2022年2月17日木曜日

ビートルズ、アメリカ征服は周到に計画が練られていた?



<ビートルズ、初のアメリカ上陸までの経緯>

ビートルズが初めてアメリカを訪れたのは、58年前の1964年2月7日である。
午後1時20分、パン・アメリカン航空の101便でニューヨークのケネディ空港に降
立った4人は1万人のファンの大歓声に迎えられた。
それはアメリカの音楽の歴史が大きく変わろうとする瞬間でもあった。

ビートルズがこのタイミングでアメリカの地を踏んだのは、シングル「抱きしめた
い」が全米チャート1位を獲得したからである。
かねてから「1位を獲るまでアメリカには行かない」と彼らは宣言していた


イギリスでは1963年発表のデビュー・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が
30週間チャート1位という快挙を達成。
その勢いは留まることを知らず、ビートルマニア(ビートルズ旋風)と呼ばれた。




次の標的はアメリカ市場だ。
ブライアン・エプスタインとパーラフォン・レコードは同じEMI系列のキャピトル
・レコードにアメリカでの発売を持ちかけるも、一向に関心を示してもらえない。
イギリスの歌手がアメリカで売れるわけない、と懐疑的な見方をされていた。


パーロフォンはヴィー・ジェイというアメリカの弱小レーベルと契約。
プリーズ・プリーズ・ミー、フロム・ミー・トウ・ユーと2枚のシングルをアメリカ
で発売するが、鳴かず飛ばずだった。(写真は後に出た2曲カップリング盤)




パーロフォンは次に同じく弱小レーベルのスワンからアメリカで3枚目のシングル、
シー・ラヴズ・ユーを発売。これも最初はあまり動きがなかった。





一方、イギリスではビートルズの快進撃は止まらない
11月に2nd.アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」が発売され1位を独走。
シングル「抱きしめたい」は予約枚数だけで100万枚を突破した。
ビートルズはヨーロッパ各地でも成功を収めていた。

イギリスで大ブームが起きていることに気づいたアメリカの3大ネットワークTV局
がビートルズをインタビューするために特派員を派遣。
英国からの輸入盤、スワンから発売されたシー・ラヴズ・ユーが売れ出したことで、
キャピトルもやっとビートルズの将来性に気づき、レーベル契約を交わす。




年明けの予定だったシングル「抱きしめたい」の発売をクリスマス翌日に早めた。
「抱きしめたい」は発売3週目にビルボードにチャートイン
2月1日にはついにNo.1となり、7週にわたってそのポジションを維持し続けた。

「抱きしめたい」から首位の座を奪ったのは、先に弱小レーベルのスワンから発売
されていた「シー・ラヴズ・ユー」で2週間連続で1位。
入れ替わりに1位を獲得したのは、新曲の「キャント・バイ・ミー・ラヴ」。
5週にわたって1位の座に留まっている。

4月の第一週は全米シングル・チャートのトップ5をビートルズの曲が独占(他に
7曲がトップ100以内にチャートイン)という前代未聞の状況が起こった。





2月1日「抱きしめたい」全米1位の吉報をビートルズは滞在中のパリで知った





4人はパリのオランピア劇場に3週にわたり出演。滞在中に「シー・ラヴズ・ユー」
「抱きしめたい」のドイツ語ヴァージョンの録音も(渋々)行なっていた。





スウェーデン、フランスと海外遠征をしていたビートルズだが、当時ドイツには
行っていない。(ハンブルク時代のスキャンダル発覚を恐れて?と言われる)
そのドイツのファン向けサービスとしてのドイツ語シングルの録音だった。
ドイツ語版の仕事をやっつけ、余った時間で4人は次のシングルとなる「キャント・
バイ・ミー・ラヴ」の録音までパリ滞在中に行なっている。





全米1位のニュースに4人はホテルの部屋で狂喜乱舞の大騒ぎだった。
「1位を獲るまでアメリカに行かない」と公言していたビートルズだが、満を持
して初のアメリカ行きが実現することになった。





<エド・サリヴァン・ショー出演が決まるまでの経緯>

初のアメリカ上陸でビートルズは約2週間滞在し、その間CBSテレビの人気バラエ
ティ番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演し、ワシントン・コロシアムとニュ
ーヨーク・カーネギーホールにおいてアメリカ初公演を行った。





特にエド・サリヴァン・ショーへの出演は、1964年のアメリカがビートルズ一色
で塗りつぶされることになる最も象徴的な出来事であった。



エド・サリヴァン・ショーは1948年から全米で放映されていた長寿の人気番組だ。
司会者はエド・サリヴァンで、多彩なゲストが出演し彼との会話をはさみながら
パフォーマンスを披露する、という内容である。
日曜日の午後8時という放送時間も功を奏し、全米で絶大な人気を誇っていた。




特に1956年のエルヴィス出演の回は驚異的な視聴率(82.6%)を記録。
5400万人の人たちが見たと言われる。

エルヴィス出演を反対していたエド・サリヴァンだが、ライバル番組のNBCステ
ィーヴン・アレー・ショーにエルヴィスが出演し55%の視聴率を獲得したため、
無視できなくなった。1957年まで3回出演させている。




それ以来エド・サリヴァンはいち早く若者に人気のゲストを招くようになり、
若者の流行の仕掛け人となった



4ヶ月前の1963年10月、初めての海外ツアーでストックホルムに赴き帰国した
ビートルズを待ち受けていたファンたちの熱狂ぶりを、ロンドンの空港で目の当
たりにしたエド・サリヴァンは度肝を抜かれ、自らの番組への出演を決める。




キャピトル・レコードが重い腰を上げるより早く、エド・サリヴァンはビートル
ズ旋風がアメリカを席巻することを予見していた。
ビートルズの早期渡米と番組出演をエプスタインにオファーする。

ビートルズのエド・サリヴァン・ショー出演は初めてにもかかわらず3回も出演
しかも1回目は5曲、2回目は6曲、3回目は3曲、という破格の待遇であった。




ビートルズがアメリカの若者の心をわしづかみすること、視聴率を取れることを
エド・サリヴァンが確信していたことを伺わせる。

もう一つ。
エド・サリヴァンはブライアン・エプスタインと同じユダヤ人であった。
つまりユダヤ人ネットワークから交渉がスムーズに進んだのは間違いないだろう。
ユダヤ人特有の商才に長け、ビジネスの嗅覚が鋭い点でも2人は共通していた。




<ビートルズ初渡米が大成功した理由>

「抱きしめたい」全米1位から1週間も立たない2月7日に、ビートルズはロンドン
のヒースロー空港を出発。
彼らはアメリカで支持されるのか不安だったが、すぐに杞憂であったと知る。
ニューヨーク、ケネディ空港には1万人の熱狂的なファンが待っていた。




ラジオでは「抱きしめたい」がヘビーローテーションで流れビートルズ一色。
記者会見ではウィットのあるやり取りで記者たちを沸かせた。

2月8日にセントラルパークでフォト・セッション、ブロードウェイにあるCBS
テレビスタジオ50でドレスリハーサルが行われる。ジョージは体調不良で欠席。
リハーサルではローディーのニール・アスピノールが代役を務めた。
(マル・エヴァンスが代役だったと言われてたが、身長1.97mのマルがジョージ
の代わりでは、カメラもライティングもテストにならない)





2月9日にはジョージが回復し復帰。
1回目のエド・サリヴァン・ショー生出演(観客を入れたライブ)を果たす。





翌日アメリカでの初コンサートを行うため、4人はワシントンD.C.に向かう。
東海岸が大雪に見舞われ航空便が運航中止になったため、鉄道での移動になる。






このコンサートはフィルムで映像が残されているが、レアで見どころ満載だ。
会場のワシントン・コロシアムは、ステージの四方が観客席に囲まれている




そのためリンゴがどの客席からも見えるよう、数曲演奏してはドラムセットの
向きを変え、フロント3人も立ち位置を変え演奏するというユニークなステージ。


オープニングはビートルズのライブ史上において極めて珍しいジョージがボーカル
を取る「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」
ロックンロール発祥のアメリカ、チャック・ベリーへのオマージュだったのか。
演奏は荒削りだが勢いがある。特に上体をゆらしドラムを激しく叩くリンゴ。



↑ワシントン・コロシアムでの「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」が観れます。
(元は白黒フィルムだがデジタル処理で着色されている)



ジェリービーンズが好物と発言したジョージにファンが投げ入れたジェリービー

ンズの嵐も写っている。





この日演奏されたのは、ロール・オーヴァー・ベートーヴェン、フロム・ミー
・トゥ・ユー、アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア、ディス・ボーイ、
オール・マイ・ラヴィング、アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン、プリーズ・
プリーズ・ミー、ティル・ゼア・ウォズ・ユー、シー・ラヴズ・ユー、
アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)、ロング・
トール・サリーの11曲。
※半年後の8〜9月の全米ツアーのセットリストでは聴けない曲も多い




↑ワシントン・コロシアムでの「ディス・ボーイ」が観れます。
(元は白黒フィルムだがデジタル処理で着色されている)

※1本のマイクを囲む場合ポールが左。ネックがぶつかることなく見た目も美しい。
が、この日は頻繁に立ち位置を変えてるうちにポールが右になってしまったようだ。




12日にはニューヨークに戻り、格式高いことで知られるカーネギーホールでの
コンサートを成功させる。
ロックフェラー夫人でさえチケットを購入できずコネで手に入れるほどであった。



                                                                         (写真:gettyimages)

↑写真を見ると、ステージ上のビートルズのすぐ脇に設けられた席に裕福そうな
ご婦人方が座っている。ロックフェラー夫人と子供たちもこの中にいる。
こうした特権階級の人たちのために用意された特別席だったのだろう。




16日にはマイアミへ空路移動。
ドーヴィルホテルから生放送で2回目のエド・サリヴァン・ショー出演








4人は数日マイアミで休暇を取り、ロンドンへ帰国の途に就いた。
22日朝には熱狂するファンたちが待つヒースロ空港へ到着する。






ビートルズ帰国後の2月23日、エド・サリヴァン・ショー3回目の出演が放映。
(これは初回出演の2月9日に前もって収録されたVTRであった)





とにかく急遽行きましたと思えないくらい、あまりにもタイミングよく効率的
にプローションが行われている。


実はカーネギー・ホールでのコンサートは1年前から決まっていたものだった。


アメリカのプロモーター、シド・バーンスタインは1962年10月の時点でイギリス
の新聞を賑わせていたビートルズに目をつけ、日を追うごとにイギリスで大きく
なる彼らのニュースに「これはただ事ではない」と感じていた。

バーンスタインはジュディ・ガーランド、フランク・シナトラ、レイ・チャールズ
など数多くのアーティストのマネージャーを務めるプロモーターである。





プロモーターとしてシド・バーンスタインは直感的に「勝負の時だ」と思った
アメリカでは誰もビートルズを知らなかったが、絶好のタイミングだと。
1963年2月にブライアン・エプスタインに連絡を取ると、ビートルズの音楽も
聴かずに1年後のカーネギーホールでのコンサートを契約した。

シド・バーンスタインもユダヤ系移民である。
ここでもユダヤ人ネットワークの交渉の利ユダヤ人ならではの商才嗅覚の鋭さ
が発揮された。
1964年2月にカーネギーホールでコンサートをやるということで、エド・サリヴァン
もその前後での出演の約束をエプスタインに取り付けた。


この時点ではアメリカではまだビートルズは注目されてなかった。
イギリスのバンドがアメリカで成功した例はない。2人の計画は無謀にも思える。
しかし彼らの直感は的中し、「抱きしめたい」全米1位直後という最高のタイミング
でエド・サリヴァン・ショー出演、カーネギーホール・コンサートを実現できた。

ビートルズにとっても、こうしたお膳立てがあったからこそ、予想以上の成功を
収めることができたと言える。



↑翌1965年シェイスタジアム・コンサートもシド・バーンスタインが仕掛け人。



<ビートルズ、エド・サリヴァン・ショー出演の影響>

エド・サリヴァン・ショーのビートルズ出演は観客を入れてのライヴ演奏だった。
2月9日、1回目の出演の収録が行われたのはニューヨークのCBSスタジオ。
728枚の観覧入場券を求めて55,000件もの申し込みがあったと記録されている。


2月9日、ビートルズ1回目のエド・サリヴァン・ショーに出演時の視聴率は72%
という驚異的な数字を叩き出した。
(エルヴィス出演時の82.6%には及ばないが、1956年と1964年ではテレビの世帯
普及率が違う。調査対象の母数も異なるので視聴率での単純比較はできない)




この夜2324万世帯、約7300万人がテレビの前に釘付けになりビートルズを見た
(エルヴィスの時は5400万人が見たと言われているのでそれ以上なのは明白だ)

ビートルズ出演中はニューヨークで青少年犯罪が一件も起きなかったと言われる。
また水道利用が番組放映中には激減。CM時に急増したという報告まである。


アメリカをテレビが揺るがせた瞬間であり、ロックにとって決定的な瞬間だった。
この番組を見たことがきっかけでミュージシャンを目指した人も少なくない。

14歳だったビリー・ジョエルは「あの夜エド・サリヴァン・ショーを見てなかっ
たら、今日の僕はないと断言できる」と言っている。
ブルース・スプリングスティーンは「とにかく凄かった。まるで地軸が傾いた
ような、あるいは宇宙人が侵略してきたような衝撃だった」と述べている。

トム・ペティは「僕の人生を変えたパフォマンスの一つだ。それまでロックを仕
事にするなんて考えたこともなかった」と影響の大きさを語っている。
ロジャー・マッギンもアコースティックギターからエレキへ持ち替えた。




放送の翌日には街中の楽器店に少年たちがギターを求めて駆け込んだ。

アメリカではギブソンやフェンダーがプロ御用達のギターとしてメジャーであり、
ビートルズが弾いてたリッケンバッカー、ヘフナーは知られていなかった。
(ジョージが使ってたグレッチはカントリー系ギタリストに愛用者が多かったが)

リッケンバッカーは名前からドイツのメーカーと勘違いされ、ヨーロッパの
代理店に問い合わせが殺到したという。
VOXのアンプもアメリカでは有名ではなく、イギリスに注文が行ったらしい。


イギリスからやってきた侵略者たちはアメリカの若者たちに計り知れないほど
強烈な影響を与えた
まさにBeatles Conquer America(ビートルズ、アメリカを征服)だった。




一方でメディアは「騒々しいだけ、光るものがない、性別不詳」と報じた。
エルヴィスが登場した時も似たような叩かれ方をしていたが。


それまで分業システム化されていたアメリカの音楽業界にも衝撃が走った
職業的作曲家、アレンジャーが用意した曲を、レッキングクルーのようなスタ
ジオミュージシャンが演奏してオケを作る、ツアーから帰ったバンドや歌手は
既に完成したオケに歌を吹き込む、という役割分担が慣例だった。



↑レッキング・クルー(スタジオ・ミュージシャン集団)のレコーディング風景。



が、今やアメリカの若者が求めているのはビートルズのような新しい音楽だ。
旧来型の職業的作曲家やミュージシャンは下手すると失業しかねない。
アメリカの音楽業界のシステムを根幹から揺るがす事態だ。




ビートルズはアメリカの音楽産業を否定していたわけではない。
むしろアメリカのロック、ポップスを敬愛し、ボイス&ハート、マン&シンシア、
ゴフィン&キング、リーバー&ストーラーのようなソングライティング・チーム
に憧れ、自らもレノン=マッカートニーと名乗ったほどだ。




ただし彼らは曲を書くだけではなく、自らアレンジして、演奏し歌う。
音へのこだわりも強くレコード制作全過程に主体的に関与することを望んだ。

ビートルズ自身も、アメリカに衝撃を与えることは織り込み済みだっただろう。
こいつらはただ者ではない、凄い、と認めさせるにはどうすればいいか?
したたかに計算していたと思う。
それはエド・サリヴァン・ショーでの選曲にも表れている

<続く>


<参考資料:Udiscovermusic.jp、TAP the POP、Distractions、OTONANO、
Wikipedia、ザ・ビートルズ楽曲データベース、アドニス・スクエア、他>

2022年2月9日水曜日

ゲット・バックは終わらない。なぜなら。。。

 
<新譜「ゲット・バック」は遅れ、何が起こってるか分からなかった。>




↑ミュージック・ライフ1969年12月発売号?に掲載された広告。

ビッグ・ア・ポニー、テリー・ボーイ?
収録曲名はたぶん電話で確認した際、聞き間違えたのだろう。
「お待たせしました」と記載されている。
5月に日本でゲット・バックのシングル盤が発売。
続いてアルバム・タイトルが発表されたものの、一向に発売されない。

突然アビイロードが(日本では10月)に発売。
ゲット・バックのLPはどうなった?消えたのか?とみんな思っていた。
そんな時期にこの広告が出たわけだ。

この後、発売再延期が発表される。
イギリスではグリン・ジョンズが2nd.ミックスを制作したものの再び却下。
ジョンはセッションのテープをフィル・スペクターに委ねた。
そんなこと、当時の日本では誰も知らなかっただろう。

1970年3月、日本では1ヶ月遅れでシングル盤レット・イット・ビーが発売。
英国では5月にアルバム「レット・イット・ビー」発売。映画も公開された。
日本では6月にアルバム発売、映画公開は8月下旬と遅れた。



↑アルバムは当初、写真集付きのボックス入りで5000円で発売された。
中学生のお小遣いでは手が出ない。裕福な友人が買い貸してもらった。
(映画「ゲット・バック」で明らかになったが、写真集はジョンがジョン・
コッシュにデザインを依頼したもので、単独で発売するつもりだったようだ)


とりあえず新譜が出たことを喜び、何度も聴いた。
しかし、どうもしっくりこない。なぜかよく分からなかった。
「レット・イット・ビー」に違和感を抱いたファンは多い。
友人は「今までのビートルズのアルバムで最低」と言っていた。

そのうちフィル・スペクターによるリプロダクションだったこと、ポールが
その内容に激怒し(彼の知らない間にオーヴァーダブが加えられてた)、
脱退宣言に至ったことを知る。ビートルズは終わてしまった。



<ブートでだんだん見えてきたゲット・バック・セッション。>

高校に入ってすぐ、ヤマハの輸入盤セールで「KUM BACK」という簡素と
いうか雑な装丁のLPを見つけた。
店員に訊くと「試聴しますか?」と言うので、ヘッドホンで聴かせてもらう。
初めて聴く音源に驚き、友達と顔を見合わせた。




「KUM BACK」(1970年1月)はビートルズ初のブートレグ(海賊盤)だった。
盤質は悪く歪んでおり、カートリッジが上下しボツンボツンとノイズが入った。
ピッチもやや早め、スクラッチノイズもあり、音質も良くなかった。

しかし、この時「レット・イット・ビー」以外に音源があることを知っ

それらの多くはグリン・ジョンズのミックスで発表されるはずだったアルバム
「ゲット・バック」収録音源と同一。仮ミックスのためか違うテイクもある。

Side A
1.Get Back  2.Can He Walk (The Walk)  3.Let It Be   4.Teddy Boy  
5.Two of Us  

Side B
6.Don't Let Me Down 7.I've Got a Feeling 8.The Long and Winding Road
9.For You Blue   10.Dig a Pony  11.Get Back (Reprise)

I’m Ready (Rocker)/Save The Last Dance For Me/Don’t Let Me Down 
のメドレー、One After 909の屋上テイクは入っていない。
Can He Walkは2021リミックスのアウトテイクに収録されたThe Walk。
Let It Beはイントロが違うテイク。





「KUM BACK」は1969年9月22日にボストンのラジオ曲WBCNでオンエアされ
た音源が元になっている。

1969年1月下旬、セッション終了前にグリン・ジョンズは自主提案でミックス
(1969年5月1st.ミックスの前段階の試作)を行い4人にアセテート盤を渡す。
4人は却下。この時点ではまだ屋上コンサートは行われていなかった。
だから1st.ミックスのワン・アフター・909のライヴ演奏の当然まだ存在しない。

ジョンが9月12日プラスチック・オノ・バンドとしてトロント・ロックンロール
・リバイバルに参加した際、この仮編集のアセテート盤を関係者に渡したのが
流出した、つまりジョン本人が図らずもブート音源を流してしまったわけだ。


その後、流出したナグラテープを音源とした数多くのブートが出回ったが、粗悪
品に懲りて手を出さないようにしていた。



1980年代後半、ブートがCD化されてから音質も内容も格段に向上した。
Swinging Pig、Yellow Dog、Vig-O-Tone、Masterdisc、Quarter Appleなど
レーベルが生まれ、次々とレアな音源を発表。
この頃は買いまくった(笑)
中でもBBCとゲット・バック・セッションはコレクターズ・アイテム。




ゲット・バック関連の音源はナグラテープ(映画撮影カメラにシンクロして記録
される音声)、特にトゥイッケナム映画スタジオでの音源は膨大な量だった。
ウダウダしたまとまりの悪い演奏が続くのだが、後にアビイロードに収録される
ことなる曲のデモやリハーサルソロ・アルバムで取り上げられることになる
なども聴け貴重であった。

さらにアップル・スタジオで1曲ずつテイクを延々と重ねる音源ルーフトップ
・コンサートの完全盤(ナグラテープ音源なので音量バランスが偏ってたが)
もブートCD化され驚かされる。





そして1990年代にはグリン・ジョンズ1st.ミックス「ゲット・バック」の高音質
ブートCDが登場。続いて2nd.ミックスも発売された。
本来発売されるはずだった幻のアルバム「ゲット・バック」がやっと聴けた。

1969年にもしこのアルバムが世に出ていたらどう評価されただろう?
自分たちはどう感じただろう?アビイロードは違った形になっただろうか。






<2021リミックス、ドキュメンタリー映画「ゲット・バック」で完結か?>

映画「ゲット・バック」はかなり満足度が高い。
一般の方が見たら、7時間50分もウダウダやってるのを見せられるのは苦痛だ
ろうが、ビートルズのコアなファンにとっては貴重なミッシングリンクである。

1969年1月の22日間を時系列で追体験できるのは、スタジオの一角でビートルズ
を見学しているような錯覚にとらわれる。




名曲が生まれる瞬間、アレンジを変えどんどん曲が形を変えていく過程。
こういう流れで、こんなやり取りが行われてたのか、と初めて分かった。

曲はぶつ切りであるが、見ているファンの多くは既にブートでよく知っている
音源であり、その映像版が見られるわけだから充分楽しめる。


         
↑Redbubble.comでは早速こんなものまで売られていた。これは何かというと。。。


↑アップル・スタジオでビートルズが使ってたマグカップのレプリカだった。

スタジオか部屋に置いておけばゲット・バック・セッション気分に浸れる?(笑)



中でもルーフトップ・コンサート完全収録は圧巻であった。
この40分だけでも見応えがあり、ビートルズの凄さとカッコよさを再認識した。





2021リミックスは何度も聴いたが、今までのリミックスほどの満足感はない。
アルバム「レット・イット・ビー」リミックスは妥当な落とし所だったと思う。
スペクター色は残しつつ全体にメロウで聴きやすくなった

グリン・ジョンズの「ゲット・バック」は音が貧弱すぎる
当時の音のまま聴かせたのかもしれないが、一緒にリミックスすべきだった。

アウトテイクの選曲はいいが、収録数が少なすぎる。4曲入りのEP盤も同じ。
ゲット・バック(シングル・ヴァージョン)のリミックスがないのは解せない。
ルーフトップ・コンサートを完全収録すべきだったと思う。


※ルーフトップ・コンサート完全版音源は1月28日から全世界でストリーミング
を開始した。ジャイルズ・マーティンとサム・オケルによりドルビーアトモス
でリミックスされた臨場感あふれる音を体感できる。
(Apple Music、Sportify、YouTubeMusic、deezer)

2021リミックス・スーパー・デラックスにルーフトップ完全版を入れなかった
のはこういう画策をしてたってわけね。あこぎだなー。
サブスクじゃなくダウンロードかCDで出して欲しい。






今回のリミックスでゲット・バックは完結したという気にはなれない。

「レット・イット・ビー」は本来あるべき形ではなかったと改めて思う。
グリン・ジョンズの「ゲット・バック」も残念な内容であった。

初公開のテイクやリハーサルも収録されているが、充分とは言えない。
アンソロジー3にしか収録されてない音源もある。ネイキッドもある。
完成度の高いルーフトップ・コンサートの8トラック音源があることも分かった。





要するに音源があっちこっちに散らばっていて集大成になっていない
マニアックなファンは知りすぎているだけに、物足りなさを感じてしまう。
「レット・イット・ビー」も「ゲット・バック」は(リミックスやリマスターで
音質的に向上しても)未完成のままである。ネイキッドもキワモノだった。

ベストテイクを収録した決定打のアルバムがない
これが「ゲット・バックは終わってない」と思わせるモヤモヤ感なのだろう。



<ゲット・バックは終わらない。で、どうする?>

ということで、最後に「こうだったら良かったのにゲット・バック」
公式音源から、これなら納得できた?架空のアルバムの編集をしてみた。




Side A
1. トゥ・オブ・アス(2021リミックス Disc1
2. アイム・レディ (aka ロッカー) 〜セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー
 〜ドント・レット・ミー・ダウン(1969グリン・ジョンズ・ミックス Disc4
3. ザ・ウォーク (ジャム Disc3
4. リップ・イット・アップ〜シェイク・ラトル・ロール〜ブルー・スエード・
 シューズ(メドレー アンソロジー3
5. オー!ダーリン (ジャム Disc3
6. ディグ・イット(1969グリン・ジョンズ・ミックス Disc4
7. レット・イット・ビー(テイク28 Disc3
8. フォー・ユー・ブルー(1969グリン・ジョンズ・ミックス Disc4

Side B
1. ゲット・バック(1st.ルーフトップ・パフォーマンスまたはテイク19 Disc2
2. ドント・レット・ミー・ダウン (1st.ルーフトップ・パフォーマンス  Disc2
3. アイヴ・ガッタ・フィーリング(1st.ルーフトップ・パフォーマンス※ Disc1
4. ディグ・ア・ポニー(ルーフトップ・パフォーマンス  Disc1
5. ワン・アフター・909(ルーフトップ・パフォーマンス  Disc1
6. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード (テイク19   Disc2)
7. アイ・ミー・マイン(1969グリン・ジョンズ・ミックス Disc4
8. アクロス・ザ・ユニヴァース(レット・イット・ビー・ネイキッド)  

1/28からApple Music、Sportify、YouTubeMusic、deezerで配信。
ウォミーングアップの部分的ゲット・バック以外、5曲9テイク、即興の英国国家
を入れて10トラック聴ける。CD化して欲しいところだ。
3-5.はレット・イット・ビー2021リミックスDisc1収録テイクでもいい。






基本的に当初の「オーヴァーダブしない一発録音」のコンセプトで通している。
A面はブルースやロックンロールのジャムなどリラックスした演奏中心に選曲。

1曲目は「レット・イット・ビー」のトゥ・オブ・アスでスタートしたかった。
冒頭のジョンのI dig a Pigmy....の喋りはカットしていいと思う。




オー!ダーリンはアビイロードで正式に録音されるが、ジョンとポールの和気藹々
の掛け合いが聴けるスローなリハーサルも捨てがたいので入れてみた。
ディグ・イットはグリン・ジョンズ版は長い。スペクター版でいいかもしれない。
次のレット・イット・ビーの引き立て役的な意味で挟んである。


レット・イット・ビー(テイク28)は公式発表されたテイク27終了後にそのまま
テイク番号を告げず続いて演奏された録音で、当初はテイク27-Bとされていた。
グリン・ジョンズの「ゲット・バック」、シングル盤、フィル・スペクターのアル
バム「レット・イット・ビー」に採用されたテイク27はどれも、程度の違いはある
がオーヴァーダブが行われている。

しかし、このテイク28はオーヴァーダブされていない
1970年の映画「レット・イット・ビー」で使用されたのはこのテイク。
ジョージのレズリー回転スピーカーを通したリードギター、ビリー・プレストン
のオルガンが際立ちゴスペル色が出ている
ジョンとジョージのコーラスは薄いが、それはそれでいい。
最後のヴァースでポールはThere will be no sorrowと歌詞を変えている。




シングル盤で出した曲はアルバムに入れないのがビートルズの方針だった。
だからシングル盤のオーヴァーダブを加えたテイク27とは趣が違う、素のビート
ルズが聴けるテイク28をアルバムA面のハイライトにしようと考えた。

A面はアコースティックで始まりアコースティックで終わらせたかった。
グリン・ジョンズ版のフォー・ユー・ブルーはジョージのギターがしっかり聴ける。
ボーカルも録り直しする前のものである。




B面はルーフトップ・コンサート中心に選曲

1曲目のゲット・バックは屋上での1回目
(1/28からApple Music、Sportify、YouTubeMusic、deezerで配信)
これで屋上で演奏した5曲がすべて聴ける
(2回、3回、演奏した曲もあるが一番出来がいいテイクだけでいいだろう)


CD化された音源で選曲するなら、1月27日に録音されたテイク19がいいと思う。
シングル盤は1月28日のベストテイクで、ブレイク後Oooh〜以降は27日録音のこの
テイク19の後半を編集でつなげてある。

前半は歌もジョンのギターも少しラフだがノリがいい。
特にブレイク後のポールのアドリブのボーカルがクロっぽくてカッコいい
後半のha-ha-ha-ha,Ho-ho-ho-hoは1970年の映画のエンディングで使われた他、
グリン・ジョンズの「ゲット・バック」では最後にリプライズとして入っている。
このテイクを推すのも「シングル盤とは違うテイク」をという趣旨である。





今回初めて音源が公式発表されたドント・レット・ミー・ダウン(屋上での初回
演奏)はシングル盤ゲット・バックB面のスローなテイクとは違った魅力がある。
ジョージも含めた3声コーラスが聴けるし、ジョンの歌詞忘れ誤魔化しもご愛嬌。

アイヴ・ガッタ・フィーリング、ディグ・ア・ポニー、ワン・アフター・909
アルバム「レット・イット・ビー」収録ヴァージョンである。
この3曲を屋上での演奏がベストと判断したフィル・スペクターはえらい。




白熱のルーフトップ・コンサートからチルアウトする意味で、ザ・ロング・アンド
・ワインディング・ロードを6曲目に選んだ。
このテイク19は実際にルーフトップ・コンサートの翌31日、スタジオでの録音。

グリン・ジョンズもフィル・スペクターも1月26日のテイクを使用したが、31日の
テイク19の方が出来がいい
ビリー・プレストンのゴスペル風オルガン・ソロが秀逸ポールによるカウンター・
ハミングとの絡みが素晴らしい点、ジョージがアコギでなくテレキャスター(レズ
リー回転スピーカーを通している)で音がクリアである点、ジョンの6弦ベースの
ミストーンが少ない点、などテイク19こそベストテイクではないかと思う。





ここで終わりにしてもよかった。
アイ・ミー・マインとアクロス・ザ・ユニヴァースはゲット・バック・セッション
での録音ではなく、オーヴァーダブも行われているからだ。
しかしこの2曲は多くの人にとっては「レット・イット・ビー」収録曲であり、
外すにはもったいないいい曲でもある。

アイ・ミー・マインはジョンを除く3人で録音しているため、また1970年1月のこの
セッションの時点では一発録音の約束は反故になってたため、オーヴァーダブによる
多重録音で完成させている。
それでもフィル・スペクターがブラスを加えたラウドなヴァージョンよりは、グリン
・ジョンズ・2nd.ミックスの方が音数が少ない

Disc2に収められたウェイク・アップ・リトル・スージー / アイ・ミー・マイン (
テイク11) は3人編成のベーシック・トラックは、残念ながらボーカルなしである。
これにボーカル、最低限のギター、オルガンだけを加えればシンプルなヴァージョン
が作れると思うのだが。





アクロス・ザ・ユニヴァースはゲット・バック・セッションの1年前、1968年初頭に
録音されたもので、ジョンはいろいろな楽器やコーラスをオーヴァーダブしたものの、
納得のいく出来にはならず放置していた。
WWFチャリティー・アルバム収録ヴァージョン、グリン・ジョンズ・ミックス、
フィル・スペクターがコーラスとストリングスを加えたヴァージョンといろいろある。

レット・イット・ビー・ネイキッドのヴァージョンジョンの歌とアコースティック
ギター、ジョージのタンブーラが広がり、シンプルだけど美しい
これで締めくくりたかった。

ホワイト・アルバム2018リミックス・スペシャル・エディションのDisc6に収録され
たアクロス・ザ・ユニヴァース(テイク6)も候補に挙がった。
ジョンの歌とギター(たぶん弾き語り)、リンゴのトムトムだけのシンプルな編成。
歌い方がややぶっきらぼうなのと、やはりギター一本だけで最後までは物足りない。
ジョージのタンブーラ入りのネイキッド・ヴァージョンの方にした。





以上、非常に個人的かつ独善的な観点による架空アルバムである。
今後、音源が発表されるならB面をルーフトップ完全版、A面はスタジオで録音した
完成度の高い曲で構成、という方法もある
グリン・ジョンズにプロデュース能力があればとっくにそうしていただろうが。

他のアルバムは完成されており、我々はアウトテイクを聴いて制作プロセスを楽しむ
くらいしかできない。
しかし「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」は未完成のままだからこそ、
唯一ファンが弄れる余地がある、異色なアルバムなのではないだろうか。



↑この写真は合成。4人の後に写ってるのはスペインのセビリア大聖堂。
床にはビール瓶?が置いてある。いろいろなパロディーがあるものだ。
でも、4人のこの瞬間を捉えた写真はレアかも。初めて見た。

2022年2月1日火曜日

レット・イット・ビー2021リミックス Disc-5 EP盤レビュー。

 <Disc-5 レット・イット・ビー EPについて>


4曲のみ収録という中途半端さとこの4曲の選択理由に疑問符がつく。

アクロス・ザ・ユニバースとアイ・ミー・マインはグリン・ジョンズ2nd.ミックス
の「ゲット・バック」に収録予定だった曲である。

グリン・ジョンズは5月に却下された1st.ミックスからテディー・ボーイを外して、
この2曲を加えただけの2nd.ミックスを1月やっつけで仕上げ再び却下された。


ジョンズはどこが悪いのか、どうすれば4人が納得するのか全く考えていなかった。
勘が悪く、プロデューサーとしての技量も二流である。
後年イーグルスを担当したエピソードからも、頑固で持論を押し付ける人らしい。

もちろん明確な指示を出さずに丸投げしただけのビートルズにも非がある。
この段階で4人が意思を明確にしジョージ・マーティンに委ねてたら、いいアルバム
ができてた可能性がある、フィル・スペクター登板もなかった、と思うと残念だ。





ドント・レット・ミー・ダウンはシングル盤ゲット・バックのB面。
であれば、なぜA面のゲット・バックのリミックスがないのか理解できない。
2015年の「1」でリミックスしたから今回はもういいでしょ、ということか?

同じ「1」にリミックスが収録されたシングル盤A面のレット・イット・ビーの方は
今回また最新リミックスがこのEPに収録されている。
何で?何でレット・イット・ビーはありでゲット・バックはなしなのか?

レット・イット・ビーのB面だったユー・ノウ・マイ・ネイム(1967年の録音)は
無視か?リミックスを行うまでもない、ということか。。。





EPならシングル盤ゲット・バック、レット・イット・ビーの両面まとめて4曲収録
すべきだろう。
それに追加で、アクロス・ザ・ユニバースとアイ・ミー・マインなら分かる。

いや、それ以前にその6曲はアウトテイク集に入れてしまえば済むはずだ。
サージェント・ペパーズ、ホワイト・アルバム、アビイロードのリミックスでもそう
いう扱いだったではないか。
この4曲だけのEPでまるまる1枚というのはもったいない。
ルーフトップ・コンサート完全収録の方がずっとよかったと誰もが思うだろう。
(完全とはいかないまでも5曲1テイクずつ収録で、後にシングル盤リミックスとグリ
ン・ジョンズ2nd.ミックスの追加2曲でもよかった)


出し惜しみはやめようよ、と言いたくなるEPではあるが、とりあえずレビューを。


<追記>
ルーフトップ・コンサート完全版音源は1月28日から全世界でストリーミング
を開始した。ジャイルズ・マーティンとサム・オケルによりドルビーアトモス
でリミックスされた臨場感あふれる音を体感できる。
(Apple Music、Sportify、YouTubeMusic、deezer)
2021リミックス・スーパー・デラックスにルーフトップ完全版を入れなかった
のはこういう画策をしてたってわけね。あこぎだなー。
サブスクじゃなくダウンロードかCDで出して欲しい。



<Disc-5 レット・イット・ビー EP収録曲レビュー>

1.アクロス・ザ・ユニバース(グリン・ジョンズ 1970ミックス)
アクロス・ザ・ユニバースは1年前、1968年2月に録音された音源を流用している。
レディ・マドンナのB面になるはずだったが、ジョンが出来に納得が行かず見送った。
ジョンは「何か足りない」と言っていたが、その何かが分からないままだった。
WWFのチャリティ・アルバムにジョージ・マーティンが半音回転を上げ鳥の羽ばた
きのSEを加えたヴァージョンが収録される。





映画「ゲット・バック」ではそのレコードをかけ、リメイクを検討している4人が
見られるが、ラフなリハーサルのみでその後は演奏することはなかった。

グリン・ジョンズは元のテンポでジョンのアコースティック・ギターと歌、ジョージ
のタンブーラ、女の子2人のコーラス(EMIの前にいたファン2人をポールが連れて来
て歌わせた)という編成でミックス。
(ジョージのワウペダルを使ったエレキギターは外された)
冒頭でジョンがYou're alright, Ritchieとリンゴに言ってるのが聴ける。

※WWF収録のテンポを上げたヴァージョンはパスト・マスターズに収録された。
フィル・スペクターは前述のようにテンポを下げストリングスとコーラスを追加。
またネイキッドにはタンブーラが左右に拡がるヴァージョンが収録。
とこの曲はいろいろなミックスが存在するのでややこしい。




2. アイ・ミー・マイン(グリン・ジョンズ 1970ミックス)
この曲はリハーサルだけで録音されていなかったため、ジョンが脱退を表明後の
1970年1月3日にジョージ、ポール、リンゴの3人でレコーディングが行われた。
サビは1回だけで2分に満たない短い演奏である。
(後にフィル・スペクターがサビと最後のヴァースをコピペして尺を伸ばした)



↑グリン・ジョンズ2nd.ミックスのアイ・ミー・マインが聴けます。


冒頭でAlright, you're ready, Ringo?、Ready Georgeというやり取りの後、
ジョージがカウントをとって始まる。
アクロス・ザ・ユニバースでの冒頭のジョンの声を受けて、スタジオ・ライヴ感
を演出するための図らいだろう。



3.ドント・レット・ミー・ダウン(シングル・ヴァージョン リミックス)
シングル盤B面に収録された1月28日スタジオでのベスト・テイクのリミックス。
楽器の定位は変わっていないが、聴こえてくる印象がだいぶ違う。
全体的にリッチな音で、声や楽器に艶があり、生々しいというか臨場感があるのだ。
ジョンとポールのボーカルは力強く、生き生きしてて真に迫っている
(レコーディング時はDon't let me downの部分はジョージが下を歌う3声だった
が、4月にジョンとポールがボーカルを録り直した。そのためジョージの声はなし)

左のジョン、右のジョージのギターの音色も違いがよく分かる
(ジョージはレスポールを弾いてる説があったがテレキャスターであることは明白)
ポールの唸るベースは後退。ビリー・プレストンのエレピは変わっていない。
左右に振り分けられていたリンゴのドラムはバランスよくステレオ感が出ている
クラッシュ、ハイハット、ライドシンバルの巧みな使い方がよく分かる。





4.レット・イット・ビー(シングル・ヴァージョン リミックス)
これもシングル盤としてリリースされたヴァージョン。
1月31日セッション最終日に録音されベストとされたテイク27である。
グリン・ジョンズがアルバム「ゲット・バック」用にミックスしたものと同じだが、
シングル盤で発表する際、ジョージ・マーティンの判断によりジョンの6弦ベースを
消してポールがベースを、ジョージがディストーションを付けたギターを、リンゴ
はタムを、さらにリンダが高音部を歌ったコーラスとブラスをオーヴァーダブした。
今回新たにリミックスし直されたこのヴァージョンは、全体を包み込むようなサウンド
の広がりが新鮮である。




ポールのピアノは左からセンターに移動。ブリュートナーの豊かな響きが味わえる。
オリジナルは最初のLet it be〜のコーラスが左から右へパンして不自然であった。
リミックスではコーラスはやや右後方から広がり、奥行き感が出た
ビリー・プレストンのオルガンもこのタイミングで入り厳かに響くようになった。
2回目のヴァースから入るポールのベース音が小さかったのが今回は少し大きい。
(フィル・スペクター版ほど大き過ぎない)
ドラムは低域が増しリンゴ特有のハネ感もよく分かる
リフレインで薄く入ってたブラスは大きくなったが耳障りではない。
ギター・ソロ前のオルガンによるブリッジがすばらしい
最後のLet it be〜のリフレインではディストーションのギターが後退し、レズリーの
回転スピーカーを通したギターが聴こえるようになった。


<続く>