2025年6月29日日曜日

「太陽がいっぱい」と「リプリー」



Netflixで映画「リプリー(The Talented Mr. Ripley)」を観た。

アラン・ドロンの出世作、1960年の「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」(1)
のリメイクと話題になったが、より原作に忠実なプロットになっている。




<「太陽がいっぱい」では描かれなかった経緯>

主人公トム・リプリーはニューヨークで暮らす貧しく孤独な青年。
時代は1950年代終わり頃。この設定は同じ。


トムはピアノ弾きの代役を務めたパーティーで、大富豪グリーンリーフに「息子
のディッキーと同じプリンストン大学の卒業生」と勘違いされる。
着ていた借りもののジャケットがプリンストンのエンブレム入りだったせいだ。





トムは「ディッキー(「太陽が」ではフィリップ)を知ってる」と話を合わせる。
グリーンリーフはトムを気に入り「地中海で遊び呆けているディッキーを連れ戻
してくれないか」と頼む。報酬が高額だったため、トムは引き受けてしまう。

ジャズ好きというディッキーと話を合わせるために、トムはジャズを猛勉強し、
イタリアに向かう。





ディッキーを見つけたトムは「同窓生だ。憶えてないか」と話しかける。
初めは疎ましく思ったディッキーだが、ジャズの話で意気投合し、周りにいない
タイプという物珍しさもあり、トムを連れ回して遊ぶようになる。

この辺のくだりが「太陽がいっぱい」では省略されていた。(2)





<「リプリー」のあらすじ、「太陽がいっぱい」との違い>

ディッキーにはマージという恋人(「太陽が」ではマルジュ)がいる。
マージとディッキー、トムの3人は、南イタリアで贅沢なバカンスを楽しむ。






ディッキーは傲慢で身勝手で奔放だが、上流階級のエレガンスを身につけた
気前よく陽気な男であった。当然モテるから他の女にも手を出す。
トムは彼の優雅な生活に憧れるが、いつしかディッキーに愛情を抱き始める。

「太陽がいっぱい」では描かれなかったが、トムはゲイだった(3)






トムの物珍しさにも飽きたディッキーは徐々に彼の存在が疎ましくなる。
激しい罵りで別れを告げられたトムは、発作的にディッキーを撲殺してしまう
漂うボートの上で愛しそうにディッキーの死体に寄り添うのだった。







「太陽が」のトム(アラン・ドロン)は虐られた怒りから、フィリップを殺して
彼になりすまし財産を奪う、という冷酷で大胆な殺人計画を緻密に練っていた。
しかも、手口をフィリップに暴露してから実行している。

一方「リプリー」のトム(マット・デイモン)はホテルのフロントでディッキー
と間違われたことから、なりすましを思いつく。計画的ではなかった




トムとディッキーを巧みに使い分け、悠々自適な生活を続けるトムだったが、
ディッキーの旧友フレディが訪ねて来て詰め寄り、窮地に立たされる。



↑右手前の頭像が凶器になる😱



トムの嘘に気付き階段を上がり部屋に入って来たフレディを撲殺するシーン、
泥酔した友人を介抱するふりして、死体を車に乗せるシーンは「太陽が」でも
お馴染みのシーンだ。

そしてディッキーがフレディを殺し、それを苦に自殺したと偽装する。








マージはトムを怪しむ。
ディッキーの父親は息子が過去に暴行事件を起こしているため「フレディ殺しを
悔やんで自殺」というトムの話を信じ、内密にする条件でディッキーへの仕送り
をトムが受け取るようにする。

「太陽が」と違うのは、トムがマージに対して恋愛感情がないことだ。
遺産強奪に彼女を利用する、という発想もない。
そもそもディッキーからすべてを奪うという野心はなく、突発的な殺人だった








トムはゲイの青年ピーターと恋仲になり、船旅に出かける。
しかし、船上で名家の令嬢メレディスと出会ってしまう。
彼女はトムをディッキーと信じ、愛していた。そこをピーターに見られる。
嘘をつき続けることに苦しむトムは、愛するピーターをも手にかける。


この2人とのエピソード、3人目の殺人は「太陽が」では描かれていない
そして「太陽が」のあのドラマチックなエンディング↓とはだいぶ異なる。(4)








<キャストとキャラクター設定、ファッション>

主人公トム・リプリー役はマット・デイモン(5)
孤独で冴えない青年を演じている。野暮ったさもいい塩梅だ。

トムはネイビーのブレザー、カーキ色のチノパン、ボタンダウン・シャツに
ニットタイ、ブローグシューズ、ウェリントンの眼鏡(アメリカン・オプチカル
の1950年代ヴィンテージ)と典型的なアメリカ東部の学生といった服装





美しいイタリアのアマルフィ海岸には不釣り合いで、浮きまくっている。
コーデュロイのジャケットも夏の地中海では場違いである。






ディッキー役のジュード・ロウの服飾術ははそれと対照的に洗練されている。
彼のワードローブはすべてイタリアで完璧に仕立てられた、粋でクラシカル
なものばかり。
上流階級しか醸し出す事ができない優雅さと上質さを感じさせる。


しかもそれが自然にライフスタイルになっているのだから素敵だ。
たとえ殺されても仕方ないないと思えるくらいサイテーな男だとしても。





↑無造作にロールアップされた白いパンツ、素足に白のローファー。
左のマット・デイモンはボトムが重い。せめてソックスと靴は明るい色に。



「イングリッシュ・ペイシェント」も手がけたゲイリー・ジョーンズ衣装
担当している。

ジャケットはすべてイタリア製で肩のラインを強調しないソフトなデザイン
時代考証の上でディッキーのシャツはジャストサイズにデザインされている。
ヴィンテージの服も参考にしたそうだ。




劇中の衣装の色合いは、タンやグリーン、深みのあるブルーなど地中海的な
色みで仕上げたそうだ。



↑水色のタイ、ネイビーのジャケットと白いパンツのコーデが絶妙。
一見レジメンタル・ストライプのようだけど、やっぱりイタリアだなー。



ディッキーの恋人マージは、「太陽が」のマルジュ(マリー・ラフォレ)の
ような惹きつける魅力、存在感がまったくない。



↑マリー・ラフォレは目力があった。アラン・ドロンもだけど。






その代わり「太陽が」には出てこない富豪の令嬢役で、ケイト・ブランシェット
が出演している。
彼女はトムを自分と同じ上流階級のグリーンリーフの子息ディッキーであると
信じ込み、好意を寄せる。




この人は裕福で上品な女性の役がよく似合う
まだ30歳くらいのケイト・ブランシェットは本当に美しい。



↑これは撮影中の写真。この人は所作が素敵。フォトジェニックだ。



トムと恋仲になるゲイの青年ピーターも「太陽が」には出てこない人物だ。


ディッキーの友人フレディフィリップ・シーモア・ホフマン)は「太陽が」
の時と風貌も、陽気だけど横柄な態度もそっくりだった。



                          (写真:bridgeman images)


<車、バイク>

フレディの愛車は赤い1956年製アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー。
映画好きの方なら分かると思うが、「卒業」でダスティ・ホフマンが乗って
いたものと車種も色も同じだ。
この車はしばしばディッキーも借りて乗り回している。





ディッキー役のジュード・ロウがピンク色のショーツに上半身裸で島の女
(ディッキーが孕ませて投身自殺する)と話をするシーンがある。
この時、彼が乗っているスクーターはベスパである。





トム役のマット・デイモンがランブレッタの後ろにケイト・ブランシェット
を乗せて街を走るシーンもあった。




ベスパとランブレッタは人気を2分するイタリア製スクーターであった。(6)



<音楽>

音楽のブログなのに最後になってしまった(笑

「太陽がいっぱい」はニーノ・ロータによるテーマ曲が印象的だった。
あの映画が世界的なヒット作となり、愛され続けるのはアラン・ドロンの魅力
とニーノ・ロータ(7)の音楽があってこそ、と言っても過言ではない。



アラン・ドロンは煙草の吸い方もカッコよかった・・




「リプリー」の音楽はガブリエル・ヤレドというフランスの作曲家が担当
この人は作曲家・アレンジャー・オーケストレーターとしてジャック・デュ
トロン(8)、フランソワーズ・アルディ、ミレイユ・マチューなどフランスの
歌手のレコーディングに携わっていたらしい。


劇中の音楽は、前半は明るくジャズやイタリアの大衆音楽に彩られている。

トム(マット・デイモン)が歌う「My Funny Valentine」は弱々しい声で抑揚
を抑えた歌唱だが、あえてチェット・ベイカー風に歌った(9)のだろう。




トムはディッキーに会う前にジャズを片っ端から聴き、頭に叩きこんでいた。
声色を真似るのは、トムにとっては朝飯前だったはずだ。
映画のタイトル、The Talented(多才な、器用な) Mr. Ripleyのとおり。



My Funny Valentine ~ The Talented Mr. Ripley (OST)


My funny valentine, Sweet comic valentine
You make me smile with my heart
Your looks are laughable, Unphotographable
Yet you're my favorite work of art

私の愉快なバレンタイン 優しくて面白いバレンタイン
私を心から笑顔にしてくれる
見た目は笑えるし 写真映えしない
でも、あなたは私のお気に入りの芸術作品


トムが歌うと自虐的にも聴こえるが、ディッキーはどう思ってたのか。









後半はトムの心象風景を反映したかのような、ヤレドによる沈鬱なオリジナル・
スコアが続く。
下降旋律と不協和音を含むコードは不安な気持ちにさせる。





シニード・オコナー(10)が歌うLullaby For Cainもヤレドの作曲で耽美な曲だ。

「カインのための子守唄」というのは、旧約聖書に登場するアダムとイヴの息子
たち、カインとアベルの兄弟の兄カインのことらしい。
カインはアベルを殺してしまう。人類最初の殺人と言われる。
ディッキーを殺したトムをカインに準えているのではないかと思われる。







監督のアンソニー・ミンゲラが歌詞のコンセプトを考え、シニード・オコナー
が詞を書き歌ったようだ。

Lullaby For Cain ~ The Talented Mr. Ripley (OST)



この曲の旋律が、他のインストゥルメンタルでバリエーションとして使われる。
個人的にはこのオリジナル・スコアが耽美で魅力的だと感じた。


OST(オリジナル・サウンドトラック)盤も発売されている。
サウンドトラックあるあるで、ジャズ、イタリア大衆音楽、オペラなどいろい
ろな音楽とオリジナル・スコアが一緒くたで散漫な印象は拭えない。



 
<脚注>

2025年6月14日土曜日

西海岸の光と影、天才ブライアン・ウィルソンが逝去。


                    (写真:gettyimages)


ジョージ・マーティン卿が生前に「生存する最も偉大な音楽家は?」という質問
に「ブライアン・ウィルソン」と答えている。
ポール・マッカートニーじゃないのがちょっと意外だった。

ブライアンの天才たる所以は、美しいメロディ、コード、曲構成による斬新な
ソングライティング力に加え、バンドの枠組みを超えたオーケストレーション、
ハーモニー構築、サウンドプロダクションまで完璧である点だろう。



もちろんジョン、ポール、ジョージも美しい3声のコーラスを聴かせてくれる。
だがBecauseのような複雑なハーモニーはマーティン卿に頼った。
彼らはピッコロ・トランペットを間奏に、イングリッシュホルンを使いたいと
ユニークなアイディアを出すが、スコアはマーティン卿に委ねていた。



↑ブライアン・ウィルソンとジョージ・マーティン


ビートルズのプロダクションが強力なチームで民主制であったのに対し、ビーチ
ボーイズの曲はブライアンの頭の中で完璧に構築され、彼が全てを掌握していた

バート・バカラックやリチャード・カーペンターと並ぶ偉大なアメリカの音楽家
であったことは間違いない。




ビーチボーイズの中心メンバーで、カリフォルニア・サウンドを象徴する楽曲を
数多く生み出したブライアン・ウィルソンが死去した。享年82歳。死因は不明。

Love And Mercy(愛と慈悲を) 心より御冥福をお祈りいたします。





ブライアンは長年にわたり精神疾患やアルコール中毒、薬物依存と闘ってきた。
昨年、メリンダ夫人が亡くなってから支離滅裂なことを言い出したという。
認知症に似た神経認知障害を患っていることが明らかになり、家族が後見制度
の申請を行ったそうだ。




ブライアンは1961年、弟のカールとデニス(1)、いとこのマイク・ラヴ、同級生の
アル・ジャーディンとペンドルトンズを結成。
バンド名はペンドルトン社のチェック柄シャツが西海岸で流行っていて(2)彼ら
もお気に入りだったことに由来。
キャピトルと契約した際、ビーチボーイズと改名した。



↑彼らが着たペンドルトンのシャツはビーチボーイズ・モデルとして今も人気だ。



ビーチボーイズは西海岸の明るく開放的なイメージを曲にしヒットを連発した。
歌われているの題材はサーフィン、海、太陽、女の子、ホットロッド(車)。

Surfin' U.S.A.、Fun, Fun, Fun、I Get Around、California Girlsなど。
村上春樹の小説タイトルにもなったDance, Dance, Danceもそうだ。


↓The Beach Boys - Dance, Dance, Dance (2003 Stereo Mix)
(1'14"〜ヴァースの途中なのに強引に転調する絶妙さ。カッコいい!)

↓The Beach Boys "I Get Around" on The Ed Sullivan Show






どの曲もコーラスワークが絶妙で、ブライアンのファルセットが冴える
4声の複雑なハーモニーは、ブライアンの頭の中に緻密で組み立てられた


以前、山下達郎氏が「ビーチボーイズのハーモニーの肝は低音のパート」と
いうようなことを話していた。
素人には一番低いメロディーラインも真ん中のパートも音が拾いにくい。
それらが独立したメロディーとして自在に動きながらも、曲の屋台骨として
支えているから、一番上のファルセットがキラキラが輝くのだろう。





個人的にはスロー~ミディアムテンポの曲で聴ける美しく重厚なコーラスと静謐
なメロディに特に惹かれた。

ロネッツのBe My BabyにインスパイアされたというDon't Worry Baby。
Surfer Girl、Girls on the Beach、In My Room、Please Let Me Wonder、
I'm So Young。Kiss Me, Baby、And Your Dream Comes Trueなど。


↓The Beach Boys- Girls On the Beach (Stereo)
(一時転調を繰り返し、ヴァース半ば1'35"で一気に転調する荒技に脱帽)

↓The Beach Boys- In My Room (Live 1964)







ビートルズを筆頭に英国勢が全米ヒットチャートを席巻していた1960年代中頃。
彼らに対抗できたのはモータウン系以外では、ビーチボーイズとディランくらい
だったのではないか。


ブライアンの作曲家、アレンジャー、サウンドメイカー、プロデューサーとして
の才能ははどんどん進化して行った。
敬愛するフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド(3)を取り入れる。

完璧主義のブライアンはレッキング・クルー(4)と呼ばれるスタジオ・ミュージ
シャン集団に演奏を委ね、スタジオ作業に専念するようになる。
バンドのツアーには参加しなくなった。(5)







ビートルズの「ラバーソウル」(6)に感銘を受けたブライアンは、より質の高いア
ルバムを作ろう、ビーチボーイズの音楽を新しい境地へと導こう、と決意する。

作詞家のトニー・アッシャーとブライアンは内省的で、孤独感や切なさを滲ませ
た、そしてひたすら美しい曲を作った。
ブライアンは綿密なアレンジを練って、それらの曲をさらに美しく彩った。





しかしレコード会社もファンも、そして他のメンバーたちも困惑した。
新作にはカリフォルニアの太陽もビーチも素敵な女の子もホットロッドもない。
みんなが期待している「ビーチボーイズの世界観」ではなかったからだ。

「こんな音楽、誰が聴く?ペットにでも聴かせるのか?」と言うマイク・ラヴ
の皮肉からアルバム・タイトルは「ペット・サウンズ」と命名された。
「ペット・サウンズ」がセールス面で振るわず評価も得られなかったこともあり、
ブライアンは重度の精神障害に陥ってしまう。





しかし「ペット・サウンズ」は英国では2位を獲得し、高い評価を得た。
NME誌の人気投票でビーチボーイズは、ビートルズをおさえて1位となる。


ポール・マッカートニーは「ペット・サウンズ」は特別なアルバムと言い、
収録曲の「God Only Knows」(7)を「史上最高の曲」と称賛している。


The Beach Boys - God Only Knows (Remastered 1999)






「ペット・サウンズ」はビートルズの実験精神を後押しし、「サージェント・
ペパーズ」を産むことになる。



ポールとブライアンは同い年で、2人とも優れたメロディーメーカーであった。
またバンド内でベーシストであり、ロックの楽曲におけるベースラインを新しい
次元にまで高めた、という点でも共通している。

「ラバーソウル」でも「ペットサウンズ」でもベースのルート外し(8)が聴ける。
リズム楽器にとどまらず、カウンターメロディを奏でる楽器に昇華させている。




↑ブライアンはデビュー時はサンバースト、後にホワイトのフェンダー・プレシジ
ョンベースを使用。親指で弾きマイルドな音を出していた。


もっともポールが優れたプレイヤーとして現役であり続けたのに対し、ブライアン
自身はテクニックがあるわけではなく、彼自身も演奏にこだわっていなかった。
そのため考えたベースラインを、レッキングクルーの女性ベーシスト、キャロル・
ケイ(9)に弾かせていた。




ブライアンは作詞家ヴァン・ダイク・パークスと共にポピュラー音楽のあり方を
一新しようと、精緻に構成された音楽組曲「スマイル」の制作に取り組む。

が、精神的な問題、薬物依存もありセッションは次第に頓挫し、迷路に嵌る。
加えて、バンド内の不和、レコード会社からの重圧、などブライアンの神経は
破綻し「スマイル」は「幻の名盤」となった(10)





先行シングルGood Vibrationsだけが発売された。
変化する曲構成、テルミンの使用など実験的ではあるが、ビーチボーイズらしい
キャッチーな曲でヒットした。

Good Vibrations (2021 Stereo Mix)



↓Good Vibrationsのレコーディング風景が見れます。これはレア!

Good Vibrations the Lost Studio Footage






「スマイル」制作中のブライアンをポールが表敬訪問している。
「新譜を出すなら急いだほうがいい。もうすぐ僕らがすごいのを出すから」
とポールはブライアンに言ったそうだ。(11)

その「すごいの」とは「サージェント・ペパーズ」のことだった。
「サージェント・ペパーズ」を聴いたブライアンは「敵わない」とショックを
受ける。彼の精神状態はまずます悪化して行った。






その後のブライアンは廃人状態で、薬物中毒、アルコール依存がひどくなる。
体調のいい時にバスローブ姿で階下のスタジオに現れ参加する、などビーチ
ボーイズでの楽曲制作、レコーディングへの関与は限定的となって行く。




精神科医の治療を受けたブライアンは1980年代末からソロ活動を開始する。

映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」は1960年〜1980年代のブラ
イアンを描いた伝記映画(2014年)である。(12) 一見の価値あり。







ブライアンの完全復活は1998年発表のアルバム「イマジネーション」からだ。

1999年には初のソロ来日公演を果たす。
あのブライアンが本当に飛行機に乗ってやって来れるんだろうか?と半信半疑
だったが、元気な姿を見せ自身のバンドでビーチボーイズ以上にビーチボーイズ
なサウンドを聴かせてくれた。

かつて美しいファルセットだった声はつぶれ、音程も不安定だったが、ファン
は誰も気にしなかったと思う。
僕の後ろの席には、ブライアンが再婚したメリンダ夫人が座っていた。
ブライアンの復活は彼女の力が大きかったようだ。

2002年は名盤「ペット・サウンズ」全曲再現ツアーを敢行。再来日した。





2004年には幻の名盤「スマイル」をブライアンが新たに録音し、ソロ作品として
完成させた。(13)
その翌年2005年には3度目の来日で、全曲を日本のファンに披露した。

これが「スマイル」の全貌だったのかという感動と、1967年に発表してたらロッ
クの歴史は違っていたかも?実に惜しい・・・という思いだった。


Brian Wilson - Surf's Up







ブライアンとポールの友情物語は続いていた。
ポールはインスタグラムでブライアン・ウィルソン追悼の意を表明している。

「ブライアンには曲を痛ましいくらい特別なものにする、神秘的で天才的な
音楽センスがありました。(中略)
ブライアン・ウィルソンを失い私たちがどうやっていくのか。
「God Only Knows」(神のみぞ知る)です。
ありがとう、ブライアン。ポール」。


<脚注>