(1970年第3回目 ザ・フーのステージ。後ろ姿はピート・タウンゼント)
ワイト島フェスティバル(アイル・オヴ・ワイト・フェスティバル)は1968年
から3年連続で、イギリスのワイト島で行われた野外音楽祭である。
バラエティに富んだアーティストが参加するオムニバス・コンサート、野外に
設置された会場、観客動員数、その後の野外フェスティバルの原型になるなど
同時代に開催されたウッドストック・フェスティバルと似ている。
ウッドストックがカウンターカルチャーを語る上で重要なイベントとして広く
記憶されているのに対して、ワイト島の方は語られることが少ない。
知る人ぞ知る、または知ってるようで知らない伝説のコンサートである。
<開催場所>
ワイト島フェスティバルはイングランド南岸にあるワイト島で行われた。
温暖な気候、海岸の美しい景色、青々とした野原や丘陵・尾根で知られる行楽
地である。
ロンドンからワイト島へは電車とフェリーで2時間半から3時間かかる。(1)
<第1回目 Isle of Wight Festival 1968>
ワイト島のプール建設のための資金集めが当初の目的だったという。
最初のイベントはかなり粗末なもので、ステージは平べったいトラックの荷台
を並べただけだったらしい。
1968年、ウッドストックの1年前に行われた。
開催日:1968年8月31日-9月1日、2日間
観客数:1万人
出演)アーサー・ブラウン、ザ・ムーブ、ティラノザウルス・レックス(T-REX)、
スマイル、エインズレー・ダンバー・レタリエイション、プラスティック・ペニー、
フェアポート・コンヴェンション、プリティ・シングス。
名が知れたアーティストはジェファーソン・エアプレイン(アメリカから参加)
くらいだった。(T-REXはまだ人気が出る前である)
主催者たちは翌年、きちんとやろうと再挑戦することを決めた。
<第2回目 2nd Isle of Wight Festival 1969>
開催日:1969年8月30日-31日、2日間
観客数:15万人
出演)ボブ・ディラン、ザ・バンド、ナイス、プリティ・シングス、マーシャ・
ハント、ザ・フー、サード・イアー・バンド、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・
バンド、ファット・マットレス、ジョー・コッカー、ムーディ・ブルース、
ペンタングル、フリー、キング・クリムゾン、リッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は2週間前のウッドストック・フェスティバルにも出演している)
第2回目の成功はボブ・ディランの出演に尽きるだろう。
ディランはザ・バンドを伴ってのステージである。
ディランは1966年のオートバイ事故以降、人前で演奏を行っていなかった。
マネージャーはディランのカムバックはウッドストックで大々的に(2)と考え
ていた。
主催者たちは数週間にわたって、ディランの説得(3)を試みる。
その際に見たワイト島の文化・文芸を紹介する映像にディランは感銘を受けた。
そしてこの島へ家族旅行を兼ねて訪れることを約束し、出演を決めたそうだ。
(ワイト島に到着したディラン夫妻)
多くの人がディランを見るために、ワイト島に集まって来た。(4)
久々のディランのライヴということで、記者会見には大勢のプレスが詰めかけた。
(ディランの横にロビー・ロバートソン、リック・ダンコの姿も見える)
Bob Dylan at the Isle of Wight Festival 1969
※記録用のフィルムみたいで音声はない。
ディランはザ・バンドとリハーサルを行う。ジョージ・ハリスンが訪ねてきた。
ディラン出演の前日の8月30日には、ジョン・レノンとリンゴ・スターも合流。
キース・リチャーズとジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトンも現れた。
ディランとビートルズの3人はテニスをしたそうだ(想像できない光景だ!)
翌日ディランはザ・バンドと一緒に、Mr. Tambourine Man、Like a Rolling
Stoneなど、17曲を歌った。(5)
観客席にはジョン・レノン夫妻、ジョージ・ハリスン夫妻(パティー・ボイド)、
リンゴ・スター夫妻、キース・リチャーズ、ジミ・ヘンドリックス、フランソワー
ズ・アルディ、女優のジェーン・フォンダもいた。
3人のビートルたちは一般客に混じって地べたに座って観覧している。
ヨーコの右にいるのはローディーのニール・アスピノール
ビートルズはアビーロードのレコーディングを終えた直後(6)だった。
彼らはウッドストック出演のオファーも受けていたが、8月15日-17日はレコー
ディングと重なるため断っていた。
ポール&リンダの姿が見えないのは、マネージャー選びで他の3人と決裂したた
めか?と思えるが、それが理由ではないようだ。(7)
8月28日にリンダがポールとの間の最初の娘、メアリーを出産した直後だった。
フランソワーズ・アルディは1966年にディランと会っている。(8)
ワイト島で再会を試みたたが、大混雑に巻き込まれて諦めたそうだ。
Rare Photos of the 1970 Isle of Wight Festival
※1970と記載されているが、1969年の映像も混ざっている。
AIで白黒の写真をカラー化し動画にしたもの。ちょっと気持ち悪い。
ザ・フー、ジョー・コッカー、リッチー・ヘイヴンズはワイト島の2週間後に
ウッドストック・フェスティバルにも出演している。
ザ・フーは5月にリリースされた「Tommy」をほぼ全曲演奏。
全米ツアーの途中でウッドストック・フェスティバルに出演し、映画でも観られ
るあのど迫力のパフォーマンスを行い、イギリスにもどってきたところだった。
ディランのようなビッグネーム、ザ・フー、フリー、ムーディ・ブルース、キング
・クリムゾンなどのロック・バンドの出演によって、ワイト島フェスティバルは
注目されるようになった。
<第3回目 3rd Isle of Wight Festival 1970>
開催日:1970年8月26日-30日
観客数:50万人〜60万人
出演)ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー、ドアーズ、ジェスロ・タル、シカゴ、
マイルス・デイヴィス(チック・コリア、キース・ジャレットが参加)、フリー
、テン・イヤーズ・アフター、ライトハウス、、エマーソン・レイク&パーマー、
ムーディー・ブルース、ジョーン・バエズ、ジョニ・ミッチェル、ドノヴァン、
レナード・コーエン、クリス・クリストファーソン、ジョン・セバスチャン、テリ
ー・リード、テイスト、ショーン・フィリップス、ジェイムス・テイラー、ファ
ミリー、プロコル・ハルム、アライバル、フェアフィールド・パーラー、カクタス
、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、メラニー、リッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は前年のウッドストック・フェスティバルにも出演したアーティスト)
第2回目の成功で主催者は、多数のスターをブッキングできるようになった。
出演者のラインナップも前年のウッドストックに匹敵するくらい豪華である。
ザ・フーのパフォーマンスは圧巻で、ジョニ・ミッチェルは見事な演奏を披露。
ジョニは前年のウッドストック出演を断念している(9)ので、ワイト島にはぜひ
出演したかったのではないかと思う。
The Who - Pinball Wizard(The Isle Of Wight Festival 1970)
Joni Mitchell - Both Sides Now(The Isle Of Wight Fes.1970)
保釈中のジム・モリソンは不安定で精彩を欠き、全盛期のドアーズのような最高
のステージではなかったが、その陰鬱さも印象的であった。
その後、1年もしないうちにジム・モリソンは亡くなってしまった。
ポールマッカートニーは「ワイト島フェスティバルにジミ・ヘンドリックスを
出演させるべき」と発言。(10)そのおかげか1970年にジミは出演する。
ジミ・ヘンドリックスが炎上するステージで演奏したというのは都市伝説で、
実際は花火だった。
これがジミ最後の英国公演となり、18日後に彼は亡くなった。
2人とも27歳である。(11)
Blue Wild Angel: Jimi Hendrix Live At The Isle Of Wight
※ジミ・ヘンドリックス1970年ワイト島コンサートのトレーラー。
1970年の第3回でワイト島フェスティバルは大規模になった。
この時代の才能ある大物ミュージシャンたちが一堂に会することは稀である。
ウッドストックと同時期にキャンプを特徴とする現代のフェスティバルの原型を
創り上げたという点でも、ワイト島フェスの意義は大きい。
イベントに問題がなかったわけではい。
一部の観客の暴徒化、無料化(12)を望む過激派とのトラブル、また騒音やゴミの
問題、フリーセックス、ドラッグなどウッドストックと同じような苦情が挙がった。
市議会は規制を設け、翌年以降フェスティバルの再開は不可能になった。(13)
<ワイト島フェスティバルがウッドストックほどメジャーではない理由>
では、なぜワイト島フェスティバルはウッドストックほどカウンターカルチャー
のシンボルとして広く認知されていないのだろう?
ウッドストックが世界中で知られるようになったのは映画化されたからである。
ワーナー・ブラザースが制作した「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」
(原題:Woodstock)は3日間の野外コンサートの模様を3時間強のドキュメン
タリー映画として公開された。(13)
北米興行収入は5,000万ドル、1970年の映画興行収入ランキングの5位を記録。
アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
音楽と平和をテーマにしたフェスティバルの熱狂と興奮を捉えた映画は、当時の
若者文化を象徴する作品として、世界中で大きな反響を呼んだ。
YouTubeもMTVもない当時、洋楽ロックの動く姿を見られる機会は稀だった。
当時、日本のロック・ファンの多くがこの映画で初めて、ジミヘン、サンタナ、
ザ・フー、CSNY、ジョー・コッカーの強烈な演奏シーンを見て衝撃を受けた。
一方ワイト島フェスティバルはアーティストによっては1970年の音源や映像が
あるが、音楽イベント全体の記録としての形を成していない。
ドキュメンタリー映像が公開されたのも1996年になってからである。
<商品化されているワイト島フェスティバルの音源・映像作品>
一部のアーティストがワイト島フェスティバルに出演した際のパフォーマンスを
ライブ盤としてリリースしている。
ボブ・ディラン: 1969年 4曲が翌年リリースの「Self Portrait」に収録。
2013年発売のブートレッグシリーズ Vol.10 Another Self Portrait
(1969–1971)デラックス・エディションにライヴの完全版が収録されてた。
ザ・フー: 1969年(DVD)
1970年(CD2枚組+DVD/Blu-ray)
ジョニ・ミッチェル: 1970年8月29日(DVD/Blu-ray)
ジミ・ヘンドリックス: 1970年8月30日(CD2枚組+DVD/Blu-ray)
エマーソン・レイク&パーマー: 1970年(CD)
フリー: 1970年(CD)
テイスト(ロリー・ギャラガーのバンド):1970年(Blu-ray+CD)
ジェスロ・タル: 1970年(CD+DVD)
ムーディー・ブルース: 1970年(CD)
ドアーズ:1970年(CD+DVD)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン: 1970年 4CD「Higher!」に収録
<脚注>