太田裕美が歌う「青春のしおり」(1)という曲がある。ファンに人気の高い。
歌詞は女性の視点で、学生時代につき合っていたと思われる男子学生(たぶん
年上なのだろう)を追想している。
「CSNYなど聞き出してからあなたは人が変わったようね。髪をのばして授業
をさぼり自由に生きてみたいと言った」と歌われる。(2)
さらに「ウッドストック」という言葉も使われ、1970年代のカウンターカル
チャーの空気を感じさせる。
太田裕美は作詞を手がけた松本隆に「CSNYってなあに?」と尋ねたという。
松本は怒ったように「CSNYはCSNYだよ」と答えたそうだ。
彼女は「分からないから訊いてるんじゃないの」と思ったという。
同世代の太田裕美がCSNYを知らなかったことがちょっと驚きであった。
上野学園で音楽を学び、シンガー&ソングライターという触れ込みでプロと
して活動していた人がCSNYを知らないって・・・・
松本隆がイラっとしたのもそこだったのだろう。
しかし考えてみれば中学・高校の頃、CSNYを聴いてる女子はいなかった。
GAROは好きという娘は多いけど、元ネタのCSNYの存在を知らない。
ウッドストックでCSNを知り「Déjà Vu」を聴いて、その後デビューした
GAROは和製CSNだなと思った僕たちとはストーリーが違うのだ。
そもそも洋楽ロックに夢中になっていたのは、クラスでも一部の男子だけ。
髪をのばして授業をさぼってたしね。
閑話休題。
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング (CSN&Y) の1969年 未発表
ライヴアルバム「Live At Fillmore East, 1969」が公式リリースされた。
1969年9月20日、ニューヨークのフィルモアイースト公演を収録したものだ。
フィルモアイースト公演は以前からブートレッグで出回っていたが、音質が悪く、
テープがヨレる、など評判が悪かった。
公式発売された音源は、新たに発掘された8トラックテープから、スティーヴン
・スティルスとニール・ヤングがLAのサンセットスタジオでレストア&ミックス
を施したものだそうである。
この二人、バッファローの頃から何度もぶつかっているが。
なかよくやれたんでしょうか(笑
それはともかく、非常にいい状態で録音されている。
Crosby, Stills, Nash & Young - Live At Fillmore East, 1969 (2024 Mix)
https://youtu.be/sy_ACh-R1-o?si=gumIV8N17Uv4NvmJ
この4ヶ月前の5月29日、クロスビー、スティルス&ナッシュ(CS&N)の3人が
デビュー・アルバムを発表したばかりであった。(3)
変則チューニングを多用したアコースティクギターの響きと3声ハーモニーの妙
で、それでにない新しいロックの境地を開いた。
イーグルスを初めとするウエストコースト・ロックの礎となっている。
↑スティーヴン・スティルスはモンキーズのオーディションを受け落ちている。
歯並びが悪いという理由だった。確かに・・・
ロック色を強めたいスティルスの意向で、バッファロー解散後ソロで活動していた
ニール・ヤングがギタリストとして加わりCSN&Yの4人体制となった。
ウッドストック・フェスティバルの最終日、8月17日にCSN&Yの4人が出演。
こも歴史的なロック・コンサートのハイライトの1つとなる。
ニール・ヤングは客を前で演奏することは了承したが、映像作品は頑なに拒否。
映画ではニール・ヤング抜きの3人しか写っていない。
映画ではニール・ヤング抜きの3人しか写っていない。
とはいえ、世界中の音楽ファンが動くCS&Nの姿を見て衝撃を受けた。
1970年3月にクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの4人名義でアルバム
「Déjà Vu」を発表。
ビルボード1位を記録する大ヒットとなり、商業的にも知名度的にもCSN&Yは
頂点を極め、時代を象徴するロックとなった。
フィルモアイースト公演はウッドストック出演の1ヶ月後。
ニール・ヤングを加えた4人による2回目のコンサート出演ではないかと思う。
まさにCSN&Yとして上昇気流に乗った一番勢いがある時期のライヴである。
翌1970年6〜7月のライヴを収録した「4 Way Street」(1971年4月発売)より
まとまりがよく聴きやすい。4人が和気藹々と楽しそうなのが伝わる。
前半がアコースティック・セット、後半がエレクトリック・セット。
圧倒的な「Suite: Judy Blues Eyes」で始まり、3声にアレンジしたビートルズ
の「Blackbird」、「Helplessly Hoping」と聴く者を虜にして行く。
ニール・ヤングはこの時点ではまだCSN&Yとしてのレパートリーがないようで
「On the Way Home」「I've Loved Her So Long」「Down by the River」
とソロ作品を歌っている。これがとてもいい。
スティルスは「4+20」、ナッシュは「Our House」とこの後「Déjà Vu」に
収録されることになる曲を披露している。
「4+20」は既に完成形。
「Déjà Vu」収録ヴァージョンとのギターのニュアンス違いも楽しめる。
「Long Time Gone」からエレクトリック・セットで5曲続く。
アコースティックの時はあんなに上手いのに、エレキギターのアンサンブルは
雑である。余計な音が多く、ぶつかり合う。
スティルスもニール・ヤングもリードギターは上手いとは言えない。
誰か分からないけどピッチが甘い、つまりチューニングがビミョーに合ってい
なくて気持ち悪い。しかもそういう曲に限って長尺。
まあ、グレイトフル・デッドやディランは日常茶飯事だし、ザ・バンドでさえ
リック・ダンコのチューニングが合ってない時があった。
誰か分からないけどピッチが甘い、つまりチューニングがビミョーに合ってい
なくて気持ち悪い。しかもそういう曲に限って長尺。
まあ、グレイトフル・デッドやディランは日常茶飯事だし、ザ・バンドでさえ
リック・ダンコのチューニングが合ってない時があった。
時代だったのかもしれない。
こういうことにシビアーな人と大雑把な人っているし、ガサツな方がバンドら
しくて好きという人もいる。この辺は好みが分かれるところだろう。
しかしCSN&Yの真骨頂はアコースティック・ギターとハーモニーの美しさだ。
個人的にはエレクトリック・セットの分マイナスでお薦め度は★★★★かな。
最後のアカペラ「Find the Cost of Freedom」はお口直しか。ホッとする。
さて、最後にCSN&Yの使用ギターについて少し触れておこう。
CSN&Yといえば、4人全員がマーティンの最高峰D-45を所有していたことでも
有名で、当時のギター・ファンは羨望の眼差しで見ていた。
D-45はCSN&Yのトレードマークであり、CSN&YによってD-45伝説が生まれた、
CSN&Yの影響で多くのミュージシャンが「いつかはD-45」と憧れるようになっ
た、と言っても過言ではないだろう。
D-45は当時の価格で100万円くらいだったと思う。
しかも生産本数が少なく、日本に入ってきたのは4本だけだったと言われる。
日本で最初にD-45を手に入れたのが加藤和彦だそうだ。(4)
次が石川鷹彦、そしてGAROのマークとトミー。
CSN&Yが使用していたD-45は1968年に再生産され出した直後のもので、サイド
&バックにハカランダ(ブラジリアンローズウッド)が使用されている。(5)
4人揃ってカリフォルニア州バークレーの楽器店で購入したそうだ。
尚、スティーヴン・スティルスはD-45以外にも、スロテッドヘッドで12フレット
ジョイントの000-45、ヴァーティカル・ロゴのD-28を所有している。
ニール・ヤングはD-45の他、ヴァーティカル・ロゴのD-28、D-18、ギブソン
J-200を愛用していた。
↑D-18を12弦に改造してある。チューナーが増える分ヘッドストックが長い。
エレクトリック・セットの写真はないが、クロスビーはグレッチ・ナッシュビル、
ギブソンのセミアコを12弦に改造したモデル、スティルスはギブソンのセミアコ、
SG、グレッチ・ホワイトファルコン、グレッチ・カントリージェントルマン辺り
ではないか。
グラハム・ナッシュは不明(エレキを抱えている写真を見かけない)、ニール・
ヤングはレスポール・ブラックビューティ、グレッチ・ホワイトファルコン、
ギブソンのフライングVのいずれかを使用していたと思われる。