ニューヨーク州ウッドストック近郊の介護施設で、安らかに眠るように息を引き
取ったという。
いかにもこの人らしい穏やかな旅立ちのような気がする。
彼が亡くなった場所は、1967年にザ・バンドがボブ・ディランと地下室で歴史的
的セッションを行ったビッグ・ピンクから数マイルしか離れていない場所だった。
一昨年には元ザ・バンドのロビー・ロバートソンが亡くなっている。
最後の一人となったガース・ハドソンはこの時、声明を出していない。
彼がウェルビーイングの状態(よい人生を送っている)かも不明であった。
ガース・ハドソンの死去によって、ザ・バンドというロック・グループが地球上
から完全に消滅したことになる。
ザ・バンドについてはあまり多くを語ることができない。知らないからだ。
薦められてアルバムを2枚買って聴いたが、どうしても好きにはなれなかった。
バッファロー・スプリングフィールドの時と同じだ。
↓一昨年ロビー・ロバートソン追悼でザ・バンドについては少し書いている。
僕が知ってるのはこのくらいだ。
https://b-side-medley.blogspot.com/2023/08/blog-post.html
サイケデリックからプログレッシブへとロックの潮流が変わり、ツェッぺリン
が登場した1960年代末。
ザ・バンドはR&Bやゴスペルなどアメリカ南部音楽をルーツとした土臭いサウ
ンドを作り出していた。
時代に争うかのような彼らの泥臭さは、それはそれで画期的だった。
ザ・バンドほど洗練、進化という言葉と程遠いロックはなかっただろう。
同じスワンプ・ロックでも、リトル・フィートは16ビートのフュージョンや
ファンクを取り入れたジャムを得意とし、もっと柔軟に変化して行った。
オールマン・ブラザーズ・バンドもスイング感のあるブルースを中心に、
、サンバ、カントリー、フュージョンを取り入れ多彩な音楽を作っていた。
CCRはストレートなR&Rでキャッチーだったため、ヒットにも恵まれた。
さて、ザ・バンドにおけるガース・ハドソンの立ち位置はどうだったのか?
ガース・ハドソンを知ってる日本人ってどれくらいいるのだろう?
近代以前の生活様式で自給自足の生活を営むアーミッシュのようでもある。
中世のイギリスを描いたテリー・ギリアムの映画に出てきそうな雰囲気だ。
ガース・ハドソンは寡黙であり、謎の男であった。
ザ・バンドのインタビューでもほとんど口を開かず、主張しなかった。
歌わない唯一のメンバーということも、彼を目立たなくしていた。
いつも後ろの方で控えめではあるが、とびきり素晴らしい演奏をしていた。
↓アルバム「Music from Big Pink」収録曲の「Chest Fever」。
ガース・ハドソンが弾く荘厳なオルガン(ローリー社のフェスティバル)
によって曲が導かれる。
The Band - Chest Fever
https://youtu.be/es_uhcxXUYk?si=YheDgOToBl8VP2rD
↓映画「Last Waltz」の1シーンだが、ロビー・ロバートソンのギター・ソロ
の合間にガース・ハドソンが極上のサックスのソロを聴かせる(4'30"〜)
The Band - It Makes No Difference (Last Waltz)
https://youtu.be/ZfBqWNFOVo8?si=OB6unIT-L9DuwmjY
ガース・ハドソンはオルガン、ピアノ、アコーディオン、サックス、フィドル、
など多くの楽器を演奏できた。
謙虚な天才である彼は、開拓者精神に満ちた素朴な音楽を奏でるザ・バンド
というグループを象徴する存在であった。
ザ・バンドのごく初期から、ガース・ハドソンは仲間たちに音楽理論とハ
ーモニーを教え、グループの音楽性を向上させた。
というグループを象徴する存在であった。
ザ・バンドのごく初期から、ガース・ハドソンは仲間たちに音楽理論とハ
ーモニーを教え、グループの音楽性を向上させた。
「ガース・ハドソンと共演できるのに、一緒に演奏しない奴はバカだ」と
レヴォン・ヘルムがかつて語っていたことがある。
ロビー・ロバートソンは「ガースはロック界で最も先進的なミュージシャン。
僕らとやるのと同じくらい簡単にコルトレーンやニューヨーク・フィルとも
演奏できるだろう」と言っていた。
ガース・ハドソンはザ・バンドという音楽共同体において、他のメンバー
より何歳も年上で、思慮深い父親のような存在であった。
「ガースの性格のおかげでザ・バンドははあんな良いサウンドになったんだ」
とレヴォン・ヘルムは認めている。
年明けに開始したゲット・バック・セッションで、ジョージがビリー・プレ
ストンを誘ったのは、ガース・ハドソンのような役割がビートルズに必要と
考えたからだ、という説もある。
個人的には、ザ・バンドよりも他のアーティストのセッションに参加した
時のガース・ハドソンの演奏が気に入ってる。
↓「Ballad of a Thin Man」ではディランの歌メロを縫うように、ガース・
ハドソンがオルガンでカウンター・メロディを弾いている。
単音のメロディでありながら、彼の紡ぎ出す音はコード(和音)をイメー
ジさせ、曲に陰影を与えている。
https://youtu.be/we37yX3zpKA?si=niMu2fRg4PqckD0d
↓カーラ・ボノフが歌う「The Water Is Wide」(トラディショナル)
では、ガース・ハドソンのアコーディオン・ソロ(1'57")が絶品。
この後ジェイムス・テイラー、J.D.サウザーも加わった美しい3声ハーモ
ニーの後ろで控えめに鳴り続ける。
Karla Bonoff - The Water Is Wide
https://youtu.be/VCR0MllrO-4?si=DtiSlKSimqcKPpwY
↓ジョージ・ハリスンの「Living in the Material World」2024 Mixでは、
ザ・バンド(リチャード・マニュエルを除く4人)が参加したSunshine
Life For Me が公開された。
カントリーフレーバーたっぷりのフィドルはガース・ハドソンの演奏。
George Harrison - Sunshine Life For Me (Sail Away Raymond)
https://youtu.be/SjQrnhHOpl4?si=ZvCtDZxnvjrXei-E
教授と尊敬されたガース・ハドソンは、友人たちからは親しみを込めて、
「The Bear」(クマさん)の愛称で呼ばれていたそうだ。