<ネスカフェのCMと「やさしく歌って」>
ロバータ・フラックの Killing Me Softly With His Song(やさしく歌って)・・・
ああ、ネスカフェのCMソング。日曜洋画劇場でよく流れてたっけ。
50代以上の方はこう記憶している人が多い。
実はCMで歌ってるのはロバータ・フラックではない。
マデリン・ベルという英国の黒人女性シンガーだ。
☕️ネスカフェCM ネスカフェは世界のことば篇 60秒 1973年(1)
曲:Killing Me Softly With His Song 唄:マデリン・ベル
改めて聴くと、ロバータ・フラックとは声質も歌い方も違う。
演奏はエレピを中心としたバンド編成で、イントロもロバータ・フラックのヴァー
ジョンとは異なる。
歌詞もCM用に書き換えられている。
こう歌ってるんじゃないかと思う、たぶん(間違ってたらごめんなさい)
The night is way to morning to start the brand new day,
All round the world you find the word that you want to say
I need some quiet morning wherever you may be
You find that you say the same things, find that you feel the same way
Find that it's same the world over, Nescafe, Nescafe, the world over,
You say Nescafe, Nescafe
<ネッスル日本の広告キャンペーン>
ネッスル(現:ネスレ)は「One World of Nescafe」をスローガンに掲げ、
世界共通の広告キャンペーンを展開していた。
日本では1966年に国内生産を開始したのを機に、世界共通ブランドであることを
アピールするために和訳した「世界中どこでも、ネスカフェ」を使い始める。
広告代理店はマッキャン・エリクソン(2)であった。
当時ワールドワイドでマッキャン・エリクソンがネッスルのアカウントを持って
いて、日本でもマッキャンが担当することになったのだろう。
マッキャン・エリクソンのクライアントの多くは、高度成長期に日本に進出し、
大きく成長した欧米ブランドである。
コカ・コーラ、ケンタッキー・フライドチキン、アメリカ.ンエキスプレス、ロレ
アル、デルモンテ、ナビスコなど。
こうした外資系企業は広告、特にTVCMの影響力を理解していた。
日本の市場でシェアを取るために巨額の広告費を投じていた。
ネッスル日本はコカ・コーラと双璧をなすマッキャンの重点クライアントだった。
おそらく当時の2大国内自動車、ビール・ウイスキーに次ぐくらいの広告費だった
のではないかと推測する。
当然、TV・ラジオ局、新聞社、雑誌社にとってはありがたいクライアントだ。
ネッスル日本はテレビ創成期の頃から数多くの提供番組を抱え、ピークの時には
1週間で10番組提供していたこともあった。(3)
番組提供の他にスポットCMも出稿していたので、相当なCM露出量である。
<日曜洋画劇場とネスカフェのCM>
その中でも日曜洋画劇場は、ネッスル日本提供のイメージが強い番組だ。
テレビ朝日(旧:NETテレビ)系列で1966年から放送されていた初の洋画番組。
お茶の間でアラン・ドロンやチャールズ・ブロンソンやオードリー・ヘップバーン
が見られるのだから、当時としては画期的であった。
映画評論家の淀川長治の解説とサヨナラ、サヨナラが番組の顔になった。
ネッスル日本は1966年の番組開始から提供。
主要スポンサーには、企業イメージと洋画との親和性で、サントリー、松下電器、
ネッスル日本、レナウンが選ばれる。
4社によるスポンサー体制は長く続いた。
余談だが、当時マッキャンでネッスル日本の日曜洋画劇場提供に携わったという
方に話を伺ったことがある。
日曜の夜、家族と番組で流れるネスカフェのCMを見て感無量だったそうだ。
かなり大変な思いされて、提供を獲得したのだろう。
ネスカフェのCMは世界の街と人々が映され英語の歌が流れる。
洋画劇場のイメージに合っていた。
だから「日曜劇場でネスカフェのCM」を見た記憶に刷り込まれている。
でも「ロバータ・フラックが歌ってた」は勘違い、思い込みだ。
このCMがマッキャン・エリクソンがワールドワイドで流すCMとして制作された
素材を編集して日本向けにローカライズしたものなのか?
それとも日本独自で制作したものなのか?
それは分からない。知ってる方がいたら教えてください。
もし後者だとしたら、かなりお金をかけてロケをした贅沢なCMである。
世界の(ほとんどが欧州)人々の一日を紹介し「ゆたかな時間、くつろぎの
ひと時にネスカフェがある」とナレーションが入る。
裕福な家族やアッパーミドルクラスの人たちがコーヒーを味わい、テーブルの
真ん中にインスタントコーヒーがデンと置いてあるのが不自然な気はするが・・・
<「世界中どこでも、ネスカフェ」シリーズ>
1977年に再びマデリン・ベルの歌で同じ曲を使用。
新録音でストリングスを入れた新しいアレンジになっいる。
☕️ネスカフェCM 夏はアイスで篇 30秒 1977年
曲:Killing Me Softly With His Song 唄:マデリン・ベル
翌1978年は曲が「The Way We Were(追憶)」に変更になる。
バーブラ・ストライサンドが主役を演じた映画「追憶」の主題歌で、彼女
自身の歌が1974年ビルボード誌で3週間1位というヒットとなった。
歌詞はCM用に変更され、マデリン・ベルが歌っている。
☕️ネスカフェCM いい朝いい一日篇 60秒 1978年
曲:The Way We Were(追憶) 唄:マデリン・ベル
※ハッピー感を出すためか、エンディングがメジャー・キーになっている。
1979年は曲はそのままで歌はクレア・トーリーに変わった。
この人は英国の白人歌手で、ピンクフロイドの「The Great Gig In The Sky」
でのスキャット(後半はシャウト)が有名。
☕️ネスカフェCM ゆたかな味わい/しいくつろぎ/夏はアイス篇 60秒 1979年
曲:The Way We Were(追憶) 唄:クレア・トーリー
1980年からはCM曲が「One World of Nescafe」になる。
ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズという長ーい名前
のコーラスグループの「The One World Of You And Me」が元ネタ。
これまではCM用に歌詞を書き換えていたが、この曲はそのまま生かし、最後の
「The one world of you and me」だけ「The one world of Nescafe」になる。
CMごとに複数の女性歌手に歌わせている。
☕️ネスカフェCM スイスの首都ベルンの朝篇 30秒 1980年
曲:One World of Nescafe 唄:キャロル・チェイス
☕️ネスカフェCM スイス・アイガーの冬篇 30秒 1982年
曲:One World of Nescafe 唄:不明
☕️ネスカフェCM パリの夏篇/シャンゼリゼ篇 60秒 1982年
曲:One World of Nescafe 唄:ジャニス・イアン
☕️ネスカフェCM パリの朝篇 1982年
曲:One World of Nescafe 唄:ステファニー・デ・サイクス
1985-1987年、ネスカフェはネスカフェ・エクセラへ改称される。
コピーは「このひと時、ゆたかな味わい」になる。
曲も「Do You Know Where You're Going To(マホガニーのテーマ)」へ。
映画「マホガニー物語」で主役を務めたダイアナ・ロスが歌いヒットした曲。
CM用に歌詞を変更されている。
☕️ネスカフェ・エクセラCM 1985-1987年
曲のアレンジや歌手はCMごとに変えている。男女のデュエットも登場。
オランダの運河飛び篇/ヨット・夏はアイス篇/絵画教室篇/パン屋篇/アムステル
ダム篇/ナツ・シズル篇/オランダ・バイク旅篇/手紙篇/仕事篇/パン屋閉店篇
曲:Do You Know Where You're Going To 唄:不明
<ダバダ〜♫のネスカフェ・ゴールドブレンド>
尚、多くの人が憶えていると思うが、ダバダ〜♫はフリーズドライ製法で作られた
ネスカフェ・ゴールドブレンドのCMソング「めざめ」である。(1970年から継続)
☕️曲:めざめ 唄:伊集加代子(日本のスキャットの第一人者)
作家の遠藤周作、歌舞伎役者の中村吉右衛門、ファッションデザイナーの山本寛斎
、作家の阿川弘之など文化人が出演し、ゴールドブレンドを堪能するというCM。
キャッチコピーは「違いがわかる男のゴールドブレンド」。
が、中村紘子など女性も起用されるようになり「違いがわかる人」に変更された。
<脚注>