2025年9月29日月曜日

なぜか日本だけヒットした「マンチェスターとリバプール」

忘れかけていた曲が頭の中で何度もリピートされることがある。
マンチェスターとリバプール♪・・・って、誰が歌っていたんだっけ?


ピンキーとフェラス/マンチェスターとリヴァプール(1968年)






<歌っていたのは・・・>

ピンキーとフェラスという英国のグループらしい。


1968年というばピンキーとキラーズの「恋の季節」が大ヒット。
オリコンチャート17週1位、売り上げ枚数207万枚という記録を達成した。

ピンキーと〜の命名はこの英国のグループからか?と思いきや。
逆だったという説がある。


英国ではフェラス(The Fellas)(1)と名乗っていたらしい。
スコットランド出身のグループでメンバーは女性1名、男性5名という構成。
男性5名は演奏を担当していた。
ボーカルの女性はキャロライン・ガードナー。





フェラスはDecca(デッカ)という英国のレーベル(2)に所属していた。
デッカはアメリカや日本ではロンドンレコードというレーベルを使用。
日本ではキングレコードが配給元であった。

キングレコードといえば、ピンキーとキラーズの所属レーベル。
洋楽担当は大ヒットしたピンキラにあやかって、勝手にピンキーとフェラス
というグループ名をでっちあげた?
「売れればいい」の何でもありの時代。あり得る話だ。


その甲斐があってか?ピンキーとフェラスの「マンチェスターとリバプール」
は1968年10月の30万枚を売り上げ、オリコン・チャート5週連続1位という
ヒット曲となった

本国の英国でもアメリカでも鳴かず飛ばず。日本だけのヒットだった。(3)
そのせいか、英国圏ではこのグループのデータがほとんど出てこない。



 

しかし1968年4月の英国レコード・ミラー紙の記事では、Pinky and the
Fellasと紹介。Pinky and her Fellasという言い方もしている。

ということは、1968年7月20日にデビューしたピンキーとキラーズの方が後?
ピンキラの方が名前を拝借したのかもしれない。


またDiscogsには英国デッカからリリースされたシングル盤の写真が掲載
されており、レーベルにはPINKY & THE FELLAS と刻印されている。(4)






<原曲はフレンチ・ポップスだった>

「マンチェスターとリバプール」は「恋はみずいろ」(5)などイージーリスニ
ング(6)の第一人者として知られるフランスのアンドレ・ポップの作品である。

フランスの女優で歌手のマリー・ラフォレ(7)が1966年に歌っている


Marie Laforet - Manchester et Liverpool 1967




↑他に写真なかったのかな?なんかこわい。きれいな女性なのに残念。



イギリスのマンチェスターとリヴァプールを舞台に、失恋した女性の悲しみが
描かれている。(なぜフランス人の失恋の地が英国の工業都市なのか?は謎)

Manchester et Liverpool
Je me revois flânant le long des rues
Au milieu de cette foule
Parmi ces milliers d'inconnus

マンチェスターとリバプール
通りをぶらついていたことを思い出す
この人ごみの中を たくさんの見知らぬ人々の中を

(中略)

Je t'aime, je t'aime
Que j'aime ta voix Qui me disait
Je t'aime, je t'aime
Et moi j'y croyais tant et plus 

あなたが好き、あなたが好きよ あなたの声が大好き
君が好き、君が好き と言ってくれたのは誰なの?
私はその言葉をすっかり信じきっていた
※ 2番目のje t'aime,je t'aimeは相手が言った言葉 

                                (拙訳:イエロードッグ)




↑1967年のスペイン盤。4曲入り。ドイツでも発売されていた。




メロディーはシャンソンらしいメランコリックで叙情的な響きを持っている。
一方で2拍目と4拍目にアクセントを置く跳ね感のあるリズムはラテン音楽の
ようでもあり、軽快でどこかコミカル、エキゾチックな雰囲気がある。

1960年代に日本で流行したドドンパ(8)や「ワシントン広場の夜はふけて」
のようなフォーク・ディキシー(9)にも通じるものがある。




このアンバランス感が魅力とも言える。
哀愁のあるメロディーを軽快なリズムを融合させる手法は、当時のフレンチ・
ポップスやシャンソンではよく使われたらしい




<ピンキーとフェラスの英語ヴァージョン>

改めてピンキーとフェラスによる英語カヴァーを聴いてみると、曲調やアレン
ジはマリー・ラフォレのフレンチ・ポップスに近いことが分かる。


Manchester and Liverpool. 
May not seem cities for romantic fools. 
Bustling feet and dusty streets, 
And people living for each day. 
But behind the smoke and grind, 
A great big city's beating heart you'll find. 
You may roam but it's still home, 
Although you travel far away.

A city, city may not so very pretty
But to be back, a smokestack
Can be a welcome sight to see

マンチェスターとリバプール。
ロマンチックな愚か者には不向きの街かもしれない。
賑やかな足音と埃っぽい通り、そして日々を懸命に生きる人々。

でも煙と喧騒の裏には、大都市の鼓動が息づいている。
遠くへ旅をしたら彷徨うかもしれないけど、やはり故郷だ。

街はそれほど美しくはないかもしれない。
でも帰ってくると、煙突が歓迎してくれるように見える。

                                (拙訳:イエロードッグ)


マリー・ラフォレ版ではサビでJe t'aimeと繰り返され、いかにもシャンソン
であるが、フェラスの英語カヴァーではA Cityと歌われ、メランコリックさは
後退している。

失恋ソングではなく、自分と街、街への思い入れがテーマになっている。
その分、工業都市、港湾都市(10)の描写が多い。



↑後に再発されたシングル盤と思われる。このセンス・・・





<「マンチェスターとリバプール」が日本だけでヒットした理由>(11)

まず、日本人が大好きなマイナー調の(泣きのある)親しみやすいメロディー
だったことが挙げられる。

そして1960年代にシルヴィ・バルタン、フランス・ギャル、ダニエル・ヴィダル
が日本でヒットし、日本人にシャンソンが身近で合ったこと。
ドドンパが流行った後で、この曲独特のリズムに共鳴できたことも大きい。

マリー・ラフォレのオリジナルがヒットしなかったのは、メランコリックすぎ
、ウェット(感情的)すぎたせいではないだろうか。
ピンキーとフェラスの英語ヴァージョンは適度に哀愁を帯び、適度に明るく軽や
かで当時の日本人の気分で合っていたのかもしれない。



<ピンキーとフェラスのその後>





ピンキーとフェラスは翌1969年、ポリドールに移籍。
Let The Music Startという、やはりフレンチ・ポップス的な曲を発表。

1970年4月に来日して東京公演を果たす。
同年アルバム「Waterloo Road」を発表するがヒットせず、英国では無名の
まま終わったということだ。

タイトル曲の「Waterloo Road」は英国のサイケデリックロックバンド、
ジェイソン・クレストが1968年にリリースした曲で、「オー・シャンゼリゼ」
の元歌。何かとフランスに縁があるグループ?だったみたいだ。


<脚注>

(1)Fellas
スラングで「仲間」「男友達」を意味する。fellowsが変化したもの。
男友達のグループに親しみを込めて呼びかける際、Hey guys、Hey mens
の代わりにHey fellasと言うことがある。

(2)Decca(デッカ)
英国のクラシック名門レーベル。ポピュラー音楽部門もある。
ビートルズがデッカのオーディションで落とされたことは有名。
彼らはEMIからデビューし、デッカでビートルズを逃した担当者は解雇。
その後デッカはローリングストーンズと契約した。

(3)日本だけのヒット
ザ・ピーナッツ、中村晃子が英語でカヴァー、ザ・スパイダースは日本語の
歌詞で歌っている。かなり人気の曲だったことが伺える。
尚、シャンソン歌手の朝倉ノニーさんによると、1970年代のソヴィエト連邦
でマリー・ラフォレのオリジナル版がテレビの天気予報のBGMとして使われ
ていたそうだ。

(4)英国のシングル盤
ディスクが袋に入ってるだけの簡素な形態で販売されている場合が多い。
日本のように裏に歌詞が書いてある写真入りのジャケットはなかった。
(初回プレスのみジャケット付きという場合もあったが)

(5)「恋はみずいろ」
原題はL'amour est bleu。ヴィッキー・レアンドロスの歌唱が有名。
ポール・モーリア楽団によるイージーリスニング調アレンジもヒットした。
フランシス・レイ作曲の「白い恋人たち」と共に、日本におけるイージー
リスニングのブーム牽引役となった。

(6)イージーリスニング
1950年代〜1970年代にかけて人気があったポピュラー音楽のジャンル。
百貨店など公共の場で、リラックスするためのBGMとして使用される。 
ストリングスを伴ったクラシックとポップスの中間、ミディアム〜スローテン
ポのアレンジが特徴。
ムードミュージック、ロビーミュージック、エレベーターミュージックと
呼ばれることもある。

(7)マリー・ラフォレ
映画「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンと共演。マルジュ役で注目される。
もともと歌手志望だったため、女優業より歌手に専念する。

(8)ドドンパ
4拍子の2拍目に極端にアクセントを付け、1拍の前半を長く後半を短いシャッ
フルで演奏するスタイル。
キューバ音楽のチャチャチャが日本のナイトクラブやダンスホールで変化した
ステップで、2拍目から足を踏み出すステップのが特徴。
1960年代前半に流行した。
ドドンパを用いた歌謡曲は、東京ドドンパ娘/渡辺マリ、若い二人/北原謙二
、お座敷小唄/和田弘とマヒナスターズ・松尾和子などがある。

(9)フォーク・ディキシー
ディキシーランド・ジャズに1960年代に流行したフォークソングの要素を取
り入れた曲調のこと。
1963年に発売されたヴィレッジ・ストンパーズのインストゥルメンタル曲、
「ワシントン広場の夜はふけて」は日本でも60万枚以上の大ヒットとなった。

(10)工業都市および港湾都市
マンチェスターは綿工業で栄えた工業都市で、産業革命時代の古きイギリス
の面影も残しているという。
リバプールは産業革命期にマンチェスターの工業製品の輸出港として発展。
かつては奴隷貿易の拠点として栄え、その富がマンチェスターの工業化を
支えていた、という関係がある。

2つの都市は鉄道で40分程の距離。いずれも労働者の街だった。
フェラスのメンバーたちは結成当時、電気関係、自動車修理工場、セールス、
と仕事を転々とし経済的に苦しい日々を送っていたという。
英語の歌詩はジャック・フィッシュマンという人がクレジットされているが、
メンバーたちの想いも託されていたのかもしれない。

(11)日本だけでヒットした理由
TAP the POPでは、当時ヒットしていた「恋はみずいろ」の作者アンドレ・
ポップの楽曲であったため、としている。
しかし、2曲が同じ作曲家によるものと一般人が認識してた可能性は低い。


<参考資料:朝倉ノニーの歌物語、TAP the POP、夢屋 よろずがたり、
シャンソンとフランス語、年代流行、60年代音楽 オールディーズの時代、
amass、YouTube、Wikipedia、Google Gemini、他>

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