日本ではグループ・サウンズ(1)が大流行していた。
そのほとんどがレコード会社と所属事務所の意向で王子さまキャラに仕立てられて、
乙女チックな歌謡ポップスを歌っていた。
しかしライブでは自分たちのヒット曲だけでなく洋楽もカバーすることが多かった。
ストーンズ、ヴァニラファッジ、ウォーカーブラザーズ、アニマルズなど。
持ち歌がまだ少ないせいもあるだろうし、ステージでは自分たちが好きな曲をやって
もいいという自由裁量の部分もあったと思う。
中でもビージーズのナンバーを得意としていたのがタイガースである。
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ホリデイ」「ジョーク」など。(2)
加橋かつみのレパートリーで彼の繊細な高音はビージーズの曲との相性がよかった。
そんな背景からか、また同じポリドール・レコード所属という縁もあってか、集英
社の音楽雑誌ヤング・ミュージック1968年4月号の企画でビージーズとタイガース
のメンバー同士による電話対談が行われた。
これをきっかけにバリー・ギブ/モーリス・ギブによる書き下ろし曲をタイガース
がレコーディングする、というプロジェクトに発展する。
1969年5月29日ロンドンのポリドール・スタジオで「スマイル・フォー・ミー」と
「淋しい雨(Rain Falls On The Lonely)」(3)の2曲がレコーディングされた。
(すでに録音されたバッキング・トラックにヴォーカルとコーラスを入れるだけ)
↑写真をクリックするとタイガースの「スマイル・フォー・ミー」が聴けます。
「スマイル・フォー・ミー」は最後のヴァースで半音上がって転調するのだが、
リフレインされる「For Me」が沢田研二にはキーが高すぎた。
この時点でオケを録り直すわけにもいかない。
沢田研二より音域が高い加橋かつみはすでに脱退していた。
思わぬトラブルにスタッフもタイガースも途方にくれる。
たまたま渡辺美佐副社長と一緒にヨーロッパ旅行の途中ロンドンに立ち寄り、スタ
ジオに見学に来ていた中尾ミエに最後のリフレインだけ一緒に歌ってもらう、とい
う方法でなんとか処理した。(4)
そもそもなぜ歌い手の声域より高いキーで作曲してオケまで作ってしまったのか?
この曲は本当はビージーズを得意とする加橋かつみが歌うことになっていて、バリ
ー・ギブは加橋のキーに合わせて作曲したのではないだろうか?
そしてアレンジャーは加橋のキーに合わせて転調を施したのではないだろうか?
タイガースの録音とバリー・ギブが歌ったデモ・テープはキーが同じである。
バリー・ギブ版ではキーの転調もないし、最後の「For Me」の歌い回しも違う。
しかし、デモを聴くとますます加橋かつみのイメージに近いように思える。(5)
↑譜面をクリックするとバリー・ギブの「スマイル・フォー・ミー」が聴けます。
(最初の方は音が悪くて聴きづらいです)加橋かつみ失踪が1969年3月5日。(3日後には除名が発表された)(6)
ヤング・ミュージックの電話対談の時はまだ加橋かつみも在籍して、作曲について
かなり突っ込んだ質問している。
ギブ兄弟に曲の提供を依頼した段階で彼はまだいたはずだ。
ビージーズを得意とする自分が歌いたいと主張もしていたとしてもおかしくない。
さらに深読みすると、一年前から脱退を口にしていた加橋への懐柔策(7)の一つと
して「スマイル・フォー・ミー」を彼に歌わせようと用意していたとも思える。
タイガース通算10作目のシングル「スマイル・フォー・ミー」は1969年7月25日に
発売され、ビージーズからプレゼントされた曲でロンドン録音という話題性もあり、
オリコン3位を記録するヒットになった。
その直前の1969年7月12日にタイガース主演映画3作目「ハーイ!ロンドン」(東宝)
が公開された。
5月29日からのロンドン滞在は「スマイル・フォー・ミー」のレコーディングとこの
映画のロケを兼ねてのものだった。
前宣伝では「タイガースとビージーズが共演」ということだった。
となると映画では両者が一緒に演奏しているシーンが見られるかもしれない、レコ
ーディングにバリー・ギブが立ち会うなんていうシーンもあるかもしれない。
期待は高まる。
しかし実際は沢田研二がバリー・ギブを訪ねて行き握手する、という5秒くらいの
カットが入っているだけであった。
おまけに映画はつまらなかった(と僕は思った)。
同時上映の「ニュージーランドの若大将」(8)の方がまだましだった。
タイガースは1971年1月に日本武道館のコンサートをもって解散した。
ビージーズは1972年3月に初来日。渋谷公会堂、日本武道館でコンサートを行う。(9)
ロビン・ギブが電話対談で沢田研二に約束した「もし日本に行けたら一緒の舞台で
共演しよう」は実現しなかった。
加橋かつみがタイガース在籍時にレパートリーにしていた「ホリデイ」「ジョーク」
は代わりに入った岸辺シローが歌っていた。
沢田研二はタイガース解散後に結成したPYGのライブで初めてビージーズのカバー
「トゥ・ラヴ・サムバディ」を歌う(10)ことになる。



































