詞作曲のクレジットに彼女の名前はなかった。
ロリの「Killing Me Softly With His Song」は地味ではあるが、アコースティッ
ク・サウンドの正統派フォークで、澄んだ歌声が瑞々しい。
ヒットはしなかった。
ところが、奇跡が起きる。
↓マイク・ダグラス・ショーに出演したロリ・リーバーマン(1973)
「Killing Me Softly」を歌い、この曲が作られた経緯を話している。
https://youtu.be/cTyGLBANuOg?si=Awbz8GLomO1x2mLO
<ロバータ・フラックと「Killing Me Softly With His Song」>
この頃、既に売れっ子で活躍していたロバータ・フラックは、ツアーでロサンジェ
ルスからニューヨークに向かう飛行機に乗っていた。
彼女はイヤホンで機内オーディオ・プログラム(6)の音楽を聴こうと思い、機内誌の
再生リストに目を通した。
「Killing Me Softly」というタイトルが目に留まり、気になって何度も冊子を手
に取っては戻しを繰り返し、結局聴いてみた。とても気に入ったという。
機内で紙に五線譜を書き、何度も再生しながら耳コピでメロディーを採譜した。
ニューヨークに降り立つとすぐスタジオに駆け込み、リハーモナイゼーション(
元のコードの置き換え、新しいコードの付加などでコード進行を再構築していく
アレンジ手法)を行った。(7)
数日後、ジャマイカのスタジオでバンドと一緒にこの曲をリハーサルしたものの
、満足できる出来ではなかったためボツ。
数ヶ月かけて曲に取り組み、ニューヨークのアトランタ・スタジオで完成させた。
ロバータ・フラックはローランド・カーク(8)のサックスを意識して歌ったという。
不思議なのは、ヒットもしなかったロリの「Killing Me Softly〜」がなぜ飛行機
のオーディオ・セレクションのリストに入っていたのか?ということである。
そして、たまたまロバータ・フラックが「Killing Me Softly」というタイトルに
興味を持ち、耳にすることになったという偶然。
運命のいたずらだったのか、神の計らいによる巡り合わせなのか・・・・・
<ロバータ・フラックの新アレンジで蘇った「Killing Me Softly 〜」>
バックビートを強調しつつ16ビートも加え、ミディアム・テンポのバラードに
仕上がっている。
レコーディングに参加したミュージシャンはすべて黒人。
グルーヴ感(ノリ)を大切にしたかったのではないだろうか。
巨匠ロン・カーターが力強いベースライン(珍しくエレクトリック・ベース?)
を弾き、STUFF結成前(!)のエリック・ゲイルがナイロン弦ギターでサンバ
調アルペジオを弾いている。(この人がこういう演奏をするとは!)
この2つでどっしりした曲の骨格ができあがっている。
加えてラルフ・マクドナルドのパーカッション、グレイディ・テイのドラム、
ハワード大学以来の盟友であるダニー・ハサウェイのコーラス、そしてロバータ
・フラックのエレクトリック・ピアノ(音色が彼女のボーカルと相性がいい)
↑ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイ
自身とハサウェイのハーモニー、スキャットには深いエコーをかけられた。
あえて音像を濁らせ、左右に響くミックスにしてある。
この2つでどっしりした曲の骨格ができあがっている。
加えてラルフ・マクドナルドのパーカッション、グレイディ・テイのドラム、
ハワード大学以来の盟友であるダニー・ハサウェイのコーラス、そしてロバータ
・フラックのエレクトリック・ピアノ(音色が彼女のボーカルと相性がいい)
↑ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイ
自身とハサウェイのハーモニー、スキャットには深いエコーをかけられた。
あえて音像を濁らせ、左右に響くミックスにしてある。
ジャマイカのセッションで満足できず、彼女がこだわった部分はここのようだ。
きわめつけは、ヴァース(Aメロ)とブリッジ(Bメロ)の順番の入れ替え。
確かにこの入り方だとつかみがいい(聴き手を惹きつける)。
ブリッジ(Bメロ)のStrumming my pain with his fingers〜♪から入り、ほぼ
アカペラ(エレピのみ)で14小節歌い、その後ギターとベースが同じフレーズを
繰り返す8小節でたっぷりタメを作る。
きわめつけは、ヴァース(Aメロ)とブリッジ(Bメロ)の順番の入れ替え。
確かにこの入り方だとつかみがいい(聴き手を惹きつける)。
ブリッジ(Bメロ)のStrumming my pain with his fingers〜♪から入り、ほぼ
アカペラ(エレピのみ)で14小節歌い、その後ギターとベースが同じフレーズを
繰り返す8小節でたっぷりタメを作る。
盛り上がったところで I heard he sang a good song〜♪のヴァース(Aメロ)へ。
↓ジョニー・カーソンのトゥナイト・ショーに出演したロバータ・フラック。
「Killing Me Softly」とディランの「Just Like a Woman」を歌った。(1973)
クラシック、ゴスペル、ジャズの経験が役に立った、と話している。
https://youtu.be/CrjQ6BAFpn0?si=xxpB5n6YmY79cXJ6
<その後のロリ・リーバーマン>
ロリ・リーバーマンは車を運転中にこのロバータ・フラックのバージョンが偶然
ラジオから流れてきて、路肩に停車して聴き入ったという。嬉しかったそうだ。
ロリの控えめな歌はヒットこそしないものの、ラジオでは人気を博していた。
しかしロバータ・フラックの「Killing Me Softly With His Song」が大ヒットして
以降、ロリのオリジナル・ヴァージョンは影が薄くなって行く。
音楽業界への失望もあり、1980年にロリ・リーバーマンは引退する。
3児の母となっていた彼女はスポットライトを浴びない生活を送っていたが、
周りの薦めもあり1990年後半から音楽活動を再開。
2009年以降、ロリ・リーバーマン再評価の機運が高まり、知名度も上昇。
旧作のリマスターと配信。新作アルバムをレコーディングした。
ヨーロッパツアーを開始し、ホールを埋め尽くすほどの観客を集めている。
ロバータ・フラックの訃報に接したロリ・リーバーマンは声明を出した。
「ロバータ、あなたは私や多くの人々に世界を開いてくれました。
あなたの芸術的才能、やさしさ、そして私の歌で。
あなたへの感謝は一生忘れません。
あなたの旅立ちに愛と幸がありますように。。。」
<「Killing Me Softly With His Song」の作者は誰か?論争>
ロリ・リーバーマンの知名度が高まる中「Killing Me Softly With His Song」
は曲作りに彼女が関与していた、クレジットに名前がないのはおかしい、という
声が挙がるようになる。
ノーマン・ギンベルとチャールズ・フォックスはロリの関与を否定した。
ギンベルは「Killing Me Softly With His Blues はアイディア・ノートから引き出
したフレーズで、チャールズ・フォックスと2人で曲を仕上げた。
2人の作品を歌ってもらう予定だったロリ・リーバーマンに聴かせると大変気に
入り、ドン・マクリーンのライヴで彼の歌を聴き同じ気持ちになったと言った。
このロリの発言が、彼女の体験に基づいて作曲したと間違って言い伝えらえた。
いわば都市伝説だ」と言ってる。
しかし歌詞を見ると女性視点だし、明らかに彼女の体験が元になっている。
ドン・マクリーンもロン・リーバーマン作者説を支持すると公表している。
(写真:GettyImages)
そして1973年当時、ギンベルがデイリーニュースに語った記事が発掘されたこと
で、この論争は明確な結論に達した。
「彼女はマクリーンの歌を聴いたときの強烈な体験を語ってくれた。いい曲になり
そうな予感がしたので、3人で何度も話し合った」とギンベルが言ってるのだ。
現在、Wikipedia英語版の「Killing Me Softly With His Song」では作者は(クレ
ジットされていない)の注釈付きで、ロン・リーバーマンも併記されている。
海外でも日本でも著作権や出版権については、見解の相違で揉めることがある。
「Killing Me Softly」のケースも、19か20歳そこそこの新人の女の子を搾取する
エンタメ業界の深い闇の一例のような気がする。
<脚注>