フレンチポップスを代表する歌手の1人で、1960年代のスタイルアイコンでもある
フランソワーズ・アルディが6月11日に亡くなった。(享年80歳)
一番好きな女性歌手で、憧れの女性でもあった。とても残念だ。
2004年に悪性リンパ腫と診断され、長く闘病生活を送っていたそうだ。(1)
それでも音楽活動は続けていた。
2018年に最後のアルバム「Personne d'autre」を発表。
2021年に病状の悪化から歌手活動を引退している。
ル・モンド紙によると、死因は喉頭がんだったとのこと。
昨年「あまり苦しまずに早く逝きたい」と語ったとパリ・マッチ誌は報じている。
安楽死を認める議論を復活させるよう、マクロン大統領に訴えていたそうだ。
安らかにお眠りください。
(写真:GettiImages)
アルディは1962年、18歳で自作のデビュー曲「Tous les Garcons et les Filles
(男の子と女の子)」がヒット。一躍スターになった。
明るい3連ロッカバラード(4/4拍で1拍が3連符。タタタ・タタタ・・・)だが、
「同じ歳頃の男の子と女の子は並んで歩くけど私は一人」と孤独感を歌っている。
↓「Tous les Garcons et les Filles(男の子と女の子)」
ちょうどシャンソンから英米のロックの影響を受けた「イエイエ」(2)と呼ばれる
フレンチポップスへと潮目が変わり出した頃である。
当時、大人気アイドルだったのが前年にデビューしたシルヴィ・バルタンだ。(3)
↑シルヴィ・バルタンと。
シルヴィ・バルタンが気が強くワガママなクラスの女王様(笑)なら、フランソ
ワーズ・アルディは一人静かに窓の外を眺める大人っぽい娘のイメージだろうか。
イエイエの時代において、華やかなエンターテイナーとしてステージで本領発揮した
バルタンとは対照的に、ギターを弾きながら淡々と歌うアルディは、シンガー&ソン
グライター然とした珍しい歌手だった。
ワーズ・アルディは一人静かに窓の外を眺める大人っぽい娘のイメージだろうか。
イエイエの時代において、華やかなエンターテイナーとしてステージで本領発揮した
バルタンとは対照的に、ギターを弾きながら淡々と歌うアルディは、シンガー&ソン
グライター然とした珍しい歌手だった。
ギターなしで歌う時は、派手な動きもなく不器用で素人っぽい印象すら与える。
そこが、かえって魅力だった。
アルディは正規のボイストレーニングを受けていない。
しかし「素朴で人を虜にする歌声」という天賦の才能を持っていた。
透明感のあるウィスパーヴォイスは哀愁に満ちていて、それが内省的な歌にとても
よく似合っている。
「アンニュイの妖精」と呼ばれる独特の空気を纏っていた。
2023年ローリングストーン誌は「史上最も偉大な歌手トップ200」に、フランソワ
ーズ・アルディをフランス人で唯一選んでいる。
類稀な美貌と180cmという長身、足の長さ、中性的なシルエット、飾り気のない
エレガンス、着こなし、落ち着いた物腰。フォトジェニックである。
流行り始めていたミニスカートやパンタロンをいち早く着用し、ジーンズやレザー
ジャケット、レザーパンツなどロックのテイストも着こなし、ファッションアイコン
としても注目を集めた。
しかし「素朴で人を虜にする歌声」という天賦の才能を持っていた。
透明感のあるウィスパーヴォイスは哀愁に満ちていて、それが内省的な歌にとても
よく似合っている。
「アンニュイの妖精」と呼ばれる独特の空気を纏っていた。
2023年ローリングストーン誌は「史上最も偉大な歌手トップ200」に、フランソワ
ーズ・アルディをフランス人で唯一選んでいる。
類稀な美貌と180cmという長身、足の長さ、中性的なシルエット、飾り気のない
エレガンス、着こなし、落ち着いた物腰。フォトジェニックである。
流行り始めていたミニスカートやパンタロンをいち早く着用し、ジーンズやレザー
ジャケット、レザーパンツなどロックのテイストも着こなし、ファッションアイコン
としても注目を集めた。
ソルボンヌ大学在学中からヴォーグ誌のモデル、イヴ・サンローランやパコ・ラバ
ンヌ、アンドレ・クレージュのモデルを務めた。(4)
ヴォーグ誌は「アルディは反バルドー的存在だった。ブリジッド・バルドーのような
セクシーさを前面に出した女らしさを古臭いものにした」と書いている。
アルディは女優としても活躍。ジャン=リュック・ゴダーの映画にも出演している。
フランソワーズ・アルディは英米ロック・アーティストのミューズでもあった。
デヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー、ボブ・ディランも彼女のファンである。
↑ミック・ジャガーとアルディ(似てる?という人もいる。カーリー・サイモンも)
ディランは4枚目のアルバムの裏ジャケットに、アルディに捧げる詩を載せている。
1966年のパリでの初ライブの日、「フランソワーズ・アルディが来てくれないとス
テージに上がらない」とディランが言い出し(ガキかよ)関係者を慌てさせた。
アルディが会場に来てくれたことで、ディランは納得してステージに上がる。
コンサートの後、ディランは新作「Blonde On Blonde」をアルディに聴かせた。
アルディは「今まで聴いたことがない音楽で驚いた」と感想を述べている。
アルディは1971年にアメリカのフォーク・ロックを英語で歌うアルバム「If You
Listen」を発表している。
バフィ・セントメリーやニール・ヤングの曲をカヴァーしているが、ディランの
曲はなかった。
ビートルズについては「レコードは聴いてるけどよく知らない。来週オランピアに
見に行くわ※」と答え、Twist and Shoutを歌うか?と訊かれると「いいえ、私
が歌うのは自分の曲がほとんど。もっとスローで感傷的ね」と否定している。
(1964年1月7日 英国ITNのインタビュー)
※9日後の1月16日にビートルズはオランピア劇場で初パリ公演を行なっている。
日本では、アイドルにしては大人っぽすぎ、敷居が高すぎたのかもしれない。
「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」、レナウン「ワンサカ娘」CMがヒットした
シルヴィ・バルタン(5)、「夢見るシャンソン人形」がバカ売れのフランス・ギャル、
「天使のらくがき」「オー・シャンゼリゼ」のダニエル・ビダルと違って、アルディ
の日本における知名度、人気はイマイチだった。
↑シルヴィ・バルタンと。
FMで流れていた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」という曲が
好きで、フランソワーズ・アルディのLPを買ったのは18才の秋だったと思う。
日本ではなぜか本国より5年遅れの1973〜1974年にヒットしていた。
(曲については次回、深掘りします)
↓「さよならを教えて(Comment te dire adieu)
この曲が入ってるアルバムを探したが、なかなかお目にかかれない。
銀座のヤマハや山野楽器まで行けばよかったのだが、当時は行動範囲が狭かった。
パイド・パイパー・ハウス(6)もまだない。
ようやく吉祥寺のレコード店で「Françoise」という国内盤LPを見つけ購入した。
余談だが「ふたりだけの窓」(7)という1966年の英国映画を見て驚いた。
リバプールのレコード店のレジにフランソワーズ・アルディのLPが飾ってあった。
英国では早くから人気があり、レコードも入手しやすかったらしい。
さて、このLP。アートワークが目を惹く。
いい曲ばかり網羅してるので、国内編集盤だと思っていたが違っていた。
フランスのヒポポタム・レーベルからリリースされた1967-1968年既発曲の編集盤
LPをエピック・ソニーが契約して1973年頃に発売したらしい。
(ちなみにフランスでは一度、1970年にコンサートホール・レーベルから発売され、
1973年にヒポポタム・レーベルが収録曲を入れ替えて再発している)
↑見開き中面にはこんな微笑ましい写真が載っていた。
ヒポポタマス(hippopotamus)=カバ、という洒落だろうか?
このLPにはラマかアルパカと一緒に映ってる写真もあったような記憶がある。
(LPは現在持っていないので確かめようがないが)
フランスのヒポポタム・レーベルからリリースされた1967-1968年既発曲の編集盤
LPをエピック・ソニーが契約して1973年頃に発売したらしい。
(ちなみにフランスでは一度、1970年にコンサートホール・レーベルから発売され、
1973年にヒポポタム・レーベルが収録曲を入れ替えて再発している)
↑見開き中面にはこんな微笑ましい写真が載っていた。
ヒポポタマス(hippopotamus)=カバ、という洒落だろうか?
このLPにはラマかアルパカと一緒に映ってる写真もあったような記憶がある。
(LPは現在持っていないので確かめようがないが)
アルディは動物好きらしく、ゾウやチータや馬を愛てる写真がある。
その一方で毛皮のコートを着てる、という矛盾した行動(?)もとっている。
まあ、ブリジット・バルドーも(やや過激な)動物愛護活動家になったのは30歳
日本滞在、ファンとの交流への思い出もあったのだろうか。
東日本大震災の際は多額の寄付をした、という記事を新聞で読んだ。
↓以下の記事を参考にし、記載内容と写真を転用させていただきました。
ご協力に感謝します。
素晴らしい内容ですのでご参照ください。リンクを貼りました。
マーメイド号の紙ジャケだけじゃ生きてゆけない!本日の中古盤 FRANCOISE
HARDY/FRANCOISE
http://blog.livedoor.jp/mermaid555/archives/52093252.html
Kontaの歓びの毒牙 フランソワーズ・アルディ Françoise Hardy の初来日 1974
https://k0nta.hatenablog.com/entry/2018/02/18/162059
僕らの日々 フランソワーズ・アルディの思い出@1991
https://ameblo.jp/jametjohn/entry-12797452652.html
<脚注>
その一方で毛皮のコートを着てる、という矛盾した行動(?)もとっている。
まあ、ブリジット・バルドーも(やや過激な)動物愛護活動家になったのは30歳
前で、それまでは公然と毛皮のコートを着てたわけで。
↑抱いているのはベンガルという猫種です。
フランソワーズ・アルディは1974年に初来日している。こっそり?
記者会見をしてるが「さよならを教えて」ヒット御礼みたいな感じだろうか。
4月16日から4月20日の5日間、日本に滞在。公演は行っていない。
一人息子が病気との知らせが届き、予定を変更して急遽パリに戻ったそうだ。
(「ロードショー」1974年7月号)
1991年4月末、伊勢丹主催のプライヴェート・トークショー(原宿クエストホール
にて2日間開催)のために来日し、2週間ほど滞在したらしい。
(プライベート・トークショー告知の新聞広告)
1996年7月末、アルバム「Le Danger」のプロモーションのために来日。
↑抱いているのはベンガルという猫種です。
フランソワーズ・アルディは1974年に初来日している。こっそり?
記者会見をしてるが「さよならを教えて」ヒット御礼みたいな感じだろうか。
4月16日から4月20日の5日間、日本に滞在。公演は行っていない。
一人息子が病気との知らせが届き、予定を変更して急遽パリに戻ったそうだ。
(「ロードショー」1974年7月号)
1991年4月末、伊勢丹主催のプライヴェート・トークショー(原宿クエストホール
にて2日間開催)のために来日し、2週間ほど滞在したらしい。
(プライベート・トークショー告知の新聞広告)
1996年7月末、アルバム「Le Danger」のプロモーションのために来日。
これがアルディ最後の来日となった。
日本滞在、ファンとの交流への思い出もあったのだろうか。
東日本大震災の際は多額の寄付をした、という記事を新聞で読んだ。
↓以下の記事を参考にし、記載内容と写真を転用させていただきました。
ご協力に感謝します。
素晴らしい内容ですのでご参照ください。リンクを貼りました。
マーメイド号の紙ジャケだけじゃ生きてゆけない!本日の中古盤 FRANCOISE
HARDY/FRANCOISE
http://blog.livedoor.jp/mermaid555/archives/52093252.html
Kontaの歓びの毒牙 フランソワーズ・アルディ Françoise Hardy の初来日 1974
https://k0nta.hatenablog.com/entry/2018/02/18/162059
僕らの日々 フランソワーズ・アルディの思い出@1991
https://ameblo.jp/jametjohn/entry-12797452652.html
<脚注>